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蓼科高原日記

- 2003年11月 -

落葉松の紅葉始まる

"It exists across the universe"

簡単お便りフォームはこちらお便り待ってます。

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2003.11.30(日)-----------/気温 = 最低 5℃/ 最高 10℃

この日記を書きはじめてから今日で2,581日目です。

 朝から雨は上がったものの、分厚い雲が天に蓋をしたように空を覆い、目の前の谷から沸き立つ雲がゆっくりと上昇していきます。夏の間全く見えなかった谷向こうのたくさんの別荘がとても良く見えます。森はすっかり葉を落としているのですが、なぜか冬を感じさせる情景ではありません。ただそこにはまだひとの気配がありません。年末年始にはきら星のような灯火(ともしび)が谷を照らし出すのですが。

 森もテラスも屋根もびっしょりと雨に濡れています。凍結していないで、水の状態のままです。午後から吹き始めた強い風も北風ではなく、なま温かい不思議な感触です。この気候は台風の影響によるものとみられますが、それにしても温かすぎるというのが実感です。再び本来の寒気が戻るとは思うのですが、このままではスキー場のゲレンデ作りに影響が出てしまうのではないかと、ちょっと心配になったりもします。

 いずれにしても自然が相手ですので、こればかりは神頼みするしかありません。経験的に予想するならば、この気候が長続きするはずもないので蓼科方面の各スキー場は予定通りオープンできるのではないかと思います。ただし、現在12月6日(土)オープン予定のところは事前によく確認してお出かけになることをおすすめします。

 とても静かな夜が更けていきます。外はまだ気温が4℃もありますが、とても風が強いので体感気温はもう少し低く感じます。いずれにしても11月末にはありえない高温です。


2003.11.29(土)------------ame.gif気温 = 最低 -2℃/ 最高 10℃

 この日記を書きはじめてから今日で2,580日目です。

 だいぶ痛みが引いてきたので再びキーボードを打てるようになりましたが、手首の角度や姿勢に気をつけるようにしました。普段から気をつけているのですが、どうしちゃったんでしょうね。

 それはそうと、昨夜半に突然OSのアップグレードを思い立ってMac OS X v10.2.8(G5)(通称Jaguar)にいきなりメジャー・アップグレードのMac OS X v10.3.1(通称Panther)を上書きインストールしちゃいました。OSのCD自体は1ヶ月前に入手していたのですが、初期トラブルやバグが修正されて落ち着くまで待っていたのです。なんといっても私の場合は業務でMacintoshを使っているわけですので。

 アプリケーションのOS対応という点で多少の問題は出ましたが、実用上差し支えない程度だったのでほっとしています。やはりハードウエアだけでなくソフトウエアも日進月歩の進歩発展をしていることを実感できるアップグレードでした。Windowsの次期バージョン(通称LongHorn)もこんな方向性になるのだろうなあって感じですね。

 パソコン静音化のトレンドに沿ってこまめに冷却ファン(8個だか9個ある)の回転数が変わることにちょっと辟易していたのですが、今度のOSではその辺がぐっと洗練されて急に回転数が上下するような下品な振る舞いがほとんど無くなりとても満足です。全体としてもものすごく静かです。石油ファンヒーターのファンの音の方が遙かにうるさいくらいです。

 それはさておき、今日は予報通り終日雨降りでした。午後11時現在もしっかりと降り続けています。雨ですよ、雨。雪じゃないんだものね、異常気象です、これは。気温も異様に高くて「とても暖か」です。


2003.11.28(金)-----------kumori.gif気温 = 最低 -2℃/ 最高 4℃

この日記を書きはじめてから今日で2,579日目です。

 キーボードのタイプのし過ぎが災いしたのか、今夜突然左の人差し指と中指から肩にかけて電撃が走るような激痛に見舞われました。しばらくすると収まるのですが、断続的に痛みがあります。これが世に言うところの「腱鞘炎(けんしょうえん)」あるいは「頸肩腕症候群(けいけんわんしょうこうぐん)」というものなのでしょうか。

 ということで今日はあまり、というか、ほとんど書けないのです。ごめんなさい。

 お天気は相変わらずですが、気温は少しずつ低温で安定してきています。もうすぐ初雪かもしれませんが、積雪はもう少し先かもしれません。いずれにしても12/13(土)のピラタス蓼科スノーリゾートのオープンは間違いないでしょう。この季節はほんの一週間で様相が激変するのが通例なのです。


2003.11.27(木)-----------hare.gif気温 = 最低 -4℃/ 最高 5℃

この日記を書きはじめてから今日で2,578日目です。

 さて、10年前の今日とは異なって今朝はとても良いお天気になりました。10年前の今日がマイナス16℃まで冷え込んで何もかも凍てついていたことを思うと、信じられないほど暖かいのだと実感します。その年はその後4月まで終日ずうっと氷点下で一度もプラスの気温になりませんでした。明らかに地球温暖化は進んでいるのですね。

 10年前の今朝は5cmほどの初積雪の中で当時の愛車レガシー・ツーリングワゴンGTのタイヤをスタッドレスタイヤにホイールごと交換することから始まりました。そしてこの車での初めての雪上走行。緊張しました。その冬は10年ぶりの大雪の冬に当たり信じられないほどの積雪に見舞われたのでした。それこそいったいどうなってしまうのかってうろたえてしまうくらい。

 それこそ朝から晩まで雪かきに終われていました。それに耐えて春を迎えた頃、ペンション村のみんなから「これで一人前だね」と言われたのを覚えています。それほど厳しい冬でした。しかしまだまだスキーは盛んで、年末年始や連休・週末などはそれこそ眠る暇もないほど多忙を極めました。今は昔の物語ですね。

 これで蓼科に移住して来て満十年がたったことになります。様々な意味で、これは大転換する良いタイミングではないかと思っています。ということで、ペンション・サンセットは大きく変わります、もちろんお客様にとって良い方向でということですけれど。ほんのちょっとだけご期待下さい。


2003.11.26(水)-----------hare.gif気温 = 最低 -4℃/ 最高 4℃

この日記を書きはじめてから今日で2,577日目です。

 晴れた日にしては冷え込みが緩い朝でした。

 それにしても、私たち家族はちょうど10年前の今日の午後、横浜を出発しここ蓼科へと向かったのでした。ペンション・サンセットに到着した時にはすでに午前0時を回っていました。その日は蓼科湖のあたりから雨がみぞれへと代わり、ピラタスの丘入り口あたりからは純白の雪へと変わりました。ちょうど初積雪に当たったのでした。午前3時、手荷物を整理し終わって就寝する頃には外気温はマイナス16℃という私たちには信じがたい気温になり、雪はさらに降り続いたのでした。翌朝到着した引っ越し便から半日がかりで荷物を搬入し、開業に向けての作業に忙殺されたのがまるで昨日のことのように思い起こされます。

 その日から満10年の歳月が経過してしまったなんて、なんだか夢のようです。私たちは成長したのでしょうか、ペンションを営むものとしてプロになれたのでしょうか、お客様に愛される宿にほんの少しでも近づくことができたのでしょうか。すべてが疑問型です、どうにも自信がありません。ただ、私たちなりの「小さな宿」の理想像をおぼろげながらも描くことができるようになりました。しかしそれは間違ったものかもしれません、あるいは正しい方向性を持ったイメージなのかも知れません。自分を信じて突き進むしかないのですね、こればかりは。

 どうも優等生的な言い方しかできないのですが、ひとつはっきりしていることは私たちはペンション・サンセットにご宿泊いただいたお客様に育てていただいたと言うことです。そして、今もなおこうしてこの地にあって「ペンション経営者」として皆様をお迎えできるのも、たくさんのお客様のご愛顧おかげです。この場を借りて心より感謝申し上げます。

 そしてこれからもよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

ペンション・サンセット オーナー 
敬白


2003.11.25(火)-----------ame.gifkumori.gif気温 = 最低 2℃/ 最高 5℃

この日記を書きはじめてから今日で2,576日目です。

 昨夕から降り始めた雨は次第に雨脚を早め、昨夜午後8時頃には台風のような強風に煽られてラウンジ正面の窓ガラスにたたきつけるようになりました。その後は夜通しごうごうという風の音を聞きながら眠ることになりました。それは宮沢賢治の「風の又三郎」に出てくる風の音「どっどど どどうど どどうど どどう」そのままです。その音に誘われて夢の中で僕は再びあの世界へといくこととなりました。

 あの世界・・・それは僕のために存在する僕だけの世界。「And I Love Her」に綴っている「夢」の世界。時空を超えて僕は現在の自分、二十歳、十六歳、十二歳と様々な年齢の自分として自身の人生を追体験することができる。そしていま初めて明かされる真実を、事実を、その意味を知ることになる。このようなことは誰にでも起こることなのだろうか。これは誰もが体験する年齢的なものなのだろうか。

 また夢のようなことを書いて、と言われるかもしれない。だって「夢」の話なんだからしょうがない。はっきり言って(言うまでもないか)、僕は「実際的」な人間ではない。浮世離れした「夢見る男」にすぎない。それは一面の真実だけれど、認めないわけにはいかない。でもね、現実世界の僕は、いつもこんなことを言ったりやったりしている訳じゃない、あたりまえだけど。このひとがあの日記を書いているのか、と意外に感じる人もいるかもしれない。それがちょっと心配なほどだ。

 でも、どの僕も本物の僕に違いないのだ。どの自分も「本当の自分」なのだ。

 午後11時現在外気温は氷点下2℃、そして風速15mの風が吹いている。雨はやんでいるが窓に吹きつけた雨滴はそのままの形を保って凍結している。この冷たい強風のために何もかもがばりばりに凍り付いている。まるで新幹線のようなスピードで巨大な雲が怜悧(れいり)な光を放つ星空をよぎっていく。ペンション・サンセットの標高でさえ、テントやツェルト無しでは遭難・凍死は免れない天候だ。

 家の中はとても暖かいけれど、この気候が冬将軍の前衛がやってきた証拠にほかならないことを知る。ピラタスの森の木々は凍てつく北風にごうごうぴゅーぴゅーと唸ったり口笛を吹いて平気の平左を装っている。実際のところ彼らにとってこんな気候は屁でもないのだろう。うちのパルも涼しい顔をして風に吹かれて熟睡している。ようやく君たちの季節が始まるのだ。

 君たちにおめでとう。僕にとっては静謐(せいひつ)に満ちた生と死の狭間(はざま)を漂う思索の季節になるけれど、僕もこの季節は嫌いではないよ。


2003.11.24(月)-----------hare.gifame.gif気温 = 最低 -4℃/ 最高 7℃

この日記を書きはじめてから今日で2,575日目です。

 今日は朝のうちはよいお天気でしたが、天気予報通り夕暮れとともに雨雲の中に取り込まれるようにしてしとしと雨が降り始めました。経験的にはこのような雨は雪にはならないと思います、たぶん。それにしてもあとわずか1〜2週間で初滑りだなんてちょっと信じられないような気もします。

 冬のイルミネーションのことをあれこれ考えているのですが、僕の思い通りにしようとするとクレーン車が必要なのですよね、ははは。だって地上10mの木の枝に電球を取り付けるんだからね。これは「ちょっと無理」です。そもそもペンション・サンセットのたたずまいにはあまり派手なイルミネーションは似合わないということもあります。リセットしてもう一度構想し直しだ。

 毎日多少暖房を必要とするようになりました。いよいよ冬に突入か。除雪機の整備をやっておこうかな。


2003.11.23(日)-----------hare.gif気温 = 最低 -6℃/ 最高 2℃

この日記を書きはじめてから今日で2,574日目です。

 スキー場の雪巻きが進捗を見せています。気温が十分下がるようになって、ゲレンデ作りも順調に進行するようになりました。夜山麓から山を見上げるとスキー場のオレンジ色のナトリウム等の照明がくっきりと見えます。ああ、いよいよ冬なのだなあとしみじみと感慨にふける時節です。ついこの間、真夏の日差しにじりじりと焼かれていたのに・・・。

 ピラタスの森の木々ももうほとんど水を吸い上げなくなりました。冬に向けて必要最小限の水分しか消費しなくなったのです。消費しない水分は夜気温が下がると木の内部で凍結して膨張し、木の繊維をばらばらに裂いてしまうからです。森の地表の水分もあらかた蒸発するか浸透して、乾いています。もう少したつと土壌が地下2mほどまで凍土と化します。

 今夜はもうすでに氷点下4℃になっています。駐車場からペンション・サンセットを見上げて、雪の積もった様子を想像しながら、その景色にクリスマスイルミネーションを施すとしたらどんなものがよいのだろうと計画しています。本物の雪がイルミネーション自体を埋め尽くしてしまうことも多いので、街のイルミネーションより設計が難しいのです。マイナス20℃ではランプの点滅装置が動作しなくなってしまうこともあるのです。

 こんな経済状況でこんな世情ですから、どんなにすてきなイルミネーションを完成させたところで、それをごらんいただいて楽しみ喜んでくださるお客様がいらしてくださるかどうかはわかりません。でもね、時として寂寥感に襲われることだってある厳しい山の冬に心温まる光を灯したいと、僕らだって思うのですよね。ペンション・サンセットはお客様のための宿であると同時に僕らの「家」でもあるのですから。お客様をその「すてきな家」にご招待したいのです、ひとなみに。

 それがこの10年間の経験の果てにたどり着いた、僕らなりのペンションの本質とでもいうべきもののような気がしています。今僕は自分の味覚を信じてこの冬から来年の秋までの四季の新作メニューの創作に取りかかっているところです。手作りヨーグルトや、天然酵母パンの研究も始めました。まだまだ時間はかかると思いますが、その節は乞うご期待ということです。(^^


2003.11.22(土)-----------hare.gif/kumori.gif気温 = 最低 -1℃/ 最高 2℃

この日記を書きはじめてから今日で2,573日目です。

 今夜NHKのBS2で放映された「地獄の黙示録・特別完全版(Apocalypse Now Redux)」を観た。これまでに数回観た作品だけれど、このバージョンを観るのは初めてだった。この完全版を観て初めてこの作品に込められたある種のメッセージの意味するところを理解できたような気がする。勝利したければ「裁かずに任務を遂行しろ」ということだ。

 最強の兵士とは「敵を裁かず徹底して最後の一人まで敵を殺す」ことのできる男(あるいは女)のことだ。「でも」も「しかし」も「あるいは」も「この件についてだけは」も一切無い。もし敵を裁くならば、それは殺すための理由や根拠や倫理に迷い躊躇し苦しむことにつながるからだ。ヴェトナムで米国が敗退した理由も、イスラム原理主義過激派のテロに我々が決して勝てないであろう理由もそこにある。

 さて、そのようにして勝利の法則は発見されたが、まともな人間なら、多少の人間性がそこに残っているならば、それは「恐怖」の法則にほかならない。そのような法則に則って打ち立てられた王国はいずれ破壊され焼き尽くされねばならない、裁かれる機会を与えられることすら無く。それもまた「恐怖」である。

 そして、僕の中の作品ランキングの順位が数十年ぶりに変動した。これまでのマイ・ベストはスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」だったが、このフランシス。フォード・コッポラの「地獄の黙示録・特別完全版」がそれに取って代わった。この映画に関わった人々は政治的にも社会的にも個人的にも大変な脅威、攻撃、抑圧に耐えなければならなかったのだろうと思う。この完全版で初めて日の目を見たシーンの数々を観るにつけ、そのシーンが当時は公開できなかった社会的背景に思い至る。


2003.11.21(金)-----------雨hare.gif気温 = 最低 3℃/ 最高 11℃

この日記を書きはじめてから今日で2,572日目です。

 いましがた外に出てみると26夜の漆黒の空に星々が鋭利な光を放っているのにびっくりしました。昨日からの雨が降り続き、午前中つかの間曇天に変わったところで屋根の修理を行い、終わったとたんに再び土砂降りになったのです。

 屋根の上で屋根板金屋さんと空を見上げると、上空には明らかにそれとわかる「雪雲(ゆきぐも)」が空を覆い尽くしていましたから、それはもう気が気ではありませんでした。雪が降り始めたらすぐに屋根を降りないと、雪や水分で滑ってこの場にとどまることすら不可能になるからです。

 高さ5m〜15m、20度〜45度もある急勾配の屋根から落ちたらそれは確実に死を意味します。しかしこの修繕を完了しない状態で屋根に積雪したら大変なことになる。さいわい段取りよく作業が進んだので、かろうじて間に合ったわけです。

 この季節はどこもかしこも積雪前に工事を完了しなければならないということで、建築や土木関係の業者さんは手一杯でなかなか仕事を引き受けてもらえません。今回来てもらった業者さんも知人のつてを頼ってようやく引き受けてもらった次第です。

 命綱をかけるポイントもないので、ペンション・サンセットの屋根に上るのは文字通り命がけです。でも、屋根に上るのってやっぱり気分がいいのですよね。完全に屋根が乾いた状態でないと危険すぎて上ることができないので、屋根の点検はもっとも乾燥しているこの季節になります。夏までは夜露で結構ぬれているので危険なのです。

 でもこうした修繕を自分でやっていると、ペンションではなくて山小屋を営んでいるような気分になってきます。専門の業者さんにお願いしなければできないことのほかは、こうして自分で行うのが本来の山暮らしの姿なのかもしれませんね。


2003.11.20(木)-----------雨気温 = 最低 1℃/ 最高 11℃

この日記を書きはじめてから今日で2,571日目です。

 さて、きょうは、というか昨夜半から雨が降っています。昨夜はじつに久方ぶりにぶち切れたことを書いたけど、特に不穏当だとか大人げないなんて思わないさ。反対に僕らはもっとぶち切れて怒らなきゃいかんと思いましたね、そしてそれをはっきり言葉にして行動して相手にぶつけることが必須なのだとも。何せここのところ僕を含めて世の中「羊たちの沈黙」状態じゃあないですかい。

 やはりこの21世紀はパワーゲームの支配する時代なのだと思う昨今です。「叡智」と「調和」の時代がやってくるのはもっとずうっと先のことか、永遠にそんな時代はやってこないかのどちらかでしょう。

 パワーゲームで思い出したけど、経済政策としての「自由競争」というのはある意味ではこれまで以上の弱肉強食の徹底した過酷な世界を意味するということに世事にうとい僕もようやく気がつき始めたところです。確かにチャレンジする機会は均等になった(?)かもしれないが、それはそもそも「強い者」たちの世界でのことに過ぎない。

 乱暴な言い方をしてしまえば金持ちはどんな制度どんな社会にあっても「強者」である、ということだよ。「金」か「暴力」あるいはその両方を手にした者が支配する社会。すばらしいじゃないかい。(もちろん皮肉だよ)

 蓼科山との間にある大きな谷間から急に真っ白な濃密な雲がむくむくと沸き立ってきました。それはまるで画布(カンバス)をオフホワイトで塗り込めるみたいに蓼科山の巨大な山塊を塗りつぶし隠していきます。じつに壮大で不可思議な情景です。


2003.11.19(水)-----------雨気温 = 最低 0℃/ 最高 7℃

この日記を書きはじめてから今日で2,570日目です。

 もういつ雪が降ってもおかしくない気がしてきました。まあ、初雪は「淡雪(あわゆき)」なので道路はすぐに乾くのですが、ノーマルタイヤだと危険なことに変わりはないのでくれぐれもご注意下さい。というのも、今日は生業のペンション・サンセットの冬のご宿泊料金を全体的に見直しつつさらにどのように整理したらよりわかりやすくなるだろうかと、その作業にかかりきりだったのですが、気が付くともうこんな時間になってしまっていました。そして外を見るとポツリポツリと雨が降り出してきたので、そんなことを思ったしだいです。(現在午前2時)

 今夜「蓼科スキークラブ」の総会があったりして、仕事を始めるのが遅くなったということもあります。お酒の飲める人たちはそのあと楽しいひとときがあるのですが、下戸(げこ)の僕はそのような楽しみがありません。お酒を飲むこと(味わうこと)は大好きなのですが、体内に入ったアルコールをまったく分解できない体質なので、無理すると大変なことになるのです。じつに厳格にドクターストップがかかっています。やれやれ、これは拷問というか「呪い」に近いものがあります。だって、僕はカクテルにも凝っているし、ビールは飲み水代わりにしたいくらいで、ウイスキーだって大好きだし、ワインはもとより、日本酒だって大好きなのですから。これはやはり何かの「呪い」ですね。

 ということで飲めないけど、利き酒にはたけているからペンション・サンセットでお出しするアルコール飲料はけっこういい線行っていると思います(と自分では思いこんでいます)。

 それはさておき、昨日の日記は自分の想いが良く書けていると自画自賛したくなります。何度書き直させられてもほとんど変わらない文章になるでしょうね。日記を更新しないでずうっと1年ぐらいここに掲げておきたいくらいです、じつのところ。この世界の存在や人生の無意味性について神様に文句を言う筋合いではないことを自分なりに整理しておきたかったわけです。

 それはそうと、最近やっている厚生労働省(?)の江角マキコを使った年金のCM、最大級にむかつきますね。なんですか、あの開き直り方は。国民年金を破綻させた反省もお詫びの気持ちも何もなく、ただてめえらしのごのいってないで「国民年金税」をちゃんとおさめろこの野郎!って感じじゃあないですか。「分け前(年金)がゼロになる訳じゃあないんだからよ!」だって。現在支払われている年金の額に比べてどれだけひどい状況になるか、その責任が誰にあるのかにはまったく触れずに、「そんな話、いったい誰から聞いたんだよ、え?!証拠はあるのかよ!」って若者を脅しつけるんだからもうなにをかいわんやです。じつに官僚のみなさんにとってだけは胸がすっとするようなCMですね。じつに、ばかやろうなCMです。選挙で自分の1票をどれほど大切に行使しても、我々はこんな政府しかもてないのでしょうか。

 一方で厚生労働大臣は年金の国民負担額が年収の20%なら納得してもらえると確信しているみたいなこといっているけど、その根拠が多数の「有識者」のみなさまのご意見だって言うのだから笑っちゃうよね。「有識者」のみなさんってのは我々みたいな下々の「庶民」や「サラリーマン」や「労働者」や「個人事業主」ではないのですよ。彼らは国民年金の負担なんてへとも思わない生活をしている人たちなのですよ。そんな人たちが納得したからってそれがどうして我々の納得基準になってしまうのだろうか。もうそういう見え見えのすり替えはやめませんか。そもそも国民の側に「痛みを分かち合う」筋合いはないのだよ。年金をここまで破綻させたのはおまえたちだろう!

 消費税も同じようなものさ。まともに消費税率の引き下げや撤廃を掲げているのは某○○党だけで、あとは民主党までが「(消費税増税して)税収を増やさなければこの国は倒れる」なんて脳みその腐ったようなことをいっているんだから、選挙でいったい誰を選べっていうんでしょうか。いいですか、この未曾有の大不況の第一要因は「個人消費の低迷」なのですよ。だったら、一刻も早く景気を回復して、納得のいく負担で安心できる国民年金の将来像を示して、個人消費を増大させればそれだけで大幅に税収はアップすることは超高学歴の永田町の先生方なら知らないはずはないのに。じっさいはどうでもいい分野にばかり大金を注ぎ込んで「捨て金」しほうだいじゃないか。要するに庶民から年貢を搾れるだけ搾り取って大企業や銀行やゼネコンと仲良く山分けってことですかい、だんな。そういう輩に天誅(てんちゅう)を下せるのは時代劇の中だけさね。

 罵詈雑言を並べ立てたけどちっともすっきりしない。やれやれ。


2003.11.18(火)-----------雨気温 = 最低 -4℃/ 最高 5℃

この日記を書きはじめてから今日で2,569日目です。

 満月に近い月が雲間に見え隠れしています。その雲の流れは地上の風からは想像もつかないほど速く、漆黒の天球を背景とした幻想的なグラデーションを見せています。外気温はすでに氷点下3℃ですが体感気温は温かです。ここまで月が明るいとしし座流星群もかなり見えにくいと思います。まあしょうがないです。

 ジャンポール・サルトルの戯曲に「出口なし」というのがあるけれど、現在の世界の状況はまさにそのような形而上学的閉塞状態のようにも見えて、それは僕自身の閉塞状態と奇妙に響きあうのです。僕だけではなくみんな(?)もそう感じているのかも知れませんが。

 テロリズムを「聖戦」と賞賛するイスラムと、戦争を「正義」と定義するクリスチャン。どっちもどっちだけれど、「異教徒」などという言葉や概念が存在する限りその宗教は人類の英知とはほど遠い原始的「カルト」にすぎないと思う。

 広島、長崎に原爆を投下することを祝福した神を僕は信じない。ワールドセンタービルを崩壊させたテロリズムを祝福する神を僕は信じない。

 宗教は「神」が作りたもうたものではなく、「人間」が作った「神」に関わる「システム」なのだ。そのシステムを媒介として、人間は都合よく神を利用するが、神は決して人間を利用したりはしない。

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 この季節は午後5時にはもう日が暮れる。きょうは満月(月齢15)。諏訪インター方面からビーナスラインをピラタスの丘に向かって走るとつねに前方の北八ケ岳の稜線上に信じられないほど大きく丸い満月が懸かっている。直径500mほどの巨大な人工的な月が八ケ岳の稜線に鎮座して煌々(こうこう)と地表を照りつけている。ちょうどそんな感じだ。

 あまりにもリアルな自然現象は、逆説的に奇妙に人工的・作為的に見えるものだ。でもこれはほんとうの満月だということを僕は知っている。この月に出会ったひとはじつに幸運だ。月齢、天候、雲の具合、月の出の時刻、地形などなど様々な要因がすべてそろった時にしか体験することが出来ない満月の情景だからだ。

 ひとは様々な機会に様々な形で「神」を感じるものだ。僕はこの月に「神」を感じた。これは告白なのかも知れない。単なる描写なのかも知れない。しかし、神はなんの啓示もあたえはしないし、この美しい情景の創造者ですらない。それは神の仕事ではない。

 この情景は美しい。じつに美しく感動的だ。しかし、本来的な意味において「客観的」に見るならば「美しく感動的な情景」はそこには無い。それは僕のこころの中にある。僕の精神活動の内にのみ存在する。「美」とは我々の精神の内に「構成」されるものであって、「そこに存在するもの」が単に「体験」されるものではないからだ。

 様々な宗教が語る「神」はひとつのメタファーである。「神」とは「語りえぬもの」だから、そして「神」は一切「語らない」し「何かを指し示すことすらしない」からだ。それは神の無慈悲ではない、それは神の仕事ではないからだ。我々を導いたり、救ったり、罰したりするのは神の役割ではない。

 この世界は「神」によってこのようにある。ただ意味もなく存在する。「無意味性」はこの世界の本質である。「啓示」はわれわれのインスピレーションに過ぎない。

 宗教はそのことを「告白」すべき時である。

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 この世界は「神」によってこのようにある。ただ意味もなく存在する。「無意味性」はこの世界の本質である。「啓示」はわれわれのインスピレーションに過ぎない。

 昨日僕はそのように書いた。これは僕の世界観である。しかし孤立無援の世界観ではない。

 ヴィトゲンシュタインは言った、「神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということなのである」。

 我々は時間の中に内包されるものではない。サルトルが言うように人間実存とはそのようなものではない。あるいは、クリシュナムルティが言うように「思考が時間である」。

 ラビンドラナート・タゴールは言う、

 「時間は精神的な装置であり、存在しているものの相対的な位置を測るために私たちが使っている概念なのである。」

 「もしリアリティをめぐるすべての知識が経験にはじまり経験に終わるとするアインシュタインが正しいならば、出来事の意味を汲みとる源となるような外郭のリアリティは存在しないことになる。」

 「われわれの知覚がそのようなものであると受け止めたもの、それが世界だ。そのことを疑う者はいない。われわれは心とは鏡のようなもので、外の世界の出来事を正確に映し出すだけだと思っているからである。ところが、じつは反対で、心のほうが創造しているのである。つまり、ひとは世界を知覚することによって、自分の世界を、時間と空間の中に絶えず創造しているのである。」

 折に触れて僕が言う「我々の外に景色(美・あるいは世界)は存在せず、それは我々の心の中に構成されるものなのだ」というのはそのような意味においてである。

 昨日僕が書いたことは、彼らの考えに影響されたものではなく、僕自身の直感である。しかし僕は自分が孤独な夢想者でないことを知ってうれしかった。

 「いまある現実はあなたが同意することによって、そのように存在している。だからあなたはあなたの現実に責任がある。」このような自分の認識に僕自身堪えがたいところがあるのだけれど、これは真実なのだ、たぶん。

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 ジョン・レノンは唄う。"God is a concept by which we measure our pain."

 われわれの「世界」がそうであるのと同様にわれわれの「神」もまた「構成」された神である。

 あるいはこの世の不条理を合理的に受容する(あるいは受容させる)ために創作された神である。でなければ神を語るに「奇跡」など必要ない。神の「ある」ことは集団においては伝承的事実、個人的には体験的事実だからだ。神は「様々に自身を現わす」必要などない。神はあまねく「ある」からだ。

 僕は論文を書いているわけではないからこの文章は論理的にも論拠的にも「穴」だらけだ。僕は自分の体験的、個人的「神」について書いている。あるいは僕が個人的に生きている「この世界」について語っている。嫌われるのを承知で、それでも「いま」書かずにはいられないから書いている。

 ジョン・レノンは神が道具存在であると唄っているわけではない、もちろんこれは「たとえ」である。「神とはわれわれが自分の苦痛を測る概念である。」

 「神」は必要なのだ。僕にもあなたにも、きっと。「神が必要」なのだ。「神が無ければ「救い」は無いから。もはやわれわれは「神」ではなく、直接的に「救い」を切望すべきなのかも知れないけれど。

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 今日の日記が奇妙なのは、2002年の11月18日に書き始められ3日間書き継がれた日記の複写だからだ。アクセスログを見ていてたまたま出会った日記がこれだ。こういうことを「シンクロニシティ(意味のある偶然)」と呼ぶのかも知れない。

 じつはヴィトゲンシュタインのことばをモチーフに今日はこのようなことを書こうと思っていたからだ。しかしちょうど一年前の今日、すでに書いていたなんて。

 朝晩氷点下の日が続くようになり、テラスのステイン塗りも容易でなくなった。夜露が凍結してしまうからだ。しかしステインは二度塗りをしないと本来の効果が半減してしまうから、ようやく氷が溶けた夕方に作業を始めた。この時節の夕暮れはじつに早いのであっという間に日が暮れて、作業半ばで中断を余儀なくされた。このような自然の摂理に対しては、あきらめないでひたすら続けることこそ最大の抵抗だ。

 刷毛をシンナーで洗浄して、そのシンナーを処理して、16リットル缶入りのステインをしまって再び外に出ると、空には星が輝いていた。その時あることに気が付く。そうだ、「音」が無いのだ。無音の世界なのだ。もちろんそれは正確な表現ではない、厳密に言うなら僕にとって「音」が無いのだ。あることに一心に集中すると周囲の音が一切消滅した無音状態を体験することがだれでもあると思う。ちょうどそんな感じなのだった。僕はいまこの晩秋の冬の気配の中にあってその音を聴かない。

 聴くことができないのではなくて、聴かない。それは僕の意志なのだろう。


2003.11.17(月)-----------雨気温 = 最低 -4℃/ 最高 2℃(初氷観測)

この日記を書きはじめてから今日で2,568日目です。

 やはり、迷いは尽きない。これからもきっと。

 そもそもこのサイトはいったい何なのだろうか、と自問する。生業であるところのペンション・サンセットの紹介と集客のための商業サイトなのか、そう、そのとおり。あるいは、この日記を中心としたプライベートなサイトなのか、それもしかり。

 あまりにも多様な要素が絡み合ってしまって、もう動きがとれなくなってきているのかも知れない。この方向性は間違っているのかも知れない。自惚れ(うぬぼれ)ではなく、このサイトをばりばりの商業サイトに構築しなおすことだってできる。でもそれをやらないのは、それが自分らしさから遠ざかる道だからだ。この迷い、この混沌、この混乱は僕という人間の不確かさを反映したものだと思う。

 僕は自分自身を発見するためにすべてを投げ打って「ここ」にやってきたのだ。目的完遂のためには情を捨てあらゆるものをなぎ倒して目標にまっすぐに突き進む重戦車のような戦闘マシンにはもう戻りたくない。しかしいまそれが求められているのを感じる。生業を成功に導くために。苦しみはそこにある。迷いはそこより発している。振り子はいま正反対に振り戻そうとしているのだろうか。

 このサイトを訪れて下さる方はどのようにご覧なのだろうか。アクセスログを見ると意外なコンテンツが上位にランクされていたりして、ちょっとびっくりする。この季節はこの日記が断然1位だ。(夏だと、ペンション・サンセットのご案内ページと空室情報が圧倒的1位なのにね。)そして「スキー日記」やスキー関連のコンテンツがよく閲覧いただいているもののようだ。意外なのはかなり更新をサボっているMacintosh関連のコンテンツのランクが上位だということ。これは少しがんばらなければならないのかも知れない。

 それにしても、ひとは生きなければならない、生きるべく呪われていると言ってもいい、個人的には。生きることも死ぬことも、それが個人の選択によるものではなく宿命的であるという点では呪いと同様である。別の観点に立てば、それは「祝福」と表現されるのかも知れない。どちらでも同じことだ、僕にとっては。

 もう生きることを意識するのはやめよう。死を意識することもやめよう。意識することによってそれらに征服されてしまうのはいやだ。強いもの、英知と才能に恵まれたもののみが生き残ることができる弱肉強食の原理こそがこの世界のルールだと神が定めたのならば、それに従うしかないだろう。やはり神とは我々がさぞあれかしと祈る願望の放つ光に過ぎないのかも知れない。


2003.11.16(日)-----------ame.gif雨気温 = 最低 3℃/ 最高 8℃

この日記を書きはじめてから今日で2,567日目です。

 落ち込んでなにやらやりきれない。外に出て夜空を眺める。そこには満天の星があり、終日吹き続けた強い風にその鋭利な光がゆらゆらと揺れている。ごうごうと大地を揺らすこの音は急流を下る雨水か、いやちがう、神の巨大な手のひらが起こす強風に森の木々が鳴っているのだ。身体の芯から痺れるような冷たい風だ。

 視野の片隅で閃光が走る。それは遠くの星が滅び行くときの最後の光のようにも感じられる。しかし、実際は流星が燃え尽きるときの光であることを、僕は知っている。流星群は確かにやってきているようだ。暗闇に目が慣れてくると巨大な天空のあちらこちらで同様の光が目撃できるようになる。もちろん水面下を過ぎる魚影のような流星そのものも。

 この日記を書き続けることの徒労感に気づく。それは無意味感にも限りなく近いものだ。こんなことのために毎日数時間も費やしていて良いのだろうか。それは単なる自己満足、自己顕示にすぎないのではないだろうか。もし自分のペンションの集客のために行っていることならば、この時間を、労力を、もっと異なった方向に向け費やすべきではないのか。そのために伝えるべき情報はもっと違うものなのではないか。

 僕が伝えたいと思い続けてきたことと、ペンション・サンセットにお客様を呼ぶために語るべき美しい言葉とはその方向性が正反対なのではないのか。僕は経営者として間違った努力を、つまりは「徒労」を行い続けてきたのか。成功するペンションとなるためには、商業的な美しい言葉のみを語り、素(す)の、本音の日記など公開すべきではないのだろう、きっと。

 迷いは尽きない。


2003.11.15(土)-----------雨ame.gif気温 = 最低 -2℃/ 最高 9℃

この日記を書きはじめてから今日で2,566日目です。

 今日は朝のうち快晴、昼頃から雲が多くなり、夕方から雨がぱらつき始め、いまは本降りです。土砂降りではないけど、しとしととしっかり降っています。昨夜は獅子座流星群の前衛と見られる流星がけっこうたくさん観測できましたが、そんなことで今夜は望み薄です。

 雨の予報を知っていたので、今日新しいスタッドレスタイヤに交換してきました。僕はブリヂストンタイヤの DM-Z3 にしました。これまでいろいろ試したけれどこちらの路面と僕のクルマ(ランドローバー・ディスカバリー)との相性が一番良いようなのです。DM-01、YOKOHAMA GEOLANDER IT、DM-Z2 そして今回の DM-Z3 という流れです。

 初期型(1992年式)ディスカバリーの場合、タイヤサイズは 235/70R16 がタイヤハウスとの関係で限界のようです。それ以降の年式では245とか265までいけるようですが。スタッドレスタイヤは面積でグリップを稼ぐようになっているので、できるだけ太い方が総合的にはベターだと思います(冬季の実用性と安全性に限定した場合の話ですが)。

 また、体験的にはスタッドレスタイヤはどんなに保管状況をベストに保っても2シーズン使ったら交換した方がいい、というか当地では3シーズン目は必ず交換ということになります。そうしないとどんなにトレッドが高く残っていても、スタッドレスとしての限界を示すプラットフォームまですり減っていなくてももかなり恐い思いをします。「3シーズン目以降のスタッドレスタイヤは良く滑る、ノーマルタイヤよりはマシだけど。」というのがロコ・ドライバーである僕らのアドバイスです。

 ペンション・サンセットの納屋にしまってあるスタッドレス用のタイヤセットを高低差5m下の駐車場までおよそ50m運ぶのはかなりの運動量で、僕にはしんどいです。が、これでひとつ大仕事を終えてホッとしています。冬を迎えるに当たっての準備が山積していますが、ずぼらなりになんとかこなしていくつもりです。

 文頭でも書きましたが、11月17日(月)〜18日(火)にはあの獅子座流星群が再びやってきます。今回は流星雨は無いようですが、こちらではそろそろ流星の出現率が高くなっています。この季節は夜空の晴天率がとても高いのと月齢が新月に近いので観測には最適です。


2003.11.14(金)-----------雨気温 = 最低 -4℃/ 最高 4℃

この日記を書きはじめてから今日で2,565日目です。

 さっき最高・最低気温記録計を見てびっくりした。今朝は冷え込んだとは思っていたけれど、まさかマイナス4℃だったとは夢にも思わなかったから。これでも平年よりだいぶ暖かい。本来ならマイナス8℃以下でもおかしくない時節だ。昨年は特に冷え込みが早かったからいま時分はすでにおおむねゲレンデができあがっていた。

 この季節は夕暮れがとても美しい。夕焼けが美しいことも多いのだけれど、夕暮れ自体がたとえようもなく美しいのだ。とくに木曽御嶽山に日が沈んだ後の残照の美しさは見たものでなければ想像もつかないすばらしさだ。今日の夕暮れもそんな感動的な情景をみせてくれた。

 午後になるとは区域が真っ白なことに気づいていまが冬への助走の季節であることを知る。ピラタスの丘の晩秋は静まりかえり、すっかり落葉した唐松林を彷徨(ほうこう)しながらひとは自然と本当の自分と向き合えるようになる。この季節は懐かしい自分との出会いの季節だ。

 落葉を終えた森の向こうに真っ赤な夕陽を見ながら、広葉樹と針葉樹のまざった落葉をさくさくと踏みしめて歩く。キーンと張りつめた大気の中で吐く息は真っ白だ。寒いという感覚はない。ただ凛(りん)とした精神状態があるだけだ。そしていつしか、これからめぐり来る冬に向かって決然と覚悟を新たにする。

 胸の奥深く大気を吸い込むと、晩秋の森の匂いが体中を満たす。心が軽くなり、精神が弛緩する。まなざしが優しい光を帯び、あらゆる音が心地よく響く。そのような心で見るならば、観光的価値の終焉を迎えたように見えるこの景色がじつは限りなく豊饒な本当の姿を現す。本当の景色というものは、その本来的な美しさ根元的な感動というものは、それを見ようとするものにしか姿を現さないのだ。

 ピラタスの丘では、この季節には祈りにも似た時間がゆったりと流れるのです。生命(いのち)の躍動の季節が終わり、生命(いのち)の眠りの季節に取って代わられるのです。ある種族では生と死という世代変わりが営まれ、ある種族では冬季の深い眠りへとその準備が進められます。ぼくらはいったいどちらなのだろう。

 11月17日(月)〜18日(火)にはあの獅子座流星群が再びやってくる。今回は流星雨は無いというけれど、こちらではそろそろ流星の出現率が高くなってくるかも知れない。いま外はすでに氷点下になっいて、空には数え切れないほどの星がぎらぎらと輝いている。初積雪の中10年前にこの地に移住してきた記念すべきあの日がもうすぐやってくる。


2003.11.13(木)-----------雨気温 = 最低 1℃/ 最高 3℃

この日記を書きはじめてから今日で2,564日目です。

 「幸福とは寓話(ぐうわ)であり、不幸とは物語である。」(トルストイ)

 じつはこれも昨日同様以前に引用した言葉だ。じつにじつにその通りだなあと思う。だから僕がここで「物語る」ことはあってもそれはあくまでも「寓話」であるべく最大限の注意を払っているつもりなのだけれど。

 急に話題は変わるけど、じつに25年ぶりに「まとも」なリスト・ウォッチ(腕時計)を購入した。いまとなっては何がきっかけだったのかよく分からないのだけれど、ある時計店のHPの写真を見て一目惚れしてしまったのだ。

そして今日、予定どおり、というか思った通り、LUMINOX NIGHTHAWK 3401が到着した。

というのは当地ではほとんどの宅配便トラックは一日1周りしかしないので、宅配便の時間指定はほとんど意味がないのだった、やはり。午前中の指定だったのだけれど午後1時頃に到着。この程度の遅れなら、よく頑張ってくれたと思う、ご苦労様。

それにしてもLUMINOXは写真うつりが悪いというか、写真より実物の方が格段に美しい。

その開発意図や名前から分かるとおり、暗闇でのこの視認性の高さは当地ではもっとも役立つ機能と確信。試しに暗い夜の闇の中に出てみると登山やキャンプや釣などでももっとも便利な機能だと実感した。ここでは新月の夜など眼前にかざした自分の手のひらも見えないほど暗いだ。それで思い出したけれど、天体観測にもすこぶる便利だ。

これにLEDのハンドランプが1本あればキャンプするのに他に灯りは不要でだと思う。(ミニマム装備の場合)

気温が下がるとやはりゴムは硬くなるのと、滑りにくいので衣服の袖に引っかかるので、冬季はナイロンベルトで使うつもり。試しにメタルベルトも手に入れて装着してみようとさっそく発注。ナイロンベルトは万一雪がつくと体温で溶けてベルトを濡らし、凍傷の一因になるためメタルベルトの方がベターなことが多いから。

 そんなことはしないけれど、万一身体から離して凍結してしまうと再び装着するのが大変なのだ、とうかそうなっちゃうと懐に入れて温めてからでないと腕が凍傷になる。同じ理由で金属ジッパーを使ったマウンテンパーカを僕は使わない。ジッパーで凍傷になる恐れがあるのと、ジッパーが凍結して締まらなくなるということは即生命に関わるから。一度でも吹雪の中を歩くと分かるけど、フードの形もとても大事だ。

しかしこのオール・ブラックの蒸着塗装はどんなに強力でもやはり「塗装」であることを忘れてはいけないようで、特にどこにぶつけた記憶もないのに、1カ所はげてしまった=といっても0.2mmほどの小さな点なので、油性ペンでレタッチ完了したけれど・・・。

僕の場合は純然たる「道具」として使うのでいずれ傷だらけになってゆくのもしょうがないと考えて使っているのだけれど、ファッションや趣味で手にするユーザーはこの点は大いに気になるかもしれない。

今日は山の山頂部では初吹雪だったようで、八ヶ岳は真っ白く冠雪した。僕のペンション周辺でも風花の舞うとても寒い一日になった。まあ、厳冬期はマイナス23℃になるのでこんなのは序の口。でも、ここで暮らしてゆく上では身体が慣れるまでは寒さがとてもつらいこともある。(^_^;)

 今回、この時計を僕はタイムオクトーバー(加藤時計店)の楽天市場店で購入した。とても親切な応対で信頼できると感じたというのが選択した理由。僕もこうして商用サイト(ペンション・サンセットのサイト)を運営しているのでとても勉強になった。

 時間の束縛から逃れたくて、「ヘッドライン」や「デッドライン」から逃げ出してここにやってきた僕なので、この10年間は意図的に腕時計はしなかったのだけれど、変化が起きたのだ。いま、僕は正確な時をいつでもどこでも即座に知らせてくれる信頼の置ける時計を身につける必要がある。大自然の中で生きる心優しい(ペンション経営者という)ビジネスマンにならなければならないから。


2003.11.12(水)-----------雨/hare.gif気温 = 最低 -1℃/ 最高 5℃

この日記を書きはじめてから今日で2,563日目です。

 「純粋な現在とは、未来を喰らっていく過去の捉えがたい進行である。実を言えばあらゆる知覚とはすでに記憶なのだ。」(アンリ・ベルグソン:「物質と記憶」)

 じつはこの引用は2002年に一度行っているのだけれど、改めて実感です。人間存在が「現在」に身を置くことの困難さを実感する。それはこの世界がわれわれが身を置くための器ではないからだ。世界は我々をその中に含んでいるが、世界は我々の一部ではない。

 そんなことはさておき、今日朝起きてみると窓ガラスという窓ガラスには台風の時のように正面から雨がたたきつけた跡が残り、テラスも洪水のあとのようにびっしょりと濡れ、庭のラティスは5mも吹き飛ばされて倒れていた。未明に嵐があったのですね、たぶん。驚きました。

 風はなく、何事もなかったかのように燦々と陽が照っていました。静かな秋空が青く高く世界を覆っています。そんな情景を眺めていると、いま自分が幸せなのか不幸なのかなんてことはもうどうでもいいやという気持ちになってくる。ただこの世界が美しいと思うばかりです。

 今日は朝の気温が氷点下になりましたが、平年に比べれば断然温かです。それでもいまだに「冬」を感じないのはなぜでしょうか。僕らの中ではこれは「晩秋」なのです。この土地の冬はこんな穏やかものではない。すさまじく美しく過酷なばかりに厳しい冬はまだやってきていません。本格的積雪は12月からです。

 今夜はなんだかとても穏やかです。それは僕のこころがとても穏やかだからかも知れませんね、たぶん。その理由は、ウォンウィンツァン氏から贈られた2枚の新作CDのおかげです。「海より遠く」と「SEVEN」です。今日郵便で届きました。僕は急いでこの幸福のメッセージのいっぱい詰まった、大切な友人からの手紙の封を切ったのでした。

 ここのところ山暮らしのひととして、またペンション経営者として精神的閉塞状況に落ち込んでいた僕のことを知ってか知らずか、じつにタイムリーに救いの手を差し出してもらいました。「海より遠く」の1曲目の最初の音を聴いたとたんに僕を押しつぶしそうになっていた重苦しい何かがすっと消え去ったのです。「いいんだよ、それで、心配ないさ。きみは充分良くやっているよ。」そんな友人の言葉が聞こえたような気がしました。この終生の友との出会いに感謝。

 「幸福とは寓話(ぐうわ)であり、不幸とは物語である。」(トルストイ)

 いまようやく僕は「寓話」と「物語」から解き放たれて、それらを自在に語ることができるポジションに自分を置くことができたように感じています。


2003.11.11(火)-----------雨気温 = 最低 4℃/ 最高 8℃

この日記を書きはじめてから今日で2,562日目です。

 今日も雨降りです。3日も続けて間断なく雨が降り続くなんてじつに久しぶりのことのような気がします。今年の夏は全国的に雨が良く降ったけれど、それでも時に止むこともあったし、たまには綺麗な青空も覗いたものだった。不思議なことだけれど雨の日は晴れの日よりも体感気温が高いのです。だからさほど寒くは感じません。そうした意味ではここ数日はとてもしのぎやすいと言えます。

 そんなことで外まわりの作業が進捗しないので冬に向けての準備が遅れています。これはちょっと困ったことです。いまの気温から考えれば初雪は例年より遅いかも知れないので、時間的猶予はあるのかも知れないのですが、山の天気は気まぐれなのでできることは早いところ片づけてしまおうというのが僕の方針です。

 今月末でここに移住して満10年が経とうとしています。早いもので、という感じもするし、過ぎてみればあっという間だったような気もしますが、じつに激動の時代でした。それは社会的にも個人的にもということですが。五里霧中で先が見えないときにはぐっとスピードを落として足元を確かめながらゆっくりと歩くのが(時にはそこで動かずにいることが)一番良い進み方だということを僕はこの10年の山暮らしで学びました。

 そしていま僕らはその五里霧中状態です。

 ゆっくり歩こうと決意しても、気づかぬ間にしだいに足早になってくる自分に「ゆっくり、ゆったり、自分の判断を信じて・・・。」と言い聞かせる日々です。もちろん万一の自分の判断ミスにいち早く気づく鋭敏さも忘れないようにしながら。ここは山のように動かずにいる方がよいのだろうか、とも。大切なのは致命的な迷いに陥らないことだ、とも。


2003.11.10(月)-----------雨気温 = 最低 4℃/ 最高 8℃

この日記を書きはじめてから今日で2,561日目です。

 昨日からずうっと雲の中にはいっています。ラウンジから見る景色は相変わらず濃霧の中にいるような、濃密な水蒸気が織りなすファンタジックな世界です。土砂降りではないのだけれど、この雨は「やむつもりはない」と明確に意思表示しているようです。そんな降り方です。

 広葉樹がすっかり落葉したあとに降る雨は、直接地表を叩くので他の季節の雨とは音がまるっきり違います。そして、気温からいって決して雪に変わることはないのだけれど、ちょっと雪に似た風情の降り方をします。うまく表現できない、でも、そうなんだ。

 最近ものを書くのがしんどくなってきているのは僕が本を読まなくなったせいかもしれない。別に本でなくてもいいのだけれど、僕をインスパイアしてくれる何かとの出会いが不足しているのは確かです。いまは経営者として淡々と実務をこなしているだけです。

 ご宿泊いただくお客様が入らしてもいらっしゃらなくても、ペンション・サンセットはこの雲の海を航行し続ける旅客船なのです。雲海を航行するのだから「飛行船」かな。

 ペンション・サンセットはやはり「オクトーバー・カントリー(10月は黄昏の国)」を目指して航行しているのかな。良くお客様が仰る「サンセットの独特の(心地よい)雰囲気」というのはこのことなのかもしれませんね。レイ・ブラッドベリの描くとびっきりのファンタジーの世界を僕は求めているのかも知れない。


2003.11.09(日)-----------雨気温 = 最低 4℃/ 最高 10℃

この日記を書きはじめてから今日で2,560日目です。

 朝うつらうつらしているとことことという雨だれの音がします。ペンション・サンセットの大屋根から落ちて来て1階の軒を打つ雨だれの音です。ああ、今日は雨なのだ。心情的には「今日も雨なのだ、やれやれ」と言う方が近い。

 まだ当分雪が降る気配はありません。それほど暖かい晩秋です。それでも朝晩の体感気温はしだいに下がってきているように感じています。人間の気温感覚というのはじつに不思議なものです。生命体としてより確かなのは、寒暖計の指し示す「客観的数値としての気温」ではなくて「体感温度」なのですね。

 夜になっても雨は降り続き、ちょっと足りなくなったものを買いに買い物に出た僕は、雨雲の中の「濃霧状態」の道路を走ることになりました。今夜は満月だいうのに、漆黒の闇が支配しています。イオン光という霧や雪を突き抜ける波長のヘッドランプを使っているのですが、それでもヘッドライトと路肩の街灯に照らし出された、トンネルのような夜道を地下鉄のように走ったのでした。

 何万回と走ってよく知っているはずの道なのに、今夜はまるで別の道のように感じられました。この先が右にカーブしているのか左にカーブしているのか、そもそもここがいったいどのあたりなのかがよくわからないのです。夜の山岳部の濃霧は魔物です、もしそんな状況に遭遇したらくれぐれもゆっくりと走って下さい、そう、時速10kmでも良いくらいですよ。ありったけのライトを点けて自分の車の存在を他のクルマに知らせるようにすることも忘れずに。

 往路もすごかったけれど復路はもっとすごくて、鹿にぶつかりそうになったりキツネを引きそうになったり。とにかく疲れました。雨はぱらつく程度になっていますが、霧(=雨雲)はまだまだ濃密です。客観的に山麓から眺めたとするならば、標高1000m以上がすっぽりと雨雲の中にはいった状態が続いているようです。


2003.11.08(土)-----------hare.gif気温 = 最低 4℃/ 最高 14℃

この日記を書きはじめてから今日で2,559日目です。

 暖かいですねえ、まったく雪撒きができないほど暖かいです。天気概況では明日あたりから平年並に戻るようなお話ですが、どうなのでしょう。ここのところまったく暖房無しでOKでとても助かっています。身体に優しくクリーンな暖房として温水式全館集中暖房(セントラルヒーティング)を採用しているペンション・サンセットの暖房費は一般家庭の10倍かかるのです。たとえ僕らだけしかいない夜でも、暖房するとなるとその装置を作動させるほか無い。

 というのも標高1700mで完全燃焼が保証されている石油ファンヒーターが未だ存在しないと言うのがその理由のひとつです。たいていの製品は標高1000mまでか、せいぜい1200mまでというのが普通です。ここは気圧が20%低くて、空気中の酸素濃度が平地の80%程度しかないから。が、いまのところわれわれの居室では1畳のホットカーペット一枚で充分以上に温かです。マイナス20℃仕様の建物ですからまあ当然のことなのですが。

 空気が薄いといろいろな心身の変化が現れてきます。たとえば血液中の赤血球の数がやたら増えるとか、安静にしていると酸素不足ですぐ眠くなるとか、睡眠がやたらと深いとか。たまに平地に戻ると地下鉄の長い階段も歩道橋もまったく苦にならないスーパーマン状態が数日続くとか、ね。そうです、ここはオリンピック選手が高所低酸素トレーニングを行う場所なのです。女子マラソンのキューちゃんがトレーニングしているボルダーが標高1600mで、ここは標高1700mなのだから当然といえばその通りなのです。

 人間の思考もこの薄い酸素状態では変化してくるようです。なんというのだろう、うまく表現できないのだけれど、ゆっくり考える、というかあらゆる思考はゆっくりと「熟成」されやがて結論にいたるという感じかな。仙人や成人と呼ばれる人たちがここよりはるかに標高の高いさらに低酸素の地に居所を構えるというのはそれなりの理由があるのだと実感できます。すくなくともここでは現実と想像と幻想と夢との間をシームレスに行ったり来たりすることが可能なのです。それが自然で当たり前のことなのです。

 「自分」という世界、を知るにはこれほどふさわしい場所は他にはないように思います、少なくとも僕自身に関しては。自然とね、自分という存在の「輪郭」のようなものがはっきりとしてくるのです。そしてやがて自分というものがよく見えてくる。ここには「本当の自分」しかいないから。


2003.11.07(金)-----------hare.gif気温 = 最低 4℃/ 最高 14℃

この日記を書きはじめてから今日で2,558日目です。

 とても暖かな日が続いています。今夜はまだ7℃もあります。平年ならマイナス3℃だっておかしくない時節なのに、氷点下になる日は滅多にありません。タイヤショップからは交換時期を迎えて発注したスタッドレス・タイヤが入荷したとの連絡がありました。八ヶ岳もまだ冠雪していないので、ペンション・サンセット周辺に風花(風花)が舞うこともありません。

 それどころか日中はとても温かです。

 スキー場のゲレンデはどこも草刈りを行い藁(わら)を敷き詰めるという下地作りが終了して、気温さえ下がればいつでも雪撒きが始められる準備が整いました。が、この気温では・・・。この高温は一時的なものに違いないので、そのうち本来の気候に戻るでしょう。その季節にふさわしい気候が一番健全ですからね、早く戻って欲しい。

 なんかうまく書くことができない。定期的にそんな時期がやってくるけれど、年齢とともにしだいにその間隔が短くなってきたように感じられる。「物語」ならいくらでも語ることはできるのだけれど、ひとつひとつの物語はそれはとても長いものなのでここに書き記すことができない。それはある意味において「終わりのない物語」だからだ。その物語はいまもなお続いている。

 たとえば僕は17歳の頃の自分と彼女について書くことができる。17歳の頃の「(その後の)妻」を思い出すことができるというのは僕の年齢になるとじつに不可思議な体験に感じられる。35年も前のことをここまで鮮明に思い出せるという事実には、自分でも驚きを禁じ得ない。断言はできないけれど、ときに僕が物語る「彼女」には特にモデルは存在しない。僕が愛し、あるいは愛された体験のなかから生まれた(構成された)架空の「彼女」である。そして「彼女」の物語はこのサイトの中のどこかに書き記されることになる。


2003.11.06(木)-----------ame.gifhare.gif気温 = 最低 8℃/ 最高 17℃

この日記を書きはじめてから今日で2,557日目です。

ということで、昨日書いたように自分のスタイルを変えるのはやめた。寒いから嫌だと思われてもしょうがない、寒いのは寒い服装をしているからだ。気候・気象に対して適切な衣服を身に纏(まと)わなければ、アフリカだろうがシベリアだろうが「寒い状況では寒い」ことに変わりはないのだ。

 たとえば真夏の東京で夕立でずぶぬれになってTシャツ一枚で冷房の効いた電車に乗れば、真冬のピラタスの丘でフリースのウエアとマウンテンパーカに身を固めてマイナス17℃の吹雪の夜を歩くより寒いのだ。それはいのちの危険があるほど寒いと思うよ、実際の話、というのもこれは僕の実体験だから。

少なくともこの「現代」においては、それにふさわしい服装をしていれば「寒い」なんてことはないのだ。外はマイナス20℃の真冬の夜だというのに、Tシャツ一枚で暖房をガンガン焚いていながら、自分の吸った煙草の煙がけむいからといって窓を全開にして「寒い」なんていわれても、金輪際僕は聞く耳を持たない。

 繰り返すが、あなたが寒いのはあなたが気候にあった服装をしていないからだ。

 30℃の熱帯夜に暑い(確かに暑い!)といってエアコン全開で20℃の室温で涼んでいる同じ人間が、真冬には35℃〜40℃まで室温を上げて暖房してTシャツ一枚で「寒い」だなんて、信じられない、あり得ない。それは知的生物のやることではない。

 それは「現代人のわがまま」なんて言うかわいい概念の範疇を越えている。それは「非常識」あるいは「救いがたい無知」というものだ。暖房していてむんむんしてきたら、窓を開けてマイナス20℃の風を入れて室温を0℃近くまで下げるのではなくて、暖房機の室温設定を5℃ばかり下げればいいのだ。そのままの室温で自分がトレーナーなりフリースなりを一枚着てごらん、きっと暑くて即座に汗だくになること請け合いだ

 どうしてもっと「季節」と真正面から向き合わないのだろう。どうして「自然」とまっすぐに向き合えないのだろう。僕は不思議でならない。衣服を纏い道具を作りそれを使いこなし火を利用するというのは人類の人類たるゆえんではないか。その根元的能力を現代人は失いつつあるように思われてならない。それは文明による生命体としての快適性の追求とはまったく次元の異なる問題であるように僕には思われる。


2003.11.05(水)-----------hare.gifame.gif気温 = 最低 3℃/ 最高 15℃

この日記を書きはじめてから今日で2,556日目です。

 まず日付と曜日を入力してから、お天気と最低気温・最高気温を書き、つぎに日記を書き始めて何日目かを更新する、という手順を踏んでから日記をしたためるというのがこれまでの作法でした。長年の習慣というのはおそろしいもので、このようにいきなり書き始めるというのはどうも違和感があります。

 お天気情報がないと自分でも今日という日のイメージをつかみくくなりましたね、正直言って。

 今日という日は「晴れた朝」から「雨の夜」へと推移しました。雨の夜はとても暗い。そしてとても静かです。明日のお昼ぐらいまでこの雨は降り続くそうです。なんだか今日の雨は気持ちをめいらせます。雨がそのような「意志」を持って降るわけもなく、これは僕の側の気分的な問題なのだとは想うのですが。


 高原へいらっしゃい。気温や湿度だけでは語れない「なにか」があなたを待っています、きっと。


 ピラタスの丘はすでに秋の風情。「夕暮れ(サンセット)」の美しい季節です。→写真

 星も綺麗ですよ、とっても!

2003.11.04(火)-----------kumori.gif/hare.gif気温 = 最低 4℃/ 最高 9℃(復活しました・11/6)

この日記を書きはじめてから今日で2,555日目です。

 雨上がりの朝はいつも清々しい(すがすがしい)ものです。しかしこの時期に行わなければならない作業の段取りからいうと、この雨による水気が乾くまで進められない作業がたくさんあります。だから、しょうがないことなのだけれど、ちょっとこまったことではあります。今日やる予定だった作業は延期です。

 晴れ時々曇りと書いたけれど、印象としてはほとんど陽が差さなかったように感じます。他のところに日が照っているのはここからも見えるのですが、「ここ」に日が照ることは少なかったからです。多くの渡り鳥や他の場所に移動する野鳥達はすでに移動を終えてピラタスの丘で越冬する鳥たちだけになりました。だからとても静かで、ちょっと寂しい気分です。

 前にも書いたとおり、この季節には音の聞こえ方が再び変化します。音の「角」が取れてあらゆる音がまあるくふくよかに響くのです。これは明らかに大気の質の変化による音の伝わり方の変化です。凛とした大気の中、そして限りない静寂の下でこうして森を眺めているとまるで「世界の終わり」をじっと待っているような気がしてきます。それは必然であり抗う(あらがう)ことすらかなわない宿命なのだ、と。"The Fool on the Hill"ですね、まったくのはなし。

 確かに地球は巡っている。ぐるぐるとものすごいスピードでスピンしているのが実感できる。僕はここにいて「それ」をただみつめている。今夜も暖かいのでたまにハロゲンヒーターを点ければ充分なほどです。シベリアンハスキーのパルもだいぶ冬毛が生えそろい、皮下脂肪も付いてきてしだいに美しい冬の体型へと変化してきています。誰よりも初雪を待ち望んでいるのは彼でしょうね、きっと。

 でも初雪はまだ先のことです。落葉松の紅葉が見頃です。


2003.11.03(月)-----------kumori.gifame.gif温 = 最低 8℃/ 最高 14℃(復活しました・11/6)

この日記を書きはじめてから今日で2,554日目です。

 今日も冷え込みがほとんど無かったようで、といってもそのように感じるということですが、温暖な朝になりました。朝から曇り空でしたが、雲が高く空は明るかったのです。しかし天気予報どおり昼頃からしだいに下り坂となり、やがて雨になりました。これ絵は外回りの作業ができません、やることがたくさんあるのにね。自然相手のことですから、ここはあっさりあきらめるしかないです。

 こうして雨模様に遭遇してみると改めていまはまだまだ「秋」なのだなあと実感します。こんなに暖かく、なんといっても「雪」ではなくて「雨」ですからね。雨は降りましたが今日もとても穏やかな一日でした。そして今夜は満天の星空の変わりに、サーッという雨音とことことという雨だれの音が周囲を覆い尽くしています。

 ペンション・サンセットはいましも雨雲の中に取り込まれて、外は一面の濃霧状態です。そんな中で聴くこの雨だれの音は時として何かの、たとえば森の小動物の足音や気配のように感じて、はっとすることしきりです。それもこれもこのような大自然の中で暮らしているから、感覚が野生に向かって研ぎ澄まされるのかも知れません。これはよいことだと感じています、個人的には。

 それはそうと、ぜんぜん関係ない話ですが・・・。

 レイ・ブラッドベリ、村上春樹、ライ麦畑で捕まえて(The Catcher in the Rye )、不思議の国のアリス、フランダースの犬、宮沢賢治・・・が「嫌いでない」ひとにはペンション・サンセットは極上のワインのように美味しい場所かもしれません。これは「文学」、「物語」のジャンルの場合の一例ですけれど。誕生日でいうとリピーターのお客様の誕生日は圧倒的に12月〜3月が多いのですよね、もちろん例外はあるのですが。それはそれで別の「ご縁」なのでしょうね、きっと。

 ちなみに僕は「魚座」です。

 ご承知の通り魚座のマークというか「しるし」というのは二匹の魚が互いの尻尾(しっぽ)を一本の太いリボンで結ばれているのですが、互いにまったく異なった方向へと泳ぎ進もうともがいているというものです。ことかように魚座の人間は二つの相反する想いなり行動に駆り立てられてその間で揺れながらもんもんと懊悩(おうのう)する運命、というかそのような星の下にあるようです。納得です、はい。僕はいつもそのようであります。これまでもずうっと、そしていまも、おそらくはこれからもずうっと。



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2003.11.02(日)-----------hare.gif気温 = 最低 7℃/ 最高 12℃(復活しました・11/6)

この日記を書きはじめてから今日で2,553日目です。

 とても温かな小春日和になりました。朝から雲ひとつ無い晴天で、くすんだ青空はこの季節ならではのとても素敵な色合いです。陽差しは暖かく風もなく、じつに穏やかな一日でした。ペンション・サンセットの周辺では広葉樹の紅葉はすでに終わり、落葉も一段落して、針葉樹の紅葉が始まっています。だからといって冬のような枯れた風情はピラタスの森にはありません。常緑針葉樹や紅葉の期間の長い落葉松(針葉樹)が森を彩っているからです。

 昨日から数値としての気温を掲載しない、日記にも(できるだけ)数値としての気温を書かないと決めてそのようにしているわけですが、意外にもこれはとても良いアイデアだったかも知れません。僕自身がそれを意識する、というか「禁じ手」とすることによって、僕自身のものの見方や感じ方さらには表現自体が変わろうとしているように感じられるからです。数字を並べて表現すればそれだけでも説得力がある(ように感じられる)し、語り手もそれで「具体的かつ正確に」伝えることができたような「つもり」になりがちだけれど、実際はそんなこと無いのかも知れない。

 それから昨日ちょっと書いたこのサイトにおけるオーナー名掲載(署名)の件ですが、やはり削除した方がいいのかも知れませんね。ネットで通信販売をしている場合などは法律によって責任者名等の明記が義務づけられています。しかし、実際にこちらにいらしていただいてご宿泊いただいて初めてサービス提供とその対価が発生するペンション宿泊予約の場合はその範疇外なので、屋号(ウチの場合は「サンセット」ですね)だけでOKのようですね。署名してもしなくてもお客様の信頼度や好感度が変わらないのであれば、この物騒なネット社会において実名を公表するリスクをおかす意味はないし「百害あって一利なし」ということですものね。

 まあ、急がずあわてず検討課題としていきたいと思います。この日記の書き方や内容もそれによって変わってきますから、よ〜く考えようと思います。それはそうと記録を見るとこの時期にこの温かさというのはむしろ異例なのですよね。われわれはおそらく暑い夏の間に身体や心に「蓄熱」するようにできているのではないかと感じます。ことしはとても寒いぐらいの夏だったために充分な蓄熱ができていない。だからこんなに温暖な秋でも平年なみどころかそれ以上に寒く感じるのではないか、と。

 この調子だと今度の冬は気温の高い「温暖な(しかし体感的には)寒い・冬」になるかもしれませんね。異常気象もここまで狂うと「普通」みたいに感じられてくるから恐いです。


2003.11.01(土)-----------hare.gif気温 = 最低 5℃/ 最高 15℃(復活しました・11/6)

この日記を書きはじめてから今日で2,552日目です。

 今日からお天気、最高気温、最低気温の表示をやめました。先日も書いたのだけれど、実際の気温よりも遙かに「寒いと想像する」ひとの比率が飛躍的に増加したという認識が僕にはあります。データとしての「数値」としての気温と、実際の気温および実際に身体と心で感じる気温とはまったく異なるのです。そのことが考慮されないあまりにも直截(ちょくさい)すぎる感性の時代になったようです、もちろん「悪い意味」において。数字では語れない部分にこそ人間の豊かな感性のすばらしさがあるのにね。

 ぼくはそのように感じる人たちを責めているのではありません。どうか誤解なさらないで下さいね。そのような時代というか、人類の進化(あるいは退化)のフェイズを呪って(?)いるのです。ある側面では人類はとても進化し続けているけれど、生物あるいは動物として生き抜くための知恵という側面ではどんどん退行しているのをひしひしと感じます。

 話が脇道にそれました。最初に書いたとおり、そんな状況ではこれからの季節の蓼科あるいはいま現在の蓼科が実施以上に「寒い」と「刷り込まれて」しまうのではないかという危惧(きぐ)を僕は持ちました。そうなると僕だけの問題ではなくなります。蓼科高原全体の人々の問題になります。蓼科の季節感を実際の感覚に近い形でお知らせしたいということで始めた気温表示ですが、それでは本末転倒になってしまいます。

 平野部に比べて標高の高い高原部・山岳部が朝晩冷え込むというのは当たり前の気象であり自然法則です。お住まいの土地でも12月には12月の気候にふさわしい暖かな服装をなさるのと同様に、高原にいらっしゃるときには高原の気候にふさわしい暖かな服装でいらっしゃればよいだけのことなのですけれど、それをなさらないお客様があまりにも多くてかなり「哀しい」思いをしています。

 僕はなんのために蓼科の「いま」の気候や風景をご案内しているのでしょうか。なんのために、ご宿泊のご案内状で具体的服装までご案内しているのでしょうか。僕の想いは余計なお世話、単なる徒労にすぎないのでしょうか。この場所・この季節にふさわしい服装さえすれば、楽しみは10倍にもなるのに、そして金輪際「寒い」なんて言葉を口にすることすらないはずなのに。とても残念です。

 ということで、今後は「僕の体感気温」だけを書くことにします。気温のデータ観測は10年を経たいま、休止ということにします。そのほうが伝わるものもあるかも知れません。

 もとよりビジネスとして成功なさっているペンションさんのホームページには決してこのようなコメントは書かれないと思います。それは承知しています。しかし僕は書かずにはいられないのですよね。僕はペンション・サンセットをビジネスと割り切って考えることができない「ダメな経営者」だから。だからこそ個人としてきちんと自分の氏名を明かし、署名しているのです。ペンションのホームページをご覧になるときに経営者(オーナー)の署名があるかどうか気をつけてみて下さい。署名のないところがほとんどだと思います。

 おおかたのお客様にとって、署名があろうと無かろうとそんなことはたいしたことではないのかも知れません。そうであるならば、僕もホームページからもあらゆるメールやご案内状からも署名を削除すべきなのかも知れません。ペンション名だけで充分ならば、それが時代の趨勢(すうせい)というものならば、その事実に沿うまでです。


 高原へいらっしゃい。気温や湿度だけでは語れない「なにか」があなたを待っています、きっと。


 ピラタスの丘はすでに秋の風情。「夕暮れ(サンセット)」の美しい季節です。→写真

 星も綺麗ですよ、とっても!





風景は人生の舞台です

誰のこころにも忘れがたい想い出の風景があります。

サンセットは北八ヶ岳の標高1700mの白樺林にたたずむ雲の上のペンション。
時間が止まったような、自然と一体になった不思議なやすらぎをあなたもどうぞ。
忘れがたく美しい風景の中で静かな人生の休日、心の日曜日をお過ごし下さい。



ペンション サンセット

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