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  • 執筆者の写真Masayuki Kano

蓼科高原日記/ノルウェイの森



NO SENTIMENTALISM, NO ROMANTICISM, NO EMOTION. ONLY IS RELATIONSHIPS THERE.

映画「ノルウェイの森」を観た。

ずいぶん遅ればせながらだけれど。

アマゾンプライム会員の特典ビデオ一覧に入っているのを見つけた。

デビュー以来村上春樹の長編を読み続けているので、見たいなと思っていた映画。

村上春樹の小説は例外なく再読する。

いちばん少ない場合でも2回、多いものは23回。

「ノルウエイの森」は23回読み返した。

もう諳んじ(そらんじ)てしまうほどだ。

なぜかは書かないけれど、個人的にとても印象深い作品だから。

だから他の方とはこの映画を見る上でいささかのアドバンテージがあったかも知れない。(アドバンテージというのも変な言い方だけれど。)

評価の分かれている映画だということはなんとなく耳に入っていた。

ベトナムの映画監督トラン・アン・ユン氏は小説で語られた世界を独自の表現で映像化した。

もっと正確に言うならば、村上春樹の「ノルウェイの森」を原作として「ノルウェイの森」という映画を制作し、その試みはかなり成功している。

しかし、ふつうに、あるいは流行だからということで「ノルウェイの森」を読み、「恋愛映画」を期待して映画館に観に行った観客の多くはおそらく面食らったことだろう。

小説の腹帯には「100%の恋愛小説」とあったし、そのように読むことができる作品だったが「映画」はそうではないからだ。

上手い表現が見つからないのだけれど、たとえば、アンドレイ・タルコフスキーの作品が好きなひとにはかなり楽しめる映画なのではないだろうか。

そうでないひとには(極端な場合)困惑だったかもしれないし苦痛に近いものであったかも知れない。

これはそのような「映画」であって、「100%の恋愛映画」では全然ない。

先日数十年ぶりに縁あって(ほんとうに「縁」としかいいようのない出会いだった)タルコフスキーの「NOSTALGIA」を観たのだけれど、その体験の延長線上で間を置かずにこの映画を観ることになった。

随所に共鳴する何かを感じながら全編を「体験」することとなった。

トラン・アン・ユン氏がタルコフスキーをどう思っているかは寡聞にして知らないけれど、たぶん相当好きなのではないか。そんな気がした。

批判も多かったキャスティングについても、このレベルの演技を要求されるならば松山ケンイチ(ワタナベ)、菊地凛子(直子)というのは納得できる。

好き嫌いのはっきりと分かれる作品だとは思う。

ストーリーでは無くその美しい映像を楽しむべき映画であるという考え方もたしかにあると思う。

しかし、わたしはそうではないと思う。

「ノルウェイの森」は「100%の映画」である。

「100%の恋愛映画」ではないけれど。

ちなみに、水原希子の演じる緑はわたしの中では小説でイメージしていた通りの女性だった。

死者は永遠に死んだままだがわたしたちは生きていかなければならない。わたしたちは生き続けることを選んだのだから。彼らを失った哀しみを永遠に胸に秘めながら。

蓼科はどこに行くにもちょうど良い距離にあるいま流行の「ハブ空港」のような存在だと思います。蓼科で心身を休め、ここを起点にして様々な観光地や山歩きやその他の活動に出かける、その基地として最適の立地なのです。

皆様のお越しをお待ちしております。

ペンション・サンセット オーナー 拝

今日の写真:「tateshina 170611」

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Sony α7, Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4 MC VM + Voigtlander VM-E Close Focus Adapter

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