今日も内面的なことを書いてみようと思う。このブログのこと、そして僕の人生観(のようなもの)のこと。(現在の蓼科高原のようす前回の記事に詳しく載せてあるので、参照いただきたい。 )
■だけど、総体としては、人生を祝福しなければいけないよ。
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前回の記事のつづきを書く:
「コーリャ、君の人生は不幸になるだろう。だけど、総体としては、人生を祝福しなければいけないよ」 ... アリョーシャ・カラマーゾフ (ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」より)
学生時代、この作品に挫折した僕としてはこの言葉の正確な意味を論じる資格はないのかも知れない。しかし、人生経験として何かを語ることはできるのかも知れない。
幸福な人生と、人生を祝福することとはまったく異なると思う。どんなに不幸が重なろうと人生を祝福することのできるひとは存在するのだろう。それは畏敬に値する。まあ僕には無理だろうけれど。
それでもなんとなくわかるのだ。個人的には失敗ばかりと言ってもいいこれまでの人生だったけれど、僕はこのような僕の人生を祝福する、と言えるような気がする。間違っても他の人生と交換したいとは思わない、と。
ひとは自分の人生からは逃れることはできない。自分自身を捨ててまったく異なった自分になることなどできないのだ。どれほど逃走しようと、結局は自分というこの場所へと戻ってきてしまう。
もちろんアリョーシャの言っていることはもっと深いことなのだと思う。もっと深遠な真理を語っているのだと思う。それを知りたいと想う。だからいま読んでも苦痛かも知れないけれど「カラマーゾフの兄弟」を読み返してみようと思うのだ。
僕は宗教の語る神を信じてはいない。哲学的には神は死んだ。つまりデカルトのコギト以降、人間存在あるいは実存を語るのに神は必要なくなった。というか神や超越的存在への誘惑を排除しなければならない。
論理哲学的整合性を保つならば、神はこの世界に姿を現すことはない。同時にこの世界の外に神や超越者を措定することもできない。
しかしひとは哲学に生きているわけではない。僕は直感的には神を信じている。そういう意味において僕は信仰は持っているが信教は持っていない。
☆たてしなラヂヲ☆
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