« 5102 バラもレンゲツツジも満開 | メイン | 5104 だけど、総体としては、人生を祝福しなければいけないよ。 »

5103 祝福される人生

  
今日はふたたび内面的なことを書いてみようと思う。このブログのこと、そして僕の人生観(のようなもの)のこと。(現在の蓼科高原のようす前回の記事に詳しく載せてあるので、参照いただきたい。 )


■だけど、総体としては、人生を祝福しなければいけないよ。
 
 

  
 
一昨日の記事で「いのちと自殺」について書いた。意外な反響があったように感じる。それは潜在的なものだったからだ。永年ネットの中にいると,そうした波動のようなものを感じることができるようになる。単純にそんな気がするだけなのかも知れないけれど。
 
ブログのスタイルを変えること、あるいはスタンスを変えること、内容をシフトすることは、とても勇気のいることだ。古くからの読者を失うかも知れない、あるいは新しい読者を落胆させて失うことになるかも知れない。そういうことだ。
 
しかし、それは僕が書きたくもないことを書き続けることに比べれば些細なことでしかない。いったい誰が自分の意志に反した記事を書き続けて健全な精神状態を保つことができるだろう。
 
そもそも、このブログは異端なのだ。
 
なぜならば、このブログは僕が経営する蓼科高原ペンション・サンセットの「公式ブログ」なのだから。もっと当たり障りのない、というか「良識」あるいは「常識」の範囲内で、良い意味で「凡庸な話題」について書かれるべきなのかも知れないからだ。
 
観光情報を最近書くことが多くなった。これはいやいや書いているのではなく、僕の感動を実際にそれを目の当たりにして共有して欲しいからだ。もちろん、ペンション経営者としてのサービス精神と裏腹のビジネス上の意図もあることを自覚している。
 
基本的に僕はここで暮らしていければそれでしあわせなのだ。蓼科で後半生を生き抜き、そしてきわめて自然に命を終えるのが夢なのだ。
 
壮絶な闘いは前半生でおしまいにした。というか、そうせざるを得ないほどの痛手を負ったから,そうせざるを得なかったのだけれど。後悔はなく,むしろ希望に満ち、ささやかな夢が胸の奥にある。
 
僕はそのようなちっぽけな人間なのだ。別に卑下しているわけではなくて、そのことを知ってむしろ喜んですらいるのだ。自分は何かをなさなければならない、というくびきから解放されたのだ。
 
僕は何者でもなく、ごく普通の人なのだ。ただひたすら生きて、やがて死んでいくあたりまえの人生を送ることができれば、そのような自分の人生を祝福すべき人間なのだ。
 
僕はただここにいて、僕自身でありさえすればそれ以上は何も望まれない、僕も自分自身にそれ以上何も望まない。
 
 
「コーリャ、君の人生は不幸になるだろう。だけど、総体としては、人生を祝福しなければいけないよ」 ... アリョーシャ・カラマーゾフ (ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」より)
 
   
 
☆たてしなラヂヲ☆

 
 
※※※
 
 
Twitterがご縁でご宿泊いただくお客さまが増加中のような気がする昨今。
 
  
★ペンション・サンセットのTwitterアカウントはこちら。↓
 
http://twitter.com/pension_sunset
 
★ペンション・サンセットの耳寄り情報はこちら。↓
 
http://twitter.com/tateshinakohgen
 
 
※※※
 
  
●蓼科高原ペンション・サンセット

●蓼科高原ペンション・サンセット(楽天トラベル)
 
●ピラタス蓼科ロープウエイのホームページ
 
●バラクライングリッシュガーデン情報
 
●蓼科高原全体のホームページ
 
●蓼科の最新情報
 
●レンゲツツジ/ニッコウキスゲ群生地の車山・霧ヶ峰の情報
 
●霧ヶ峰自然保護センターのブログ
 
●八島が原湿原ビジターセンターのブログ

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.p-sunset.com/mt/mt-tb.cgi/1475

About

2010年06月23日 02:06に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「5102 バラもレンゲツツジも満開」です。

次の投稿は「5104 だけど、総体としては、人生を祝福しなければいけないよ。」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.
Powered by
Movable Type 3.35