- 2003年6月 -
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"It exists across the universe"
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2003.06.30(月)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,458日目です。 日記を更新する時間帯を少しずつ早めるようにしている。午後10時を過ぎるとメールのやり取りが増加するために、更新が出来ないようになってきたから。というか、メールの方が終わってから更新作業にはいると、終わるのが午前3時とか4時になってしまいがちだからだ。これはぼくの習性によるものなのでしょうがない。決定的に深夜〜未明型人間なのだ。 冬が終わってこの季節に至るまで昨年ほどは日照不足を感じなかったのだけれど、森の木々の茂り方のすさまじさを見ると、やはり日照不足だったのだと思わざるを得ない。ここまで具体的事実を提示して実証されてしまうと、反論の余地というものが無い。 そんなわけで、ペンション・サンセットはすでに木洩日(こもれび)の下(もと)にあります。森の木陰に住むということは、じつに自然の恵みを享受(きょうじゅ)することであるけれど、やはりそこにもバランスは必要なわけで、庭の草花たちのことを考えるとたまには苛烈な直射日光も必要なのだと感じます。 梅雨の間に日照不足ですっかり元気をなくしてしまった花たちのために、明日はオリジナルブレンドの熟成堆肥を作って与えてやろうと計画しています。やっぱり液肥(化成肥料)だけではダメみたいだから。丸3年苦楽を友にしたPowerMac G4も調子を取り戻してくれたので、ぼくもようやく「徹夜生活」を脱することが出来そうだし。 というようなわけで、これから秋までの間の最高気温や最低気温の表示は木陰の気温ということになります。日なたではこれより高い表面気温になることになりますが、それは日光の熱によるもので、気象データとしての気温は木陰の気温の方が近いものといえます。 ようするに「日なたと日陰の温度差が極めて大きいので注意」ということを言いたかったわけで、日なたが「暑い」からといって日陰に入ってもそのままの服装でいると、急激に体温が下がって風邪を引いてしまうことがある。ひなたが暑く感じるのは単に「陽射しが熱い」のであって気温自体は20℃程度しかないことが多いのが蓼科の特徴です。 今年は庭におびただしい数のヤナギランが生えてきてちょっとびっくりしています。毎年花が咲くわけではないのですが、開花を期待しています。今日は朝から陽射しがあるものの雲の多い1日になりました。陽射しが足りません。ぼくの大切な草花たちよ、いますこしがんばって。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットの庭のヤナギラン、夏に咲きます)
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2003.06.29(日)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,457日目です。 徹夜仕事を終えた未明にモーツアルトのレクイエムを聴くというのはなかなか良いものだということに気づいて久しい。このような人気(ひとけ)のない大自然の中で暮らしていても自然の様々な音というものは日中よりも深夜〜早朝の方が少ない。夜行性の獣も多いから夜もそれなりに音はあるけれど、それはむしろ気配といった方がふさわしいものだ。だから未明はじつに静かでこのような音楽を聴くにはもっとも適しているのではないかと思う。 オーディオセットの音をぐっと絞って耳を澄まして聴くこともあるけれど、おおむねヘッドフォーンで大音量で聴くことの方が多い。ぼくが好んで聴くのはカール・ベーム指揮のウイーン・フィル演奏のものだ。奇妙に聞こえるかも知れないが、ぼくにとってもこの曲は自分自身のための葬送の音楽なのだ。だからいつもそのような想いで聴いている。そして鎮魂されるのだ。じっさいはまだ生きているのだけれど。 ぼくが若い頃そうだったように多くの若い方にとっては様々な意味において聴き通すのがつらい音楽だと思う。ぼくもこの年齢になって初めて熱い親しみを持って接することができるようになったのだから。この曲を聴いていると、神に向かって歌われているようでありながらじつはこの世界にもこの世界の外にも神などいない、神とは人間が作り出したものであるとしだいに思えてくる。 ぼくは宗教上の神は信じない。その点においては無神論者である。しかし、この宇宙にあるいはわれわれの不可思議な精神世界に「神」と呼んでさしつかえない存在を感じるのもまた事実だ。それはこの世界がばらばらにならないようにまとめている「たが」のような働きであり、そのような「意志」である。僕らの世界はその「意志」によって存在している。 そろそろ最終楽章が終わる。窓外ではこの森の一番鶏の役目をになうホトトギスが歌い始める。八ヶ岳の稜線がしだいに明るくなってくる。夜明けだ。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットの庭にて)
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2003.06.28(土)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,456日目です。 終日雨のあいにくのお天気です。霧に煙った山の風情もなかなか良いものなのですが、観光やドライブで訪れるお客様にしてみれば、やはり気持ち良く晴れてほしいところですよね。もう少しの辛抱で梅雨が開けそうです。根拠はないのだけれど。 この季節になると新緑はますます色濃く変化し、初夏らしい馴染みのある「風の音」が聞こえるようになります。それは充分繁茂して張りのでた木葉が風に鳴る音です。森の奏でる風鈴の音のようにぼくは感じています。この季節の音は「ざわわざわざわ」それが秋になると「からころさらさら」と変化するのです。 ペンション・サンセットの敷地にホトトギスが住み着いてくれたようで、今年は毎朝その美声を身近に聞かせてくれています。今朝などはぼくの部屋の窓辺で歌ってくれました。エゾハルゼミも鳴き始めて、それらの声で目覚める朝は最高の気分です。 ペンション・サンセットはお陰様で今年の12月で開業10周年を迎えます。これもひとえにサンセットを支持して下さったお客様のおかげと、心より感謝しております。そんなこともあって、この春からサンセットもお料理を和仏折衷にしたり、全体の雰囲気を少しだけ変えたりと、日々変化を続けています。しばらくご無沙汰しているお客様、ひと味変わったサンセットを是非体験にいらしていただければさいわいに存じます。 最後に今日の花のポートレイト。(なんという花でしょう、でも綺麗でしょう?)
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2003.06.27(金)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,455日目です。 その店の窓ガラスに見知らぬ男の姿が映し出されている。暗い窓外をひっきりなしに車列が通り過ぎてゆく。歳の頃は50前後か、この年代特有の少しゆるんだ顔の輪郭に青年時代のシャープな顔立ちの名残が申し訳程度に残っている。「あれ」から31年を経たぼくの姿だ。 血気盛んな時代をとうに通り越し、脂ぎったエネルギーもすでに無く、いささかくたびれた51歳の初老の男性の現実が象徴的にそこに像を結んで実体化したかのようだ。 「ねえ、ぼくらはまったく異なった世界に生きている、まったく異なった生物というか「種」なんだよ。それはもう異星人といってもいいくらいだ。」とぼくは言った。小さなテーブルをはさんで差し向いに「彼女」がいた。しかし「彼女」はガラス窓に映ったぼくとは違って、20歳のあのころのままの「彼女」だった。 「彼女」はじっとぼくの目を覗き込むようにして、ぼくの話に聞き入っている。深く澄みきったとても美しい瞳だ。いつも感じていたことなのだけれど、じつはぼくを見ているのではなく、ぼくの身体を透過してはるか彼方の「なにか」を見つめているような眼差しだ。こんなふうに見つめられると、ぼくの胸はいつもキュンと痛んだ。なんだか胸が熱くなって目を落とすと、ぼくの胸にはキース・へリングのバッジがあった。ぼくは米軍放出品の分厚い生地のパーカを着ていた。 ぼくは20歳のぼくだった。 「彼女」がぼくの考えにコメントを挟むことは極めてまれだった。ただだまってひとこともらさず聞き取ろうと耳を澄ます。ぼくの目をじっと覗き込む。でも、いま「彼女」はクスッと小さく笑った。ぼくはちょっと傷ついた。 「私がいま何を考えていたかわかる?」と「彼女」は言った。「あのね、そんなのあたりまえじゃない。今ごろ気がついたの?ばかみたい。」 文字で読むときつく聞えるのだけど、じっさいに「彼女」がそう言った時は、優しさに溢れた保護者のような眼差しに、むしろ自分が愛されているという実感に胸が震えた。そうなのだ、どう考えても当時のぼくたちはイーブンな関係ではなかった。
そんなフラッシュバックにも似た幻影がよく現れる。朝も昼も夜も、高原も街中も関係なくそれはぼくのこころの中のスクリーンに鮮明に映し出される。それは過去を反芻しているというのでも無く、旧き善き時代の回想に耽るというのでも無く、唐突にやってくるある種の精神的インパクトのようだ。年齢的なものかもしれないし、ぼくの極めて個人的な事情によるものなのかもしれない。 未来を夢見ることをやめ、「明日のために今日を生きる」ということをやめ、過去を再評価する。今日を、「いま」を生きることに集中し、人生のピークを過ぎて死に向かって加速しながら坂を下る。そんな自分という存在に思いを馳せる。 以前に実存主義者の客室乗務員(スチワーデス)の出てくるコントを見たことがあって、状況設定から想像される通り大笑いできたのだけれど、ここだけの話、ぼくはじつに実存主義的なペンション・オーナーなのだ。(笑) 昨日書いたアン・サリー(Ann Sally)のオフィシャル・サイトで試聴していると"Both Sides, Now"という聞きなれた曲があった。とても懐かしくて胸がチクチクする曲だ。そうだ、オリジナルは"Joni Mitchell"で「青春の光と影」という映画のタイトル・チューンとして "Judy Collins"がカバーして大ヒットした曲だ。こちらにその歌詞がある。アン・サリーの歌ったものは上記サイトの"VOYAGE"というアルバムの紹介されているページで試聴できる。じつに奥の深い洞察に満ちたリリックスだと思う。ジョニ・ミッチェル、キャロル・キング、キース・へリング・・・それはじつにぼくらの時代だった。なにものにも変えがたいぼくらの世代の宝物。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットでもうすぐこんなふうにニッコウキスゲが咲きます)
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2003.06.26(木)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,454日目です。 今日は書いておきたいことがたくさんありすぎて、ちょっとどうしたものか思案しています。とりあえず目次のようにリストアップしておいて、後日追って書いていくのがいいのかも知れません。 それはそろそろTVを見るのを止めてお風呂に入って寝ようかという時間帯に集中していたのでした。NHK教育テレビで「トップランナー」という番組をやっていました。この番組のことは以前見て知っていたのですが、何曜日の何時からというよなことは憶えていなくて、しばらくぶりに目に止まったのでした。かなりハイレベルなゲストが毎週出演するとても豪華な番組です。 今日はアン・サリー(Ann Sally)さんがゲストでした、ミュージシャン(ボーカリスト)にして心臓内科医師の女性です。アコースティックな「アンプラグド」スタイルのスタジオ・ライブにまいってしまいました。ボサノヴァも良かったけれど、蘇州夜曲(そしゅうやきょく)が良かった。そして気づいたのでした、この歌声には聞き覚えがある、某酒造メーカーのCMのバックグラウンドで確か流れていた、ような気がする。 こういう音楽にぼくはとても弱いのです。鈴木重子さんの"Amazing Grace"も聴くたびに涙が止まらなくなっちゃうぼくなのですが、こういうソウルフル(soulful)な歌声には素直に感応してしまいます。リンクをたどってそれぞれのオフィシャルサイトをのぞいてみて下さい。Ann Sallyさんのサイトでは試聴ができます。 ペンション・サンセットではラウンジに流れるBGMにかなりこだわっています。お客様のこころの状態を決定づけるのもこのBGMしだいだからです。BGMなんてかかっていればなんだって同じだというペンション・オーナーもいますが、それはそれとして認めた上で、ぼくは「その場」の雰囲気を決定づけるものこそBGMだと考えています。いわばサブリミナルなコントロールなのですが、その大切なBGMも少しずつぼくの変化に伴って変わっていきそうな予感があります。 そしてそのあとにフジテレビで目に止まったのが「お厚いのがお好き?(some like it trick)」でした。今日は「#12 “ペット”で読み解く、ヘーゲルの「精神現象学」 」という内容。テーマはヘーゲルが唱えた「弁証法」という奇々怪々なものです。大学時代ぼくも「精神現象学」に挑んだのですが、1ページ目から何が書いてあるのかまったく理解不能で、3ページ読む前に爆睡してしまうのが通例でした。眠れない夜にはぴったりの本です、いまでもね。一方、フッサールの「現象学」のほうは眠らない夜を眠らないのにはぴったりです。 で、岩波新書の「弁証法とは何か」という本を読んだのだけれど、始めから最後までしっかり理解したつもりでも「結局、弁証法ってなんなのさ?」というぼくの問いには答えがありませんでした。それがこの番組で氷解したのです。「テーゼ」→「アンチテーゼ」→「ジンテーゼ」という3つの概念を人間のもっとも親しいペットであるところの犬、その目的に最適化するための交配の歴史になぞらえて説明されると、あっという間に理解できるのです。(なんかTVショッピングみたいな表現かな) まあいま読んでいる(まだ読んでいる、かな?)サルトルの「存在と無」の思考過程もこの弁証法によるところ大なので、概念的には理解できてはいたのですけれど。「弁証法」をことさら難しいもの、理解不能にしているのはこの意味不明(?)な「訳語」のせいなのではないかと思うのですよね。いずれにしてもこの番組は超お勧めです。HPのバックナンバーを読むだけでもとても楽しめますよ。 さて、あとは追々書いていくことにして、今日はおおむね曇り時々晴れ間そして時々雨がぱらつくというお天気でした。午後からは館内一斉消毒の施工を業者の方にお願いしてあったので、外に6時間ほど出ている必要があり、諏訪に買い物がてらドライブに出掛けました。今日は気温が低かったので、諏訪でもほんの少し窓を開けるだけで十分涼しかったです。 サンセットの庭にめずらしい花が咲いたので、草花に詳しいおとなりの「すばる」さんに教えてもらったのですが、これはどうやらセキチクという花の一種のようだとのことでした。漢字だと「石竹(せきちく)」と書きます。辞書によれば「石竹色」といえば濃いピンクのことだとか。英語ではチャイナ・ピンク、花の名としてはダイアンサスというとか。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットに咲いたセキチクの一種と思われる花です)
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2003.06.25(水)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,453日目です。 今朝も雨は降り続いていました。音も無く降りしきる雨はこの季節独特のものです。しかし春の雨とは異なって、降った後にクルマのボンネットが花粉や黄砂で汚れていないということがあります。むしろ洗車したみたいにきれいになっていることすらあります。 新緑はますます勢いを増して、鬱蒼と空を覆い隠し、透明な緑からしだいに夏の濃緑へと日々微妙にその色を変化させています。空の雲もふと気づけば夏の雲になっています。まだ梅雨が開けていないとはいえ、実感としてはもう梅雨明けですね。その日のお天気が晴れだろうと雨だろうと、この季節感は明らかに初夏のものです。 今夜は久しぶりに快調なパーソナル・コンピュータでこの日記をしたためることができています。この3日間あまり、ほとんど不眠不休で復旧した甲斐があったというものですが、そろそろ買い替え時というか酷使したつけがまわってきているというか、いずれにしてもマシンの入れ換えを決断しました。 ぼくにとってパーソナル・コンピュータは仕事の相棒であり、ペンション・サンセットの基幹をなす業務用システムであり、個人的にはぼくの脳神経系のエクステンション(機能拡張)システムであるという事実。8月か9月には昨日Apple Computerから発表された、PowerMac G5がペンション・サンセットのメインマシンとしてやってきます。 パソコンなんて何でも同じさ、という意見にも一理あるし、Windowsマシンの方が高性能でコストパフォーマンスが高い、だいいち世界標準〔業界標準〕じゃないか、というのも事実かも知れない。それは良いクルマが欲しければトヨタにすれば間違いない(たとえばのはなしだけど)、と言うのに似ている。 それは良く理解している、すでに研究済みだ。ぼくだってVAIO NOTEやThinkPadは好きだしトヨタやニッサンやスバルも好きだしマツダのRX8にも乗ってみたい。 でも、ぼくはパーソナル・コンピュータに関して言えば工業製品として極めて洗練されたMacintoshのデザインとインターフェイスにまいってしまっているのであり、クルマに関して言えば10年ものの旧い(しかし美しい)ブリティッシュ・グリーンのランドローバー・ディスカバリー(それも全機械式制御のマニュアルシフト!)を愛さずにはいられないのだ。じつに人生は理詰めでは生きられないものだ。 だからこそ、多少だけど、楽しいのかも知れない、人生も。そんなに悪くないのかも知れないと思うこともある。だけど、無条件に生きる価値があるかと問われれば、「さあどうだろう?」と答える他ないのだけれど。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセット周辺はそろそろマーガレットとアザミの季節です)
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2003.06.24(火)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,452日目です。 ことことという雨音で目が覚めました。というか、夜が開けてから1時間半ほど眠っただけなのですが。6時半には起床して1ヶ月に2回限りの段ボール、古新聞の回収に間に合うようにプール平までクルマを走らせました。霧雨が降っていました。降りはさほど強くは無いけれどいつの間にかぐしっょりと濡れてしまうような、ちょうどそんな雨です。 結局その後も雨は断続的に降り続いて、今も霧雨になっています。この雨が上ったらきっと梅雨明けなんだ、信じたいところです。雨模様でも空は以前に比べてずいぶん明るくなりましたから、あながち見当はずれの期待とも言えないでしょう。 今朝は運良く巣作りの資材にするのでしょうか、口に沢山の落葉をくわえたリスに出会いました。ウチの敷地内に生息するリスのようです。その素早い身のこなしにとても懐かしいものを感じました。体長25cmほどの濃褐色の体躯の背に縦縞のあるリスでした。 日中も仮眠せずにずうっと仕事だったのでこの48時間ほどほとんど眠っていないことになります。ビジネスマンの頃は、もちろん若かったこともありますけど、こんなことはしょっちゅうだったのですが、いまではさすがに心身にこたえています。よれよれのふらふらで、こうしているうちにも眠り込んでしまうこともしばしば。 今夜はこれぐらいにしておいたほうがよさそうです。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットのある北八ケ岳は様々なアザミが咲く季節です・3)
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2003.06.23(月)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,451日目です。 今週から「高原へいらっしゃい」の再放送が始まっています。7月からリニュアルされた「高原へいらっしゃい」が始まるので、番組宣伝を兼ねているのだと思います。オリジナルのドラマは1974年か1975年の放映だったと記憶しています。登場人物のせりふの中に米国の建国200年祭(1976年)の話が出てくるから。 いま改めて見るとやはり古くささは否めない。それは時代背景という必然性もあるけれど、ドラマの作法の決定的違いがあまりにも大きいからだと思う。要するに当時のドラマはまだまだTVというメディアに対して試行錯誤していたのだと思う。まだまだ演劇臭いところにそれを感じる。 しかしテーマは不変だ。普遍的テーマは変わりようが無い。7月からの新作の放映がいまから楽しみです。それにしてもこの30年ほどの間に旅(たび)は旅行へと劇的に変化した。「旅の重さ」が決定的に異なっている。宿の側もそのような変化にしなやかに応じていかなければならないと思っています。 ぼくのパーソナルコンピュータ(Macintosh)が挙動不審になっていることは数日前から書いている通りなのですが、それに対応して改善するために都合100時間は費やしているように思います。昨日もその前日も人とおり仕事を済ませるとほとんど夜が明けていました。 昨夜から今朝にかけてすべてをゼロ・リセットしてシステムを再構築して、ようやく本来の調子に戻ったようです。しかしそのほとんどは何かをしている時間ではなく、「待ち時間」でした。この「待ち時間」こそが現在のパーソナル・コンピューティングの最大の問題点だと思います。 ということで6月23日の日記をいま書いています。いまはもう翌日の午後4時過ぎです。 お天気は終日曇りで空は明るいのですが、夕方過ぎから雨がぱらつくようなはっきりしないお天気になりました。明け方にはまずホトトギスが歌い、ウグイスやカッコウが鳴く、絵に書いたような高原の朝です。夜は夜で静かなそれは静かな高原の夜です。自然の音以外はまったく聞えない、陶然とするような甘美な夜です。 そしてぼくはといえばすでに覚醒しているのか深い眠りの中にいるのかすら定かではありません。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットのある北八ケ岳は様々なアザミが咲く季節です・2)
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2003.06.22(日)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,450日目です。 あれれ、日付がここ数日6月19日(木)のままでしたね。どうしちゃったんだろう、きちんと更新していたはずなのですが。いろんな原因が考えられるけど、どうやらぼくの健忘症という線が濃厚ですね。(^_^;) 今日も朝から晴れ、良いお天気になりました。しかし天気予報通り午後からしだいに雲が増えてきて曇天になりました。それでも最高気温は20℃といよいよ初夏だなあと感じさせるものがありました。湿度は低く風は思いのほか冷たくて、とても爽やかな一日になりました。 バラクライングリッシュガーデンの「バラクラ・フラワーショー」も大盛況だったようで、いよいよここ蓼科の中核的文化施設(観光名所でもある)になった感があります。ぼくからもいち押しです。フラワーショーは明日で終わりですが、「オールドローズ・フェスティバル」は7月6日までですからこの機会に是非訪問されることをお勧めします。 レンゲツツジも満開だし、すでに様々な高山植物が咲きはじめています。蓼科高原がもっとも爽やかな季節の到来です。ぼくのおすすめの季節は梅雨明け〜7月中旬です。道は空いているし、新緑はきれいだし、高山植物が咲き誇る季節だから。気候的にも8月ほど陽射しが強くないのでより快適なことがその理由です。 今夜もとても静かで、真っ暗な夜です。こんな大自然の中でも「恐ろしさ」といったものは微塵も感じません。穏やかで安らぎに満ちた夜です。なんといっても人間こそもっとも邪悪で恐ろしい存在ですからね。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットのある北八ケ岳は様々なアザミが咲く季節です)
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2003.06.21(土)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,449日目です。 朝の冷え込みが強かったわりに最高気温は久しぶりに20℃を越えて、寒暖差の大きな一日になりました。日中はTシャツで作業してちょうど良い気候になったのですが、日が落ちると再びぐんぐん冷え込んで夜半にはTシャツでは外に出られないほどになりました。 今日は夕陽が鮮やかなオレンジ色になってとても奇麗でしたが、それ以降は雲が山の上空を覆ってあいにく星が見えません。それでもひさしぶりにたっぷりと陽光を浴びることができて満足です。もちろん草花や森の木々たちもそれはそれは歴然とした変化を見せました。 ひとことでいうと「しゃきっ」としたのですよね。花も木も。今日はお客様がいらっしゃるので終日庭の手入れをするわけには行かなかったけれど、許された時間内で草をむしり、天然活性剤を与え、害虫の付きやすい花のプランターや花壇にはかなり濃いめの木酢液(もくさくえき)を散布しました。特に蕾(つぼみ)を持ったニッコウキスゲは格好のえじきなので、特に念入りに行ないました。農薬は使っていません。(ぼくが農薬にものすごく敏感で弱いので使わないでやっていく方法を研究したわけです) お風呂のシステム全体(特に「ろ過器」)のメンテナンスと消毒も行ないましたし、台風6号で散乱した木々の枝や木の葉を拾い集めて処分したり清掃したり・・・。予想通り多忙な一日になりました。しかし植物も動物もやればやっただけ結果的に応えてくれるからそれなりにやりがいがあります。すっかり元気をなくしてしまったパンジーたちにはあとはもう潤沢な日照以外の特効薬はありません。が、明日は午後から再び曇ってきそうなので、ちょっと心配です。 お客様の話では白樺湖〜車山のレンゲツツジの群生地はまさに満開でそれはえもいわれぬ美しさだったそうです。そういえばペンション・サンセットの庭のレンゲツツジも咲いていますね。いつもよりだいぶ遅い開花です。 また「バラクラ・フラワーショー」をお目当てにバラクライングリッシュガーデンにお立ち寄りになられたお客様のお話では、お昼時をはさんだ団体ツアーのバスの到着と一緒になってしまうとかなり混雑してゆっくりと見ることができないので、朝一のつもりで観光バスが来る前にご覧になるか、もし観光バスが停車していたら空いてくる時間を確認してスケジュールを後回しにしたほうがよさそうです。 ピラタスの森も梅雨の間に鬱蒼と茂って初夏の新緑から盛夏の濃緑へと少しずつ変化しているのが感じられます。沖縄では早々に梅雨明けだそうですが、蓼科も早々に・・・というわけには行かないようですね、天気概況によれば。ただ、梅雨のピークとでもいうべきポイントは明らかに通過したことを実感しています。 最後に今日の花のポートレイト。(こんな啓示的(?)な情景も身近にあるんですね)
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2003.06.20(金)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,448日目です。 台風6号は幸いあっけなく熱帯低気圧になってくれたようで、当地は強めの風が今日の午後まで続きましたが、被害らしいものはありませんでした。しかしそれまでの通過地点では被害に合われた方もたくさんいらっしゃることと思います。こころよりお見舞い申し上げます。 そんなことで今日は風が強くピラタスロープウエイは運休となりました。わがペンション・サンセットの庭も木の葉や木の枝で地表が埋め尽くされています。それを片づけて汚れたガラス窓を奇麗に磨くのは明日の午前中の作業です。 きょうは往復150km、所要時間6時間の買い物に出ました。まあこの辺に住んでいれば、買い物としては常識的所要時間なのですが。帰り道はすっかり日も落ちてナイトドライブになりました。道路の両側にはこの梅雨になってから一気に成長した雑草が繁茂しています。不思議なことにヘッドライトの中に浮かぶその草がなぜかふと秋のススキのように見えたのです。 クルマの運転席で、その瞬間ぼくは秋の風を感じました。秋の匂いを知覚しました。秋の月の光を見たような気がしました。不思議なことです。季節はこれから夏へとまっしぐらに突き進んでいるはずなのに、ぼくの内面では季節はすでに盛夏を過ぎて秋へと向かっているのです。 標高1700mの自宅と標高700mの山麓の街とを頻繁に往復しているせいで、そんなことを体験するのかもしれません。自宅では街より約20%も空気が薄いのですから、一時的な酸素欠乏あるいは過多による大脳整理学的ななんらかの現象が起きても不思議ではありません。 街はエアコンを入れてちょうど良いほどの気温と湿度でしたが、サンセットではウインドブレーカーを羽織ってちょうど良いくらいの気温でした。25km走って約1000mの標高差をかけ登ったことになります。所要時間約30分、いっきに酸素が20%も薄い世界に舞い戻ったわけです。 ここはオリンピック選手の高所低酸素トレーニングのメッカになりつつある場所です。そこに一年中生活しているぼくらは、日常生活が低酸素トレーニングそのものなのですね。たまに横浜に戻るといくら歩いても走っても、歩道橋の階段をかけ登ってもまったく息が切れないないのはその成果なのかもしれません。 しかしここにいて草むしりや庭仕事をする時は「日常」なわけで、当然「高所トレーニングモード」ということで、平地の30%増しのエネルギーと心肺機能、持久力を消費しているわけです。だから、はっきりいってシンドイです。まあ、身体にはいいのかも知れないけれど。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットに庭に咲いたチューリップです・その3)
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2003.06.19(木)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,447日目です。 朝のうちは久しぶりに熱い陽射しがぐったりした草花や木々に最高の恵みをプレゼントしてくれました。しかし午後になるとしだいに分厚い雲が空を覆い隠して、夕方からは風も出てきました。明らかに台風6号の影響と思われます。強めの風に混じって雨も降っているらしく、知らぬ間に襟元が雨でひんやりと濡れていたりします。 プランターの草花を風雨から守るために避難させたり、看板やラティスが風で移動しないように手当てしたりと、薄闇の中での作業が続きました。地面にはすでにたくさんの木の枝がうち捨てられたように散乱しています。この風を利用して木々が不要な枝を落としているのです。拾い上げただけでぼろっと折れてしまう枝もあります。 こちらに移住してもうすぐ10年になりますが、数年前まで台風などの後に地表に落ちている木の枝は、強風にへし折られて落下したものだと信じて疑いませんでした。しかしじっさいは違ったのです。さっき書いた通りだったのです。木の枝はそう簡単には折れたりしない、不要になった枝を風にまかせてうち捨てるだけなのでした。 自然って、すごい。考えようによっては「非情」だ。違う観点から見れば「合理的」といえるかもしれない。「われ人にあらず神にあらず仏にあらずただ非情の者なり」。自然もそのひとつなのかも知れない。だから人間の考える理屈や倫理にはいっさいかかわりなく自らの理り(ことわり)に従って動いてゆく。人間になぞらえて批判的に見てはいけない。 いま、外では風の音はしない。しかし窓外を見れば若干の雨風が木々を濡らし、枝を揺らしている。台風は長野県のずうっと北を通過しそうな気配。ぼくのこころの中の湖も、鏡のような水面(みなも)に空をよぎる雲を映している。時おり吹き抜けるそよ風に、小さなさざ波が立つ。おだやかな早春のような情景です。 風景も、自然もわれわれの外にそのようにあるのではない。我々のこころの中にそのようにあるのだ。そのように構成され、時には創作され、映し出されるものを、ぼくらは風景と呼び、自然だと思っている。ぼくらはこの世界にあって、じつはどのような存在なのだろうか。ぼくらは美しい存在なのだろうか、それとも・・・。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットに庭に咲いたチューリップです・その2)
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2003.06.18(水)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,446日目です。 今日は終日「ほとんど曇り」というお天気でした。台風6号が気になるところですが、天気予報では20日(金)には長野県を通り過ぎてしまうようなので、週末は台風一過の好天に恵まれる可能性が高いのではないでしょうか。 あくまでもぼくの個人的体感に過ぎないのですが、蓼科ではすでに梅雨のピークを過ぎたようです。というのも、日ごとに梅雨らしい「じめっ」とした感じが減少しているからです。まあ、ここでは梅雨の盛りでも家の中はさらっとしていることが多い土地柄なのですが。期待を裏切って「長い梅雨」にならないことを祈っています。 さて、ぼくの愛機PowerMac G4ですが、もうすでに4日ほどかけていろいろと改善を試みているのですが、あいかわらずいまひとつ調子が悪いのです。クラッシュするとかフリーズするとかということではなくて、完調の時に比べてレスポンスが悪いのです。外付けのハードディスクから起動するとはるかにさくさくと動くので、これはやはり内蔵ハードディスクを疑うべきかもしれません。 このようになったら「予防的」に修復作業にとりかかるというのがぼくのメンテナンス・ポリシーです。なにしろこれ1台しかPCを所有していないので、万一のことがあると業務に多大な支障がでるからです。Norton Utilitiesでは修復完了後最適化もして「問題なし」と報告されるのですが、よりプロフェッショナルなツールでチェックすると「ディレクトリの損傷が激しい」と報告されるのです。 内蔵ハードディスクを交換すべきなのかもしれない。もういちどだけ初期化してクリーン・インストールしてみて改善が見られなければ、内蔵ハードディスクを交換することになるかも。稼働時間が長いのでハードディスクは文字通り「消耗品」なのでしょうがないです。でもこのハードディスクはまだ1年しか使っていない。1日あたり12〜16時間回しているのは事実だけれど、ちょっと寿命が短かすぎないかなあ。 サンセットの庭のレンゲツツジもようやく開花しました。もうすぐマーガレットも咲きそうです。スズランはすでに咲いています。シバザクラはそろそろ盛りを過ぎつつあります。この雨を得て我々人間が定義するところの「雑草」がモーレツな勢いで繁茂しはじめています。いよいよエンジン式刈り払い機を使った「雑草」との「大規模戦闘」が始まります。チェーンソーを使った樹木の伐採もね。やっていることは樵(きこり)だよ、まったくのところ。 というようなしだいで、ペンション・オーナーというのは仮の姿に過ぎません、じつのところ。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットに庭に咲いたチューリップです・その1)
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2003.06.17(火)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,445日目です。 2日連続でパソコンとインターネットの話になってしまったのでここらで話題を変えましょうか。 その前にそれに関連したご連絡事項です。 先ほど確認したらあたらしいURLの"http://p-sunset.com"でこのサイトが表示されましたので、ブックマークに登録でない方はこちらのほうがタイプしやすいし覚えやすいと思いますので是非ご利用下さい。同様に新しいメールアドレスも利用可能になっております。それぞれ「自動転送」によって現在のサーバおよびメールアドレスに転送される仕組みですので、これまでのURLもメールアドレスの方もそのままご利用いただけます。 独自のサーバを自力で立ち上げようなんていうだいそれたことをもくろんでいるわけでも無く、単にそのほうがかっこういいとかということでもなくて、これはあくまでも便宜的なものです。特に初心者の方がURLを入力する際にミスタイプしたり、"~"(チルダ)を入力できないで苦労するなんてことのないように、シンプルで覚えやすいものにしたという以上の意味はありません。 でもね、いまの自分の感情を正直に告白するとね、自分だけの独自ドメイン"p-sunset.com"を持ったことは、ちょっと誇らしくかなり嬉しいことは確かです。これから繁忙期にはいるタイミングなので、このドメイン名によるWebサイトの構築など、あらたな展開はまだ少し先のことになりそうです。繰り返しになりますが、当分はシンプルなURLでこのサイトに「自動転送」されるという機能の利便性だけと言うことになりますが、よろしくお願い申し上げます。 さて、今日は午前6時過ぎにただならぬ轟音で目が覚めました。どどどどどという滝のような音です。そうです、ものすごい雨が降っているのでした。空から地表に向かって雲や木々の葉を貫いて一直線にまるで突き刺さるように雨の柱が立っています。都会のお若い方がご覧になったなら「これって、かなりすごくない?」って言うよきっと。まあ、古典的表現で言えば「車軸を流すような雨」でした。 プランターの花たちや、昨日移植したミヤマオダマキの花株がとても心配になったけれど、この雨では登山なみの完全武装でなければ一歩も外には出られない。しかもぼくはまだ完全に覚醒していない、眠りから覚める過程のあと水深5mのところでじたばたしている。「自然のものは自然の試練に耐えなければならない」と思い直して、レスキューはしないことにしました。 雨が止んだ午後に見回ると、花たちは思ったよりも元気でした。ただ、ミヤマオダマキの花が一輪すっかりたたき落とされていたのが痛ましかった。しかしほかの部分はダメージを受けていないのでまた花を咲かせてくれることでしょう。とにもかくにも特効薬は陽の光ですから、どうか強烈な陽光を半日でもいいから彼ら彼女らにあたえてやって欲しい、ねえ神様。 サンセットの白樺の木の下のニッコウキスゲもあと1週間ほどで花が咲きそうです。害虫に気をつけてやらないといけないクリティカルなタイミングです。でも今日咲いていなくて良かった、もしすでに咲いたいたとしたらあまりに大きく重いこの花は雨に打たれてすぐに頭(こうべ)を垂れて茎が折れてしまうから。 ことしはおむね花暦が遅れ気味ですが、ここにきて少し早まってきたように感じています。高原の花の見ごろはまさに「水物(みずもの)」です。この件についてはたびたびこの日記でもご報告いたしますので、ご参考になさって下さい。 最後に今日の花のポートレイト。(昨夏サンセットに庭に咲いたニッコウキスゲです・その2)
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2003.06.16(月)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,444日目です。 今日も昨日と同じようなお天気になりました。日照不足で花たちがぐったりしてきています。日当たりの良いところにある花は元気なのですが、こればかりはいかんともしがたいです。活性剤も肥料もほとんど役に立ちません。ちょっとでも陽が差さしたら、とにかく1分でも長くお日さまにあててやろうと思います。 一日中ほぼ曇天で、つかの間陽光が降り注ぎ、そして雨がぱらつくといった、要するに地面が乾燥する暇の無い天候でした。心なしかパルもぐったりしています。まだ夏毛に生え変わらずに冬毛が大量に残っているのでこの「暑さ」(といっても最高気温17℃ですけれど)にばてているのかもしれません。 そんな気候なので、この季節は、ぼくもぐったりしています。 昨日のカウンターのタグの書き直しの際に、文字の大きさを中心としたレイアウトを全般的にいじった(小さくした)ので多少見栄えが変わったかも知れません。初期に作ったページはいまとなっては「ものすごく文字が大きい!」という印象を持ちました。それをスキッと切れ味のよい見栄えにしたかったのですよね。別に老眼のひとを無視したわけでは決してありません、だって、かく言うぼくも老眼鏡無しでは目の前のモニタスクリーンの文字すら判読できないほどなのですから。 現在は多くのユーザーがノートPCか、デスクトップでも液晶ディスプレイでご覧になっておられる比率が高くなっていることに対応する意味もありました。基本的にはXGA、SXGA、UXGAの画面サイズで、デジタル・フラットパネル・ディスプレイ(液晶)でご覧いただくことを想定して最適化しています。 ぼくは1600×1024というワイド画面の17.3インチのデジタル・フラットパネル・ディスプレイ(SiliconGraphics 1600SW)を使っているので、この環境でちょうど良いようにしてしまうとものすごく文字が大きくなってしまいます。1年ほど前まではかなり大きめに表示されていたのではないでしょうか。いまさら心配してもしょうがないのですが。 それはさておきここにきてディスクメンテナンスツールでチェックするたびに、「このハードディスクはヤバイからはやいとこデータをバックアップしなさい」と言われているのですが、OS Xのバージョンアップにメンテナンスツールが非対応になってしまったせいなのか、ほんとうに「やばい」のかがわからなくて困っています。これまでの経験からすると、じっさいはそんなに調子が悪いということはないのですよね。さくさく動いているし、起動時間も30秒ほどだし。まあ、長年のカンに過ぎないのですが。 データはしっかりバックアップしているのですが、やはりこのマシンはMac OS9までに最適化されたものなので、OS X環境ではちょっと苦しいのかも知れませんね。となると、いよいよマシン入れ換えか・・・。それにつけても最近のOSやアプリケーション・ソフトウエアはどうしてこんなにもハイスペックなハードウエア環境を要求するのでしょうね。メモリを1GB実装していても足りなくなりそうなことがあるのですから。 割り切って「スローライフ」ならぬ「スローPCライフ」を決め込むという手もありますが、「仕事」で使うとなるとそうもいかないのが辛いところです。 このサイトの中のページで表示がおかしいものなどありましたら是非ご一報をお願い申し上げます。あ、そうそう、アクセスの利便性を考えて独自のドメイン名を取得しました。さんざん候補を考えてはすでに他人に取得されていたりしてという作業を繰り返した揚げ句、たどりついたのがもっとも分かりやすくあたり前な"p-sunset.com"です。明日の夜あたりから有効になる予定です。 URL : http://p-sunset.com あるいは http://www.p-sunset.com (従来のURLでもOK) e-mail : このページの文末のメールフォームをご利用ください。 (従来のメールアドレスでもOK) しばらくは現在のサイトに「自動転送」される仕組みとなります(特定のキーワードで検索エンジンの上位にはいってきているのと、多数の外部サイトからリンクを張っていただいていることもあって簡単には引っ越しできないという事情です)。将来的には独自のサーバを・・・というもくろみではおりますのでよろしくお願い申し上げます。 最後に今日の花のポートレイト。(昨夏サンセットに庭に咲いたニッコウキスゲです)
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2003.06.15(日)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,443日目です。 久しぶりに、というかじつに数年ぶりにHPを置いているサーバのプロバイダのサポートページのカウンターの項目を見ると、アクセスカウンターが信じられないほどバージョンアップしていた。んでもって、ぼくの使っているバージョンでは常時接続のひとが1日に何度アクセスして下さってもたった1回しかカウントされないという仕様であることがわかった。つまり同じIPアドレスからのアクセスはワンセッションにつき1回限りしかカウントされないのだと! これではアクセスの実態を反映していないということで、大掛かりなカウンター・バージョンアップ作業を行った訳です。いまやどのページからこのサイトにアクセスするかはサーチエンジンとお客様の判断しだいなので、トップページのみにカウンターを置いておくのは実際的ではない。ということで、このサイトのアクセス・カウントは総ページ・ビュー(サイト内のすべてのページに対するアクセス数の合計)に変更しました。まあ、良く見ていただいているページは決まっているのでそんなに数字に差は出てこないとは思うのですが。しかしこれにはミラーサイトにおいてある「空室情報」関連ページのアクセス数は含まれないので、じっさいより小さな数字になることにはなりますね。 ということでホント大変な作業でした。カウンタの見えないページは、単にカウンタを非表示にしてあるだけなので、すべてのページにカウンタがついているわけです。それにしても「ばかでかいサイトになったものだ」と自分でもあきれかえるほど、ファイル数もコンテンツも多いのですよ。HTMLファイルだけでも400以上あったっけ。(笑) これはそろそろ全体の構成を体系化してメンテナンスしやすくしておかないと、将来にっちもさっちも行かなくなりそうです。まあ、そんなことはアクセスして下さる方にはなんの関係も無いことなのですが、一応ご報告までということでご容赦下さいませ。ふ〜、疲れた。(^_^;) 今日もまだ「梅雨」です。あたりまえのことだけれど、そしてこんな季節も自然界にとって必要なものなのだということは重々承知なのですが、それでもなんか憂うつな気候ですね。愛機PowerMac G4君もここのところ挙動不審だし、いよいよ買い替え時が迫っているのかも。とはいえこんな経済状況では先立つものも無いのでもう少し一緒に頑張ってもらいたいと願っているのですが、この気持ち、通じるかどうか。 今日はぜんぜん蓼科らしくも無く、高原の風情も無い日記になってしまいました。ご容赦のほど。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットに庭に咲いたオキナグサです)
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2003.06.14(土)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,442日目です。 梅雨たけなわ(?)の今日この頃ですが、いかがおすごしでしょうか。蓼科もやはり梅雨空です。でも気温は平野部より10℃以上低いし、湿度も低いので「うっとうしい」なんていったらバチが当たりますね。ということで不快指数は極めて低いです。 朝のうちは陽射しがあったのに、午後になるとにわかに雲って、やがて雨になりました。ここのところとても良く当たります、天気予報。日照時間が少なくなると、とたんにシバザクラの元気がなくなります。プランターのパンジーも頭を垂れて(こうべをたれて)きます。 人間だっておんなじです。やはり太陽あっての生命なのですね。お天道さまに感謝。 雨の日には外回りの作業がはかどらないので、この季節は晴耕雨読(せいこううどく)を決め込むのだけれど、たまさかカフカの「城」を読んでいるうちにだんだん気分が沈み込んできて「これはたまらん」とばかりにうち捨ててMacintoshのモニタスクリーンに向かいっぱなしのここ数日です。 ぼくがMacintoshに向かっている時はほぼ100%「仕事」です。でもね、なんだか効率が悪い。もちろん、パーソナルコンピュータやインターネットを利用しない場合よりもはるかに仕事ははかどっているのかもしれないのだけれど、何かが違う。 良く考えてみるとそれは膨大な「待ち時間」が原因なのかもしれない。そしてちょっとしたマシン・トラブルの修復に費やされる時間と労力。それが、はかどっているのにはかどらないような印象をあたえるのかもしれない。 ハードウエア的にもソフトウエア的にもパーソナル・コンピューティングもネットワーキングも、まだそんなレベルなのかもしれない。ぼくが望んでいるのは頭の中で浮かんだアイデアが即時的に実体化できるようなシステムだから、これはいささか高望みが過ぎるのかも知れないけど。 でも、コンピューティング環境を人間の思考回路の拡張(エクステンション)と位置づけるならば、究極的にはそうであるべきだし、そうなってほしい。お恥ずかしいことなのか自慢できることなのか良くわからないのだけれど、ぼくの場合はPCを起動しないといまやほとんど何もできないところまで依存してしまっている。 これはちょっと(システムとして)危ないかも知れない。もちろんPC無しでも仕事は可能だけれど、ひどく効率が悪いし精度も落ちてしまう。いずれにしても光のように速いパーソナル・コンピュータとネットワーク環境が欲しい。もちろんこころ暖まる人間関係もね。 今も雨が降っています。静かに音も無く降りしきっています。月齢16日なのでほぼ満月、そのせいか分厚い雲に覆われているはずの夜空がとても明るいです。それでも雨。 最後に今日の花のポートレイト。(初めて越冬に成功したパンジーです)
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2003.06.13(金)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,441日目です。 このようにして、前日に書いたことを継承して書き続けることが日記の作法としては一番展開しやすいのだけれど、それがこの日記の存在理由(レーゾンデートル)かどうかはまた別の話かも知れない。かといって蓼科高原のレポートをするのがぼくの役目だとも考えていない。 この日記はあらゆる日記がそうであるように基本的に「個人的」なものだ。業務日誌ではない。 今日もまた水深3000mの深海の眠りから上昇してきて水深15mの海中でじたばたしながら目が覚めた。この「じたばた」というのがこれまで経験したことのない覚醒プロセスなのだ。毎朝小一時間はじたばたしているのではないかと思う。 そこでは様々なことが脳裏をよぎり、疑似体験され、リアルによみがえる。しかしここに書き記すまで記憶に留まることはない。これはそれが「夢」であることのもっとも有力な証拠だ。セオリー通りぼくは睡眠から覚醒に至る過程で「夢」をみているのだろう。 ひとつだけ特殊に思われるのは、その夢がひとつの独立した世界を構成していて、ぼくはいつもそこに帰っていくということだ。夢をみるたびに、ああまたこの世界に戻ってきたのだという認識がある。そこはぼくだけのために用意されたぼくが還ってゆくべき世界のように思われる。 今回の一連の思考のきっかけとなったあの写真を再び見る。女優の柴咲コウさんのポートレイトだ。プレスリリース用に撮影されたらしく、ふだんTVドラマなどで見る彼女とはだいぶ印象が異なっている。だからこそぼくは「彼女」を思い起こすことになったのだった。 ぼくはこのことを通じて新たなフェイズに自分がはいったことを実感している。それがどのようなものなのかはわからない。しかし、もうあと戻りはできないし、それは起こるべくして起こったことなのだ。ぼくはあいかわらずぼくであることにかわりはないが、何かが決定的に変化したぼくだ。 久しく停滞していた体内時計がふたたびオフ・ビートを刻みはじめたような感覚だ。濃霧が晴れ、視界が一瞬にして晴れたような感覚だ。活路を見いだしたとか、道が拓けたというようなことではないけれど、ぼくの内面では確実に何かが起こりはじめている。なにかわからないけれど、大きな変化が起こりはじめている。 外では、当然のことながら、あいかわらず「梅雨」らしい気候が続いている。いつのまにか新緑が鬱蒼と空を覆い、ペンション・サンセットをのみ込んでしまいそうになっていることに気づいてびっくりする。この時季の樹木や草花の成育の勢いには毎度のことながら圧倒されてしまう。 もし晴れていれば、今夜は15夜お月さん(満月)なのだけれど、空は分厚い雲に覆われて月影も見えない。どこまでも静かで、とても暗い夜だ。あらゆる音をこの雲が吸い取ってしまっているように感じられる。目の前にかざした自分の手の平も見えないほどの闇があたりを支配している。じつに重い、「質量」を持った漆黒の闇だ。 この闇の向こうに、必ずや光溢れる夜明けの来たらんことを! 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットの庭に咲いたビオラです)
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2003.06.12(木)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,440日目です。 昨日書いたことだけれど、「彼女」の「眼差し」がぼくに何かを訴え続けている。はやりの伝奇物語ではなくて、それはひとつのきっかけとしてぼくの中に、ぼくの心の奥深くにしまい込まれてきた「何か」を揺さぶり起こそうとしているかのようだ。 今朝の目覚ましはホトトギスではなくて、エゾハルゼミだった。このセミはこの時期に一斉に生まれてそれはすさまじいばかりの大合唱を聞かせ、そしてある朝一斉にふっと消え去るのだ。夏になった時にはそんなものがいたことすら忘れてしまうような、力強くも儚い(はかない)存在だ。 2400日以上にわたって自分のこころに映るものどもを、記録し続けてきたことにも多少の意味があったのかも知れない。それはひとのこころは時間の束縛を受けないという事実を知ったことだ。肉体的にはぼくはすでに50歳を超えたけれど、こころはいつだって20歳のあのころに戻ることができる。10歳の少年時代のあの日のあの時刻のあの場面にだって戻ることができる。 時をさかのぼることも、時間を止めることも自由自在だ。時空を越えて一瞬にして「あの時」に戻ることができる。失われたものがこの手に戻り、ぼくの人生から消え去ってしまった大切なひとが再び姿を現わす。こころの中では、少なくともこころの中では、取り返しのつかないことなど何もないと確信することができる。しかしそれは何か特殊な能力というものではなく、自由な存在だということでもない。 ハードウエア(物質的存在)としてのぼくは、自然の理り(ことわり)に従って老いてゆく。でもこころは違う。このハードウエアが支えていてくれる限り、ぼくのこころは時空間の呪縛を逃れて永遠を行き交うことができる。そのように在るこころに映る世界が、じつはこの日記なのだと思うようになった。 ここではぼくは純粋に非物質的な、つまり純粋に「精神的な存在」でいることができる。それはぼくにとってとても大切なことであり、だからこそかけがえのない「場所」になっているのだと再確認する。 だからといってここに書き記されることが「事実」であるという保証は無い。ぼくの内面のプライバシーがすべて披歴されているなどということもない。なぜならひとのこころというものは、じつに光にも匹敵する速度で躍動しているからだ。ここにしるされることなどその内のほんのひとかけらにすぎない。 そしてそこには真実も事実も願望も夢想も憧憬も錯誤もそれらすべてが未分化のまま混合している。「だから」も「したがって」も「であるが」も「しかし」も無い。そういうものなのだ。ぼくはあえて「そういうもの」を「そのようなもの」として書き記している。なぜならぼくは作家でもなければ随筆家でもないからだ。 ぼくは「セルフ・アイデンティティー」を持たない。ぼくが知っているのは「ぼくがぼくであって、それ以外のなにものでもない」という「事実」だけだ。もっと正確に言えば「ぼくは、自分があるところのものであらぬ、かつ、自分であらぬところものもであらぬ」という存在であるといえる。ぼくを認識するぼくは、自分があるところのものではすでになく、もちろん自分でないものでもない、つねに自分自身を超出するものとしてぼくは在る。だからこそぼくは自分に眼差しを向けることが可能なのだ。 このようにして思考はプラズマのようにぼくのこころをよぎってゆく。しかしそのこととぼくの幸福や幸福感とはなんの関係もない。女性はよく「幸せになりたい!」と言う。しかし男性には(少なくともぼくに限って言えば)そのような観念はない。男性の脳のしつらえにおいては、具体的にあるいは操作的にきちんと定義された理念や概念のないところに願望は生まれないからだ。 やはり男性と女性とはまったく異なった「種」であると考えたほうが合理的だと思う。どこかで「同じ」あるいは「同じであるべきだ」と考えるから不必要な行き違いが生じるのだと思う。いいかげんおたがいに「そういうものなのだ」と認めあう頃合(ころあい)ではないかと思うのですよね。 きょうは晴れ間がのぞいたかと思うと、上空から地表に吹きつけるように雲がかかって一瞬にして曇天下の濃霧状態に変わるといういかにも山岳地帯の梅雨らしい天候になりました。森の湿度が上っているのがわかります。しかし、じめじめした感覚はありません。新緑はしだいに葉緑素が増して、少しずつほんの少しずつその色を濃くしはじめています。森はこのようにして8月前には黒々とした濃緑へとその色を変化させるのです。 最後に今日の花のポートレイト。(昨秋サンセットの庭に咲いたコスモスです)
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2003.06.11(水)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,439日目です。 郵便番号が思い出せないのです。最初の3桁まではすぐ出てくるのですが、残りの4桁がわからない。忘れようにも忘れられないほど馴染んだ数字なのに。どうしても正確に思い出せない。「391-0003」いや違う、「391-0131」いやそれも違う・・・。思い出せない。なんでだろう? 静かだ、実に静かだ、なんの物音も聞えない。そしてとても気分がいい。ここはどこなんだろう。ぼくはなにをしていたんだっけ。 深海のような眠りと水深5mの覚醒との狭間でぼくはじたばた泳いでいた。 信じられないことにかなり離れた防災無線放送のスピーカーから毎日午後0時と午後6時に鳴るチャイムが聞えている。いまいったい何時なのだろう。まず、ここはぼくの部屋だ。ここは蓼科だ、蓼科のピラタスの丘の、ぼくのペンションの部屋だ。 そこでぼくは覚醒する。そうだぼくは眠っていたのだ。そしていま覚醒した。時間は午後0時。いつ床に就いたかも覚えていないほど深い眠りだった。そのような眠りが必要だったのだ、たぶん。 それは昨日彼女と再会したことが原因なのかも知れない。正確に言うなら、数十年ぶりに彼女の「空気」をまとった女性の「写真」と出会ったのが理由かも知れない。その写真をニュースのWebページで見た時にぼくは心底驚いた。そこにまぎれもない「彼女」の眼差しがあったからだ。 それは良くみればぼくもファンであるところの女優(兼・歌手)の柴咲コウさんの写真だったのだけれど、いつもと髪形が異なっていてそのために「彼女」そっくりになっていたのだった。ぼくと「彼女」の出会いについてはこちらに書き散らしてある。永遠に完結することの無い書きかけの物語として。 不思議なことだけれど50歳を過ぎる頃からいろいろな再会が「意味のある偶然」として身の回りに起きることが多くなったように感じる。それは多くの場合ひとであり、そしてものであったりもする。そして今回のようなあるひとあるいはある出来事の「空気感」のようなものだったりもする。 今回ぼくは「彼女」のもっていた「存在の雰囲気」、やわらかな息遣いと再会できた。それはおそらく(あるいは当然)被写体であるところの柴咲コウさんとは無縁のことなのだ。この写真は触媒のような作用をしたに過ぎないのだろう、きっと。 それでもぼくは「彼女」がぼくの創作上の存在ではなく、実在した生身の女性であったことをはっきりと確信できた。それほどまでに奇妙で夢のような出会いだったから、時とともにぼくの確信は再び揺らいでくるのだけれども。 最後に今日の花のポートレイト。(昨秋サンセットの庭に咲いたマツムシソウです)
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2003.06.10(火)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,438日目です。 気象庁の発表によれば、関東甲信越地方は6月10日ころに梅雨入りしたとみられるそうです。はたして今日は午後遅くになって本格的な雨模様になりました「6月10日」ではなく「6月10日ころ」と「ころ」がついているところがなんとも言えず良いですねえ。 こういった「曖昧表現」も悪くないです、そんなにクリティカルな問題でなければ。 さすがにこの降りになるとプランターの花たちを軒下に避難させたり、雨よけをしてやる必要があります。強い氷雨に打たれ続けるとさすがに花も参ってしまいますから。強い雨の打ち付ける薄暗がりの中で、花たちの世話をしているとこの季節の存在感がぐぐぐと迫ってきます。それはとても不思議な感覚です。 濃密な季節の気配とでも表現したら良いのでしょうか。雨の宵はまた森の存在感をもっとも感じる時でもあります。すっかり新緑に覆われたこの季節には、雨の音がこれまでとは変わります。直接地表を打つ音を通奏低音のようにして、新緑を打つ音が妙なる音楽を奏でるのです。同じように木葉を打つ音ですが、瑞々しい新緑を打つ音と、秋の落葉前の乾いた紅葉を打つ音とはまったく異なります。 雨にはぼくを物思いに耽らせる何かがあります。雨の日には、あるいは雨の夜には、ぼくは落ち着いてじっくりと「まとも」にものを考えることができます。なぜかはわからないのですが、我が敬愛するウォンウィンツアンの音楽と相通じるものがあるように感じています。 ウォン氏とぼくとの不思議な(個人的な)縁(えにし)については以前に何度も書いたので、今日は書きません。氏の音楽にまだ出会っていないひとは是非上記のサイトで試聴してみて下さい。彼が音楽で表現しようとしている世界と、ぼくがこのサイトで目指している世界とは同じものだ、と彼は言いました。 それはある意味において必然なのだということもぼくらは感じています。精神世界の奥深くではなにもかも一切合切がなんらかのかたちで「繋がって(つながって)」いるのです。精神の奥底に存在するものをかいま見たものは結果的に同じことを語らずにはいられないのです。 今も雨は静かに降りしきっています。いかにも梅雨らしい降り方です。それでもじめじめした感触がまったく無いのが蓼科の梅雨の特徴です。この湿度の低さが蓼科の気候の特筆すべき美点です。ほかの土地に比べて梅雨の季節が短いのも蓼科ならではです。この土地はぼくの心身にとても合っているようです。 だからこそ、もうすぐ移住10周年を迎えることになるのですが。 最後に今日の花のポートレイト。(サンセットの庭に咲いたミヤマオダマキです)
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2003.06.09(月)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,437日目です。 今日はチェックアウトのお客様をプール平まで車でお送りしてお見送りしてから、仕事のうち合わせで来客があったり、仕事相手先のメールの返信に忙殺されたり、温水シャワー洗浄機付トイレへの改修工事をやったりで忙殺されました。 ちょっとした工事や修繕なら自分でやるしかないのが山暮らしの定めです。工事はとてもうまく行きました。ちょっと印象がアウトオブデート気味だったトイレット・ルームがものすごく明るく洗練された雰囲気になりました。塩素や消毒用アルコールで消毒殺菌を徹底しているので、もともと明るくて清潔感を感じさせる部屋だったのですが、それに加えてずいぶんくつろいだ雰囲気になりました。さらにホテルと同じ紙製の使い捨て便座カバーを備え、実際的にもとっても清潔な設備となったわけです。 それはさておき、そんなことで(特に)工事を一気にやってしまおうと頑張りすぎたのがたたって、工事完了後に急激な頭痛と吐き気に襲われてしまいました。もう起きていられないほどです。ちょうどサイクリングで長い急坂を自分の体力以上のペースで飛ばして貧血を起こして倒れた時に良く似ています。それでなくともここは標高1700mでスポーツ選手が「低酸素トレーニング」を行っている場所ですから、酸欠になってしまったのは事実のようです。 あいにくスポーツ用の酸素ボンベを持っていなかったのでとてもつらいことになりました。明日にでも購入しておこうと思います。ふだんから十分な運動をしていればこんなことにはならないのですが、この季節はついつい運動不足になってしまうのです。平地より約20%も空気が薄いところでは急激な動作や運動はタブーだということを再認識しました。 今日のことは、まあこの春からの疲れが蓄積していたという背景もあるのですが、やはり40代のころと比較すれば体力的な衰えが歴然としています。気持ちは100mも先に行っているのに、自分は足がもつれてまだここにいるといったことが多くなってきました。気持ちのほうを実年齢に合わせて修正しなければいけませんね。 今夜も冷え込みが厳しくなっていますが、日中もラウンジでは窓を閉めてハロゲン・ヒーターにあたりながら会話をしてちょうどよいくらいでした。陽射しは暑いくらいなのですが、風は冷たくて日陰はとても寒く感じました。 この季節の夜はほんとうに静かです。窓を開けて耳を澄ますと渓流を下る雪解け水の音が森の彼方から聞えてきます。夜に鳴くウグイスの声が聞えます。もちろんフクロウやミミズクの声も。もうすぐ夜明けです、そろそろホトトギスやカッコウが鳴きはじめる時刻です。(28時)
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2003.06.08(日)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,436日目です。 今夜は冷え込んでいます。大気中の水蒸気が夜露となって地表に落ちるので、夜空がとても奇麗です。しかし宵のうちは上弦の月が明るくて星が良く見えないのが難点です。真夜中頃には月が西に沈んで、満天の星空を望むことができます。 静かな夜です。とても穏やかで静かで、まるで新年がやってくるみたいな感覚です。じっさいにそのような夜だからそのように感じるのか、いつもと変わらない夜なのにぼくの心がいつもと違っていてそんなふうに感じるのか、正直言って定かではありません。 今日一日強くてエネルギーに満ちた初夏の陽光を受け止めた草花たちはたちまち元気を取り戻しました。朝と夕方とではたたずまいの勢いというものが違います、花や葉の色味もぐっと鮮やかに濃くなって大地に突き刺さったようにしっかりと立っています。 今年は昨年来の土壌改良が功を奏して芝桜(サクラソウ)がとても元気に咲きました。ものすごく奇麗です。ぼくは感動しちゃいました。レンゲツツジも咲き始めました。白樺湖〜車山の群生地ではいまちょうど5分咲きだそうですよ。 それにしても花の写真は夕方の赤みの増した逆光で撮影するのがぼくとしてはベストだと思っています。そのような好みだということに過ぎないのですけれど。以前は空や雲の写真ばかり撮っていたのですが、最近は「花のポートレイト」ばかり撮っています。一番好きなのは人間のポートレイトなのですが。 最近は人間や犬や猫に限らず花や木もその内面を写し取ることができるのだと信じるようになりました。だから「花のポートレイト」を撮影しているわけです。花の内面ってなんだと聴かれると困るのですが、それは各自でご覧いただいて感じていただく他ないと思います。何だか変なことを言っているのかな、ぼくは。 ここ数日お客様がいらっしゃるにもかかわらず、一番鶏(いちばんどり)が鳴き始める頃に、といってもピラタスの森ではホトトギスなのですが、ようやく更新を終えて床に就くことが続いているので、これはそろそろ改めないと体力的に危なそうです。 ということで、今日写した写真は明日以降掲載するということにして、もう床に就くことにします。森はすっかり緑に覆われ、透き通るような新緑ときらきら輝く新緑の照り返しとちらちらと瞬く(またたく)木洩日(こもれび)の世界になっています。特に夕方木々の幹の間から漏れるゆらゆらと揺れる光は、まるで水中にいるかのような錯覚を覚えさせます。 それはじつに感動的な体験です。ぼくがもっとも愛する季節のひとつです。
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2003.06.07(土)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,435日目です。 今日は気温が上がらずどちらかといえば寒い一日になりました。というのも朝のうちは多少陽差しがあったのにやがて雷雨が始まったからです。あえて言えば「曇り時々雷雨」というのが今日のお天気を良く言い表しているかも知れません。 先日日記に書いた「温水シャワートイレ化計画」は明日設置完了予定となりました。思ったより早くできそうなのでほっとしました。昨今はご自宅でお使いのお客様も多いので、それがない旅先は落ち着かないというかいまいち気分が悪いというか、そんな感じではありませんか?ぼくもかつて(旅行者として)同等の評価をしている宿があったとしたら温水シャワートイレのある方を選びましたからね。 まあ気にならない方には一切気にならないことかも知れませんが、気になる方、それが生活習慣として必要な方にとってはとても重要なファクターかも知れません。そのことがずうっと気になっていたのですが、扱い慣れない方や小さなお子様が誤って水をかぶってしまっては一大事ということでこれまで見送ってきたという事情があります。 しかし最近の製品は着座センサーや水流の制御が格段に進歩したのでそろそろ大丈夫では無いかと判断して、導入に踏み切った次第です。多少なりともお客様の快適度向上に資すればよいのですが。なんだかトイレの話になってしまいましたね。それがなんであれ道具にはとことんこだわるたちなものでしょうもないことです。(笑) さて、今年は季節はずれの雷雨が多い年のようです。今日もそうですが4月〜6月に本格的な雷雨があることは珍しいことです。きょうなんかさんざんゴロゴロ言ったあげくに落雷が始まるとものすごい勢いで雹(ひょう)が降ってきました。奇妙な表現ですが、土砂降りの雹(ひょう)です。 このへんの住人は(これまで知人が落雷で亡くなったことがないので?)平気です。いよいよ雹(ひょう)が降り出して「こりゃたまらん」となるまでは平然と外で作業していますね、ぼくもそうだけれど。人間死ぬときゃあ死ぬんだ。 こんなことを言うといま死と直面してその状況と戦っている人たちに対して不謹慎ではないかと言われるかも知れない。でもね、大自然の中で暮らしていると自分もそのほんの一部に過ぎないことを思い知らされるんだ。動物や鳥や木や草花や、様々な生と死に直面しその目撃者となる。そうなると自(おの)ずと死生観も変わってくるんだ。 生きているということは死に直面するということだ。生きているということは死と向かい合うための必須条件だ。それでもひとはいざ死と直面せざるを得なくなると、どうしようもなく「生きたくなる」ものなのだ。「死にたくない」というよりは、じつは「生きたい」と思うのだ。ぼくみたいにしょうもない人生だったとしてもね。 とはいえ、人間は自分の死に方を選べない。ただし、自殺は別。 なんか、フェアじゃないような気がする、ねえ、神様?
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2003.06.06(金)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,434日目です。 わははは、と笑ってごまかすしかないですね。じつはすっかり忘れていたのね、日記の更新。今夜はいろいろ仕事が重なっちゃって、あ〜終わった〜!と思って寝てしまった。(笑) まあ、それほどこの日記はぼくの「日常」になっているということの証左(しょうさ)なのでしょうね。とにもかくにもごめんなさいです。ということなのですが、昨日キーボードを取り換えてみたのよ〜ん、と書いたのですが。ある作業で大量の数字を入力することになって、それをやっているうちに「テンキー」の無いキーボードに耐えきれなくなってしまいました。 き、き、切れた!って感じでしたね。ものすごいストレス。で、これまで使っていた巨大とも言えるアメリカンサイズのフル・キーボード(Apple Extended Keyboard ll)に戻したわけです。このキーボードは実に大きくて、そうですね、今どきの家庭用ファクス付き電話機の1.5倍ほどもあって、重さは15インチのフルスペック・ノートパソコンより重いといえば感じが伝わるだろうか。 8年前で3万円近くしたから、ものすごい高級品かも・・・というよりは「ちゃんとした」作りのキーボードです。キータッチが全然違うしとにかく使いやすいことこの上ない。ぱたぱたいわないし、かちゃかちゃともいわない、いわんやぬちゃぬちゃなんかしない。 ソフトすぎずハードすぎず静かでほど良いキータッチ。クリック音が無いのに一定のストロークできちんと入力ができる不思議な感覚です。身体の一部のようになる適切なキーピッチとキーストローク。揺れが無くどこまでも安定したキートップと確実な動作。工業製品とはかくあるべしといった製品です。ぼくはこういうのに弱いのです。 キーボードはぼくにとっては文字通り筆記用具そのものなのでどうしてもこだわるところです。 さて本題(?)ですが、ぼくのペンション・サンセットも「同じような感覚」によって構成されていることに気づきます。目に触れるもの、肌で感じるもの、空気感、嗅覚に訴えるもの、音の聞え方などなど、人間の五感をものさしにして、このペンションはかたちづくられています。 もちろん夫婦2人の力ではそれらを完ぺきに演出したりメンテナンスすることは不可能かもしれません。それでも、そのことを「意識」しているのといないのとでは長い間に雲泥の差がつくと思うのですよね。元来ぐーたらなぼくにはつらい仕事ですが、仕事はきちんとやるというのがぼくの主義なので、そのようにがむばっているわけです。(笑) まあ、あらを探せばいくらでも出てくるのですが、あまりに完ぺきなものは(人間でもそうですが)ひとを緊張させるということもぼくは(いまでは)知っています。ここみたいに圧倒的に自然が勝(まさ)っている土地では、なにもかもをシミひとつなく磨き上げるためには人生のすべてを捧げても足りないというのが現実ですから、「完ぺき」を目指すのはあまり賢明な選択とはいえません。 全体(ゲシュタルト)としての印象が大事だと思います。細かいことは記憶に残らなくても、ぬくもりとか、心地よさとか、楽しさとか、安らぎとか、クリーンな印象とか、そんなものの総体をお客様にお持ち帰りいただければぼくとしては大成功なのです。 ペンションには「形而上のペンション」と「形而下のペンション」とが存在する。(ペンションの法則・その3) ぼくのペンションは前者です。あえて難しげに表現しましたが、厳密に言うとそういうことになる。要するにお客様の「こころ」をおもてなしすることを使命と考えているということです。TVゲームよりは読書、アクション映画のビデオよりは窓外の景色、カラオケよりは野鳥の歌声がふさわしい場所です。 オーナーが小難しいことばかりいっていると嫌われる。(ペンションの法則・その4) ははは、やばいかも。でも、ぼくは「変幻自在」ですから大丈夫。形而下から形而上まであらゆる話題にしっかりとついていきますからご心配なく。とにかく多趣味なもので(要するに下手の横好き)・・・。ぼくはけっこう面白い人物なのかも知れないと、いま「ふと思った」のですが・・・。どうなんだろう?
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2003.06.05(木)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,433日目です。 昨夜からこの日記のレイアウトが少しおかしくなっていましたが、気がつきましたか?じつはぼくはいまさっき気がついたところです。これはまれにこのソフトウエア(Adobe GoLive 6.0.1J)で生じることなので、バグだと思います。お見苦しく、大変失礼いたしました。 キーボードを替えてみました。気分が変わります。ぼくはApple純正の年代物の機種を含めてキーボードを5台持っています。それぞれに個性があって、一長一短なのですが、それが気分転換にはいいのです。どれもけっこう値が張りましたが、こだわりというのはそのようなものだとあきらめています。 こだわるとお金がかかる。(教訓) ペンション経営も同じで、こだわりすぎるとお金がかかりすぎて屋台骨が揺らいでくる。(笑) などという話も笑い事ではない昨今ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか、なんて調子で始まる某サイトがぼくは大好きなのですが、まねしちゃいけませんね。とはいえ、小説でも何でもそうですが読んでいるうちに文体とかリズムとか調子が似てきてしまうことが多いのですよね。 ペンション雑誌なんかを読んでいてもなんだか自然に似たようなことを言ったり書いたりやったりするようになるということもあります。だからぼくはペンション雑誌や他のペンションさんのHPはできるだけ見ないようにしています。みなさんすごい設備、すごいお料理、すごいサービスをなさっているので、なんだか自信が無くなっちゃうということもあります。 ウチなんか人間でいえば無芸大食の超凡人といったところなので、とてもかないません。やはり商才のある人、経営者の器をもったひと、リーダーシップのある人にはかないませんわ。ふー、憂鬱です。 凡人はどんなに努力したところで「努力する凡人」というタイトル以上のものはもらえないのですよね。凡人にしては良くやった、とかね。でも世の中の大多数のひとは、統計的には「凡人」なのですから、そんなにがっかりすることもないのかも知れません。 むかし電通総合研究所が当時のトレンドを「知的普通人」というキーワードで表現したことがあったけど、ペンション・サンセットは開業以来ずうっと「その線」で来ているように感じます。「知的ライフスタイルを持ってはいるけれど、いまひとつ決め手に欠ける」と「自分では思っている」ひとのことだとぼくは考えているのですが。 ペンションは経営者の人柄に似てくる。(ペンションの法則・その1) いまの時代ではあまりトレンディーとは言えないのかも知れないなあ。ぜんぜんトレンディーじゃないんだ、きっと。でも、べつに「トレンディー」じゃなくってもいいんだ、ふん。でも、つぶれちゃうのは困るなあ。(笑) ということで、唐突ですがペンション・サンセットではすべてのトイレを温水シャワートイレ(TOTOウォッシュレット)にアップグレードします。来週にも工事完了の予定です。女性の方には特に快適にお使いいただける設備だと思いますし、男性でもおしりに困った爆弾(=痔)を抱えている方には必須アイテムだと考えたからです。ぼくも経験者(手術しました)だからその辺の事情がよくわかるのです。 ウイズバスのお部屋のバスユニットの中は湿度が高くなるので感電の危険を避けるために法的にシャワートイレ等の設置ができませんので例外となります。今回勉強してぼくも初めてこの理由を知りました。 ホテルと同じ使い捨てタイプのペーパー便座シートなどとあいまって、ペンション・サンセットのトイレは(お風呂もそうだけれど)とても清潔で(南側にあるので)とても明るいです。 でもね: お客様の快適度向上設備に投資したからといってそれでお客様がいらしてくださる ンなところで、今日はお終いですが、しばらくの間ぼくの目から見た(といってもお客様になったつもりで)自分のペンションのことを些細(しさい)に見ていこうかな、という企画をやろうと決めたところです。ペンションが「ネタ」をばらすようなことをするのはいががなものかとも思うのですが、どんなもんなんでしょうかね。う〜ん。
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| 2003.06.04(水)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,432日目です。 30数年前「高原へいらっしゃい」というテレビドラマが放映されました。一流ホテルマンだった一人の男が自分の理想のホテルを実現すべく野辺山高原の廃ホテルを手に入れるところからストーリーは始まります。 詳しいことはWeb検索して調べていただきたいのですが、当時そのドラマに感銘を受けその後「高原へいらっしゃい」を自分なりに実現しようとした人たちがたくさんいたことを、今回Web検索してみて知りました。 そして、ぼくもそうだったのかも知れない、ということに気づきました。 ペンション・サンセットを開業する数年前に再放送を観たのですが、あらためて「現実的に」感銘を受けました。その感銘は「あんなふうに自然の中で仕事をしたい」というようなものではなく、そのような環境で自分の理想とする仕事を形にしたい、そこに自分の人生の喜びや意味を見いだしたい、というものでした。 そしてそれなりのキャリアを積んだいま、主人公の経営者としてのあるいはリーダーとしての苦しみや喜びが実感としてわかるようになってきました。そうして思うのです、あのホテルはきっと成功を続け、そしていつしか破綻せざるを得なかったのだろう、と。 嫌なことを言うようだけれど、主人公と同類のぼくにはわかるのです。理想のみを追い求めていくとどんなビジネスでもいずれ破綻するものなのだと。ことばを変えるならば、ビジネスである以上どこかで妥協しなければならない、どこかで自分の理想や理念に反する決断をしなければならないということです。 ほんとうにお客様のことだけを考えて、数字のことを二の次にするならば素晴らしいホテルが実現するのはある意味で自明の理なのだ。しかしそれが利益を生み再投資へと回転していかない財務体質に陥ると、理想はうたかたの夢で終わってしまう。経営者にはそれは許されない。 素晴らしいホテルを実現したならばそれをどこまでも継続し、進化し続けなければならない。その進化に終点はないし、それを実現し続けるための資金を利益として計上し蓄え膨らませ続けなければならない。ビジネスの才覚のない、もっとはっきり言えば商人になりきれないぼくにはそれはきっと至難の業だと思う。理想ばかり追い求めて足元がおぼつかない。 それではいけない、いのちを削ってでも大改革をしなければいけない、と決意して改革を形にしたのがこの春からのペンション・サンセットです。バブル経済崩壊後に開業したぼくらはペンション・ブームも、なにもしなくても右肩上がりになってゆくような売り上げ増も経験したことがありません。資金力のない分は知恵を絞る他ない。豪華さを競うような設備投資ができない分、質素で清潔な空間をご提供し、ソフトウエアの部分で勝負するしかないのです。 米国の大資本を相手に孤軍奮闘するベンチャー企業家みたいな気分です。 でもこれまでの全思考がひとつひとつかたちになってゆくのを目の当たりにするのは感動です。ご宿泊料金から想像していたよりはるかに上等なサービスを満喫したと感じていただけたときが無上の喜びです。 それはこれまでのペンション・サンセットも同じだったのですが、それを評価するのは最終的には再びサンセットをご利用いただけるかどうかというリピート率、売り上げ金額と純利益、そしてご宿泊人数の増加という冷厳な数字であるところにこれまでとの違いがあります。 そんなことはお客様には見えないしまったく無関係な水面下のことなのですが、それは穏やかな雰囲気の中にひとつ「ピリッ」としたものがあるという形で感じ取っていただけると思います。お客様ひとりひとりにとっての最上のサービスをご提供すべく、これまで以上にぼくは(良い意味で)緊張しています。
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| 2003.06.03(火)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,431日目です。 今日もいい天気でした。初夏らしい陽射しにさらさらと流れる風。いつのまにかすっかり茂った木々の間から白い光線がゆらゆらと地表を照らします。目を閉じるとちらちらと揺れる木洩日(こもれび)が心地よい。でも、吹き抜ける風はぞくっとするほど冷たい。 こんなにくっきりと蓼科山全体を見るのは何日ぶりのことだろうか。眼の前の谷をはさんで直線距離で1kmほどしか離れていないのにね。その谷を雲が流れてゆく。じつにここは標高1700mなのだと自覚させられる一瞬です。 写真を撮影することができなくなってもう半年近くなります。もちろん、カメラまかせで写すことはできます。ぼくが言っているのは自分の創作活動としての写真撮影のこと。もちろん趣味のそれもホントに初心者に過ぎないのですが、それでも自分の心に映った映像をなんとか写し取りたいと願っています。でも、いまのぼくにはそれができません。かつてはそれができた時期もありました。 いまはそれができない。 水彩画を描いている友人にその話をすると、自分にもそんなふうに「描けない時期」がある、といわれました、写真だって同じなのではないか、と。そんなときはたいてい(あとになって気がつくのだけれど)「考えすぎている」のだ、と。でも、それもまた必要なプロセスなのかも知れない。 ペンションとして生き残るために、経営責任者としていまぼくの頭の中では全力回転で物事が進行しています。外からは見えないから、妻にはぼくがなんでこんなに焦燥(しょうそう)しているのかがわからない。良くあるパターンです。そしてそれはしかたのないことでもあります。 しかし、それはすこしずつではあるけれどかたちになりつつあります。感覚としてあるいは実体として。お客様の視点からはある種の心地よさとしてあるいはちょっとした感動として。理屈を越えた「なにか」のある宿になりたいと思っています。そうした意味ではぼくとしては「ペンション」という概念にはこだわりたくないと思っています。 「もしそれがアヒルに似ていて、アヒルのように歩くなら、私はそれをアヒルという。」という有名な命題がありますが、それはひとつの真理ではあります。ぼくはアヒルといわれたくないアヒルになろうとしているのかも知れません。
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| 2003.06.02(月)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,430日目です。 今日は朝からすっきりと晴れ、ものすごく冷え込み、そしてかなり暖かくなりました。雲も少なく風もそよ風ていどでとても気持ちの良い一日でした。夕陽がとてもきれいでした、そして再び冷え込んできています。典型的なこの季節の山の気候に戻りました。 昨日から今朝まで徹夜だったので、いま眠くてしょうがありません。でも今日はご宿泊のお客様がいらっしゃるのでがむばっているわけですね。(笑) プランターの花たちも冷たい雨とその後の強風にちょっとめげていましたが、天然の活性剤HB101をあたえると、あとはお日さまを目一杯受け止めて1時間後にはしゃきっと元気になりました。これまでの経験で(人間と同じで)植物もあまり甘やかしすぎるとひ弱になるのでできるだけ自然の中に放り出しておくようにしています。 その良い例が、越冬して初めて花を咲かせたプランターのパンジーやビオラたちです。彼らの強さたくましさ美しさは今年購入した花苗とは一線を画したものです。何があっても大丈夫、といった力強さが伝わってくる咲き方です。なにしろこの10年間で初めて越冬して生き延びた花たちですから。 晴れている間にやっておかなければならないことが山積しています。夏から秋そして冬のシーズンに向けての企画やサービス内容の見直し等々のデスクワークというか、ブレーンワークやそのための独自取材も山積です。この春から始めたペンション・サンセットの変身計画はおかげさまで順調に進んでいます。お客様の反応も良いようで少しほっとしていますが、本番はこれからです。 どこがどう変わったかということは企業秘密で非公開なので、是非いらしてご自身の五感で確かめていただければ幸いです。(^^)
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| 2003.06.01(日)------------ この日記を書きはじめてから今日で2,429日目です。 昨日は台風なんてまったくどこにいるの、といった静けさだったのですが、未明から風が強く吹きました。轟々という森の木々のざわめきが二重ガラスの窓を通して聞こえてきます。その音にかき消されてか、そもそもこんな日には鳥たちも鳴かないのか、ただならぬ風の気配を感じます。 風が強いと雲が吹き飛ばされて気持ち良く晴れることが多いのですが、今日は大量の雲が次から次へとやってくるので、一瞬強烈な陽差しがあったかと思うとすぐにまた雲の中にはいったりとなにやら落ち着かない1日になりました。気温も夜には4℃まで下がって強風と相まってものすごく寒く感じました。 その証拠にシベリアン・ハスキーのパルがとても気持ちよさそうに(文字どおり「涼しい顔」をして)風に吹かれて外で熟睡しています。この季節にここまで強く暖房を入れるのは何年ぶりのことでしょうか。 今日は北横岳と赤岳山頂で「八ヶ岳開山祭」が執り行われ、たくさんの登山者で賑わいました。しかし気のせいか例年より人数が少ないように感じました。やはりこんな時代だからかも知れませんね。いよいよ本格的に登山・山歩きシーズンを迎えます。 未明になって、つまりこの文章を書いているいま現在、風は収まりました。午前4時半には空は白々と明けて今日はよい天気になりそうな予感に満ちています。鳥たちの声が喧(かまびす)しいばかりに美しく森に響いています。今朝はウグイスやホトトギスといった常連に混じってカッコウが比較的近くで鳴いています。 起き抜けだったら「至上のひととき」なのでしょうが、完全徹夜状態だとなにもかもがうつろでそんな風流なこともいっていられないというのが実感です。まあがんばった甲斐あってか、愛機PowerMac G4は数段速度が上がったように感じます。ハードディスク内が無政府状態になりかけていて、ソフトウエア・クラッシュ寸前のかなり危ない状態になっていたようです。 こういう作業というのはまったく無駄なような気もするし、現在においてパーソナル・コンピュータをヘヴィに使う以上、しょうがないことなのかよくわかりません。ただはっきりいってぼくにとっては無駄な時間だということは断言できます。(30時)
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誰のこころにも忘れがたい想い出の風景があります。
サンセットは北八ヶ岳の標高1700mの白樺林にたたずむ雲の上のペンション。
時間が止まったような、自然と一体になった不思議なやすらぎをあなたもどうぞ。
忘れがたく美しい風景の中で静かな人生の休日、心の日曜日をお過ごし下さい。
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