top of page
  • 執筆者の写真Masayuki Kano

蓼科高原日記/「いいね!」の意味って



NO SENTIMENTALISM, NO ROMANTICISM, NO EMOTION. ONLY ARE RELATIONSHIPS THERE.

今日の写真の花はなんという名なのだろう。

ショッピングセンターのフラワーショップの店先で撮らせてもらったのだけれど、なんだか店の人に睨まれてるみたいで1枚だけ慌てて撮って逃げてきた。

わたしのカメラはマニュアルフォーカスで絞りもレンズの絞りダイアルを回すタイプなので、撮影にはいささか時間がかかる。しかも広角レンズなのでこうした写真を撮るときには手間がかかる。

ISOも絞り値もシャッタースピードも考えながら良い妥協点を探すわけだ。

なので、昨今のデジタルカメラにマクロレンズを付けた時のようにさっと行ってぱっと撮って戻ってくるなんて芸当は出来ない。

フルオートも好きなのだけれど、最近はフルマニュアルで撮影するという作法が懐かしくてそんな撮り方ばかりしている。

それはさておき、SNSに写真をアップするようになってまず気になるのが「いいね!」といういわば人気投票みたいなシステムだ。

そりゃあ自分の写真に「いいね!」がたくさんもらえたらうれしい。当初は単純に喜んでいた。しかし、最近はっと気づいたのね。

ひょっとして「いいね!」の数とその写真がほんとうに良い写真なのかということとは本質的にはあまり関係ないんじゃないかって。

「いいね!」にも人によっていろんな意味が込められていて、単純に「見たよ」ということもあれば、「うん、この写真はじつにいいね!」ということもあるだろうし、その他にもいろんなケースがあるだろう。

だから「いいね!」をたくさんもらえる写真がすなわち「良い写真」というわけではない。もちろん「ほんとうに優れた良い写真」は「文句なく良いね!」という意味の「いいね!」が山ほど付くのだろうけれど。

わたしのレベルではそんなことは逆立ちしてもありえないわけで。

だから気をつけなければいけないと思ったのだ。

「いいね!」をたくさんもらった写真を解析して「いいね!」がたくさんもらえるような方向へと「自分の写真」をシフトしていくということはぜったにやめるべきだということ。

いまごろになってこんなことを言うの恥ずかしい限りなのだけれど、自分への戒めとしてここに書き留めておきたいと思います。

相撲にたとえるならば、自分の土俵で自分の相撲を取るだけです。

蓼科高原のレンゲツツジの車山高原〜霧ヶ峰高原で群生が見ごろですが今週末が見ごろ。

一度観たらやみつきになること間違い無しの独特の美しい風景がそこにあります。

蓼科はどこに行くにもちょうど良い距離にあるいま流行の「ハブ空港」のような存在だと思います。蓼科で心身を休め、ここを起点にして様々な観光地や山歩きやその他の活動に出かける、その基地として最適の立地なのです。

皆様のお越しをお待ちしております。

ペンション・サンセット オーナー 拝

今日の写真:「tateshina 170630」

170630-DSC04690-LomoX-Pro1

Sony α7, Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4 MC VM + Voigtlander VM-E Close Focus Adapter

閲覧数:1回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page