
今日は個人的なことを書きます。このような話題を不快に感じる方はスルーして下さい。
蓼科が好きになって蓼科に移住してふと気づけば22年の歳月が経過していた。
これには驚くほかないのだけれど、あっという間の出来事だったように感じる。 じつに様々なことがあった。多様な出会いと、いささか辛い別れと、再び素晴らしい出会いに恵まれて今ここにこうしている自分がある。
ひとは休むことなく変わっていくものだと思う。それはだれでもそうなのだ。気づくか気づかないか、意識できているか出来ていないか、ただそれだけの違いしか無い。
親しかった友と袂を分かつことになるのもまたしかたのないことなのだ。それは家族でも夫婦でも恋人でも、たとえそこに未だ愛があったとしても、見える世界、持つに至った世界観が異なればもう一緒にはいられないのだ。
自分が離婚を経験するなんて想像したこともなかったけれど、それは突然宣告された。離婚したのでもなく離婚されたのでもなく、そのベクトルには関係なく38年間続いた結婚生活は静かな結末を迎えた。
あとには何も残らなかった。
そのことにわたしは愕然とした。いったいそんなにも長い年月、「家族」という名のなにものかを成立させ続ける義務を負う以外にいったいなにをしていたのだろう。こころの中に巨大な「虚無」を抱え込んだみたいに感じる。
むろん相手がどう思っているかは知らないし、関与しないことが最大の礼儀である以上、それを知る必要もない。これはそもそも相手から切り出された話なのだ。 じつは10数年前から、あるいは考えようによっては30年近く前にすでに終わっていて単に離婚の実行が凍結されていただけなのに、わたしは慌てふためいて自らの世界の再構築に迫られてあたふたしただけなのだ。
想定外の「バツイチ」となったおかげで、村上春樹の長編作品の主人公の気持ちがとても良く理解できるようになった。最新作の「騎士団長殺し」の主人公の気持ちが手に取るようにわかるようになったのはプラスの側面と言って良いのかも知れない。
縁あってその後とても良きパートナーに出会い、再婚して数年を経た。ああ結婚とは、結婚生活とはこのようなものなのだとまるで初めてのことのように日々感動を覚えている。
わたしが変わったからなのか、パートナーとの相性が抜群に良いからなのかさだかではないけれど、いまはとても穏やかな気持ちで仕事に生活にと向き合うことが出来ている。 この世界に感謝。人知を越えたなにものかに感謝。なによりも現在のパートナーに感謝。わたしはいま生きる力に満ちている。 この年齢になるとあと何年生きることが許されているのかは神のみが知るのだけれど。
今夜はいつも以上に静かな夜更けです。
信州北八ヶ岳標高1700mより
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今日の写真は「竜神池の空」です。
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Sony α7, Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4 MC VM