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蓼科高原日記/わっ、熱中症!?
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 外気温が10℃以下だからと言って油断してしまったのかも知れない。 昨日、妻と二人して厨房の中で「熱中症」のような症状に襲われてしまいました。...
Masayuki Kano
2017年7月25日読了時間: 2分


蓼科高原日記/不完全な花など無い
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 完全なものあるいは完全に見えるものが美しいというふうには考えない。 完全なものなど在るのか不完全なるものは在るのか。...
Masayuki Kano
2017年7月24日読了時間: 2分


蓼科高原日記/無意味性は世界の本質
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - この世界は「神」によってこのようにある。 ただ意味もなく存在する。 「無意味性」はこの世界の本質である。 ...
Masayuki Kano
2017年7月23日読了時間: 2分


蓼科高原日記/驟雨(しゅうう)
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 驟雨(しゅうう)という言葉のひびきは個人的な想いとして夏を指し示す。 快晴の空が一天にわかにかき曇り激しい雨となる。...
Masayuki Kano
2017年7月22日読了時間: 2分


蓼科高原日記/レゾンデートル
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - ペンション・サンセットからペンション村入口(「出口で」もありますね)に向かう途中の広場から撮った今日の夕景です。...
Masayuki Kano
2017年7月21日読了時間: 3分


蓼科高原日記/涼しい避暑地の夏です
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 今日の写真はペンション・サンセットのラウンジの窓から見上げる空です。 標高1700mあるので空がとても近く感じられます。 というか、じっさいに空が近いのですが。...
Masayuki Kano
2017年7月20日読了時間: 2分


蓼科高原日記/限定的な道
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 今日の写真はペンション・サンセットの前の道です。 手前左側が私のペンションの駐車場になっています。 この道の先は下り坂になっていて、道なりに走ると数分でペンション村...
Masayuki Kano
2017年7月20日読了時間: 2分


蓼科高原日記/見守り続ける
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 今日もマーガレットかと思われても仕方ない。 この夏はマーガレットが特別な意味を持つのかも知れない。 もちろん私の個人的な問題意識の上で、ということだけれど。...
Masayuki Kano
2017年7月18日読了時間: 1分


蓼科高原日記/捉えることの出来ない風景
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 目の前にあるのに、捉えることの出来ない風景がある。 少なくとも、私にはそのような風景がある。 どうがんばっても「捉えきれない風景」がある。...
Masayuki Kano
2017年7月17日読了時間: 1分


蓼科高原日記/客観としての写真
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 今日の写真は私の営む蓼科高原ペンション・サンセット。 この春から私の写真の記録部門のテーマにエントリーしました。...
Masayuki Kano
2017年7月17日読了時間: 2分


蓼科高原日記/通い合うこころ
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - またマーガレットなのか? 別にマーガレットである必要はないのかも知れない。 個人的にもそうだし客観的にもそうだ。 「これはマーガレットである必要はない。」...
Masayuki Kano
2017年7月15日読了時間: 2分


蓼科高原日記/文体に思いはせる夏
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 文体のことを考える夏になるのかも知れない。 文章だけではなくてあらゆるもののバックボーンとしての「文体」。 大袈裟に言えば「生き様」と同義の「文体」と言えるかも知れ...
Masayuki Kano
2017年7月14日読了時間: 2分


蓼科高原日記/フォト・ノワールな蓼科
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - フォト・ノワールな蓼科です。 私の写真はどちらかと言えば、いや、圧倒的にこのように暗めのトーンが多いように思います。...
Masayuki Kano
2017年7月13日読了時間: 1分


蓼科高原日記/反復としての営み
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - またまたマーガレットです。 夕暮れの残照の中で地面。這いつくばって撮りまくったうちの一枚。 本当に暗くてEVFでも上手くピントが合わせられなくて、ピーキング機能を利...
Masayuki Kano
2017年7月12日読了時間: 2分


蓼科高原日記/マーガレットふたたび
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - またマーガレットか、と思われるかも知れないけど、かれらは私にじつに様々な表情を見せてくれるのだ。 上手い役者同様に、それはもう演技していると感じさせないほど上質な演...
Masayuki Kano
2017年7月11日読了時間: 2分


蓼科高原日記/諏訪湖の夕景
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 所用で山を降りたついでに諏訪湖に寄ってきた。 ちょうど夕暮れ間近で帰路こんな空になったので、ヨットハーバーの駐車場に入って急いで撮影した。...
Masayuki Kano
2017年7月10日読了時間: 2分


蓼科高原日記/葉もまた美しい
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 葉もまた花のようである。 花は美しいが、葉もまた美しい。 そんなふうに感じるのは私だけなのだろうか。 諏訪湖畔を散策しながら写真を撮っていて、そんなことを思っていた...
Masayuki Kano
2017年7月9日読了時間: 2分


蓼科高原日記/蓼科高原はもう夏です。
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 今日の写真はこれまでの私らしくない調整をしたものです。 とはいっても自分的には常にこうした色調整やトーンの写真を現像してはいるのですが…...
Masayuki Kano
2017年7月9日読了時間: 2分


蓼科高原日記/ミクロコスモス
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 「ミクロコスモス」というのが今日の写真を見たときに浮かんだタイトルだった。 ウィトゲンシュタインが「論理哲学論考」の中で使っていたのを憶えている。...
Masayuki Kano
2017年7月7日読了時間: 2分


蓼科高原日記/BUNTAI
L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE - 最も大切なのは文体だ。文脈でもなくテーマでもなく表現力でも無い。 もちろん適切な文脈も明瞭なテーマも洗練された表現力も必須ではあるけれど、文体がなければそれは完成し...
Masayuki Kano
2017年7月7日読了時間: 2分
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