2010年9月11日(土) 天気;快晴、気温;最低8℃、最高17℃、週間予報は晴れの予報です。(この日記は翌日9/12未明に書いています)
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夜露に濡れたウッドデッキ、この椅子の主は誰?秋を迎えた蓼科の風景がこころを慰めてくれます。山岳部の紅葉の見頃は10月にはいったらすぐです。
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蓼科はもうすっかり秋です。朝晩だけではなく日中も秋そのものです。しかし、日中はさわやかな夏の陽射しがさんさんと降り注ぐので、夏らしさも楽しめる、一粒で二度おいしいグリコみたいな季節を迎えている蓼科高原です。遅い夏休みにぴったり!初秋の旅行にも最適です!
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実りの季節は別れの季節。
今日もまたこんな時間になってしまった。夏の繁忙期に入って以来、仕事の都合でどうしてもこのようなサイクルになってしまっている。というか、血気盛んだった13年前に比べて、まとまった文章を短時間で書き上げるというパワーが無くなってきたと言うことかも知れない。
良い意味でとらえるならば、それだけ多面的に考察を加えつつ書くようになった、とも言えるかも知れない。いずれにしても、書かなければならないと考えると苦痛であり、すっと書き始めれば楽しいと言うことに変わりはない。
昨夜から今朝にかけてもまた、ピラタスの丘の森はしんと静まりかえっている。一昨年の年末まではシベリアンハスキーのパルくんが窓を隔ててすぐそばに寄り添うようにいてくれたから、長い夜も、苦しい夜も楽しいものになっていたのだけれど。
ぼくにとってパルくんがどれだけ大切な存在だったかということを、あらためて想う。彼はこの地の厳しくも美しい自然と僕らとをつなぐインタープリターだったのだ。不安に満ちた僕らの日々を照らす水先案内人だったのだ。
このことを語り出すときりがない。それに、そのことは過去にいやというほど語ってきた。
それにしても、秋という季節が常套句の「実りの季節」であることは疑いようのない事実だけれど、同時に「別れの季節」であることは、蓼科に移住するまでぼくも気づかなかった。秋は世代交代、種の継承を終えたいのちが去っていく季節でもあるのだ。
たくさんの死の上に、たくさんの新しいいのちが残されたのだ。それは植物でも動物でも変わりない。たとえば、木の葉一枚をひとつのいのちとして捉えるならば、良く理解できると想う。春から夏にはサワサワと風にそよいでいた木の葉も、いまではカラカラと鳴りながら、たとえ無風であってもハラハラと落ちてくるのだ。なんと太い木の枝さえ、そのようにして落ちるのだ!
役目を終えたものは次々と去っていく。残されたものはそのことを悼んでいる。それは自然界だって、人間界だってかわらない。生と死とはひとつのものなのだ。始まりがあれば終わりがあるのだ。そのことを、ぼくは素直に受け入れられるようになった。最愛のパルくんと、そして、この森に教えられたのだ。
☆たてしなラヂヲ☆
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