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執筆者の写真Masayuki Kano

沈黙は耳に聞こえるものなんだ。


高原の夏日
高原の夏の風は冷たくてさらさらです。蓼科高原は歴史ある避暑地です。とても涼しい毎日です。

August 25, 2022

 

"In Dreams Begin Responsibilities"

ー William Butler Yeats

 

今日はちょっと真面目に書く。むかしのように… 

 

☆☆☆

 

「夢の中から責任は始まる。」

 

 深夜、漆黒の闇。

 

 天気概況とは違って蓼科高原の亜高山帯の森で雨音を聴いている。季節によって雨の音はじつに様々に異なることを、僕はここに暮らすようになって初めて知った。そもそも、雨や風が音楽を奏でることなんて全然知らなかったのだ。

 

 それはさておき、我が敬愛する作家、村上春樹の最新作「1Q84」を読みかえしている。雨の奏でる美しい調べをバックグラウンドに、「海辺のカフカ」に登場して読者の間で話題になった100万ドルトリオによるベートーベンの「大公トリオ」を聴きながら読む。

 

 この難解そうな作品を読み解くことが自然に出来るような気分になる。

 

 ここが街ならば、「なにもかもが寝静まった深夜」と書くところだけれど、ここは標高1800mにせまる亜高山帯なのだ。自然は決して眠らない、都会が眠らないというのとまったく異なった意味において。

 

 野生動物はそのほとんどが夜行性なのだ。だから我が家の夜警担当だったシベリアンハスキーのパル君も、時代劇で武士が刀を肩に立てかけて壁にもたれて仮眠するような感じで、夜間は半分起きていたものだ。そして、我々が起床したのを確認してから爆睡する。

 

 そんな彼はもういない。深夜、ぼくはひとりぼっちだ。

 

 ここは静かなところだ。その印象と実感は29年暮らしたいまでも変わらない。日中でも耳の奥からきーんという音が聞こえてくる。深夜ならなおさらだ。「海辺のカフカ」でも山奥の小屋で主人公の少年が聞く「沈黙」はこのようなものだったのだろう。第15章の終わりに彼は語る。

 

 「沈黙は耳に聞こえるものなんだ。ぼくはそのことを知る。」

 

 それはここではあたりまえのこととして体験される、最初は新鮮な発見として、その後は感動的な日常として。そんな環境の中で日々を送り想いを巡らしているとイェーツの言葉もまた自然に心を打つようになる。体質が変わるのと同じように、こころも変わるのだ。

 

 「夢の中から責任は始まる。(In dreams begin the responsibilities.)」

 

 想像力のないところに責任は存在し得ない。想像力がなければ、その人間にはなぜそれが罪なのか永遠にわからない。

 

 宗教やイデオロギーにのみ人生のすべてをゆだねて疑問すら持たない人々もまた同様だ。自分のなすことの責任の総ては自分が信じる宗教の神やイデオロギーがあらかじめ負ってくれているのだから。

 

 そこにおいてはすべてが正当化される。なにもかもが正義となり、いのちを奪うことすらも神の名においてあるいはイデオロギーの名において受容され美化され賞賛されるのだ。

 

 「なぜ人を殺してはいけないのか?」

 

 そのような種類の殺人者は「夢」を見ることはないのだろう、たぶん。

 

 想像力のないところに夢はなく、責任も始まることはない。

 

 

標高1700メートルの森・長野県茅野市蓼科高原にて

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Sony α7, Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4 MC VM 

 

 

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