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2006年08月16日

3469 私は誰?ここはどこ?

晴れのち曇り 気温:最低 14℃/最高 22℃

ほぼ徹夜の日々が続いている。ときおり頭がもうろうとして「私は誰?ここはどこ?」状態になる。前にも書いたけど、開業以来初のアルバイト無しの夫婦二人だけで乗り切る「お盆休み」なのだ。朝5時半から翌朝4時過ぎまで文字通り働きづめに働いても時間が足りない。もちろん改善の余地はあるので日々話し合って効率を上げてきてはいるが、絶対的睡眠時間不足は解消されない。

いずれにしてもそんな裏事情はお客様にはま〜ったく関係ないことだから、最高のサービスを目指して気張っている。まあそのときは覚醒状態でちゃんとできるのだけれど、終わったあとでがっくり来ちゃうのね。もうものは落とすは、自分が何をしようとしていたのか忘れちゃうはで、簡単な足し算もできなくなっちゃう。夫婦で互いに分けのわからないちぐはぐな会話をしていることに気づいてもう大笑い。

深夜に食器の洗浄消毒をしながら妄言を口走ったりなんてあたりまえ、もうほとんどうわごとだね、ここまで来ると。起きているのか眠っているのかわからなくなってくる。まあ、ビジネスマン時代も同じような状況で働いていたから懐かしい感じもあるけど。仕事中立ったまま寝ちゃうもんね。

いずれにしてもお客様に対して「粗相(そそう)」のないようにがんばり通したいと思っている。

2006年08月17日

3470 一切苦厄なのね、舎利子ちゃん

曇り 気温:最低 15℃/最高 22℃

なんかもうわけがわからなくなってくる。たまたまペンション仲間とちょっと話す機会があったけど、20人以上のお客様を夫婦ふたりだけで10日間ももてなすというのは冒険どころか無謀だといわれた。「ありえない」って。僕もそう思うけれど、まだまだペンション本来の《悠々自適》の境地にはるか遠い若いペンションだから、収容人数を減らすことができない。理想はいまの半分なのだけれど。あと5年は現状でがんばらなくっちゃつぶれちゃうから。しかもアルバイトを確保することができなかった。

これでもう貫徹が3日間続く。ちょっとやばい。へろへろなのがお客様にばれちゃいそうだ。というか、舞台と同じで、お客様の前に出る直前までは地べたを這っていても、お客様の前に出たとたんにしゃんとしちゃうのね。これって役者魂に近いものがあるかも知れない。で、裏方に回るとあちこち激突したり何でもないところで転倒したりこん倒したり・・・。

実際満身創痍ってこのことなのね。体中生傷だらけ、意識混濁、心神耗弱(なわけないか)、もうトランスしちゃっているかも。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是なのね、舎利子ちゃん。でも、僕らは観自在菩薩ではないから行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子ちゃん。てなわけにはいかないのだ。もう苦厄苦厄苦厄苦厄苦厄なのね、舎利子ちゃん。ははは。

接客時間帯はある種覚醒状態にあるからサービス内容には自信があるから大丈夫、心配ないからね。問題は終わったあとなわけだ。睡眠をとる時間がない、まったくない。それが問題。どんなに効率を上げても、寝る時間がない。土砂降りの雨に傘がない、って状況よりつらいよ、これは。

まあ泣いても笑ってもあと数日間のことだからなんとか持つでしょう。サメみたいに脳の半分だけ眠ることができるように進化するかも知れない、その可能性にかけてみたい。本当に、その可能性にかけてみたい。辛いわけじゃない、ただ眠りたいだけ。眠りが心身に必要なだけ、それも切実に。

昔とった杵柄で、24時間計画を立案したから、あしたの、つまり19日の午前3時までには眠ることができるだろう。たった2時間でも眠ることができればそれだけで相当楽になるのだ。A HARD DAY'S NIGHT。僕は丸太のように眠りたい。妻も同様に思っていることだろう、ね、舎利子ちゃん。

2006年08月18日

3471 ペンションのホスピタリティー(1)

曇り 気温:最低 15℃/最高 21℃

8月17日深夜、あるいは8月18日未明、ピラタスの森に静かに雨が降る。それは音もなくまるで夜露が降りるように空から降りてくる。雲は薄く、かすかに下弦の月の明かりが透けて見える。雪の降る夜ほど静かなものはないが、この季節の深夜の雨もまたその静けさにおいては負けていない。

新緑の季節に比べて樹木の葉の水分が減ってきているので雨の当たるときの音も変化している。あえて表現するならば「さわさわ」から「からから」に変わるのだ。森はすでに紅葉に向けて変化を始めている。それはまだ目には見えない変化だが、内面において確実に進行している。

そんな雨の未明、僕ら夫婦はまだ起きている。というかまだ寝られないでいる。多様な料理を出しているので調理器具も食器の種類と数も半端ではないので、いまだにその洗浄消毒と片づけに追われているのだ。僕はパンも作らなければならないしね。朝食のテーブルセッティングや仕込みもやっておかなければならない。起床時間が5時半なのに、もう午前4時を回ってしまった。

要領が悪いのだろうか。そうは思わない。確かにもっと効率良く進めるための改善余地はあるが、やるべきことをきちんとやるとこのように時間がかかると言うことは事実なのだ。

昨今まれにペンションのマンパワーにおける限界や資金力における限界を理解しないでご利用になるお客様が散見されるが、残念なことだ。ホテル並のサービスを求めるならばきちんと高価な料金を払ってきちんとしたホテルにご宿泊になることをおすすめする。が、そのような方は個人経営で立場の弱いペンションだからこそホテルでは言えない要求をできるだろうと考えているようだ。ペンションのホスピタリティーとはそのようなものではない。

大ホテルにできないことはペンションにはもっと困難なのだ。「客として来たりて友として去る」という有名な言葉の示す通り、ペンションのホスピタリティーとは人と人とのコミュニケーションにある。ご無理ごもっともでなんでも客の言うことをきくと言うことではない、そこのところを誤解しないでいただきたい。

もちろんそれを「売り」としているペンションもあるからそのようなところにご宿泊になるのがよろしいかと思う。要するに「俺は客だ、私はお客よ!」ということがポイントならば、ペンション・サンセットはそのような考えかたはしていない。そのような発想自体がその人の品性を傷つけるのではないかと思うところだ。

できることはなんでもして差し上げることが可能だが、できないことはきっぱりとできないのだ。ホテルで断られるようなサービスはペンションでもお断りするしかない。これはどんな業界でも同じだ。それをごり押しするかどうかはその人の人間性の問題だろう。

ごり押しに対する対応能力でその宿のレベルが問われるなんて言う議論は問題のすり替えでしかない。これはあくまでも「人間としての品性」を問う問題なのだ。「お客様は神様だ」とか「お客様の声は天の声だ」などと言うイデオロギーは一面の真理でしかなく、顧客啓蒙および市場啓蒙の機会を放棄した「愚衆マーケット論」でしかない。

ペンション・サンセットはペンションの持つ機能を十全に発揮することに全力を尽くしている。しかし、その枠組みを超えた要望や要求には残念ながら充分にはお応えできないか、まったくお応えできない。これは仕方のないことだと思う。だからこそさまざまな宿泊施設が存在するのだから。

2006年08月19日

3472 ペンションのホスピタリティー(2)

曇りのち晴れ 気温:最低 15℃/最高 21℃

「客として来たりて友として去る」という有名な言葉の示す通り、ペンションのホスピタリティーとは人と人とのコミュニケーションにある。ご無理ごもっともでなんでも客の言うことをきくと言うことではない、そこのところを誤解しないでいただきたい。

そのように昨日僕は語った。これは個人的な確信である。そして「客として来たりて友として去る」というのは私の夢であり、実際的な思いである。ここで言う友とはあらゆるレベルの「友」を包含している。お客様であると同時に友であるようなそんな関係でありたいという思いだ。

「客商売」なのだからそんなことを言っているとつぶれるぞ、という忠告ももっともだろう。しかし、この「客商売なのだから」と言うところに欺瞞を感じるのは僕だけではなく、お客様だって同じことを感じるのではないだろうか。

自分は、あるいは自分たちは「お客様」である限りにおいてこのように丁重な扱いを受けているに過ぎない、と。それが好きだと言う人はそれで良いのだと思う。しかしちょっと寂しいと僕は感じる。僕は「ひとりの人間」としてお客様をお迎えしているつもりだ。

人は自分が自分であると確信できるときにしあわせと安心と充足感を得ることができると僕は考えている。だからこそ、ペンションはホテルなどにはなかなか困難な「ひととして」お客様を迎えるということをしたいと思っているのだ。それも会社や仕事の時のある意味「演じている自分」ではなく、「素の、ありのままの自分」でいて欲しいと願っている、すくなくともペンション・サンセットにいる間は。

僕などの前で肩ひじ張ることなんて無いんだ。たかが山のペンションのオヤジなんだから。なんの肩書きも役割も看板も背負わない「ありのままの、個人的な自分」でいてほしい、そのような「ほんとうの自分」に戻って欲しい。

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深夜にシベリアンハスキーのパルと散歩してきた。空には満天の星。何万回見たとしてもいつも同じように背中がぞくっとするような感動を覚える。新月に向かっている空は暗くて、星がとてもよく見える。ピラタスの丘は本当に静かで、お盆休みで宿泊施設が満室のお客様でにぎわっていることなどまったく感じさせない。

耳の奥から秋の虫の音が聞こえる、いやこれは本物の虫の音か。それとも静寂が支配する森で聴く「静寂の音」なのか。風はひんやりと冷たく、やや湿り気を帯びているが雨の気配はまったくない。夜露が森に降りて湿度を多少あげているのだ。朝日とともにこの水分は瞬く間に空に昇って雲となる。

徹夜もここまで継続すると、ある種ハイな気分になってきて、何とか身体も頭も機能するようだ。もちろんこんな覚醒状態が永遠に続くはずはないのだけれど、あと一日二日は持ちこたえることができるだろう。こうなるとちょっとしたアイドリング状態の時に熟睡していることに気づく。

パソコンの前でちょっと思考が中断したときとか、椅子に腰掛けてちょっと休息しているときとか、立ち仕事でちょっと動作が休止したときなど、まるでワープしたかのように時計が進んでいることにあとで気づく。あっという間に30分も経過していたりしてね。

まあ、瞑想していて超越状態(いま流に言うとトランス状態ね)にはいると、一瞬にして1時間以上経過していることだって珍しくないから、個人的には僕も妻もまったく驚いてはいないのだけれど。しかし人間の身体と言うのはじつに良くできているものだと感心することしきり。

2006年08月20日

3473 お盆ツーリズム

晴れ 気温:最低 14℃/最高 21℃

きのう深夜から楽天トラベルのサーバーに繋がらなくなってメインテナンスができなくて困っていたが、今朝調べてみたら「定期メインテナンス実施中」だってさ。ほかの業種はとにかく、「トラベル」にとっては書き入れ時の夏休みそれもお盆最終日にこういうことをやる神経がわからない。

これではじゃらんnetに水をあけられても仕方がない、じゃらんは旅というものを理解しているが楽天は残念ながらそうではないようだ。こういうところにインテリジェンスの違いが出るのだと思う。

それはさておき、昨夜もものすごい星空だった。満天の星で、天の川や銀河の中心の星の密集している様が手が届きそうにくっきりと見て取れた。そしてやはり空気がうまい。こんなに空気がうまいと感じたのはここに移住して12年で初めての経験だ。森が生い茂ってフィトンチッドが倍増したのかも知れない。マイナスイオンとフィトンチッドとオゾンの多さでは蓼科は昔からよく知られているのだ。

今朝は気持ちよく冷え込んだ。キーンとした大気が心地よい。半袖ではちょっと肌寒く感じる。お客様はフリースを羽織って散歩に出ているようだ。そうだもう少しすると朝晩には吐く息が白く見えるようになる。しかし日中は真夏の日差しが降り注ぐ。これから1ヶ月ほどはそんな夏と秋とが同居した季節が続く。それは僕にとっても最高の季節だ。年間を通じて最も「癒し」に満ちた季節だ。

お盆休みも今日で終わる。すくなくとも旅行業界的にはそうだ。我々のように夫婦二人だけで営むペンションにとっては(おかげさまで)「怒濤のようなお盆休み」となった。そんなことで、今年もまたお盆休みは「失われた夏の記憶」となった。

一日2時間の睡眠をとることもままならず、三日連続で徹夜するのも当たり前、まともな食事をしたのはお盆休み以前の思い出だ。そこら辺にあるパンとかお菓子とかバナナとかをかじってしのぐのがこの時期の僕らの食糧事情だ。

何しろ分刻みのルーティンスケジュールで忙しすぎて買い物にでられないのだから地元野菜を別としてほとんどすべてを保冷備蓄せざるを得ない。日本中が(市場も休みになっているから)同じような状況で、あらゆる生鮮食料品が保冷備蓄されている。現状としてしょうがないのかも知れないけれど、これはちょっとおかしいと思う。

旅行業とそれに関わる諸産業はお盆に休むべきではないと僕は思っている。最も需要が在るときに公共性の高い市場(いちば)が一斉に休んでしまうというのはどうにも近代的ではない、現代的ではないし論理的でも合理的でもない。だからお盆には物価が高騰するのだ。生鮮食料品も3割も(場合によっては)10割も値上がりするのだ。

この「お盆ツーリズム」は我が国の休暇事情の貧しい一面を端的に表わしているように思われる。

2006年08月22日

3475 避暑地の夏の終わり

晴れのち曇り 気温:最低 14℃/最高 22℃

天気は曇りというべきなのだろうか、しかし見上げれば白い雲と青空がそこにあり、とうとうと流れてゆく。スポットライトのような陽光が森のそこここに降り注ぎ、そんな情景を見ているうちに晴れなのか曇りなのかわからなくなってくる。

風はひんやりと冷たいが、日差しのもとではじりじりと熱い。しかし大地のこの絶対温度の低下は季節が決定的に秋に向かっていることを示す証拠に違いない。ざわざわと生育し続けてきた樹木や草花もその勢いを止めて静かに結実の季節に向かい始めている。

森の所々では気の早い樹木が紅葉を始めている。ウルシは黄葉し、ナナカマドは蛍光オレンジの紅葉とともに真っ赤な実を付ける。コスモスが咲き乱れ、アキアカネ(赤とんぼ)が飛び交い、じつに秋の様相を呈してきた。

街でも同じような季節の変化を感じることができる。空の色が秋色に変わり、炎天下にクルマを止めておいてもさほど室内気温が上がらなくなった。吹き抜ける風はもはや熱風ではなく、ひんやりとしたまるで夏の終わりの海辺に夕暮れ時吹く風のようだ。ただ潮の香りがしないところだけが異なる。

心地よく気だるいこの気分は、灼熱の夏の思い出、命を燃やす季節の終焉を告げる。夏の終わりは海辺でも山でも同じ、祭りのあとのような静寂と若干の寂しさに胸がきゅんとなる季節だ。特に蓼科のような避暑地の夏の終わりの味わいは格別だ。

さまざまな色彩がより鮮明に目に映るようになり、さまざまな音がやわらかくまろやかに響くようになる。しっとりとした大気に心身がいやされる。きっと光の波長が変わり、大気の密度が変化するせいなのだろう。

この季節のビーナスラインを走るとそんな季節の微妙でいながら劇的な変化をはっきりと見て取ることができる。僕が個人的にドライブやツーリングにこの季節を推奨するのはそのような理由からだ。

今日も静かに日が暮れて、群青色の夜がやって来た。いまは曇っていても夜露が落ちきる深夜には満天の星を望むことができる。その美しさ、壮大さには言葉を失う。だからこの季節は昼間よりも夜の方が好きになる。漆黒の闇のように見えても実は充分な光があるものだ。ああこれが星明かりというものなのだと気づく。

シベリアンハスキーのパルとの深夜の散歩。僕はLEDのハンディーライトを持参するが、ほとんど使用しないで歩くことができるようになった。十分目を慣らせば暗闇に含まれるほのかな光を頼りになんら支障なく活動できることを知る。

闇はじつにさまざまな気配と存在に満ちている。それを感じながら歩くのは新鮮な体験だ。恐ろしさは感じない、濃密な自然の気配を感じることは快感ですらある。見えない分だけひとは感じることができるのだろう。

蓼科には「残暑」というものはそもそも存在しない。このまますっと秋になるのだ。今年の蓼科の夏はとても短かった。個人的にはそんな感慨にふけっている。

2006年08月23日

3476 MOON TALK(1)

曇りのち晴れ 気温:最低 14℃/最高 20℃

避暑地の夏の終わりはいつも祭りのあとのようなそこはかとなく物寂しい印象を与える。僕らのような仕事をしていると、それはある種の虚脱感に近いものになる。同時に「癒しの季節」の訪れを感じる時節でもある。

夏の日差しは凶暴な力を失い、むしろ優しく柔らかなものに変わる。風はひんやりとして、しっとりと心をうるおしてくれる。空も森も風もすべてが優しくなる季節。今朝はとても冷え込んでダイニングラウンジの温度は21℃になった。9月にはいったら朝晩は暖房が必要になるかも知れない。

ひさしぶりにウォンウィンツァンの MOON TALK を聴く。今や知るひとぞ知る彼だから、それにあやかるみたいで嫌だから、最近はあまり友人であることを言わないことにしている。僕より3歳年上の彼とは18年来の友人なのだけれど、その間じつは13年間ほど音信不通だった。

あることで喧嘩(?)というか激しい意見の相違というか、要するにかなり決定的な行き違いがあって気まずいまま別れてそれっきり交友が途絶えていた。それがあるお客様が彼のHPの掲示板にペンション・サンセットに行ったこととそこのオーナーがウォンさんの友人だと言っていたということを書き込んで下さった。まあ、それがきっかけであらためて交友が始まったというわけだ。

もちろん僕など大勢の友人・知人のうちのひとりにすぎないと思う。しかし、個人的に音楽の話をしたり、個人的に精神世界について語ったりできるという意味では、スピリチュアルでソウルフルな関係だと思う。

話がそれた。秋に聴く音楽としてこのライヴアルバム MOON TALK はベストかも知れない。知っているひとはみんな知っているけど、ペンション・サンセットでは BGM としてはウォンウィンツァンのアルバムしかかけない。これ以上に僕が望みうる限り「この場所」に適切な音楽はないからだ。

まあ、JBL+McIntoshで聴く音楽は Blue Note 全盛期のモダンジャズが多いのだけれどね。それはそれ、じつはウォンウィンツァンのルーツはジャズピアニストなのだった。若い頃は新宿の PIT INN の昼の部で演奏していて、18歳の僕はよく彼の演奏を聴いていた、ということを彼と友人になってしばらくしてから思い出した。

当時の彼はいまの演奏からは想像もつかないけんか腰のアグレッシヴなピアニストだった。ユニット名は「江夏健二トリオ」だったかな?間違っていたらごめん、なにしろ36年も前のことだからね。年をとってくるといろんなことを忘れていることに気づき、いろんなことを覚えていることに気づく。

昨今、自分の若さに奢って年配者を馬鹿にしたような言動をする輩が増えてきたけれど、若さがなんぼのもんじゃいと言うのが実感だ。そんなものはあっというまになくなってしまうのだ。若さになんてなんの価値もない、志を持って何かに打ち込む圧倒的パワーがあるということだけが若さの特権だ。

だから自分が若いからという根拠の無い全能感や優越感だけで生きていると、あなた、大変なことになりますよ。ほんとなんだから。

この青二才がなにをわかった風なことを言ってやがる、社会人にもなってメンチ切ってるんじゃねえよ、って思うこともしばしばだし〜。ははは。まあ、世間や社会をなめてかかるってのも若さゆえのかわいい過ちといえなくもないか。ほんと、かわいいんだから・・・。(笑)

いまできることをしっかりやっておくことだ、それは僕自身への言葉であると同時に、僕よりもずうっと若い人たちへの体験的忠告でもある。若さなんて泡沫(うたかた)のようなものなのだから。

2006年08月25日

3478 青天の霹靂 午後、雷鳴を聞く

晴れのち曇り 気温:最低 14℃/最高 21℃

午後、雷鳴を聞く。換気のために開け放った窓からそれは聞こえた。あんまり良い天気なので、まさかと思ったが、やはり雷鳴に違いない。この種の雷鳴は危険信号だ。まさに青天の霹靂のごとく雷(いかづち)が着弾する。月曜日の落雷がまさにそれだった。

夏の日差しの中、パーンという轟音とともに近くの電柱をしたたか打ったのだ。そして、そこから先の家屋は停電し、インターネット回線も不通となった。電話回線が生き残ってくれたのと、ウチが電源を引き込んでいる電柱まで通電が継続してしていたので、停電だけは免れたのはさいわいだった。

今日もパソコンや周辺機器、そしてインターネット関連のケーブルを引き抜き、落雷に備える。これもピラタスの丘の夏の風物詩だ。ここ数年、夕立、雷雨が激減していたので何だかとても久しぶりのような気がする。

残暑のない蓼科ではこのまま秋が訪れる。日ごとに大地が冷えてきているのを感じる。毎朝晩最低気温は12℃〜14℃を記録している。最高気温も20℃前後でそれもしだいに低くなってきている。それでも例年よりも平均気温が高めのような実感がある。いつもなら日暮れとともに暖房を入れる日がたまにあっても不思議ではないのに、今年はそんな日がまだない。

日差しはずいぶん和らいで、クルマで街に降りてもエアコンが必要ではあるけれどじりじり焼く陽光はもうない。パーキングしておいても、戻ったときにオーブンみたいになっていることも無くなった。ピラタスの丘ではアキアカネ(赤とんぼ)がぶんぶん飛び交っている。ひとを恐れないので、歩いているとしょっちゅうぶつかってしまう。

蓼科の夏の終わりは秋の始まりでもある。それはまさに同時進行している。季節が変わるというよりは連続した音階の変化のような感じだ。そのようにして季節は進行し、僕らはしだいに真夏の熱狂から醒めて、鮮やかな色彩と静謐に満ちた秋へと舵を切るのだ。

2006年08月31日

3484 ナイトハイク

夕方になって多少違和感を訴えてお尻を気にし出したので、もらっておいた痛み止めの錠剤を与えると、再びまったく気にしなくなり今日に至っている。昨日からなにごとも無かったかのように元気に散歩に出かけている。

獣医さんから10日後の抜糸がひと騒ぎでですよと言われているので今から覚悟している。なんでもない手術準備処置であんなに大騒ぎしたから、そんなふうに思っているのだろう。確かにパル君はそういうところで臆病で大騒ぎすることが多い。人間の悪意にさらされた経験がまったくないので、とても甘えん坊なのだろう、たぶん。

とは言え彼の戦闘能力はドーベルマンを上回るから、我々家族以外は彼を自衛的戦闘モードにさせないように注意して接するようにしなければならない。そうしないとふだんのグータラしたなごみモードから一気に精悍なコンバットモードに変わるのだ。

僕はパル君がペンション・サンセットにやってきて以来12年間、じつに多くのことを彼から学んだ。彼と一緒に過ごす時間は、彼の時間が流れる。それはわれわれ人間の時間とは決定的に異なった時間の流れだ。その中で、僕は生命にとってとても大切なことを自然に学ぶことができたように思う。彼の一挙手一投足が自然からのメッセージのように感じられた

獣医さんからは年齢のわりにとても健康なのであと3年は確実にこのまま元気で過ごせるだろうと言われた、そもそもハスキー犬は長生きだから、と。あと何年、あとどれだけ、僕はパルから教えられる日々をともに過ごすことができるのだろう。それが永遠であればいいのに。

2006年09月13日

3497 全然怖くないですよ〜

雨 気温:最低 10℃/最高 13℃

昨日ぐだぐだ書いてしまったけれど、要するに「個人情報保護と匿名

2006年09月16日

3500 そして日記は螺旋を描いてふりだしに戻る

曇りのち雨 気温:最低 8℃/最高 13℃

僕らは過大な期待をしすぎていたのかも知れない。インターネットというインフラに、WWW(ワールドワイドウェブ)というひとつの世界観に。一個人が国境を越えて不特定多数の人々にメッセージを発信できると、いささかなりとも、思いこんでいたところがある。

しかしそれはどうも違っていたようだ。インターネットの世界でも、インターネットが出現する以前の現実世界と同じことが起こっているだけだ。個人のメッセージは個人のメッセージ以上の力を持ち得ないし、広告は広告らしくなければその効果が期待できない。新しいコミュニケーション形態は未だ出現していない。

それはケータイ以前とケータイ普及後の社会が何ら本質的変化を遂げていないということとも相通じる事実だ。それを使うのが人間である以上、そしてその人間が何ら進化していない以上、あたりまえのことかも知れない。インターネットとケータイというこのふたつのコミュニケーションのために用いられるインフラのもたらしたものといえば、社会における個人の匿名性の氾濫だけなのかもしれない。

また「匿名性」だ、やれやれ。

僕らは「匿名性」を身にまとうことによって、まるでなんでも透明にしてしまう魔法のマントをまとったような気になってしまう。自分は安全圏に身を置きながら何だってすることができる。この匿名性による自己の行為の秘匿こそ、現代社会の病理といえるだろう。

というようなことをまた書いてしまう。これでまたお客様が減ってしまうのだろう。がんばって書けば書くほど潜在顧客の数が減ってゆくような気がする。もっと楽しくて、おいしそうな話぀という日はなくなった。「暖かな日」や「寒い日」はあっても、「暑い日」はもうやってこない。蓼科には「残暑」というものがそもそもの始めから無いのだ。日が暮れたとたんに気温は急降下して、外に出ると吐く息が白く見える。

すっかりそんな気候になって、シベリアンハスキーの愛犬パル君は元気いっぱいになってきた。なにしろ彼の快適気温は氷点下10℃以下だから。快適環境は一面の雪と氷の世界だから。夏毛が抜けてしだいに冬毛に生え替わり始めてムクムクとしたぬいぐるみみたいになってきた。これがかっこうよくてかわいいのだ。

この季節、里に下りればそこには絵に描いたような「里の秋」がある。ゆったりとした時間が流れ、しっとりとした大気が夏の疲れをいやしてくれる。静かな静かな季節だ。ここでは誰もあなたがあなたであることを責めたりしない。あなたはそのままのあなたでいいのだ。

2006年09月26&感じるほどなのだ。 試しに一度「お問い合せ」のリンクをたどってみるといい。巨大迷路みたいに堂々巡りの連続になる。ぼくはいまだにサポートの電話番号を見つけられないでいる。かろうじて奥の奥にあったお問い合せフォームにたどり着くのが精一杯だった。 そうした「日本的な意味でのホスピタリティー」を Amazon.co.jp に期待してはいけないのだろう。また、日常的な購買行動のようにフェース・ツゥ・フェースのコミュニケーションを期待してもいけないのだろう。さらに通常の「小売店」のような対応を期待してもいけないようで、Amazon.co,jp の業態は基本的に「商品取次業」であるということを知っておく必要がある。購入後の商品について Amazon.co.jp は一切関知せず、フォローはメーカーなり代理店が行うということになっているのだ。 これは批判ではなく、知り得たことの開示に過ぎない。そのような..." dc:creator="" dc:date="2006-09-29T23:09:05+09:00" /> -->

2006年09月29日

3513 Amazon.co.jp に感銘を受ける

晴れのち曇り 気温:最低 6℃/最高 15℃


Amazon.co.jp でインターネットショッピングをした経験のある人は多いだろうと思う。こんなとんでもない山暮らしだから、僕もじつのところよく利用している。とても良くできたサイトで、商品検索を含めてお目当ての商品へのアクセスが容易で、その後の比較検討から購入に至るまでの流れが自然でスムーズなので、ついつい迷いを振り切って購入に至ってしまったことも一度や二度ではない。

商品ブラウズや購入の履歴をしっかり記録していて膨大なデータベースからユーザープロファイルを作成し、それに基づいて「おすすめ商品」を提示する仕掛けになっているのだけれど、その的確さと来たらまるで(たとえが悪いけれど)心の中を含めて個人情報をそっくり持って行かれたような感じなのだ。じつにツボにはまった商品を薦めてくる。

このようなサイトをペンション・サンセットのサイトで実現できたならどんな景色もまた収穫の季節を迎えるのだ。雨が降っていても空は明るく、景色はくっきりとしている。

Power Mac G5 のたてるぶーんという音、僕がキーボードをたたく音以外なにも聞こえない。夜になってピラタスの森はますます静かだ。自分がいま覚醒しているのか眠っているのかも定かでなくなるほどに。

2006年10月12日

3526 と、ぼくは想っている

晴れ 気温:最低 6℃/最高 12℃

今日は比較的暖かでした。というか、館内にいるより外に出た方が陽射しを浴びる分だけずうっと温かく感じるし、実際に活動してみると少し汗ばむほどだった。しかしさすがに半袖では身体が冷え切って鼻水が出てきてやがてくしゃみをすることになる。厚手のトレーナーを着てちょうど良い。

昨日までに館内の照明の電球交換を終えたので、今日は屋外の灯火ョンは成立しないと思うのだが、それが実態だ。どうりで「ホームページを見ているのですが」とおっしゃりながら電話でご予約いただいても、ホームページにはっきりと書いてあることを読んでいらっしゃらないお客様が多いのだ。

見てはいても、読んではいないし、理解もしていない。これは自己防衛的コミュニケーション拒否といえなくもない。しかし、情報過多時代にあって個人としても情報のフィルタリングが必要なのは理解できるが、必要な情報までフィルタリングして拒否してしまうというのはもう現代の「社会的病理」というほかない。

要するに「ぜんぜんひとのはなし聞いてないし〜」ということなのだ。(^^;)

このような時代に合ってはむしろ「情報過小」という逆の方法をとったほうがコミュニケーションが成立しやすいのかも知れないと考え始めている。たとえば世にはびこる「パワーポイント型プレゼンテーション」が良い例だ。メインタイトルは1ページにつきひとつ、1ページにつき3項目のサブタイトル、1ページにつき1項目3行以内の解説、文章を限りなく抑えて図表で「ビジュアルに」説明する・・・というやつだ。

そういう時代なのだ、そういう社会になったのだ、たぶん。

しかし、同じことを繰り返し伝えるという「冗長度(redundancy)」もある程度必要なのだ。1度だけ聞いてもうわかったから繰り返さなくてもいいというひとが多くなったが、実際のところ人間の能力はそこまで優れてはいない。人間の能力では「繰り返し確認」という手順が正確なコミュニケーションには不可欠なのだ。

パワーポイントスタイルのプレゼンテーションが見た直後にはすっかりわかったような気がしつつも、時間が経ってみるとよくわからないことが多々出てくるのは「冗長度」が低いからだ。よくいえば「簡潔」なのだが、繰り返しがほとんど無い分、コミュニケーションの深さは期待できない。

一般的に言語はおおむね50%の「冗長度」を持っていると言われている。言い換えるならば、たとえばこの文章の半分の文字をランダムに消去したとしてもだいたいの主旨はわかるという場合がこれにあたる。あるいは「キーワード」が文脈上に少なくとも2度出現すると考えてもいい。冗長度が50%を切って極端に低くなると、ひと言聞き逃しただけで疑問や不安があるのだ、といつも問われているような気がした。

強風でロープウエイは運休となったが、その風も午後はやくには止んで穏やかな天気に変わった。何もかも吹き飛ばしてくれたおかげで、今日の夕焼けはじつに感動的に美しかった。ピラタスの丘の紅葉もいよいよ最盛期を迎えている。山岳部の紅葉はピークを越えて、もっと標高の低い湖沼部や蓼科高原の観光スポットでの紅葉の見ごろは今週末からになる。

2006年10月20日

3534 iTunes Music Store 初体験

曇りのち晴れ 気温:最低 6℃/最高 9℃

(1)↓↓冗長度を下げようと思ったり。↓↓

やはりみなさん忙しいのだ、朝から晩までケータイやってるし、ゲームやんなきゃいけないし、もちろん仕事は超忙しいし。要するに世の中全部「みんなひとの話しぜんぜん聞く気ないし〜」状態なのだ。

数日前にこのホームページは「冗長度(redundancy)」が高いのだ、と書いた。わかりやすく言っちゃえば、意図的に「くどく」書いてあるのだ。それは「念押し」というニュアンスなのだけれど、はっきり言ってあまり効果はないようだ。「みんなぜんぜん読んでないし〜」ってことで。

これはミスマッチというほかない。ということで、今後はこのホームページも「冗長度」を下げていく方向に持って行こうと考えている。

ちなみに(科学的に測定したわけではないけど)現在の冗長度は70〜80%以上だと思われる。どうせやるなら冗長度25%ぐらいで、「ほんと、真剣に見ないとダメなのね」的なものにしたいという欲求が高まってくる・・・これはやばいかも。

した。予報どおり日中は曇り空になりました。午後4時過ぎにふたたび雨が降り始めあっという間に本降りになりました。これは天気予報よりちょっと早かった。今日はちょっと憂鬱です。僕のペンションのコンセプトが時代のツボを外しているような気がするからです。 ツボを外しているからと言って、これは僕の生き方の問題なのでおいそれと変更するわけにはいかないし、ペンションを純粋な商売とは考えたくないので、そういう観点からはどうしようもないのだけれど。やっぱり集客のためのホームページはプロに頼んでお客様受けの良いものに徹したほうがいいのではないかと思い始めています。 なにを書いても、なにを語ってもなにも伝わっていないような気がしてきています。パワーポイントで作ったプレゼンテーション資料みたいなホームページのペンションの方が集客実績が高いように感じるのです。そのほうが効率的に集客できているように感じるのです。 みんなものを考えなくなってしまった、少なくとも考えるひとの絶対数が減ってきているのを実感しています。ペンション選びなんてホームページを開いて上っ面をさらっと眺めて感覚的に「印象」だけで決めてしまっているように感じます。あるいは貸し切り温泉露天風呂の写真が載っていたとか、料理の写真がきれいだとか。宣伝上手だとか。 それは普通の行動ではあるけれど、それだけではただ宣伝に乗せられているだけで、ご自身で選択しているとは言えないと思うのです。まあ、ペンションごときを選ぶのにそんなに労力なんて使えるかってことなのかも知れませんけれど。 立地や設備、サービスの内容やお料理のレベルや接客の丁寧さ、親切さのどれをとっても他の同価格帯のペンションと比べて同等かそれ以上なのに、このホームページではそのことを伝えることができていないのかも知れません。そのことを検証し、反省しなければならないのかも知れません。(もっと宣伝上手にならなければいけない、もっと宣伝に徹しなければいけないのかも知れません) そもそもこんなに手間暇かけてホームページを運営していること自体、間違っているのかも知れません。もっと他にやらなければならないことが山積しているのですから。それでもやめないのはいまの時代性に「ノー」と言い続けたいからです。 何でもかんでも「手っ取り早く」という想像したでしょう。ペンションを始めて、エンジン式刈り払い機やチェーンソウや大型除雪機を日常の道具として使うようになるなどと想像していなかったのと同じぐらいの驚きです。

「市場原理主義」を標榜するいまの時代の流れは個人的には「違うな」と思うのですが、この大きな潮流にあらがえるはずもなく、経営者としては適応対応していかなければならないのだと思います。ひとびとの頭脳構造が変えられてしまった、洗脳とまでは言わないけれど、「ゲーム脳」というのは実在すると思うし、思考停止が日常的に起こっているのも事実だと思います。これはきわめて危険な状況です。

思うに米国は紛れもない(本来的意味における)「帝国主義国家」であり、彼らが推し進めている「グローバルスタンダード」とやらは間違いなく世界を不幸にしていると思います。それはノーベル賞受賞経済学者スティグリッツの著書を読むまでもなく、米国は自国の「不幸な社会」と「ゆがんだ経済システム」を世界に押しつけ押し広げようとしています。

米国民がみな幸福そうならまだ納得も行くのですが、ネオコンと称されるひとにぎりの特権階級こと「勝ち組」以外の人々はどんどん不幸になっていっている。僕は自分の世代においては異例の反・学生運動的考えを持っているのだけれど、それは政治的立場とは関係なくどんなイデオロギーもインチキだという実感に基づいています。

それでもなお「グローバリゼーション」というこのインチキなお題目あるいはムーブメントに抗うことは十分以上に価値のあることだと思います。誰も「ノー」と言わないこの社会は健全なのでしょうか。偉大なるイエスマンこそ現代の寵児(ちょうじ)なのでしょうか。

晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃


「あたたかいねえ」という言葉が地元でよくかわされている。今日山麓の街のメガマートに行ったときもカウンターの女性とそんな話題になった。「年々温かくなって、それはいいんだけど、やっぱりおかしいよねえ」。

たしかにそうなのだ、これは妙なのだ、おかしなことなのだ。かつてのこの季節なら、石油ストーブや電気ストーブの段ボール箱を抱えて一所懸命クルマに積み込んでいる人が駐車場にたくさん見られたはずなのに、今年はその気配もない。いまだにフリースを着込んでいる人もいないし。

直営の灯油スタンドに並んでいる人もほとんどいないし。やはり温かいというのは実感というのだけでなく、紛れもない「事実」なのだろう。「暖冬」というとなにやら過ごしやすい冬と感じられるのだけれど、じっさいは雪が溶けやすいためにアイスバーンがあちこちに出来てとても危険な道になってしまう。

当地のような土地では暖冬は「鬼門」なのだ。

それはさておき、大きな疑問が頭をもたげてきている。10年間も蓼科高原日記を書き続けてきたことはペンション・サンセットの経営にとってプラスだったのだろうか、マイナスだったのだろうかということだ。ふつうだったらペンションの玄関を入るまでわからないはずのオーナーの人となりとかペンションを支配する雰囲気とかが、日記によってわかるようになっていることが、むしろ集客においてマイナスになっているような気がしてきている。ひしひしとそれを感じている。僕はペンションオーナーとして落第なのだろうか、そんなにひどいひとなのだろうか。

蓼科高原日記があることによってペンション・サンセットはお客様を遠ざけることになっているのではないだろうか。書かれた文章はその瞬間から独立した言葉として伝播していくものだから、どのように解釈されどのように理解されなにを感じさせるかは書いた本人には制御できない。

こうした商売にとって、本音で語るということはタブーであり、耳あたりの良いことだけを書くべきだったのかも知れない。いや、このような日記自体を無くば消え去るだけでしょう。

蓼科高原日記も人目を気にしないで、思いのままに書き続けることにしました。ウケをねらわず、共感を求めず、おもねることなく、ねたむことなく、ただありのままの自分で良いのだと思いました。というか、それしかできないと思い知りました。

ペンション・サンセットも同様です。初心を忘れず、折に触れて思い返し再確認して、開業当時の情熱を持って運営していきたいと思います。いずれにしても、ペンション・サンセットはわれわれのためにあるのではなく、ご利用下さるお客様のためにこそあるのだと再確認しました。その観点からすれば僕の「想い」なんて些細な問題でしかありません。すすむべき道は自ずと見えているのです。

ペンションのご案内ページをご覧いただければ、様々な点でサービスが見直されていることに気づいていただけることと思います。いや、こまやかなことなので、気づいていただけないかも知れませんが。いずれにしても、矢継ぎ早にサービス向上の手だてを打っていく所存です。

みなさまのご利用をお待ちしております。

2006年11月26日

3571 無為徒食

晴れのち雨 気温:最低 - 6℃/最高 6℃

朝はきれいに晴れたけれど、しだいに曇り空になり、夕方から雨になった。激しいふりではなく、静かな森の雨だ。天気予報に従って、きょうはテラスのステイン塗り込みの残り半分の作業を終わらせた。腰と背中が痛い。前にも書いack="http://madskills.com/public/xml/rss/module/trackback/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"> -->

2007年01月05日

3611 我が内なるアラスカ

晴れのち曇り 気温:最低 - 9℃/最高 - 2℃

昨夜NHKで、アラスカで野生動物の写真を撮影し続けた星野道夫氏を扱ったドキュメンタリーを見た。写真のみならず文筆家としても一流の氏の著書からの引用文をナビゲーターにして、氏が何を想いアラスカに渡ったか、そしてその地の野生に見せられ、何を学び、何を求めてその野生を追いもとめ、撮影中の不慮の事故で43歳という若さで亡くなるまでの間、どのように生きたのかという軌跡を追った。

1年の歳月をかけて制作したというそのドキュメンタリーは重厚さと誠実さとを併せ持っていて、幾度となく用事で席を立とうとする私をTVの前に引き留めた。スケールの差こそあれ、星野道夫氏とアラスカとの出会いと、そこに生まれた何かが、私と蓼科との出会いとその後に重なり合うものがあったからだ。たまさか我が家の愛犬パル(シベリアンハスキー)の祖父がアラスカからやってきたという縁も感じた。そう、子孫ということではあるけれど、パルはシベリアではなくアラスカからやってきたのだ。そしてまた私もこの氷雪の極寒の地でのパルとの生活を通じてアラスカへの憧憬を深めてきたのだった。

ここ、ピラタスの丘というとんでもなく標高の高い別荘地(標高1750m)でペンションを営むことになったのも間違いなくなにかの縁(えにし)だと確信している。それまで自然などまったく必要としない精神構造だった私が初めて出合った大自然がこの蓼科だったのだ。大な一文に出合った。これは個人でホームページやブログを運営しているひとは一読する価値があると思う。

個人がwebサイトを運営、公開していく動機というのはここでも彼が言っている通り「名誉の部分に起因する精神的対価」という部分しかないと思う。

ここで言う「彼」とは『けなす技術〜俺様流ブログ活用法』の著者である山本一郎氏のことだ。あの2ちゃんねるの有名人の『切り込み隊長』でもあるとのこと。ぼくは2チャンネルにはあまり近寄らないひとなのだけれど、そのイメージとはある意味かけ離れた真摯な議論がこの著書ではなされている。

先の引用箇所についてはぼくもまったく同感だ。それは10年以上ウェブサイトを個人で運営してきてた者としての切実な実感でもある。どんなにアクセスの多い優れたコンテンツのサイトを構築運営したとしても、たとえばぼくの場合で言うなら、他のペンションより集客数が多いというわけではない。業者任せでプロフェッショナルな「ホームページ」を運営している同業者の方がむしろ繁盛しているくらいだ。

それでもぼくがプロ任せにしないで、素人仕事でこのサイトやブログを運営しているのは、ペンションをパーソナルなビジネスと考えているからだ。ホテルや旅館などのようなある意味パブリックなというか法人格での商売とは考えていないからだ。ペンションはパーソナルな宿なのだ。お客様に対するフェイス・トゥ・フェイスのホスピタリティー提供を最大の特徴とする宿泊施設なのだと考えている。

Now He Sings.

この10年余でぼくが得たものは素晴らしいお客様。これ以上の名誉、これ以上の精神的対価はないだろう。しかし、膨大な時間と労力を費やして運営してきたこのサイトから得たものといえば、たしかに、「ささやかできわめて個人的な名誉」のみだ。それでも良いじゃないか、と思う。しかし、ちょっと悔しい想いもあるのだ。

Now He Sobs.

しかし、時代はそんな想いとは裏腹な方向へと梶を切っている。経営者の想いや志なんてものは一切評価されない、結果だけがすべての時代へと変わってしまったようなのだ。ビジネスである以上、良い結果を出さなければならないのは当然なのだけれど、どれだけもうけたかという意味での結果ばかりが価値基準となってしまった。それ指してだいそれた野心など持たず、その日その日
   を一生懸命がんばってこつこつと静かに生きる」という生き方を許容しない、
   ということが寂しい価値観、哀しい社会だと言うこと。
   そのような過酷な「階級闘争」を強要するような社会には断固ノーと言う
   べきである。

(2)私自身は、口ではなんと言おうとも、「君子たらん」としているひとだ。
   これは宿命みたいなもので、そんな自分から逃げることは出来ないのだ。
   だから山にこもって(?)暮らし始めたのだ、ということ。
   どんなに自己評価を高くしても、ぼくは決して「賢者」ではないけれど、
   「フール・オン・ザ・ヒル」なのだ・・・ピース。(^^)v

の2点なのでした。ちょいとレトリックを複雑にしすぎて誤解されやすい文章になっているかも知れませんが、私なりの皮肉を込めてそのように書いたしだいです。

方向性を間違えずにこつこつと努力を重ねていれば、いずれ結果は付いてくると個人的には信じてがんばっていますが、問題は一刻も早く結果を出さなければ生き残れない、というか生存そのものが許されない社会になってしまったという不幸な時代性です。そのことを昨今ひしひしと感じています。

品格というものを捨て去った資本主義社会とはこのようなものなのですね。

それがさびしいのです。

しかし翁が言うようにお金は「神でもなく仏でもない、もともと情(こころ)のない物であるから人間とは違った考えをする」のだから、なにを言ってもせんなきことではあるのだけれど。(エントリーNo.3617参照)

ご心配おかけしましたが、そいういうことで、自分の生き方を変えるつもりなど毛頭ありませんので、ご心配なく。(笑)

※今日の写真は(株)ピラタス蓼科ロープウエイ の許諾を得て転載しています。

2007年01月19日

3625 ピラタス蓼科、レールとキッカーが明日オープン

晴れ 気温:最低 - 11℃/最高 - 4℃

ピラタスでは1月20日(土)からレールとツーウェイキッカーオープンします

明日、1月20日(土)からレールがオープンします。右の写真はスタッフによるテストラン風景です。手前はストレートで奥に見えるのがフラットダウンで、全長は共に6mです。

また、このエントリー左下の写真は同日オープンするツーウェイキッカー。リップ作成中の写真です。奥側はテーブル長5mリップ1.5m、手前はテーブル長1mリップ高50cmです。※どちらも利用時には誓約書が必要です。誓約書はチケット売り場にてご用意しております。(以上ピラタス蓼科スノーリゾートからのお知らせこの刺すような冷気のみが冬という季節からのメッセージなのだ。 いまぼくは穏やかな絶望の中にいる、決して失望ではなく。 昨日思わずつぶやいてしまった。 もう失望すべきものにはすべて失望し尽くしてしまった。数え切れないほどの絶望に落ち込んでははい上がってきた。だからいま絶望の中にあっても、それは穏やかな絶望として感じられるのだ。「出口がない」ことに何ら変わりはないのだけれど。 いまさら「いったいなにを信じて生きていけばいいのだ」なんて青臭いことも言えない。「なにを目指して進んでいけばいいのだろう」などと迷う歳でもない。なすべきことはわかっている、そしてそれがなしえないということも理解している。もう夢や希望を語っている季節ではないのだ。 「人生は闘いだ」という考え方もある。それはきっと正しいのだろう。しかし、戦うことを賛美するのは常に勝者のみだ。戦うことに疑念を持つ者が勝者になることは出来ない。戦うことは、競争することは楽しくスリリングだ、自分が敗者となるまでの間は。 これからの社会の本質が「競争社会」でしかないならば、弱肉強食の「生存競争」でしかないならば、ぼくはもはや生きると言うことに何の魅力も感じることが出来ない。「調和」のない世界はぼくが身を置くべき世界ではない。 この世界に神が在り、その指示が「生存競争」であるならば、そのような進化論原理主義的「神」をぼくは信じない。この世界に神が在り、その教えが「調和」であるならばぼくは喜んで帰依しよう。信仰は力であるが、宗教は強大な排他的イデオロギーでもある。その排他性が異教徒虐殺を礼賛し、戦争を聖戦として祝福する。その闘いに終わりはないのだ、原理的にも理論的にも。 強いものが弱いものを踏みにじり、闘争や戦争は絶えることがない。神は常にそこに在り、た..." dc:creator="" dc:date="2007-01-24T21:51:13+09:00" /> -->

2007年01月24日

3630 穏やかな絶望

曇り 気温:最低 - 8℃/最高 - 2℃

群青色の空に鋭利な刃物のような三日く雪はまるで砂漠のように見える。本物の砂漠よりもおりこうさんな砂漠だ。雪まみれと砂まみれとどっちが良いかと迫られたら、絶対雪まみれのほうがいい。なにを奇妙な比較をしているのだろう。 400ccの排気量の強力な除雪機で積もっ..." dc:creator="" dc:date="2007-01-28T22:40:14+09:00" /> -->

2007年01月28日

3634 変わっていく日々

晴れ 気温:最低 - 8℃/最高 - 4℃

まず写真を選ぶ、それから構成を考えて、しかるのちに初めて文章を書き始める。蓼科高原日記をブログ・システムに載せるようになってからの作法だ。以前は、つまりHTMLで書いていたときには、テキストエディタでいきなり書き進めて、ほとんど写真は使わなかった。だから写真と文章や思考とのインタラクションはほとんど無かったと言っていい。

おおむね三行で一段落、それを4回繰り返して、16小節ワン・コーラスって感じだった。ブルースコードを奏でるベースラインに乗って書くって感覚だった。そこには内面的な映像しかない。具象はなく、抽象や形而上の世界しかなかった。ある意味純粋に内省的で自己完結的な気分に浸ることが出来た。ぼくの描く蓼科は、ぼくの内なる蓼科だった。しかし今はちょっと違ってきているように思う。

写真も同様にぼくの内なる蓼科の映像を写真というかたちで実体化させる試みだった。ちょっと大げさな表現だけれど、可能な限り正確に言葉にしようとするとそんな気障(きざ)な言い回しになってしまう。いつ頃からいつ頃がそのような時期だったのか今は思い出せないけれど、そんな幸福な数年間があった。そして今はそうではないというのも、また事実だ。蓼にホームページをプロに制作運営委託するということができないのも同じ理由による。というか、単純に僕がそう決めてしまえばいいだけの話なのだけれど、そうなるとこれまで10年以上がんばってやってきたことはいったいなんだったのか、という問いに僕自身が答えなければならない。 僕にとってホームページ(ないしはウェブサイト)の評価は、単純に「どれだけ集客に結びついたか」という指標だけでなく、「どれだけお客様と心が通ったか」ということがとてもとても重要なのだ。じつに青臭い考えだとは思う、それでもこの想いをつないでいきたいと想っている。 そうだ、そうなのだ、これは「個人的な想い」の問題に過ぎない。経営者として判断するならば、こんな大変なことからは早々に手を引いてプロにまかせてしまうほうが、集客の面からもずっと効果的で効率的だと想う。 昨年12月に特に個人的なコンテンツである「蓼科高原日記」をブログ化してホームページ本体と分離したのはそれなりの解決策の方向性だっ..." dc:creator="" dc:date="2007-02-02T21:32:54+09:00" /> -->

2007年02月02日

3639 個人的な想い

晴れ 気温:最低 - 15℃/最高 - 7℃

ピラタス蓼科スノーリゾートは今週末がベストかも

今日の午後4時頃のピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデの写真です。スタッフの方の撮影です。積雪は120cm以上でロープウエイ利用のヒョウタンコースもカモシカコースもすべてのコースが滑走可能、パウダーゾーンもたくさんあります。雪質は完璧なパウダーで最高です。雪質に関しては今週末が今シーズンではベストのコンディションになりそうです。これからどんどん暖かくなってきますから。

しかているよ..." dc:creator="" dc:date="2007-02-10T20:19:29+09:00" /> -->

2007年02月10日

3647 たくさんのお客様で華やぐスキー場

未明まで雪、その後晴れ 気温:最低 - 4℃/最高 3℃

3月なみの陽光の下、華やぐスキー場

ピラタスを始めとして各スキー場とも大変な賑わいを見せた。やはり「雪不足報道」の影響で(じっさいは信州には平年並みの積雪があった)、年末年始のスキー計画をこの連休に延期したお客様が多かったためではないかと推察される。じっさい、ここ数年でもっともにぎわっているのではないかと感じている。

右の写真はピラタス蓼科スノーリゾートの今日の午前中の写真で、リフト待ちはそれでも3〜5分待ちだったとのことだ。左下の写真もスタッフの方による写真だが、昨夜からの降雪でこんな感じで樹氷が綺麗についた。今夜も雪が降る予報なので明日も良い感じになると思うとのこと。

ということで午前中と午後陽射しが弱まってからのピラタスはとても良い感じだった。

しかし正午近くなり陽射しが強くなると、雪質は標高の高い部分は完璧なパウダーだったが、標高の低い部分は正午を挟んだ4時間ほどは水気が出たシャーベット状の部分も出てきた。だが、よく観ると雪の結晶は崩れていないので、これでまた冷え込みがきつくなれば回復してパウダーコンディションにもどる雪となっている。

さっきも書いたけれど、明日未明には若干の積雪の予報が出ているので、明日はもう少し良い感じになると思う。それにしても、一昨日から今日にかけてのこの異常な熱波(?)はなんなのだろう。気温は平年の2月と何ら変わらない低温なのに、この強烈な陽光によって雪が3月みたいになっているのだから尋常ではない。

今夜の冷え込みと積雪に期待したいと思う。


ブログってなんだか裸で街を歩く感覚なんだ

それにつけても、ブログというこのシステムはやはり古来の(?)Web Logに比較すると、まったく異なるカテゴリー、まったく異なる概念のもとに存在するのだということを実感する。自分のホームページ(Web Page)の中で日記ないしは日誌のようなものを書いているときには感じたことのない「丸裸になったような感覚」を日々体感する。(ちゃんとした服装をしているのに)まるで全裸で街を歩いているような気分になってくる。

ホームページで書いているときは心地よくなじんだ自分の部屋で書き物をしている感覚だったのが、ブログの場合はどこか「パブリックな場所」で誰かに向かって語りかけているような気がする。とにかくものすごく「パブリック」な感じなのだ。公式見解を述べているような感じであって、これまでのような「ひとりごと」ではすまされないようなある種のプレッシャーを感じるのだ。

これは気のせいなのだろうか、個人的な特異な感覚に過ぎないのだろうか。それとも誰もが感じていることなのだろうか、浅学寡聞(せんがくかぶん)にしてぼくにはわからない。


※今日の写真は2枚とも(株)ピラタス蓼科ロープウエイの許諾を得て転載しています。

2007年02月23日

3660 思考と行動における言語

ールツァイスのレンズの味が大好きなのです。

このカメラは、あくまでも バリオゾナー28mm-200mm/F2.0〜F2.8 を最大限に生かすためにカメラ部分を設計して取り付けたといった、カメラ付きレンズといったコンセプトのユニークなものです。なんといっても全域にわたって非常に明るいレンズであるところが、サンセット(夕暮れ)を撮影することの多いぼくには最適だったわけです。

が、しかしカメラ好きのぼくとしてはやはり昨今完成度を高めてきたデジタル1眼レフを1台は手元に置いておきたくなってきた。それと、普段どこに行くにも身につけていたいコンパクトデジカメが欲しくなってきた。この2種類のデジカメは相互補完的な役割を担うわけです。まさか1眼レフなみにでかくて重いこのカメラを首からぶらさげてゲレンデを滑走するわけにもいかないでしょ。

とは言ってもカメラ道楽できる身分ではないですから、限られた予算で工夫しなければなりません。ペンションってなにやかやで、維持するだけでも年間数百万単位のお金がかかるのですね。やれやれ・・・。まあ、好きで始めたことですからこれは「ぼやき」でも「文句」でもありませんが。どこに行ってもなにをやっても生きている限り「金が敵(かたき)の世の中」なのです、ってことについ「やれやれ」と言ってしまう、ダメな自分です。

それはそうと、色恋沙汰(?)から遙か遠ざかっているなあ、オレ。って思う昨今でありますが、だからまあ夫婦は平穏無事なわけではあるわけです。でも、いくつになっても、男だって、恋をしてみたいものなのさ。それは女性だけの専売特許ではないのだ。もちろん、恋するこころと人間としてのモラルのバランスを失ったら破滅あるのみだけど。

それにしても、バイロンの言うとおり「男の恋は生涯の一部だが、女の恋は全生涯だ。(ドン=ジュアン)」なのかもしれないけれど、いまや男性だってまったく同じなのだ。いまはむしろ男の方が全生涯をかけてひとりの女性を愛し抜くことが多いのかも知れない。男は「終わった恋を引きずる」とよく言われるけれど、それは違うのだ、その恋は永遠に終わることがない恋なのだ。女性のようにこころの倉庫にしまい込んで忘れてしまうことは出来ないのだ、男という生き物は。

2007年03月06日

3671 ピラタスは積雪120cmもあるのだ

晴れ 気温:最低 - 6℃/最高 4℃

昨日は全国的に大荒れの天気になったとニュース報道で知った。しかしピラタスの丘では強風というようなことはなく、雨もさほど降らなかった。2000mから3000m級の山に囲まれているためかも知れない。

それでも昨日の雨と今日の陽射しとで、おもだった道路はほとんど乾燥路面になった。ペンション村の中も同様で、積雪の嵩(かさ)もだいぶ減った。しかしピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデは相変わらず良いコンディションで、積雪120cmをキープしている。

ロープウエイ利用のコースをはじめています。べつにこの世とあの世ということでもないので、怖がることはありませんが、ただ、ボーッとした意識で鏡の前に立つことは出来るだけ避けた方が良さそうです、経験的には。 鏡という鏡がいつも別の世界との出入り口になっているわけではないですし、誰もがその力というか影響を受けるわけでもないですから。ただ漫然と鏡の中の自分(の映像)と語らうのはやめておいたほうがいいですね、きっと。 あ、怖がらなくっても大丈夫です。ペンション・サンセットの鏡はごく普通の鏡ですからね。ただ、ひとによってはどんなものでも「特別なもの」になることがあるということです。ぼくの場合はたまさかそれが「鏡」だというだけのことです。この世界はじつに多様な不思議に満ちているわけです。 ※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。..." dc:creator="" dc:date="2007-03-10T20:38:46+09:00" /> -->

2007年03月10日

3675 鏡の国はあるのです、たぶん

晴れのち雪 気温:最低 - 9℃/最高 1℃

ペンション・サンセットにいらっしゃると、どこかでこのパブミラーに出合うことと想います。しかしリピーターのお客様でも、あれこんな鏡あったっけ?・・・なんていうかたもいらっしゃるかも知れませんね。じつはこの鏡はペンション・サンセットの「宝物」のひとつで大変貴重なものなのです。

もちろんパブミラーとして貴重だ、という意味なのですが、個人的に大切に想う理由がもうひとつあるのです。

日が当たっているときにじっと眺めているとじつに様々な物語が映し出される不思議な鏡なのです。ほんとうですよ。この写真のように見えることはめったにないのですが、さて背景にはなにが昁視野というのは「非ユークリッド空間」つまり「球面幾何学」の世界なので、超広角レンズや魚眼レンズと同じように空間を写しているのを脳が情報処理してわれわれが日常的に認識する「ユークリッド空間」に変換しているわけです。要するに平行線が永遠に交わらない世界です(非ユークリッド空間では地球の経線のように平行線は必ず交わる)。

この空間に妙に親しみを感じ、やがてまったく違和感なく観ることができるようになるのは、そのことに大いに関係があると思っています。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

2007年03月21日

3686 初心に返ること野心を失わないこと

晴れ 気温:最低 - 14℃/最高 - 6℃

GWに向けてペンション・サンセットのHPを少しでもご覧いただきやすくするために、改善を進めています。

大きな変更といえば、これまで載せてこなかった私たちオーナーのご紹介ページを「プロフィール」としてアップたことです。プライバシーというか個人情報というかそのへんに関して心配もあるのですが、お客様が知りたいことのひとつに「どんなひとたちがこのペンションをやっているんだろう?」というのがあると思うからです。小さな個人的な宿であるからこそ、そのご心配というか不安というか、それがかなり大きな部分を占めることが理解できるからです。

24時間全自動即時予約システムも、以前よりシンプルな仕組みに変更しました。従来どおり実際の宿泊料金を確認してから予約できますが、料金確認だけでも利用できます。予約完了までのステップ数が減ったのと、お客様サイドで3部屋までの部屋割りができるようになったところが進歩しました。また、残室数が数字で出るようになりました。

素泊まり(食事無し)が基本プランで、それに朝食、夕食、プランオプションを付け加えていくスタイルなので、あらゆるご利用形態にお答えできるものになりました。たとえば3名様のうち2名様が1泊2食付き、遅く到着なさる残り1名様が1泊朝食付というケースも簡単です。早朝ご出発のケースなら1泊夕食付(朝食無し)も選択できます。実際にご利用になってみてご意見ご要望がありましたらご一報いただけると幸いです。

方向性としてはもっともっとシンプルでわかりやすいものにしていきギザとして新緑の芽吹きへの準備に入っている。

落葉松などはもうライトブラウンの針葉をつけている。そうだ、落葉松は(その名の通り)昨秋すっかり針葉を落として枝だけになっていたはずなのだ。しかしふと気づけばしっかりと美しい色合いの針葉を付けているではないか。

常緑針葉樹のもみの木やしらびそなどはその色を緑濃いものへと変化させている。山並みもしだいに山体の色合いを変えてきている。

ピラタスの丘の広葉樹の新緑の季節は5月中旬からだけれど、蓼科湖などの湖沼部の新緑はまさにGWからになる。同時に蓼科湖では400本を越えるソメイヨシノが一斉に咲き誇り、これは写真撮影の被写体としてもおすすめだし、ただ眺めるだけでもこころがうきうきしてくるほど素晴らしい景観だ。

もうすぐ春が来る、そのことを実感させる一日だった。

不思議なのは、その一方でお隣のピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデはいまだ「春スキー」にもなっていないスキーシーズンだということなのだ。あと1週間もすれば「春スキー」の雰囲気とゲレンデ状況になってくるだろうけれど、今週末はまだ2月のハイシーズンなみの雪が満喫できる。今シーズンの締めくくりの滑り納めにおすすめだ。


※今日の写真と図版は(株)ピラタス蓼科ロープウエイの許諾を得て転載しています。
※画像をクリックすると拡大してご覧いただけます。

2007年03月25日

になる。ちょうどGWの連休に当たるのでお客様には最高のプレゼントになると思う。また写真の被写体としてもおすすめだ。ぼくも今年はしっかりと撮影しようと計画している。 蓼科高原もいよいよ春の行楽シーズンに入る。 ※写真をクリックすると拡大してご覧になれます。..." dc:creator="" dc:date="2007-03-29T22:59:54+09:00" /> -->

2007年03月29日

3694 蓼科高原は春の行楽シーズンに

曇りのち晴れ 気温:最低 - 3℃/最高 11℃

今日の写真はいずれも昨日も書いた RICOH Caplio R5 で撮したモノだ。1枚目はウチの愛犬というか家族のシベリアンハスキーのパル君。ここのところ急激に暖かくなってきたのでそろそろ冬毛から春の毛に変わろうとしている。毛の質感がとても良く写ってちょっと感心している。

2枚目はおなじみのペンション・サンセットのテラス越しの景色だけれど、拡大すれば α100 の解像度とは比ぶべくもない。しかし、なかなか雰囲気のある絵になっていると思う。この雰囲気の違いをうまく使い分けると面白いと思ったしだい。

さて、今日は朝のうちは曇りで、雲の下端がピラタスの丘にかかってきりのような感じになっていたけれど、午後になって晴れ間が出てきた。気温は11℃まで上がって、陽射しもとても強く感じた。もう間違いなく春なのだと実感させられる。スキーヤーとしてはちょっと早すぎる本格的な春の到来ではあるけれど。

ピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデにはまだ1m以上の充分な積雪があって、滑走コースにアイスバーンやブッシュは無い。4/15までの営業で、しかもリフト券が格安になるので、まだまだ「滑り納めの調整滑走」が可能なのだ。是非ご利用いただきたい。<なにを使うかとかどれが優れているかなんて言う議論自体がほとんど無くなったように思う。特にひとたびインターネットに接続してしまえば、OSはほとんど意識することが無くなった。 ・・・と思ってきたのだけれど、先日書いたように我々ペンションの集客にけっこう大きな比重を占めているネット宿泊予約サイト「じゃらんnet」が Windows 98〜XP のみサポート、Vistaは4月に入ってから検証という暴挙に出たのだった。アクセシビリティーの向上が叫ばれる現代ネット界にあってOSによってはまったく接続すら出来ないという仕様のシステムを新規構築するというのはいったいどういうことなのだろうか。まったく理解に苦しむところだ。 まあ、これはわれわれ宿泊施設が在庫管理やプラン管理をするシステムの話しに限定されたことだとは思うけれど・・・よもや、一般のお客様が上記OS以外のPCから「じゃらんnet」にログインしようとしたら画面がフリーズしてまったく動かなくなるなんて仕様になっているのではあるまいな。 平気でそういうことをやる会社なのだ、リクルートという企業は。これは間違いなく背後にマイクロソフトがいるに違いないと感じますな。サーバーはもちろんマイクロソフト謹製のシステムなのだろう。だって、このやりくちやその後の「事後説明」の事実無根さ加減がとても良く似ているんだもんね。 いずれにしてもモノポリー的状況というのは、ろくな世界を構築しない。すくなくとも、そこにはすでに「進歩」とか「啓発」とか「知的刺激」といったものが存在しない。あるのは利潤追求という資本原理主義的企業論理だけだ。人間的なつややかさとか、輝きが全くない。マイクロソフトの作る文書やウェブサイトがどうにも我慢ならないくらい悪趣味で程度が低いのはそのような資質によるものだと思う。そもそもそのようなセンスに欠け、しかもそのような世界に何の興味もないのだからむべなるかな、だ。 以前、ドイツのテレビ局に米マイクロソフト社について聞かれたアップルのCEOスティーヴ・ジョブズは「マイクロソフトの唯一の問題は、彼らにセンスがないことだ。(中略) 彼らは独創的な発想をせず、製品に文化が込められていない」と語っているそうだが、その通りだ..." dc:creator="" dc:date="2007-04-01T23:23:02+09:00" /> -->

2007ॲ」に改めた。これはアウトソーシングしたものだが、現在「通常予約」のためのシステムと、お好みでプランを作成して予約できる「マイプラン予約」のためのシステムの2つを併用している。

いずれのシステムも予約後数分で予約確定メールが返信されるので、これまでのように当方からの予約確定の手書きメールを待たずに済む。データベースが正確に空室管理しているので、確実に予約できたことを確認できるので安心だと思う。

同時に予約前の確認画面で詳細な見積が計算されて表示されるので料金に関しても安心してもらえると思う。この機能を使って、予約しなくても料金の試算や見積が出来るので、その点でも利便性が高い。是非ご利用いただきたい。


今日の写真

今日の写真は昨日のセブンイレブンからピラタスの丘に戻るときに最初に遭遇する信号だ。信号の支柱の延長線上に見える雪渓のようなところがピラタス蓼科スノーリゾートで、その左隣がピラタスの丘ペンション村になる。山としては北八ヶ岳の北横岳の山腹に当たる。このようにぼくらはいつも街に降りたときには自分の住まいを望むことが出来るのだ。ちょっと不思議な感覚ではあるけれど。

この写真も夕暮れ時に北方向を Richo Caplio R5 で LAND ROVER の運転席からフロントスクリーン越しに撮影したものだ。片手にハンドル、片手にカメラの状態なので手ぶれが心配だったが、手ぶれ補正機能が効いているようでなかなかの写りではある。安全のため走行中は撮影していないことを申し添えておく、念のため。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

2007年04月14日

3710 サンセットファンのみなさん、春ですよ〜!

曇りのち晴れ 気温:最低 0℃/最高 11℃

激しい雨の後すっかり春になった

昨夜午後9時頃から突然の激しい雨。一時は雷鳴を聞く。9年ほど前に犬舎のすぐ横の落葉松の大木に落雷を経験したシベリアンハスキーのパル君は、以来雷鳴を聞くと外に飛びだすようになったのでびしょ濡れになっている。外に出るより鋼板製の犬舎の中の方が安全(じっさいそのおかげで怪我もせずに落雷を生き延びたのだから)なのに、これはワンコに理解しろと説得してもせんなきことだし。

まあさいわい雷鳴もすぐおさまり、雨脚は激しいものの予報どおりならば朝には晴れてくるとのことなので、それを信じて床についた。そして、朝、ななんと曇り空ではないか。しかしウェブで見る天気概況では晴れマークがでている。再びそれを信じ | | トラックバック (0)

2007年05月18日

3744 Windows体験2日目

晴れのち雨 気温:最低 1℃/最高 13℃

5月16日、 IBM ThinPad T43 が納品になって完全リニューアルされた管理画面へのアクセスが可能となったので、インターネット宿泊予約サイト大手の「じゃらんnet 」再開の手続きを取り、早速販売再開にこぎ着けました。思わぬ出費となってしまったけれど、お客様の利便性と、当方としての販売機会損失の両面から必要なコストと割り切るほか無いですね。

昨日書いたように新しい体験、新しい視点を持つことが出来たので、対投資効果は期待以上だったといえる。まずはペンション・サンセットのホームページをノート型パソコンのXGA(1024×768)の液晶モニターでご覧いただいたときにすっきりと一画面で収まるように小さく作り直すことから着手します。

また、Windows版の各ブラウザーの表示のクセも把握したのでそれにも対応しようと思います。セキュリティーソフトはカスペルスキーのものに決定し、OEM版の MS OFFICE 2003 Personal SP2 のインストールもすませ、かな漢字変換システムとして愛用してきた ATOK2007 も導入しました。

これで一通りのことは出来るようになったけれど、ブログの更新は出来てもホームページの更新はまだ出来ない環境のままです。画像処理はパワーのある Power Mac G5 で行うとして、編集とアップロードに関しては IBM Home Page Builder v.11 Premium あたりを導入しておけばいざというときには ThinPad T43 で更新が可能なので、そのようにしようと考えています。

メール環境は、Eudora Pro v7.0J、Thunderbird 2.0、Outlook Express、Outlook 2003 を比較してみた結果、大好きな Eudora Pro は動作に不安定なところがある、Thunderbird はアカウントの扱いにいまひとつなじめない、Outlook Express はちょとね・・・。ということで、とりあえず MS OFFICE 2003 Personal に付属する統合ソフト Outlook 2003 SP2 を使い始めました。

これはカスペルスキーの「インターネット・セキュリティー」のフル機能対応メールソフトが上記の中では Outlook 2003 と Eudora Pro v7.0J のみというのも考慮した結果なのですが。 Eudora Pro がもう少し安定性を増してくれれば使い慣れているし、なんといってもメールの分類や検索や移動がすこぶる簡単軽快にできるので決まりなのですが。

まあそのあたりは、サブマシンという位置づけなのでとりあえずはこれでいこうと思います。

今日は朝から快晴だったのですが、予報どおり午後3時過ぎから雨になり、しだいに激しさを増してきました。晴耕雨読ということで、WindowsとWindowsマシンに慣れることに専念しています。こういう「学習」というのはじつに久しぶりのことなのでとても新鮮に感じます。それが高じて2日連続で徹夜してしまいました、ははは。

Windows XP のことも好きになりましたよ、かなり。今度出た Mac OS X ととても良く似た Windows Vista もね。これは皮肉じゃなくって、Windowsユーザーの人たちも美しいビジュアル効果やインターフェイスでよりよいPC体験ができることと思います、ホント。でも、ビル・ゲイツというひとはどうしても好きになれない、個人的には。彼が本気になればもっともっとずうううううっと良い革新的なOSやアプリが作れるはずなのに・・・という部分で好きになれないのね。


※写真をクリックして拡大してじっくりとご覧ください。
※ものすごく程度の良いこの中古のThinkPadは楽天市場の | | トラックバック (0)

2007年05月21日

3747 Windows体験5日目/新たなる出発?

晴れ 気温:最低 1℃/最高 20℃

次期導入マシンとしては、場合によっては Macではなくて Windows マシンになるかもしれない。デスクトップになるか、ノートブックになるかはこれからの体験次第ということで。物珍しさだけではなくて、ThinkPadばかり使っている昨今だ。第一にどこでも好きなところで楽な姿勢で仕事できるということ、音が静かだということ。この2点はピラタスの丘のように静寂に包まれた環境では特に重要なのだ。

ノート型パソコンの性能向上が著しく、どうしてもデスクトップPC出なければできない作業というのもあまりなくなってきた昨今だから、ノート型パソコンを二台という選択肢もありだと考えるようになった。そのように考えるようになった自分にいささか驚いてもいるけれど。

さて、今日はここから標高差500m近く登った「坪庭」の様子の写真をお借りしたのでアップする。すでにガンコウランの花が咲き始めているとのことです。「とはいえ、これを花と一見できる方は少ない様です、非常に小さく、蕾や種に見えてしまうからでしょうか・・・」というコメントには素直に納得です。

白樺湖?車山のレンゲツツジの群生地もそろそろ開花しそうなタイミングです。また6月第一日曜日の八ヶ岳「開山祭」を目前に控えた北横岳も遠くから見る限りこんな感じでだいぶ歩きやすくなっているようです。が、蓼科山も同様ですが日陰や北斜面にはびっくりするほどの残 | | トラックバック (0)

2007年06月20日

3777 神の定めしこと

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2007年06月21日

3778 市場原理と直接民主主義

曇りのち雨 気温:最低 12℃/最高 18℃

ピラタスの丘全体でレンゲツツジが見頃を迎えています。白樺湖から車山にかけての群生地でも見頃になっています。平年より2週間ばかり遅い花暦になっているようなのですが、このままのスケジュールで花が咲いていくのでしょうか。

これまでの個人的経験では有名な霧ヶ峰のニッコウキスゲの群生の見頃はそんなにずれがなく、例年7月中旬から下旬になっていますから、7月にはいると梅雨明けのタイミングとも関わりなくきっちりと咲くべき時に咲く花も多いようです。

まあいずれにしても僕の個人的出自はどこまでもMacということに変わりはないと思うけれど、ビジネスに関する作業についてはWindowsの方が適性があると判断した。なぜなら、お客様の93%がWindowsを使っていらっしゃるからだ。

だからこそ僕はあえてWindowsを初心者の方が使うであろうスペックにチューニングして使っている。プロフェッショナルにカスタマイズすることを控えている。お客様と同じ環境で自分の制作したホームページをそのようにしてチェックするためだ。

そのことによってじつに様々な発見をし、とてもとても勉強になったことを報告したい。もちろん、不具合は速攻で修正しているので、ペンション・サンセットのホームページはずいぶん改善されてきていることと思う。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

2007年07月02日

3789 武士は食わねど高楊枝、ってホントに貧乏なのね

雨 気温:最低 12℃/最高 15℃

2007年07月12日

3799 天気予報は断定的表現を改めてね

雨のち曇り 気温:最低 12℃/最高 15℃

午後6時半、ようやく雨がやみきれいな夕景となった。昨日「あんたねぇ?!」と思わず怒鳴ってしまった相手、例の変な歌を歌うウグイスが近くにやってきてますます調子外れの歌を歌って悦に入っている。いったいウグイス界では何が起こっているのだろう。

午後7時の吹き抜けラウンジではまだキーボードライトだけで十分作業できる明るさが残っている。西の空の残照がここを明るくしているのだ。雨上がりの夕暮れの空がたとえようもなく美しい。ここから観ると空は目線の高さにある空間なので、夕焼けを眺めるのに上空を仰ぐ必要はない。

それにしてもせっかくの3連休に台風が来るかもしれないという報道は本当なのだろうか。TVで見る天気図ではかなりの確度があるように思われるのだけれど、これで台風が来なかったらまさに噴飯(ふんぱん)ものだ。

それが予測である以上データと既知の法則と過去の経験によって統計学的に(確率論的に)天気予報を発表しなければならないと言うことには理解を示そう。しかし、そのことをもっと正確に意を尽くして伝えるべきだと思う。すくなくとも「当たるも八卦当たらぬも八卦」が予報の宿命であるのならそのことを明確に示さなければならないと思う。

現在のように「断定的」に天気予報を語るのはやめてほしいものだ。正しくは「晴れの確率は何パーセントです」というように語らなければならない。台風がこちらにやってくp>

ネット書店の読者レビューで気になったことがひとつある。アレックス・カーは著書のプロフィールにあるとおりずば抜けたエリートであり世界に通用する知識人である。その彼の語り方にいま流にいうなら「上から目線」を感じて反発する書き込みが多いことだ。

その反発には、同時に、余所者がなにを言うかという反感が感じられる。残念なことだ。かれらは自分を高めるという発想を持っていないのだろうか。自分よりより高い位置からのより広いパースペクティヴを持つに至った人間を自分たちのところまで引きずり下ろすことしか考えていないのだろうか。

哀しいことだ。現代社会の縮図を見るようで、いささか絶望的な気分になってくる。


台風はそれたようです

心配した台風4号は大きく南に梶を切って、蓼科はほとんど風も吹かず豪雨にもならず、平穏な夜が明けました。降雨量の規定で今日はビーナスライン八島が原〜和田峠区間が通行禁止となりましたが、路肩の崩れなどの情報はありません。

今夜すでに空は晴れ渡っています。明日以降は晴れの予報が出ています。霧ヶ峰のニッコウキスゲもこれから満開に向かうタイミングだったので、どんな風にもびくともしなかったと思われます。今度の週末は例年どおり満開の花がすべてを埋め尽くし塗りつぶしていることでしょう。

※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

2007年08月16日

3834 愛されないことへの絶望

晴れ 気温:最低 15℃/最高 25℃

God is a concept by which we measure our pain.

これはこのブログの(あるいは蓼科高原日記の)サブタイトルだ。

じつはメインタイトルなのだけれど、ブログの性格上サブタイトルということになっている。

この言葉が John Lennon の想いの多くを語っているのかどうか寡聞にして知らない。

しかし僕にとっては精神の核とでもいうべきものを言い表している。

神とはそれによってわれわれの苦痛を計る概念だ。

僕の苦痛とはありのままの自分が愛されないということだ。

愛されるために、愛されるような自分を演じ続けてきた。

それは過去完了形であり、現在完了形であり、現在進行形であり、確定的な未来である。

無垢の愛で満たされること、どのような対価も求めない愛によって包まれること。

理解されなくてもいい、ただ、愛されたい。

僕にとって人生とは生きる価値のないものだった。

生きる意味などどこにもなかった。

本当はおまえを生みたくはなかったのだという母親の言葉によってそれは呪いとなった。

その呪いからいまだに解き放たれないでいる。

僕は神を求めている。

宗教上の神ではなく。

至高の愛としての神を。

あるいはそれは「ひと」なのかもしれないけれど。

蝉が戻ってきた。

驚いたことに今朝窓を開けると蝉の声が聞こえるではないか。ジージーと鳴く蝉の音にふたたび夏の盛りの記憶がよみがえる。ここで聴く蝉は暑苦しいということはなく、むしろ清涼感を感じさせる。じっさい、夜明けまで起きていたのでお客様のチェックアウト後に仮眠したときなど、その声は妙なる歌声に思えたほどだった。そして窓から吹き込む冷風(涼風ではない)に危うく風邪を引くところだった。

あいかわらず窓全開、サンルーフ全開でクルマを走らせているけれど、ますます快適になってきた。涼風が心地よいのはもとより、蝉時雨をはじめとした様々な自然の音、季節の音、そう、「夏の音」を聴くことができるからだ。

そういうことは都市生活ではめっきり少なくなってしまったのではないだろうか。僕がこちらに移住する前からそんな具合だったのだから、いまはもっと自然とふれあう機会は減ってしまっているかもしれない。もちろんその気になれば大都会に暮らしていたって、思わぬところで無垢の自然と出会うことが可能なのだけれど。

いま芹が沢インターチェンジで国道299号線と国道152号線を結ぶ立体交差道路の建設が進んでいる。なんでもない農村の風景だけれどなかなか好きなビューポイントだった場所にそれは建設されている。そして思うのだ。

日本人の心の中にはもはや「風景」に対する感性というものがなくなってしまっているのではないか、と。いま思えば、この工事が始まる以前の風景そのものがすでにとんでもなく損なわれていたのかもしれない。高圧電流を流す鉄塔や、携帯電話のアンテナ塔や農家や民家から林立する高いテレビ受信アンテナなど。

それは遠い過去からそこにあったものなのに、いや、だからこそ我々の脳がフィルタリングして見えなくしてしまっていたのだろう。我々に見えるのはそのようなものがなかった頃の「原風景」とでもいったものだけだったのだ。

そのことがさらなる風景の破壊を呼ぶのだった。それはとどまるところを知らない。免罪符を得たかのように、イノセントな風景破壊が進んでいる。それも加速度的に。「日本の原風景」などもはや我々の世代(現在50歳以上)の追憶の中にしかないのだ。我々はそれを投影して「美しい日本」を観ているつもりになっているに過ぎない。

良くも悪しくも、風景とはひとのこころのなかに創り出され記憶されるものだから。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。(忘れな草)

2007年08月26日

3844 いえ、大丈夫です

晴れ 気温:最低 11℃/最高 20℃

いえ、大丈夫です。

よく言いません? 最近。

場面としては、ノー・サンキューって言うようなとき。

けっこうです、とか、いりませんなんて言うと

なんだか相手のオファーをはねつけているみたいな感じになるので

より婉曲な表現に変わってきたのかも知れないですね。

日本人って心優しい民族なのかも知れない、やっぱり。

せちがらいグローバリゼーションの中にあって

だから日本人ってお人好しなのかも知れない。

でも、そんな日本人が僕はいいな。

好きだな。

カモられたっていいじゃない。

でーんと構えていればいいんだ。

あとは武士道で勝負。

「葉隠れ」の世界ね。

騎士道ぁい。女性は自分自身のために生きている。そのように作られ、そのように運命づけられている。それが種の保存にとって最適だからだろう、たぶん。 いま僕はそのことを確信している。 良い悪いではなくて、そういうものなのだ。 男もこの年齢になったら、自分だけのために生きることを始めるべきなんだろうな。それが真の意味での「自立」ということなのだと思う。妻はもうほっといてくれという風情だし、それならもう理解しようとしたり細やかな気遣いなどむしろ迷惑なのだと考えるようになった。 男は女の都合の良い道具的存在ではないのだ。もはや僕は君無しでも生きていける。 君が勝手に生きるなら僕も勝手に生きる。結婚という形態にも形式にもこだわりはない。 愛..." dc:creator="" dc:date="2007-09-28T23:12:35+09:00" /> -->

2007年09月28日

3977 自立した孤独な男として

晴れのち雨 気温:最低 10℃/最高 17℃

比較的暖かな天気になった。ピラタスの丘の森でも赤いものが目立つようになってきた。紅葉が始まったのだ。最盛期はおそらく10月中旬になると思うけど、それ以前から美しい紅葉を周辺の山々で楽しむことができるだろう。

★★★

夜、雨が降り始めた。予報通りなので驚かない。秋らしい静かな雨だ。さーっという柔らかな音が二重ガラス越しにかすかに聞こえる。いつもと違うのは今年は木の葉が水分を多く含んでいるので、ぱらぱらという乾いた音になっていないことだ。

秋の夜の雨、真冬の夜の雪、嫌いじゃない。まるでこの世界には自分ひとりしか残っていなくて、世界はもうすでに滅びてしまっている。僕の精神が形成するこの世界が人類が認識する最期の世界だという感覚が不思議な高揚感を呼び覚ますのだ。

変わっているのかな、僕は。

まあ、いずれにしても、孤独な幼年時代を送った子供は孤独な大人になるのだ。孤独に慣れなければ、孤独に適応しなければ生き抜けなかったのだから。僕は孤独な幼児であり、孤独な少年であり、孤独な青年で />  智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

(夏目漱石著「草枕」より:青空文庫


なあんだ、「草枕」に全部書いてあったんだ。思春期に読んだことあるのにね、当時は全然理解していなかったってことか。

いまは僕も山路(やまみち)を登りながら、そう考えるよ。

それはさておき、

読んでくれているひとはごく少数だろうけど、書くことができなくなった僕は過去の戯言を繰り返すしか能がないのだ。

---

エントリーナンバー 3557 2006.11.08 を繰り返す:

本音とか正直とか公正とか、そんな言葉も概念もおとぎ話の中にしか出てこないのだ。世界は嘘と欺瞞と不公正に満ち、不公平がその実体に違いない。愛という名のメタファーに救いを求めるほか無い。しかし、メタファーはあくまでもメタファーでしかない。愛は人間存在によってのみ存在させることができる。愛はそのままでは生き続けられない。

世の中が公平であるとか、神が正義であるとかいうのと同様にそんなものはわれわれの妄想でしかない。信じる努力なしに愛は永遠ではないし、闘う勇気無しには正義は存在すら危うい。戦争や闘争は人間の原初的性向であり、平和や融和はその合間に訪れる僥倖(ぎょうこう)に過ぎない。

だからこそわれわれは演技するのだ。この世界は本来的に平和であるかのように、人間は平和をなによりも愛する生き物であるかのように、人間とその社会は必然的に正義と公平を志向するものなのだと。社会正義は必ずなされるものなのだと。愛さえあれば平和は必ず訪れるものなのだと。

別に悲観的にものを見ているわけではなですが、やはり標高2200m以上は雪になったようです。 紅葉は数百メートルの帯状に山を下るのが通例ですが、いまちょうどその帯がピラタスの丘を通り過ぎようとしているようです。 ミズナラや白樺などは昨日の「秋の嵐」でおおかた葉を落としましたが、カエデやヤマウルシなどはまだしっかりと赤い葉をさらに鮮やかにしつつあります。 いままさに極彩色に彩られる蓼科高原です。 ※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。..." dc:creator="" dc:date="2007-10-28T23:26:03+09:00" /> -->

2007年10月28日

4007 蓼科は極彩色の世界・蓼科山が初冠雪

晴れ 気温:最低 - 2℃/最高 8℃

美しい森を歩いていた。真っ赤に紅葉した楓(かえで)がほどよい感覚で頭上を覆い、他の樹木は新緑に輝き下草も青々として吹き抜ける風にそよいでいる。径(みち)に沿うように渓流が流れ、さらさらと軽やかな水音が心地よい。

陽射しはまっすぐで強い初夏の光線だ。しかし、僕の感じる季節は秋。腐葉土に覆われた森の小径はふわふわとして雲の上を歩いているような感覚がする。落ちた小枝が時折ぱきぱきと足下で音を立てる。

突然見知らぬ鳥が鋭い鳴き声とともに飛び立っていく。完璧な世界が一瞬切り裂かれる。しかしゆっくりと広がる波紋がおさまると、この球形の空間は元どおりの完璧な姿を取り戻す。僕はこれが自分の夢であることを感じる。

この森が僕の心の形であることをしだいに思い出す。僕はいま自分の夢の中にいてゆっくりと覚醒へと向かっているのだ。いったい覚醒は褒め称えられるべきことなのだろうか、夢は笑い飛ばされ忘れられるべきものなのだろうか。


★★★

 きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかも知れない。

 でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。

 大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和を図ることだ。
 たとえば、星を見るとかして。

 二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過ごすのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
 水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
 星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果が上がるだろう。
 星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。


これは僕が長年の瞑想体験によって見ることのできるようになった世界をじつに的確に記述した文章だ。空気が平地にくらべて20%も薄く、清涼な大気と静寂に抱かれた蓼科は、瞑想者にとっては最適な環境だと言える。僕の瞑想体験は飛躍的に進んだ。

僕の「静かな生活(スティル・ライフ)」は続く・・・のだろうか。

---

朝から曇っていたが、予報とは異なってつい先ほどから小雨が降り始めている。予報では明日以降は天気は回復して、週末は両日とも晴れの予報となっている。紅葉の盛りの蓼科は文字通り極彩色で、蓼科湖畔の450ほんのソメイヨシノの真っ赤な紅葉は目を見張るばかりだ。

国道299号線を登った横谷観音展望台からの王滝と色とりどりの横谷峡の眺めは最高潮を迎えているので、是非お勧めしたい。>>写真


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

晴れ 気温:最低 - 10℃/最高 - 5℃

久しぶりに感動した。ただ意味もなくおじさんが奇妙な踊りを踊っているだけなのだが、その状況がすごい。なんと世界中を旅しながら、同じステップのその奇妙な踊りを踊っているのだ。初めは「馬鹿だな〜」としか思わないのだけれど、見ているうちに心の奥底からじーんとしてくるのだ。

このおじさんはこの世界を愛している、イノセントに純粋にこの世界と人類を愛している。これはかたちを変えた「祈り」なのではないか、と。

無意味の意味、禅における行、そんなことをふと思った。

変なおじさん(?)こと MATT さんのHPでムービーを是非見て欲しい。↓

http://www.wherethehellismatt.com/

サイト名は "Where the hell is Matt ?" で、そのまんまドメイン名になってる。

2008年02月04日

4106 除雪・除雪・除雪

晴れのち雪 気温:最低 - 14℃/最高 - 4℃

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2008年08月01日

4294 生きる・働く・働く・生きる?

晴れ 気温:最低 13℃/最高 20℃

いつもどおり「外道写真術(?)」でマクロ撮影したのですが、とても面白い写真になりました。写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

☆☆☆

山麓の街、茅野や諏訪では30℃以上になっていました。家と出先がこれだけ温度差、さらに10%も気圧の差があると身体㐌じような暮らしをしているので、まあ、そんなふうに感じるわけです。

つい昨日までマツムシソウが満開だったのですが、標高の高い1700mあたりではもう終わり始めています。高原の花は、特に秋の花はなんだかとても儚い印象があります。だからこそより一層こころ惹かれるのかも知れません。

さて、このブログが以前よりつまらなくなったと感じている方も多いかと思うのですが、それには理由があるのです。

以前の「蓼科高原日記」ではけっこう重い話題も扱ってきましたが、あるとき決心して、と言っても今年の6月ですが、重い話題をすべて他のブログに一任してこちらには軽い話題だけを書くようにしてたのです。

重い話題と軽い話題とのバランスをとり続けることがとても困難になってきたのと、そのこと自体に僕が疲れてしまったからです。

重い話題について言うなら、ひとの主張には、それがどんなものであれ必ずそのひとなりの「正義」と「公正・公平」と「真実」があるものなのだ、と言うことをいまの僕は知っています。

自分から見てそれがどんなに、たとえば「理不尽で非合理的で利己的な主張」であったとしても、そのひとなりの「想い」と「正義」があるのだと。そんなふうに思えるようになりました。

以来、よほど大切なこと、自分として譲れないこと以外の問題については「戦わない」ことにしたのです。物理的、社会的あるいは精神的被害がない限り、あるいは実質的当事者にならない限り僕は戦わないことにしたのです。

一般論で議論して、相手を言い負かしたとしても、そのことになんらかの喜びを見いだすことはいまの僕にはできないのです。ここでは言えないのですが、僕にはもっと優先してなさなければならないことがあるからです。

しばらくそのことにすべての力を集中したいと思います。だから、このブログがつまらなくなったとしても、それはそれでしかたないと思っています。

これから僕は、いまの自分にしかできないこと、いまやらなければならないことに没頭します。

よろしくお願いいたします。


---

同じ著者が想いを語るまったく雰囲気の違うブログ「たてしなクロニクル」はこちら。↓

http://ameblo.jp/tateshina-chronicle/

2008年11月22日

4407 いのちを想う


メジロ・・・だと思うのだけれど

この季節になると

なぜか

よくうちのウッドデッキに

やってきては

つかれはてたように

まどろむのだ

なかには

脚を折って

ぺたっとしてしまうものもいて

じっさいに

そのまま死んでしまった例もある

だから

こういうときは

そっと見守ってやることにしている

万一死んでしまうとしても

それは

自然界の掟に従って

さだめられたことだから

ぼくらにはなにもできないことを

この15年で学んだからックバック (0)

2008年12月16日

4431 新しい一日がはじまる






(写真クリックで拡大)


冬です

ひとたび降り積もった雪は

もう解けることはありません


雪解けの季節まで

来春の雪解けの季節まで

氷と雪の世界になります


朝起きると

そんな積雪の上に

様々な動物の足跡を見るこはないし 始まりのない終わりもないのだ あるのはただ「いま」だけ パルは居室ですやすやと眠っている 体力の衰えから どうやら風邪を引いて こじらせて 肺炎になりかけていたようだ あまりにも頑健で屈強の寒冷地犬であるがゆえに 僕らが気づくのが遅れてしまった さいわいほぼ回復したけれど 自分の想像力のなさに いささか忸怩(じくじ)たる想いだ 急に衰えて 寝たきりになってしまったパル君だけれど 僕にとっては それは彼の一断面にすぎない 我が家にやってきた頃の子犬のパル いたずら盛りでやんちゃだった頃のパル 屈強な成犬になって 信じがたいほどの身体能力とパワーを 見せつけて 野生のたくましさを思い知らせてくれた頃のパル そして熟年を迎え穏やかに暮らしていたパル そのすべてを いまのパルの中に見ることができるのだ その姿や状況とは関わりなく変わることのない 実存としてのパル いま目の前に生きるパル そのことにかわりがあろうはずがない 順番としては パルの方が先に逝くのかもしれないけれど 僕らの命だって永遠ではないのだ それが自然のことわり いつか同じふるさとで 再会することになるのだろう それこそが 縁(えにし)とうものなのだから また 新しい一日が 始まります パルにとっても 僕らにとっても たぶん・・・ - ●ペンション・サンセット ●蓼科高原日記 ☆たてしなラヂオ☆ ..." dc:creator="" dc:date="2008-12-22T18:45:35+09:00" /> -->

2008年12月22日

4437 新しい一日がはじまる(変奏曲5)






(写真クリックで拡大)


いつしか風もおさまり

森に響き渡るこの轟音も

止むことだろう


終わりのない始まりはないし

始あるのだ


それでも

なんの前触れもなく

涙があふれてくるのは

どうしたことだろう


涙の味は

きょうもまた

とてもしょっぱい

また

新しい一日が

始まります

パルにとっても

僕らにとっても

たぶん・・・

---

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☆たてしなラヂオ☆


2008年12月27日

4442 マッチョなパル君






(写真クリックで拡大)


今朝は

この冬一番の冷え込みでした

氷点下18℃


10年前には

当たり前の気温だったのですが

暖冬化でここ数年は

めったに氷点下16℃以下には

ならなかったのです


経験的には

氷点下13℃以下になると

しばれるという感覚になってきます


からだがぎゅーっと締め付けられて

痛いという感覚です

今朝は久しぶりにその感覚を味わいました


そんな過酷の気候に耐えて

というよりは

好んで暮らしていたのが

シベリアンハスキーのパル君でした


今日の写真は壮年時代の

心身ともに絶頂にあった

ものすごくマッチョなパル君です


時の経過を感じます


それが

悲しみも歓びも超えた

自然のことわりなのですね

たぶん・・・

---

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☆たてしなラヂオ☆


-->

4482 夜明けのドゥルーズ=ガタリ






ラヂヲのペンションの目の前にそびえ立つ蓼科山(標高2530m)!

(写真クリックで拡大)


きのう

「明日こそ485 いまそこに在る事実を認める" dc:identifier="http://www.p-sunset.com/blog/innervisions/index.php#000924" dc:subject="InnerVisions" dc:description=" (承前) 以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。 とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。 ☆☆☆ 2003.01.15(水)-雪のち晴れ 気温 = 最低 -15度/ 最高 -7度 『私がいまここにあることに私は満足しているし、掛け値なしに一切後悔していない。しかしそのことと過去を語ることとはまた別の話だ。』 と、私は昨日書いた。年を経るごとに過去を思い起こしたり語ることが多くなったのは、私が明らかに「人生のピーク」とでも呼ぶべき地点をすでに通過してしまった事実を物語っている。それは自然なことだし、逃れようの無いことであると思う。 私は人生の頂点を過ぎて久しく、すでに「老い」の段階に入っている。それは気持ちの問題ではなく、しごく単純明快な「事実」である。そうであるならば、そのように生きるしかないではないか。いまの自分に出来ることを行い、できないことはできないと認める他ない。でないと何も始まらないし、一歩たりとも前に進むことができない。 いまそこに在る事実を認めることから始めなければならない。たとえそれが自分にとって堪え難いものであったとしても。あるいは「かつての自分」からすれば信じられないほど無力な自分をそこに見いださざるを得ないとしても。 旅人が来し方の事物を語るのと同じように、人生のピークを過ぎて「夕暮れ」に向かう人間はあたりまえのように「過去」を語ることになる。それは(くりかえしになるが)自然なことなのだ。これから起こるであろうことよりも、過去に遭遇し通過してきた経験のほうが圧倒的に多いのだから。そしてはるか未来を語るにはすでに人生は短い。だからお若い方々はどうかそのことに寛容であって欲しいと願う。 というようなことをいうと、「まるで70代の男性の語ること」のようだと思うかも知れない。自分でもそう感じないでもない。50歳なんてまだまだ若い、ヒヨッコだという世界もあるだろうから。しかし、年齢というものは極めて「個人的」なものなのだ。実年齢はその人間の通過してきた(単なる)時間で測られるべきではなく、その密度と消費したエネルギーの乗数で語られっと違う方向に走り出す。 極端なことを言えば 100万人には100万通りの常識が存在するのだ たぶん。 その最大公約数が実際的な「常識」として規範化される それは必要なことだ まちがっていない しかし その規範から少しでも外れたものを 闇雲に排除するのは間違ったことだと思う とか・・・ そんなことを言いたかったような気もする ☆たてしなラヂヲ☆ ..." dc:creator="" dc:date="2009-02-08T00:10:50+09:00" /> -->

2009年02月08日

4488 常識とか



(補足)


たしかに人間はひとりで生きてゆくことはできない。それは事実だ。しかし、同時に、しょせん人間はひとりなのだ。


と私は書いたけれど、

実際に私はそのように考えている。


しかし

この一覧の記事は

そのことを伝えたくて

書かれたものではない


むしろ、

だからこそ

ひとのぬくもりが必要なのだ


生き抜くためには「愛」が必要なのだ

ぼくらには・・・

そのことを言いたかったのかもしれない。


しかしその一方で

どうにも理解され得ない世界観というものを持つ人間が

同じこの世界には存在するのだと言うことを伝えたかった。


それが本質的に「犯罪的観念」あるいは「狂気」でない限りにおいては

そのような世界を生きざるを得ない人間にも

他と同様の敬意が払われるべきだ。


世の常識などというものは

「歌は世につれ、世は歌につれ」

みたいなものなのだ。


「歌」を「ひと」に読み替えてみてほしい。

ことかように

一夜にして世界はころっと違う方向に走り出す。


極端なことを言えば

100万人には100万通りの常識が存在するのだ

たぶん。


その最大公約数が実際的な「常識」として規範化される


それは必要なことだ

まちがっていない

しかし -->

2009年02月18日

4504 自分であることの対価



今日は何を書こうかな、なんてふうに考えて書いているわけではないのです。その時の自分の気分みたいなものをそのまま書いているような気さえします。そうした意味においていうならば、この日記は正真正銘の「駄文(だぶん)」です。読んでいただいている方には大変申し訳ないと思っていますが、ぼくは元来そういうひとなのです。

しかし書いてあることは本心だし、プライバシーの保護のためのフィクション化という一点を除けば、すべて本当のことです。

この日記の本質は米国の哲学者にして心理学者であるウイリアムズ・ジェイムズの言うところの「意識の流れ」を記録したようなものです。あるいはシュールレアリズムの言うところの「自動書記」に近いのかも知れない。いずれにしてもぼくの内面に映し出された情景なり風景なりを記したものです。それをぼくの「想い」と感じておられる方もいらっしゃるようですがそれは当たっています。

今日ある方から心温まるメールをいただきました。そこにはここ数ヶ月日記を読むたびに胸の詰まる思いがしたとしたためられていました。ああ、本当に申し訳ないことをしてしまったと思うと同時にぼくの「想い」を確実に受け止めて下、つまり「夢見ること」を始めたのです。これはひとびとが第一義的な生きるために生きるということを為し遂げ精神活動に費やす余力を持つにいたった時点できわめて重要なさきがけとなったのです。近世に生きた彼らを原初的「知識人」と呼んで良いのかどうかわかりませんが、近代そして現代の「知識人」の原型をなす存在であったであろうことは確かではないでしょうか。 ことそこにいたって初めてそれと意図された「知的生産」が始まったのかもしれない。しかしそれとても「衣食足りて」初めて「価値」として機能する第二義的生産であることにかわりはなく、それが「知識人」の致命的な欠落要素であるように思われます。つまり「知識人」でありつづけるためにはサポーターないしはパトロンが必須であるという厳然たる事実です。ひとりの人間がその両方を兼ね備えるということは極めて困難でありきわめてまれなことだからです。 飢餓状況の中では「一粒の豆」と「ひとつの真実の命題」とどちらが救いとなるかは、生きるという観点からは明瞭です。しかし「一粒の豆」では生きながらえることかなわず結局死にゆくしかないならば「ひとつの真理の言葉」こそが最後まで「人間存在」として死にゆく..." dc:creator="" dc:date="2009-02-19T00:35:55+09:00" /> -->

2009年02月19日

4506 「生きのびること」から「それ以上のもの」へ



さて、昨日は「自らの内的自然にありのままに沿い、自分を取り巻く自然に対しても成すがままに沿い、そのように生きるひとびとの強さたくましさにはとてもかないません。」と書きました。しかしそれには続きがあるのです。動物として生きるならそれだけでよいのです。しかし人間は動物であると同時に、そうではない局面を持った存在でもあるからです。

「ただ生きるために生きる」という、生きる目的と生きることとが同じものであるような、抽象的思考の無い、きわめて即物的で具象的な「生活」こそ生命の本質的スタイルなのかも知れません。しかし、この世る自分に

夢の中で出会います。


そんな自分を

時の無い世界から

連れ戻さなければならない


そんな年齢に

いよいよ

僕も到達したようです。


---

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4590 森の暮らし(5)



同時に、

自然の与えてくれる

「安らぎ」のなかにひそむ

おどろおどろしいほどの

「威嚇的ななにか」を

感じることも出来るようになった。


それを「野生の気配」と呼ぶべきかも知れない。

それに耳を傾け全身全霊で感じることが、

いまではできる。


そして、

野生動物や

原生林の

樹木や植物のほかにも、

森には

じつに様々な存在があることを知る。


それを「森の精霊」と呼ぶことにやぶさかではない。


なにかがそこにいて、

あるいは

僕らを取り巻いていて、

ぼくらの理(ことわり)とは無関係に存在している。


それは

神でも仏でもないなにかであり、

ぼくの知る限り

一切の悪意とは無関係ななにかだ。


それはただ善意に満ちてそこにある。

その善意を受け入れることが

森で暮らす極意なのかも知れない、

けっこう難しいことなのだけれど。


(おわり)

---

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2009年09月15日

4823 空(くう)と空(から)と空(あき)と



なんの実かな?・・・ブルーベリーみたい

写真クリックで拡大してご覧いただけます。

★★★


4820 存在とが八ケ岳の稜線に鎮座して煌々(こうこう)と地表を照りつけている。ちょうどそんな感じだ。 あまりにもリアルな自然現象は、逆説的に奇妙に人工的・作為的に見えるものだ。でもこれはほんとうの満月だということを僕は知っている。この月に出会ったひとはじつに幸運だ。月齢、天候、雲の具合、月の出の時刻、地形などなど様々な要因がすべてそろった時にしか体験することが出来ない満月の情景だからだ。 ひとは様々な機会に様々な形で「神」を感じるものだ。僕はこの月に「神」を感じた。これは告白なのかも知れない。単なる描写なのかも知れない。しかし、神はなんの啓示もあたえはしないし、この美しい情景の創造者ですらない。それは神の仕事ではない。 この情景は美しい。じつに美しく感動的だ。しかし、本来的な意味において「客観的」に見るならば「美しく感動的な情景」はそこには無い。それは僕のこころの中にある。僕の精神活動の内にのみ存在する。「美」とは我々の精神の内に「構成」されるものであって、「そこに存在するもの」が単に「体験」されるものではないからだ。 様々な宗教が語る「神」はひとつのメタファーである。「神」とは「語りえぬもの」だから、そして「神」は一切「語らない」し「何かを指し示すことすらしない」からだ。それは神の無慈悲ではない、それは神の仕事ではないからだ。我々を導いたり、救ったり、罰したりするのは神の役割ではない。 この世界は「神」によってこのようにある。ただ意味もなく存在する。「無意味性」はこの世界の本質である。「啓示」はわれわれのインスピレーションに過ぎない。 宗教はそのことを「告白」すべき..." dc:creator="たてしなラヂヲ" dc:date="2009-09-17T03:08:22+09:00" /> -->

2009年09月17日

4827 無意味性はこの世界の本質である



ピラタスの丘は《連休も晴れマーク!》

昨日の気温:最低 + 5℃/最高 + 12℃
  
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4830 語り得ぬもの



ピラタスの丘は:快晴!《連休も晴れマーク!》
  

10月下旬の御射鹿池(みしゃかいけ),水面に映る景色がすばらしい!

昨年シャープのアクオスのTVCMで一躍有名になった紅葉の名所です

写真クリックで拡大してご覧いただけます。

★★★


前回記事のづつきです。先日《般若心経》のことを書いたので、参考までに2002年11月下旬に僕が書いた記事を再掲載します。《温故知新》ということもあるしね。(^^)

---


すなわち、問いが成り立つところでのみ、疑いも成り立ちうるのであり、答えが成り立つところでのみ,問いが成り立つ。そして答えが成り立つのは、ただ、何ごとかが《語られうる》ところでしかない。

たとえ《可能な》科学の問いが《すべて》答えられてとしても、生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されることだろう。これがわれわれの直感である。もちろん、そのときもはや問われるべき何も残されてはいない。そしてまさにそれが答えなのである。

生の問題の解決を、ひとは問題の消滅によって気づく。

(疑い抜き、そしてようやく生の意味が明らかになったひとが、それでもなお生の意味を語ることができない。その理由はまさにここにあるのではないか。)

ウィトゲンシュタイン


そうだ、われわれは《立てることのできない問い》を立てようとしている。

自分が生まれてきた意味を、そして生きることの意味を示して欲しい、と

この世界がこのようにあることの意味を示して欲しい、と。


しかし

ウィトゲンシュタインのいうとおり

われわれにその問いを立てることはできない。


われわれはこの世界にあり、神はこの世界に姿を現しえないからだ。

この問いを立てること、問い続けることあるいは願い続けることは

人生の観点からすれば間違っていないし無駄でもないと想う。


《人生の意味》《生きることの意味》・・・

《その答え》にわれわれは関与できない。

われわれには問いを立てることができない、というのはそういう意味だ。


しかし、われわれは《人生の価値》《生きることの価値》を問うことはできるだろう。

なぜならば、われわれは《その答え》に関与できるからだ。

それはわれわれの世界の内の問題だからだ。


ぼくはそのようにして

そのように《問いの立て方》をかえることによって

永遠の謎から解放されたように想う。


《人生の意味》《生きることの意味》・・・

でも、どうしても知りたいよね。

ラヂヲ君も《同じ想い》です。



☆たてしなラヂヲ☆

★★★


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。


八島湿原(尾瀬と同じ高層湿原)の開花情報はこちら

霧ヶ峰の高原の花の開花状況はこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/kirigamine_vc


車山高原の高原の花の開花状況はこちら↓
http://www.kurumayama.com/new/open.htm

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2009年11月08日

4888 鎧(よろい)

   

     
山麓から八ヶ岳・阿弥陀岳を望む。

写真クリックで拡大します。
 
 
★★★
 
 
自分が本来の自分であること、それこそが最も強固ず、結晶のしっかりした羽毛のような粉雪がきらきらととてもきれいです。積雪約60センチ。
 
写真クリックで拡大します。
 
 
この現実世界には我々が見たいものだけが存在し、見たくないもの興味を引かないものは存在しないものとしてフィルタリングされている。そのプロセスは我々の意識レベルには報告されないから、なにかのきっかけがない限り、そのことにはまったく気づかない。
 
詳細は別の機会に譲るけれど、われわれは見ようと意識しないものは見ない。先に書いたように「見たいもの」しか見えていない、そのほかにいかにたくさんのものがあっても、それを存在しないものとしてしまっている。
 
昨日はそんなことを書いた。
 
個人的には「見たいもの」がなんなのか、「見たくないもの」、「意識していないもの」がなんなのかを意識することはないと思う。まあ、特別なことがない限りはね。
 
いずれにしても、私たちは「私たちが見ているもの」(認識しているもの)という限定付の舞台装置であるところの個人的「現実」の中で生きていると言えるのかも知れない。
 
それはたとえば、恋人たち双方の視点から見た恋愛模様を映画化したものを観てみれば、日常感覚として理解できるのかも知れない。
 
私たちは「私たち自身の現実」を生きている。
 
 
 
今日の朝の雪景色を載せますね。もっと見たい方はこちらを見てくださいね。↓
 
http://twitpic.com/photos/tateshina_radio
 
 
  
☆たてしなラヂヲ☆
 
 
Twitter 始めました!!!
 
フォローしていただくとスキー情報をリアルタイムでご覧いただけますよ!(っていうか、おちゃらけツイートのほうが圧倒的に多いのだけれど)
 
http://twitter.com/tateshina_radio
 
 
★★★


ペンション・サンセット隣のスキー場はピラタス蓼科スノーリゾートです。現在、全コース滑走可能です。
 
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ここでわたしはポーランドの作家スタニスワム・レムの「惑星ソラリス」というSF仕立ての不条理な物語を思い出す。
 
のちにアンドレイ・タルコフスキーによって同題の名作と呼ぶにふさわしい映画になったのでご存知の方もいるかも知れない。(後年ハリウッドでリメイクされたものは侮辱的にひどいしろものだったけれど)
 
この物語はある惑星の全体を覆い尽くす海が主題だ。あまりにも不可解な動きを見せるこの生きている海を研究するために、惑星の周回軌道を回る宇宙船の乗員に起きる形而上学的な事件が描かれている。
 
お察しの通り、これはあえて言うならば寓話なのだ。いや、形而上学的メタファーとしての作品なのだ。
 
じつはこの海は1つの生命体であり、宇宙船の乗員の無意識領域を読み取り、それを夢としてではなく「現実のものとしてみせる」能力を有している。
 
しかもこの海は赤子のように純真無垢である。むじゃきに、乗員の心の痛みや悔恨や願望や混乱を実体化して宇宙船に送り届けてくる。
 
彼らはそれに耐えきれず、つぎつぎと発狂していく。廃人同様になっていく。それを察した当局から送り込まれたのが主人公だった。
 
この船の奇妙な状況をようやく理解し始めた彼のところに突然自殺したかつての妻が現れる。もちろん幽霊などではない。彼は驚愕するとともに彼女を失った苦痛と悔恨とを喚起される。
 
これは紛れもない彼女だ、しかし「これは自分の記憶の中にある限りの彼女なのだ」と気づくのにさほど時間はかからなかった。
 
彼の苦しみはそこから始まる。この「彼女」自身が自分が誰なのか,なぜここにいるのかを知らないからだ。しかも彼の記憶どおり彼を心から愛している。その所作も笑顔も寸分たがわず愛しい彼女そのものだ。
 
苦しみから逃れようと彼は「彼女」を何度も宇宙船から追放しようとするが、いつのまにかふたたび「彼女」は彼の前に現れる。
 
やがて彼の苦しみを察した「彼女」液体酸素を飲んで自殺を図る。かつての妻としてではなく「彼女自身」として彼を愛すようになったからだ。
 
しかし、ニュートリノで形作られている「彼女」はすぐに再生してしまい死ぬg/innervisions/index.php#001439" dc:subject="InnerVisions" dc:description="    キバナノヤマオダマキ(7月から8月に蓼科高原を彩ります)   写真をクリックして拡大してご覧下さい!     さて、わたしの「静かな生活」は「心のある生活」になったのだろうか、それともその代償として「心を捨てた結果」なのだろうか。   そのように僕は前回の記事の終わりに書いた。   もちろんこれは「反語」であって、そのように思っているわけではない。   僕の「静かな生活」は何も失うことなく実現され、なんの代償も必要とはしなかった。   念のために書き添えるならば、心を失うこともなく、心を捨てようと試みることもなく。   それはさておき   最近は「文学的表現」を理解しない(理解できない)人が増えたのだろうか。   これはべつに非難しているわけではなく、それを憂えているわけでもない。   時代がそのように変化したのだろうか、もしそうであるならば、表現も適応していく必要があるのではないのか、と思うばかりだ。   なぜならば、言葉は何かを伝えたいという思いを推進力として、実際的に何かを伝えるのが第一義的使命だったはずだからだ。   コミュニケーションとは伝えるべき相手の言葉で話すことだ   これはマスコミュニケーション産業に携わるものとしての僕の信念だった。   まあ、その信念を曲げなかったゆえに、その世界を去ることになったのかも知れないけれど。   いまなら理解できる、それが傲慢な信念であったことを。   コミュニケーションというものはあらゆる条件がすべて整ったときにのみ成立する僥倖ようなの瞬間にのみ可能なものなのだ。   僕らは互いに誤解やミスリードという誤差を前提として、それをあたりまえのものとして許容して、互いの思いを伝え合いながら生きているのかも知れない。   だからいま僕は誤解を恐れることなく語りかけることにしている。   誤解があると感じたら、あらためて語り直せばいいのだ。   言葉では伝えられなくても、心は伝わるかも知れない、思いは伝わるかも知れないじゃない。   そのとき語られる言葉は、語ることの叶わない思いを伝える「音楽」のようなものになっているのかも知れない。   大切なのは想いであり、もっと大きくは「世界観」なのだと思う。   村上春樹の小説が伝えてくるものは物語であるわけだけれど、br /> かすかな歌声が聞こえる
 
なつかしい
 
野鳥たちの声だ
 
 
窓を開けると
 
そこは未だ
 
氷点下10℃の世界
 
 
しかし
 
その力強い歌声が
 
わっとばかりに
 
なだれ込んでくる
 
 
樹上に目をやれば
 
そこにはまるまると太った
 
正確には
 
まるまると羽毛をふくらませた
 
シジュウカラの群があった
 
 
冬の間は
 
コガラを目にすることの方が多いので
 
やたらに巨大な鳥に見える
 
 
耳を澄ませば
 
他にも
 
じつに多くの

歌声が聞こえてくる
 
 
コゲラと想われる
 
キツツキの
 
機関銃のような
 
ペッキングの音さえ
 
聞こえるのだ
 
 
森がにわかに活気づいている
 
いのちの気配に満ち始めている
 
まるで満ち潮のように
 
 
生がある限り
 
死がつきまとうのが
 
自然のことわり
 
 
その真実からは
 
誰も逃れようがない
 
だからこそ
 
いのちは美しく
 
そして
 
価値があるのだ
 
 
あらためて
 
そのことを
 
教えられる
 
 
もう
 
すぐそこまで
 
春がやってきている
 
 
 
※※※
 
 
Twitterがご縁でご宿泊いただくお客さまも増加中なう・・・です。ありがとうございます。(o^^o)
 
  
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信州蓼科は雪が降っています。雪が解けてしまうのではないかという心配をなさっている方もおられると思います。が、これから週末にかけて数回雪が降るそうですし,寒の戻りもあると思うので,大丈夫でしょう。スキーヤー、スノーボーダーの方にとっては朗報ですね!
 
ということで山の気候・天気は気まぐれです。山に登る方は完全な冬山装備で!そしてスキーのお客さまも含めて、陽射しはとても熱く強いですから日焼け止め対策を男女問わすお忘れ無く!(o^^o)
 
 
《宿泊割引き情報》蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットでは3月限定でtwitter、ameblo,楽天ブログのいずれかのアカウントをお持ちのお客さまおよびご同行者様全員が5%が割引きになります。公式ホームページ(http://www.p-sunset.com/)からのご予約が条件です。予約時にアカウント名を知らせ下さい。
 
この機会に是非ペンション・サンセットをご利用いただければさいわいです。

 
 
 
☆たてしなラヂヲ☆
 
 
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2010年03月24日

5019 意識と無意識(2)

 

 
あなたはこの風景に何を見て取るのだろうか。風景とは観る者が望むものだけが心に映し出された映像である。観や行動なのだ。    写真をクリックして拡大してご覧下さい!   ※※※    この記事は 2010年01月18日 の記事を元に改稿したものです:   ※※※     惑星ソラリスの周回軌道上に浮かぶ宇宙船の奇妙な状況をようやく理解し始めた彼のところに、かつて自殺した妻が突然現れる。もちろん幽霊などではない。彼は驚愕するとともに彼女を失った癒しようのない苦痛と悔恨とを改めて喚起される。   これは紛れもない彼女だ、しかし「これは自分の記憶の中にある限りの彼女なのだ」と気づくのにさほど時間はかからなかった。   彼の苦しみはそこから始まる。この「彼女」自身が自分が誰なのか,なぜここにいるのかを知らないからだ。しかも彼の記憶どおり彼を心から愛している。その所作も笑顔も寸分たがわず愛しい彼女そのものだ。   苦しみから逃れようと彼は「彼女」を何度も宇宙船から追放しようとするが、いつのまにかふたたび「彼女」は彼の前に現れる。   やがて彼の苦しみを察した「彼女」液体酸素を飲んで自殺を図る。かつての妻としてではなく「彼女自身」賭して彼を愛すようになったからだ。   しかし、ニュートリノで形作られている「彼女」はすぐに再生してしまい死ぬことができない。苦しみ抜いたすえ、死ぬことができず、再生してしまう。そのことがまた「彼女」を苦しめるのだ。   物語の終盤、彼の同僚の研究者に頼み「彼女」は自分を形作るニュートリノを分解する装置を使って消滅する道を選ぶ。「彼女」が消滅したあと彼はその事実を知る。   彼はこの一連の出来事を神の罰と考えるようになる。そしてその神とは「この惑星ソラリスの海」なのだと確信する。   悲嘆に暮れて窓から海面を見下ろすと、そこに小さな島が形成されていた。彼の見慣れた世界がそこに実物大で再現されていた,彼自身までも。   幼い頃の想い出に満ちた実家周辺の風景、その色、におい、湖沼部の水の輝き、小川を流れる涼やかな水の音、太陽の光・・・。そのなかを黙想しながら歩く主人公。その場面はこの作品の冒頭の情景とうりふたつだ。   われわれ="_self">http://twitter.com/pension_sunset

 
 
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