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執筆者の写真Masayuki Kano

蓼科高原日記/何を撮りたかったのか



NO SENTIMENTALISM, NO ROMANTICISM, NO EMOTION. ONLY IS RELATIONSHIPS THERE.

昨日は新緑の表現について書きましたが、写真に限っても色の表現はあらゆる場面でさまざまな課題と遭遇するのだと思います。

わたしの場合は自分にいったいどのように見えているのかが分からなかった。色に限らずたとえば自分が撮った風景がどのような光の中でどのような姿でどのような色に見えたのか、それがわからなかった。

写真を現像して凝視してもそれが確信できなかった。自分はいったいなにが撮りたかったのだろう、あの色彩にこころ惹かれたのだけれどそれはいったいどんな色だったのだろう。この色では無いよなあ… と。

カメラ撮って出しの写真が基準になるのかも知れないしそうではないのかも知れない。昨日も書いたように記憶色と物理的に捉えられた色とは本質敵に異なるから。

同様のことは被写界深度、つまり前景や背景のボケにもいえる。自分の印象としての視界と、カメラが実際に捉えた視界とは異なることがある。まあ、これは経験によってかなり精度を上げることは可能だとは思うけれど。

その他の要素に関してもすべて同様のことがいえる。要は自分がなにを捉えたかったのかを確信できなければ何も表現できないということかも知れない。

今日のレンゲツツジの写真は撮る時点ですべてに確信と意図とを持って撮りました。たまにこういうことがあります。

自分が今感じていることが明確に把握できて、それをカメラに伝えて捉えようというスタンスで撮影できることがごくごくまれにあります。

このあと大好きな場所に行ってかなりの枚数を撮ってしまったのだけれど、そこでも同様に対象や撮影機材とのコミュニケーションができたように感じます。

そういう意味で、今日ととても気分のよい一日になりました。

撮影中は半袖ポロシャツでちょうど良いほどでした。それでも気温は10数度でしたからやはり高原なのですね。

ちなみに自宅の最高気温は11℃、朝の最低気温は3℃でした。天気は終日晴れ。

蓼科高原のレンゲツツジの群生地はもう見ごろにはいりました。車山高原とか霧ヶ峰高原でググれば様子が写真掲載されています。わたしも早々に写真を撮りに行こうと思っています。

一度観たらやみつきになること間違い無しの独特の美しい風景がそこにあります。

蓼科はどこに行くにもちょうど良い距離にあるいま流行の「ハブ空港」のような存在だと思います。蓼科で心身を休め、ここを起点にして様々な観光地や山歩きやその他の活動に出かける、その基地として最適の立地なのです。

皆様のお越しをお待ちしております。

ペンション・サンセット オーナー 拝

今日の写真:「tateshina 170615」

170615-DSC04025-3

Sony α7, Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4 MC VM + Voigtlander VM-E Close Focus Adapter

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