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村上春樹 アーカイブ

2006年09月03日

3487 そんなもんないんだよ、どこにも

晴れ 気温:最低 9℃/最高 19℃

今朝は昨日よりも温かく感じた。最低気温は9℃、放射冷却現象がなかったのか、実際の気温よりも温かい。とても良い天気で、天気概況でもここ数日は確実に好天に恵まれそうだ。湿度は盛夏、つまりお盆の頃よりずいぶん下がって同じ気温でも断然寒く感じるようになった。

館内でも活動していない限り半袖シャツでは寒く感じるようになった。夜愛犬の散歩に出るときは秋用のウインドブレーカーを羽織ってちょうど良い。帽子もかぶらないと頭が寒く感じるほどだ。今夜はあいにく雲がかかって満天の星空というわけにはいかなかった。

しかし、秋独特のこの空気を胸一杯吸いながら歩くピラタスの丘は最高だ。深夜のこの時間に標高1700m〜1800mの道を散歩しているなんて、まさに夢のような出来事ではないか。夜でも蓼科山や北横だけのシルエットがくっきりと見え、それはたとえようもなく美しく雄大だ。

9月上旬は、個人的には、夏の繁忙期の疲れがどっと出る季節なので体調管理には十分注意している。特にここ数年、自家製の天然酵母パンをお出しするようになって寝る時間が無くなってしまったので、かなり無理しなくてはならない。

それでもお客様が喜んでくだされば、そんな疲れは吹っ飛んでしまう、少なくとの精神的には。しかし物理法則に支配される肉体のほうはそうはいかないようで、疲労は確実に蓄積されてゆくようだ。ここは知恵を絞って、サービスレベルを落とさずに肉体的負担を軽減することを考えるのがまともな経営者というものだろう。反省。

NHKの朝の連続ドラマみたいにあっという間に月日は巡り、再び村上春樹の「ノルウェイの森」を読み返す季節になってしまった。こう書くとなんだか「義務感」で読み返しているみたいに聞こえるかも知れないけれど、これはあくまでも個人的な楽しみであり、年中行事なのだ。

もう何十回読んだかわからないけれど、最近自分は小説の冒頭の導入部と、主人公が直子が入っている阿美寮を訪ねるところがとても好きだと言うことに気づいた。それがこの物語の象徴的な映像として僕の中に再構築されているのだ。

そしてもう一つの変化は、ヒロインの直子一辺倒だった僕の好意が、読み返すたびにもうひとりのヒロインである緑という娘への好意に移ってきたということ。前者が死の影を背負った滅び行く美しさを象徴するならば、後者はたくましく生き抜いてゆく美しいいのちの象徴と感じられる。主人公にとってはまるで太陽のような存在、そして僕にとってもそのような存在として自分の中に息づくようになった。

そんなことをつらつら想いながらまたこの秋読み返すのだ。個人的な至福の時間だ。

それにしてもひとは「本当の幸せ」とか「本当の自分」とか「自分の居場所」とか、じつに様々なものを求めて現代という高度資本主義社会をさまよっているように感じられる。個人的体験としては「そんなもんないんだよ、どこにも!」と言ってあげたいな。

要するに僕らが求めているものは同じ「なにか」のように感じてる。その「なにか」は気づいてみればじつは「自分自身」なのだ。広大な薄明の世界に浮かぶ自分という美しい惑星なのだ。

そのことに早く気づいてほしい。気づいたからと言ってなにかが劇的に変わるわけでもないのだけれど。

2006年09月23日

3507 ファイアーウォール、ウイルス、スパム

曇りのち晴れ 気温:最低 7℃/最高 13℃

ケーブルモデムに直接接続するのをやめて、有線ブロードバンドルーターを経由して接続するようにしてからは、同じケーブルTVのネットワーク内からのTCP 135番ポートへの執拗なアクセス試行はPCまで到達しないようになった。

アクセス試行は続いているのだろうが、ルータ内蔵のパケットフィルターでそれを遮断する設定にしてあるからだ。したがってPCにインストールしてあるファイアーウォールソフトのログにはそれらしき記録は一切無い。

OS標準搭載のファイアーウォール機能だけではこの侵入試行は防げなかったから、すくなくとも(1)ファイアーウォール機能(設定=高にすること)付きブロードバンドルーター経由でインターネットに接続するか、(2)PCに市販のファイアーウォールソフト(クライアント・モードに設定)をインストールするかのどちらかでないと、セキュリティーは保証されないという時代になったのだと思う。

初心者に限らず不正侵入とウイルスとスパムメールとをひとつのものと混同している人が見られるんで整理しておいたほうがいいだろう:

(1)ファイアーウォール機能あるいはファイアーウォールソフト=あなたのパソコンにインターネット回線などを経由して「不正侵入」してデータを窃盗したり改ざんしたり消去したりプライバシーを侵害する行為を防止するのがお仕事です。

(2)アンチウイルスソフト=メールやダウンロードファイルやホームページを通じてコンピュータウイルスを感染させたりスパイウエアをあなたのパソコンに送り込もうとする行為を防止するのがお仕事。

(3)スパムメールフィルターソフト=無作為にスパムメール(迷惑メール)を送りつけてくる行為に対してどれがスパムでどれがそうでないメールかを学習してスパムメールのみを選別してスパムメールフォルダーなどに選別隔離するのがお仕事。ただし、100%正解と言うことはないので削除する前に1日に1回は「大切なメール」が紛れ込んでいないかチェックすることが必須。最近これをやらないで待っているメールが来ないと騒ぐひとが多いので注意。

といったところだろうか。

だから、アンチウイルスソフトを入れてあるから「不正侵入」も防げる、あるいはスパムメールを防げると考えているひとは「大間違い」をしていることになる。最近は「上記3つの機能が統合された便利なセキュリティーソフトセット」も出回っているのでこの勘違いは蔓延傾向にあるようだ。よく確認して注意されたい。

★★★

「CASIO The G (ザ・ジー) ブラックフォース タフソーラー電波時計 GW-700BTJ-1JF 」が昨日 Amazon.co.jp から届いた。さっそくブレスレットの長さを自分で調整して愛用している。同封されていた案内に誘われて、カスタマーレビューなるものを書いてみました。投稿したあと掲載されるまで4〜5日かかり、それまでの間はこの腕時計についての投稿内容を再表示させる手だてがないのでここに転記することができません。

レビュアーのプロフィールにも書いたけれど・・・

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自己紹介:

どんな本が好きか、どんな音楽を好んで聴いているか、 どんな映画に感動し、どんな趣味を楽しんでいるかを知 れば、その人の人物像は自ずと明らかになるものです。

本はどんな本でも好きですが、村上春樹はデビュー以来 もっとも敬愛する作家です。音楽はリアルタイム体験し たこともあって The Beatles がバックボーンになっています。1950年代〜70年 代のモダンジャズもカラヤンやベームのクラシック音楽 も J-POP も自分の感性に訴えるものは何でも好きです。

映画はハリウッドものはあまり好きではありませんが、 その中でも優れた作品のいくつかは大好きです。よく観 るのは邦画で岩井俊二作品が好きですね。

趣味は書ききれないほど多彩・・・まあ「下手の横好き 」と言えなくもないですが。

ということで、基本的に現実社会の世渡りはあまり得意 ではなく上昇志向はあまりない「趣味人」といったとこ ろでしょうか。


興味があるもの:

自己紹介覧とダブってしまうので、省きます。レビュー が増えるに従って、少しずつ書いていきたいと思います 。

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ということです。

そういえば、これはペンション・サンセットのオーナーとしてのプロフィールにもなりますね。


そして気づいてみれば以前にも(数年前)レビューを書いていたのでした。こちらです。”RUBBER SOUL”というのがレビュアーとしての僕のニックネームです。よろしければ「参考になった」というボタンをクリックして僕を応援してください。って、ちょっと虫が良すぎるかも知れませんね。(^^ゞ

今夜もよく晴れて満天の星空です。

2006年09月30日

3514 パブリックな自己

晴れ 気温:最低 7℃/最高 14℃

もう10月だというのにピラタスの丘にコスモスが咲いている。これは異例のことだ、早いときには7月から咲き始めて8月中には咲き終えてしまうのが通例だと僕は記憶している。今年は秋が早いのか遅いのかよくわからない。12年も住んでいる僕らでさえそうなのだ。

かつてこの日記は僕の想いを語る場であった。それでも良かったのは、時代がそれを許したからだ。WWWが限られたひとびとの交流の場であったころにはプライベートな自己が直情的に語ることが許されたが、パブリックな自己が語るとき直情的に語ることは許されない。

1996年当時、日本のインターネット利用者数は510万人に過ぎなかった。奇しくも現在のミクシィの会員と同じ程度のコミュニティーだったのだ。昨年の利用者数は7000万人ほどだから、14倍近くにふくれあがり、WWWの世界は現実社会を転写したかのようなリアルで物騒な世界に変貌している。

この10年間ウェブマスターとしてじつに様々な経験をしてきた。不思議な出会いもあれば、じつに奇妙な体験もした。もちろんきわめて不快な思いもしたし、これ以上はないというほどのうれしい出来事もあった。そのような10年間を経て、いまの僕はここにある。

それが「パブリックな僕」だ。以前のような個人的なプライベートな僕ではない。これを進化と呼ぶべきか、あるいは進歩と呼ぶべきか、いや、そうではなくてこれは退行だと言うべきか僕にはわからない。しかしこれは必然であって、もう戻ることはできない。それはもうすでに終わってしまったことなのだ。

過去の僕を知りたければ過去の日記を読めばよい。僕自身はそうしている。いまの自分を知りたければ、僕は自分に問いかけ、ひとはいまの日記を読み解くほか無い。まあ、そこまで手間暇かけて読む価値のある日記だとも思わないけれど。

さて、僕は「心を閉ざしてしまった」のだろうか。なにかを語ることを断念してしまったのだろうか。わかってほしいという想いを諦めてしまったのだろうか。いやそうではない、わかるひとにはわかるし、わからないひとには永遠にわからない、伝わるときは伝わるし、だめなときはだめなのだ。そんなふうに考えるようになっただけだ。

こんなふうに書くと、村上春樹の小説の主人公のように「わかってもらえなくてもいいや」というふうにみえるのだろうか。そういうのってある種の人たちの癇に触るのだろうか。そうであろうとそうであるまいと、僕は僕なのだ、これが「いま」の僕なのだ。

人生の前半、つまり山暮らしを始める以前の半生を僕は自分を偽って生き抜かざるを得なかった。だから、残り半分の人生を自分が望むとおりの自分、いや「自分があるとおりの自分」として生きてはいけないのだろうか。それは許されないことなのだろうか。

このいのちに代えても、僕はもう僕以外の自分にはなりたくないし演じたくもない。

2006年10月07日

3521 ふくろうが私の名を呼ぶ

雨のち晴れ 気温:最低 4℃/最高 7℃

カナダの西海岸でユースホステルを経営なさっている方からメールをいただいた。「ふくろうが私の名を呼ぶ」と言う小説を検索していてこのサイトに出会ったとのこと。まさにこの小説の舞台になったあたりにお住まいなのだ。

書いた本人がすっかり忘れていた。で、Google(TM)のサイト内検索を利用して探してみたら以下の文章が出てきた。11年も毎日書いていたらどこにどの文章があるかなんて自分でもわからないよ。それにしても、しっかりと書いているね、いまの僕にはとても書けないようなことを。それにしても「人間風車」ってなんだろう、すっかり忘れてしまった。

こうなるともう記憶というよりは歴史、歴史というよりは考古学の世界なのかも知れない。記憶の考古学ってないのかな。この手の話や文章が好きなひとは昔の蓼科高原日記を読んでね。

★★★

2003.01.07(火)-------------気温 = 最低 -13度/ 最高 -3度

米国の作家J.D.サリンジャーの名作「ライ麦畑で捕まえて(The Catcher in the Rye)」が村上春樹氏の翻訳で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というタイトルで出版されることが決まったそうですが、これはまあいささか旧聞に属するとは思うけれど、とてもうれしいことだ。僕らは同じ白水社刊の野崎孝訳の名訳「ライ麦畑で捕まえて」によって「ライ麦」体験をしたわけだけれど、それはいま思い返しても強烈なものだった。

強烈といってもセンセーショナルな体験とか感動というのではなく、しみじみとこころに染み渡るというか、いやそうじゃないな(そういう体験をしたければスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」やマーガレット・クレイヴンの「ふくろうが私の名を呼ぶ」(角川書店刊)をおすすめする)、自分が年齢を重ねるにつれてジンと効いてくるというたぐいの感動だった。ぼくの周囲の同世代の人間にとっては「中原中也」や「萩原朔太郎」や「福永武彦」や「出家とその弟子(倉田百三著)」同様ある種の「通過儀式」みたいなものだったような気がする。夏目漱石、森鴎外、太宰治などなどのリストを思い返してみるとつくづくぼくらは「古典主義」的読者だったのだなあ。

我が敬愛する(といってもちょうど娘に当たる年齢なのだけれど)宇多田ヒカル(さん)がヘルマン・ヘッセを愛読していたことを最近知ったのだけれど、「車輪の下」「デミアン」「シッダールタ」「幸福論」「荒野の狼」とかなりの作品に「人間風車」状態になってしまったのが懐かしい(ブレーンバスターでなくてよかった)。ちなみに彼女の愛読書リストには「グレート・ギャツビー」もしっかりはいっている。

大学に入って最初の衝撃はアルベール・カミュの「異邦人」「ペスト」「シジフォスの神話」、ジャンポール・サルトルの「嘔吐」「存在と無」、そしてあのフランツ・カフカ。ご想像通りぼくにはドラッグなんて必要なかった。この読書体験のほうがよほど強烈なドラッグ的体験だったから。「実存主義」「不条理」という名のドラッグね。

カフカの言葉にすべては凝縮されている。

『ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。』(親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日)

いまインターネットで『カフカ』で検索をかけると「海辺のカフカ(村上春樹著)」関連のサイトばかり出てきてしまうのは、まあいたしかたないでしょう。で、多少カフカを知りたい方のためにこのサイトをお勧めしておきます。

ぼくの読書体験を書き始めたらそれこそ「ネバー・エンディング・ストーリー」になってしまうのですが、今後少しずつ思い出しながら書いていこうとは思っています。大学時代だけで3,400冊読破したことはいささかばかげているとぼく自身思うのですが、その体験がいまのぼくの精神的骨格の形成に少なからぬ影響を与えていることは否めません。学問(勉強?)とジャズ(リスニング&演奏活動)と目がつぶれそうなほどむさぼり読んだ無数の書物のインクと紙の匂いこそぼくの激情と夢と孤独に支配された青春でした。


------------------------------(23時)

★★★

さて、現在の僕に戻る。

今日はひきつづき風が強く(台風は消えてなくなっちゃったのに)、ロープウエイも運休。午後になってようやく収まってきた。昨日収まったように見えたのは一時的なものだった。夜には風も止んで雲間から満月に近い月齢14の明るい月が顔をのぞかせた。

寒い、ものすごく寒い。長袖のワークシャツの上にフリースのシェルドジャケットを着込んでフリースの帽子をかぶってちょうどいい低温だ。もちろん吐く息は真っ白。これは11月並の気候だと思う。最低気温4℃、最高気温7℃だもの。

シベリアンハスキーだから愛犬パル君はますます元気、急坂をぐんぐん登り、ずんずん進んでいく。これなら犬ぞりを引けるというのも納得の馬鹿力だ。雲を透かして照る月明かりであたりはぼおっと明るいから、ハンディライトを使うことはほとんどない。遥か下に山麓の街の明かりが見える。山並みは墨絵のように闇に沈んでいる。

僕は60歳の自分を想像できない。そんなに遠い将来のことでも無いのに。すでに「フクロウが私の名を呼んでいる」のかも知れない。カナダのネイティヴの間では死ぬ前に「フクロウがその人の名を呼ぶ」という伝承があるという。それに題材を求めた作品が上記の小説だ。静謐に満ち、哀しくしみじみとした作品だ。一読をお薦めする。

2006年10月14日

3528 迷い

晴れ 気温:最低 4℃/最高 11℃

ピラタスの丘はしんと静まり返っている。人気(ひとけ)が無いということではなくて、秋はいつもこうなのだ。・・・と、このような文体で書く時は「ひとりごと」。「です・ます」スタイルの時は「ひとに語りかける」ときです。べつに使い分けているつもりはないけれど、自然にそうなってしまう。自分としてはこの文体の方が肩の力が抜けて心地よいのだけれど。

このことはちょうどが僕がどっちを利き腕として使うかという「迷い」と似ている。どうも僕は人口の5%ほどはいるといわれる「両手利き」のようなのだ。息子もそうだから間違いない。右手でも左手でも文字を書くことができるし、箸を持つことができる。野球では右投げ左打ちだし、ゴルフも左打ちの方がスコアがいい。お食事のサーブは左手でないとできないし、缶飲料のプルトップリングやボトルのキャップも左手でないと開封できない。要するに力仕事は右、細かい仕事は左でないとまったくうまくいかない。このことは日常的に頭の中に混乱の波紋を立てていて、それがけっこう疲れる。

文章を書く時にもまったく同様なことが頭の中で起きている。

さて、今日も一日とても気持ちよい秋晴れになった。「海辺のカフカ」に出てくる「百万ドルトリオ」による「大公トリオ」のCDをようやく手に入れた。Amazon.co.jp のカスタマーレビューを見るとどうもこのパターンでこのアルバムを聞くこととなったひとは多いようだ。村上春樹の小説を読み解くには登場する音楽もチェックした方がいいことは体験的事実だから。べつに読み解かなくたって良いのだけれど。

そういえばノーベル文学賞は今年は別のひとになったようで、とても残念だった。間違いなく日本は正しくアジアの国なのだということを再認識した。村上春樹といえども極東の国の作家なのだ。まあ、賞をとろうが取るまいが村上春樹が僕の中に占める大きさになんの変わりもない。

で、「大公トリオ」だけれどいまそのアルバムを聴きながらこの文章を書いている。何だか聴いたことがあるなあ、もしかしたら蓼科の「銀巴里」というしゃれた名前の理髪店でかかっていたのかもしれない。いつも「頭を刈って」いただいているのだけれど、蓼科の別荘を訪れる政財界人御用達の知るひとぞ知る名店だ。

いずれにしても、定評通りの名演には違いない。初めて聴いた時にはその録音時代なりの「音質の悪さ」がとても気になるが、聴き返すうちにそんなことはどうでも良くなって、演奏の本質、音楽の本質へと精神が自然に引き寄せられどっぷりと浸ってしまう。どちらかといえばベートーベンは嫌いな僕だけれど、名演奏というものはそんなことは超越してしまうようだ。(でも同じアルバム収録のシューベルトの作品の方が好きだけどね)

いずれパブロ・カザルスの演奏でも聴きたいと思っている。

このサイトのリピーターの方は驚くかも知れない。今夕、トップページを入れ替えたのだ。ペンション・サンセットのページをトップページにして、これまでのトップページをサブにまわした。これはマーケティングの観点から判断した。お客様の閲覧の流れを考えるとこのほうが自然なのだ。さてどうなることやら。

今後の Google Analytics のデータ解析を待つほかない。もしかしたら不評かも知れないし、各検索エンジンでの順位を落とすかも知れない。現在「蓼科 ペンション」、「蓼科高原 ペンション」などのキーワードでは各検索エンジンでトップランカーになっているけれど、それを失う危険も極めて大きいのだ。

しかし、このサイトが僕の個人的サイトであるのと同時に、あくまでもペンション・サンセットの集客サイトであるという歴然たる事実を受け入れるならば今回の判断は「必然」だと思う。これまでの「蓼科高原日記」メインのトップページからペンション・サンセットのページに飛んでくれるお客様はなんと全体の10%にすぎないのだ。これではペンションのHPとしては「落第」だ。そしてそれに甘んじていられるほど状況は甘くない。

ある意味では誠に「不本意」ではあるけれど、お客様の平均閲覧時間とページ移動動向をみるかぎりいまのままではいけないと思った。トップページを入れ替えた以外はどこもいじっていないので、リピーターの方の利便性への影響は最小限で済むと思うので、ご容赦下さい。

閲覧者動向を見極めて改めて全体の構成を大幅に見直していこうと思います。

2006年10月22日

3536 「大公トリオ」を聴きながら

晴れのち雨 気温:最低 3℃/最高 12℃

村上春樹の「海辺のカフカ」に主要なモチーフとして登場するベートーベンの「ピアノ三重奏曲第7番」、通称「大公トリオ」のCDを購入して毎日聴いています。作中に登場するいわゆる「百万ドルトリオ」といわれたルービンシュタイン(ピアノ)、ハイフェッツ(ヴァイオリン)、フォイアマン(チェロ)による白熱した演奏です。

1941年のレコーディングだから当然SPレコードでリリースされたものです。その後LP版となり現在ではデジタル・リマスタリングされたこのCD版で入手することができるのですが、音質に関してはその時代なりのものなのは致し方ないでしょう。だから「音」ではなく「音楽」を聴くことができるかどうかがこの希有な名演奏との運命的な出会いを果たす条件となるかもしれないですね。

僕の場合はどうだったかというと、25年前のアンティークなハイエンド・オーディオセット(マッキントッシュのソリッドステート・アンプ+JBLランサー101)で聴くと、その迫力に思わず手に汗握ってしまいました。正直肩が凝ってしまうほどの息詰まるやりとりがそこにあったからです。しかし静まり返った深夜にヘッドフォーンでこのアルバムを改めて聴いてみると、じつに不思議な体験をすることになったわけです。

感動したというのともちょっと違う、いったいなんだろう、とにかく胸がジーンと熱くなってきたのです。40年来のモダン・ジャズ愛好家なのだけれど、巨匠3人の熱い鉄を打ち合うようなインタープレイに背筋がぞくぞくしてきました。それはまるで60年代のマイルス・デイヴィス・クインテットのライヴ・アルバムを聴くときのような静かで熱い興奮です。音楽にジャンルは関係ないとあらためて確信した出来事でした。

「海辺のカフカ」で喫茶店のマスターが語ったのはこちらの演奏、そして作中のホシノ君が購入して聴いた「心温まる」ほう の「大公トリオ」はおそらくカザルスの演奏なのだと思います。そちらも是非聴いてみたいと思っています。

改めて思ったのですが、やっぱりクラシックは管球式のアンプでタンノイのスピーカーを鳴らして聴くのが個人的には理想ですね。暖かで柔らかなその音色はきっとこの演奏をもっとふくよかに響かせさらなる感銘を与えてくれるに違いない。

なんてことを書きながら、なんとなく最近スノッブな語りになっているなあと感じるのです。それは自覚しているのです。ただ、どうしてそうなるのかがわからない。もしかしたら、自発的にある種のフィルターをかけて書いているせいかもしれません。

自主規制しすぎると「心ここにあらず」という状態になってきてしまうみたいで、これはいけない。かといって傲慢無礼にとられるような文体や調子になってしまってもいけないし。技術的な問題を別としてもまずは人間を磨かないといけないのでしょう。僕のような未熟者はひとの何倍もその点では努力しないといけないのだといまさらながら反省しています。

ここまで書いたところで雨音に気づきました。天気予報では午前0時過ぎから雨のマークになっていたので油断していました。明日すぐにクルマを使えるように車体カバーを外しておかなければならないのでした。ようやくカバーを収納した頃から急激に本降りになりました。しばらく雨が降っていなかったので、サイクルから考えると予報どおり明日、明後日は雨がちになるのでしょう。

昨日から落葉が本格的に始まって、処理しても処理してもあっという間にもと通りの「落ち葉の絨緞」に戻ってしまいます。雪かきと同じです。これも「行(ぎょう)」だと考えて淡々と行うほか無いです。当地では落ち葉の量が半端ではないので、竹箒なんかではらちがあきません。牧場で干し草を移動する時みたいに大きな熊手でかき集めては大きな段ボール箱に詰め込んで腐葉土が必要な場所に移動します。

この時期は一日で軽トラック3台分ほどの落ち葉を処分しなければならないのでけっこう重労働です。雪の場合と同じでまさに「落ち葉との闘い」です。個人的には落ち葉の絨緞を踏みしめて歩くときの感触が好きなので、あんまりきれいさっぱりと処分してしまうのももったいない気もするのですが、みなさんはいかがでしょうか。

紅葉はペンション・サンセットの標高ではこれで終わりますが、ほんの50mほど標高が低いところではちょうど最盛期になっています。そんなふうに紅葉は山を下って里へと向かうのです。ですから標高1200m付近の蓼科湖では10月末頃が紅葉の最盛期になります。そんなふうに蓼科の紅葉は10月上旬の山岳部から始まり11月上旬の湖沼部へと1か月以上かけて下っていくのです。ということですから、まだまだ、高原の紅葉を楽しむことができます。

2007年02月06日

3643 沈黙は聞くことが出来る

晴れ 気温:最低 - 6℃/最高 3℃


雪道荒れる 強烈な陽光

これが今日のキーワードだ。このようなメモから今日の日記を書き起こしていく。まず写真をアップロードして、写真にインスパイアされて書き綴る場合ももちろんある。どちらがどれくらいの比率になるのか定かではないけれど。

今日は前者のケースに当たる。さて、今日は昨日と同じ最低気温、最高気温になった。天気は晴天で、いよいよ陽射しが強烈になってきた。その熱量は半端ではなくて、氷点下の気温でも輻射熱の出やすい面の積雪はどんどん溶け始めた。

屋根からの落雪は昨日同様激しく、ほとんど落ちてしまった。道路は積雪の少ないところはほぼ乾燥路面になり、積雪の厚い部分はもこもこの悪路になった。それを見計らって除雪車が雪を道路から押し出してくれたので、その後はかなり状況が良くなった。

予報では金曜日夜あたりに雪が降りそうとのことだから、週末には道路は再び冬らしい積雪路になると思われる。くれぐれもまだ2月上旬なのだということを忘れずに、タイヤチェーンなどの準備おこたりなきよう。


沈黙は聞くことが出来る 責任は夢の中から始まる

それはさておき、我が敬愛する作家、村上春樹の「海辺のカフカ」を読み返している。もう何度目になるのだろうか。深夜、作中に登場して読者の間で話題になった100万ドルトリオによるベートーベンの「大公トリオ」を聴きながら読む。この難解とも言える作品を読み解くことが自然に出来るようになった気分になる。

ここが里ならば、「なにもかもが寝静まった深夜」と書くところだけれど、ここは標高1800mにせまる亜高山帯なのだ。自然は決して眠らない、都会が眠らないというのとまったく異なった意味において。

野生動物はそのほとんどが夜行性なのだ。だから我が家の夜警担当のシベリアンハスキーのパル君も、時代劇で武士が刀を肩に立てかけて壁にもたれて仮眠するような感じで、夜間は半分起きているのだ。そして、我々が起床したのを確認してから爆睡する。

ここは静かなところだ。その印象と実感は13年暮らしたいまでも変わらない。日中でも耳の奥からきーんという音が聞こえてくる。深夜ならなおさらだ。「海辺のカフカ」でも山奥の小屋で主人公の少年が聞く「沈黙」はこのようなものだったのだろう。第15章の終わりに彼は語る。

「沈黙は耳に聞こえるものなんだ。ぼくはそのことを知る。」

それはここではあたりまえのこととして体験される、最初は新鮮な発見として、その後は感動的な日常として。そんな環境の中で日々を送り想いを巡らしているとイェーツの言葉もまた自然に心を打つようになる。体質が変わるのと同じように、こころも変わるのだ。

「夢の中から責任は始まる。(In dreams begin the responsibilities.)」

想像力のないところに責任は存在し得ない。想像力がなければ、その人間にはなぜそれが罪なのか永遠にわからない。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」

そのような種類の殺人者は「夢」を見ることはないのだろう、たぶん。想像力のないところに夢はなく、責任も始まることはない。

2007年02月08日

3645 自然というのは、ある意味で不自然なものだ

晴れのち曇り夜半より雪 気温:最低 - 10℃/最高 - 1℃


自然の中でひとりぼっちで暮らすのはたしかに素晴らしいことだけれど、そこでずっと生活し続けるのは簡単じゃない。

理論的にはできなくはないし、じっさいにそうする人もいる。しかし自然というのは、ある意味で不自然なものだ。安らぎというのは、ある意味では威嚇的(いかくてき)なものだ。その背反性を上手に受け入れるにはそれなりの準備と経験が必要なんだ。だから僕らはとりあえず街に戻る。社会と人の営みの中にもどっていく。(村上春樹「海辺のカフカ」)

作中で「大島さん」が語るこの一節に出合ったとき、これはぼくのことを語っているのではないかと錯覚しそうになった。これまで何度もこの部分を読んだはずなのに、今回初めて「発見」したように感じるのはなぜなのだろう。今回初めてこの一節がぼくの心の扉をたたいたのかも知れない。

文字通り「ひとりぼっち」で暮らすのは確かに素晴らしいけれど、ずうっと、というのはどうだろう。それが容易かどうかはひとによるかもしれない。タイミングや生き方によるかも知れない。また、誰かと一緒に暮らしていても「ひとりぼっち」ということはあり得る感情でもある。

スタンスとして、あるいはぼくは「ずっとひとりぼっちで暮らしてきた、この13年間」というべきなのかも知れない。そして「自然というのは、ある意味で不自然なものだ」という一見逆説的な言葉も体験的には共感できるものだ。同時に「安らぎというのは、ある意味では威嚇的なものだ」ということもよく知っている。

初めてこの地を訪れたひとが感じる「なにか違和感のようなもの、あるいは畏れ(おそれ)のようなもの」とはじつはそのようなものなのだ。すぐに安らぎの世界に入っていけないとすればそのためだ。しかし早々に、安らぎと癒しの中で自然への畏敬を抱くようになっている自分をそこに発見することになるだろう。大切なのは心を開いて自然に向かい、身も心もゆだねることだ。

それがわかるのは、ぼくが「ここ」に13年間暮らしてきたからだ。蓼科の山岳部に当たる北八ヶ岳ピラタスの丘にまるで仙人のように身を置いてきたからだ。「人生とは、好きな土地で好きなひとやものや犬とともに暮らすことだ。」とある作家は書いた。結果を見ればこの言葉がぼくをここに導いた。

じっさい、ぼくは好きな土地で、好きなひとやものや犬とともに暮らしてきた。ここは「自分の居場所」であり、この地の自然はぼくを癒し、導き、教えてくれた。同時にぼくは改めて人間の無力さを思い知らされ、本来持つべき自然への畏敬を抱くようになった。

太陽や月や星の巡るのを感じながら生きることを学んだ。森の時計にシンクロナイズして暮らすことを学んだ。自然の理(ことわり)としての生と死、そのシンプルな「原理」あるいは「おきて」とでもいうものを教えられた。

同時に、自然の与えてくれる「安らぎ」のなかにひそむおどろおどろしいほどの「威嚇的ななにか」を感じることも出来るようになった。それを「野生の気配」と呼ぶべきかも知れない。それに耳を傾け全身全霊で感じることが、いまではできる。そして、野生動物や原生林の樹木や植物のほかにも、森にはじつに様々な存在があることを知る。

それを「森の精霊」と呼ぶことにやぶさかではない。なにかがそこにいて、あるいは僕らを取り巻いていて、ぼくらの理(ことわり)とは無関係に存在している。それは神でも仏でもないなにかであり、ぼくの知る限り一切の悪意とは無関係ななにかだ。それはただ善意に満ちてそこにある。その善意を受け入れることが森で暮らす極意なのかも知れない、けっこう難しいことなのだけれど。

2007年03月01日

3666 「海辺のカフカ」再読

晴れ 気温:最低 - 9℃/最高 0℃

村上春樹の「海辺のカフカ」を読み返している。もう5回目くらいだろうか。今回は機が熟したのか格段に読み込むことができてうれしく思っている。随所に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」そして「アフターダーク」の気配を感じながら読み進めている。

それぞれの作品やモチーフが緻密に計算された上で、絶妙に互いのメタファーになっている。構造的には「海辺のカフカ」と「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は非常によく似ている。いわば背中合わせに置かれた2枚の鏡のように。鏡のこちら側の世界と、あちら側の世界、「アフターダーク」でも登場したこのモチーフそのままに。

同時にこの2作品は向かい合わせに置かれた2枚の鏡のようでもある。自身の鏡像としての互の姿を互いの鏡像の中に無限に映し込み合っている。それは見事に面対称であり同時に相似形でもあるが、決して同一ではない。ただ、それぞれの物語は密接に「アンダーグラウンド」で見えない水路によって繋がっている。

「アフターダーク」はそのような2枚の鏡の様子を写し出すもう1枚の鏡として、同じ部屋に存在する。それはあたかも存在を持たないひとつの「視点」としてそこにある。これらの物語は互いに互いの物語あるいは「古い夢」を包含しているようにみえる。その関係性を見抜き認識することができれば、そこに全体像とでも言うべきものが浮かび上がってくるのだろう。

ここにいたって、初めて「海辺のカフカ」を面白いと感じながら読むことができるようになった。より深い奥行きを実感しながら映像化することができるようになった。先に論じた2作品はこの作品の一部であり、あるいは全部である。全編を通じてそれらはこの物語の背後に影のようにつきまとっている。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

2007年06月05日

3762 ThinkPadとともに夕暮れを味わう

曇りのち晴れ 気温:最低 3℃/最高 18℃

ふたたびラウンジの吹き抜けの大テーブルで過ごしている。このノートパソコン、ThinkPad とはじつに絶妙なネーミングではないか。このような使い方をしていると文字通り"ThinkPad"として機能する。うまい日本語が思い浮かばないのが悔しいけれど。

ブラインドタッチに慣れた僕にとっては、紙とペンで書くよりもキーボードをタイプした方が圧倒的に速く文章を書き上げることができる。思い浮かぶ言葉をリアルタイムで記録することができる。幼少の頃から作文が苦手で学校で課題を出されるたびに泣き泣き原稿用紙のマス目を埋めていたのに、いまではこのような装置を得て、毎日こんなにつらつらと作文できるようになった。

そうだ、道具、装置はとても大切なものなのだ。それを得ることによってひとは変わることができるかもしれない。今まで夢に過ぎなかったことができるようになるかもしれない。もし11年前にインターネットと出会い自分のペンションのホームページを作り更新し続けていなかったとしたら、僕は今何をしていただろうか。

ずいぶん日が長くなった。午後7時近くなっても窓辺では、特にこの広大なグラスエリアのもとでは照明は不要だ。周囲はまだ本が読めるほどに十分明るい。すでに太陽は真っ赤な夕暮れを演出して山の稜線に沈んだけれど、その残光はこうして僕の手元の漆黒のキートップにまで届いている。

夕方歌う野鳥の声が聞こえる。この標高では真夏でも蝉の音を聞くことは少ないから、この季節の野鳥の声が同じような感慨を与える唯一のものになっている。鳥の声もいいけれど、真夏の蝉の声もまた忘れがたい。とくに夕暮れを知らせるヒグラシの声は僕の中の表現しようのないほどの憧憬を構成する主要パーツとなって今も切ない思いをよみがえらせる。

最後にヒグラシを聞いたのはいったい何年前のことだろう。寄せては返す波の音のようにそれは深い森を覆い尽くし、僕らを追い立てるようにして家路につかせる。そんなことを思っていると庭でホトトギスが美しい歌を歌い始める。声の良さと歌のうまさではこの森の覇者かもしれない。

ホトトギスが去ると、今度はウグイスがやってきて歌い始める。まるでオペラみたいなしつらえだな、とふと思う。この次の幕はとても長いフレーズをアドリブで歌うあのアカハラかもしれない。夕闇が迫ってくる。僕の手元も次第に暗くなってキーボードライトが必要になる。このPCには標準でそれがついている、まるでこのような使い方まで想定していたかのように。

村上春樹がギリシャのタベルナで SONY の Vaio であのベストセラー小説「ノルウェイの森」を執筆したことは本人が異例の「あとがき」で述べているとおりだけれど、その感覚がちょっとわかったような気がする。おそらくノートPCというものは僕らが考えている以上のものなのだ。

ノート型に限らずパソコンは本質的に「ものを考えるための道具」だということを改めて確認する、実感する。そこがTVなどの家電と決定的に異なるところだと思う。それはいわば僕らの中枢神経系の「外延」を構成する「エクステンション」なのかもしれない。僕らはそれによって脳の機能拡張が可能なのだ。

そんなことをつらつら考えているうちにとっぷりと日が暮れた。僕の周囲には墨のような闇が漂い始めている。キーボードライト無しではもはや手元が見えない。それでも窓外の景色はまだはっきりと見えるのだから太陽の光は偉大だ。

西の空には沈んだ太陽が演出する残照がまだ薄い朱色に残っているのが見える。遠い稜線から上空の雲まで続く絶妙なグラデーションはいつみても感動せずにはいられない。僕のペンションがなぜサンセットと名付けられたのかは、ここでそれを一目見れば説明は不要なのだ。

さて、そろそろここから立ち上がって居室に向かう時間かもしれない。明るい照明につかのまの、あるいは偽りの安息を求めて。


※写真をクリックすると拡大されますので是非大きな画像でじっくり鑑賞してください。

2007年07月28日

3815 メールマガジン会員にご登録下さい

晴れ 気温:最低 11℃/最高 21℃

文は人なり、なのね、たぶん

昨日のエントリーで、きょうは「蓼科高原日記」の語り口に戻って書きますと申し上げました。

しかし、それがどんなものだったのか、たった数日スタイルを変えただけなのに、わ、忘れてしまったみたい。あの語り口を気に入っているとおっしゃるお客様もけっこういらして、それをがらっと変えてしまうのは冒険なのですね。

かくいう僕も(そう、この僕という言い方も特徴の一つなのですが)、じつはかなり気に入っていたりするわけです。なにしろ大ファンにしてその信者とも言うべき村上春樹とその作品群にインスパイアされて自然と形成された文体なものだから。

文は人なりなのです。この文体が「僕」という人格なのです、たぶん。

まあ、極論かもしれませんが、そんな風に思っているわけです。

ということで、従来もそうでしたが、今後もこのオリジナルの文体もとりまぜていろいろな文体で書いていきたいと思っています。


アフターダーク

エントリー時間のタイムスタンプとは異なって、じつはいま7月29日(日)の午前4時を回ったところです。

あ?あ、今日の日記なのに「昨日の日記」になってしまったようです。なんて思っていると、お客様からのご予約が入ってきました。もちろん、というか、さすがにというか「ペンション・サンセットのオフィシャルサイト」からのオンライン予約ですが。

お客様もご多忙なのだと思います。こんな時間に起きていらっしゃるのですから。起床なさったところなのか、ご帰宅なさったところなのか、ずうっと仕事をしていてちょっと手を休めたところなのか、いずれにしても、世の中日に夜を継いではたらいたりおべんきょうなさっているかたがたくさんいおられると言うことですね。

僕の場合は単に要領が悪くて「仕事が遅い」だけなのですが・・・。気がつくといつも夜が明けてしまっているのですよね。この季節だと庭にホトトギスやアカハラがやってきて朝一番(といっても夜明け前ですが)の歌声を聞かせてくれるのです。

その声を聴きながらようやく僕は床につきます。そんな毎日が夏の繁忙期の間中続きます。


ニッコウキスゲの見頃が続いています

まあ、タイトル通りなのですが、有名な車山?霧ヶ峰のニッコウキスゲの大群生地の満開状態が続いています。平年ならもうおしまいになる時節なのですが、今年は10年に一回とも20年に一回とも言われるものすごい咲きっぷりなので、いまでも見渡す限りの群生を観ることができるのです。

他の高原の草花も一斉に咲き始めたところです。これもいつもならこの時期にはもう終わってしまっているはずの花ばかりです。これを見逃す手はないと思うわけですね。7月末から8月上旬がねらい目です。お盆休みだと高原ではもう「秋」ですから、ちょっと難しいかもしれません。

ご旅行の計画のご参考になさって下さいね。


メルマガにご登録下さい

数日前から告知してメールマガジン会員のご登録をご案内しているのですが、すでにたくさんのお客様にご登録いただき、正直いってちょっと驚いています。同時に8月中に配信を予定している創刊号をどう書いたらいいのかなあなどと、かなり緊張しています。

いずれにしても、ご登録いただくと「宿泊応援クーポン」をプレゼントさせていただいておりますし、今後も随時配布させていただきますので何かとお役に立つのではないかと思っています。会員特典とご登録についてはブログ版「蓼科高原日記」の文末リンクか、ウェブ版「蓼科高原日記」の文中リンクから該当ページにジャンプできます。

よろしくお願い申し上げます。

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 今日の写真はペンション・サンセットの庭に咲くキバナノヤマオダマキです。

2007年09月13日

3862 秋は村上春樹を読む(1)

晴れのち夜から曇り 気温:最低 8℃/最高 16℃

朝晩の冷え込み続く

きのうから急に気温が下がり始めたようです。一言で言ってしまえば「朝晩の冷え込み」ということなのですが、秋の冷え込みという感じではなく「夏の冷え込んだ朝」という印象です。その証拠に朝は夜露でテラスがびっしょりと濡れています。まるで雨が降ったみたいです。

こうした冷え込む夜が続くことによって紅葉はより色鮮やかになっていくわけです。だから、ぼくらはこういう気候は大歓迎です。別に寒くてしょうがないということでもないし、日中はほどよい気温と日差しでかなり快適に活動できるのですから。

何度も言いますが、ここでは「残暑」というものがそもそもありません。だから季節は「夏」ではなくて「夏の終わり」なのです。ここに身を置けばだれでも朝夕には濃密な秋の気配が感じられることでしょう。

蓼科に来てくださいというセールストークばかりでは僕自身もつまんないので、セールストークはしばらくやめておきます。でも、観光情報や季節情報や耳寄り情報はちゃんと書くのでご安心下さい。


秋は村上春樹を読むのだ

さて、僕は本を読むのがとても好きでそのおかげで子供の頃死ぬほど嫌いだった作文がだいぶましなものになりました。読書感想文が宿題になったときなんか毎回泣きながら書いていたものです。この日記ももちろん「作文」の域を出ていないわけで、公開するのも恥ずかしいくらいのものです。

そんな僕が、勝手に、師と仰ぐのが作家の村上春樹氏です。デビュー以来がーんと一発衝撃をうけて、ずうっと信奉しているファンのひとりです。古いメールを見ていたら、以下のような長い文面を発見したので、転載することにしました。長いので数回に分けることにします。

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僕にとっての村上春樹とは(1)

3歳ほど年上の村上春樹は僕にとってはあこがれの兄みたいなあるいは尊敬し
て止まない先輩みたいな存在です。

もし何かの間違いで自分に小説家としての技量があったならやはりこのような
小説をこのように書くのだろうな、というのが僕にとっての村上春樹です。
だから読んでいても、ここはすごいとか、ここは自分ならこう書くだろうと
か、そんなふうに読んでいるような気がします。

もちろんいつもそんな風に分析的に読んでいるのではありません。大好きな作
家の作品として、その「作品」をというよりは、変わらぬその「世界」にひた
っているのです。

僕が彼の作品を愛しているのはその「世界観」を同じくするものだからです。
感性は異なるかも知れない、もちろん主人公も登場人物も僕とは別人である。
そして作者も現実の世界においては、僕とはまったく異なった価値観をもって
生きているに違いない。

しかし、彼の紡ぎだすこの世界は共有することができる。

そんな感じです。

僕は元来夢想家ですから、実際にも(内面的には)このような世界に生きてい
るのです。この世界は僕が帰ってゆくべき世界です、たとえ夢の世界にしか存
在し得ない形而上世界であったとしても。

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以下は明日以降に。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

2007年09月14日

3863 秋は村上春樹を読む(2)

晴れ 気温:最低 10℃/最高 18℃

まだ蝉の声がする

一昨日、昨日、そして今日と冷え込みが続いています。朝方の凛とした大気と空の色はまさに「初秋」を感じさせます。クルマのエンジンに火を入れるとき、きょうはエアコンが入るかなそれともヒーターが入るかなと、ちょっとゲームのような感じで楽しんでいます。

今日はヒーターが入りました。オートエアコンの温度設定は24℃です。で、ヒーターが入りました。午後2時、外気温計は20℃を示しています。試しに窓を開けてみると、なにか聞こえる。エンジンを止めると周囲はしんと静まりかえり、耳の奥からキーンという音が聞こえてくるほどです。

そして聞こえたのです。もう死に絶えたとばかり思っていた蝉の声が。蓼科で、それもこのピラタスの丘でエゾハルゼミ(6月に鳴いて、そして終わります)以外の蝉の声を聞くこと自体異例のことなのに、9月のこの時期に蝉の声を聞くなどということは想定外のことなのです。

やはり温暖化の波はこんな山岳地にまで及んでいるということでしょうか。

さて、きのうの続きです。

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僕にとっての村上春樹とは(2)

僕にとって村上春樹は自分の文章作法のほとんどすべてを学んだ作家のひとり
です。もちろん「模倣」はしていませんが、多少スタイルが似てくるのは致し
方ないのかも知れません。基本的には自分の「内的言語」レベルでのはなしで
す。

彼は「メタファー」の作家と言っても良いのかも知れません。ゲーテがファウ
ストに言わせたあの科白「万物はメタファーである。」という、まさにあの意
味において。

彼の作品は若き日に彼が学んだギリシャ悲劇の様式美と厳格な構成によって精
緻に組み立てられた「寓話」として読むと、その意図を読み違えることが少な
いように感じています。その構成力と、さりげなくてめだたないけれど精緻な
しつらえには舌を巻くばかりです。

もちろんストーリーテラーとしての「ぼく」(に代表される主人公)のキャラ
クターに村上春樹自身の世界観がぎっしりつまっているわけだけれど、僕は
(そして多くの共感者)は「ぼく」に自分を重ね合わせつつこの「ワンダーラ
ンド」を不思議なリアリティーをもって突き進んでいくことになります。「す
べてはメタファーである」というキーワードをしっかりと胸に抱きしめて。

もう一つのキーワードは女性に対する限りなき「憧憬」です。全作品を通じて
このことは様々に形を変えてあるいはメタファーとして登場してきます。主旋
律の狭間にふっとこの旋律が顔を出すのです。僕が彼の作品に惹かれて止まな
いのはむしろそちらのほうかも知れません。それはメタファーとしてしか存在
し得ない憧憬だからです。現実に存在する女性にそれを求めても、それは理不
尽というものです。そのようなたぐいの「憧憬」です。

いまはやりの「世界の中心で、愛をさけぶ」のストーリーにはまりつつも、そ
れにまったく新鮮みを感じないのは「ノルウェイの森」の最後の1ページを読
んでしまっているからです。

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以下は明日以降に。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。(ヤナギランです)

2007年09月15日

3864 秋は村上春樹を読む(3)

晴れ 気温:最低 11℃/最高 19℃

天気予報のイノセントな暴力について

今日も昨日に続いて快晴。

一昨日時点の予報では「雨」だったのに。

そもそも、この3連休の天気予報は今週初めの段階で「雨模様」だった。

じっさいは、土日は晴天、3日目は曇り、それ以降の1週間も晴れという予報に変わっている。

この大はずれの予報に対して、気象関係者からは何のコメントもない。

多くのお客様が天気予報を信じてこの週末の当地への旅行を断念した。

このかき入れ時に、被害は甚大だ。

しかし、役所同様に誰も責任を取らない。そもそも経済に与える影響に対する責任があるとも思っていないし、責任を取るシステムや規定すらない。

これはイノセントな「暴力」以外のなにものでもない。

お客様は週間予報などという「与太話」を絶対に信用しないで下さいね。1/2から2/3の確率ではずれますから。

ペンション・サンセットでは1回に限りご宿泊日の変更をキャンセル料無しの無料で承ります。

なので、ご安心の上、早めのご予約をどうぞ。

当日の雨や荒天で宿泊日変更したいときには無料で変更可能です。

ただし、他のお客様をお断りしてお部屋を確保することになる「お盆休み」だけは、申し訳ないのですが、このサービスはお休みさせていただきますのでご容赦下さい。

さて、きのうの続きです。

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僕にとっての村上春樹とは(3)

村上春樹の作品は彼のでデビュー以来ほぼすべて、共時的に、何回も読返し続
けていますが、その全体の流れを捉えていないと「海辺のカフカ」を読み解く
のはかなり困難かも知れません。特に、「世界の終わりとハードボイルドワン
ダーランド」はしっかりとその作品の輪郭をとらえていないと、「海辺のカフ
カの」後半のストーリーがまったく訳の分からないものになるかも知れませ
ん。

「ノルウェイの森」がベストセラーになる以前は、その形而上学的展開から女
性には敬遠される作家ナンバーワンだった村上春樹です。そして男性しか抱く
ことのない「憧憬」。社会的にはちっぽけな存在かも知れないけれど、自分な
りのハードボイルドなルールを絶対に譲らない主人公。

フランソワーズ・サガンやボーボワール、卑近な例では吉本ばななの作品を男
性が100%は理解できないのと同様に、女性には村上春樹の作品の100%
を読み解くことはできないのかも知れません。それはしかたのないことです。
男性と女性とは根源的にまったく異なった世界に生きているのですから。我々
がこの世界や価値を共有していると想っているのは美しい共同幻想に過ぎませ
ん。

村上作品はそのこともまた、僕に教えてくれました。

大学時代には本を読もうと決意して4年間で3400冊、文字通り目がつぶれ
るほど古今東西の書物に埋もれて(ふつうの学生生活もして)過ごしました
が、後年、村上春樹という作家に出会えただけでもその甲斐あったというもの
です。彼の作品を読む上で大学時代の乱読が大いに役に立ったことは言うまで
もありません。それ以来、努力はほとんど報われることのない想いに終わるけ
れど、多少は役に立つこともあると、いうのが僕の心情です。

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参考文献(蓼科高原日記2004年1月29日付より):

クリシュナムルティが言うように「思考が時間である」。あるいは、ラビンド
ラナート・タゴールが言うように:

「時間は精神的な装置であり、存在しているものの相対的な位置を測るた
めに私たちが使っている概念なのである。」

「もしリアリティをめぐるすべての知識が経験にはじまり経験に終わると
するアインシュタインが正しいならば、出来事の意味を汲みとる源となるよう
な外郭のリアリティは存在しないことになる。」

「われわれの知覚がそのようなものであると受け止めたもの、それが世界
だ。そのことを疑う者はいない。われわれは心とは鏡のようなもので、外の世
界の出来事を正確に映し出すだけだと思っているからである。ところが、じつ
は反対で、心のほうが創造しているのである。つまり、ひとは世界を知覚する
ことによって、自分の世界を、時間と空間の中に絶えず創造しているのであ
る。」

ということだと僕も思うのだ。子供時代から積算すれば何十年もかかって
僕は僕なりにそのような結論に到達し、その後に彼らのこのような言葉に出会
った。これはやはりシンクロニシティーではないかと思う。

折に触れて僕が言う「我々の外に景色(美・あるいは世界)は存在せず、
それは我々の心の中に構成されるものなのだ」というのはそのような意味にお
いてである。

と、まあ、こういう話題になるといくらでも語ることができるようになっ
ちゃうのだけれど、興味のある方は2003年11月16日から11月18日の蓼科高原日
記をご覧いただければさいわいです。僕が何を言いたいかが、そこにはきちん
と書いてあるから。

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さて、ホームページを拝見しました。日々の生活を自分らしく生
きるその感性とてもよく届いてきます。そしてphotoはやわらかな風のように
視覚から気持ちを届けくれて、今日は時間ができ、休んで良かった!


3日間にわたって掲載した村上春樹の話は、上記の文章で始まるある方からのメールに応えたものです。ちょうど「海辺のカフカ」が出た年だったと記憶しています。そして「世界の中心で、愛を叫ぶ」がブームになっていた頃だったと思います。


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2007年10月23日

4002 至福の時間

晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃

ようやく夢を見なくなった。正確に言うなら、覚醒後、夢を見たことを自覚しなくなった。いつだって夢は見ているのだ、脳が生きていて眠っているときには。

この秋は夕方や早朝に野生の鹿の遠吠えを聞くのが日課になった。キューンというもの悲しげなその声に深い森を想像し、じつは自分がそのまっただ中にいることを自覚する。以前はこの季節の夕刻に必ず聞いていたアカハラの歌声を聞くことが無くなったのはやはり気象異変の影響なのだろう。

至福の時は、そう思った瞬間から消え始めるものなのだ。

時間よとまれ、と願う。

しかし時間は止まらない。

どんどん先に行ってしまう。


深夜、いや、もう夜明けだ。愛用の旧いラジカセでマイルスの「ブルー・イン・グリーン」を聴きながら村上春樹の「ノルウェイの森」を読む。1987年製のビクターのラジカセで聴くマイルスは古き良き時代のにおいがする。1987年発表の「ノルウェイの森」もまた、僕の青春時代の香りがする。

外は静寂に支配されている。窓外にはシベリアンハスキーのパルが静かな寝息を立てている。野生鹿の遠吠えもいまは聞こえない。野鳥のさえずりもこの季節にはもう聴くことは出来ない。ピラタスの森は息を潜めて夜明けを待っている。

紅葉や観光情報のことばかり書くのにはいささか疲れてしまったというのが本音なのかも知れない。もっと他に書きたいことがあるのかも知れない。だから書けなくなってしまったのだろう。あるいは、書くことが苦痛に感じられるのだろう。

こんな夜明けには自分が本当に愛したのは誰だったのか、本当に愛したものは何だったのか、そんなことがぼんやりと見えてくる。そのひとがいまどうしているのか気にかかる。知ったってどうにもなるものでもないのだけれど。

自分が本当に愛したものが何だったのかを知ったとしても、いまさらどうにもなるものでもないのだけれど。それでも、知ることは意味のあることだ。それらはいまここにいる僕の本質を形成するものだから。


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2007年10月31日

4010 センティメントの問題

晴れ 気温:最低 0℃/最高 10℃

昨日書いた内容はしっかり読んでもらえないとおそらく大きな誤解を招くのではないかと思う。その一方で、いくら補足説明をしたところで、ひとそれぞれの立場や経験や考え方を変えることはできないので、そんなことは無駄だとも思われるのだ。

だから村上春樹がいまや代表作のひとつとなった「ノルウェイの森」の最終章で主人公に語らせている言葉を引用してひとまずこの議論を締めくくりたいと思う。

どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。われわれはその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。

僕は1987年の秋に刊行された初版でこの小説を読み、以来数十回読み返している。そしていまも蓼科の秋の訪れを感じるとふたたび手に取る座右の書ともなっている。個人的には、この小説から僕は人生のかなり多くのモノやコトを学ぶことができた。

「風の歌を聴け」以来の村上春樹ファンとしては全作品をかなりの回数読み返しているわけだけれど、唯一読み返すことをしていないのは「ねじまき鳥クロニクル」くらいだろうか。あまりにも重すぎて体力的にちょっと無理。

「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」、「ダンス、ダンス、ダンス」を順番に読みこめば村上春樹の世界のひとつの側面を体感できるだろう。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでから「海辺のカフカ」を読めばこの2つの小説の世界が表裏をなしていることがわかるだろう。

村上春樹本人が(例外的に書いた「あとがき」のなかで)言っているように、「ノルウェイの森」という作品はこれら、あるいは他の小説群のラインからはきっぱりとはずれた特異点に立っている作品だと思う。

これは氏の言うように「きわめて個人的な小説」なのだ。僕にとってそうであるように。その意味ではセンティメントを共有できないひとにはこの小説は「つまらない」と感じられるのかも知れない。

それはそうと、僕はよく池澤夏樹みたいな文章を書くと言われることがある。そうかも知れない。彼も僕が好きな作家のひとりだから。しかし僕は文章作法のほとんどを村上春樹の作品を読むことによって学んだ。特に真似するつもりはないけれど、僕がもっとも好きなスタイルだからだ。

池澤夏樹が僕が高校時代にどっぷりとはまっていた福永武彦の息子だと言うことを最近知って、ああなるほどと合点がいったものだった。ひとのセンティメントは変えようとしても変わるものではないということだ。

ちなみに僕が抱く世界観は池澤夏樹の「スティル・ライフ」の冒頭の文章に的確に表現されている。長いので引用は避けるけれど、機会があったら是非一読することをおすすめする。


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2007年11月20日

4030 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

晴れのち小雪 気温:最低 - 9℃/最高 - 2℃

こういう寒い夜には暖房を入れて、湯がありのパジャマの上にダウンパーカをどてら代わりに羽織って好きな本をじっくり読むのがしあわせかも。村上春樹が1985年に書いた自伝的長編(といわれている)「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み返している。

先日読もうと思って書庫から探し出してきたのだけれど、そのときは最初のページでひっかってしまって読み進めず、断念。でも、昨日手に取ったらすっとその独特の世界に入り込むことができたのだった。この作品は読む時と場所を選ぶのかも知れない。

「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終わり」とがテレコに語られるのがこの作品の特徴だけれど、まったく異なった物語のようで、じつは各章とも同じ物語を別の世界から語ったものであることがやがてわかってくるだろう。

どちらが現実でどちらがメタファーなのかということにはあまりこだわる必要はない、好きなほうを自分の現実にすればいい。個人的には「世界の終わり」のほうが好きだけれど。

ということで僕は五回読み返してようやくこの作品の構造とでもいうべきものを理解した、といえるかもしれない。一度目は通読、二度目は「ハードボイルド・ワンダーランド」にフォーカスして読み進め、三度目は「世界の終わり」をじっくり読み込んだ。四度目はその両方の世界の「繋がり」を意識して通読。そして五度目にこの作品全体を統合して読んでみた。

その様な作業をしておくと「海辺のカフカ」へと続く世界が違和感なく理解できるようになるだろう。もちろん「作業」とは言っても決して仕事ではなく、とても楽しいひとときに違いないから、これはおすすめする。

それにしても「ノルウェイの森」がこれよりあとの1987年刊であることを知っていささかびっくりした。

2007年11月28日

4038 自立と孤立

曇り 気温:最低 - 1℃/最高 + 2℃

「今日は雪は降らな」いと昨日僕は妻に断言した。そして、昨日雪は降らなかった。しかし今日の未明から短時間雪が降った。それは数センチ積雪したが、朝起きてみるとほとんど溶けていた。冬将軍の斥候としてはどうなのだろう、ちょっと認めがたい降り方ではある。

そのとき僕は村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読み返していた。寝る前に1章?2章ずつ読み返すのがここのところの習慣になっているのだ。読むたびにこの小説の奥の深さに感嘆せざるを得ない。この前後の作品と地下水脈で密接につながっているモチーフをあちらこちらに発見する。

たとえば「世界の終わり」の街の図書館の娘と「南のたまり」に出かける場面などは、後の作品「ノルウェイの森」で主人公と直子がハイキングするあの草原の情景を思わせるし、街のたたずまいやその世界自体が「海辺のカフカ」の終末部分に登場する深い森に囲まれた不思議な町と相似形をなしていることに気づく。

そんなことを考えながら読書していると、僕は異様な静けさに雪の気配を感じた。窓のカーテンを開けてみると、ちょうど雪が降り始めたところだった。雪はいつも世界中の音という音を吸収してまるで「音抜き」をしたように降りしきるものなのだ。

たとえようのない静謐に満ちたこの森にあって、僕は深海の底にひとり取り残されたような気持ちになってくる。寂しくはないが、ひとりであるということを全身全霊で実感している。スタンドアローン(stand alone:自立)は同時にロンサム(lonesome:孤立)でもあるのだ。

人間がひとりで生きていこうとするときの困難は、そこにある。自立しなければならないのだけれど、孤立するわけにはいかない。実際問題として、確かに、人間はひとりでは生きていけないのだから。


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2008年01月27日

4098 心、それを失うこと

晴れ 気温:最低 - 16℃/最高 - 8℃


しかしやがては君の心も消えてしまう。心が消えてしまえば喪失感もないし、失望もない。行き場所のない愛もなくなる。生活だけが残る。静かで密やかな生活だけが残る。君は彼女のことを好むだろうし、彼女も君のことを好むだろう。君がそれを望むのなら、それは君のものだ。誰にもそれを奪いとることはできない。

--- 村上春樹著「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」第16章より


初版が1985年刊だから、いまから22年以上前の作品であり、僕が手にしている初版本はいつのまにか22年にも及ぶ時空間の旅を僕と共に過ごしてきたことになる。その間に十数回読み返しただろうか。そして、今回この言葉を「発見」したのだった。

たった1度読んだだけで、その小説の言わんとしているテーマや語っている世界観を理解できてしまう能力のある人がうらやましい。僕はこの期に及んでようやく、この作品を理解し始めているところなのだから。

自分がどれほど心を求め、心を大切にしてきたか、またその一方で、時として心をないがしろにしてきたかに思い至る。人間関係や夫婦関係あるいは恋愛において僕が感じてきたある種の「喪失感」は、じつはそこに「心」が無いことに対する喪失感であったことがいまならよくわかるのだ。

心が無くても快適に生きていくことはできるし、大きな成功や外形的な「しあわせ」だって手に入れることができるかも知れない。しかし、そこに心がなければ、際限のない喪失感にさいなまれ続けることに変わりはないのだ。

心を無くしてしまっていることに気づかずに楽しく生きている人が増えているように感じるのは、単にぼくが歳をとったからかも知れない。自分だってかつて心を無くしていた時期があるのかも知れないのだから。

心が無くても、親切で誠実で思いやりのある人物たり得ることは可能だ。しかし、それは「機能」であって、「心」ではない。われわれが「愛情」だと思っているものの多くが、じつは「感情」に過ぎない、そこには「心」が無い。しかし、心が無くてもひとは機能することができる。慈愛にあふれた人格者たることだってできるのだ、心が無くったって。

この作品は、心とそれを失うことについての寓話であり、物語である。

トルストイの言うように、

幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。

おそらくそれは「真実」なのだと思う。

さて、わたしの「静かな生活」は「心のある生活」になったのだろうか、それともその代償として「心を捨てた結果」なのだろうか。


2008年03月06日

4137 自分自身であること

晴れのち雪 気温:最低 - 13℃/最高 - 4℃


村上春樹ばかり読んでいるような気がする。もとよりもっとも敬愛する作家だから、読書というとまず彼の作品を読み返すことになる。それにしてもこの冬は恒例の「ノルウェイの森」から始まって、「海辺のカフカ」、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と次々に読み返しているのだから、ちょっとしたブームではある。

とくに「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」はこの冬だけでも3回も読み返している。単行本で618ページもある長編だから結構読みでがあるにもかかわらず、この作品を読み解きたくてずんずん読み進んでしまった。この本には村上作品の一連のテーマとでも呼ぶべきものがぎっしりと詰まっているからだ。

しかしもう一度私が人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれがーーその失いつづける人生がーー私自身だからだ。私には私自身になる以外に道はないのだ。どれだけ人々が私を見捨て、どれだけ私が人々を見捨て、様々な美しい感情やすぐれた資質や夢が消滅し制限されていったとしても、私は私自身以外の何ものかになることはできないのだ。

物語の終末近く(第33章)で語られる独白にあるこの言葉にその「テーマ」は集約されているように、僕には思われるのだ。少なくとも同じような経緯を辿り、同様の想いにいたった僕にはそのように思われるのだ。だからもし僕が人生の意味を問われたならば一般論としては「回答不能」と答え、個人的には「自分自身になること、そして自分自身でありつづけること」と答えるだろう。

僕が昨日書いた「ひとは自分自身からは逃れられない」というのはそのような意味だ。

僕の人生がどんなに幸福であろうと、あるいは悲惨なものであろうと、そのような状況や運命とは関係なく僕は僕自身であることからは逃れられない。僕は僕自身として幸福になる道を模索するほか無いのだ。幸福とは、少なくとも個人的には、自分が自分であることを確信できること、そしてそのことをすべてのひとから認められることではないだろうか。そのような意味において、ひとは自分自身を目指すことを宿命づけられていると言える。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


2008年06月05日

4237ex ふくろうが私の名を呼ぶ(再録)

このエントリーは、たてしなラヂヲ君が書きました

カナダの西海岸でユースホステルを経営なさっている方からメールをいただいた。「ふくろうが私の名を呼ぶ」と言う小説を検索していてこのサイトに出会ったとのこと。まさにこの小説の舞台になったあたりにお住まいなのだ。

書いた本人がすっかり忘れていた。で、Google(TM)のサイト内検索を利用して探してみたら以下の文章が出てきた。11年も毎日書いていたらどこにどの文章があるかなんて自分でもわからないよ。それにしても、しっかりと書いているね、いまの僕にはとても書けないようなことを。それにしても「人間風車」ってなんだろう、すっかり忘れてしまった。

こうなるともう記憶というよりは歴史、歴史というよりは考古学の世界なのかも知れない。記憶の考古学ってないのかな。この手の話や文章が好きなひとは昔の蓼科高原日記を読んでね。

★★★

2003.01.07(火)-------------気温 = 最低 -13度/ 最高 -3度

米国の作家J.D.サリンジャーの名作「ライ麦畑で捕まえて(The Catcher in the Rye)」が村上春樹氏の翻訳で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というタイトルで出版されることが決まったそうですが、これはまあいささか旧聞に属するとは思うけれど、とてもうれしいことだ。僕らは同じ白水社刊の野崎孝訳の名訳「ライ麦畑で捕まえて」によって「ライ麦」体験をしたわけだけれど、それはいま思い返しても強烈なものだった。

強烈といってもセンセーショナルな体験とか感動というのではなく、しみじみとこころに染み渡るというか、いやそうじゃないな(そういう体験をしたければスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」やマーガレット・クレイヴンの「ふくろうが私の名を呼ぶ」(角川書店刊)をおすすめする)、自分が年齢を重ねるにつれてジンと効いてくるというたぐいの感動だった。ぼくの周囲の同世代の人間にとっては「中原中也」や「萩原朔太郎」や「福永武彦」や「出家とその弟子(倉田百三著)」同様ある種の「通過儀式」みたいなものだったような気がする。夏目漱石、森鴎外、太宰治などなどのリストを思い返してみるとつくづくぼくらは「古典主義」的読者だったのだなあ。

我が敬愛する(といってもちょうど娘に当たる年齢なのだけれど)宇多田ヒカル(さん)がヘルマン・ヘッセを愛読していたことを最近知ったのだけれど、「車輪の下」「デミアン」「シッダールタ」「幸福論」「荒野の狼」とかなりの作品に「人間風車」状態になってしまったのが懐かしい(ブレーンバスターでなくてよかった)。ちなみに彼女の愛読書リストには「グレート・ギャツビー」もしっかりはいっている。

大学に入って最初の衝撃はアルベール・カミュの「異邦人」「ペスト」「シジフォスの神話」、ジャンポール・サルトルの「嘔吐」「存在と無」、そしてあのフランツ・カフカ。ご想像通りぼくにはドラッグなんて必要なかった。この読書体験のほうがよほど強烈なドラッグ的体験だったから。「実存主義」「不条理」という名のドラッグね。

カフカの言葉にすべては凝縮されている。

『ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。』(親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日)

いまインターネットで『カフカ』で検索をかけると「海辺のカフカ(村上春樹著)」関連のサイトばかり出てきてしまうのは、まあいたしかたないでしょう。で、多少カフカを知りたい方のためにこのサイトをお勧めしておきます。

ぼくの読書体験を書き始めたらそれこそ「ネバー・エンディング・ストーリー」になってしまうのですが、今後少しずつ思い出しながら書いていこうとは思っています。大学時代だけで3,400冊読破したことはいささかばかげているとぼく自身思うのですが、その体験がいまのぼくの精神的骨格の形成に少なからぬ影響を与えていることは否めません。学問(勉強?)とジャズ(リスニング&演奏活動)と目がつぶれそうなほどむさぼり読んだ無数の書物のインクと紙の匂いこそぼくの激情と夢と孤独に支配された青春でした。


------------------------------(23時)

★★★

さて、現在の僕に戻る。

今日はひきつづき風が強く(台風は消えてなくなっちゃったのに)、ロープウエイも運休。午後になってようやく収まってきた。昨日収まったように見えたのは一時的なものだった。夜には風も止んで雲間から満月に近い月齢14の明るい月が顔をのぞかせた。

寒い、ものすごく寒い。長袖のワークシャツの上にフリースのシェルドジャケットを着込んでフリースの帽子をかぶってちょうどいい低温だ。もちろん吐く息は真っ白。これは11月並の気候だと思う。最低気温4℃、最高気温7℃だもの。

シベリアンハスキーだから愛犬パル君はますます元気、急坂をぐんぐん登り、ずんずん進んでいく。これなら犬ぞりを引けるというのも納得の馬鹿力だ。雲を透かして照る月明かりであたりはぼおっと明るいから、ハンディライトを使うことはほとんどない。遥か下に山麓の街の明かりが見える。山並みは墨絵のように闇に沈んでいる。

僕は60歳の自分を想像できない。そんなに遠い将来のことでも無いのに。すでに「フクロウが私の名を呼んでいる」のかも知れない。カナダのネイティヴの間では死ぬ前に「フクロウがその人の名を呼ぶ」という伝承があるという。それに題材を求めた作品が上記の小説だ。静謐に満ち、哀しくしみじみとした作品だ。一読をお薦めする。


たてしなラヂヲ君のブログはこちら↓
http://ameblo.jp/tateshina-chronicle/

氣志團(きしだん)の綾小路翔(翔やん)とDJ OZMA(ディージェイ オズマ)が公式には「友人」であって同一人物でないのと同じ意味において、僕(GreenDolphin)と「たてしなラヂヲ」は同一人物ではありません。非公式には・・・それは訊くだけヤボというものでしょ!(^^)

いずれにしても僕(GreenDolphin)の場合は「ふくろう」ではなく「くろう(苦労)が私の名を呼ぶ」って感じ(?)ですよねー、じっさいのところ。(笑)


2008年06月30日

4262 子供らしくない子供だった頃

曇りのち晴れ 気温:最低 12℃/最高 17℃

梅雨の晴れ間は昔から「五月晴れ」と言われてきました。今日はちょうどそんな気持ちのよい一日でした。機能載せた写真の白樺の木陰にアウトドアチェアを引っ張り出して、森を吹き抜けるひんやりとした風に頬をなぶらせ、鳴き交わす野鳥の声に耳を傾けながらまどろむのです。

それははまさに至福のひとときです。とてもさわやかな五月晴れです。

☆☆☆


本や映画や音楽に関しては(その他のものもそうかな)、心が揺れるというか、琴線に触れるというか、そのような作品との出会いは「一生のつきあい」になることが多いのかも知れません。

キャプテン翼君は「ボールが友達」でしたが、わたしの子供〜思春期は「本が友達」でしたから、わたしの精神の核(コア)は近代西洋文学や日本の古典文学(といっても明治時代の文豪の作品)によって形成されました。だから、決定的に近代西欧流の「個人主義者」なのです。

エゴイストと個人主義者はまったく異なったものですよ、念のため。

国家や地域社会や組織の一部としての個人から脱却した、真に独立した「個人」、スタンドアロンの「個人」を確立したのが(乱暴な言い方ですが)「個人主義」です。いまだに受け入れられない考え方だということ自体が信じられないのですけどね!

さて、

わたしは、おとなにとっては「かわいくないガキ」だったと思います、マーラーの交響曲第9番が好きなんて言う小学生でしたから・・・

もちろんそういう志向性のほかは、朝早く登校して友達と校庭でボール遊びに熱中し、放課後は日が暮れて真っ暗になるまで遊びほうける「普通の子供」でした。

授業や教師の発言の矛盾点を指摘して、すいぶん嫌がらせされましたね、教師に!

幼稚園の時には一所懸命描いた絵を「これは5歳児の描くような絵ではない!小学校上級生の絵だ!」といわれて叱責されたのだけれど、わたしはわけがわかりませんでした。だって先生の目の前で書いていたのですから、代筆なんてありえないのだから。

その上、言葉遣い(とくに語彙)が子供らしくない、だって。もうクレーマーじゃん、センセ!

小学校の時には県の展覧会で特選をとった絵が「キュービスム」的だということで精神科医のカウンセリングを受けさせられたり・・・もちろん「すこぶる健全」というお墨付きをいただきましたけどさ!

我が国の教育って、そう考えると、ぜーんぜん変わっていないということね!

そのようにしてわたしは、幼児期に言葉と絵に関する感性を弾圧され、小学校で音楽にかんする感性を弾圧され、中学校で致命的に絵を描く才能を潰され、高校で学問的能力をそがれた(棒高跳びとの出会いが新鮮だったけどね)。唯一の救いは、大学の教授たちに学問的能力を認められたことだけかも知れません。

まあ、上記のようなことはあったけれど友達はそんなことまったく気にもかけなかったのと、父の仕事の関係で転校が多かったので、それが救いになってましたけれど。

でもそれはそれで、どこに行っても「新参者の根無し草」あるいは「異邦人」という状況はわたしの心や生き方に微妙な影を落としました。だって、転校するたびに、友人関係がゼロリセットされちゃうんですよ!想像してみて下さいな、それが何度も何度も繰り返されることを。

今日はぼやきにぼやきましたが、恐縮です。ごめんなさい。(^^ゞ


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。(うちのペンションの庭の花)


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追伸:

わたしの膨大な読書体験の中で、村上春樹さんは、その中でも「個人的な世界観」という点で、サルトルは「個人的な体験的実存論」という点で、完全にツボですね。もちろんつねに視野は広く持って生きているわけですが・・・。(^^ゞ

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2009年02月01日

4478 風立ちぬ(ふたたび)






高橋真唯(たかはしまい)のファンになってしまった。

「妄想姉妹?文學という名のもとに」(日テレ系)を観て

あっというまもなく魅入られてしまった。


とても作りの丁寧な映像作品で(そう、ドラマというよりは作品だ)

堀辰雄の原作を見事に妄想的に(?)映像化していて

その世界にあっては彼女のほかにヒロインの「節子」を演じられる者は

いないかのように感じられた。


青空文庫で

あらためて堀辰雄の「風立ちぬ」を読み返してみた

おおお、なかなかいい作品じゃん!


これまで何度か読んだことがあるけれど

そのたびに

ああ、このひとはやはり「詩人」であって

小説家としては力不足だなあなどと

うそぶいていたのだけれど

ここに描かれている「世界」という観点で

読み返してみると

評価は俄然変わってくるのだった。


村上春樹の「ノルウェイの森」・・・

この作品はもう人に言うのが恥ずかしくなるほど

繰り返し読み返しているのだけれど

京都の山奥のあの療養施設の「直子」の世界を

彷彿とさせるではないか。


もし「ノルウェイの森」が映画化されるとしたら

高橋真唯(たかはしまい)は「直子」を演じることができる

数少ない女優ではないかと思う。


風立ちぬ、いざ生きめやも

ポール・ヴァレリーの詩の一節を、ふと思い浮かべる。

この一節は上記の堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭で

引用されています。

わたしはその小説を通じて高原というものと、

その季節感を知ったのでした。

それでもなお、

わたしと高原とは百万キロの距離を隔てていたのでしたが。

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●ペンション・サンセット

●蓼科高原日記


☆たてしなラヂオ☆


2009年02月04日

4483 男の愛と女の愛とは違う

以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。

とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。

☆☆☆

2003.01.13(月)----天気:晴れ 気温 = 最低 -8度/ 最高 0度

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み終えた。初版本がでてすぐ読んだから初めて読んだのは1985年6月、いまから18年ほど前のことになる。僕が高校生なら「一生」分の歳月が流れたことになる。当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたがまだ33歳のばりばりの電通マンだった。

その後も何度か読返そうと思ったけれどその度に、なぜか途中で投げ出してしまった。初回はかなり興味深く読むことができたのだけれど、2回目以降はなんだか「つまらなく」感じられてしまったのだ。しかし、いま村上作品を読み解く鍵のほとんどすべてがこの作品で語られているような印象を抱いている。

「ノルウェイの森」にある種の男性のセンシティヴな人生観のほぼすべてが書かれているように、この作品には村上春樹そのひとの「自伝的」ともいえる人生との向き合い方が描かれているように感じる。そのような感想を持ったのは今回が初めてのことだ。初めてとはいっても最初から最後まで一気に読み通したのはこれが2回目なのだけれど。

そのように共鳴できたのは僕の年齢的なものなのかも知れないし、あるいは僕の現在置かれた状況的なものが作用しているのかも知れない。いずれにしても僕のこころが強く魅かれたのは作品に登場する女性たちの存在だ。他の作品でもそうなのだけれど。

彼女達のような女性は現実には存在しないだろう、たぶん。生身の女性はあのような存在ではあり得ないから、本人を含めて誰がどのようにありたいと望もうとも。そうした意味において、彼女達は男性が(勝手に)思い描く「憧憬」なのかもしれない。女性に疎い(うとい)僕にはわからない。

それはさておきひとつの発見があった。それは「こころ」は「感情」やその最高(?)の形態である「愛情」の「いれもの」ではない、という事実だ。したがって「愛」はあっても「こころ」が無い、という状況がありうるということ。これは男性から見れば女性のある種理解不能な「愛」の観念あるいは感覚を読み解く鍵になるのかも知れない。

女性のことは男性の僕にはわからないけれど、男性としては「愛」とは「愛で充満したこころ」そのものであって、自分の全存在をかけた「行為」であるのかもしれない。女性は愛の証として「愛」そのものを差し出すが、男性は愛の証として自分の「こころ」と「肉体」そして自分が手に入れたすべての地位や名誉や富を差し出さずにはいられない。しかし、これは取引としては割に合わない。

かくして男性と女性とは決定的に異なった「愛」をかわしているのだと思う。言うなればお互いの「ニーズ」が異なっているのだ。それはそれで美しいし、素晴らしい体験なのだから、それでいいと思う。ただ、おたがい(だからって)文句は言うなよ!

ひとのこころの儚さ弱さを知れば「永遠の愛」なんていうものは「言葉のあや」にすぎないことを認めざるを得ない。「愛」は至高の存在ではない。それはメタファーであり便宜的な「価値づけ」である。至高なのはひとの「こころ」の存在なのではないか。こころが無くても愛は息づくことができるが、それは「愛」と名付けられた「こころの影」でしかない。

本来的な意味では愛とは「こころの共鳴」であり「こころの連帯」である。もしそうであるならば互いに勇気づけあい癒しあうことができるかも知れない。

その観点からすると、いまのぼくは誰にも愛されていないし誰かを愛してもいない。とても哀しことだけれど。愛するためには膨大な生命力が必要だからだ。いまの僕にそんなパワーはもはや残っていない。誰にも助けを求めることかなわず、誰にも癒されることかなわず、死してなおだれ一人涙を流し「鎮魂」を願うもの無し。

(つづく)


☆たてしなラヂヲ☆


4484 思念の津波

(承前)

以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。

とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。

☆☆☆

2003.01.14(火)----晴れのち雪 気温 = 最低 -8度/ 最高 -5度

『村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み終えた。初版本がでてすぐ読んだから初めて読んだのは1985年6月、いまから18年ほど前のことになる。僕が高校生なら「一生」分の歳月が流れたことになる。当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたがまだ33歳のばりばりの電通マンだった。』

と、私は昨日書いた。あえて自分の前職を具体的に記したのにはそれなりの意味がある。それは私がどれだけ「特異な世界」に身を置いていたかを表現する他の方法が見当たらなかったからだ。奇妙に歪んだその世界はそれなりに自己完結しており、どれだけ「それはおかしい!」とさけんでみたところで微動だにしないある種の価値観が完ぺきに支配し機能していた。

いうなれば、どこがおかしいのかわからないほどそれはおかしな世界だったのだ。あまりに特異すぎて誰もその特異性に気づかないほどだった。しかしあるとき私はその特異性に気づいてしまったのだ、決定的に。善いとか悪いとか、そういう問題ではなく、それは決定的に特異な世界だった。しかしそのことが「本当の私」に出会う旅への出発点となったのは実に皮肉なことだった。

『当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたが』というのはそういう背景があってのことだ。それまですっかり馴染んであたり前だった世界が、私の認識が180度変わったためになんとも歪んだ居心地の悪い邪気に満ちた世界へと一変してしまったのだから『変調』をきたしてもむべなるかなである。私は見てはいけない「ゲームの裏側」を見てしまったのだ。

まあこんなことは社会に出ればいずれ誰でも経験することといってしまえばそれまでだが、私の場合はいささか事情が込み入っていたためにいろんな自己矛盾がいっきに落とし前をつけにかかってきたのだった。それはまるで「思念の津波」のようであった。

なんて書き始めるとあたかも小説の冒頭のようではあるけれど、私には小説は書けないし書けたとしても書くつもりは無い、残念ながら。いま書けばやはり多様な自己弁護と筋違いの非難が顔を出してしまうに決まっているから。私がいまここにあることに私は満足しているし、掛け値なしに一切後悔していない。しかしそのことと過去を語ることとはまた別の話だ。

何で急にこんな話をしたくなったのかよくわからないが、おそらく私は自分の人生を「検証」してみたいのではないかと思う。次の人生へのステップとしてあるいはいつか必ずやってくる「死」へのブリッジとして。


(つづく)


☆たてしなラヂヲ☆


2009年02月09日

4490 夢の中から責任は始まる






今日のピラタス蓼科スノーリゾートの風景。コンディションは最高!

(写真クリックで拡大)

村上春樹の「海辺のカフカ」を読み返していたらこんな一節に目がとまった。

『すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェエーツが書いている。In dreams begin the responsibilitiesーーーまさにそのとおり。逆に言えば、想像力のないところに責任は生じないのかも知れない。このアイヒマンの例に見られるように。』

アイヒマンは徹頭徹尾「実務家」であった。ユダヤ人の組織的虐殺遂行に当たっても、その罪を裁く裁判においても。彼は自分に与えられた職務を忠実に遂行しただけなのになぜ自分がこのように責められ罰せられなければならないのか、最後までわからなかったのかも知れない。彼には「想像力」が致命的に欠落していたのだ。

現代日本の(全部とは言わないが)銀行や官僚や政治家にはこのアイヒマンに勝るとも劣らぬ『想像力の欠如』を感じさせられる。

彼らがそのように行動してなお無責任きわまりないのは、『想像力のないところに責任は生じない』からだ。

彼らは夢を見ることもないのだろう・・・『夢の中から責任は始まる』のだから。


(^^)

☆☆☆


■ ピラタス蓼科スノーリゾート

 情報更新  09/2/9
 現在の天候  晴れ
 今日の予報  晴→雪
 気温  -6℃
 積雪  110cm
 滑走可否  全面可
 ロープウエイ  運行中
 クワッドリフト  運行中
 トリプルリフト  ――
 滑走可能領域  .  全面滑走可


(上記情報と今日の写真は許諾を得て公式HPより転載しています)


★★★


ピラタス蓼科スノーリゾートは最高のコンディションですよ!

ご宿泊は、あの「楽天トラベル」のお客様アンケートで5つ星の最高点を獲得した優良ペンション、蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットを是非ご利用くださいね!

皆様のお越しをお待ちしております。(^^)

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☆たてしなラヂオ☆

2009年02月16日

4500 海辺のカフカ



村上春樹の「海辺のカフカ」を読み返してみて改めて感じたのだけれど、テーマは「こころ」なのだという気がする。感情の動き、つまり「感情がある」ということと、「こころがある(こころを持っている)」ということとは根本的に異なるのだということをぼくはこの作品を通じて知った。恥ずかしいけれど、生まれて初めてこの両者の違いを確認した。

そして読み解く鍵は「万物はメタファーである」というゲーテの言葉、そして「フランツ・カフカ」。

主人公の15歳の「田村カフカ」にとって「佐伯さん」はメタファー(あるいは反証のある仮説)としての「生みの母」であり、「さくら」はメタファー(あるいは反証のある仮説)としての「義理の姉」であるのかもしれない。そして「大島さん」はこの不思議な物語の全体構造を体現するメタファーであるようにぼくには感じられた。いうまでもなくこの作品の底流をなす骨格はギリシャ悲劇である。

そしてメタファーとしての「入り口の石」を通じて、さらに奥深い部分で「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で語られた「世界の終わり」の街と繋(つな)がっている。底知れぬ存在の重さを持った太古の森の奥深く・・・「入り口の石」が開いているときにだけ出入りすることができる街・・・そこに登場するのは間違いなく「あの街(世界の終わり)」だ。

だから再読するに当たってぼくは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を精読した。ぼくは1979年以来の村上春樹ファンというか「熱烈的読者」なのだけれど、最近になってようやく彼の作品に含まれる様々な仕掛けを「構造的」に理解できるようになってきた。村上作品は普通に通読してもこの上なく魅力的な作品ばかりだけれど、その構造なりキーワードをバックグラウンドにまでさかのぼって考察することにより本来の奥深い世界をかいま見ることができるのかも知れない。

それにしても、今回再読してもっとも強く印象に残ったのは「雨月物語」から引用された次の一節だった。昨日も引用したしそれ以前にも書いたけれど、あえて再度記したい。(現代語訳は僕のつたない解釈です。この引用に触発されて読破しました。)

『我(われ)今仮に化(かたち)をあらはして語るといへども、神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば人と異なる慮(こころ)あり。』『我(われ)もと神にあらず仏にあらず、只(ただ)これ非情なり。非情の物として人の善悪を糺(ただ)し、それにしたがういはれなし。』(上田秋成・「雨月物語」)

(「いま私は仮に人間のかたちをしてここに現れて語ってはいるが、神でもなく仏でもない。もともと感情のないものであるから、人間とは違うこころの動きを持っている。」「神でも仏でもなく、ただ感情を持たないものである。だから人間の善悪を判断する必要もないし、人間の善悪の基準に従って行動を律するいわれもない。」)

この語りはまるで僕自身のことのように感じられる。あるいは以前書いたように、自分がそれとは対極におかれているようにも感じる。それは交流電流のようにめまぐるしく極性を逆転していったいどちらが現実なのか(真実なのか)わからない。ぼくにはもとより「感情」はあるのだろうか、人間としての「こころ」はあるのだろうか。

「現実」とよばれるこの世界にどうにもしっくりと馴染めない自分をなんとかここまで操ってきたけれど、長い間それをやっているとほとほと疲れ果ててしまう。村上春樹氏はぼくより3歳年長だけれど、彼はどのように思考しどのように「自分のダンス」のステップを踏み続けることができたのだろう。ぼくはもううまく踊ることができなくなってきているというのに。

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2009年02月17日

4501 フランツ・カフカ



予報通り「寒の戻り」がありました。昨夜半から降り始めた雪によって、再び一面の雪景色に戻りました。自然の力という物は実に偉大ですね。いとも簡単にこういうことをやってくれます。

氷点下10℃以下までぐっと冷え込んだのですが、これでもまだまだ以前より温かな2月なのです。それでも、そのおかげで、積雪は水気が飛んで結晶が復活し、ゲレンデは最高のパウダーコンディションに戻りました、たぶん。よかったよかった。(^^)

じつにひさしぶりにフランツ・カフカの「変身」を読み返しています。息子から借りた文庫本なのですが、当時と同じ翻訳ながら、きめ細かく文章が推敲・改訂されていてずいぶん読みやすくなった印象を受けます。当時はただ気持ち悪い(キモイ?)だけでしたが、いま読むと良く理解できる作品です。引き続き「城」や「審判」などを読みたいですね。

村上春樹の「海辺のカフカ」を理解したいなら、当然ながら、読んでおくべきフランツ・カフカの作品の筆頭なのかもしれません。

村上作品は、作中に登場する歴史的人物、場所、音楽、文学作品、哲学者、映画、芸術作品などなど、挙げだしたらきりはないのだけれど、それらを一つ一つ自分の五感でしっかりと確認することが作品を読み解く鍵になっている希有な作品群だと思います。

だから、僕はそのようにしながら読み返しているわけです。

少しずつ自分の視野を広げ感性を磨きつつ・・・。


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4502 僕のジャズ



今日息子から"Harbie Hancock"の3枚目のリーダー・アルバム"Maiden Voyage"(処女航海)をプレゼントされました。ちょっと早いお誕生日プレゼントだそうです。このアルバムは僕が大学生時代にアルバイトして「自分で購入した」初めてのジャズ・レコードなのです。1965年に録音されたものですが、僕が手に入れたのは1970年のことでした。ちなみに僕が初めて手にしたジャズ・レコードは伯父からもらった"MJQ(Modern Jazz Qualtet"の名作"Vandome"でした。いまでもそれらは3,500枚にのぼるジャズ・レコード・コレクションの1枚として所有してはいるのですが、LPレコードゆえになかなか聴く機会が無かったのです。で、今回CDをプレゼントしてくれたわけです。

"Harbie Hancock"はスタンダード・ナンバー「ウォーターメロンマン(スイカ売り)」の作曲者として同名のジャズアルバムで一世を風靡したジャズ・ピアニストです。"Maiden Voyage"を世に出した頃は黄金の"Miles Davis Quintet"の新進気鋭の若きピアニストでした。ベースが"Ron Carter"そしてドラムスが"Anthony Williams(Tony Williams)"というこのリズムセクションはいまとなってはまさに夢のようなパーソネルです。サックスが"George Coleman"そしてトランペットが"Freddie Hubbard"というジャズ・ファンなら背筋がぞくぞくするようなアルバムになっています。(要するに当時の"Miles Davis Quintet"のトランペットが入れ替わっているだけというものすごいパーソネル!)

この音楽にぼくがどれほどの衝撃を受けたかを語ることはほとんど不可能なほどです。それはビートルズの「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」あるいはクリームの「フレッシュ・クリーム」を聴いた時と同じかそれ以上のショックでした。「あたまをガツンと一発」といった感じでしたね。

若い頃から音楽に親しみ一時はミュージシャンを目指して幅広い音楽をむさぼるように聞き込んでいなかったなら、村上春樹作品に対する僕の感覚もいまとはかなり変わっていたというか、ほとんど理解できなかったかもしれません。少なくとも音楽が人生の一部を成していないひとには理解が困難かもしれないですね。

20年来の友人ウォン・ウィン・ツァン氏がいまから30数年前「江夏健二」という名で新宿の小さなライブハウス「ピット・イン」の「昼の部」でこのアルバムの曲を演奏していたまさにその時、当時高校生だったぼくが2mと離れていない客席でその演奏を聴いていたという事実を昨年ひょんなことから思い出しました。本人に確認すると果たしてそのとおりだったのです。何という巡り合わせでしょうか。ちょうど彼が20歳、ぼくが17歳ぐらいだったでしょうか。その演奏はいまの「癒しに満ちた」ウォン氏の音楽からは想像もつかないほど激しくそして怒りに満ちたものでした。

人生はじつに不可思議な巡り合わせに満ちています。もちろん「素晴らしい」という意味において。


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2009年02月28日

4520 スキー情報(02/27)




きのう雪が降ふりましたが、土日は晴れの予報が出ています。


きょうは好天に恵まれそうですので、気持ちの良いスキー、スノーボードが楽しめそうです。


【ピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデ情報】

現在ピラタス周辺は降雪中です、この雪のおかげでゲレンデの状態もバッチリ!
この週末はぜひお出かけ下さい☆

 情報更新  09/2/27
 現在の天候  雪
 今日の予報  雪
 気温  -2℃
 積雪  110cm
 風向・風速  SW7m
 ロープウエイ  運行中
 クワットリフト  運行中
 トリプルリフト  .  ------
滑走可能領域  全面滑走可


【道路状況】

降雪により滑りやすい状態です、お出かけの際には滑り止めのご用意をお願い致します。
明日の朝は7:00より除雪を行います、8:00には遅くとも除雪が完了します、車間距離を十分保ち、安全運転でお越し下さい。

(上記情報は(株)ピラタス蓼科ロープウェイ様の許諾を得て転載)

★★★


モーツアルトの「レクイエム」をよく聴く。好きなのだ。しかし最初から好きだったわけではない。30代にはとても聴くに堪えなかった。それは僕のほうの問題だった、準備ができていなかったのだ。フォーレの「レクイエム」のほうが好きだった。

僕がモーツアルトの熱狂的ファンになったのは映画「アマデウス」以降のことだ。あの映画を観て僕は劇的に変化した。なにかを理解できたのかも知れない。あるいは、なにかを感じることができるようになったと言うことなのかも知れない。

いずれにしてもモーツアルトの音楽家としてのすごさ、アレンジャーとしてのすごさ、そのオーケストレーションの完璧さに打ちのめされてしまった。それはたとえば三島由紀夫が書き始めたときにはすでに小説は完璧な姿で完成していた、と言うのと似ているのかも知れない。

モーツアルトの音楽は後であれこれ思案したりいじったりした痕跡が感じられない。それはあたりまえのごとく完成された姿ですでにそこにあったかのようだ。それはすでに完成していて譜面に書かれ演奏されるのを待っていた、と言うように感じるのだ。無駄なものは一切無く、必要なものはすべて備わっている。

ピラタスの丘の雪景色と言うことでそれ以降僕の音楽体験はバッハとモーツアルトとビートルズとモダンジャズということになった。文学体験がヘミングウエーとサリンジャーとヘッセとカミュであるのと同様に。サルトルとカフカと村上春樹は僕にとって別格の存在だからここには列挙しない。

が、「2001年宇宙の旅」シリーズのアーサー・C・クラークと「アンドロイドは電気羊の夢を見るか(映画ブレードランナーの原作)」「中継基地」、「地図にない街」等のクリフォード・D・シマックは「お気に入り」として記しておくべきかも知れない。

大きな声では言えないのだけれど、僕はレイ・ブラッドベリの大ファンなのだ、ちまたでいうところのブラッドベリアンということだ。Macなひとにはブラッドベリアンが多いのではないかと内心密かに信じているのだけれど・・・・・・。

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☆たてしなラヂオ☆

2009年03月08日

4533 大儀のために卑しく生きる






なんだか暗い話題を続けてしまったので、ここらで気分転換。

個人的には決して暗い話ではなくて、前向きで生きましょうって感覚なのだけれど、まあ、力不足ということで・・・・・・。

それはさておき、

いつも寝る前に少しずつ読んでいたJ.D.サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ(The Cacher in the Rye)」を読み終えました。

今回の村上春樹の新訳の方がこの小説の世界に浸りやすく感じたのはぼくだけでしょうか。まあそれなりに年齢を重ねてきたわけだからその要素の方が大きいのかも知れないけれど。いまこの小説を改めて読む機会を得たことにはある種の必然性みたいなものを感じる読了感を持ちました。

こんな一節が印象に残りました。作中人物が話の中で引用しているものなのだけれど。

「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ。」(ヴィルヘルム・シュテーケル)

うーん、とても深いですね。ぼくはといえば、きっぱりと前者にあたります。しかし確かに後者の方が現実世界で現実状況を実際的に生きてゆくには、あるいはその中で何かを成し遂げるには「より適応した」生き方なんじゃないかと思うし、たしかにそれを「成熟」と呼ぶことにやぶさかではない。

わかりやすい例が「政治家」ではないかと思う。

でもぼくにそのような生き方はできないし、正直なところその様なひとを心から尊敬するなんてこともないだろうと思う、すごいなあと認めることはあったとしても。

それは「性(さが)」みたいなものなんだよ、きっとね。配線を変えるみたいにして生き方を変えることはできない、残念ながら。


【ピラタス蓼科スノーリゾートの状況】


 情報更新  09/3/7
 現在の天候  晴れ
 今日の予報  晴れ
 気温  -10℃
 積雪  110cm
 風向・風速  SW8m
 ロープウエイ  運行中
 クワットリフト  運行中
 トリプルリフト  .  運行中


(上記の情報は(株)ピラタス蓼科スノーリゾート様の許諾を得て転載)


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☆たてしなラヂオ☆

2009年03月12日

4540 センティメントの問題



何年か前の秋に書いた記事です。

このブログでは再公開になります。

★★★


晴れ 気温:最低 0℃/最高 10℃

昨日書いた内容はしっかり読んでもらえないとおそらく大きな誤解を招くのではないかと思う。その一方で、いくら補足説明をしたところで、ひとそれぞれの立場や経験や考え方を変えることはできないので、そんなことは無駄だとも思われるのだ。

だから村上春樹がいまや代表作のひとつとなった「ノルウェイの森」の最終章で主人公に語らせている言葉を引用してひとまずこの議論を締めくくりたいと思う。

どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。われわれはその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。

僕は1987年の秋に刊行された初版でこの小説を読み、以来数十回読み返している。そしていまも蓼科の秋の訪れを感じるとふたたび手に取る座右の書ともなっている。個人的には、この小説から僕は人生のかなり多くのモノやコトを学ぶことができた。

「風の歌を聴け」以来の村上春樹ファンとしては全作品をかなりの回数読み返しているわけだけれど、唯一読み返すことをしていないのは「ねじまき鳥クロニクル」くらいだろうか。あまりにも重すぎて体力的にちょっと無理。

「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」、「ダンス、ダンス、ダンス」を順番に読みこめば村上春樹の世界のひとつの側面を体感できるだろう。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでから「海辺のカフカ」を読めばこの2つの小説の世界が表裏をなしていることがわかるだろう。

村上春樹本人が(例外的に書いた「あとがき」のなかで)言っているように、「ノルウェイの森」という作品はこれら、あるいは他の小説群のラインからはきっぱりとはずれた特異点に立っている作品だと思う。

これは氏の言うように「きわめて個人的な小説」なのだ。僕にとってそうであるように。その意味ではセンティメントを共有できないひとにはこの小説は「つまらない」と感じられるのかも知れない。

それはそうと、僕はよく池澤夏樹みたいな文章を書くと言われることがある。そうかも知れない。彼も僕が好きな作家のひとりだから。しかし僕は文章作法のほとんどを村上春樹の作品を読むことによって学んだ。特に真似するつもりはないけれど、僕がもっとも好きなスタイルだからだ。

池澤夏樹が僕が高校時代にどっぷりとはまっていた福永武彦の息子だと言うことを最近知って、ああなるほどと合点がいったものだった。ひとのセンティメントは変えようとしても変わるものではないということだ。

ちなみに僕が抱く世界観は池澤夏樹の「スティル・ライフ」の冒頭の文章に的確に表現されている。長いので引用は避けるけれど、機会があったら是非一読することをおすすめする。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


(つづく)


▼オリジナル・エントリーへのリンク▼

http://www.p-sunset.com/blog/2007/10/31204729.php


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2009年04月04日

4574 自分があるとおりの自分





かつてこの日記は僕の想いを語る場であった。それでも良かったのは、時代がそれを許したからだ。WWWが限られたひとびとの交流の場であったころにはプライベートな自己が直情的に語ることが許されたが、パブリックな自己が語るとき直情的に語ることは許されない。

1996年当時、日本のインターネット利用者数は510万人に過ぎなかった。奇しくも現在のミクシィの会員と同じ程度のコミュニティーだったのだ。昨年の利用者数は9000万人超だから、18倍近くにふくれあがり、WWWの世界は現実社会を転写したかのようなリアルで物騒な世界に変貌している。

この13年間ウェブマスターとしてじつに様々な経験をしてきた。不思議な出会いもあれば、じつに奇妙な体験もした。もちろんきわめて不快な思いもしたし、これ以上はないというほどのうれしい出来事もあった。そのような13年間を経て、いまの僕はここにある。

それが「パブリックな僕」だ。以前のような個人的なプライベートな僕ではない。これを進化と呼ぶべきか、あるいは進歩と呼ぶべきか、いや、そうではなくてこれは退行だと言うべきか僕にはわからない。しかしこれは必然であって、もう戻ることはできない。それはもうすでに終わってしまったことなのだ。

過去の僕を知りたければ過去の日記を読めばよい。僕自身はそうしている。いまの自分を知りたければ、僕は自分に問いかけ、ひとはいまの日記を読み解くほか無い。まあ、そこまで手間暇かけて読む価値のある日記だとも思わないけれど。

さて、僕は「心を閉ざしてしまった」のだろうか。なにかを語ることを断念してしまったのだろうか。わかってほしいという想いを諦めてしまったのだろうか。いやそうではない、わかるひとにはわかるし、わからないひとには永遠にわからない、伝わるときは伝わるし、だめなときはだめなのだ。そんなふうに考えるようになっただけだ。

こんなふうに書くと、村上春樹の小説の主人公のように「わかってもらえなくてもいいや」というふうにみえるのだろうか。そういうのってある種の人たちの癇に触るのだろうか。そうであろうとそうであるまいと、僕は僕なのだ、これが「いま」の僕なのだ。

人生の前半、つまり山暮らしを始める以前の半生を僕は自分を偽って生き抜かざるを得なかった。だから、残り半分の人生を自分が望むとおりの自分、いや「自分があるとおりの自分」として生きてはいけないのだろうか。それは許されないことなのだろうか。

このいのちに代えても、僕はもう僕以外の自分にはなりたくないし演じたくもない。

(^^)


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☆たてしなラヂオ☆


2009年04月11日

4586 森の暮らし(1)



自然というのは、

ある意味で不自然なものだ

ラヂヲは思うのだ。


自然の中でひとりぼっちで暮らすのは

たしかに素晴らしいことだけれど、

そこでずっと生活し続けるのは簡単じゃない。


理論的にはできなくはないし、

じっさいにそうする人もいる。

しかし自然というのは、

ある意味で不自然なものだ。

安らぎというのは、

ある意味では威嚇的(いかくてき)なものだ。

その背反性を上手に受け入れるには

それなりの準備と経験が必要なんだ。

だから僕らはとりあえず街に戻る。

社会と人の営みの中にもどっていく。

(村上春樹「海辺のカフカ」)


作中で「大島さん」が語るこの一節に出合ったとき、

これはぼくのことを語っているのではないかと

錯覚しそうになった。

これまで何度もこの部分を読んだはずなのに、

今回初めて「発見」したように感じるのは

なぜなのだろう。

今回初めてこの一節が

ぼくの心の扉をたたいたのかも知れない。

(つづく)

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ペタしてね

2009年05月27日

4663 村上春樹新刊「1Q84」






村上春樹の最新作「1Q84」が

amazon.co.jp での

予約数が1万冊を超えたとのこと。

まあ

当然と言えば当然だと思うけれど。


当初5月24日だった刊行日が

5月29日になったのも

そのことと関係があるのかも知れない。


タイトルから

その内容が何らかの意味で

ジョージ・オーウェルの「1984」の

メタファーになっているのかも知れないし

ぜんぜんそうではないのかもしれない

わからない


なにしろその内容に関しては

一切公式には公にされていないから

村上春樹フリークの僕でもちょっと

想像がつかない


その長さから言って

「ねじまき鳥クロニクル」の系譜なのか

「海辺のカフカ」の系列なのか

「アフターダーク」的なチャレンジなのか


いずれにしても

僕も予約済みなので

手にするのが楽しみな作品ではある


このブログもまた

村上春樹の作品群に

大きな影響を受けている

たぶん


参照記事▼

<アマゾンジャパン>村上春樹さんの新刊予約が1万冊超える



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4664 村上春樹新刊「1Q84」(2)






話題騒然とはこのことを言うのだろうか

前回のエントリー(記事)で

村上春樹の最新作「1Q84」が

amazon.co.jp での

予約数が1万冊を超えたとのこと。

と書いたのだけれど

その続報記事があった


書き下ろしでの新作刊行に当たって

その内容を一切明かさない

という手法は出版界初だとのこと


憶測が憶測を呼び(もちろん良い方向で)

期待が期待を呼ぶ

村上春樹ファンは熱い予想を語り明かす


そんな感じなのだろうか

村上春樹だからこそ可能な

というか・・・


ようやく

村上春樹らしい新作発表のかたちが

実現できたということかもしれない


でも

いま気がついたのだけれど

これってアップル(APPLE)の

やりかたに似ていないかな?


なんとなく

Mac ユーザーのほうに

村上春樹ファンが多いような気がする

たぶん


別のニュースソースのよれば

1990年代以降のいつからか

村上作品は Windows パソコンと

MS WORD で書かれているとか


僕としては

Macを使って欲しいけど

それはそれ、

これはこれだから・・・

〆(°°)カキカキ..



参照記事▼

村上春樹さんの新作に予約続々 内容は一切明かさず、話題に



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2009年05月28日

4666 村上春樹新刊「1Q84」(3)






これは「上巻」のカバーデザイン(装丁)
のポスターです


あああー、待ち遠しい、早く読みたい!

早々に予約したから6月中に届くだろうか・・・


それはさておき


同じタイトルのエントリー(記事)で

村上春樹の最新作「1Q84」が

amazon.co.jp での

予約数が1万冊を超えたとのこと。

そして

その内容を一切公開しないという

新刊書としては異例の手法が

話題になっている。

と書いた。


じつは

いま気がついたのだけれど

一緒に載せたポスターにある

この小節のカバーデザインが

なにやらずうっと気になっていた


そうだ

上巻が赤

下巻が緑

というイメージカラー


これって

1987年に刊行され

現在の村上春樹人気の

きっかけとなった

「ノルウェイの森」

それと同じなのだ


村上春樹が

意味も意図もなく

偶然に

このようなことをやるはずがない

これもまたなにかのメタファーなのだ

(たぶん)

ラヂヲは思う


〆(°°)カキカキ..


参照記事▼


<アマゾンジャパン>村上春樹さんの新刊予約が1万冊超える


村上春樹さんの新作に予約続々 内容は一切明かさず、話題に




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4667 村上春樹新刊「1Q84」(4)


雨まじりの強風 気温:最低 + 4℃/最高 + 8℃


norway_1.jpg

1987年刊行の「ノルウェイの森」初版本のデザイン

左が「上巻」で右が「下巻」

上巻は鮮やかな赤にグリーンの文字

下巻は深い緑にブリリアントレッドの文字


ストーリーにおいては

上巻が「直子」の物語

下巻が「緑」の物語


かなり乱暴に言ってしまうと

そう言えるかも知れない

作品自体の構造は

きわめて精緻に構築された

ギリシャ悲劇的な様式美を持っている


それに気づくだけでも

この物語の語る世界を

より身近に

体感的に理解できるかも知れない


直子=死・影・静謐に満ちた「世界の終わり」

緑=生・光・いのちの躍動する「ハードボイルド・ワンダーランド」

などと

この作品の二年前の1985年刊行の

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と

対比してしまうのも

いささか乱暴だけれど

個人的体験としての読書の作法としては

許されるのではないかとも思う


ちなみにラヂヲは

直子も緑もどっちも好きだー!

ということなのだ


読み返すほどに

これはギリシャ悲劇なのだ

という確信を持つようになった


恋愛を物語りながら

その実

「この世界」について語っている


村上春樹の作品に共通する

通奏低音であり

テーマは「世界」なのだ

あるいは

「世界観」なのだ

個人的には考えている


「1Q84」がどのような作品かは

現段階では不明だけれど

その世界を

どのように「体験」し

読み解くかは

きわめて個人的問題だと

とりわけ

村上作品については

ラヂヲは、そう感じるのだ


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☆たてしなラヂオ☆

4668 村上春樹新刊「1Q84」(5)



たてしなクロニクル-1Q84・BOOK 1 たてしなクロニクル-1Q84・BOOK 2

1985年、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、1994年、『ねじまき鳥クロニクル』、2002年、『海辺のカフカ』。そして今年、待望の新作長編刊行!「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。

楽天ブックスにじっさいの本の写真と

「腹帯」と思われる文章が載っていた


左が「上巻=BOOK 1」で

右が「下巻=BOOK 2」ね


あれ?


「ノルウェイの森」とは

色使いが逆だよ

色調も異なるし


どうやら


ここに載っている作品群の

延長線上に位置する物語のような・・・

そう考えるのが妥当なんでしょうね


この短い文言だけからも

なにやらわくわくするものを感じるのは

僕だけではないはずだ

たぶん


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☆たてしなラヂオ☆

2009年05月29日

4669 村上春樹新刊「1Q84」(6)






奥蓼科・御射鹿池(東山魁夷風に)・クリックで拡大


「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。


という感じのお話のようですが

まず思い出すのは「アフターダーク」での

表現装置としての「鏡」あるいは「TV画面」の

使われ方です


「鏡の向こう側の世界」と「鏡のこちら側の世界」

「TV画面の向こう側の世界」と「TV画面のこちら側の世界」

僕もかなり前にルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」に触発された

文章を書いたことがあるけれどこれは面白い装置なのだ


村上春樹は

今回の作品でどのような舞台装置を

見せてくれるのだろうか


★★★


楽天ブックスからメールで発送完了と連絡があった

日付は5月28日だから今日(29日)に到着だ

わははは、わーい!↑(^^_)ルン♪


かなり前にアマゾンで予約していたのだけれど

当初の発売日=5月24日に

ステータスをチェックすると

いまだに発送されていなかった


その時点で

これはかなり大量の予約が入ったため

遅れているのだと判断

楽天ブックスの状況をチェックして

こちらに乗り換え予約したのだった


結果を見ればなんのことはない

どちらでも手にする日は同じだっただろう


増刷が進んでいるようなので

予約が遅かったひとでも

6月に入ってすぐに手にできると思う


ちなみに

楽天ブックスでは

在庫あり1日〜3日以内に発送

となっていました


都市生活者のひとは

書店に走った方が早いと思うけど・・・

たぶん

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☆たてしなラヂオ☆

2009年05月30日

4671 村上春樹新刊「1Q84」(7)





きのうの正午過ぎに村上春樹の新刊「1Q84」が届きました。

わーい!

発売日にちゃんと届いたんだ。

↑(^^_)ルン♪


まあ仕事もあったのだけれど

なんだか

読み始めたら止まらなくなるのが目に見えているので

まだページを開いていません。


まずは奥付を見て初版本であることを確認

それからじっくりと凝った装丁を鑑賞

で、撮った写真が上の写真です。


思ったよりもかなり分厚い本です

それが上下二巻というか

格好良く BOOK 1、BOOK 2 となっています。


うーむ、これまたなんだかアップル社みたい。


なんと「腹帯」に小説のストーリー内容が

一切書いていない!

これまた村上春樹的でいいなあ。


なんか新しい Mac を買った時みたいに

ワクワクしてしまうのは

どうしたことだろう。


Windows のハイスペックマシンがやってきたときには

こんな風な興奮は憶えなかった

どうしてだろう

Windows君だってよくやっているのに。


ようするにぼくは Mac が好きなのね

Windows ではなくて。

恋愛と同じなんだ

たぶん。


あ、

村上春樹氏には崇敬の念を抱いているけれど

恋愛感情は持っていません。Mac にもね。

残念ながらぼくはそっち系のひとではないので。


(笑)


★★★


七年に一度の善光寺の御開帳も6月1日で終わります。

今週末その最後のチャンスに訪れてみてはいかがでしょうか。

長野市にある善光寺からペンション・サンセットまでは

混んでいても長野道を利用して約3時間はかからないと思います

往路に復路に蓼科高原ペンション・サンセットにご宿泊になる

お客様も多くいらっしゃいます。

新緑に輝く花いっぱいの蓼科高原にぜひお立ち寄りください。

蓼科はいまミツバツツジ、レンゲツツジが満開です!

バラクライングリッシュガーデンのバラも

しだいに咲きそろってきています。


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☆たてしなラヂオ☆

4672 村上春樹新刊「1Q84」(8)

風雨のち晴れ 気温:最低 + 4℃/最高 + 16℃




きのうの正午過ぎに届いた

村上春樹の新刊「1Q84」を

読み始めました。


旧いスタン・ゲッツのジャズを

聴きながら

気持ちを静めて

こころの準備をしてから・・・。


内容を詳しく書くことは

未だこの本を手にしていない

村上春樹ファンのひとにとっては

推理小説のトリックを

いきなり教えるに等しい所行かも知れないので

書きません。


僕の場合はまず巻頭言を読んでぐっと来ました。


ここは見世物の世界

何から何までつくりもの

でも私を信じてくれたなら

すべてが本物になる


これはスタンダードナンバーの

"It's Only a Paper Moon"

の一節です。


そして目次のタイトルを見て

あっと言う間に

「村上ワールド」に引き込まれてしまいました。


ふつう僕は小説の目次なんて読まないで

いきなり本文に突入するのだけれど

今回だけは違いました。


タイトル自体が

それぞれの世界を

象徴的に

言い表しているようなのです。


そして当然ながら

1ページ目の冒頭から

いきなり「村上ワールド」の

住人になってしまった。


三人称で書かれた文体は

「アフターダーク」的なクールさを持ち

表現的には「海辺のカフカ」的

物語としてはなにやら波乱の展開を予感させる

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」

の薫りが濃いように感じる。


それ以外にも

これまでの村上春樹の長編小説の

随所で見られる絶妙な比喩に満ちていて

1ページで1回以上は必ずクスリと笑ってしまう。


まだ読み始めたばかりなので

この作品がどのような作品で

どのような企図を持って書かれたものなのかも

どのような位置づけを持つものなのかもわかりません。


なので、こんなところで今回はやめておきます。


いずれにしてもワクワクしています。

↑(^^_)ルン♪


★★★


七年に一度の善光寺の御開帳も6月1日で終わります。

今週末その最後のチャンスに訪れてみてはいかがでしょうか。

長野市にある善光寺からペンション・サンセットまでは

混んでいても長野道を利用して約3時間はかからないと思います

往路に復路に蓼科高原ペンション・サンセットにご宿泊になる

お客様も多くいらっしゃいます。

新緑に輝く花いっぱいの蓼科高原にぜひお立ち寄りください。

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バラクライングリッシュガーデンのバラも

しだいに咲きそろってきています。


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☆たてしなラヂオ☆

4673 村上春樹新刊「1Q84」(9) 





ペンション・サンセットのある場所

クリックすると拡大してご覧いただけます

さて、

この作品の内容について

あまり多くの情報を公開するのは

村上春樹氏の意志である場合を別として

適切ではないと思うようになりました。


緻密に構成され構築されたこの物語を

軽々に語ることはできない

読了する前に

本質を捉える前に

枝葉末節を語るべきではない

と・・・。


ただ、

自分がひとりの読者として感じたことは

語ることを許されるのではないかとも

同時に

思うのです。


いつもどおりの「村上ワールド」に安心しきって

上質のソファーにゆったりと身を任せて

読み進め始めた読者に

村上春樹はいったいどのような驚愕すべき物語を

語ってくれるのだろうか。


まだ第一章を読了したに過ぎないけれど

なにやらきな臭いにおいを感じ始めている

自分を感じています。


それは

村上春樹渾身のドキュメントである

「アンダーグラウンド」を

なぜか急に思い出したからかも知れません。


そして

僕にとっては最も不気味で痛ましく

いまだに再読できないでいる

「ねじまき鳥クロニクル」の気配を

感じるからかも知れない。


いずれにしてもじっくりと

真正面から

この渾身の大作に

向き合っていこうと思います。

★★★


七年に一度の善光寺の御開帳も6月1日で終わります。

今週末その最後のチャンスに訪れてみてはいかがでしょうか。

長野市にある善光寺からペンション・サンセットまでは

混んでいても長野道を利用して約3時間はかからないと思います

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お客様も多くいらっしゃいます。

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☆たてしなラヂオ☆

2009年05月31日

4674 村上春樹新刊「1Q84」(10)





癒しの森の中に僕は暮らしています

写真クリックで拡大してご覧下さい

さて、

何回か前の記事で

残念ながら村上春樹氏は

MacからWindowsに変えて書いている

と言うようなことを書きました


ある方からご指摘いただいて

調べ直してみたのですが

少なくともそれは一時期のことで

ほぼ一貫してMacユーザーのようです


わーい!(^_^)b

ですよね

村上春樹の感性は当然Macを選択する

という僕の思い込みは正しかったんだ。


一時期Windowsを使っていたとき

氏は「べつにMacを捨てたわけではない」

と発言していたそうです。


それはさておき・・・


第一章のお話しの中で

作中人物が東京の首都高速上のタクシーを降りて

非常避難帯の階段から下に下りるのですが

この物語と同じ1984年4月に

まったく同じ場所から

じっさいに僕は

非常階段を使って下に降りたことがあるのです。


だからそのときの情景描写が

とてもリアルに僕には見える

なにもかもが・・・。


異なるのは


僕の場合は

自分のコンパクト・メルセデスで

取引先に向かう途中だったので

非常避難帯に車を止めて

鍵のかかった鉄製の柵を乗り越えて

20mから30m下の道路に降り

(もちろん降りきったところにも鍵のかかった鉄柵があった)

最寄りの駅から電車を利用して取引先に向かい

その後ふたたび同じ階段を上って

元の場所に戻らなければならなかったことです。


ついでに言うならば、

当時のぼくは野心的な生き方をしていたので

ぱりっとした仕立てのダークスーツの

身なりの良い若手ビジネスマンだったことも

この物語とは違う。


しかしこの偶然の符号はなんなのだろう

シンクロニシティとしか思えない。

★★★

新緑に輝く花いっぱいの蓼科高原にぜひお立ち寄りください。

蓼科はいまミツバツツジ、レンゲツツジが満開です!

バラクライングリッシュガーデンのバラも

しだいに咲きそろってきています。


八ヶ岳開山祭は6月8日(日)正午から

北八ヶ岳は北横岳山頂

南八ヶ岳は赤岳山頂で開催されます。


山歩きのオープニングセレモニーとして

この機会にご参加になってはいかがでしょうか

とてもすてきな雰囲気ですよ

---


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☆たてしなラヂオ☆

4674 村上春樹のこと

雨 気温:最低 + 7℃/最高 + 16℃





蓼科ではレンゲツツジが一斉に満開になっています

写真クリックで拡大します


村上春樹の新刊「1Q84」の話はひとまずお休み

詳しい人たちが専門的に書きはじめたし

餅は餅屋と言うしね


僕の方はつらつらと

素人の感想を書いていきたいと

思っています


それと

念のために書いておくと

僕は村上春樹の長編小説のファンである

僕は村上春樹の描く世界の住人と言っても良いほどだ

しかし僕は村上春樹個人の崇拝者ではない

最後の一行はとても大切なことだ。



★★★


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☆たてしなラヂオ☆

4676 ライ麦畑でつかまえて(長い記事です)






高原を散策しながら物思うのもまたいいものです

写真をクリックすると拡大してご覧いただけます


米国の作家J.D.サリンジャーの名作「ライ麦畑で捕まえて(The Catcher in the Rye)」が村上春樹氏の翻訳で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というタイトルで出版されたのは2003年のことで、とてもうれしいことだった。僕らは同じ白水社刊の野崎孝訳の名訳「ライ麦畑で捕まえて」によって「ライ麦」体験をしたわけだけれど、それはいま思い返しても強烈なものだった。

村上春樹訳もまた素晴らしく、現代の若者にはとても馴染みやすいものだと思う。僕らが読み返すにつけても旧さを感じることなくサリンジャーの世界へと誘われることができる。「九つの物語」のほうが村上春樹らしさが出て面白いのでないかと、個人的には思うけれど。

強烈といってもセンセーショナルな体験とか感動というのではなく、しみじみとこころに染み渡るというか、いやそうじゃないな(そういう体験をしたければスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」やマーガレット・クレイヴンの「ふくろうが私の名を呼ぶ」(角川書店刊)をおすすめする)、自分が年齢を重ねるにつれてジンと効いてくるというたぐいの感動だった。

ぼくの周囲の同世代の人間にとっては「中原中也」や「萩原朔太郎」や「福永武彦」や「出家とその弟子(倉田百三著)」同様ある種の「通過儀式」みたいなものだったような気がする。夏目漱石、森鴎外、太宰治などなどのリストを思い返してみるとつくづくぼくらは「古典主義」的読者だったのだなあと思う。

我が敬愛する(といってもちょうど娘に当たる年齢なのだけれど)宇多田ヒカル(さん)がヘルマン・ヘッセを愛読していたことを最近知ったのだけれど、「車輪の下」「デミアン」「シッダールタ」「幸福論」「荒野の狼」とかなりの作品に「人間風車」状態になってしまったのが懐かしい(ブレーンバスターでなくてよかった)。ちなみに彼女の愛読書リストには「グレート・ギャツビー」もしっかりはいっている。

大学に入って最初の衝撃はアルベール・カミュの「異邦人」「ペスト」「シジフォスの神話」、ジャンポール・サルトルの「嘔吐」「存在と無」、そしてあのフランツ・カフカ。ご想像通りぼくにはドラッグなんて必要なかった。この読書体験のほうがよほど強烈なドラッグ的体験だったから。「実存主義」「不条理」という名のドラッグね。

カフカの言葉にすべては凝縮されている。

『ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。』(親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日)

いまインターネットで『カフカ』で検索をかけると「海辺のカフカ(村上春樹著)」関連のサイトばかり出てきてしまうのは、まあいたしかたないでしょう。で、多少カフカを知りたい方のためにこのサイトをお勧めしておきます。

ぼくの読書体験を書き始めたらそれこそ「ネバー・エンディング・ストーリー(ミヒャエル・エンデの本ね)」になってしまうのですが、今後少しずつ思い出しながら書いていこうとは思っています。大学時代だけで3,400冊読破したことはいささかばかげているとぼく自身思うのですが、その体験がいまのぼくの精神的骨格の形成に少なからぬ影響を与えていることは否めません。学問(勉強?)とジャズ(リスニング&演奏活動)と目がつぶれそうなほどむさぼり読んだ無数の書物のインクと紙の匂いこそぼくの激情と夢と孤独に支配された青春でした。



★★★


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☆たてしなラヂオ☆

2009年06月02日

4679 沈黙は聞くことが出来る 責任は夢の中から始まる



針葉樹の森は思惟と観念の世界


針葉樹の森は思惟と観念の世界

写真をクリックすると拡大します



まそれはさておき、我が敬愛する作家、村上春樹の最新作「1Q84」を読んでいる。深夜「海辺のカフカ」に登場して読者の間で話題になった100万ドルトリオによるベートーベンの「大公トリオ」を聴きながら読む。この難解そうな作品を読み解くことが自然に出来るような気分になる。

ここが街ならば、「なにもかもが寝静まった深夜」と書くところだけれど、ここは標高1800mにせまる亜高山帯なのだ。自然は決して眠らない、都会が眠らないというのとまったく異なった意味において。

野生動物はそのほとんどが夜行性なのだ。だから我が家の夜警担当だったシベリアンハスキーのパル君も、時代劇で武士が刀を肩に立てかけて壁にもたれて仮眠するような感じで、夜間は半分起きていたものだ。そして、我々が起床したのを確認してから爆睡する。そんな彼はもういない。深夜、ぼくはひとりぼっちだ。

ここは静かなところだ。その印象と実感は16年暮らしたいまでも変わらない。日中でも耳の奥からきーんという音が聞こえてくる。深夜ならなおさらだ。「海辺のカフカ」でも山奥の小屋で主人公の少年が聞く「沈黙」はこのようなものだったのだろう。第15章の終わりに彼は語る。

「沈黙は耳に聞こえるものなんだ。ぼくはそのことを知る。」

それはここではあたりまえのこととして体験される、最初は新鮮な発見として、その後は感動的な日常として。そんな環境の中で日々を送り想いを巡らしているとイェーツの言葉もまた自然に心を打つようになる。体質が変わるのと同じように、こころも変わるのだ。

「夢の中から責任は始まる。(In dreams begin the responsibilities.)」

想像力のないところに責任は存在し得ない。想像力がなければ、その人間にはなぜそれが罪なのか永遠にわからない。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」

そのような種類の殺人者は「夢」を見ることはないのだろう、たぶん。想像力のないところに夢はなく、責任も始まることはない。



★★★

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霧ヶ峰のレンゲツツジ大群生の見頃は6/10頃から6月末です。

霧ヶ峰の日光行き菅野大群生の見頃は7/10頃から7月末です。

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2009年06月03日

4681 懸想するアヤメ ウグイス 1Q84





蓼科湖畔に咲くアヤメ

どうやら僕に懸想(けそう)しているらしい

写真をクリックすると拡大してご覧いただけます



窓外でウグイスが歌い始めている

もうすぐ夜が明ける

いや、すでに明けたのかも知れない


僕は村上春樹の新作「1Q84」を読み続けている

といっても

僕がこの作品を読む速度は

いつも以上にゆっくりしたものだ


小説に限らず芸術作品には

それを読んだり鑑賞したりするのに

最適な時間の流れというものがある


もちろんそれは

きわめて個人的なものだ

楽譜のように

作者によってあらかじめ

テンポが指示してあるわけではない


ひとはそれぞれ

自分だけの

きわめて個人的な時間を

生きている

愛している

死んでゆく


その時間の流れを見失うと

自分が自分でなくなってしまう

ただ生き急ぎ

悲嘆のなかで人生を終えることになる


荒れ狂う大海原から

静謐に満ちた亜高山帯の森に

ようやくたどり着いた

僕の実感であり帰納的真実だ




★★★

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2009年06月04日

4684 1Q84



たてしなクロニクル-花・美しい赤


村上春樹の新作「1Q84」を読んでいる

まだ13章までしか進んでいないけれど

しだいにテーマが明確な姿を現し始めている


ジョージ・オーウェルの「1984」の思考停止の世界

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のパラレルワールド

「アンダーグラウンド」の宗教(カルト)によって作り替えられた世界観

「ねじまき鳥クロニクル」でとりあげられたの陰惨な事実・悲惨な現実

「アフターダーク」が鳥瞰する闇の世界

「海辺のカフカ」のメタファーあるいは黙示録としての現実世界


だれかが村上春樹は「総合小説」を目指していると言っていたが

確かにそのような印象があるのは確かだ

これは

ノンフィクションに限りなく近いフィクションである

すくなくともこれはファンタジーではない


作家として

自身の身体を張った社会へのコミットメントが

大きな比重を持って読むものに迫る


最後まで読まなければ

あるいは

何度でも納得のいくまで読み返さなければ

わからないけれど

いずれにしても賛否の分かれる作品かも知れない

いまはそんな印象を持っている


ひとついえることは

読み始めたら途中で読むのをやめてしまうなんて

とてもできない強烈な磁力を持った作品である

ということ


★★★

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2009年06月06日

4690 村上春樹「1Q84」34万部突破



ビーナスラインーレンゲツツジ


蓮華躑躅(れんげつつじ)が咲きそろう蓼科

この世のものならぬものを感じるのね

写真クリックで拡大します!

---

村上春樹さんの「1Q84」 売り上げ34万部突破

という記事がのっていました

版元ではすでに合計96万部まで

増刷手配済みとのこと


おおおー、

まるでシングルCDランキングの話みたいじゃん!

まだ BOOK 1 しか読み終わってないけど

100万部突破しても不思議じゃないと思う

個人的には


参照記事:
http://www.excite.co.jp/News/society/20090605/JCast_42619.html

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4691 1Q84(2)



蓼科・聖光寺のレンゲツツジ


蓮華躑躅(れんげつつじ)の咲く姿は

じつにさまざま

写真クリックで拡大します!

---

「1Q84」早くも96万部 村上春樹さんの新作長編

昨日の今日ですが

というフォロー記事がのっていました

この調子だと100万部は間違いなく

いったいどこまでいくのだろう


じじつ都市部などでは

どの書店に行っても完売で

予約しないと手に入らない

という異例の状況らしいですね


まだ読了していないけど

評判というか期待を裏切らない

渾身の力作だと感じています


こういう言い方は

村上春樹さんには

あまり似合わないとは思うけれど


でも

ほんとうに

すごい作品です


参照記事:
http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20090606/Kyodo_OT_CO2009060601000044.html


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2009年06月15日

4703 1Q84(3)



曇りのち雷雨 気温:最低 + 3℃/最高 + 11℃


霧ヶ峰のレンゲツツジ満開


霧ヶ峰レンゲツツジ大群生地は今週末満開に!(当館から車30分)

写真提供:www.kurumayama.com

写真をクリックして拡大してご覧下さい!


きのうとおなじように

夕方から激しい雷雨になっています。

とはいえ

これは山岳地特有のもので

都市部の「ゲリラ豪雨」とは

別物なのですが。


落雷の多い(=夏の風物詩)山岳部では

最近は電柱自体にアースを取って

避雷針化する対策が進んでいるので

落雷による停電はかなり少なくなりました。

おりしも

いま読んでいる村上春樹の「1Q84」の世界では

ちょうどリトル・ピープルが騒いで

激しい雷鳴が轟いているところに

物語がさしかかっており

おかげで

ものすごい臨場感で読み進めています。

BOOK 2 の初めから三分の一ほどのあたりから

つぎつぎと様々な謎が解き明かされてきています。

川の源流の流れのようなテンポではじまった

印象だったこの作品もいまや急展開を見せ

激流渦巻く抗いがたい物語の進行へと

村上ワールドの真骨頂へと転じています。

(^^)



☆☆☆

ところで・・・


今週末あたり「どうですか?」

高原ドライブ=ビーナスラインドライブ

霧ヶ峰のレンゲツツジ大群生は見頃に入りました。

今週末満開になりそうです!

ビーナスラインドライブしながら

壮大なパノラマをたっぷり見ることができますが

せっかくなので車を降りて

その世界に浸りながら

散策することをおすすめます。

その幽玄な美しさに

夢か現(うつつ)かわからなくなりますよ

きっと・・・。

見頃は6月末まで続きそうです



レンゲツツジの開花状況はこちら↓
http://www.kurumayama.com/new/open.htm


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2009年06月18日

4708 村上春樹新刊「1Q84」読了



白樺の新緑


白樺の美しい新緑!(うちのペンションの庭)

写真をクリックして拡大してご覧下さい!

壁紙にもできます。



村上春樹の書き下ろし最新刊「1Q84」を読了した。

やらなければならない仕事(パソコンワーク)を終えてから

最後の4章を読んだので読み終わる頃には

ちょうど夜が明けてきた。

庭で歌うウグイスとホトトギスがそのことを教えてくれた。


個人的には

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」

「ねじまき鳥クロニクル」

「アンダーグラウンド」

「海辺のカフカ」

「アフターダーク」

という時系列的作品群の延長線上で

この1200ページにもおよぼうという大作を

一気に読んだような気がする。


読了直後

まさか自分の部屋で

ひとりでスタンディング・オベーションする

というわけにもいかず

ひっしと本を抱きしめてしまった。


言っておくけれど僕は本であるならなんでも抱きしめるわけではない。

僕が本を抱きしめるのはきわめて特別のケースに限られている。

美しい女性あるいは魅力的な女性ならだれでも抱きしめる

というわけではないのと同じ、

その相手を愛してしまったかどうかということなのだ。


これはまだ1回目の通読に過ぎない。

テーマと全体像をつかむために作品の構造にそって

流れに身を任せて一通り探索したに過ぎない。

それは激流のホワイトラフティングのようでもあった。


これからいよいよ本格的に読み込んでいくことになる。

とても楽しみ!(^^)




☆☆☆

ところで・・・


今週末あたり「どうですか?」

高原ドライブ=ビーナスラインドライブ

霧ヶ峰のレンゲツツジ大群生は見頃に入りました。

今週末満開になりそうです!

ビーナスラインドライブしながら

壮大なパノラマをたっぷり見ることができますが

せっかくなので車を降りて

その世界に浸りながら

散策することをおすすめます。

その幽玄な美しさに

夢か現(うつつ)かわからなくなりますよ

きっと・・・。

見頃は6月末まで続きそうです



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2009年06月21日

4712 村上春樹の「1Q84」を読みました

 

 
5月30日(土)に入手して、6月18日(木)の明け方に読了しました。
 
思ったより時間をかけて読んだのですね、改めて驚きました。
 
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読むうちに学んだ読み方を、今回も実行してみました。それは交互に展開する二つの物語(今回は「青豆」と「天吾」)をセットで読むということです。
 
今回は1回目の通読からそれがうまくいきました。
 
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も20回ほど読み込みましたが、まず【世界の終わり】の章を通読してから、【ハードボイルド・ワンダーランド】を通読し、最後に両方の物語を交互になった状態(つまり本の順番どおり)読み進めるという方法がより有効でした、個人的には。
 
「海辺のカフカ」も同様の手法で読み解くことを試みましたが、正解でした、あくまでも個人的には、ということですけれど。
 
村上春樹の作品は、テーマやメッセージに最適化された緻密な構造を持っているように思います。ギリシャ悲劇的というか、伝統的な日本の小説とは異なった【演劇的】あるいは【戯曲的」なしつらえを感じるのは僕だけではないと思います。
  
要するに、村上春樹の作品をより良く、あるいはより深く理解するには、あるいはよりどっぷりとその世界に浸るためには、それに見合った体験と学習と自己鍛錬そしてなによりもセンスが必要なようです。
 
作中に登場する人物や映画や音楽や文学、どれひとつとっても意味(必然性)のないものはありません。ヤナーチェックのシンフォニエッタだってじっさいに聴いてみる必要がじつはあるのです、個人的体験としては。そうすることによってその場面やストーリーがより明確な輪郭を持ったものになるからです。
 
そうした意味において村上春樹の作品は(とりわけ長編小説は)【教養小説】の範疇に入るのかも知れません。教養なんて新自由主義の拝金主義的なこの世の中にあってはもはや死んだも同然かもしれませんが、そのような世相に対する強烈なアンチテーゼを提示しているように思われて僕には心強く感じられるのです。
 
だから、今回のいわゆる【1Q84】ブームが、この作品を【消費されるもの】に貶めてしまわないことを祈ります。文学というものは、もっと広義には芸術というものは【消費されるべきもの】ではありません。それと出会い、触れることによって、個人がインスパイアされる契機(きっかけ)となるべきものです。
 
少なくとも僕の場合はそうでしたし、これからもそうあり続けると思います。
 
それはさておき、今夜から2回目の通読を開始しようと思います。読み返すたびに新しい視点、新たな物語が見えてくるのもまた村上作品の優れたところであり、個人的に大好きな所以(ゆえん)です。
 
もし村上春樹作品を読んで何らかの感動を得たならば【スタンディングオベーション】こそがふさわしいのと思う。(僕が小学生の頃書かされるのが嫌でいつも泣きながら書いていた)【読書感想文】を書くことではなくて、ストレートな感動を言葉にすればいいのだと思う。拍手をし、足を踏みならし、歓声を上げ、賞賛の声を上げればいいのだ。
 
 
☆たてしなラヂオ☆
 
 
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2009年06月23日

4716 そんなもんないんだよ、どこにも!






シロツメクサの花(蓼科高原ピラタスの丘Pサンセット)

写真をクリックして拡大してご覧下さい!


NHKの朝の連続ドラマみたいにあっという間に月日は巡り、再び村上春樹の「ノルウェイの森」を読み返す季節になってしまった。こう書くとなんだか「義務感」で読み返しているみたいに聞こえるかも知れないけれど、これはあくまでも個人的な楽しみであり、年中行事なのだ。

もう何十回読んだかわからないけれど、最近自分は小説の冒頭の導入部と、主人公が直子が入っている阿美寮を訪ねるところがとても好きだと言うことに気づいた。それがこの物語の象徴的な映像として僕の中に再構築されているのだ。

そしてもう一つの変化は、ヒロインの直子一辺倒だった僕の好意が、読み返すたびにもうひとりのヒロインである緑という娘への好意に移ってきたということ。前者が死の影を背負った滅び行く美しさを象徴するならば、後者はたくましく生き抜いてゆく美しいいのちの象徴と感じられる。主人公にとってはまるで太陽のような存在、そして僕にとってもそのような存在として自分の中に息づくようになった。

そんなことをつらつら想いながらまたこの季節に読み返すのだ。個人的な至福の時間だ。

それにしてもひとは「本当の幸せ」とか「本当の自分」とか「自分の居場所」とか、じつに様々なものを求めて現代という高度資本主義社会をさまよっているように感じられる。個人的体験としては「そんなもんないんだよ、どこにも!」と言ってあげたいな。

要するに僕らが求めているものは同じ「なにか」のように感じてる。その「なにか」は気づいてみればじつは「自分自身」なのだ。広大な薄明の世界に浮かぶ自分という美しい惑星なのだ。

そのことに早く気づいてほしい。気づいたからと言ってなにかが劇的に変わるわけでもないのだけれど。


☆たてしなラヂオ☆




☆☆☆

ところで・・・


今週末あたり「どうですか?」

高原ドライブ=ビーナスラインドライブ

車山高原(霧ヶ峰のとなり)のレンゲツツジ大群生が満開宣言です!

霧ヶ峰のレンゲツツジ大群生も今日「満開宣言」です!

ビーナスラインドライブしながら

壮大なパノラマをたっぷり見ることができますが

せっかくなので車を降りて

その世界に浸りながら

散策することをおすすめます。

その幽玄な美しさに

夢か現(うつつ)かわからなくなりますよ

きっと・・・。

見頃は6月末まで続きそうです

霧ヶ峰のレンゲツツジ大群生の開花状況はこちら↓

http://blog.goo.ne.jp/kirigamine_vc


車山高原のレンゲツツジの開花状況はこちら↓
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2009年06月24日

4717 心、それを失うこと



ピラタスの丘は:雨のち午後から晴れ

気温:最低 + 9℃/最高 + 17℃




写真をクリックして拡大してご覧下さい!


しかしやがては君の心も消えてしまう。心が消えてしまえば喪失感もないし、失望もない。行き場所のない愛もなくなる。生活だけが残る。静かで密やかな生活だけが残る。君は彼女のことを好むだろうし、彼女も君のことを好むだろう。君がそれを望むのなら、それは君のものだ。誰にもそれを奪いとることはできない。

--- 村上春樹著「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」第16章より


初版が1985年刊だから、いまから24年前の作品であり、僕が手にしている初版本はいつのまにか24年にも及ぶ時空間の旅を僕と共に過ごしてきたことになる。その間に20回読み返しただろうか。そして、今回この言葉を「発見」したのだった。

たった1度読んだだけで、その小説の言わんとしているテーマや語っている世界観を理解できてしまう能力のある人がうらやましい。僕はこの期に及んでようやく、この作品を理解し始めているところなのだから。

自分がどれほど心を求め、心を大切にしてきたか、またその一方で、時として心をないがしろにしてきたかに思い至る。人間関係や夫婦関係あるいは恋愛において僕が感じてきたある種の「喪失感」は、じつはそこに「心」が無いことに対する喪失感であったことがいまならよくわかるのだ。

心が無くても快適に生きていくことはできるし、大きな成功や外形的な「しあわせ」だって手に入れることができるかも知れない。しかし、そこに心がなければ、際限のない喪失感にさいなまれ続けることに変わりはないのだ。

心を無くしてしまっていることに気づかずに楽しく生きている人が増えているように感じるのは、単にぼくが歳をとったからかも知れない。自分だってかつて心を無くしていた時期があるのかも知れないのだから。

心が無くても、親切で誠実で思いやりのある人物たり得ることは可能だ。しかし、それは「機能」であって、「心」ではない。われわれが「愛情」だと思っているものの多くが、じつは「感情」に過ぎない、そこには「心」が無い。しかし、心が無くてもひとは機能することができる。慈愛にあふれた人格者たることだってできるのだ、心が無くったって。

この作品は、心とそれを失うことについての寓話であり、物語である。

トルストイの言うように、

幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。

おそらくそれは「真実」なのだと思う。

さて、わたしの「静かな生活」は「心のある生活」になったのだろうか、それともその代償として「心を捨てた結果」なのだろうか。



☆たてしなラヂオ☆




☆☆☆


ところで・・・


今週末あたり「どうですか?」

高原ドライブ=ビーナスラインドライブ

車山高原(霧ヶ峰のとなり)のレンゲツツジ大群生が満開宣言です!

霧ヶ峰のレンゲツツジ大群生も今日「満開宣言」です!

ビーナスラインドライブしながら

壮大なパノラマをたっぷり見ることができますが

せっかくなので車を降りて

その世界に浸りながら

散策することをおすすめます。

その幽玄な美しさに

夢か現(うつつ)かわからなくなりますよ

きっと・・・。

見頃は6月末まで続きそうです



霧ヶ峰のレンゲツツジ大群生の開花状況はこちら↓

http://blog.goo.ne.jp/kirigamine_vc


車山高原のレンゲツツジの開花状況はこちら↓
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4718 この世界観は僕のものだ

 

 
キバナノヤマオダマキ
 
写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 
 
さて、わたしの「静かな生活」は「心のある生活」になったのだろうか、それともその代償として「心を捨てた結果」なのだろうか。
 
そのように僕は前回の記事の終わりに書いた。
 
もちろんこれは「反語」であって、そのように思っているわけではない。
 
僕の「静かな生活」は何も失うことなく実現され、なんの代償も必要とはしなかった。
 
念のために書き添えるならば、心を失うこともなく、心を捨てようと試みることもなく。
 
それはさておき
 
最近は「文学的表現」を理解しない(理解できない)人が増えたのだろうか。
 
これはべつに非難しているわけではなく、それを憂えているわけでもない。
 
時代がそのように変化したのだろうか、もしそうであるならば、表現も適応していく必要があるのではないのか、と思うばかりだ。
 
なぜならば、言葉は何かを伝えたいという思いを推進力として、実際的に何かを伝えるのが第一義的使命だったはずだからだ。
 
コミュニケーションとは伝えるべき相手の言葉で話すことだ
 
これはマスコミュニケーション産業に携わるものとしての僕の信念だった。
 
まあ、その信念を曲げなかったゆえに、その世界を去ることになったのかも知れないけれど。
 
いまなら理解できる、それが傲慢な信念であったことを。
 
コミュニケーションというものはあらゆる条件がすべて整ったときにのみ成立する僥倖ようなの瞬間にのみ可能なものなのだ。
 
僕らは互いに誤解やミスリードという誤差を前提として、それをあたりまえのものとして許容して、互いの思いを伝え合いながら生きているのかも知れない。
 
だからいま僕は誤解を恐れることなく語りかけることにしている。
 
誤解があると感じたら、あらためて語り直せばいいのだ。
 
言葉では伝えられなくても、心は伝わるかも知れない、思いは伝わるかも知れないじゃない。
 
そのとき語られる言葉は、語ることの叶わない思いを伝える「音楽」のようなものになっているのかも知れない。
 
大切なのは想いであり、もっと大きくは「世界観」なのだと思う。
 
村上春樹の小説が伝えてくるものは物語であるわけだけれど、やがてそれは手段に過ぎず文学という器の中に描き出されるひとつの「世界観」であることに気づく。
 
ここで言う「世界観」とは、この世界がどのようにあるかという個人的な直感のことだ。
 
なぜこの世界があるのかという問いには答えはないのだから。
 
この世界は「神」によってこのようにある。ただ意味もなく存在する。「無意味性」はこの世界の本質である。「啓示」はわれわれのインスピレーションに過ぎない。
 
以前、僕はそのように書いた。これは僕の世界観である。しかし孤立無援の世界観ではない。

ウィトゲンシュタインは言った、
 
神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということなのである。
 
我々は時間の中に内包されるものではない。サルトルが言うように人間実存とはそのようなものではない。あるいは、クリシュナムルティが言うように「思考が時間である」。
 
これは僕が自分の力で構築し、たどり着いた世界観だ。
 
既存の思想やイデオロギーに思惟を任せきりにしたものではない。
 
これは僕の個人的なものであり、その意味において、この世界観は僕のものだ。
 
 
 
☆たてしなラヂオ☆
 
  
※※※
 
 
ところで・・・


今週末あたり「どうですか?」

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せっかくなので車を降りて

その世界に浸りながら

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夢か現(うつつ)かわからなくなりますよ

きっと・・・。

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2009年07月04日

4729 マイブーム再来



ピラタスの丘は:曇りのち晴れ

気温:最低 + 8℃/最高 + 18℃





蓼科の空の蒼さはふつうではない(蓼科高原ペンション・サンセット)

※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


村上春樹ばかり読んでいるような気がする。もとよりもっとも敬愛する作家だから、読書というとまず彼の作品を読み返すことになる。それにしても今年は「ノルウェイの森」から始まって、「アフターダーク」、「海辺のカフカ」、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と次々に読み返しつつ、最新作「1Q84」を繰り返して読んでいるのだから、ちょっとしたブーム再来ではある。

とくに「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」はこの半年だけでも3回も読み返している。単行本で618ページもある長編だから結構読みでがあるにもかかわらず、この作品を読み解きたくてずんずん読み進んでしまった。この本には村上作品の一連のテーマとでも呼ぶべきものがぎっしりと詰まっているからだ。

しかしもう一度私が人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれがーーその失いつづける人生がーー私自身だからだ。私には私自身になる以外に道はないのだ。どれだけ人々が私を見捨て、どれだけ私が人々を見捨て、様々な美しい感情やすぐれた資質や夢が消滅し制限されていったとしても、私は私自身以外の何ものかになることはできないのだ。

物語の終末近く(第33章)で語られる独白にあるこの言葉にその「テーマ」は集約されているように、僕には思われるのだ。少なくとも同じような経緯を辿り、同様の想いにいたった僕にはそのように思われるのだ。だからもし僕が人生の意味を問われたならば一般論としては「回答不能」と答え、個人的には「自分自身になること、そして自分自身でありつづけること」と答えるだろう。


僕が以前の記事で書いた

「ひとは自分自身からは逃れられない」

というのはそのような意味だ。


僕の人生がどんなに幸福であろうと、あるいは悲惨なものであろうと、そのような状況や運命とは関係なく僕は僕自身であることからは逃れられない。僕は僕自身として幸福になる道を模索するほか無いのだ。

幸福とは、少なくとも個人的には、自分が自分であることを確信できること、そしてそのことをすべてのひとから認められることではないだろうか。


そのような意味において

ひとは自分自身を目指すことを宿命づけられている

と言えるのかもしれない。


☆たてしなラヂオ☆




☆☆☆


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。

車山高原(霧ヶ峰のとなり)のレンゲツツジ大群生が有終の美!

霧ヶ峰のレンゲツツジ大群生もそろそろ終わりかな?

ビーナスラインドライブしながら

壮大なパノラマをたっぷり見ることができますが

せっかくなので車を降りて

その世界に浸りながら

散策することをおすすめます。

その幽玄な美しさに

夢か現(うつつ)かわからなくなりますよ

きっと・・・。

思いっきり感動させてくれたレンゲツツジも

いよいよ有終の美を飾ります。


取って代わるように同じ場所にニッコウキスゲの群生が咲き始めました。

今年は咲き始めが早いので

見頃は7月上旬から7月の三連休頃までになりそうです。



霧ヶ峰のニッコウキスゲ大群生の開花状況はこちら↓

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2009年07月13日

4740 村上春樹新刊「1Q84」読後感






今日の車山・霧ヶ峰のニッコウキスゲの様子

写真提供:車山高原観光協会(許諾を得て転載)

車山から霧ヶ峰全山を覆い尽くすニッコウキスゲの大群生は

もう見頃です。今週満開を迎え7月下旬までが見頃になりそう。

★★★

村上春樹の最新作「1Q84」についての書評もほぼ出そろってきたようだけれど、それぞれじつに興味深い。やはり彼らは「プロの読者」なのだ、文字通り。しかし、一般読者である僕らには僕らなりの読み方があって良い。それは個人的な体験だからだ。

ということで、書評についてはまだほんの数編しか読んでいないのだけれど、その読みは「僕の1Q84体験」を補強してくれるものが多かったように感じる。

個人的には【続編としてのBook 3とBook 4】があっても良いと想う、村上春樹流に言うなら「それが書かれることを強く望むならば」ということだけれど。

というのも、終盤で青豆はクールに自動拳銃の引き金を引くのだけれど、それが彼女をあちら側の世界に送り込んだのかどうかは書かれない。引き金を引くという描写で終わっている。だとすれば今回の作品(Book 1とBook 2)の続編が同じように(バッハの「平均律」の形式を反復するようにして)書かれる可能性がある。

青豆の世界においていわば司祭(MC;Master of Ceremony)のような存在であるタマルが自動拳銃を青豆に渡すときに実弾の火薬を他のものと入れ替えていたかも知れない。直感に従って「一切の迷い無く」そうしていたかもしれない。だとすればクールな青豆さんは続編に登場することが可能だ。けっしてご都合主義的仕掛けとしてではなく、必然として。

個人的には青豆の物語の方の最終章の結末を結末とするには違和感が残る。不満ではなく「違和感」だ。そう、村上春樹らしくないのだ。もし本当にこれで青豆が消えてしまうのなら、突然登場するあのぴかぴかのメルセデスの新車に乗った婦人の克明な描写はなぜ必要だったのだろう、そして引き金を引いた結果起こったことが決定的であることを示す象徴的な描写がないのは、なぜなのだろう。村上春樹らしくない。

というような根拠でしかないのだけれど、僕は「続編」に期待している,個人的に。そしてそれは書かれるに違いない。

ただし

その物語が書かれることを強く望んだならば

ということなのだけれど。


そしてもちろん続編無しの今回の作品だけでも村上春樹作品として極めて高いレベルで完成していると想う。続編が書かれなくても,それはそれで充分ありということだ、個人的には。



☆たてしなラヂオ☆



---

それはさておき、


蓼科高原は百花繚乱の高原の花・高山植物の咲き乱れる季節に
突入です。

写真におさめたい想い出や風景がたくさんありすぎて,
困ってしまう季節です。

でも、今はデジタルカメラの時代だから、枚数制限はないと
言っても過言ではないから
その点は昔より悩みが少ないですね。(^^)



☆☆☆


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。

思いっきり感動させてくれたレンゲツツジも

いよいよ有終の美を飾りました。


同じ場所でニッコウキスゲの大群生が満開に向かっています。

すでに見頃ですが【満開】をはさんで7月下旬までになりそうです。

【満開】は7月中旬から7月下旬までの間になりそうです。



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4741 村上春樹新刊「1Q84」続編は



ピラタスの丘は:雨のち曇り

気温:最低 + 11℃/最高 + 15℃





今日の車山・霧ヶ峰のニッコウキスゲの様子

写真提供:車山高原観光協会(許諾を得て転載)

車山から霧ヶ峰全山を覆い尽くすニッコウキスゲの大群生は

もう見頃です。今週満開を迎え7月下旬までが見頃になりそう。

★★★

予定を変更して、昨日の記事のつづきを書きたくなった。

村上春樹の新刊「1Q84」の続編の可能性のはなしだ。

仮に続編が書かれるとすれば、

(1)おなじバッハの平均律に習った形式で
   1冊各24章からなる「青豆と天吾の物語」になる。

(2)同じ形式ではあるが,今度は「ふかえり」と「天吾」
   の物語が語られる。

後者は「ふかえり」こそが「観念としての青豆」だと想うからだ。

実体としての青豆は消え去り「ふかえり」という【観念】として天吾と関わっていくことになる。そもそもこの世界では「ふたりでひとつ」なのだから。「パシヴァ」と「レシヴァ」・・・。

どんなことでも起こりうる、どんなことでも可能だ。

なにしろここは村上春樹が描く彼自身の「物語世界」なのだから。



☆たてしなラヂオ☆



---

それはさておき、


蓼科高原は百花繚乱の高原の花・高山植物の咲き乱れる季節に
突入です。

写真におさめたい想い出や風景がたくさんありすぎて,
困ってしまう季節です。

でも、今はデジタルカメラの時代だから、枚数制限はないと
言っても過言ではないから
その点は昔より悩みが少ないですね。(^^)



☆☆☆


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。

思いっきり感動させてくれたレンゲツツジも

いよいよ有終の美を飾りました。


取って代わるように同じ場所にニッコウキスゲのが咲き始めています。

すでに見頃ですが【満開】をはさんで7月下旬までになりそうです。

【満開】は7月中旬から7月の三連休頃までの間になりそうです。



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2009年07月22日

4752 なりすまし



ピラタスの丘は:雨のち曇り

気温:最低 + 9℃/最高 + 15℃





ピラタスの丘からの眺め。向こうに見えるのは南アルプスの山並みです。

あいにくの天気で「皆既日食」は目撃できませんでした。

写真クリックで拡大してご覧いただけます。


★★★

Twitter に関する著名人の「なりすまし」についての記事を見た:

http://www.excite.co.jp/News/it/20090722/JCast_45839.html

村上春樹もそのひとりだ。

最初見たときから変だと思った。自分の小説やエッセイの一節ばかり羅列しているからだ。村上春樹的感性からして「そんな恥ずかしいことはやらない」という確信がある、個人的に。

きちんと村上春樹作品を読んでいるひとなら、すぐにバレバレになることなのに・・・。

これは絶対に本人ではない!

やれやれ。




★★★




上の写真をズームインすると、こんな風景になります。

写真クリックで拡大してご覧いただけます。


★★★

すごい景色でしょう?

名実ともに雲の上のペンション サンセットなのです。(^^)

それと・・・

繰り返しますが、今年の車山・霧ヶ峰のニッコウキスゲは本当にすごい景色です。今日みたいに晴れた日の迫力はもちろんのこと、霧がかかった状態はまたこの世のものとも思えない幽玄な美しさにこころを奪われます。


☆たてしなラヂオ☆




---

それはさておき、


蓼科高原はいままさに百花繚乱の高原の花・高山植物の咲き乱れる季節です。

さわやかな蓼科高原の夏が始まりました。

ゆっくりリフレッシュするなら高原リゾートでの避暑です。

エアコン不要の涼しさを保っているのは蓼科高原ピラタスの丘だけ!

真夏でも最高気温23℃、最低気温12℃、湿度30%!

朝晩は寒くて外に出るにはスキー用のフリースを羽織らないとダメなんです!

東京が猛暑日で35℃以上になっても、同じ時間にペンション・サンセットではなんと18℃なのです。

ということで、避暑なら蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットできまりです。

なんと言っても標高1750mというのは信じられないほどの標高で富士山の5合目に近い気候なのです。気圧も海辺より20%も低い・・・つまり空気が2割も薄いのです!

文字通りの別天地にぜひお越し下さいね。




☆☆☆

高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。

車山?霧ヶ峰のニッコウキスゲの大群生が「満開」です。

すでにものすごい【満開】です、見頃は7月下旬までになりそうです。

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2009年10月06日

4855 村上春樹 「1Q84」第3巻刊行へ

  

満月と紅葉の夜景を・・・昨日よりマシな写真です

SONY α100 + SONY DT18-200mmF3.5-6.3

手ぶれ補正ONで手持ち撮影です。

写真クリックで拡大します。

麦草峠や白駒池では紅葉真っ盛りです!

麦草ヒュッテさんのホームページにたくさん写真が載っていました:

http://www.mugikusa.com/new/


★★★


「1Q84」第3巻刊行へ 新潮社、駅広告で暗示

という記事を発見!

駅貼り広告で

「東京駅や横浜駅など首都圏のJR計25駅に一斉に張り出した。」

とのこと。

やっぱり都会は違うよねー。(笑)


ラヂヲ君は「特急あずさ」に乗るとき以外

駅になんか行かないもの。

仮に行ったとしてもそんな最先端の広告なんか貼ってないけどさ。


まあいずれにしても

ただこれは「暗示」しているだけであって

「真実はご想像にお任せします」とのこと。


って、ご想像も何もないじゃん。


想像力の萎えたこの時代に

「ご想像にお任せ」なんて

「馬鹿言ってんじゃないよ」って感じ?


じつは

「1Q84」じたいが

村上春樹にとっての「小説・空気さなぎ」なのだ


と、ラヂヲ君は信じている。
 

 
参考ウエブページ記事:

http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100501000031.html

 
 
☆たてしなラヂヲ☆

 


★★★


【蓼科の紅葉スポット】

北八ヶ岳・麦草峠・白駒池(10月3日頃?)、シャープ・アクオスの吉永小百合さんと白馬のTVCMで有名な御射鹿池(みしゃかいけ)・横谷峡(10月10日頃?)・ピラタスの丘(10月3日頃?)、蓼科湖・白樺湖・女神湖(10月下旬?)、どこも当ペンションからクルマ0分?20分。また11月いっぱいは東山魁夷画伯が好んで描いたカラマツの紅葉がまた感動的です。


★★★


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。


八島湿原(尾瀬と同じ高層湿原)の情報はこちら

霧ヶ峰の高原の情報はこちら↓
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2009年10月07日

4856 村上春樹 「1Q84」第3巻刊行へ 補足



ピラタスの丘は:雨(風は無し)

今日の気温:最低 + 3℃/最高 + 11℃
  

プール平の紅葉

どこも赤・黄・緑の織りなすタペストリーです

写真クリックで拡大します。

麦草峠や白駒池では紅葉真っ盛りです!

麦草ヒュッテさんのホームページにたくさん写真が載っていました:

http://www.mugikusa.com/new/


★★★


村上春樹の作品は物語が入れ子になっていることが多いのですよね。

あるいは鏡を向かい合わせにしたように,互いが互いに映り込んでいる。

現実のこの世界では《村上春樹=ふかえり》、

《1Q84=空気さなぎ》なのだと思います,

個人的には。(^^)


もっと正確に言うと

《村上春樹=天吾(with ふかえり)》

《1Q84=空気さなぎ》

でしょうか。

うーん、図にしないとうまく表現できない・・・


青豆については

第2巻の最後で本当に自らの命を絶ったならば

あの物語そのものが天吾の書いた物語だ

という説が妥当だと思うけど。

でもそれじゃあシンプルすぎる。


それから


これまでのストーリーで

名前だけしか出てこなかった人たちのことが気になる

たとえば、あざみ・・・

彼女が大きな役割を担ってくるような気がする。


まあ、これまでの村上春樹作品からして

《謎解き》は読者にゆだねられたまま物語は進行し

謎はさらに深まるかも知れない。

そのことによってぼくらは

《村上春樹ワールド》のさらなる深層へと導かれるのだ。


どうして《謎解き》がなされないのかって?

作家にそれを解き明かす(いまはやりの)「説明責任」は無い。

そもそも芸術というものは《テーゼの提示》をもって完結する。

そこのところがアートエンターテインメントとの違いなのだと思う。


だいたいねー

あなた

ぼくらがリアルに生きているこの世界についてだって

だれも説明なんてしてくれないじゃん。

あまた存在する《謎》だって

だれも解き明かしてはくれないじゃない。


たとえば 生きる意味 とか。

 
 
☆たてしなラヂヲ☆
 

★★★

【蓼科の紅葉スポット】

北八ヶ岳・麦草峠・白駒池(10月3日頃?)、シャープ・アクオスの吉永小百合さんと白馬のTVCMで有名な御射鹿池(みしゃかいけ)・横谷峡(10月10日頃?)・ピラタスの丘(10月3日頃?)、蓼科湖・白樺湖・女神湖(10月下旬?)、どこも当ペンションからクルマ0分?20分。また11月いっぱいは東山魁夷画伯が好んで描いたカラマツの紅葉がまた感動的です。


★★★


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。


八島湿原(尾瀬と同じ高層湿原)の情報はこちら

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2009年10月14日

4864 あ、鹿じゃん!

 
ピラタスの丘は:曇りのち雨
 
今日の気温:最低 + 1℃/最高 + 9℃


 
紅葉の道と牡鹿(野性のニホンジカが道の真ん中に写っています)

写真クリックで拡大します。

麦草峠や白駒池では紅葉真っ盛りです!

麦草ヒュッテさんのホームページにもたくさん写真が載っていました:

http://www.mugikusa.com/new/


信州・蓼科高原では今年は11月まで紅葉が堪能できそうです。


★★★


私は作家・村上春樹にじつに多くを学んできました。

文章に関しては、それに対する考え方を含めて、特に影響を受けています。

なによりも影響を受けた、というか、共感を持っているのはその世界観です。

厳密に言えば「村上春樹の長編の描く世界観」に。

風の歌を聴け、1973年のピンボール、羊をめぐる冒険、ダンス・ダンス・ダンス、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド、アフターダーク、海辺のカフカ、1Q84というのが私の中の村上作品のメインストリームです。

《ねじまき鳥クロニクル》はがんばりすぎていてちょっと重すぎる・・・唯一好きになれない長編です。

同じ意味において《アンダーグラウンド》も読むのがしんどい。

作家としての使命感が前に出すぎると、つまり社会へのアンガージュマンが表に出すぎると、結果として作品そのものを損なってしまう例なのかも知れません。

《国境の南、太陽の西》と《スプートニクの恋人》はスピンアウト的な作品と捉えています。もちろん気に入ってはいますが。

短編集・・・村上春樹は残念ながら「短編作家」ではないというのが私の評価です。同様に「エッセイスト」でもない。

《ノルウェイの森》はこれらどの流れからもはずれた存在です。村上春樹本人が「あとがき」で述べているとおり、きわめて個人的な作品なのかもしれませんね。

ということで、私は村上春樹ファンではあるけれど、もっと正確に言うなら、村上春樹の長編小説のファンというべきかも知れません。

同時に、村上春樹信者でもなく、信奉者でもない限りにおいて、村上春樹を敬愛する者です。

ひとそれぞれの想いを寄せられる「村上春樹」作品があるのだと思います。

 
  
☆たてしなラヂヲ☆
 

★★★

【蓼科の紅葉スポット】

北八ヶ岳・麦草峠・白駒池(いまが見頃)、シャープ・アクオスの吉永小百合さんと白馬のTVCMで有名な御射鹿池(みしゃかいけ)・横谷峡(そろそろ見頃)・ピラタスの丘(いまが見頃!)、蓼科湖・白樺湖・女神湖(10月下旬から)、どこも当ペンションからクルマ0分から20分。また11月いっぱいは東山魁夷画伯が好んで描いたカラマツの紅葉がまた感動的です。


★★★


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。


八島湿原(尾瀬と同じ高層湿原)の情報はこちら

霧ヶ峰の高原の情報はこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/kirigamine_vc


車山高原の高原の情報はこちら↓
http://www.kurumayama.com/new/open.htm

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2009年11月16日

4895 再チャレンジだって?

   

     
ピラタスの丘の夕暮れ。もうすぐ冬です。

写真クリックで拡大します。
 
 
★★★
 
 
昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか


前回の記事で

僕は

挫折を知らない人間を信用しない

育ちの良すぎる人間を信頼しない

と書いた
 
もちろんそれは本当のことだ
 

経験的に僕は思い知らされてきたからだ

彼らに悪意はない

むしろ善意に満ちていたのかも知れない

しかし

そのことが

相手をどれほど侮辱することになるか

どれほど傷つけているか

そういうことに

まったく気づかないほど

イノセントなのだ
 

小泉構造改革を推し進めた

新自由主義的世襲議員さんたち

を思い浮かべてしまう

再チャレンジだって?

それがどれほど困難な苦難の道か

想像もつかないクセに

そんなことを標榜していたのだ
 

そんな彼らのグループのひとりは

明らかに策謀と観られる

不祥事に陥れられ

大臣を辞任したあとの

再チャレンジ選挙で落選した直後に

力尽きてしまった
 

個人的に

ひとの痛みもわかる

まともなバランス感覚を持った

とても有能な人物だと

好感を持っていただけに

さすがにショックだった

残念だった
 

現実的には普通の人間にとって

再チャレンジという概念自体

単に世間的に成功・出世すること以上に

不可能に近いということを意味する

そりゃー「勝てば官軍」で

なんでも言えるだろうさ
 

何が「再チャレンジすればいいじゃないか」だ

まず育ちのよろしい世襲議員さんたちに

地位も財産も知名度も後援会も地盤もない

ただの一市民として

代議士に返り咲いて見せて

お手本を示して欲しいものだ

そう思う
   
 
 
☆たてしなラヂヲ☆
 

★★★

【蓼科の紅葉】
 
広葉樹の紅葉もそろそろ終わりに近づいてきましたが、いまは里山の紅葉がとてもきれいです。これからはあの東山魁夷画伯が好んで描いた落葉松の森の紅葉の季節になっていきます。有名な御射鹿池はもちろん、蓼科から女神湖に向かう途中の展望台からの眺めは東山魁夷の世界そのものです。

11月はまだ雪はほとんど降らないしめったに積もりません。まだ雪は例外的な気象です。万一積雪しても日が当たったり気温が上がれば道路はすぐに乾燥します。文字通り「淡雪」の季節なのです。ただし、蓼科高原に限らず,高原では深夜早朝に路面凍結する箇所が散在しますので、日のある時間帯に走行するよう、また日陰の路面は充分速度を落として安全走行するようにして下さいね。

★★★


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。

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2009年11月17日

4897 黙示録・1Q84

     

 
ピラタスの丘の「花とさんぽ道ひろば」の夕景。
 
野生のニホンジカと出合うことの多いスポットです。
 
写真クリックで拡大します。
 
 
★★★
 
 
村上春樹について書く。

村上春樹の作品、とりわけその長編はストーリーをさらっと読んだだけではものすごくもったいない。

ストーリーももちろん楽しめる,いささか難解と感じるかも知れないけれど。

しかし村上春樹の真意は物語の中に含まれる数々の回想シーンや聴き語りの伝説や歴史や作中人物の言葉の中に含まれている。

なぜそのように回りくどいことをするのか?

それらが語り得ないものだからだ。ウィトゲンシュタインがたどり着いた結論のように、われわれは語り得ないモノやコトを思考することができない。

それはわれわれの言語の持つ限界なのだ。

それは語り得ない、指し示すことしかできない。

黙示録は、だから、そのようなモノやコトについて指し示している。

ヨハネの黙示録もそうだし、フランシス・コッポラの映画地獄の黙示録における【黙示録(アポカリプス)】の意味も同様だ。それは語りえない、だから、指し示すほかないのだ。

村上春樹の作品は,特にその長編小説は、黙示録として成立しているということを忘れてはならないと,個人的にはそう思って読み返している。

最新作1Q84が村上春樹自身の書いた「空気さなぎ」であると以前書いたのは.そのような意味においてである。

ふかえりの「空気さなぎ」、天吾の書いた「空気さなぎ(青豆の物語)」、作者自身にとっての「空気さなぎ(!Q84)」。そしてそれらが指し示しているもの=「リトルピープル」。

リトルピープルとはオーウェルの1984ビッグブラザーがそうであったように、もちろんメタファーである。

リトルピープルとは何かを注意深く見極めること、それは語り得ないが指し示すことはできる。

リトルピープルに細心の注意を払うこと、時間の流れが切り替わってしまわないように。

それがこの黙示録としての作品が指し示すものだ。

ラヂヲ君は独断と偏見で語るのだ。

   
 
 
☆たてしなラヂヲ☆
 

★★★


ピラタス蓼科スノーリゾートのオープンは12月5日(土)予定です!!!

ペンション・サンセットはすぐ隣にあるのでアクセス抜群です。
 
 
【蓼科の紅葉】
 
広葉樹の紅葉もそろそろ終わりに近づいてきましたが、いまは里山の紅葉がとてもきれいです。これからはあの東山魁夷画伯が好んで描いた落葉松の森の紅葉の季節になっていきます。有名な御射鹿池はもちろん、蓼科から女神湖に向かう途中の展望台からの眺めは東山魁夷の世界そのものです。

11月はまだ雪はほとんど降らないしめったに積もりません。まだ雪は例外的な気象です。万一積雪しても日が当たったり気温が上がれば道路はすぐに乾燥します。文字通り「淡雪」の季節なのです。ただし、蓼科高原に限らず,高原では深夜早朝に路面凍結する箇所が散在しますので、日のある時間帯に走行するよう、また日陰の路面は充分速度を落として安全走行するようにして下さいね。

★★★


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2010年01月08日

4955 シンフォニエッタ

  

 
北横岳(標高2470m)の中腹にウチのペンションはあります。
 
 
 
とうとうヤナーチェクの「シンフォニエッタ」のCDを手に入れてしまった。
 
そう、村上春樹の話題作「1Q84」の冒頭で青豆が乗ったタクシーのラジオから聞こえてくるあの曲だ。
 
じっさいに聴いてみると思っていたよりもはるかによい曲なのだけれど、それはさておき、この曲が日中の首都高速上のタクシーの中でかかっている情景というのはちょっと想像しがたい。
 
まあ、かかっているにせよかけているにせよ、それはありうることだけれど。ただね、ものすごく違和感があるのだ。
 
なにかの幕開け、なにかが変わっていくときの効果音楽のような気がしてくる。不思議な物語の幕開けとして村上春樹が選んだ曲として納得がいくというのが正直な感想だった。
 
何回となく聞き込むにしたがってそれは身体に染みこんでくるような気がする。やがてそれは心にもここちよく染み渡る。
 
いつの間にかすっかり好きになってしまった。
 
音楽はじつに魔法なのだ。
 
 
 
今日の朝の雪景色を載せますね。もっと見たい方はこちらを見てくださいね。↓
 
http://twitpic.com/photos/tateshina_radio
 
 
  
☆たてしなラヂヲ☆
 
 
Twitter 始めました!!!
フォローしていただくとスキー情報をリアルタイムでご覧いただけますよ!(っていうか、おちゃらけツイートのほうが圧倒的に多いのだけれど)
 
http://twitter.com/tateshina_radio
 
 
★★★


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2010年01月27日

4973 Twitterに村上春樹はいない

  

 
蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットの頭上は今日も真っ青な空が広がっています。
  
写真クリックで拡大します。
 
 
Twitter上に村上春樹のアカウント(Murakami_Haruki)があることはかなり以前から知られている。フォロー数も半端ではない。トップクラスの高フォロー数のアカウントだ。
 
http://twitter.com/Murakami_Haruki
 
村上春樹氏の写真がアイコンとして表示され、登録名も「村上春樹」と明記されている。
 
* 名前 村上春樹
* 現在地 Koube
* http://ja.wikipedia.org/wiki/村上春樹
* 自己紹介 スコット・フィッツジェラルドが好きです

1 フォローしている 25,262 フォローされている 1,446 リスト
 
しかし腑に落ちないことが多すぎる。これはどう見ても村上春樹氏自身による、あるいは関係者によって運営されている公式アカウントとは思えないのだ。
 
(1)だから他人とうまくやっていくというのはむずかしい。
   玄関マットか何かになって一生寝転んで暮らせたら
   どんなに素敵だろうと時々考える。
   ... 12:53 AM Jan 10th, 2008 from web
 
   これが最初のツイートだ。それから2年間でたった92ツイートしかしていない。
 
(2)ツイートの内容にオリジナルメッセージは無く、氏の小説等からの抜粋名言集
   になっている。
 
(3)フォロワーとのやりとりがみられない。
 
(4)このアカウントがフォローしているのは唯一 daiskip というアカウントのみ。
 
   http://twitter.com/daiskip
 
   フォローされているこの方が関与しているということではありませんので、
   ご迷惑をかけないようお願いいたします。
 
 
(5)このようなアカウント運営自体が村上春樹氏らしくないスタイルである。
 

以上を論拠として、少なくともこのアカウントは村上春樹氏が主体的に関与していないと考えるのが妥当である。
 
もっと言うなら、何者かによる「なりすまし」の可能性があるのではないかという疑念を抱くに十分であると、あくまでも「個人的に」判断するものである。
 

この件について情報をお持ちの方には是非情報共有をさせていただきたいと思っています。以下の Twitter アカウント(tateshina_radio)あてにご連絡いただく方がわたしとしてはベターなのですが、アメブロのメッセージ機能やコメント欄に記載でもけっこうです。
 
よろしくお願いします。
 
 
「ツイッターのバナー」あるいは「下のURL」をクリックすると「蓼科高原とペンション・サンセットの最新情報」をごらんいただけます。
 
http://twitter.com/pension_sunset
 
これまではオーナーの個人的なアカウントにリンクしていましたが、馬鹿話ばかりなので、そっちのほうは「下のリンク」からどうぞ。
 
http://twitter.com/tateshina_radio
 
 
 
今日の朝の雪景色を載せますね。もっと見たい方はこちらを見てくださいね。↓
 
http://twitpic.com/photos/tateshina_radio
 
 
  
☆たてしなラヂヲ☆
 
 

 
★★★


ペンション・サンセット隣のスキー場はピラタス蓼科スノーリゾートです。現在、全コース滑走可能です。
 
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2010年02月28日

4994 村上春樹の「1Q84」を読み返しています

 

 
僕にとって昨年のメイン・イベントは村上春樹の「1Q84」でした。今改めてそう断言できます。2009年5月30日(土)に入手して、6月18日(木)の明け方に読了しました。
 
思ったより時間をかけて読んだのですね、改めて驚きました。
 
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読むうちに学んだ読み方を、今回も実行してみました。それは交互に展開する二つの物語(今回は「青豆」と「天吾」)をセットで読むということです。
 
今回は1回目の通読からそれがうまくいきました。
 
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も20回ほど読み込みましたが、まず【世界の終わり】の章を通読してから、【ハードボイルド・ワンダーランド】を通読し、最後に両方の物語を交互になった状態(つまり本の順番どおり)読み進めるという方法がより有効でした、個人的には。
 
「海辺のカフカ」も同様の手法で読み解くことを試みましたが、正解でした、あくまでも個人的には、ということですけれど。
 
村上春樹の作品は、テーマやメッセージに最適化された緻密な構造を持っているように思います。ギリシャ悲劇的というか、伝統的な日本の小説とは異なった【演劇的】あるいは【戯曲的」なしつらえを感じるのは僕だけではないと思います。
 
要するに、村上春樹の作品をより良く、あるいはより深く理解するには、あるいはよりどっぷりとその世界に浸るためには、それに見合った体験と学習と自己鍛錬そしてなによりもセンスが必要なようです。
 
作中に登場する人物や映画や音楽や文学、どれひとつとっても意味(必然性)のないものはありません。ヤナーチェックのシンフォニエッタだってじっさいに聴いてみる必要がじつはあるのです、個人的体験としては。そうすることによってその場面やストーリーがより明確な輪郭を持ったものになるからです。
 
そうした意味において村上春樹の作品は(とりわけ長編小説は)【教養小説】の範疇に入るのかも知れません。教養なんて新自由主義の拝金主義的なこの世の中にあってはもはや死んだも同然かもしれませんが、そのような世相に対する強烈なアンチテーゼを提示しているように思われて僕には心強く感じられるのです。
 
だから、今回のいわゆる【1Q84】ブームが、この作品を【消費されるもの】に貶めてしまわないことを祈ります。文学というものは、もっと広義には芸術というものは【消費されるべきもの】ではありません。それと出会い、触れることによって、個人がインスパイアされる契機(きっかけ)となるべきものです。
 
少なくとも僕の場合はそうでしたし、これからもそうあり続けると思います。
 
それはさておき、現在2回目の通読をしているところです。読み返すたびに新しい視点、新たな物語が見えてくるのもまた村上作品の優れたところであり、個人的に大好きな所以(ゆえん)です。
 
もし村上春樹作品を読んで何らかの感動を得たならば【スタンディングオベーション】こそがふさわしいのと思う。(僕が小学生の頃書かされるのが嫌でいつも泣きながら書いていた)【読書感想文】を書くことではなくて、ストレートな感動を言葉にすればいいのだと思う。拍手をし、足を踏みならし、歓声を上げ、賞賛の声を上げればいいのだ。
  
  
 
※※※
 
 
Twitterがご縁でご宿泊いただくお客さまも増加中なう・・・です。ありがとうございます。(o^^o)
 
  
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※※※
 
 
昨日の蓼科高原ピラタスの丘は異例に温かでした。標高1800mで最低気温氷点下 5℃、最高気温プラス4℃でした。また寒の戻りがあるのは確実なので、そうなるとまた終日氷点下になります。
 
ということで山の気候・天気は気まぐれです。山に登る方は完全な冬山装備で!そしてスキーのお客さまも含めて、陽射しはとても熱く強いですから日焼け止め対策を男女問わすお忘れ無く!(o^^o)
 
 
《宿泊割引き情報》蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットでは2月限定でtwitterアカウントをお持ちのお客さま1名様につき5%が割引きになります。公式ホームページ(http://www.p-sunset.com/)からのご予約が条件です。予約時にアカウント名を知らせ下さい。
 
この機会に是非ペンション・サンセットをご利用いただければさいわいです。

 
 
 
☆たてしなラヂヲ☆
 
 
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2010年04月15日

5040 村上春樹「1Q84・Book3」4/16発売

 

 
村上春樹「1Q84・Book3」4/16発売。明日が楽しみです。

写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 

※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
村上春樹の「1Q84・Book3」がいよいよ明日発売。amazon.co.jpからは発送済み通知メールが来た。Book1とBook2を4回読み返して準備万端。さてどんな展開が待っているのか楽しみです。

Book2の最後で青豆は引き金に手をかけるが引いたかどうかは書かれていない。個人的には青豆は死んでいないと思うのだけれど、明日になればそれも分かるかと・・・わくわく!(o^^o)
 

それはそうと、今朝起きてラウンジからの眺めにびっくり。寝ぼけているんじゃないかと思ったよ。だって、雪景色なんだもの。
 
まあ、雪景色と言っても儚い「春の淡雪」で道路には積もっていない。それでも森の木々や山並みは真っ白。白粉(おしろい)をうっすらと撒いたような・・・フロストシュガーをまぶしたようなステキな景色です。
 
ウグイスの歌声をバックグラウンドに眺めていると本当に幸せな気分になってきます。
 
儚さ(はかなさ)に引かれるのは日本人独特の感性なのだろうか。日が照ればあっと言う間に消えて無くなってしまう淡雪は蓼科の春の風物詩です。
 
道路には積もらないので、タイヤチェーンは不要です。でも一応、日陰や吹きだまりには注意して下さいね。それから深夜早朝は気温が氷点下になることも多いので、路面凍結に注意するのはいつもどおりです。
 
普通の時間帯の観光やドライブなら雪や路面凍結の心配はまずありませんからご安心下さい。
 

★★★
 

この時期は街を車で走るときには注意しないと危ないのです。右を見ても左を見ても桜が満開でそれはもう美しいのです。里山や学校の校庭や民家の桜がいっせいに満開になっています。
 
思わず見とれてしまうこの桜たち、いまちょうど標高800mあたりまでが満開ですから、標高1200m以上に展開する蓼科高原の桜の満開はおそらく4月末になるでしょう。
 
まあ、いつもそうなのですが、通常はGWの5月の3連休に満開なのですが、今年は早めで4月末に満開になる可能性が高いです。
 
いずれにしても桜祭りの催される5月の三連休まで見頃が続きます。高原野お花見って最高ですよ。背景には冠雪した八ヶ岳、咲きこぼれるソメイヨシノの隣には白樺の木があるんですから。そしてBGMには高原の野鳥たちの歌声が・・・。すぐそばには湖もあるし。(o^^o)
 
ファンタスティックなんです!
 
桜の名所の蓼科湖畔聖光寺(しょうこうじ)から歩いてもいけるバラクライングリッシュガーデンは春の花いっぱいで、スコーンセットのポットで出されるロイヤルミルクティーが美味!観光バスがいないときに行くのがコツです!
 
ということで、とりとめなくなりましたが、たまにはきちんとご案内をしました。
 
みなさまのお越しをお待ちしてまーす!
 

(^^)
 
 
 
※※※
 
 
桜の開花を待つ信州蓼科
 
信州蓼科はいよいよ雪解けの季節です。これから日ごとに劇的な変化を見せながら春の風景へと装いを新たにしていきます!ちょうどGWに蓼科湖の千本桜と呼ばれる数百本のソメイヨシノがいっせいに満開を迎え、文字通り春爛漫となります。毎年リピーターが急増中の桜の名所です。ペンション・サンセットからは車で15分です。現地には十分な広さの駐車場があります。
 
今年は4月下旬に満開になるかも知れません。
 
それはそうと、この季節の山の気候・天気は気まぐれです。山に登る方は完全な冬山装備で!陽射しはとても熱く強いですから日焼け止め対策を男女問わずお忘れ無く!(o^^o)
 
 
※※※
 
 
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※※※
 
 
 
《4月15日までにご予約の方限定!宿泊割引き情報》蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットでは3/14(日)から5/31(月)のご宿泊限定でtwitter、ameblo,楽天ブログのいずれかのアカウントをお持ちのお客さまご本人様が5%割引きになります。公式ホームページ(http://www.p-sunset.com/)からのご予約が条件です。予約時にアカウント名を知らせ下さい。
 
この機会に是非ペンション・サンセットをご利用いただければさいわいです。

 
 
 
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2010年04月16日

5041 村上春樹「1Q84・Book3」本日発売

 

 
村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。ふっふっふっ、楽しみです。

写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 

※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。ふっふっふっ、楽しみです。わくわくしながらも、まだ表紙を開いていません。とっておきの美味しいワインは簡単に栓を抜いてはいけない・・・。(o^^o)
 

それはそうと、今朝もまたラウンジからの眺めにびっくり。すっかりとけたはずの雪景色がそこにあったからです。ウグイスの歌声をバックグラウンドに流れているのもそっくりそのままで、まるでデジャヴです。
 
きのう同様、雪景色と言っても儚い「春の淡雪」で道路には積もっていない。でも、フロストシュガーをまぶしたようなステキな景色です。眺めていると本当に幸せな気分になってきます。
 
日が照ればあっと言う間に消えて無くなってしまう淡雪は蓼科の春の風物詩です。
 
そして、午後にはそのとおりになりました。「本当に雪なんて降ったの?」というような風景に戻ったのです。雪の痕跡は目を凝らして森の中を眺めないと分からないくらいに。
 
しかし物語はそれで終わりにはならなかったのです。夕暮れ時になって、ふたたび雪がふり始めました。これはまあ予報どおりなのですが、夜の間は気温が低くて解けないのでタイヤチェーンが必要な状態です。
 
夜明け頃にはやんで腫れるとのことなので、明日の朝強い陽が射せばすぐに解けて、タイヤチェーンは不要なのですが・・・日陰や吹きだまりには注意して下さいね。それから深夜早朝は気温が氷点下になることも多いので、路面凍結に注意するのはいつもどおりです。
 
日中の観光やドライブなら雪や路面凍結の心配はまずありませんからご安心下さい。
 

★★★
 

この時期は街を車で走るときには注意しないと危ないのです。右を見ても左を見ても桜が満開でそれはもう美しいのです。里山や学校の校庭や民家の桜がいっせいに満開になっています。
 
思わず見とれてしまうこの桜たち、いまちょうど標高800mあたりまでが満開ですから、標高1200m以上に展開する蓼科高原の桜の満開はおそらく4月末になるでしょう。
 
まあ、いつもそうなのですが、通常はGWの5月の3連休に満開なのですが、今年は早めで4月末に満開になる可能性が高いです。
 
いずれにしても桜祭りの催される5月の三連休まで見頃が続きます。高原野お花見って最高ですよ。背景には冠雪した八ヶ岳、咲きこぼれるソメイヨシノの隣には白樺の木があるんですから。そしてBGMには高原の野鳥たちの歌声が・・・。すぐそばには湖もあるし。(o^^o)
 
ファンタスティックなんです!
 
桜の名所の蓼科湖畔聖光寺(しょうこうじ)から歩いてもいけるバラクライングリッシュガーデンは春の花いっぱいで、スコーンセットのポットで出されるロイヤルミルクティーが美味!観光バスがいないときに行くのがコツです!
 
ということで、とりとめなくなりましたが、たまにはきちんとご案内をしました。
 
みなさまのお越しをお待ちしてまーす!
 

(^^)
 
 
 
※※※
 
 
桜の開花を待つ信州蓼科
 
信州蓼科はいよいよ雪解けの季節です。これから日ごとに劇的な変化を見せながら春の風景へと装いを新たにしていきます!ちょうどGWに蓼科湖の千本桜と呼ばれる数百本のソメイヨシノがいっせいに満開を迎え、文字通り春爛漫となります。毎年リピーターが急増中の桜の名所です。ペンション・サンセットからは車で15分です。現地には十分な広さの駐車場があります。
 
今年は4月下旬に満開になるかも知れません。
 
それはそうと、この季節の山の気候・天気は気まぐれです。山に登る方は完全な冬山装備で!陽射しはとても熱く強いですから日焼け止め対策を男女問わずお忘れ無く!(o^^o)
 
 
※※※
 
 
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2010年04月17日

5042 村上春樹「1Q84・Book3」を読む(1)

  

 
村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。息を殺して読み始めました。

写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 

※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
ついさっきから「1Q84 BOOK3」を読み始めた。ようやくこころと頭脳と感性の準備が整ったから。
 
目次だけ見るとこの巻で終わりそうな感じがするのだけれど、絶対に先のページは見ない主義なので、読み終わってみなければわからない。
 
章の構成が少しだけ、しかし決定的に違っている。
 
これは個人的な勘だけれど、村上春樹的には全四巻でないと様式として、あるいは美学として完結はしないような気がする。おそらく BOOK4 が予定されていると思う。
 
ネタバレになるので、これ以上は書かない。
 
 
「1Q84」はやはり事件だと思う。時代を体現した、あるいは時代性を越えた。
 
少しでも興味があったらお読みになることをお薦めする。
 

★★★
 

この時期は街を車で走るときには注意しないと危ないのです。右を見ても左を見ても桜が満開でそれはもう美しいのです。里山や学校の校庭や民家の桜がいっせいに満開になっています。
 
思わず見とれてしまうこの桜たち、いまちょうど標高800mあたりまでが満開ですから、標高1200m以上に展開する蓼科高原の桜の満開はおそらく4月末になるでしょう。
 
まあ、いつもそうなのですが、通常はGWの5月の3連休に満開なのですが、今年は早めで4月末に満開になる可能性が高いです。
 
いずれにしても桜祭りの催される5月の三連休まで見頃が続きます。高原野お花見って最高ですよ。背景には冠雪した八ヶ岳、咲きこぼれるソメイヨシノの隣には白樺の木があるんですから。そしてBGMには高原の野鳥たちの歌声が・・・。すぐそばには湖もあるし。(o^^o)
 
ファンタスティックなんです!
 
桜の名所の蓼科湖畔聖光寺(しょうこうじ)から歩いてもいけるバラクライングリッシュガーデンは春の花いっぱいで、スコーンセットのポットで出されるロイヤルミルクティーが美味!観光バスがいないときに行くのがコツです!
 
ということで、とりとめなくなりましたが、たまにはきちんとご案内をしました。
 
みなさまのお越しをお待ちしてまーす!
 

(^^)
 
 
 
※※※
 
 
桜の開花を待つ信州蓼科
 
信州蓼科はいよいよ雪解けの季節です。これから日ごとに劇的な変化を見せながら春の風景へと装いを新たにしていきます!ちょうどGWに蓼科湖の千本桜と呼ばれる数百本のソメイヨシノがいっせいに満開を迎え、文字通り春爛漫となります。毎年リピーターが急増中の桜の名所です。ペンション・サンセットからは車で15分です。現地には十分な広さの駐車場があります。
 
今年は4月下旬に満開になるかも知れません。
 
それはそうと、この季節の山の気候・天気は気まぐれです。山に登る方は完全な冬山装備で!陽射しはとても熱く強いですから日焼け止め対策を男女問わずお忘れ無く!(o^^o)
 
 
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2010年04月18日

0543 村上春樹「1Q84・Book3」を読む(2)

  

 
さらに深く、森の奥へ・・・村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。息を殺して読み進めています。

写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 

※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
昨夜から「1Q84 BOOK3」を読み始めた。まだ第3章までしか読んでいないけれど、期待を裏切らないできばえだと思う。
 
構成や内容についてはこれから読み始めるひとも多いと思うので書かない。また、絶対に先のページは見ない主義なので、全体像は僕も読み終わってみなければわからない。
 
現在の印象としては、本の腹帯にある「さらに深く、森の奥へ」というコピーそのもののような気がする。そして「そこは世界にただひとつの完結した場所だった。どこまでも孤立しながら、孤独に染まることのない場所だった。」・・・と。
 
これは音楽的な小説なのだ。
 
ふとそんな気がした。
 
そう、交響曲の第三楽章。
 
ゆっくりしたテンポで始まった第一楽章から早いテンポの第二楽章へと進んできて、いま新たな展開を見せる第三楽章を聴いているのだ。四拍子の第一楽章、第二楽章に対して、第三楽章は三拍子になっている。
 
ところで、後期の村上春樹の長編作品の特徴として、表現形式あるいは様式としての「対称性」と言うことがいえると思う。古くは「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」、最近では「海辺のカフカ」など。
 
もっと言うなら「ノルウェイの森」にも「直子の物語 vs 緑の物語」という対称性が観られるような気がする。
 
この作品もまた同じようなしつらえになっている。となると、第四楽章がないと完結しないのではないかという期待を抱いてしまうのは僕だけではないと思う。個人的には BOOK4 があると思っている。
 
村上春樹の作品はどれもそうだけれど、1回さらっと通読してストーリーを追っただけでは読んだことにはならない。というか、作品を味わったとは到底言えない。それで終わってしまってはあまりにももったいない。
 
二度三度と読み返すうちに新たな風景、新たな世界が見え始める。その点においても音楽と同じだ。誤解しないでもらいたいのは、僕がここで言っているのはいわゆる「謎解き」ということではないということだ。
 
謎解きについては「村上春樹をどう読むか」etc.の書籍を読めばいいと思う。それはそれでワクワクする読書体験になる。でも、大切だと思うのは、まずは自分自身が作品をどのように捉えどのような作品体験をしたかということだと思うのだ。
 
だから僕は自分なりにその時期が来るまでは書評も解説本も読まない主義(というと大げさだけど)なのだ。せっかく自分の読書力や感性があるのに、それを他の人に代行してもらうのはもったいなすぎるから。
 
僕は思考のアウトソーシングはしないのだ。
 
最後にひとつ付け加えるなら、BOOK1、BOOK2 に比べて BOOK3 は何故かとても読みやすい、少なくとも個人的には。それは僕の中に自分なりのパースペクティヴができているからかも知れないのだけれど。
 
 
★★★
 

この時期は街を車で走るときには注意しないと危ないのです。右を見ても左を見ても桜が満開でそれはもう美しいのです。里山や学校の校庭や民家の桜がいっせいに満開になっています。
 
思わず見とれてしまうこの桜たち、いまちょうど標高800mあたりまでが満開ですから、標高1200m以上に展開する蓼科高原の桜の満開はおそらく4月末になるでしょう。
 
まあ、いつもそうなのですが、通常はGWの5月の3連休に満開なのですが、今年は早めで4月末に満開になる可能性が高いです。
 
いずれにしても桜祭りの催される5月の三連休まで見頃が続きます。高原野お花見って最高ですよ。背景には冠雪した八ヶ岳、咲きこぼれるソメイヨシノの隣には白樺の木があるんですから。そしてBGMには高原の野鳥たちの歌声が・・・。すぐそばには湖もあるし。(o^^o)
 
ファンタスティックなんです!
 
桜の名所の蓼科湖畔聖光寺(しょうこうじ)から歩いてもいけるバラクライングリッシュガーデンは春の花いっぱいで、スコーンセットのポットで出されるロイヤルミルクティーが美味!観光バスがいないときに行くのがコツです!
 
ということで、とりとめなくなりましたが、たまにはきちんとご案内をしました。
 
みなさまのお越しをお待ちしてまーす!
 

(^^)
 
 
 
※※※
 
 
桜の開花を待つ信州蓼科
 
信州蓼科はいよいよ雪解けの季節です。これから日ごとに劇的な変化を見せながら春の風景へと装いを新たにしていきます!ちょうどGWに蓼科湖の千本桜と呼ばれる数百本のソメイヨシノがいっせいに満開を迎え、文字通り春爛漫となります。毎年リピーターが急増中の桜の名所です。ペンション・サンセットからは車で15分です。現地には十分な広さの駐車場があります。
 
今年は4月下旬に満開になるかも知れません。
 
それはそうと、この季節の山の気候・天気は気まぐれです。山に登る方は完全な冬山装備で!陽射しはとても熱く強いですから日焼け止め対策を男女問わずお忘れ無く!(o^^o)
 
 
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2010年04月19日

5044 村上春樹「1Q84・Book3」を読む(3)

  

 
さらに深く、森の奥へ・・・村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。今夜も息を殺して読み進めています。

写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 

※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
今夜も「1Q84 BOOK3」を読んでいる。
 
構成や内容については、これから読み始めるひとも多いと思うので、書けないことがとても辛くなってくる。そうなると読み進めるにつれてふつふつと湧いて来る想いや感想すら書くことができないからだ。
 
絶対に先のページは見ない主義なので、BOOK3 の結末や全体像については僕も読み終わってみなければわからない。
 
現在第6章まで読み終わったところだ。そして思うのは、この物語は BOOK2 で完結しても全く問題ない作品だったということだ。
 
しかし、だからといって BOOK3 が付け足し的な展開だと言うことではない。ベストセラーになったから商業的目論見で続編として書かれたものだと言うことではない。
 
ひとつだけ言うならば、BOOK3 になって完全な三人称で物語が語られるようになったことは大きな変化だ。BOOK1 も BOOK2 も三人称だったけれど、「青豆」、「天吾」それぞれの視点に立った三人称だった。
 
BOOK3 では「完全に中立的な三人称」が採用されている。それはなんとなく「アフターダーク」の架空のカメラの視点に近い雰囲気を感じる三人称表現だ。
 
また、もしこの BOOK3 から読み始める読者がいたとしても、ひとつの作品として読めるのではないかという気がする。詳細は伏せるけれど、ある方法でこれまでのあらすじが辿れるようになっているからだ。
 
BOOK3 にはナビゲーターというかインタープリターというか、そのような役割を果たす人物が設定されている。それが、読みやすく感じる要因のひとつなのかもしれない、たぶん。
 
あまりにもヒットした作品であるがゆえに、かえって敬遠してまだ読んでいない読者も多いのかも知れない。しかし、繰り返すけれど、この作品は今だからこそ、このような混沌とした時代だからこそ読む価値があると思う。
 
ただし、作品のストーリーを追うだけでは読んだことにはならない。それをこころ深く受け止め、自身の中で熟成させ、想像力を働かせて思索してはじめてメッセージが伝わってくる。そのような類の文学作品なのだ。そういう意味では、ストーリー重視の読者には不向きな作品だと思う、残念ながら。
 
 
★★★
 

この時期は街を車で走るときには注意しないと危ないのです。右を見ても左を見ても桜が満開でそれはもう美しいのです。里山や学校の校庭や民家の桜がいっせいに満開になっています。
 
思わず見とれてしまうこの桜たち、いまちょうど標高800mあたりまでが満開ですから、標高1200m以上に展開する蓼科高原の桜の満開はおそらく4月末になるでしょう。
 
まあ、いつもそうなのですが、通常はGWの5月の3連休に満開なのですが、今年は早めで4月末に満開になる可能性が高いです。
 
いずれにしても桜祭りの催される5月の三連休まで見頃が続きます。高原野お花見って最高ですよ。背景には冠雪した八ヶ岳、咲きこぼれるソメイヨシノの隣には白樺の木があるんですから。そしてBGMには高原の野鳥たちの歌声が・・・。すぐそばには湖もあるし。(o^^o)
 
ファンタスティックなんです!
 
桜の名所の蓼科湖畔聖光寺(しょうこうじ)から歩いてもいけるバラクライングリッシュガーデンは春の花いっぱいで、スコーンセットのポットで出されるロイヤルミルクティーが美味!観光バスがいないときに行くのがコツです!
 
ということで、とりとめなくなりましたが、たまにはきちんとご案内をしました。
 
みなさまのお越しをお待ちしてまーす!
 

(^^)
 
 
 
※※※
 
 
桜の開花を待つ信州蓼科
 
信州蓼科はいよいよ雪解けの季節です。これから日ごとに劇的な変化を見せながら春の風景へと装いを新たにしていきます!ちょうどGWに蓼科湖の千本桜と呼ばれる数百本のソメイヨシノがいっせいに満開を迎え、文字通り春爛漫となります。毎年リピーターが急増中の桜の名所です。ペンション・サンセットからは車で15分です。現地には十分な広さの駐車場があります。
 
今年は4月下旬に満開になるかも知れません。
 
それはそうと、この季節の山の気候・天気は気まぐれです。山に登る方は完全な冬山装備で!陽射しはとても熱く強いですから日焼け止め対策を男女問わずお忘れ無く!(o^^o)
 
 
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2010年04月20日

5045 村上春樹「1Q84・Book3」を読む(4)

  

 
さらに深く、森の奥へ・・・村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。毎日息を殺して読み進めています。深い森を抜け、彼らはいつかこのような青空の下に出ることができるのだろうか?

写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 

※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
今夜も「1Q84 BOOK3」を読んでいる。これから読み始めるひとも多いと思うので,慎重に書いているのだけれど、「具体的ストーリー」とか「結末」をばらさなければいいんじゃないかとも思う。
 
絶対に先のページは見ない主義なので、BOOK3 の結末や全体像については僕も読み終わってみなければわからないわけだしね。
 
現在第7章まで読み終わったところだけれど、この物語は BOOK2 で完結しても全く問題ない作品だったということだ。
 
同時に BOOK4 で完結してもそれはそれでとても充実した作品になるのではないのかという気もしている。(BOOK3 で完結するって可能性もあるけど、それはなんか村上春樹的ではないし。)
 
猛スピードでストーリーを追って楽しむタイプの読者にはむしろそのほうが楽しめるんじゃないかとも思う。
 
BOOK3 になってぐっと読みやすくなった。物語の全体を鳥瞰図的に語る第三者が登場し、彼の物語を追うことで、我々はこれまでの、そしてこれからの展開を見渡すことができるからだ。そして彼は我々とともに謎解きを進めることになる。
 
BOOK2 の最後で青豆は死んでしまったのか?天吾は猫の街から帰ってこれるのか?ふかえりはどのような役割を担っているのか?一度も顔を見せない「あざみ」は登場するのか?小松や「先生」はどうしているのか?
  
リトルピープルはどのように動くのか,動かないのか?「さきがけ」の正体は白日の下にさらされるのか?
 
そのように残された多くの謎はこの BOOK3 ですべてすっきり解き明かされるのだろうか?

 
僕はワクワクしながら読み続けている。

 
 
★★★
 

この時期は街を車で走るときには注意しないと危ないのです。右を見ても左を見ても桜が満開でそれはもう美しいのです。里山や学校の校庭や民家の桜がいっせいに満開になっています。
 
思わず見とれてしまうこの桜たち、いまちょうど標高800mあたりまでが満開ですから、標高1200m以上に展開する蓼科高原の桜の満開はおそらく4月末になるでしょう。
 
まあ、いつもそうなのですが、通常はGWの5月の3連休に満開なのですが、今年は早めで4月末に満開になる可能性が高いです。
 
いずれにしても桜祭りの催される5月の三連休まで見頃が続きます。高原野お花見って最高ですよ。背景には冠雪した八ヶ岳、咲きこぼれるソメイヨシノの隣には白樺の木があるんですから。そしてBGMには高原の野鳥たちの歌声が・・・。すぐそばには湖もあるし。(o^^o)
 
ファンタスティックなんです!
 
桜の名所の蓼科湖畔聖光寺(しょうこうじ)から歩いてもいけるバラクライングリッシュガーデンは春の花いっぱいで、スコーンセットのポットで出されるロイヤルミルクティーが美味!観光バスがいないときに行くのがコツです!
 
ということで、とりとめなくなりましたが、たまにはきちんとご案内をしました。
 
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桜の開花を待つ信州蓼科
 
信州蓼科はいよいよ雪解けの季節です。これから日ごとに劇的な変化を見せながら春の風景へと装いを新たにしていきます!ちょうどGWに蓼科湖の千本桜と呼ばれる数百本のソメイヨシノがいっせいに満開を迎え、文字通り春爛漫となります。毎年リピーターが急増中の桜の名所です。ペンション・サンセットからは車で15分です。現地には十分な広さの駐車場があります。
 
今年は4月下旬に満開になるかも知れません。
 
それはそうと、この季節の山の気候・天気は気まぐれです。山に登る方は完全な冬山装備で!陽射しはとても熱く強いですから日焼け止め対策を男女問わずお忘れ無く!(o^^o)
 
 
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2010年04月21日

5046 村上春樹「1Q84・Book3」を読む(5)

  

 
さらに深く、森の奥へ・・・村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。毎日息を殺して読み進めています。

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きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
猫の街を去らなければならない。出口がまだ塞がれないうちに。

  
いまも「1Q84 BOOK3」を読んでいる。標高1800mに近く、酸素が20%薄い静寂の森で。この作品を読むには最適の場所かも知れない。ふとそう思う。
 
絶対に先のページは見ない主義なので、BOOK3 の結末や全体像については僕も読み終わってみなければわからない。読み進めながら、あとから読むひとがガッカリしないように気をつけながら感想を書いている。
 
小学生の頃、予定調和的読書感想文を書かされるの大嫌いで、いつも泣きながらその宿題をやっていたのが嘘のようだ。13年前、Weblogを書くようになって、じつは自分が文章を書くことが大好きだということを知ってびっくりしたのを思い出す。
 
現在第9章まで読み終わったところだけれど、この物語は BOOK2 で完結しても全く問題ない作品だったという印象は変わらない。しかし、ここまで読み進んで、なぜ BOOK3 が書かれたのかということに納得がいくようになる。
 
同時に BOOK4 へ続く道のりを予感させるものがある。そうだ、ここにいたって初めて旧来からの村上春樹の(長編小説)読者の良く知っている「村上春樹の世界」がその姿を現すからだ。現時点から観れば BOOK1、BOOK2 はその序章に過ぎなかったようにも感じられるほどだ。
 
あえて言うならば、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」、「海辺のカフカ」のような世界が現れ始めている。メタファーがメタファーとして明瞭に現れ物語はそのような構造で語られ始める。そして個々の描写には初期の「風の歌を聴け」の薫りがする。
 

「ハルキスト」なんていうお馬鹿な表現があるそうだけど、東京都条例における「非実在青少年」同様に一義性はおろか多義性すら怪しい概念でしかない。僕は村上春樹の長編が大好きな読者だけど、村上春樹ファンでもなければ、村上春樹信者でもない。もちろん「ハルキスト」なんていう「非実在読者」でもない。
 
ただ、村上春樹氏の描く世界観の多くの部分を共有していることは告白しなければならないと思う。
 
 
 
★★★
 

この時期は街を車で走るときには注意しないと危ないのです。右を見ても左を見ても桜が満開でそれはもう美しいのです。里山や学校の校庭や民家の桜がいっせいに満開になっています。
 
思わず見とれてしまうこの桜たち、いまちょうど標高800mあたりまでが満開ですから、標高1200m以上に展開する蓼科高原の桜の満開はおそらく4月末になるでしょう。
 
まあ、いつもそうなのですが、通常はGWの5月の3連休に満開なのですが、今年は早めで4月末に満開になる可能性が高いです。
 
いずれにしても桜祭りの催される5月の三連休まで見頃が続きます。高原野お花見って最高ですよ。背景には冠雪した八ヶ岳、咲きこぼれるソメイヨシノの隣には白樺の木があるんですから。そしてBGMには高原の野鳥たちの歌声が・・・。すぐそばには湖もあるし。(o^^o)
 
ファンタスティックなんです!
 
桜の名所の蓼科湖畔聖光寺(しょうこうじ)から歩いてもいけるバラクライングリッシュガーデンは春の花いっぱいで、スコーンセットのポットで出されるロイヤルミルクティーが美味!観光バスがいないときに行くのがコツです!
 
ということで、とりとめなくなりましたが、たまにはきちんとご案内をしました。
 
みなさまのお越しをお待ちしてまーす!
 

(^^)
 
 
 
※※※
 
 
桜の開花を待つ信州蓼科
 
信州蓼科はいよいよ雪解けの季節です。これから日ごとに劇的な変化を見せながら春の風景へと装いを新たにしていきます!ちょうどGWに蓼科湖の千本桜と呼ばれる数百本のソメイヨシノがいっせいに満開を迎え、文字通り春爛漫となります。毎年リピーターが急増中の桜の名所です。ペンション・サンセットからは車で15分です。現地には十分な広さの駐車場があります。
 
今年は4月下旬に満開になるかも知れません。
 
それはそうと、この季節の山の気候・天気は気まぐれです。山に登る方は完全な冬山装備で!陽射しはとても熱く強いですから日焼け止め対策を男女問わずお忘れ無く!(o^^o)
 
 
※※※
 
 
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2010年04月22日

5047 村上春樹「1Q84・Book3」を読む(6)

  

 
さらに深く、森の奥へ・・・村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。毎日息を殺して読み進めています。

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きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
信州蓼科高原ピラタスの丘、午前3時41分、闇と静寂の支配する時間帯だ。
 
窓外を見てもなにも見えない。ピラタスの丘全体が雲の中に入っているようだ。漆黒の闇に霧のような雲が加わると、目の前にかざした手のひらさえ見えない。右も左もわからないどころか、上も下もわからなくなる。
 
窓を開けて首を突き出して耳を澄ます。視界が封じられても、音は聞くことができる。しかし聞こえるのは森の彼方の渓流を下る雪解け水の音と、名も知らぬ鳥の声だけだ。
 
今夜は野生の鹿の気配も、小動物の気配もない。みんな申し合わせたように息を潜めて何かを待っているようだ。
 
でも、いったい何を?
 
しばらく耳を澄ませていると、ようやく雨のような微かな音がきこえてくる。雲の水蒸気が屋根に張り付き、軒から落ちる音なのか。実際に細かな雨滴が空から落ちてくるのか、この闇の中では判別できない。
 

距離感のまったくない、というかむしろ、平面のようなのっぺりとした闇がそこにある。ぼおっと微かに光るそこここの「街灯らしきもの」までの距離がまったくわからない。目の前にあるように見えたそのすぐあとにははるか1km先にあるように感じられる。
 
これは現実なのだろうか。ほんものの 2010年4月22日(木) の未明なのだろうか。そもそも僕は覚醒しているのだろうか。じつは深い眠りの深淵で、そんなことを想っているだけではないのだろうか。
 
 
 
★★★
 

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桜の名所の蓼科湖畔聖光寺(しょうこうじ)から歩いてもいけるバラクライングリッシュガーデンは春の花いっぱいで、スコーンセットのポットで出されるロイヤルミルクティーが美味!観光バスがいないときに行くのがコツです!
 
ということで、とりとめなくなりましたが、たまにはきちんとご案内をしました。
 
みなさまのお越しをお待ちしてまーす!
 

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桜の開花を待つ信州蓼科
 
信州蓼科はいよいよ雪解けの季節です。これから日ごとに劇的な変化を見せながら春の風景へと装いを新たにしていきます!ちょうどGWに蓼科湖の千本桜と呼ばれる数百本のソメイヨシノがいっせいに満開を迎え、文字通り春爛漫となります。毎年リピーターが急増中の桜の名所です。ペンシ