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  • 執筆者の写真Masayuki Kano

蓼科高原日記/文体に思いはせる夏



L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 

文体のことを考える夏になるのかも知れない。

文章だけではなくてあらゆるもののバックボーンとしての「文体」。

大袈裟に言えば「生き様」と同義の「文体」と言えるかも知れない。

タッチでもないしトーンでもない。もちろんそれは重要必須の要素だけど、それらよりもっとずっと大きなものとしての「文体」に思いをめぐらせている。

それはたとえばこのような言い回しで使うことが出来るような概念だ。

「たしかに村上春樹は同じようなストーリーをたびたび書いているような印象を持たれているかも知れない。しかし彼には文体がある。それで十分じゃないか。」

そんなようなことだ。

蓼科はどこに行くにもちょうど良い距離にあるいま流行の「ハブ空港」のような存在だと思います。蓼科で心身を休め、ここを起点にして様々な観光地や山歩きやその他の活動に出かける、その基地として最適の立地なのです。

皆様のお越しをお待ちしております。

ペンション・サンセット オーナー 拝

今日の写真:「tateshina 170714」

170714-DSC05189

Sony α7, Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4 MC VM + Voigtlander VM-E Close Focus Adapter

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