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  • 執筆者の写真Masayuki Kano

作務のように撮る



写真:「レンゲツツジ」

20180614-DSCF8232-2

FUJIFILM X-E3, FUJINON XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS

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2018年6月16日(土)

毎朝未明から禅僧の「作務(さむ)」のように写真を撮っている。淡々と続ける中でなにかがきっと見えてくるのだろう。そんなふうに思っている。

正確に表現するならば、なにかを期待しているわけでもないし、なにかのための努力というのでもない。それを続ける中でなにか変わっていくのか、なにかが見えてくるのか。それともなにも変わらないかも知れないし、なにも起こらず、なにも見えないのか。

なにも変わらずなにも見えなくても、まあ、それはそれでいいのではないかとも思う。

わたしが主に撮影しているのはなんでもないものたち、あるいはあたりまえのものとしての(と思っているだけでじつは奇跡としての)「日常」とでもいうべきものたち。

それはただそこにあって、まるであたりまえのようにそこにあって、少しも変わらないようでじつは刻一刻と変化し続けているものたち。

できることならば良き関係性の中で人を撮り続けたいと願っている自分を感じつつ、いまは身の回りの豊かな自然とただただ真剣に向き合っている。

ひたすら続けていれば、もしわたしにとってそのようなことが真に必要であるならば、いずれ人を撮り続ける日々がやって来るのかも知れない。

人生で起こる出来事に必然性のないものはない。必要のあることだけが起こり、必要のないことは起きない。そんなふうに感じる。

しあわせとはわたしがわたしであること。わたしがわたしでないということが一瞬たりともないこと。100パーセントのわたしであること。わたし以外のわたしではないこと、そのようであり続ける人生であること。

わたしがこのようにわたしであることを何人(なんぴと)にも否定されないこと。わたしがこのようにわたしであることが全的に肯定されること。個人の尊厳とはそのようなものだろう。

話がそれたが、わたしが写真を撮り続けるのはそのようなことに繋がっているからでもある。ひとたびカメラを手にすればそんな辛気くさい小理屈などどこかに吹っ飛んでしまうのだけど。

まあそんなことで今日も写真を撮ったし明日も撮り続ける。それはわたしの職業がなんであるとか、男性であるとか女性であるとか、社会的にどのようなポジションにいるのだとか、そんなこととはまったく関係がないのだ。

ただ撮りたいから撮る。それを通じて自分の視野が広がっていくことを実感するから撮る。写真が好きだから撮る。それ以上でもそれ以下でもない(趣味ですらない)とても個人的な行動であるような気がしている。

★★★

すぐ近くの車山高原や霧ヶ峰高原では蛍光オレンジの蓮華躑躅(レンゲツツジ)の大群生が見ごろになりました。

陽光がさんさんと降り注ぐ晴れの日よりも、むしろ曇りの日のほうが幽玄で美しく感じる不思議な花です。写真を撮るなら曇りや雨の日のほうが断然良いです。

山歩きや登山にも快適な季節ですね。蓼科高原、北八ヶ岳は比較的梅雨が軽いので晴天率は高いという印象を持っています(個人的経験ですが)。

皆様のお越しをお待ちしています。

★★★ グリーンシーズンにはビーナスライン(県道192号線)で蓼科から美ヶ原経由で松本まで一気にドライブするコースがオススメです。ちなみに国道299号線も全面開通しました。 それだけではなく当地の夕暮れ風景の美しさも堪能していただければ幸いです。 蓼科高原ペンション・サンセット お料理自慢の宿 : https://www.p-sunset.com/ ★★★ 「ペンション・サンセット お料理自慢の宿」というのがわたしの営むペンションの名称です。「Google マップ」にも「foursquare(フォースクエア)」にもこの名称で記載されています。 ★★★ 蓼科高原の公式ホームページ(by 茅野市観光協会):http://www.tateshinakougen.gr.jp/

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