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村上春樹 アーカイブ

2006年09月03日

3487 そんなもんないんだよ、どこにも

晴れ 気温:最低 9℃/最高 19℃

今朝は昨日よりも温かく感じた。最低気温は9℃、放射冷却現象がなかったのか、実際の気温よりも温かい。とても良い天気で、天気概況でもここ数日は確実に好天に恵まれそうだ。湿度は盛夏、つまりお盆の頃よりずいぶん下がって同じ気温でも断然寒く感じるようになった。

館内でも活動していない限り半袖シャツでは寒く感じるようになった。夜愛犬の散歩に出るときは秋用のウインドブレーカーを羽織ってちょうど良い。帽子もかぶらないと頭が寒く感じるほどだ。今夜はあいにく雲がかかって満天の星空というわけにはいかなかった。

しかし、秋独特のこの空気を胸一杯吸いながら歩くピラタスの丘は最高だ。深夜のこの時間に標高1700m〜1800mの道を散歩しているなんて、まさに夢のような出来事ではないか。夜でも蓼科山や北横だけのシルエットがくっきりと見え、それはたとえようもなく美しく雄大だ。

9月上旬は、個人的には、夏の繁忙期の疲れがどっと出る季節なので体調管理には十分注意している。特にここ数年、自家製の天然酵母パンをお出しするようになって寝る時間が無くなってしまったので、かなり無理しなくてはならない。

それでもお客様が喜んでくだされば、そんな疲れは吹っ飛んでしまう、少なくとの精神的には。しかし物理法則に支配される肉体のほうはそうはいかないようで、疲労は確実に蓄積されてゆくようだ。ここは知恵を絞って、サービスレベルを落とさずに肉体的負担を軽減することを考えるのがまともな経営者というものだろう。反省。

NHKの朝の連続ドラマみたいにあっという間に月日は巡り、再び村上春樹の「ノルウェイの森」を読み返す季節になってしまった。こう書くとなんだか「義務感」で読み返しているみたいに聞こえるかも知れないけれど、これはあくまでも個人的な楽しみであり、年中行事なのだ。

もう何十回読んだかわからないけれど、最近自分は小説の冒頭の導入部と、主人公が直子が入っている阿美寮を訪ねるところがとても好きだと言うことに気づいた。それがこの物語の象徴的な映像として僕の中に再構築されているのだ。

そしてもう一つの変化は、ヒロインの直子一辺倒だった僕の好意が、読み返すたびにもうひとりのヒロインである緑という娘への好意に移ってきたということ。前者が死の影を背負った滅び行く美しさを象徴するならば、後者はたくましく生き抜いてゆく美しいいのちの象徴と感じられる。主人公にとってはまるで太陽のような存在、そして僕にとってもそのような存在として自分の中に息づくようになった。

そんなことをつらつら想いながらまたこの秋読み返すのだ。個人的な至福の時間だ。

それにしてもひとは「本当の幸せ」とか「本当の自分」とか「自分の居場所」とか、じつに様々なものを求めて現代という高度資本主義社会をさまよっているように感じられる。個人的体験としては「そんなもんないんだよ、どこにも!」と言ってあげたいな。

要するに僕らが求めているものは同じ「なにか」のように感じてる。その「なにか」は気づいてみればじつは「自分自身」なのだ。広大な薄明の世界に浮かぶ自分という美しい惑星なのだ。

そのことに早く気づいてほしい。気づいたからと言ってなにかが劇的に変わるわけでもないのだけれど。

2006年09月23日

3507 ファイアーウォール、ウイルス、スパム

曇りのち晴れ 気温:最低 7℃/最高 13℃

ケーブルモデムに直接接続するのをやめて、有線ブロードバンドルーターを経由して接続するようにしてからは、同じケーブルTVのネットワーク内からのTCP 135番ポートへの執拗なアクセス試行はPCまで到達しないようになった。

アクセス試行は続いているのだろうが、ルータ内蔵のパケットフィルターでそれを遮断する設定にしてあるからだ。したがってPCにインストールしてあるファイアーウォールソフトのログにはそれらしき記録は一切無い。

OS標準搭載のファイアーウォール機能だけではこの侵入試行は防げなかったから、すくなくとも(1)ファイアーウォール機能(設定=高にすること)付きブロードバンドルーター経由でインターネットに接続するか、(2)PCに市販のファイアーウォールソフト(クライアント・モードに設定)をインストールするかのどちらかでないと、セキュリティーは保証されないという時代になったのだと思う。

初心者に限らず不正侵入とウイルスとスパムメールとをひとつのものと混同している人が見られるんで整理しておいたほうがいいだろう:

(1)ファイアーウォール機能あるいはファイアーウォールソフト=あなたのパソコンにインターネット回線などを経由して「不正侵入」してデータを窃盗したり改ざんしたり消去したりプライバシーを侵害する行為を防止するのがお仕事です。

(2)アンチウイルスソフト=メールやダウンロードファイルやホームページを通じてコンピュータウイルスを感染させたりスパイウエアをあなたのパソコンに送り込もうとする行為を防止するのがお仕事。

(3)スパムメールフィルターソフト=無作為にスパムメール(迷惑メール)を送りつけてくる行為に対してどれがスパムでどれがそうでないメールかを学習してスパムメールのみを選別してスパムメールフォルダーなどに選別隔離するのがお仕事。ただし、100%正解と言うことはないので削除する前に1日に1回は「大切なメール」が紛れ込んでいないかチェックすることが必須。最近これをやらないで待っているメールが来ないと騒ぐひとが多いので注意。

といったところだろうか。

だから、アンチウイルスソフトを入れてあるから「不正侵入」も防げる、あるいはスパムメールを防げると考えているひとは「大間違い」をしていることになる。最近は「上記3つの機能が統合された便利なセキュリティーソフトセット」も出回っているのでこの勘違いは蔓延傾向にあるようだ。よく確認して注意されたい。

★★★

「CASIO The G (ザ・ジー) ブラックフォース タフソーラー電波時計 GW-700BTJ-1JF 」が昨日 Amazon.co.jp から届いた。さっそくブレスレットの長さを自分で調整して愛用している。同封されていた案内に誘われて、カスタマーレビューなるものを書いてみました。投稿したあと掲載されるまで4〜5日かかり、それまでの間はこの腕時計についての投稿内容を再表示させる手だてがないのでここに転記することができません。

レビュアーのプロフィールにも書いたけれど・・・

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自己紹介:

どんな本が好きか、どんな音楽を好んで聴いているか、 どんな映画に感動し、どんな趣味を楽しんでいるかを知 れば、その人の人物像は自ずと明らかになるものです。

本はどんな本でも好きですが、村上春樹はデビュー以来 もっとも敬愛する作家です。音楽はリアルタイム体験し たこともあって The Beatles がバックボーンになっています。1950年代〜70年 代のモダンジャズもカラヤンやベームのクラシック音楽 も J-POP も自分の感性に訴えるものは何でも好きです。

映画はハリウッドものはあまり好きではありませんが、 その中でも優れた作品のいくつかは大好きです。よく観 るのは邦画で岩井俊二作品が好きですね。

趣味は書ききれないほど多彩・・・まあ「下手の横好き 」と言えなくもないですが。

ということで、基本的に現実社会の世渡りはあまり得意 ではなく上昇志向はあまりない「趣味人」といったとこ ろでしょうか。


興味があるもの:

自己紹介覧とダブってしまうので、省きます。レビュー が増えるに従って、少しずつ書いていきたいと思います 。

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ということです。

そういえば、これはペンション・サンセットのオーナーとしてのプロフィールにもなりますね。


そして気づいてみれば以前にも(数年前)レビューを書いていたのでした。こちらです。”RUBBER SOUL”というのがレビュアーとしての僕のニックネームです。よろしければ「参考になった」というボタンをクリックして僕を応援してください。って、ちょっと虫が良すぎるかも知れませんね。(^^ゞ

今夜もよく晴れて満天の星空です。

2006年09月30日

3514 パブリックな自己

晴れ 気温:最低 7℃/最高 14℃

もう10月だというのにピラタスの丘にコスモスが咲いている。これは異例のことだ、早いときには7月から咲き始めて8月中には咲き終えてしまうのが通例だと僕は記憶している。今年は秋が早いのか遅いのかよくわからない。12年も住んでいる僕らでさえそうなのだ。

かつてこの日記は僕の想いを語る場であった。それでも良かったのは、時代がそれを許したからだ。WWWが限られたひとびとの交流の場であったころにはプライベートな自己が直情的に語ることが許されたが、パブリックな自己が語るとき直情的に語ることは許されない。

1996年当時、日本のインターネット利用者数は510万人に過ぎなかった。奇しくも現在のミクシィの会員と同じ程度のコミュニティーだったのだ。昨年の利用者数は7000万人ほどだから、14倍近くにふくれあがり、WWWの世界は現実社会を転写したかのようなリアルで物騒な世界に変貌している。

この10年間ウェブマスターとしてじつに様々な経験をしてきた。不思議な出会いもあれば、じつに奇妙な体験もした。もちろんきわめて不快な思いもしたし、これ以上はないというほどのうれしい出来事もあった。そのような10年間を経て、いまの僕はここにある。

それが「パブリックな僕」だ。以前のような個人的なプライベートな僕ではない。これを進化と呼ぶべきか、あるいは進歩と呼ぶべきか、いや、そうではなくてこれは退行だと言うべきか僕にはわからない。しかしこれは必然であって、もう戻ることはできない。それはもうすでに終わってしまったことなのだ。

過去の僕を知りたければ過去の日記を読めばよい。僕自身はそうしている。いまの自分を知りたければ、僕は自分に問いかけ、ひとはいまの日記を読み解くほか無い。まあ、そこまで手間暇かけて読む価値のある日記だとも思わないけれど。

さて、僕は「心を閉ざしてしまった」のだろうか。なにかを語ることを断念してしまったのだろうか。わかってほしいという想いを諦めてしまったのだろうか。いやそうではない、わかるひとにはわかるし、わからないひとには永遠にわからない、伝わるときは伝わるし、だめなときはだめなのだ。そんなふうに考えるようになっただけだ。

こんなふうに書くと、村上春樹の小説の主人公のように「わかってもらえなくてもいいや」というふうにみえるのだろうか。そういうのってある種の人たちの癇に触るのだろうか。そうであろうとそうであるまいと、僕は僕なのだ、これが「いま」の僕なのだ。

人生の前半、つまり山暮らしを始める以前の半生を僕は自分を偽って生き抜かざるを得なかった。だから、残り半分の人生を自分が望むとおりの自分、いや「自分があるとおりの自分」として生きてはいけないのだろうか。それは許されないことなのだろうか。

このいのちに代えても、僕はもう僕以外の自分にはなりたくないし演じたくもない。

2006年10月07日

3521 ふくろうが私の名を呼ぶ

雨のち晴れ 気温:最低 4℃/最高 7℃

カナダの西海岸でユースホステルを経営なさっている方からメールをいただいた。「ふくろうが私の名を呼ぶ」と言う小説を検索していてこのサイトに出会ったとのこと。まさにこの小説の舞台になったあたりにお住まいなのだ。

書いた本人がすっかり忘れていた。で、Google(TM)のサイト内検索を利用して探してみたら以下の文章が出てきた。11年も毎日書いていたらどこにどの文章があるかなんて自分でもわからないよ。それにしても、しっかりと書いているね、いまの僕にはとても書けないようなことを。それにしても「人間風車」ってなんだろう、すっかり忘れてしまった。

こうなるともう記憶というよりは歴史、歴史というよりは考古学の世界なのかも知れない。記憶の考古学ってないのかな。この手の話や文章が好きなひとは昔の蓼科高原日記を読んでね。

★★★

2003.01.07(火)-------------気温 = 最低 -13度/ 最高 -3度

米国の作家J.D.サリンジャーの名作「ライ麦畑で捕まえて(The Catcher in the Rye)」が村上春樹氏の翻訳で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というタイトルで出版されることが決まったそうですが、これはまあいささか旧聞に属するとは思うけれど、とてもうれしいことだ。僕らは同じ白水社刊の野崎孝訳の名訳「ライ麦畑で捕まえて」によって「ライ麦」体験をしたわけだけれど、それはいま思い返しても強烈なものだった。

強烈といってもセンセーショナルな体験とか感動というのではなく、しみじみとこころに染み渡るというか、いやそうじゃないな(そういう体験をしたければスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」やマーガレット・クレイヴンの「ふくろうが私の名を呼ぶ」(角川書店刊)をおすすめする)、自分が年齢を重ねるにつれてジンと効いてくるというたぐいの感動だった。ぼくの周囲の同世代の人間にとっては「中原中也」や「萩原朔太郎」や「福永武彦」や「出家とその弟子(倉田百三著)」同様ある種の「通過儀式」みたいなものだったような気がする。夏目漱石、森鴎外、太宰治などなどのリストを思い返してみるとつくづくぼくらは「古典主義」的読者だったのだなあ。

我が敬愛する(といってもちょうど娘に当たる年齢なのだけれど)宇多田ヒカル(さん)がヘルマン・ヘッセを愛読していたことを最近知ったのだけれど、「車輪の下」「デミアン」「シッダールタ」「幸福論」「荒野の狼」とかなりの作品に「人間風車」状態になってしまったのが懐かしい(ブレーンバスターでなくてよかった)。ちなみに彼女の愛読書リストには「グレート・ギャツビー」もしっかりはいっている。

大学に入って最初の衝撃はアルベール・カミュの「異邦人」「ペスト」「シジフォスの神話」、ジャンポール・サルトルの「嘔吐」「存在と無」、そしてあのフランツ・カフカ。ご想像通りぼくにはドラッグなんて必要なかった。この読書体験のほうがよほど強烈なドラッグ的体験だったから。「実存主義」「不条理」という名のドラッグね。

カフカの言葉にすべては凝縮されている。

『ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。』(親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日)

いまインターネットで『カフカ』で検索をかけると「海辺のカフカ(村上春樹著)」関連のサイトばかり出てきてしまうのは、まあいたしかたないでしょう。で、多少カフカを知りたい方のためにこのサイトをお勧めしておきます。

ぼくの読書体験を書き始めたらそれこそ「ネバー・エンディング・ストーリー」になってしまうのですが、今後少しずつ思い出しながら書いていこうとは思っています。大学時代だけで3,400冊読破したことはいささかばかげているとぼく自身思うのですが、その体験がいまのぼくの精神的骨格の形成に少なからぬ影響を与えていることは否めません。学問(勉強?)とジャズ(リスニング&演奏活動)と目がつぶれそうなほどむさぼり読んだ無数の書物のインクと紙の匂いこそぼくの激情と夢と孤独に支配された青春でした。


------------------------------(23時)

★★★

さて、現在の僕に戻る。

今日はひきつづき風が強く(台風は消えてなくなっちゃったのに)、ロープウエイも運休。午後になってようやく収まってきた。昨日収まったように見えたのは一時的なものだった。夜には風も止んで雲間から満月に近い月齢14の明るい月が顔をのぞかせた。

寒い、ものすごく寒い。長袖のワークシャツの上にフリースのシェルドジャケットを着込んでフリースの帽子をかぶってちょうどいい低温だ。もちろん吐く息は真っ白。これは11月並の気候だと思う。最低気温4℃、最高気温7℃だもの。

シベリアンハスキーだから愛犬パル君はますます元気、急坂をぐんぐん登り、ずんずん進んでいく。これなら犬ぞりを引けるというのも納得の馬鹿力だ。雲を透かして照る月明かりであたりはぼおっと明るいから、ハンディライトを使うことはほとんどない。遥か下に山麓の街の明かりが見える。山並みは墨絵のように闇に沈んでいる。

僕は60歳の自分を想像できない。そんなに遠い将来のことでも無いのに。すでに「フクロウが私の名を呼んでいる」のかも知れない。カナダのネイティヴの間では死ぬ前に「フクロウがその人の名を呼ぶ」という伝承があるという。それに題材を求めた作品が上記の小説だ。静謐に満ち、哀しくしみじみとした作品だ。一読をお薦めする。

2006年10月14日

3528 迷い

晴れ 気温:最低 4℃/最高 11℃

ピラタスの丘はしんと静まり返っている。人気(ひとけ)が無いということではなくて、秋はいつもこうなのだ。・・・と、このような文体で書く時は「ひとりごと」。「です・ます」スタイルの時は「ひとに語りかける」ときです。べつに使い分けているつもりはないけれど、自然にそうなってしまう。自分としてはこの文体の方が肩の力が抜けて心地よいのだけれど。

このことはちょうどが僕がどっちを利き腕として使うかという「迷い」と似ている。どうも僕は人口の5%ほどはいるといわれる「両手利き」のようなのだ。息子もそうだから間違いない。右手でも左手でも文字を書くことができるし、箸を持つことができる。野球では右投げ左打ちだし、ゴルフも左打ちの方がスコアがいい。お食事のサーブは左手でないとできないし、缶飲料のプルトップリングやボトルのキャップも左手でないと開封できない。要するに力仕事は右、細かい仕事は左でないとまったくうまくいかない。このことは日常的に頭の中に混乱の波紋を立てていて、それがけっこう疲れる。

文章を書く時にもまったく同様なことが頭の中で起きている。

さて、今日も一日とても気持ちよい秋晴れになった。「海辺のカフカ」に出てくる「百万ドルトリオ」による「大公トリオ」のCDをようやく手に入れた。Amazon.co.jp のカスタマーレビューを見るとどうもこのパターンでこのアルバムを聞くこととなったひとは多いようだ。村上春樹の小説を読み解くには登場する音楽もチェックした方がいいことは体験的事実だから。べつに読み解かなくたって良いのだけれど。

そういえばノーベル文学賞は今年は別のひとになったようで、とても残念だった。間違いなく日本は正しくアジアの国なのだということを再認識した。村上春樹といえども極東の国の作家なのだ。まあ、賞をとろうが取るまいが村上春樹が僕の中に占める大きさになんの変わりもない。

で、「大公トリオ」だけれどいまそのアルバムを聴きながらこの文章を書いている。何だか聴いたことがあるなあ、もしかしたら蓼科の「銀巴里」というしゃれた名前の理髪店でかかっていたのかもしれない。いつも「頭を刈って」いただいているのだけれど、蓼科の別荘を訪れる政財界人御用達の知るひとぞ知る名店だ。

いずれにしても、定評通りの名演には違いない。初めて聴いた時にはその録音時代なりの「音質の悪さ」がとても気になるが、聴き返すうちにそんなことはどうでも良くなって、演奏の本質、音楽の本質へと精神が自然に引き寄せられどっぷりと浸ってしまう。どちらかといえばベートーベンは嫌いな僕だけれど、名演奏というものはそんなことは超越してしまうようだ。(でも同じアルバム収録のシューベルトの作品の方が好きだけどね)

いずれパブロ・カザルスの演奏でも聴きたいと思っている。

このサイトのリピーターの方は驚くかも知れない。今夕、トップページを入れ替えたのだ。ペンション・サンセットのページをトップページにして、これまでのトップページをサブにまわした。これはマーケティングの観点から判断した。お客様の閲覧の流れを考えるとこのほうが自然なのだ。さてどうなることやら。

今後の Google Analytics のデータ解析を待つほかない。もしかしたら不評かも知れないし、各検索エンジンでの順位を落とすかも知れない。現在「蓼科 ペンション」、「蓼科高原 ペンション」などのキーワードでは各検索エンジンでトップランカーになっているけれど、それを失う危険も極めて大きいのだ。

しかし、このサイトが僕の個人的サイトであるのと同時に、あくまでもペンション・サンセットの集客サイトであるという歴然たる事実を受け入れるならば今回の判断は「必然」だと思う。これまでの「蓼科高原日記」メインのトップページからペンション・サンセットのページに飛んでくれるお客様はなんと全体の10%にすぎないのだ。これではペンションのHPとしては「落第」だ。そしてそれに甘んじていられるほど状況は甘くない。

ある意味では誠に「不本意」ではあるけれど、お客様の平均閲覧時間とページ移動動向をみるかぎりいまのままではいけないと思った。トップページを入れ替えた以外はどこもいじっていないので、リピーターの方の利便性への影響は最小限で済むと思うので、ご容赦下さい。

閲覧者動向を見極めて改めて全体の構成を大幅に見直していこうと思います。

2006年10月22日

3536 「大公トリオ」を聴きながら

晴れのち雨 気温:最低 3℃/最高 12℃

村上春樹の「海辺のカフカ」に主要なモチーフとして登場するベートーベンの「ピアノ三重奏曲第7番」、通称「大公トリオ」のCDを購入して毎日聴いています。作中に登場するいわゆる「百万ドルトリオ」といわれたルービンシュタイン(ピアノ)、ハイフェッツ(ヴァイオリン)、フォイアマン(チェロ)による白熱した演奏です。

1941年のレコーディングだから当然SPレコードでリリースされたものです。その後LP版となり現在ではデジタル・リマスタリングされたこのCD版で入手することができるのですが、音質に関してはその時代なりのものなのは致し方ないでしょう。だから「音」ではなく「音楽」を聴くことができるかどうかがこの希有な名演奏との運命的な出会いを果たす条件となるかもしれないですね。

僕の場合はどうだったかというと、25年前のアンティークなハイエンド・オーディオセット(マッキントッシュのソリッドステート・アンプ+JBLランサー101)で聴くと、その迫力に思わず手に汗握ってしまいました。正直肩が凝ってしまうほどの息詰まるやりとりがそこにあったからです。しかし静まり返った深夜にヘッドフォーンでこのアルバムを改めて聴いてみると、じつに不思議な体験をすることになったわけです。

感動したというのともちょっと違う、いったいなんだろう、とにかく胸がジーンと熱くなってきたのです。40年来のモダン・ジャズ愛好家なのだけれど、巨匠3人の熱い鉄を打ち合うようなインタープレイに背筋がぞくぞくしてきました。それはまるで60年代のマイルス・デイヴィス・クインテットのライヴ・アルバムを聴くときのような静かで熱い興奮です。音楽にジャンルは関係ないとあらためて確信した出来事でした。

「海辺のカフカ」で喫茶店のマスターが語ったのはこちらの演奏、そして作中のホシノ君が購入して聴いた「心温まる」ほう の「大公トリオ」はおそらくカザルスの演奏なのだと思います。そちらも是非聴いてみたいと思っています。

改めて思ったのですが、やっぱりクラシックは管球式のアンプでタンノイのスピーカーを鳴らして聴くのが個人的には理想ですね。暖かで柔らかなその音色はきっとこの演奏をもっとふくよかに響かせさらなる感銘を与えてくれるに違いない。

なんてことを書きながら、なんとなく最近スノッブな語りになっているなあと感じるのです。それは自覚しているのです。ただ、どうしてそうなるのかがわからない。もしかしたら、自発的にある種のフィルターをかけて書いているせいかもしれません。

自主規制しすぎると「心ここにあらず」という状態になってきてしまうみたいで、これはいけない。かといって傲慢無礼にとられるような文体や調子になってしまってもいけないし。技術的な問題を別としてもまずは人間を磨かないといけないのでしょう。僕のような未熟者はひとの何倍もその点では努力しないといけないのだといまさらながら反省しています。

ここまで書いたところで雨音に気づきました。天気予報では午前0時過ぎから雨のマークになっていたので油断していました。明日すぐにクルマを使えるように車体カバーを外しておかなければならないのでした。ようやくカバーを収納した頃から急激に本降りになりました。しばらく雨が降っていなかったので、サイクルから考えると予報どおり明日、明後日は雨がちになるのでしょう。

昨日から落葉が本格的に始まって、処理しても処理してもあっという間にもと通りの「落ち葉の絨緞」に戻ってしまいます。雪かきと同じです。これも「行(ぎょう)」だと考えて淡々と行うほか無いです。当地では落ち葉の量が半端ではないので、竹箒なんかではらちがあきません。牧場で干し草を移動する時みたいに大きな熊手でかき集めては大きな段ボール箱に詰め込んで腐葉土が必要な場所に移動します。

この時期は一日で軽トラック3台分ほどの落ち葉を処分しなければならないのでけっこう重労働です。雪の場合と同じでまさに「落ち葉との闘い」です。個人的には落ち葉の絨緞を踏みしめて歩くときの感触が好きなので、あんまりきれいさっぱりと処分してしまうのももったいない気もするのですが、みなさんはいかがでしょうか。

紅葉はペンション・サンセットの標高ではこれで終わりますが、ほんの50mほど標高が低いところではちょうど最盛期になっています。そんなふうに紅葉は山を下って里へと向かうのです。ですから標高1200m付近の蓼科湖では10月末頃が紅葉の最盛期になります。そんなふうに蓼科の紅葉は10月上旬の山岳部から始まり11月上旬の湖沼部へと1か月以上かけて下っていくのです。ということですから、まだまだ、高原の紅葉を楽しむことができます。

2007年02月06日

3643 沈黙は聞くことが出来る

晴れ 気温:最低 - 6℃/最高 3℃


雪道荒れる 強烈な陽光

これが今日のキーワードだ。このようなメモから今日の日記を書き起こしていく。まず写真をアップロードして、写真にインスパイアされて書き綴る場合ももちろんある。どちらがどれくらいの比率になるのか定かではないけれど。

今日は前者のケースに当たる。さて、今日は昨日と同じ最低気温、最高気温になった。天気は晴天で、いよいよ陽射しが強烈になってきた。その熱量は半端ではなくて、氷点下の気温でも輻射熱の出やすい面の積雪はどんどん溶け始めた。

屋根からの落雪は昨日同様激しく、ほとんど落ちてしまった。道路は積雪の少ないところはほぼ乾燥路面になり、積雪の厚い部分はもこもこの悪路になった。それを見計らって除雪車が雪を道路から押し出してくれたので、その後はかなり状況が良くなった。

予報では金曜日夜あたりに雪が降りそうとのことだから、週末には道路は再び冬らしい積雪路になると思われる。くれぐれもまだ2月上旬なのだということを忘れずに、タイヤチェーンなどの準備おこたりなきよう。


沈黙は聞くことが出来る 責任は夢の中から始まる

それはさておき、我が敬愛する作家、村上春樹の「海辺のカフカ」を読み返している。もう何度目になるのだろうか。深夜、作中に登場して読者の間で話題になった100万ドルトリオによるベートーベンの「大公トリオ」を聴きながら読む。この難解とも言える作品を読み解くことが自然に出来るようになった気分になる。

ここが里ならば、「なにもかもが寝静まった深夜」と書くところだけれど、ここは標高1800mにせまる亜高山帯なのだ。自然は決して眠らない、都会が眠らないというのとまったく異なっと一緒に暮らしていても「ひとりぼっち」ということはあり得る感情でもある。

スタンスとして、あるいはぼくは「ずっとひとりぼっちで暮らしてきた、この13年間」というべきなのかも知れない。そして「自然というのは、ある意味で不自然なものだ」という一見逆説的な言葉も体験的には共感できるものだ。同時に「安らぎというのは、ある意味では威嚇的なものだ」ということもよく知っている。

初めてこの地を訪れたひとが感じる「なにか違和感のようなもの、あるいは畏れ(おそれ)のようなもの」とはじつはそのようなものなのだ。すぐに安らぎの世界に入っていけないとすればそのためだ。しかし早々に、安らぎと癒しの中で自然への畏敬を抱くようになっている自分をそこに発見することになるだろう。大切なのは心を開いて自然に向かい、身も心もゆだねることだ。

それがわかるのは、ぼくが「ここ」に13年間暮らしてきたからだ。蓼科の山岳部に当たる北八ヶ岳ピラタスの丘にまるで仙人のように身を置いてきたからだ。「人生とは、好きな土地で好きなひとやものや犬とともに暮らすことだ。」とある作家は書いた。結果を見ればこの言葉がぼくをここに導いた。

じっさい、ぼくは好きな土地で、好きなひとやものや犬とともに暮らしてきた。ここは「自分の居場所」であり、この地の自然はぼくを癒し、導き、教えてくれた。同時にぼくは改めて人間の無力さを思い知らされ、本来持つべき自然への畏敬を抱くようになった。

太陽や月や星の巡るのを感じながら生きることを学んだ。森の時計にシンクロナイズして暮らすことを学んだ。自然の理(ことわり)としての生と死、そのシンプルな「原理」あるいは「おきて」とでもいうものを教えられた。

同時に、自然の与えてくれる「安らぎ」のなかにひそむおどろおどろしいほどの「威嚇的ななにか」を感じることも出来るようになった。それを「野生の気配」と呼ぶべきかも知れない。それに耳を傾け全身全霊"http://madskills.com/public/xml/rss/module/trackback/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"> -->

2007年06月05日

3762 ThinkPadとともに夕暮れを味わう

曇りのち晴れ 気温:最低 3℃/最高 18℃

ふたたびラウンジの吹き抜けの大テーブルで過ごしている。このノートパソコン、ThinkPad とはじつに絶妙なネーミングではないか。このような使い方をしていると文字通り"ThinkPad"として機能する。うまい日本語が思い浮かばないのが悔しいけれど。

ブラインドタッチに慣れた僕にとっては、紙とペンで書くよりもキーボードをタイプした方が圧倒的に速く文章を書き上げることができる。思い浮かぶ言葉をリアルタイムで記録することができる。幼少の頃から作文が苦手で学校で課題を出されるたびに泣き泣き原稿用紙のマス目を埋めていたのに、いまではこのような装置を得て、毎日こんなにつらつらと作文できるようになった。

そうだ、道具、装置はとても大切なものなのだ。それを得ることによってひとは変わることができるかもしれない。今まで夢に過ぎなかったことができるようになるかもしれない。もし11年前にインターネットと出会い自分のペンションのホームページを作り更新し続けていなかったとしたら、僕は今何をしていただろうか。<下のような長い文面を発見したので、転載することにしました。長いので数回に分けることにします。 - 僕にとっての村上春樹とは(1) 3歳ほど年上の村上春樹は僕にとってはあこがれの兄みたいなあるいは尊敬し て止まない先輩みたいな存在です。 もし何かの間違いで自分に小説家としての技量があったならやはりこのような 小説をこのように書くのだろうな、というのが僕にとっての村上春樹です。 だから読んでいても、ここはすごいとか、ここは自分ならこう書くだろうと か、そんなふうに読んでいるような気がします。 もちろんいつもそんな風に分析的に読んでいるのではありません。大好きな作 家の作品として、その「作品」をというよりは、変わらぬその「世界」にひた っているのです。 僕..." dc:creator="" dc:date="2007-09-13T23:20:40+09:00" /> -->

2007年09月13日

3862 秋は村上春樹を読む(1)

晴れのち夜から曇り 気温:最低 8℃/最高 16℃

朝晩の冷え込み続く

きのうから急に気温が下がり始めたようです。一言で言ってしまえば「朝晩の冷え込み」ということなのですが、秋の冷え込みという感じではなく「夏の冷え込んだ朝」という印象です。その証拠に朝は夜露でテラスがびっしょりと濡れています。まるで雨が降ったみたいです。

こうした冷え込む夜が続くことによって紅葉はより色鮮やかになっていくわけです。だから、ぼくらはこういう気候は大歓迎です。別に寒くてしょうがないということでもないし、日中はほどよい気温と日差しでかなり快適に活動できるのですから。

何度も言いますが、ここでは「残暑」というものがそもそもありません。だかいます。朝方の凛とした大気と空の色はまさに「初秋」を感じさせます。クルマのエンジンに火を入れるとき、きょうはエアコンが入るかなそれともヒーターが入るかなと、ちょっとゲームのような感じで楽しんでいます。

今日はヒーターが入りました。オートエアコンの温度設定は24℃です。で、ヒーターが入りました。午後2時、外気温計は20℃を示しています。試しに窓を開けてみると、なにか聞こえる。エンジンを止めると周囲はしんと静まりかえり、耳の奥からキーンという音が聞こえてくるほどです。

そして聞こえたのです。もう死に絶えたとばかり思っていた蝉の声が。蓼科で、それもこのピラタスの丘でエゾハルゼミ(6月に鳴いて、そして終わります)以外の蝉の声を聞くこと自体異例のことなのに、9月のこの時期に蝉の声を聞くなどということは想定外のことなのです。

やはり温暖化の波はこんな山岳地にまで及んでいるということでしょうか。

さて、きのうの続きです。

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僕にとっての村上春樹とは(2)

僕にとって村上春樹は自分の文章作法のほとんどすべてを学んだ作家のひとり
です。もちろん「模倣」はしていませんが、多少スタイルが似てくるのは致し
方ないのかも知れません。基本的には自分の「内的言語」レベルでのはなしで
す。

彼は「メタファー」の作家と言っても良いのかも知れません。ゲーテがファウ
ストに言わせたあの科白「万物はメタファーである。」という、まさにあの意
味において。

彼の作品は若き日に彼が学んだギリシャ悲劇の様式美と厳格な構成によって精
緻に組み立てられた「寓話」として読むと、その意図を読み違えることが少な
いように感じています。その構成力と、さりげなくてめだたないけれど精緻な
しつらえには舌を巻くばかりです。

もちろんストーリーテラーとしての「ぼく」(に代表される主人公)のキャラ
クターに村上春樹自身の世界観がぎっしりつまっているわけだけれど、僕は
(そして多くの共感者)は「ぼく」に自分を重ね合わせつつこの「ワンダーラ
ンド」を不思議なリアリティーをもって突き進んでいくことになります。「す
べてはメタファーである」というキーワードをしっかりと胸に技はしっかりとその作品の輪郭をとらえていないと、「海辺のカフ
カの」後半のストーリーがまったく訳の分からないものになるかも知れませ
ん。

「ノルウェイの森」がベストセラーになる以前は、その形而上学的展開から女
性には敬遠される作家ナンバーワンだった村上春樹です。そして男性しか抱く
ことのない「憧憬」。社会的にはちっぽけな存在かも知れないけれど、自分な
りのハードボイルドなルールを絶対に譲らない主人公。

フランソワーズ・サガンやボーボワール、卑近な例では吉本ばななの作品を男
性が100%は理解できないのと同様に、女性には村上春樹の作品の100%
を読み解くことはできないのかも知れません。それはしかたのないことです。
男性と女性とは根源的にまったく異なった世界に生きているのですから。我々
がこの世界や価値を共有していると想っているのは美しい共同幻想に過ぎませ
ん。

村上作品はそのこともまた、僕に教えてくれました。

大学時代には本を読もうと決意して4年間で3400冊、文字通り目がつぶれ
るほど古今東西の書物に埋もれて(ふつうの学生生活もして)過ごしました
が、後年、村上春樹という作家に出会えただけでもその甲斐あったというもの
です。彼の作品を読む上で大学時代の乱読が大いに役に立ったことは言うまで
もありません。それ以来、努力はほとんど報われることのない想いに終わるけ
れど、多少は役に立つこともあると、いうのが僕の心情です。

---


参考文献(蓼科高原日記2004年1月29日付より):

クリシュナムルティが言うように「思考が時間である」。あるいは、ラビンド
ラナート・タゴールが言うように:

「時間は精神的な装置であり、存在しているものの相対的な位置を測るた
めに私たちが使っている概念なのである。」

「もしリアリティをめぐるすべての知識が経験にはじまり経験に終わると
するアインシュタインが正しいならば、出来事の意味を汲みとる源となるよう
な外郭のリアリティは存在しないことになる。」

「われわれの知覚がそのようなものであると受け止めたもの、それが世界
だ。そのことを疑う者はいない。われわ

4002 至福の時間

晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃

ようやく夢を見なくなった。正確に言うなら、覚醒後、夢を見たことを自覚しなくなった。いつだって夢は見ているのだ、脳が生きていて眠っているときには。

この秋は夕方や早朝に野生の鹿の遠吠えを聞くのが日課になった。キューンというもの悲しげなその声に深い森を想像し、じつは自分がそのまっただ中にいることを自覚する。以前はこの季節の夕刻に必ず聞いていたアカハラの歌声を聞くことが無くなったのはやはり気象異変の影響なのだろう。

至福の時は、そう思った瞬間から消え始めるものなのだ。

時間よとまれ、と願う。

しかし時間は止まらない。

どんどん先に行ってしまう。


深夜、いや、もう夜明けだ。愛用の旧いラジカセでマイルスの「ブルー・イン・グリーン」を聴きながら村上春樹の「ノルウェイの森」を読む。1987年製のビクターのラジカセで聴くマイルスは古き良き時代のにおいがする。1987年発表の「ノルウェイの森」もまた、僕の青春時代の香りがする。

外は静寂に支配されている。窓外にはシベリアンハスキーのパルが静かな寝息を立てている。野生鹿の遠吠えもいまは聞こえない。野鳥のさえずりもこの季節にはもう聴くことは出来ない。ピラタスの森は息を潜めて夜明けを待っている。

紅葉や観光情報のことばかり書くのにはいささか疲れてしまったというのが本音なのかも知れない。もっと他に書きたいことがあるのかも知れない。だから書けなくなってしまったのだろう。あるいは、書くことが苦痛に感じられるのだろう。

こんな夜明けには自分が本当に愛したのは誰だったのか、本当に愛したものは何だったのか、そんなことがぼんやりと見えてくる。そのひとがいまどうしているのか気にかづれない。

それはそうと、僕はよく池澤夏樹みたいな文章を書くと言われることがある。そうかも知れない。彼も僕が好きな作家のひとりだから。しかし僕は文章作法のほとんどを村上春樹の作品を読むことによって学んだ。特に真似するつもりはないけれど、僕がもっとも好きなスタイルだからだ。

池澤夏樹が僕が高校時代にどっぷりとはまっていた福永武彦の息子だと言うことを最近知って、ああなるほどと合点がいったものだった。ひとのセンティメントは変えようとしても変わるものではないということだ。

ちなみに僕が抱く世界観は池澤夏樹の「スティル・ライフ」の冒頭の文章に的確に表現されている。長いので引用は避けるけれど、機会があったら是非一読することをおすすめする。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

2008年06月30日

4262 子供らしくない子供だった頃

曇りのち晴れ 気温:最低 12℃/最高 17℃

梅雨の晴れ間は昔から「五月晴れ」と言われてきました。今日はちょうどそんな気持ちのよい一日でした。機能載せた写真の白樺の木陰にアウトドアチェアを引っ張り出して、森を吹き抜けるひんやりとした風に頬をなぶらせ、鳴き交わす野鳥の声に耳を傾けながらまどろむのです。

それははまさに至福のひとときです。とてもさわやかな五月晴れです。

☆☆☆


本や映画や音楽に関しては(その他のものもそうかな)、心が揺れるというか、琴線に触れるというか、そのような作品との出会いは「一生のつきあい」になることが多いのかも知れません。

キャプテン翼君は「ボールが友達」でしたが、わたしの子供〜思春期は「本が友達」でしたから、わたしの精神の核(コア)は近代西洋文学や日本の古典文学(といっても明治時代の文豪の作品)によって形成されました。だから、決定的に近代西欧流の「個人主義者」なのです。

エゴイストと個人主義者はまったく異なったものですよ、念のため。

国家や地域社会や組織の一部としての個人から脱却した、真に独立した「個人」、スタンドアロンの「個人」を確立したのが(乱暴な言い方ですが)「個人主義」です。いまだに受け入れられない考え方だということ自体が信じられないのですけどね!

さて、

わたしは、おとなにとっては「かわいくないガキ」だったと思います、マーラef="http://www.p-sunset.com/blog/2009/02/01070000.php">パーマリンク | トラックバック (0)

2009年02月17日

4501 フランツ・カフカ



予報通り「寒の戻り」がありました。昨夜半から降り始めた雪によって、再び一面の雪景色に戻りました。自然の力という物は実に偉大ですね。いとも簡単にこういうことをやってくれます。

氷点下10℃以下までぐっと冷え込んだのですが、これでもまだまだ以前より温かな2月なのです。それでも、そのおかげで、積雪は水気が飛んで結晶が復活し、ゲレンデは最高のパウダーコンディションに戻りました、たぶん。よかったよかった。(^^)

じつにひさしぶりにフランツ・カフカの「変身」を読み返しています。息子から借りた文庫本なのですが、当時と同じ翻訳ながら、きめ細かく文章が推敲・改訂されていてずいぶん読みやすくなった印象を受けます。当時はただ気持ち悪い(キモイ?)だけでしたが、いま読むと良く理解できる作品です。引き続き「城」や「審判」などを読みたいですね。

村上春樹の「海辺のカフカ」を理解したいなら、当然ながら、読んでおくべきフランツ・カフカの作品の筆頭なあたものですが、僕が手に入れたのは1970年のことでした。ちなみに僕が初めて手にしたジャズ・レコードは伯父からもらった"MJQ(Modern Jazz Qualtet"の名作"Vandome"でした。いまでもそれらは3,500枚にのぼるジャズ・レコード・コレクションの1枚として所有してはいるのですが、LPレコードゆえになかなか聴く機会が無かったのです。で、今回CDをプレゼントしてくれたわけです。

"Harbie Hancock"はスタンダード・ナンバー「ウォーターメロンマン(スイカ売り)」の作曲者として同名のジャズアルバムで一世を風靡したジャズ・ピアニストです。"Maiden Voyage"を世に出した頃は黄金の"Miles Davis Quintet"の新進気鋭の若きピアニストでした。ベースが"Ron Carter"そしてドラムスが"Anthony Williams(Tony Williams)"というこのリズムセクションはいまとなってはまさに夢のようなパーソネルです。サックスが"George Coleman"そしてトランペットが"Freddie Hubbard"というジャズ・ファンなら背筋がぞくぞくするようなアルバムになっています。(要するに当時の"Miles Davis Quintet"のトランペットが入れ替わっているだけというものすごいパーソネル!)

この音楽にぼくがどれほどの衝撃を受けたかを語ることはほとんど不可能なほどです。それはビートルズの「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」あるいはクリームの「フレッシュ・クリーム」を聴いた時と同じかそれ以上のショックでした。「あたまをガツンと一発」といった感じでしたね。

若い頃から音楽に親しみ一時はミュージシャンを目指して幅広い音楽をむさぼるように聞き込んでいなかったなら、村上春樹作品に対する僕の感覚もいまとはかなり変わっていたというか、ほとんど理解できなかったかもしれません。少なくとも音楽が人生の一部を成していないひとには理解が困難かもしれないですね。

20年来の友人ウォン・ウィン・ツァン氏がいまから30数年前「江夏健二」という名で新宿の小さなライブハウス「ピット・イン」の「昼の部」でこのアルバムの曲を演奏していたまさにその時、当時高校生だったぼくが2mと離れていない客席でその演奏を聴いていたという事実を昨年ひょんなことから思い出しました。本人に確認すると果たしてそのとおりだったのです。何という巡り合わせで




きのう雪が降ふりましたが、土日は晴れの予報が出ています。


きょうは好天に恵まれそうですので、気持ちの良いスキー、スノーボードが楽しめそうです。


【ピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデ情報】

現在ピラタス周辺は降雪中です、この雪のおかげでゲレンデの状態もバッチリ!
この週末はぜひお出かけ下さい☆

 情報更新  09/2/27
 現在の天候  雪
 今日の予報  雪
 気温  -2℃
 積雪  110cm
 風向・風速  SW7m
 ロープウエイ  運行中
 クワットリフト  運行中
 トリプルリフト  .  ------
滑走可能領域  全面滑走可


【道路状況】

降雪により滑りやすい状態です、お出かけの際には滑り止めのご用意をお願い致します。
明日の朝は7:00より除雪を行います、8:00には遅くとも除雪が完了します、車間距離を十分保ち、安全運転でお越し下さい。

(上記情報は(株)ピラタス蓼科ロープウェイ様の許諾を得て転載)

★★★


モーツアルトの「レクイエム」をよく聴く。好きなのだ。しかし最初から好きだったわけではない。30代にはとても聴くに堪えなかった。それは僕のほうの問題だった、準備ができていなかったのだ。フォーレの「レクイエム」のほうが好きだった。

僕がモーツアルトの熱狂的ファンになったのは映画「アマデウス」以降のことだ。あの映画を観て僕は劇的に変化した。なにかを理解できたのかも知れない。あるいは、なにかを感じることができるようになったと言うことなのかも知れない。

いずれにしてもモーツアルトの音楽家としてのすごさ、アレンジャーとしてのすごさ、そのオーケストレーションの完璧さに打ちのめされてしまった。それはたとえば三島由紀夫が書き始めたときにはすでに小説は完璧な姿で完成していではないかと思う。

でもぼくにそのような生き方はできないし、正直なところその様なひとを心から尊敬するなんてこともないだろうと思う、すごいなあと認めることはあったとしても。

それは「性(さが)」みたいなものなんだよ、きっとね。配線を変えるみたいにして生き方を変えることはできない、残念ながら。


【ピラタス蓼科スノーリゾートの状況】


 情報更新  09/3/7
 現在の天候  晴れ
 今日の予報  晴れ
 気温  -10℃
 積雪  110cm
 風向・風速  SW8m
 ロープウエイ  運行中
 クワットリフト  運行中
 トリプルリフト  .  運行中


(上記の情報は(株)ピラタス蓼科スノーリゾート様の許諾を得て転載)


---

●ペンション・サンセット

●蓼科高原日記


☆たてしなラヂオ☆

4664 村上春樹新刊「1Q84」(2)






話題騒然とはこのことを言うのだろうか

前回のエントリー(記事)で

村上春樹の最新作「1Q84」が

amazon.co.jp での

予約数が1万冊を超えたとのこと。

と書いたのだけれど

その続報記事があった


書き下ろしでの新作刊行に当たって

その内容を一切明かさない

という手法は出版界初だとのこと


憶測が憶測を呼び(もちろん良い方向で)

期待が期待を呼ぶ

村上春樹ファンは熱い予想を語り明かす


そんな感じなのだろうか

村上春樹だからこそ可能な

というか・・・


ようやく

村上春樹らしい新作発表のかたちが

実現できたということかもしれない


でも

いま気がついたのだけれど

これってアップル(APPLE)の

やりかたに似ていないかな?


なんとなく

Mac ユーザーのほうに

村上春樹ファンが多いような気がする

たぶん


別のニュースソースのよれば

1990年代以降のいつからか

村上作品は Windows パソコンと

MS WORD で書かれているとか


僕としては

Macを使って欲しいけど

それはそれ、

これはこれだから・・・

〆(°°)カキカキ..


-->

4667 村上春樹新刊「1Q84」(4)


雨まじりの強風 気温:最低 + 4℃/最高 + 8℃


norway_1.jpg

1987年刊行の「ノルウェイの森」初版本のデザイン

左が「上巻」で右が「下巻」

上巻は鮮やかな赤にグリーンの文字

下巻は深い緑にブリリアントレッドの文字


ストーリーにおいては

上巻が「直子」の物語

下巻が「緑」の物語


かなり乱暴に言ってしまうと

そう言えるかも知れない

作品自体の構造は

きわめて精緻に構築された

ギリシャ悲劇的な様式美を持っている


それに気づくだけでも

この物語の語る世界を

より身近に

体感的に理解できるかも知れない


直子=死・影・静謐に満ちた「世界の終わり」

緑=生・光・いのちの躍動する「ハードボイルド・ワンダーランド」

などと

この作品の二年前の1985年刊行の

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と

対比してしまうのも

いささか乱暴だけれど

個人的体験としての読書の作法としては

許されるのではないかとも思う


ちなみにラヂヲは

直子も緑もどっちも好きだー!

ということなのだ


読み返すほどに

これはギリシャ悲劇なのだ

という確信を持つようになった


恋愛を物語りながら

その実

「この世界」について語っている


村上春樹の作品に共通する

通奏低音であゼ02年、『海辺のカフカ』。そして今年、待望の新作長編刊行!「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。 楽天ブックスにじっさいの本の写真と 「腹帯」と思われる文章が載っていた 左が「上巻=BOOK 1」で 右が「下巻=BOOK 2」ね あれ? 「ノルウェイの森」とは 色使いが逆だよ 色調も異なるし どうやら ここに載っている作品群の 延長線上に位置する物語のような・・・ そう考えるのが妥当なんでしょうね この短い文言だけからも なにやらわくわくするものを感じるのは 僕だけではないはずだ たぶん - > 蓼科高原ペンション・サンセットのご宿泊予約ページへ > 携帯の方はこちらです ●蓼科高原日記(公式日誌) ●たてしなクロニクル(携帯対応のメイン・ブログ) ■蓼科高原公式HP(開花情報あり) ■バラクライングリッシュガーデン(開花情報) ☆たてしなラヂオ☆..." dc:creator="" dc:date="2009-05-28T21:16:37+09:00" /> -->

4668 村上春樹新刊「1Q84」(5)



たてしなクロニクル-1Q84・BOOK 1 たてしなクロニクル-1Q84・BOOK 2

1985年、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、1994年、『ねじまき鳥クロニクル』、2002年、『海辺のカフカ』。そして今年、待望の新作長編刊行!「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれ.php','popup','width=1024,height=685,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false">


奥蓼科・御射鹿池(東山魁夷風に)・クリックで拡大


「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。


という感じのお話のようですが

まず思い出すのは「アフターダーク」での

表現装置としての「鏡」あるいは「TV画面」の

使われ方です


「鏡の向こう側の世界」と「鏡のこちら側の世界」

「TV画面の向こう側の世界」と「TV画面のこちら側の世界」

僕もかなり前にルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」に触発された

文章を書いたことがあるけれどこれは面白い装置なのだ


村上春樹は

今回の作品でどのような舞台装置を

見せてくれるのだろうか


★★★


楽天ブックスからメールで発送完了と連絡があった

日付は5月28日だから今日(29日)に到着だ

わははは、わーい!↑(^^_)ルン♪


かなり前にアマゾンで予約していたのだけれど

当初の発売日=5月24日に

ステータスをチェックすると

いまだに発送されていなかった


その時点で

これはかなり大量の予約が入ったため

遅れているのだと判断

楽天ブックスの状況をチェックして

こちらに乗り換え予約したのだった


結果を見ればなんのことはない

どちらでも手にする日は同じだっただろう


増刷が進んでいるようなので

予約が遅かったひとでも

6月に入ってすぐに手にできると思う


ちなみに

楽天ブックスでは

在庫あり1日〜3日以内に発送

となっていました


都市生活者のひとは

書店に走った方が早いと思うけど・・・

たぶん

---

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☆たてしなラヂオ☆

2009年05月31日

4674 村上春樹新刊「1Q84」(10)





癒しの森の中に僕は暮らしています

写真クリックで拡大してご覧下さい

さて、

何回か前の記事で

残念ながら村上春樹氏は

MacからWindowsに変えて書いている

と言うようなことを書きました


ある方からご指摘いただいて

調べ直してみたのですが

少なくともそれは一時期のことで

ほぼ一貫してMacユーザーのようです


わーい!(^_^)b

ですよね

村上春樹の感性は当然Macを選択する

という僕の思い込みは正しかったんだ。


一時期Windowsを使っていたとき

氏は「べつにMacを捨てたわけではない」

と発言していたそうです。


それはさておき・・・


烚ージへ > 携帯の方はこちらです ●蓼科高原日記(公式日誌) ●たてしなクロニクル(携帯対応のメイン・ブログ) ■蓼科高原おすすめドライブコース ■蓼科高原公式HP(開花情報あり) ■バラクライングリッシュガーデン(開花情報) ■蓼科高原の観光パンフレット・観光マップのダウンロード ☆たてしなラヂオ☆..." dc:creator="" dc:date="2009-05-31T18:06:54+09:00" /> -->

4674 村上春樹のこと

雨 気温:最低 + 7℃/最高 + 16℃





蓼科ではレンゲツツジが一斉に満開になっています

写真クリックで拡大します


村上春樹の新刊「1Q84」の話はひとまずお休み

詳しい人たちが専門的に書きはじめたし

餅は餅屋と言うしね


僕の方はつらつらと

素人の感想を書いていきたいと

思っています


それと

念のために書いておくと

僕は村上春樹の長編小説のファンである

僕は村上春樹の描く世界の住人と言っても良いほどだ

しかし僕は村上春樹個人の崇拝者ではない

最後の一行はとても大切なことだ。



★★★


新緑に輝く花いっぱいの蓼科高原にぜひお立ち寄りください。

蓼科はいまミツバツツジ、レンゲツツジが満開です!

バラクライングリッシュガーデンのバラも

しだいに咲きそろってきています。


---


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☆たてしなラヂオ☆

2009年06月18日

4708 村上春樹新刊「1Q84」読了



白樺の新緑


白樺の美しい新緑!(うちのペンションの庭)

写真をクリックして拡大してご覧下さい!

壁紙にもできます。



村上春樹の書き下ろし最新刊「1Q84」を読了した。

やらなければならない仕事(パソコンワーク)を終えてから

最後の4章を読んだので読み終わる頃には

ちょうど夜が明けてきた。

庭で歌うウグイスとホトトギスがそのことを教えてくれた。


個人的には

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」

「ねじまき鳥クロニクル」

「アンダーグラウンド」

「海辺のカフカ」

「アフターダーク」

という時系列的作品群の延長線上でrs=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false">
 
5月30日(土)に入手して、6月18日(木)の明け方に読了しました。
 
思ったより時間をかけて読んだのですね、改めて驚きました。
 
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読むうちに学んだ読み方を、今回も実行してみました。それは交互に展開する二つの物語(今回は「青豆」と「天吾」)をセットで読むということです。
 
今回は1回目の通読からそれがうまくいきました。
 
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も20回ほど読み込みましたが、まず【世界の終わり】の章を通読してから、【ハードボイルド・ワンダーランド】を通読し、最後に両方の物語を交互になった状態(つまり本の順番どおり)読み進めるという方法がより有効でした、個人的には。
 
「海辺のカフカ」も同様の手法で読み解くことを試みましたが、正解でした、あくまでも個人的には、ということですけれど。
 
村上春樹の作品は、テーマやメッセージに最適化された緻密な構造を持っているように思います。ギリシャ悲劇的というか、伝統的な日本の小説とは異なった【演劇的】あるいは【戯曲的」なしつらえを感じるのは僕だけではないと思います。
  
要するに、村上春樹の作品をより良く、あるいはより深く理解するには、あるいはよりどっぷりとその世界に浸るためには、それに見合った体験と学習と自己鍛錬そしてなによりもセンスが必要なようです。
 
作中に登場する人物や映画や音楽や文学、どれひとつとっても意味(必然性)のないものはありません。ヤナーチェックのシンフォニエッタだってじっさいに聴いてみる必要がじつはあるのです、個人的体験としては。そうすることによってその場面やストーリーがより明確な輪郭を持ったものになるからです。
 
そうした意味において村上春樹の作品は(とりわけ長編小説は)【教養小説】の範疇に入るのかも知れません。教養なんて新自由主義の拝金主義的なこの世の中にあってはもはや死んだも同然かもしれませんが、そのような世相に対する強烈なアンチテーゼ 投稿者: たてしなラヂヲ 日時: 2009年06月21日 08:06 | | トラックバック (0)

2009年06月24日

4717 心、それを失うこと



ピラタスの丘は:雨のち午後から晴れ

気温:最低 + 9℃/最高 + 17℃




写真をクリックして拡大してご覧下さい!


しかしやがては君の心も消えてしまう。心が消えてしまえば喪失感もないし、失望もない。行き場所のない愛もなくなる。生活だけが残る。静かで密やかな生活だけが残る。君は彼女のことを好むだろうし、彼女も君のことを好むだろう。君がそれを望むのなら、それは君のものだ。誰にもそれを奪いとることはできない。

--- 村上春樹著「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」第16章より


初版が1985年刊だから、いまから24年前の作品であり、僕が手にしている初版本はいつのまにか24年にも及ぶ時空間の旅を僕と共に過ごしてきたことになる。その間に20回読み返しただろうか。そして、今回この言葉を「発見」したのだった。

たった1度読んだだけで、その小説の言わんとしているテーマや語っている世界観を理解できてしまう能力のある人がうらやましい。僕はこの期に及んでようやく、この作品を理解し始めているところなのだから。

自分がどれほど心を求め、心を大切にしてきたか、またその一方で、時として心をないがしろにしてきたかに思い至る。人間関係や夫婦関係あるいは恋愛において僕が感じてきたある種の「喪失感」は、じつはそこに「心」が無いことに対する喪失感であったことがいまならよくわかるのだ。

心が無くても快適にのだ。
 
僕らは互いに誤解やミスリードという誤差を前提として、それをあたりまえのものとして許容して、互いの思いを伝え合いながら生きているのかも知れない。
 
だからいま僕は誤解を恐れることなく語りかけることにしている。
 
誤解があると感じたら、あらためて語り直せばいいのだ。
 
言葉では伝えられなくても、心は伝わるかも知れない、思いは伝わるかも知れないじゃない。
 
そのとき語られる言葉は、語ることの叶わない思いを伝える「音楽」のようなものになっているのかも知れない。
 
大切なのは想いであり、もっと大きくは「世界観」なのだと思う。
 
村上春樹の小説が伝えてくるものは物語であるわけだけれど、やがてそれは手段に過ぎず文学という器の中に描き出されるひとつの「世界観」であることに気づく。
 
ここで言う「世界観」とは、この世界がどのようにあるかという個人的な直感のことだ。
 
なぜこの世界があるのかという問いには答えはないのだから。
 
この世界は「神」によってこのようにある。ただ意味もなく存在する。「無意味性」はこの世界の本質である。「啓示」はわれわれのインスピレーションに過ぎない。
 
以前、僕はそのように書いた。これは僕の世界観である。しかし孤立無援の世界観ではない。

ウィトゲンシュタインは言った、
 
神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということなのである。
 
我々は時間の中に内包されるものではない。サルトルが言うように人間実存とはそのようなものではない。あるいは、クリシュナムルティが言うように「思考が時間である」。
 
これは僕が自分の力で構築し、たどり着いた世界観だ。
 
既存の思想やイデオロギーに思惟を任せきりにしたものではない。
 
これは僕の個人的なものであり、その意味において、この世界観は僕のものだ。
 
 
 
☆たてしなラヂオ☆
 
  
※※※
 
 
ところで・・・


今週末あたり「どうですか?」

高原ドライブ=ビーナスラインドライブ

-->

2009年07月04日

4729 マイブーム再来



ピラタスの丘は:曇りのち晴れ

気温:最低 + 8℃/最高 + 18℃





蓼科の空の蒼さはふつうではない(蓼科高原ペンション・サンセット)

※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


村上春樹ばかり読んでいるような気がする。もとよりもっとも敬愛する作家だから、読書というとまず彼の作品を読み返すことになる。それにしても今年は「ノルウェイの森」から始まって、「アフターダーク」、「海辺のカフカ」、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と次々に読み返しつつ、最新作「1Q84」を繰り返して読んでいるのだから、ちょっとしたブーム再来ではある。

とくに「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」はこの半年だけでも3回も読み返している。単行本で618ページもある長編だから結構読みでがあるにもかかわらず、この作品を読み解きたくてずんずん読み進んでしまった。この本には村上作品の一連のテーマとでも呼ぶべきものがぎっしりと詰まっているからだ。

しかしもう一度私が人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれがーーその失いつづける人生がーー私自身だからだ。私には私自身になる以外に道はないのだ。どれだけ人々が私を見捨て、どれだけ私が人々を見捨て、様々な美しい感情やすぐれた資質や夢が消滅し制限されていったとしても、私は私自身以外の何ものかになることはできないのだ。

物語の終末近く(第33章)で語られる独白にあるこの言葉にその「テーマ」は集約されているように、僕には思われるのだ。少なくとも同じような経緯を辿り、同様の想いにいたった僕にはそのように思われるのだ。だからもし僕が人生の意味を問われたならば一般論としては「回答不能」と答え、個人的には「自分自身になること、そして自分自身でありつづけること」と答えるだろう。


僕が以前の記事で書いた

「ひとは自分自身からは逃れられない」

というのはそのような意味だ。


僕の人生がどんなに幸福であろうと、あるいは悲惨なものであろうと、そのような状況や運命とは関係なく僕は僕自身であることからは逃れられない。僕は僕自身として幸福になる道を模索するほか無いのだ。

幸福とは、少なくとも個人的には、自分が自分であることを確信できること、そしてそのことをすべてのひとから認められることではないだろうか。


そのような意味において

ひとは自分自身を目指すことを宿命づけられている

と言えるのかもしれない。


☆たてしなラヂオ☆




☆☆☆


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。

車山高原(霧ヶ峰のとなり)のレンゲツツジ大群生が有終の美!

霧ヶ峰のレンゲツツジ大群生もそろそろ終わりかな?

ビーナスラインドライブしながら

壮大なパノラマをたっぷり見ることができますが

せっかくなのでも過言ではないから
その点は昔より悩みが少ないですね。(^^)



☆☆☆


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。

思いっきり感動させてくれたレンゲツツジも

いよいよ有終の美を飾りました。


同じ場所でニッコウキスゲの大群生が満開に向かっています。

すでに見頃ですが【満開】をはさんで7月下旬までになりそうです。

【満開】は7月中旬から7月下旬までの間になりそうです。



霧ヶ峰のニッコウキスゲ大群生の開花状況はこちら↓

http://blog.goo.ne.jp/kirigamine_vc


車山高原のニッコウキスゲの開花状況はこちら↓
http://www.kurumayama.com/new/open.htm



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2009年10月06日

4855 村上春樹 「1Q84」第3巻刊行へ

  
八島湿原(尾瀬と同じ高層湿原)の情報はこちら

霧ヶ峰の高原の情報はこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/kirigamine_vc


車山高原の高原の情報はこちら↓
http://www.kurumayama.com/new/open.htm

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●蓼科高原ペンション・サンセリ作品と捉えています。もちろん気に入ってはいますが。

短編集・・・村上春樹は残念ながら「短編作家」ではないというのが私の評価です。同様に「エッセイスト」でもない。

《ノルウェイの森》はこれらどの流れからもはずれた存在です。村上春樹本人が「あとがき」で述べているとおり、きわめて個人的な作品なのかもしれませんね。

ということで、私は村上春樹ファンではあるけれど、もっと正確に言うなら、村上春樹の長編小説のファンというべきかも知れません。

同時に、村上春樹信者でもなく、信奉者でもない限りにおいて、村上春樹を敬愛する者です。

ひとそれぞれの想いを寄せられる「村上春樹」作品があるのだと思います。

 
  
☆たてしなラヂヲ☆
 

★★★

【蓼科の紅葉スポット】

北八ヶ岳・麦草峠・白駒池(いまが見頃)、シャープ・アクオスの吉永小百合さんと白馬のTVCMで有名な御射鹿池(みしゃかいけ)・横谷峡(そろそろ見頃)・ピラタスの丘(いまが見頃!)、蓼科湖・白樺湖・女神湖(10月下旬から)、どこも当ペンションからクルマ0分から20分。また11月いっぱいは東山魁夷画伯が好んで描いたカラマツの紅葉がまた感動的です。


★★★


高原ドライブ=ビーナスラインドライブが最高の気分です。


八島湿原(尾瀬と同じ高層湿原)の情報はこちら

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2010年01月27日

4973 Twitterに村上春樹はいない

  

 
蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットの頭上は今日も真っ青な空が広がっています。
  
写真クリックで拡大します。
 
 
Twitter上に村上春樹のアカウント(Murakami_Haruki)があることはかなり以前から知られている。フォロー数も半端ではない。トップクラスの高フォロー数のアカウントだ。
 
http://twitter.com/Murakami_Haruki
 
村上春樹氏の写真がアイコンとして表示され、登録名も「村上春樹」と明記されている。
 
* 名前 村上春樹
* 現在地 Koube
* http://ja.wikipedia.org/wiki/村上春樹
* 自己紹介 スコット・フィッツジェラルドが好きです

1 フォローしている 25,262 フォかけて読んだのですね、改めて驚きました。   「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読むうちに学んだ読み方を、今回も実行してみました。それは交互に展開する二つの物語(今回は「青豆」と「天吾」)をセットで読むということです。   今回は1回目の通読からそれがうまくいきました。   「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も20回ほど読み込みましたが、まず【世界の終わり】の章を通読してから、【ハードボイルド・ワンダーランド】を通読し、最後に両方の物語を交互になった状態(つまり本の順番どおり)読み進めるという方法がより有効でした、個人的には。   「海辺のカフカ」も同様の手法で読み解くことを試みましたが、正解でした、あくまでも個人的には、ということですけれど。   村上春樹の作品は、テーマやメッセージに最適化された緻密な構造を持っているように思います。ギリシャ悲劇的というか、伝統的な日本の小説とは異なった【演劇的】あるいは【戯曲的」なしつらえを感じるのは僕だけではないと思います。   要するに、村上春樹の作品をより良く、あるいはより深く理解するには、あるいはよりどっぷりとその世界に浸るためには、それに見合った体験と学習と自己鍛錬そしてなによりもセンスが必要なようです。   作中に登場する人物や映画や音楽や文学、どれひとつとっても意味(必然性)のないものはありません。ヤナーチェックのシンフォニエッタだってじっさいに聴いてみる必要がじつはあるのです、個人的体験としては。そうすることによってその場面やストーリーがより明確な輪郭を持ったものになるからです。   そうした意味において村上春樹の作品は(とりわけ長編小説は)【教養小説】の範疇に入るのかも知れません。教養なんて新自由主義の拝金主義的なこの世の中にあってはもはや死んだも同然かもしれませんが、そのような世相に対する強烈なアンチテーゼを提示しているように思われて僕には心強く感じられるのです。   だから、今回のいわゆる【1Q84】ブームが、この作品を【消費されるもの】に貶めてしまわないことを祈ります。文学というものは、もっと広義には芸術というものは【消費される..." dc:creator="たてしなラヂヲ" dc:date="2010-02-28T23:03:10+09:00" /> -->

2010年02月28日

4994 村上春樹の「1Q84」を読み返しています

 

 
僕にとって昨年のメイン・イベントは村上春樹の「1Q84」でした。今改めてそう断言できます。2009年5月30日(土)に入手して、6月18日(木)の明け方に読了しました。
 
思ったより時間をかけて読んだのですね、改めて驚きました。
 
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読むうちに学んだ読み方を、今回も実行してみました。それは交互に展開する二つの物語(今回は「青豆」と「天吾」)をセットで読むということです。
 
今回は1回目の通読からそれがうまくいきました。
 
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も20回ほど読み込みましたが、まず【世界の終わり】の章を通読してから、【ハードボイルド・ワンダーランド】を通読し、最後に両方の物語を交互になった状態(つまり本の順番どおり)読み進めるという方法がより有効でした、個人的には。
 
「海辺のカフカ」も同様の手法で読み解くことを試みましたが、正解でした、あくまでも個人的には、ということですけれど。
 
村上春樹の作品は、テーマやメッセージに最適化された緻密な構造を持っているように思います。ギリシャ悲劇的というか、伝統的な日本の小説とは異なった【演劇的】あるいは【戯曲的」なしつらえを感じるのは僕だけではないと思います。
 
要するに、村上春樹の作品をより良く、あるいはより深く理解するには、あるいはよりどっぷりとその世界に浸るためには、それに見合った体験と学習と自己鍛錬そしてなによりもセンスが必要なようです。
 
作中に登場する人物や映画や音楽や | | トラックバック (0)

2010年04月19日

5044 村上春樹「1Q84・Book3」を読む(3)

  

 
さらに深く、森の奥へ・・・村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。今夜も息を殺して読み進めています。

写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 

※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
今夜も「1Q84 BOOK3」を読んでいる。
 
構成や内容については、これから読み始めるひとも多いと思うので、書けないことがとても辛くなってくる。そうなると読み進めるにつれてふつふつと湧いて来る想いや感想すら書くことができないからだ。
 
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さらに深く、森の奥へ・・・村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。毎日息を殺して読み進めています。深い森を抜け、彼らはいつかこのような青空の下に出ることができるのだろうか?

写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 

※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
今夜も「1Q84 BOOK3」を読んでいる。これから読み始めるひとも多いと思うので,慎重に書いているのだけれど、「具体的ストーリー」とか「結末」をばらさなければいいんじゃないかとも思う。
 
絶対に先のページは見ない主義なので、BOOK3 の結末や全体像については僕も読み終わってみなければわからないわけだしね。
 
現在第7章まで読み終わったところだけれど、この物語は BOOK2 で完結しても全く問題ない作品だったということだ。
 
同時に BOOK4 で完結してもそれはそれでとても充実した作品になるのではないのかという気もしている。(BOOK3 で完結するって可能性もあるけど、それはなんか村上春樹的ではないし。)
 
猛スピードでストーリーを追って楽しむタイプの読者にはむしろそのほうが楽しめるんじゃないかとも思う。
 
BOOK3 になってぐっと読みやすくなった。物語の全体を鳥瞰図的に語る第三者が登場し、彼の物語を追うことで、我々はこれまでの、そしてこれからの展開を見渡すことができるからだ。そして彼は我々とともに謎解きを進めることになる。
 
BOOK2 の最後で青豆は死んでしまったのか?天吾は猫の街から帰ってこれるのか?ふかえりはどのような役割を担っているのか?一度も顔を見せない「あざみ」は登場するのか?小松や「先生」はどうしているのか?
  
リトルピープルはどのように動くのか,動かないのか?「さきがけ」の正体は白日の下にさらされるのか?
 
そのように残された多くの謎はこの BOOK3 ですべてすっきり解き明かされるのだろうか?

 
僕はワクワクしながら読み続けている。

 
 
★★★
 

この時期は街を車で走るときには

  

 
さらに深く、森の奥へ・・・村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。毎日息を殺して読み進めています。

写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 

※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
猫の街を去らなければならない。出口がまだ塞がれないうちに。

  
いまも「1Q84 BOOK3」を読んでいる。標高1800mに近く、酸素が20%薄い静寂の森で。この作品を読むには最適の場所かも知れない。ふとそう思う。
 
絶対に先のページは見ない主義なので、BOOK3 の結末や全体像については僕も読み終わってみなければわからない。読み進めながら、あとから読むひとがガッカリしないように気をつけながら感想を書いている。
 
小学生の頃、予定調和的読書感想文を書かされるの大嫌いで、いつも泣きながらその宿題をやっていたのが嘘のようだ。13年前、Weblogを書くようになって、じつは自分が文章を書くことが大好きだということを知ってびっくりしたのを思い出す。
 
現在第9章まで読み終わったところだけれど、この物語は BOOK2 で完結しても全く問題ない作品だったという印象は変わらない。しかし、ここまで読み進んで、なぜ BOOK3 が書かれたのかということに納得がいくようになる。
 
同時に BOOK4 へ続く道のりを予感させるものがある。そうだ、ここにいたって初めて旧来からの村上春樹の(長編小説)読者の良く知っている「村上春樹の世界」がその姿を現すからだ。現時点から観れば BOOK1、BOOK2 はその序章に過ぎなかったようにも感じられるほどだ。
 
あえて言うならば、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」、「海辺のカフカ」のような世界が現れ始めている。メタファーがメタファーとして明瞭に現高800mあたりまでが満開ですから、標高1200m以上に展開する蓼科高原の桜の満開はおそらく4月末になるでしょう。   まあ、いつもそうなのですが、通常はGWの5月の3連休に満開なのですが、今年は早めで4月末に満開になる可能性が高いです。   いずれにしても桜祭りの催される5月の三連休まで見頃が続きます。高原野お花見って最高ですよ。背景..." dc:creator="たてしなラヂヲ" dc:date="2010-04-22T04:04:49+09:00" /> -->

2010年04月22日

5047 村上春樹「1Q84・Book3」を読む(6)

  

 
さらに深く、森の奥へ・・・村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。毎日息を殺して読み進めています。

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※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
信州蓼科高原ピラタスの丘、午前3時41分、闇と静寂の支配する時間帯だ。
 
窓外を見てもなにも見えない。ピラタスの丘全体が雲の中に入っているようだ。漆黒の闇に霧のような雲が加わると、目の前にかざした手のひらさえ見えない。右も左もわからないどころか、上も下もわからなくなる。
 
窓を開けて首を突き出して耳を澄ます。視界が封じられても、音は聞くことができる。しかし聞こえるのは森の彼方の渓流を下る雪解け水の音と、名も知らぬ鳥の声だけだ。
 
今夜は野生の鹿の気配も、小動物の気配もない。みんな申し合わせたように息を潜めて何かを待っているようだ。
 
でも、いったい何を?
 
しばらく耳を澄ませていると、ようやく雨のような微かな音がきこえてくる。雲の水結末や全体像については僕も読み終わってみなければわからない。読み進めながら、あとから読むひとがガッカリしないように気をつけながら感想を書いている。)   まだ読んでいないひとに結末や謎解きをしてしまうのはどうもマナー違反のように思うので、書き方がとても難しい。それは日ごとにハードルを高くする。   現在第12章まで読み終わったところだ。   そして、繰り返しになるけれど、この物語は BOOK2 で完結しても全く問題ない作品だったという印象は変わらない。しかし、ここまで読み進んで、なぜ BOOK3 が書かれたのかということに納得がいくようになる。   さらに、それは書かれなければならなかったのだという、確信めいたものが芽生えてくる。同時に BOOK4 が必要なのではないかとも思えてくる。期待でもなく、要望でもなくて、単なる個人的直感なのだけれど。   ここにいたって初めて旧来からの村上春樹の(長編小説)読者の良く知っている「村上春樹の世界」がその姿を現す。たとえば「海辺のカフカ」の空気感や、「アフターダーク」の視点や、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のメタファーの躍動感。   メタファーがメタファーとして明瞭に現れ物語はそのような構造で語られ始める。そして個々の描写には初期の「風の歌を聴け」から「ダンス・ダンス・ダンス」に続いた「《僕》のシリーズ」の薫りがする。   これまでに提示されてきた数々の「伏線」「兆し」「象徴」「メタファー」と天吾の世界の実在との1対1対応関係がしだいに明らかになってくる。あくまでも天吾の優れた推測によるものではあるけれど。おおむねそれは間違ってはいないようだ。   そして天吾は改めて実感する。これは自分の物語であり、この世界ではどんなことでも起こりうるのだ、と。       ★★★   この時期は街を車で走..." dc:creator="たてしなラヂヲ" dc:date="2010-04-23T15:56:59+09:00" /> -->

2010年04月23日

5048 村上春樹「1Q84・Book3」を読む(7)

  

 
さらに深く、森の奥へ・・・村上春樹「1Q84・Book3」が amazon.co.jp から届きました。毎日息を殺して読み進めています。

写真をクリックして拡大してご覧下さい!
 

※※※
  
きょうの記事は書き下ろしです:
 
※※※
 
 
  
降り続く雨の中で「1Q84 BOOK3」を読んでいる。標高1800mに近く、酸素が20%薄い静寂の森は、この作品を読むには最適の場所かも知れない。
 
(絶対に先のページは見ない主義なので、BOOK3 の結末や全体像については僕も読み終わってみなければわからない。読み進めながら、あとから読むひとがガッカリしないように気をつけながら感想を書いている。)
 
まだ読んでいないひとに結末や謎解きをしてしまうのはどうもマナー違反のように思うので、書き方がとても難しい。それは日ごとにハードルを高くする。
 
現在第12章まで読み終わったところだ。
 
そして、繰り返しになるけれど、この物語は BOOK2 で完結しても全く問題ない作品だったという印象は変わらない。しかし、ここまで読み進んで、なぜ BOOK3 が書かれたのかということに納得がいくようになる。
 
さらに、それは書かれなければならなかったのだという、確信めいたものが芽生えてくる。同時に BOOK4 が必要なのではないかとも思えてくる。期待でもなく、要望でもなくて、単なる個人的直感なのだけれど。
 
ここにいたって初めて旧来からの村上春樹の(長編小説)読者の良く知っている「村上春樹の世界」がその姿を現す。たとえば「海辺のカフカ」の空気感や、「アフターダーク」の視点や、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のメタファーの躍動感。
 
メタファーがメタファーとして明瞭に現れ物語はそのような構造で語られ始める。そして個々の描写には初期の「風の歌を聴け」から「ダンス・ダンス・ダンス」に続いた「《僕》のシリーズ」の薫りがする。
 <。そのことが実感できるのが BOOK3 かもしれない。初期の「風の歌を聴け」から「ダンス・ダンス・ダンス」に続いた「《僕》のシリーズ」の薫りがするのだ。
 
さっき書いてしまったから、もう少し詳しく書くと、BOOK3 では「牛河」「青豆」「天吾」という3つの章の繰り返しになっている。だからといって青豆が死んでいないということをではない。ご自身で読んで確かめて欲しい。
 
いまのところ、「小松」や「戎野先生」や「ふかえり」の関与の薄い展開となっている。そして戎野先生の娘の「あざみ」はいまだに登場しない。リトル・ピープルも現れない。
 
それ以上に衝撃的な事実が発覚したところだ。
 
さあ、みなさんはいつまで読まずにいられるか。同時に僕はいつまで奥歯に物の挟まったような語り口でこのブログを書くことに耐えられるのか・・・。
 
諸氏の書評の動向を見ながら、ストーリーについても語り始めようと思う。
 
 
 
★★★
 

この時期は街を車で走るときには注意しないと危ないのです。右を見ても左を見ても桜が満開でそれはもう美しいのです。里山や学校の校庭や民家の桜がいっせいに満開になっています。
 
思わず見とれてしまうこの桜たち、いまちょうど標高800mあたりまでが満開ですから、標高1200m以上に展開する蓼科高原の桜の満開はおそらく4月末になるでしょう。
 
まあ、いつもそうなのですが、通常はGWの5月の3連休に満開なのですが、今年は早めで4月末に満開になる可能性が高いです。
 
いずれにしても桜祭りの催される5月の三連休まで見頃が続きます。高原野お花見って最高ですよ。背景には冠雪した八ヶ岳、咲きこぼれるソメイヨシノの隣には白樺の木があるんですから。そしてBGMには高原の野鳥たちの歌声が・・・。すぐそばには湖もあるし。(o^^o)
 
ファンタスティックなんです!
 
桜の名所の蓼科湖畔聖光寺(しょうこうじ)から歩いてもいけるバラクライングリッシュガーデンは春の花いっぱいで、スコーンセットのポットで出されるロイヤルミルクティーが美味!観光バスがいないときに行くのがコツです!
 
ということで、とりとめなくなりましたが、たまにはきちんとご案内をしました。
 
みなさまのお越しをお待ちしてまーす!
 

(^^)
 
 
 
※※※
 
 
桜の開花を待つ信州蓼科
 
信州蓼科はいよいよ雪解けの季節です。これから日ごとに劇的な変化を見せながら春の風景へと装いを新たにしていきます!ちょうどGWに蓼科湖の千本桜と呼ばれる数百本のソメイヨシノがいっせいに満開を迎え、文字通り春爛漫となります。毎年リピーターが急増中の桜の名所です。ペンション・サンセットからは車で15分です。現地には十分な広さの駐車場があります。
 
今年は4月下旬に満開になるかも知れません。
 
それはそうと、この季節の山の気候・天気は気まぐれです。山に登る方は完全な冬山装備で!陽射しはとても熱く強いですから日焼け止め対策を男女問わずお忘れ無く!(o^^o)
 
 
※※※
 
 
Twitterがご縁でご宿泊いただくお客さまも増加中なう・・・です。ありがとうございます。(o^^o)
 
  
★オーナーの個人的なTwitterアカウントは「下のリンク」からどうぞ。
 
http://twitter.com/tateshina_radio

 
 
 
☆たてしなラヂヲ☆
 
 
※※※
 
 
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http://twitter.com/pension_sunset

 
 
●ピラタス蓼科ロープウエイのホームページ
 
●蓼科高原ペンション・サンセットのホームページ

●蓼科高原ペンション・サンセット(携帯専用)

●蓼科高原ペンション・サンセット(携帯専用)

2010年06月28日

い。その必要があるから,あるいは強迫観念に駆られて、金を手に入れようと奔走する。同様に、われわれはビジネスに邁進するために生まれてきたのでもない。結論から言ってしまえば、われわれは「なにかを成し遂げるために」生まれてきたわけではない。    それは、我々が成育過程において刷り込まれたもの、あるいは自ら志したものに違いない。  ..." dc:creator="たてしなラヂヲ" dc:date="2010-07-08T04:15:17+09:00" /> -->

2010年07月08日

5114 自分自身という世界

  
【蓼科高原なう】車山/霧ヶ峰のニッコウキスゲ大群生は今週末から見頃になります。同所のレンゲツツジは今週末に有終の美を飾ります。バラクライングリッシュガーデンのバラは今週末まで楽しめます。(蓼科高原ペンション・サンセット)
 
 

 
車山・霧ヶ峰ではニッコウキスゲもすでに咲き始めていて、大群生地の主役交代はすでに始まっています。ニッコウキスゲの見頃は7月10日頃からです。ちなみにニッコウキスゲは写真のように大きなユリといった感じの花です。
→レンゲツツジ/ニッコウキスゲ群生地の車山・霧ヶ峰の情報
   
 

 
車山・霧ヶ峰のレンゲツツジはこの週末に満開の最盛期を迎えましたが、今週末にもまだ見ることができるかも知れません。ちな