- 2002年11月 -
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"It exists across the universe"
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| 2002.11.30(土)------------ 今日サンセット最寄りのピラタス蓼科スノーリゾート(スキー場)が予定通りオープンしました。積雪十分です。あいにくぼくはまだ滑っていませんが、雪質抜群ですよ。(^^) 蓼科高原のすべてのスキー場が12月7日(土)にはオープンします。道路は現在のところ乾燥路面になっていますが、深夜早朝あるいは日陰は路面凍結に十分注意してください。タイヤチェーンは必ず携行してください。文字通り「転ばぬ先の杖(つえ)」ですから。 山麓の街ではまだ紅葉を見ることができます。高原部は東山魁夷(ひがしやまかいい)画伯の絵のような落葉松の紅葉がそれは美しいシーズンです。この季節はあまりの静けさについつい朝寝坊してしまいます。おそらく自然の音はあるのです。でも、心に刺(とげ)を刺すような音は一切なくて、心地よさだけが眠りを満たします。 ------------------------------(20時) |
| 2002.11.29(金)------------ 今日も一日「引きこもって」(?)、情報収集や細々とした仕事を片づけました。前段の「情報収集」というのはじつはノートパソコンの情報収集です。現在はDTPに使えるくらいの結構フルスペックのマシンを使っているのですが、最近それがヘヴィに感じられるようになってきたのですね。 もっと「かろやかに」ネットワークやPCを使いこなしたいと感じるようになってきたのです。現在のPC環境に特に不満は無いのですが、なんか精神的に「重い」のです。大仕事になると根が生えたみたいにPCの前から離れられないのもなんかつらい。あちこち気分しだいで動き回りながら仕事したいなんていう(ぜいたくな?)願望に目がうつろになってきちゃいます。 サンセットも無線LAN環境(グローバル・スタンダードのIEEE 802.11bを基本とするWi-Fi認定規格準拠/2.4ギガヘルツ帯使用)が整ったし(あ、これはお客様も無料でご利用になれますよ)、そろそろデスクトップ型ではなくてラップトップないしノート型PCが道具としてはふさわしくなってきたのかな、と。ぼくはずうっとMacintoshユーザーですが今回はOSにはこだわっていません。Mac OS X(=UNIXになっちゃった)に慣れていればWindows XPはマニュアル無しでも直感的に使いこなせるので・・・。 で、いまマシン的にいちばん気に入っているのはIBMのThinkPadのR32なのです。あの「トラックポイント」というポインティング・デバイスが最高、キータッチも最高、デザインも大好き。あれでMac OS Xが動けば完ぺきなのですが、現在はWindowsマシンなのですね、基本的には。いっそWindowsに「逆・スイッチ・キャンペーン」しちゃおうかなんて思ったり・・・もちろんWindowsが使いたいからではなくてThinkPadが使いたいからですが。(笑) まあWindows用ソフトウエアを一から買いそろえるのもそれはそれは大変なことなので、まずは"PowerBook G4"(ノート型Macintosh)が順当な選択かも知れません。もちろん1ライセンスのソフトウエアを2台以上のマシンで使う「不正コピー」をやろうなんていうのではないですよ、資金調達のために現在のマシンは下取りに出すことになりますから。 この「パワー・ブック」はぼくのあこがれのマシンであり続けてきたのですが、キーボードのタッチがどうしても気に入らない。ポインティング・デバイスとキーボードに関してはどうしてもThinkPadが良い。う〜ん、どうしたもんだろ。 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.28(木)------------ 天気予報は大外れでした。積雪はほとんどありませんでした。朝から明るい陽射しが窓のカーテンを貫いて部屋を明るい光で満たしました。しかしすでに積雪した分はほとんど融けることはありませんでした。まあ、道路は乾燥路面になっているのでこれでよしとしなければならないですね。 季節はどんどん進んでいます。もう「冬」だといって良いでしょう。 ペンション村の中でもインターネットに縁のあまりないというか理解が深くない人たちから良く言われるんです、「引きこもっていないでもっと外にでておいでよ」ってね。悪意の無い発言なのは良くわかるのだけれど、やっぱり「冗談じゃない!」って思ってしまうんですよ。 彼らはぼくがどれだけたくさんの「仕事」や「作業」やじつに様々な人たちとの「交流」を夜に日を継いで行っているか、そのことが全く理解できないのだ。ぼくとしては広大な「ネットワーク社会」と狭い「地域社会」とを対立概念として捉えてはいないし、どちらに比重を置くのが良いのかなんてことはひとそれぞれだと思っているから、一切反論はしない。面倒くさいから説明もしない。 でもね、気になるのはその発言の背景にあるもの、すなわち「とにかく地域社会が大事」、「個人の尊厳」よりも「地域社会が大事だ」という「傾向」には「それは違うよ!」とはっきり言いたい。「個人」が「地域社会」を形成しているのであって、断じてその反対ではない。「個人」は「地域のしもべ」ではないのだ。この国もいいかげんに「個人」を確立して欲しい、「地域住民」ではなく(本来的な意味においての)「市民(Citizen)」になって欲しい。 偉そうなことは言えないのだけれど、それだけは「お願い」したいのです。じゃないと本当にだめになってしまうよ、この国も民も。 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.27(水)------------ 今日という日を厳密に記録するのはとても困難を感じさせる。時に粉雪が吹雪き、時に晴れ間がのぞき、おおむね曇りだがまた時に積雪するといった具合だから。ちなみに現在は雲が流れて満天の星空になっている。が、天気概況ではへたをすると大雪といっているのだから、その通りになるのかも知れない。 先の冬が終わって以来はじめて最高気温・最低気温がともに氷点下になった。冬らしい気候になってきたけれど、9年前の今日未明にこの地に到着したときも雪が降っていた。その朝の最低気温は氷点下16℃で最高気温は氷点下8℃だったことを記憶している。何しろびっくりしたから。 そう、ちょうど9年前の今日ぼくらは「ここ」に引っ越して(移住)してきたのです。住み慣れた横浜の一切合切(いっさいがっさい)を処分して、(文字通り)決死の覚悟で。 おかげさまで何とか開業満9年を迎えることが出来ました。サンセットをご利用いただいたお客様に心より感謝申し上げます。そして(なぜか?)サンセットを気に入ってくださって足しげく通ってくださっているリピーターのお客様には申し上げる言葉も無いくらい感動しております。どうも言葉が適切ではないかも知れないのですが、この「感動」という言葉以外に適切な言葉が見つからないのです。 ぼくにとってこの9年間はひととひととの出会いというか「縁(えにし)」というか、この世界の絶妙な成り立ちを感じさせる体験の連続でした。あんまり繰り返すと安っぽくなりますが、「感謝」という言葉につきる思いでぼくの心はいっぱいです。 「無芸大食(むげいたいしょく)」、「無為徒食(むいとしょく)」を絵に書いたようなぼくですが、このペンションが多少なりとも皆さまのお役に立てるよう今後とも「精進(しょうじん)」していく所存ですので、今後ともご愛顧よろしくお願い申し上げます。 たまにこんな「殊勝な」(?)ことを言ったからって、笑わないでくださいね!(^^ゞ ------------------------------(23時) |
| 2002.11.26(火)------------ 今日は未明から強風が吹きすさび、かたくり粉のように微細な粉雪が真横に吹きつけた。空を見上げれば上空は薄い青で雲が朝焼けに赤く染まっている。しかし地表に近くなるほど雪雲は濃くなりその中にいるわれわれは微細な粉雪の吹雪の中にいる。積雪は少なく数センチのオーダーだ。雪はその後も断続的に振り続けたが冷たい北風に舞う風花のようでもあり、積雪はほとんど無かった。ピラタスの丘入口まで降りると完ぺきな乾燥路面の世界だった。5cmほどの雪をボンネットや屋根に載せたまま走行するぼくのディスカバリーが周囲から「奇異の目」で見られたことは言うまでも無い。この季節、標高差1000mというのはじつにこのような劇的な(信じがたい)気候の差異を見せるのだ。 出掛けたついでに諏訪の電器店でいまはやりのハロゲンランプヒーターを買ってきた。遠赤外線が身体の芯まで温めてくれるが、これあはあくまでも「補助暖房」という位置づけであることを忘れてはならないのは事実。なぜハロゲンランプヒーターにしたかといえば、メーカーによって異なるけれど家庭用石油ファンヒーターは標高1000mから最大1500mまでしか使用できないのだ。ここは標高1700mだから不完全燃焼して有毒ガスを発生してしまうため「絶対使用不可」と警告が明記されている。それに気づいていろいろ探したり訊いてまわったが結局燃焼式の暖房器具は不可ということがわかったしだい。で、いちばんエネルギー効率が良く使い勝手がよさそうなものを選んだというわけ。まあ、生来の新し物好きというのもあるけれど。 で、このヒーター、良く観察すると電熱線(ニクロム線?)を細いガラスチューブの中に入れて円形に整形し、ハロゲンガスを封入した発熱体であることがわかる。詳しいことはわからないけれど、そのおかげで電熱線の酸化が防止できまたエネルギー効率や遠赤外線の生成効率もよいということらしい。発熱の速さもじつに2秒ほどで最大熱量に達する。これはありがたい。遠赤外線ということで整形外科の治療用遠赤ランプなみの肩凝り緩和能力があるとみた。じつに心地よいのだ。今年の冬はいつもよりちょっとだけぬくぬくできるかもしれない。(^^) ------------------------------(23時) |
| 2002.11.25(月)------------ 朝の内雨しだいに強まり午後から雪。積雪3cm、あまり積らないタイプの雪です。23時現在は曇り。気温は全体的に高めです。すぐ解けてしまいそうな雪なので幹線道路は早めに乾燥路面になりそうですが、油断は禁物、くれぐれも注意が必要です。 こちらに移住してきた当時はこの時期の最低気温は氷点下16℃が普通だったからこれはかなり暖かいです。 そんな一日読書にいそしみました。村上春樹の「ノルウェイの森」を読了。数十回読返しているけれど読返すたびに新しい発見があり、物語とその体験の奥行きが深まる不思議な作品なのですよね。発表されたばかりのこの小説を初めて読んでからすでに15年の歳月が過ぎ去ってしまったのには感慨深いものがあります。ぼくは「風の歌を聴け」以来の村上春樹ファンで、彼より3歳年下(2学年下)のぼくにとっては、彼の作品は常に同時代の物語として読みついできたものです。 2年越しで再挑戦中のジャンポール・サルトルの「存在と無」はようやく邦訳版第2巻半ば、ここに至ってようやくすらすらと読むことが出来るようになってきたところです。もちろんちゃんと理解できているかどうかは別ですが。(^_^;) ------------------------------(23時) |
| 2002.11.24(日)------------ 天気概況によれば今週あたりから積雪が始まるかも知れません。まだ冬支度が終わっていないのでちょっと焦っていますが、まあこれまでさぼることを決め込んでいたのだからいいのです。せいぜい焦って集中的にやっつけ仕事です。 どうもお尻に火がつかないと(重い)腰をあげない性格のようで、ずうっとこのパターンなんですよね。そんな自分をいやだと思ったりもしましたが、最近ようやくそんな自分にも馴染んで少しだけ好きになれたようです。 ストリーミング・ラジオで旧いジャズを聴きながらデジタル・フラットパネル・ディスプレイに向かって思い浮かぶにまかせて駄文をタイプする気分はなかなか良いものです。特に寒い初冬の夜更けには、様々な思いでが心の奥底からふつふつと浮かび上がってきます。 それをここに書くことは出来ませんが、心温まるひとときではあります。そしてちょっぴり物悲しい気持ちになります。これはしかたないですね。だからといってもう一度「青春時代」に戻りたいなんて金輪際思いませんけれど。あれをもう一度繰り返すなんてごめん被りたいですから。(^_^;) ある意味「スキー三昧」だった昨年までとは異なってこれから始まる「長い冬」をどのように過ごそうかと思案することしきりです。 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.23(土)------------ 唐突ですがノートパソコンが欲しい!・・・ということでじつは1ヶ月ほど前からいろいろ研究しているのですが、なかなか選ぶのが難しいです、僕の場合は。 OSにこだわらないで探しているのですが、どうも「帯に短したすきに長し」なのですよね。当然のことですが、フルスペックを求めればデスクトップ・パソコンになってしまう。ノート型にするならばやはりそれなりの「割り切り」が必要なようです。 職業柄僕がモバイル・コンピューティングする機会は皆無に等しく、せいぜいサンセットの館内やテラスや敷地内を移動するぐらいですから、ノート型にするメリットとしては「日記」を書く時に実際に森の中や、湖畔や、サンセットのラウンジやテラスで執筆ができるというその「快感」とか「実感」といったものになります。 それってすごく重要で大きなポイントだと感じています。とくにここのところ日記を書くのに四苦八苦している状態なので、そろそろいまの環境に変化をあたえないとイケナイと感じるのです。 手書きなら万年筆がベストですが、パソコンならそれは感触のしっくりとくるキーボードということになります。その観点から選択するとSONYのVAIO NOTE GRXシリーズのパンタグラフ式メカニカルスイッチ・キーボードが僕にはベストです。 しかしウィンドウズ・マシンを使っているとどうも「殺伐としたオフィス」にいるような気分になってきてしまうのが難点です。これは僕の個人的な体験から来る問題かも知れないのですが、どうもリラックスできない。ビジネスで使うならなんの問題もないと思います、当然ながら。 長年Macintoshで「ゆるゆる」したパソコン・ライフ(?)を送ってきてしまったので、体質がそうなってしまっているのかも知れませんね。(笑) いずれにしても、現在のフルスペックのMacintoshからノート・パソコンに乗りかえて、もっとかろやかにこじんまりとこのサイトを続けていきたいと切望しています。 手に馴染むという点でもっとも気に入っているのはVAIO NOTE GRシリーズなのですが、まあAppleのノート・パソコン=Power Book G4(Mac OS X)がこれまでの流れから考えると順当なのかも知れません。でもキーボードの感触が気に入らない。うーん、こまった。 ------------------------------(20時) |
| 2002.11.22(金)------------ 閑話休題。 季節はいよいよ冬・・・かな?それでも最低気温は平年より高めです。最高気温は低めだけれど。 ピラタスの丘の樹木はあらかた葉を落としきって、嵐のような落葉松の落葉もようやくおさまりました。同じ季節に山麓の街では未だに紅葉が目を楽しませてくれるとはここにいる限りにわかには信じがたい景色です。 明日11月23日(土)〜24日(日)にはなんとサンセット最寄りのピラタス蓼科スノーリゾートが先行臨時オープンするのです。リフト券も格安なのでぜひぜひ初滑りにいらしてください。さっきも言ったように途上ではまだ紅葉も楽しめますしね。 昨日までの僕みたいに小難しいことを言っていると僕のペンションまで「堅苦しく」思われてしまうのではないかと少し心配ですが、大丈夫、この世界に「小難しいペンション」なんて無いと思うから、たぶん。(笑) お客様からいただくご宿泊の感想を改めて読返してみると、「何も考えずに心地よくボーッとできたのはじつに久しぶりです。」とか「あんなに深い眠りは何年ぶりのことだろう。」そして「お料理がおいしくて大満足。」というのがベスト3(順不同)です。ちょと気恥ずかしくなっちゃいますが、とても嬉しくそしてありがたく思っています。ということでペンション・オーナーとしての僕の振る舞いは決して冗舌でも無口でも無くて、なんというか「さりげなく心地よい距離感」を心がけています。・・・なんて、防戦一方だなあ。(笑) ------------------------------(20時) |
| 2002.11.21(木)------------ 承前。 ジョン・レノンは唄う。"God is a concept by which we measure our pain." われわれの「世界」がそうであるのと同様にわれわれの「神」もまた「構成」された神である。 あるいはこの世の不条理を合理的に受容する(あるいは受容させる)ために創作された神である。でなければ神を語るに「奇跡」など必要ない。神の「ある」ことは集団においては伝承的事実、個人的には体験的事実だからだ。神は「様々に自身を現わす」必要などない。神はあまねく「ある」からだ。 僕は論文を書いているわけではないからこの文章は論理的にも論拠的にも「穴」だらけだ。僕は自分の体験的、個人的「神」について書いている。あるいは僕が個人的に生きている「この世界」について語っている。嫌われるのを承知で、それでも「いま」書かずにはいられないから書いている。 ジョン・レノンは神が道具存在であると唄っているわけではない、もちろんこれは「たとえ」である。「神とはわれわれが自分の苦痛を測る概念である。」 「神」は必要なのだ。僕にもあなたにも、きっと。「神が必要」なのだ。「神が無ければ「救い」は無いから。もはやわれわれは「神」ではなく、直接的に「救い」を切望すべきなのかも知れないけれど。 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.20(水)------------ この世界は「神」によってこのようにある。ただ意味もなく存在する。「無意味性」はこの世界の本質である。「啓示」はわれわれのインスピレーションに過ぎない。 昨日僕はそのように書いた。これは僕の世界観である。しかし孤立無援の世界観ではない。 ヴィトゲンシュタインは言った、「神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということなのである」。 我々は時間の中に内包されるものではない。サルトルが言うように人間実存とはそのようなものではない。あるいは、クリシュナムルティが言うように「思考が時間である」。 ラビンドラナート・タゴールは言う、 「時間は精神的な装置であり、存在しているものの相対的な位置を測るために私たちが使っている概念なのである。」 「もしリアリティをめぐるすべての知識が経験にはじまり経験に終わるとするアインシュタインが正しいならば、出来事の意味を汲みとる源となるような外郭のリアリティは存在しないことになる。」 「われわれの知覚がそのようなものであると受け止めたもの、それが世界だ。そのことを疑う者はいない。われわれは心とは鏡のようなもので、外の世界の出来事を正確に映し出すだけだと思っているからである。ところが、じつは反対で、心のほうが創造しているのである。つまり、ひとは世界を知覚することによって、自分の世界を、時間と空間の中に絶えず創造しているのである。」 折に触れて僕が言う「我々の外に景色(美・あるいは世界)は存在せず、それは我々の心の中に構成されるものなのだ」というのはそのような意味においてである。 昨日僕が書いたことは、彼らの考えに影響されたものではなく、僕自身の直感である。しかし僕は自分が孤独な夢想者でないことを知ってうれしかった。 「いまある現実はあなたが同意することによって、そのように存在している。だからあなたはあなたの現実に責任がある。」このような自分の認識に僕自身堪えがたいところがあるのだけれど、これは真実なのだ、たぶん。 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.19(火)------------ この季節は午後5時にはもう日が暮れる。きょうは満月(月齢15)。諏訪インター方面からビーナスラインをピラタスの丘に向かって走るとつねに前方の北八ケ岳の稜線上に信じられないほど大きく丸い満月が懸かっている。直径500mほどの巨大な人工的な月が八ケ岳の稜線に鎮座して煌々(こうこう)と地表を照りつけている。ちょうどそんな感じだ。 あまりにもリアルな自然現象は、逆説的に奇妙に人工的・作為的に見えるものだ。でもこれはほんとうの満月だということを僕は知っている。この月に出会ったひとはじつに幸運だ。月齢、天候、雲の具合、月の出の時刻、地形などなど様々な要因がすべてそろった時にしか体験することが出来ない満月の情景だからだ。 ひとは様々な機会に様々な形で「神」を感じるものだ。僕はこの月に「神」を感じた。これは告白なのかも知れない。単なる描写なのかも知れない。しかし、神はなんの啓示もあたえはしないし、この美しい情景の創造者ですらない。それは神の仕事ではない。 この情景は美しい。じつに美しく感動的だ。しかし、本来的な意味において「客観的」に見るならば「美しく感動的な情景」はそこには無い。それは僕のこころの中にある。僕の精神活動の内にのみ存在する。「美」とは我々の精神の内に「構成」されるものであって、「そこに存在するもの」が単に「体験」されるものではないからだ。 様々な宗教が語る「神」はひとつのメタファーである。「神」とは「語りえぬもの」だから、そして「神」は一切「語らない」し「何かを指し示すことすらしない」からだ。それは神の無慈悲ではない、それは神の仕事ではないからだ。我々を導いたり、救ったり、罰したりするのは神の役割ではない。 この世界は「神」によってこのようにある。ただ意味もなく存在する。「無意味性」はこの世界の本質である。「啓示」はわれわれのインスピレーションに過ぎない。 宗教はそのことを「告白」すべき時である。 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.18(月)------------ 満月に近い月が雲間に見え隠れしています。その雲の流れは地上の風からは想像もつかないほど速く、漆黒の天球を背景とした幻想的なグラデーションを見せています。外気温はすでに氷点下3℃ですが体感気温は温かです。ここまで月が明るいとしし座流星群もかなり見えにくいと思います。まあしょうがないです。 ジャンポール・サルトルの戯曲に「出口なし」というのがあるけれど、現在の世界の状況はまさにそのような形而上学的閉塞状態のようにも見えて、それは僕自身の閉塞状態と奇妙に響きあうのです。僕だけではなくみんな(?)もそう感じているのかも知れませんが。 テロリズムを「聖戦」と賞賛するイスラムと、戦争を「正義」と定義するクリスチャン。どっちもどっちだけれど、「異教徒」などという言葉や概念が存在する限りその宗教は人類の英知とはほど遠い原始的「カルト」にすぎないと思う。 広島、長崎に原爆を投下することを祝福した神を僕は信じない。ワールドセンタービルを崩壊させたテロリズムを祝福する神を僕は信じない。 宗教は「神」が作りたもうたものではなく、「人間」が作った「神」に関わる「システム」なのだ。そのシステムを媒介として、人間は都合よく神を利用するが、神は決して人間を利用したりはしない。 ------------------------------(21時) |
| 2002.11.17(日)------------ 気温のわりに寒く感じるけれど、過去のデータを調べてみるとこの気温は平年より温かなのだ。おそらく最高気温が平年より低いせいなのだろう。スキー場では人工降雪機による雪撒きが順調に進み、標高の高い部分では自然降雪も多く、ピラタス蓼科スキー場(ピラタス蓼科スノーリゾート)は予定より早くオープンできるかも知れないと言う話を小耳にはさんだ。予定では11月30日(土)にオープン。こうなってくると不思議と「血が騒いで」くるから困ったものだ。 何だか妙なことになっている、これまで順調だった「自然」とのリンクがすっかり切れてしまったような感覚におそわれて久しいのだ。これまで僕はなんの苦労も無く「自然」のリズムとの同調がとれていたのだ。それがここ数ヶ月の間にフェードアウトするように消えてしまった。いまの僕は自然の美しさにも厳しさにもほとんどなんの感銘も受けない。そのことに今日気づいた。 慣れてしまったというのではない。倦怠感とも違う。「それ」を受け入れる「余裕」というか「余地」が僕のこころには無いのだ、たぶん。僕はあまりにも多くのものを受け入れようとしすぎてしまった。それはおそらく性急に過ぎたのだろう。僕のこころはオーバーフローしてしまった。オーバーロード状態だ。 しかし、こういうときだからこそ、流れに身をまかせるしかない。 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.16(土)------------ 最近日記が書けないんだよね。というか、書くのが苦痛なのですよ。 どうしてかなって考えてみると、自主規制事項が多いのだ。自分で自分を縛りつけながらテーマや言葉を選んで書いていることに気づく。 まあ、それにもひとつ理由があって、僕はいますごく不機嫌で(僕だって不機嫌になることがあるのだ)、自由に書きまくったら罵詈雑言、誹謗中傷の嵐になりかねないということがある。ウェブ上で公開する以上それはマズイでしょ。 そしてもう一つ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する広告宣伝という暴力的世界で闘い疲れて瀕死の重傷でここにやって来た僕も今やすっかり快復したようで、過去に培われた性向である攻撃性が強くなってきているということがある。この攻撃性はきちんとコントロールできないとろくなことにならないのは目に見えている。 ということで自分なりに気楽に日記を書き殴ることのできる環境にはほど遠い。書き殴ったら「殴り合い」に発展してしまうよ、きっと。 同時に、この年になるとね自分の器というものを思い知らされちゃうので、あんまりエラソなことも言えなくなってくるのだ。おまえは「なにさま」なんだ、って自分で思ってしまうから。 まあ、「専守防衛」という限定付で「売られたけんか」は買うし、身に降りかかる火の粉は払わざるを得ないから、このままずうっといつもおとなしくしていることもないと思うけど、基本的には現在の僕はそんな感じです。 ただし、徳川家康が言ったように「男は一度顔を舐められたらそれでお終い」なのだ。どこにいてもこの地においてもその一線だけは譲れない。男子諸君おたがいにがんばろうではないか、なんてね。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.15(金)------------ さて、スキー場の整備も順調に進む今日この頃ですが、蓼科湖辺りの紅葉はいまが見頃を迎えています。ピラタス蓼科スキー場は予定通り11月30日(土)にオープンします。他のスキー場も12月7日(土)にはすべてオープンです、たぶん。(笑) この気候ならまずスケジュールに変更はないと思います。今年は雪質が特に良いと思います。 今日も終日暖房が必要でした。気温は平年より高いくらいなのに、体感気温が低いのです。この不思議な現象は今年の特徴的な傾向のひとつです。とはいっても主要幹線道路はすべて乾燥路面になっています。 スノースポーツの楽しみを別にすれば文字通り「過酷な冬」がやって来ます。まあそれはここで「生活」している僕らに関してということですが。この程度の気候でなければスキー場なんて成立しないのだからしょうがないです。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.14(木)------------ 最近めっきり紳士的になった(?)長野県議会ですが、田中康夫氏が県知事に再選される以前の議会のあの様子、あれが長野県の政治的風土の明示的一面です。様々な意味で「力」を持った者が徒党を組んで力なき者、弱い者を力づくで押さえ込み、黙らせようとする。これは民主主義的手続きを踏んで選出された代表たちによる暴力主義的議会運営だ。この「徒党を組んで」というところが特に気に入らない。あれはいわゆる「政党政治」とは似て非なるものだった。議員さんひとりひとりはじつに人間味ある才能ある素晴らしい方達だと感じるのですが。 県議会に限らずあらゆるレベルあらゆる局面でこの政治的風土はひょこっと顔を覗かせる。それは必要以上に攻撃的であり同時に極端に排他的である。それは弱さの裏返しの「強がり」なのかも知れない、あるいは「排他的な暴力の行使」なのかも知れない。そしてそれは「昔から行われてきたこと」というだけの理由で「そういうものだ」と従順に受け入れられる。 ・・・というのは「田中県知事が再選されるまでの」という限定つきの長野県の話しなのかも知れない。現在に関して言うならば僕はまったく的外れな批判めいたことを言っていることになるのかも知れない。少なくとも一般県民に関する限り信州を旅した方が良くご承知の通り、とても情が深く親切なこころ優しい土地柄なのです。これは自治に関わる「二重構造」が存在するということなのか、県民の性向に「二面性」が存在するということなのか「よそもの」の僕には計り知れぬところです。 この「二面性」というのは最近良く気づくところなので、おそらく「二面性」という切り口で見ていったほうがより公正に理解できるのかも知れません。かいま見える唐突な「攻撃性」を別にすれば長野県の持つこの二面性はじつに柔軟な素晴らしい可能性を秘めている思うところです。生涯「よそもの」を決め込んだ僕にはいまだに面食らうことも多い(?)今日この頃ですが、でも僕が何でここにいま居てそしてこれからも居つづけたいと思っているかといえば、そういうものすべてをひっくるめて「やはり愛している」ということなのですよね、たぶん。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(20時) |
| 2002.11.13(水)------------ 朝から曇り空。1日中冷たい風が吹き午後からは小雪が舞い続けています。しかし積雪はほとんどありません。道路は乾燥路面のままです、いまのところは。氷点下1℃でも風が吹くと体感温度は氷点下20℃以下になってしまうので、実に寒い。 屋外の水栓の保温材をこれまでの3ミリ厚のものの上にさらに1センチ厚のもので補強してさらに万全を期しました。もちろん水道管には直接凍結防止ヒーターが巻き付けてあります。このヒーターの電気消費量が半端ではないのでこうした断熱材の補強が有効なのです。わかっていたのになんでいままでやらなかったのだろう。(^^ゞ 風はいまもなお吹き続けていますが日中ほどではありません。風が強いと寒いけれど悪いことばかりではありません。風の強い日の夜はプラネタリウムよりすごい満点の星がドーム状の天球にぎらぎらと光り輝くからです。しだいに冬ざれた景色へと変化してゆく高山の森ですが、小さな生き物たちのいのちの気配が(植物の気配が消えつつあるいまではかえって)森のあちこちで息づいているのが感じられるのです。 静かな晩秋の亜高山帯の森では寒冷であるがゆえの深い深い安らぎがこころを支配します。平地に比べて15%も薄い空気の影響もあるかも知れません。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.12(火)------------ どうもよくわからないお天気が続きます。というのも(サンセットのある)山の上から山麓の街の方を見れば確かにそこは晴れているのがわかるのですが、頭上を見上げればそこには分厚い雲があって風花が舞っていたりして。 今日は一時雹(ひょう)が降りました。通り雨ではなくて「通り雹(ひょう)」。カンカンカンという屋根を打つ音でそれと気づきました。気温は比較的高くて日中は暖房を止めておいても寒くない温暖な1日でした。まあ、お天気が悪い日の方がおおむね温かなのは法則どおりです。 ちなみに山麓の天気は「晴れ」でした。このようにめまぐるしく変化するのは高山部の特徴です。道路は乾燥路面で「平年並」の状況ですがいずれにしても路面凍結には注意が必要なのはいつもどおりです。 サザンオールスターズのアルバムを6枚、6連奏のCDチェンジャーにぶち込んで1日中聴いています。そして懐かしい湘南の海を思い起こします。あの風の感触と潮の香りをふと感じます。標高1700mの亜高山帯で11月にサザンを聴くというのもなんだか妙ですが、これが不思議としっくり来るのです。少なくともヨコハマ育ちで海といえば湘南という環境だった僕ら(妻と僕)にとってはそうなのです。 再びモーターサイクルに跨りたくなります。僕は4ストロークシングルエンジンのモーターサイクルをこよなく愛すものですが、DUCATIはなぜシングルエンジンのモデル(350cc〜500cc)を出してくれないのでしょう。まだ身体能力、反射神経、そして直感力が衰えきってしまわないうちにぜひ湘南の海辺を再びツーリングしたいと思ったり。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(20時) |
| 2002.11.11(月)------------ 今日の気温を記録するために玄関から外に出ると空から白いものが降っている。積もる勢いはないが確かに雪が降っている。今日は時折陽が差すものの基本的には荒涼とした印象を与える暗い景色だった。真冬のような景色。 こんな日はシベリウスなどを好んで聴いていた僕だったけれど、いまはちょっと違う。いま聴いているのは"Mr. Big"の"Actual Size"というアルバムだ。Macintoshのヘッドフォン・ジャックにSONYのスタジオ用ヘッドフォンをコネクトしてiTunesで読み込んだMP3ファイルを聴いている。 これがなかなかすごいんだな。演奏はもとより、音質がかなり良い。(^^) もと「筋金入りのオーディオマニア」だった僕の観点からすればはっきりいってオーディオ的には「問題外」の音質ではあるけれど、原音忠実性という観点からではなく音楽的に聴く限りにおいては、これだけ音楽としての演奏としてのエネルギーが忠実に伝わってくれば合格点を上げても良いと思う。 聴きたいのは「音」ではなくて「音楽」なのだからね。 サンセットのラウンジの片隅に積み上げられているオーディオ機器はめったに鳴らされることはない。これをまともな音で鳴らせるためには建物そのものから改造が必要だから。そんな僕が数百万円の放蕩(ほうとう)のあげくにたどり着いたのが質の良い音を出す1台のCDラジカセだったのは何とも象徴的な結末ではあった。 とはいえサンセットにとって音楽(BGM)はとても大切な要素だから、選び抜いた良い音楽をそれなりの機器でさりげなく良い音で聴いていただけるようにはしていますけど。音響機器というのはアコースティックな楽器ですから、本当によい音というのはこんなもんじゃないと思いつつ・・・。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.10(日)------------ いま僕は今シーズンはスキーなんてやりたくないなあなどと漠然と思っています。だからスキーショップに行っても今年のニューモデルにもあまり興味がわきません。だいいちここのところの「つまらなさ」はマテリアル(スキー用具)の問題ではないことがよくわかっているから。 これまで順応してきた「スキーに対する考え方」に大いに違和感を憶えるようになったのがその原因だからです。スキー競技やスキー指導をライフワークとする覚悟なら話は別ですが、趣味の世界で楽しもうとするならばもっともっと自由な発想でスキーを楽しむことができるはずだと感じるようになったのです。 「上手」なことが「偉い」という(まあ至極自然な)価値観の中でスキーをするということが僕には違和感があるのですよね。これはあらゆる趣味やスポーツについても言えることだと思うのだけれど。もっともっと下手くそなりにというか(うまいひとの優越感に満ちたような視線を感じることなしに)自分のレベルに応じて楽しめる世界があっても良いのではないかと思うのです。 僕の趣味やスポーツが長続きしにくいのは「そのレベル」に達したことによるそのような価値観やそこから来る制約に嫌気がさしてしまうからなのです。たとえばスキーの場合だとこんなことだったら無邪気に下手くそなりに滑っていたときのほうがずうっと楽しかったしワクワクしていた、と。 そのような楽しみがなければあらゆる種類のスポーツや趣味について、それを長く続けていく楽しみというものはいずれ無くなってしまうと思います。始めることすら億劫になってしまうかも知れません。それでよいのでしょうか。とりあえずスキー界についていうなら、それでは良くないと断言できると思いますが。 これは僕の経験的事実です。そしてそれは(どれほど善意の人であろうと)上級者と呼ばれる人々、指導者と呼ばれる人たちの責任でもあります。「善意と熱意だけではダメ」なのです、そんな時代になったのです、たぶん。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(22時) |
| 2002.11.09(土)------------ 昨日の心配が現実のものとなりました。深夜から降り始めた雨は夜更け過ぎに雪へと変わり、しゃんしゃんと降り積もり朝には15cmの積雪になりました。この季節にこんなに激しく吹雪くなんて・・・。 これでは新しいスタッドレスタイヤに履き替えないと走行できません。昨日の日記どおり今日その作業を行ったのですが、強風に風花の舞う荒天のもとでしかも分厚い積雪の上ということでほとほと疲れ果てました。駐車場からタイヤをしまってある納屋まで50kgもあるタイヤwithホイールを転がしながら雪の坂道を50mも上り下りするのは大変な運動量です、僕にとってはね。 サンセットの駐車場から見る蓼科山は頂上からずうっと谷の方まで全体が真っ白に冠雪しています。その美しさにしばし疲れを忘れて見入ってしまいました。 タイヤ交換後に山麓まで買い物に行きましたが幹線道路はほぼ100%乾燥路面になっていて特に危険な箇所はありませんでした。ただし標高の高い「峠越え」の道路は積雪やアイスバーンに要注意です。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(21時) |
| 2002.11.08(金)------------ 今日は比較的温かな日々でした。朝のうちは燦々と陽光が降り注ぎつい先日の積雪が嘘のような穏やかな日和でした。午後になるとしだいに雲が多くなり、夕方には小雨がぱらつき始めましたがいまは小止みになっています。山岳部特有の小雨なのか、やがて本降りになるのかそれはわかりません。気温しだいでは「淡雪」になるかもしれません。 昨冬までは使っていなかった庭の給水栓を冬季も使わなければならない事情ができて、急いで凍結防止ヒーターを取り付け、省電力ICサーモスタットをかませて、分厚く断熱材で覆いました。寒冷地ではお馴染みのこの装置はけっこうな電力を消費するので辛いものがありますが、こればかりはしょうがないです。 本格的な積雪になると現在装着している3シーズン目のスタッドレスタイヤでは心許ないので、早いところ新しいスタッドレスタイヤをつけたアルミホイールに交換しなければならないのですが、傾斜地でジャッキアップするときの保安措置が必要でそれがかなり手間で面倒なのとホイール1つあたりの重量が50kg以上あることが気を重くさせています。 それでもこの時期に交換しておかないと万が一の大量積雪の時ににっちもさっちもいかなくなるので明日の午前中にエイヤッとすませてしまおうと思っています。僕のクルマがしっかり走行できないとお客様のクルマが動けなくなったときにレスキューができないですから。 レスキューといってもクルマを安全な場所に誘導して緊急駐車していただいて、お客様とお荷物を僕のクルマでサンセットまで送迎という形しかとれないのですが。山岳地の傾斜のあるアイスバーンではJAFなどの専用のレッカー車両でないとスリップして引っ張ったクルマと引っ張られたクルマとが衝突してしまうのです。二次災害を防ぐためにもこのことは是非憶えておいて下さいね。 先日の5cm〜10cm程度の積雪ならいまのままでも充分なのですが、積雪が15cmを超えると様相は一変してしまいます。タイヤが目詰まりして一時的にグリップしなくなってしまうのです。そうなると新しいスタッドレスタイヤか超合金製のグリップの良いタイヤチェーンを装着するしかありません。 この間のような大寒波の襲来がない限り当地の幹線道路が積雪・凍結することは少ないですが、念のためにタイヤチェーンの携行をおすすめします。使わなければならなくなる確率は十分の一程度だとは思いますが。これは軽井沢でも清里でも状況は同じです。特に今年は異常気象ですから・・・。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(21時) |
| 2002.11.07(木)------------ 道路もいつもの乾燥路面に戻り、蓼科の風景は再びいつも通りの秋の紅葉の季節のそれに戻りました。真白く冠雪した山々を背景に眺める紅葉の森は格別です。そして湖沼の水面に映り込むその姿は久しく忘れていた何かを思い出させてくれるようです。 紅葉の見頃を迎えた湖沼部に対して高山部では落葉松の紅葉が本格化して、サンセットの周囲でも針のような紅葉が間断なく降り続けています。 ・・・なんてね。これは嘘ではない事実なのですが、こころここにあらずの風情で僕はろくにモニタスクリーン見ず、手元のキーボードも見ずにこの文章をタイプしているのです。本当の風景は僕のこころに映し込まれています。だから眼を閉じてその美しい風景を眺めながら文章で表現を試みるしかないのです。 眼を閉じていないと見えないものがようやく見えるようになってきたせいかもしれません。それは年齢的な変化なのかも知れない。あるいはある種の能力が現れてきたためかも知れない。いずれにしてもいまや僕は自分の声で語るよりもこのようにして両手の10本の指によって(キーボードを媒介として)表現することの方が容易くより多くの物事を語ることができるようになってしまった。 口でうまく語ることができないような物事でも、この方法なら容易に語り尽くすことができる。それはおそらく「沈黙」のなかで真実を、「自分にとっての現実」を見極めることができるからだと感じてもいる。思考を音声に変換するよりはこの方法による方が僕にとってはより効率の良い表現方法なのかも知れない。 内的言語と実際に肉体から音声として発せられる言語はもとより同一のものではない。そこには直感としての内的言語は存在しえないからだ。しかしこの方法によれば思考における内的言語は生のまま表現の中に織り込まれる。そして何よりも思考と表現の速度の同調が常に保たれる。僕にとっては「思考=表現」という等式が成立する。 そのような表現方法とそれを公開するメディアを得たことはまさに僥倖(ぎょうこう)である。だからといって「しあわせ」になれるわけではないが、自己の内面世界で起こっていることを・・・壮大な「ひとりごと」・・・を表現できる手段を得た喜びはとてつもなく大きい。 それを読む人たちにとってそれがどのような印象を与えどのように感じられるかは僕の「現れ」とは一切無関係であるにしても、僕自身に限っていうならばやはりそれは僥倖なのだ。 この日記は当初「オーナーのひとりごと」として書き始められた。現在それらの多くは同名のタイトルのもとに「プライベート・サイト」にアップロードされている。しかしこんなことばかり書いていると「受けが悪い」と実感して現在の形に変わっている。いずれにしても僕にとっての「ひとりごと」とはそのような意味において語られるべきものである。 このサイトをというよりはこの日記を訪れて下さる多くの方々には「こんなしょうもないものに何かを感じて下さる」という一点を持ってしてもこころより感謝申し上げるしだいである。 いつもいつもこんな小難しそうな意味不明な(?)繰り言を書き続けるつもりはないので、今日のところはご容赦願いたい。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.06(水)------------ 愛の無い世界で生き永らえるというのもまたつらいものがある。結婚生活ではあるいは家庭生活ではそこに愛があることが当然のごとく前提されている。しかし、それは「真(Truth)」であろうか「偽(False)」であろうか。 じっさいに「いまここに愛がある」こととそれが前提あるいは仮定されていることとはまったく異なる。いちいちそれを「検証」しながら生活するのは実際的でないし、きっと息が詰まることだろう。人間というものはあらゆる局面において朝から晩まで誰かや何かを愛し続けられるようには出来ていないからだ。 それは信義の問題ではなくて、集中力、精神の指向性あるいはエネルギーの問題だ。 個人的な経験から言えば、結婚生活における愛は「汎化された状況的」なものだ。僕としては永遠に「個別的な愛」を求めてしまうのだけれど・・・。しかし「恋愛感情」を持続させることは極めて限られたカップルにしか可能でないというのが現実的見解なのかも知れない。 あるひとがTVで言っていたように結婚することによってカップルが「男と女の関係」ではなく「肉親」になってしまうということなのかも知れない。「恋愛」が「肉親愛」へと変化する。子供が出来て家庭が成立すればそれは「家庭愛」とでも呼びうるものへと変質してゆく。生活とはそのようなものなのかも知れない。ひととして生きてゆくというのはおおむねそのようなものなのかも知れない。 しかし僕は永遠に「男と女」でありたいと願うものである・・・のですよ。夫として愛されるだけでは不十分である。父親として愛されるだけでは不十分である。家庭人として愛されるだけでは不十分である。友人として愛されるだけでは不十分である。知人として愛されるだけでは不十分である。隣人として愛されるだけでは不十分である。地域のあるいは社会の役割を担うものとして愛されるだけでは大いに不十分である。 妻を女として愛し、愛する妻に男として愛されるというのが僕の願い・・・というか「夢」である。 ・・・なんてことを昔はこの日記にかなり頻繁に書いていたように思う。書かなければならないことを書くのではなく、書きたいことを書くと決めた以上きっぱりとそうしようと思う。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.05(火)------------ 今日も寒風吹きすさぶ寒い朝になりました。しかし天候は確実に回復に向かい、午後にはクルマに乗っていると肌を焼くほど熱い陽射しを感じました。ただし気温は朝夕とも氷点下です。 今週末あたり蓼科湖周辺が紅葉の盛りになりそうです。落葉松の紅葉の見ごろはもう少しあとになります。 道路状況も劇的に改善しました。融雪剤の散布や自然乾燥によって標高1700m以下の幹線道路はほぼ乾燥路面に戻っています。しかし地形的な問題でアイスバーンの出来ている場所もあるかも知れませんので、十分以上にご注意下さい。 今回の降雪・積雪は12月中旬なみのもので、本来ならありえない積雪です。今年はやはり気象が異常です。ということで異例のアドバイスとなりますが「タイヤチェーンを携行してください!」とお願いしようと思います。 今夜は満天の星空です。じつに久しぶりのような気がします。月齢1.0(新月の翌日)ということで空は真っ暗で暗い星までくっきりと見ることが出来ます。この夜空に関して言えば平年並に戻ったように感じられますが、気候的にはどう変化してゆくのかは「神のみぞ知る」です。 ピラタスのスキー場ではすでに人工降雪機による本格的な雪撒きが始まっています。ああ、まだ秋なのに、冬なんだなあ・・・奇妙な気候になったものです。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.04(月)------------ 異例の降雪は断続的に朝まで続き、窓外はまるで1月のような景色に変わっていました。積雪約10cm、ペンション村の周回路も今年初めて除雪車が出動しました。この時期の積雪は除雪しすぎると踏み固められて見事なアイスバーンと化すので、加減が難しいのですが、ビーナスラインの標高1700m以上のすずらん峠の前後の坂道は劇的なアイスバーンとなってしまいました。 諏訪インターからピラタスの丘入り口まではほとんど乾燥路といって良い状態にもどりました。深夜早朝の部分的な路面凍結に注意が必要ですが、日中ならノーマルタイヤで走れました。 しかしそこからさき白樺湖に向かう道路は標高が上るにつれてにっちもさっちもいかない凍結路になってゆきます。今日もスリップによる自損事故が多発して警察が規制していました。くれぐれもご注意下さい。 これは公式の道路情報ではなく、僕が走った限りでの情報に過ぎません。この情報にはそれ以上の信頼性はありませんし、責任も持てません。道路を走行するということはあくまでも運転者ご自身の責任において行われる行為ですから、ご自身で状況を判断して走行してください。 今回の積雪は12月中旬なみのもので、本来ならありえない積雪量です。今年はやはり気象が異常です。ということで異例のアドバイスとなりますが「タイヤチェーンを携行してください!」とお願いしようと思います。 まだ蓼科湖(標高1230m)の紅葉が始まってもいない時節だというのに、この雪だもの。しかし、紅葉と積雪の対比は見事でした。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.03(日)------------ 朝から風が強くてめっぽう寒く感じる一日でした。蓼科山や北八ケ岳の山頂部には雪雲がどっかりと取りついて離れません。天気予報では曇り時々晴れなんていっているけれど、それは昨日も一昨日も同じ。結局夜になって雪が降ったのだ。今日も朝からそんないや〜な感じがあった。 それは午後3時過ぎのこと、窓外を見ると「雪」。(¨;) でもその時はぱらぱらとコンペイトウのような雪粒が降っているだけで、「危機感」は全く無かった。「またか」と思っただけだった。これは積らない雪なのだ・・・と。しかし、事実は違っていた。 午後5時を過ぎると雪はいよいよ本降りとなり、吹雪き始めたではないか。今日ご宿泊のお客様は全員クルマをご利用なので、道路の状況が心配になってきた。外の様子をうかがっている僕の目の前で雪はどんどん降り積もってゆく。何もかも真っ白で、積雪は5cmほどにもなってきた。道路も真っ白だ。 5時半、僕は12月なみの完全な降雪時用の服装をして先の冬からスタッドレスタイヤを履きっぱなしのディスカバリーで様子を見に走り出した。もしかしたらお客様が途中で立ち往生しているかも知れない。連絡は携帯電話でとれるから、とりあえず蓼科湖までパトロール。 状況は想像以上に深刻だった。ピラタスの丘だけではなく、ビーナスラインは蓼科湖辺りまで積雪しており、明らかにノーマルタイヤですべり止め無しのクルマが多数スリップして右往左往していた。動けなくなっているクルマや、慌ててタイヤチェーンを装着しているクルマ、そしてガードレールにぶつかったり側溝にはまってしまったクルマ。僕の車もスタッドレスタイヤがだいぶすり減っているので多少グリップが怪しい。 でもなんか「新鮮な」雪道走行だった。(^^) 一組のお客様をピラタスの丘入口の駐車スペースに誘導して、そこからサンセットまで僕の車でお連れした。他のお客様は自力ですでに到着されていた。ちょっとした時間の差でこれほどまでに路面状況が悪化したのだ。幸い微妙なアクセル・コントロールがきちんと出来る方だったので、危なげなく積雪路を走行されていたけれど、いかんせんノーマルタイヤなので、明朝のことを考えてあえてそのように誘導させていただいた。 ほっと一息。しかし、自力で到着されたお客様を明朝安全に雪の無いところまで誘導するのが僕の使命、明朝の天候と路面状況が気にかかる。 今日の積雪は12月中旬なみのもので、本来ならありえない積雪量です。今年はやはり気象が異常です。まだ蓼科湖(標高1230m)の紅葉が始まってもいない時節だというのに、この雪だもの。しかし、紅葉と積雪の対比は見事ですよ。(^^) 明日信州の高原にいらっしゃるお客様は、標高1400m以上の路面状況にくれぐれもご注意下さい。特に深夜早朝はもっとも危険です。特に日陰は危ない。路面が黒々しているところは路面凍結している可能性が高く、ノーマルタイヤではいったん滑り始めると何かにぶつかるまで止まりません。とっても恐いのでご注意を。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.02(土)------------ また「深夜の雪」が降ったようです。といっても心配無用。すでに雪は止んで、空は晴れてきています。この季節の雪はほんのいっときぱらついて1ミリ程度積雪するだけ。窓外を見ると一面真っ白なのでこの僕でさえびっくりするのだけれど、夜が明けて人間が活動を始める頃には道路は雨後のようにしっとりと濡れているだけになる。はかない「淡雪(あわゆき)」というやつです。 ただし深夜から早朝は気温が低くて路面凍結しているところもありうるので注意が必要。いま現在の状況を判断する限り、タイヤチェーンはまだまだ不要な気候です。ただしどんなことにも「例外」はありうるので、そこのところは自己責任で自己判断ということで、よろしく。 午前10時過ぎなら全く乾燥路面なのでご心配なく。気温がプラスに転じれば淡雪はあっという間に消えてしまいます。(^.^) さっき愛犬パルと散歩してきたのですが、氷点下3℃とはいえフリースのジャンパーを来て歩いているとちょっと汗ばむくらい。僕が厳冬期用のフリースの帽子をかぶっているのと、おそらく風が無いからだろう。吐く息は真っ白なのに意外と暖かく感じる。まあ、空気が20%近くも薄くて標高差が100mもあるペンション村の周回路や山道を40分近くもぶっ続けで速足歩行するのだからあたりまえか。 森の中に入ると、そこは落葉の世界。様々な樹木の落葉が5cm〜10cmも積っている。その上をというかそれをかき分けてずぼっずぼっと歩行する感覚はなんとも表現しようが無いほど不思議なものだ。下手をするとヒザまで落葉に埋まってしまうところもある。いまならその経験は誰でも出来るけれど、ゴムブーツか、くるぶしまであるハイキングシューズでないと靴の中にいろんなものが入り込んでしまうので、それなりの履物やズボンが必要。まあ、そんなことは気にしないって生き方も僕は認めるけれど。 今日の空は信じられないほど蒼かった。まるでテクニカラーみたいに青いのだ。文字通り「真っ青」。僕は感動しすぎると写真撮影の意欲を無くしてしまう。なぜだかわからないけれど、ファインダー越に感動を記録するよりは、肉眼を通してこころにしっかりと焼き付けたいからなのではないかと思う、多分。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
| 2002.11.01(金)------------ いま聴いているのは"My Funny Valentine"。僕が敬愛して止まないMiles Davisのあの黄金のクインテットのLIVE版。バラード系の演奏を集めたこのアルバムと、アップテンポの演奏を集めた"Four and More"というアルバムは同じ日にライヴ・レコーディングされたもので対を為している。雨の日や雪の降る夜に不思議なくらいしっくりと馴染むアルバムだ。 Miles Davisのアルバムは135枚所有しているけれどその中でももっとも好きなアルバムのひとつだ。学生時代、アルバイトして稼いだ金はそのほとんどがJazz Club通いと輸入版のレコード(LP)の代金として消えていった。懐かしくも物悲しい時代。孤独で、様々なものに鋭敏に感動し魂を根底から揺さぶられた時代。 Miles Davisにはいまでさえ、あるいはいまだからこそよりいっそう、魂を揺さぶられる。自分が自分であることを貫き通して力強く生きようと思い直させてくれる。 ピラタスの丘は朝方は雨、午後から晴れ間がのぞいたけれど、いまふと外を見るとなんと雪。コンペイトウそのものといった真っ白な雪がばらばらと折からの強風に舞っている。衣服の上に降りた雪は融けることも無くそのままころころと転がり落ちる。 そんな雪だから降り方の割にはあまり積らない。道路はすぐに乾燥するのでお客様がいらっしゃる頃には雨に変わるかすっかり乾燥路面になっているだろう。ちょっとだけほっとする。 それにしてもこの時期にまた「雪」だとは・・・。1ヶ月あまり季節が早い。妙にこころが騒ぐのはなぜだろうか、不思議と気持が高揚してくるのはなぜだろうか、まるで犬みたい。 今週末の連休は蓼科湖畔の紅葉が見事です。安心してお越しください。 →この季節の夕日の写真 ------------------------------(23時) |
サンセットは標高1700mの原生林にたたずむCOOLなゲストハウス。
時間が止まったような、自然と一体になった不思議なやすらぎをあなたもどうぞ。
静かな人生の休日(スティルライフ)に浸って下さい。
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