蓼科高原日記/本を読むということ
- Masayuki Kano
- 2017年5月9日
- 読了時間: 2分

わたしがいま本を読むのは生きることへの勇気をもらえるからだ。
「みみずくは黄昏に飛びたつ」を読んでいてふとそう思った。自分的にも極めて奇妙な発想だったので自分でもびっくりした。
それはなぜなのだろう。
個人的な感覚としては読書によって自己存立の基盤を築くことが出来るような気がする。あるいはそれを拡張したり強化することが出来るように思う。
もちろんどんな本を選んで読むかによってそれはまったくなんの役にも立たなかったり反対に極めて刺激的かつ有益だったりするわけだが。
そう考えてみると本との出会いあるいは縁(えにし)は人生にとても大きな影響を与えるのだと思う。
そのようにして本を読み続けているとやがて本の方から呼ばれるようになってくる。このことは多くのひとが経験済みだと思う。
本を読むということ、そしてそこで出会ったこと感じたことについて考えることは極めて能動的行動であって、そのことが自己陶冶に繋がるのだ。セルフカルティヴェート、自分で自分の精神を耕すことになるのだ。
冒頭で「生きることへの勇気をもらえる」といったのはそのような意味においてのことだ。人の死というものは「肉体の死」以前に「精神の死」なのだから。
蓼科はどこに行くにもちょうど良い距離にあるいま流行の「ハブ空港」のような存在だと思います。蓼科で心身を休め、ここを起点にして様々な観光地や山歩きやその他の活動に出かける、その基地として最適の立地なのです。
皆様のお越しをお待ちしております。
ペンション・サンセット オーナー 拝
今日の写真:「満開の蓼科湖畔聖光寺境内石畳」
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Sony α7, Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4 MC VM + Voigtlander VM-E Close Focus Adapter
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