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執筆者の写真Masayuki Kano

蓼科高原日記/仄暗い森(3)



2017/09/22(金)の蓼科高原:

今日は朝から快晴でしたが、夕方からは本降りの雨になりました。

最低気温は夜明け時に3℃。最高気温は10℃でした。

今週末は連休ですね。

9月23日(土)は曇り時々雨、9月24日(日)は曇り時々晴れの予報が出ています。

紅葉の季節も抜群に美しい蓼科高原ですが、黄葉直前のこの季節ならではの心地よい気候はなにものにもかえがたい。

「静けさと癒やしに満ちた蓼科高原」で皆様のお越しをお待ちしております。

★★★

「仄暗い森(3)」

帰宅してデジタル写真を現像してみるとそこには思いがけない映像があった。

そこにはなかったはずのなにかがしっかりと撮り込んでいたのだ。

気の弱いひともいると想うのでその写真は載せない。

世に言う「心霊写真」ではないけれど見た目はすごく似ている。

赤松の巨木の倒れた後の切り株にはたくさんの顔があった。しかし彼らは僕になんか興味がないことがわかる。しかし、かれらは映像としてひとの顔のようなものとしてメタファーとして「ただそこにあるだけ」なのだ。

遊歩道の右手の石垣にもたくさんの顔があったけれど銀座の街角で見かけるような和んだ表情をした、疲れた顔をした、あるいは困ったような顔をした、ごくごく普通のサラリーマンみたいなひとばかりなのだ(なぜか女性がいないなあ)。

しかもかれらは自分がここに現れていることに気づいていないようなのだ・・・そりゃそうだろうね。そんな感じ・・・わかってもらえるだろうか。

これは心霊現象ではない。街角のふつうのひとの姿が主に顔の映像としてそこかしこに映し出されているのだ。大型家電量販店のテレビ売り場のTV画面に映し出されるニュースキャスターの顔みたいに。

大きさはえらく縮小されていてまさにテレビサイズだ。そういう事情だからもちろん僕がそばにいることにさえ気づいていないし気づきたいとも想っていないようだ。

これはある種の「念写」なのかな?

さあ、どうだか・・・

これまでの僕にはそんな能力はなかった。母親ゆずりで子供の頃から霊感は強い方だったけど、いろんなものの気配を感じる力は強かったけど、いろんなものと心を通わせることはできたけど、女性だけは例外だったなあ。^^;

と言うことで、ここでこの話はおしまいです。

ふつうのひとには絶対見えないし気配を感じることすらできないし写真に写り込むこともないからぜーんぜん心配ないです。  (おわり)

※2008年11月に書いた記事より再掲載。最近知ったのですが、こう下体験の多くは「パレイドリア」という現象だそうです。わたしもその考えに多くの場合同意します。ただし、この文章で語った体験はそうではないような気がします。

★★★

紅葉の見頃は白駒池付近で9月下旬ないし10月上旬、ペンション・サンセット付近は10月中旬、観音平など奥蓼科横谷峡は10月下旬、御射鹿池も同様です。ただし紅葉は微妙な気象の変化で変わってきますのでピンポイントでの見ごろは分かりません。 蓼科はどこに行くにもちょうど良い距離にあるいま流行の「ハブ空港」のような存在だと思います。蓼科で心身を休め、ここを起点にして様々な観光地や山歩きやその他の活動に出かける、その基地として最適の立地なのです。 皆様のお越しを「癒やしに満ちた秋の蓼科高原」でお待ちしています。

ペンション・サンセット オーナー 拝 蓼科高原ペンション・サンセット 公式ホームページ  今日の写真:「蓼科高原ピラタスの丘・標高1700からの眺め」

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Sony α7, Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4 MC VM + Voigtlander VM-E Close Focus Adapter

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