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2009年03月 アーカイブ

2009年03月01日

4521 自我の希薄な日本人



全国的にそうだったようだけれど、異様に暖かい夜が明けて、異様に温かな一日になった。とても冬とは思えないような生暖かい風が吹き、舗装道路の雪が溶け出し、屋根の雪が落ちた。ゲレンデの雪も3月みたいに水気が出たと思うけれど、ゲレンデの積雪はそう簡単に溶けないから大丈夫。

今日のように生暖かな日には僕はスキーをやらない。基本的には氷点下でないといやなのだ。そうでないとスキーをしている感じがしない。僕にとってスキーは氷点下のスポーツなのだ。これは贅沢かな。でもそうなのだからしょうがない、と言うことで今日のスキーは中止した。時間がとれるときにはこんな感じでどうもうまくいかないものだ。

きょうはちょっと古い記事を引用します。

現在はどのように状況が変わっているのでしょうかね。


----- 日経BP(2006年2月14日号)からの引用(ここから) -----

■日本人にとってケータイは“自我の一部”

──正高教授は著書『ケータイを持ったサル』や『考えないヒト』などの中で、日
本ではIT社会の到来によって、様々な弊害が起きていると警鐘を鳴らされています。
なぜ、弊害が起きているのか、考えをお聞かせ下さい。

正高氏:私はIT社会を象徴する最たるものはケータイだと考えています。ケータイ
は一般的には、“コミュニケーション・ツール”だと認識されていますが、私は既
に、日本においてはコミュニケーションのためのツールではないととらえています。
今や日本人にとってケータイは“自我の一部”になってしまっているのです。

 日本では、四六時中、ケータイを使ってメールのやり取りをしている光景を至る
所で目にしますが、欧米ではそういったことはありません。なぜ日本ではそういっ
た現象が起こっているのか?理由は簡単です。我々、特にビジネスパーソンがモデ
ルにし、目指してきた欧米のIT社会における個人のあり方と、日本人の個人のあり
方が根本的に全く異なるからです。つまり、西洋の近代主義が確立した“個人”と
いうものが日本にはないのです。

 日本における個人とは、“周囲との人間関係も包含したもの”です。一方、欧米
の場合、「私は私、あなたはあなた」といったように、個人同士の間にある垣根が
しっかりとしていて、その個人と個人の間にあるものが“付き合い”であり、その
付き合いを円滑にするためのツールとして、ケータイやEメールを使っているので
す。

 しかし、日本のように、個人の垣根が低い国民性の中に、ケータイのようなもの
が入ってくると、元来“ツール”であるべきものが、“自我の一部”になってしま
い、今のような現象が起こるというわけです。換言すると、元々低かった個人の垣
根を超えるためのコミュニケーション・ツールとして、あまりにも日本人の国民性
にピッタリ合っていたことが、ケータイが急速に普及していった最大の要因だと私
は見ています。

----- 日経BP(2006年2月14日号)からの引用(ここまで) -----

まさにこれこそが僕が地域共同体における「公的自我」と呼んだものだ。本来人間として独立しているためには近代西洋において苦しみ抜いたあげくに確立された自我=「個としての自我」=「私的自我」が必要なのだ。僕がケータイに違和感を抱き続けてきた理由が見えてきた。

ケータイによって担保されているのは横並びの安心感だけであって、真のコミュニケーションはそこには存在しない。真の個人関係はそこには成立していない。弱々しい「個」が互いに浸潤しあうためのツールに過ぎない。互いの個を浸潤しあうことによってなにが得られなにが失われるのか、寡聞にして僕は知らない。

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☆たてしなラヂオ☆

2009年03月02日

4522 ブロガーのジレンマ






ブログ・ランキングってなんだろう

って

最近思うのねー

アフィリエイトとか

ブロガーとしてのランクアップを目指しているひとには

チャレンジする価値があると思うのだけれど

いざ参加してみると

ついついムキになってランクアップを目指してしまう

ラヂヲなのですねー

ランクアップは良いことだし

うれしいことだけれど

そのために

良い記事

というか

自分なりに納得のいく記事を書く

ということがおろそかになったり

時間が押して

内容が薄くなったり

生活自体が

ブログ書きに忙殺されてしまったり

っていうのは

どうも違うような気がする

むずかしい・・・・・・

(-_-)


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☆たてしなラヂオ☆

4523 スキー情報(03/02)






今日は朝から不思議なお天気です

晴れているなあと想っていたら

一瞬にして雪雲の中に入って

吹雪に変わります

しばらくすると

ちらちらと小雪が舞う状態にかわり

一瞬の晴れ間

そしてふたたび激しい雪

雲の流れに合わせて

猫の目のように変わるのです

まあ

時間とともに落ち着きを見せてきているので

もう少ししたらゲレンデに出ようと想っています

気温が下がっているので

雪質も2月初旬なみにもどって

気持ちよく滑ることができそうです


【ピラタス蓼科スノーリゾートの状況】


 情報更新  09/3/2
 現在の天候  雪/晴れ
 今日の予報  晴れ
 気温  -5℃
 積雪  110cm
 風向・風速  SW3m
 ロープウエイ  運行中
 クワットリフト  運行中
 トリプルリフト  .  ------


(上記の情報は(株)ピラタス蓼科スノーリゾート様の許諾を得て転載)


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☆たてしなラヂオ☆

2009年03月03日

4524 生と死と






ラウンジの

窓を開けると、

ウドデッキの

テーブルの上で

小鳥が

死んでいた。


様子から

それは

凍死

ではなく

ラウンジの

ガラスに激突して

落下したもののように

思われる。


シジュウカラらしい

その野鳥は、

生きているときの

はつらつとした様子は

(当然だけど)無く、

羽根の色も

妙に

黒々として見えた。


生き物の

死に

立ち会うのは

いつも

つらい

ことだけれど、

ここではそれは

日常的に

あることだ。


自然の中では

生も死も

あたりまえの

出来事として

そのまま

受け入れるほか

無い。


生に倦むことはなく、

死に慣れることもない。


それらは

常に

そのように

あり、

そのような

もの

として

受け入れられるべき

もの

だからだ。

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☆たてしなラヂオ☆

4525 スキー情報(03/03)



晴れればこんな穏やかなゲレンデなんですけどねー。今日は雪。
クリックで拡大します。(株)ピラタス蓼科ロープウエイ様の許諾を得て転載。


ピラタスのゲレンデはとてもいい感じです。

季節柄水気が多い雪になってきたので

そのぶん滑走性が良くなり

雪面も柔らかくなってきたからです

ゲレンデも温かだし・・・

(2月までに比べてということだけど)

ファミリー・スキーやレクリエーショナル・スキー

スキー検定や上級者の総仕上げには

最適の季節が3月です。

みなさまのお越しをお待ちしております。


★★★


【ピラタス蓼科スノーリゾートの状況】


 情報更新  09/3/3
 現在の天候  曇り
 今日の予報  雪
 気温  -2℃
 積雪  110cm
 風向・風速  SW3m
 ロープウエイ  運行中
 クワットリフト  運行中
 トリプルリフト  .  ------
 滑走可能領域  全面滑走可


(上記の情報は(株)ピラタス蓼科スノーリゾート様の許諾を得て転載)


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2009年03月04日

4526 小泉構造改革の本質



以下は2006年2月1日に僕が書いた記事です。

たまたま見つけて、自分でもちょっと驚いています。


★★★


『 小泉純一郎首相は1日午後の参院予算委員会で、小泉改革により社会で格差拡大が広がっているとの指摘が相次いでいることに対し、「わたしは格差が出ることは悪いこととは思っていない。今までは悪平等だという批判が多かった」と開き直った。
 首相はこれまで、小泉改革の成果を強調する一方、「日本社会に格差はない」と言い張ってきた。しかし、ライブドア事件を契機に、野党はもちろん、自民党内からも格差社会に対する懸念の声が噴出。小泉改革はもとより小泉内閣への支持率も急落しているだけに、「首相はこれまで同様に強気の姿勢に見せることで、支持率急落を防ごうと考えた」(自民党長老)とみられる。』(夕刊フジ、本日付記事)

いや?、市場原理主義者(ネオコン、新自由主義者)まるだしですね。ついに化けの皮がはがれたということです。小泉改革がじつは弱者や庶民のための改革ではなくて、勝ち組、奢る金持ちたちのための改革であったことが白日の下に明言されたわけですね。

凍死したホームレスを自己責任だといって笑っている新自由主義者と同類だったわけだ。こんなやつらに国民のなにがわかるというのだろう。そんな奴らがこの国を牛耳っているいまは暗黒時代と言って差し支えない。それでもわけがわからない「B層」の方たちは小泉支持に回るんだろうね、哀しいことだ。


(注)「B層」ってなに?>はてなダイアリー(B層)参照


★★★


ここから今日の記事の続きね:

いやーそれにしても、「小泉構造改革=郵政民営化」という「わかりやすい図式」で彼は自民党を大勝させたわけだけれど、それがまやかしであることにどうして気づかない人が多かったのだろうか。それとも気づかないふりをした?

それがラヂヲにはわからないのねー。

(@_@)


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2009年03月05日

4527 誰かさんの望み通りの世界へ



以下は2007年03月22日に僕が書いた記事です。

たまたま見つけて、自分でもちょっと驚いています。


★★★


この11年間ブログ書いてきて、なにを持ってしても伝えることの出来ないことがあるということを思い知った。

それは百万の言葉でも数千万の写真でも伝えることの出来ないものだ。いまここにあって、はじめて感じることの出来るもの、そういうものやことがあるのだ。

しかし人々はそのようなモノやコトをわかりやすく伝えることを求める。

ユビキタスだか情報革命だかなんだか知らないけど、そういうことを伝えることが可能なインフラと技術とが実現された時代になったのだと信じ込んでいる。

それは誤った認識であり、いわば都市伝説にも似た経済伝説あるいは粉飾された技術革新宣言にすぎない。

ケータイが我々の本質的ななにかを変えただろうか、イエス、なにかとても大きなものを変えてしまった。

インターネットが我々の本質的ななにかを変えただろうか、イエス、なにかを劇的に変化させてしまった。

それによってわれわれは幸福になっただろうか。

社会は啓発され安全で明るいものになっただろうか。

ノー、じつはその正反対のことが起きているように感じるのは間違った認識なのだろうか。


そのような情報革命によって情報過多社会になったために我々の情報処理能力は疲弊して、目は曇り理解力は鈍り、気づかないうちに既得権者がその特権と利益をますます増大させることを保証する社会になってしまった。

小泉政権から安倍政権へとひきつがれたこの流れは変わることなく続いている。

時代は逆行している、かつての資本家と労働者という昔懐かしい構図がいまの社会にもすっきりと当てはまるではないか。


これに対してアンチテーゼを示さなければならないのに、それがなされにくいのは、「情報化社会」あるいは「構造改革」という名の空虚なテーゼあるいはプロパガンダが浸透してしまったせいだ。

これらのお題目はそれに異を唱えるものを異端者として排斥するためのシステムとして「考案」されたものだったのだ。いまさら気づいても遅いかも知れない。


格差社会を目指すものがこの国を動かすシステムの中枢を占め、異を唱える大多数の領民(国民なんかじゃない、もはや)の声はかき消される。

ぼくは旧来よりノンポリティカルな人間だけれど、その僕でさえそんなふうに思わざるを得ない昨今だ。


北朝鮮やイラクやテロリストたちは、そのような画策から自国民の目をそらすための「悪役」を演じさせられているだけなのかも知れない。

こちら側の世界から観れば、確かにかれらは間違ったことを行っているのだから、それを改めさせることは必須なのかも知れない。

が、そのプロセスを自分の企図に利用している勢力の存在を僕は感じるのだ。

(蓼科高原日記より引用:公開日時: 2007年03月22日 17:59)

★★★


ここから今日の記事の続きね:

この記事のあと、現実の日本社会がどうなったかはいま目の前にある通りなのねー。

これを書いた当時はなんの反応もなかったのを良く覚えているけれど、どうしてだったんでしょうねー。

ラヂヲにはそれが不思議でならなかったです、はいー。


(@_@)


追記:

この記事は政治的発言ではないので「IT革命と思考停止」というタイトルがふさわしいかもしれない記事であることにいま気づきました。が、どちらも正しいタイトルだと思うのでこのままにしますね。

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2009年03月06日

4528 春の気配・パルの気配






午後9時頃には雲海の中に入ったらしく、

窓外は濃霧状態になってなにも見えなくなった。

スポットライトすらその光束は途切れてしまう。

雲の粒子がありとあらゆる光を吸収してしまうのだ。

残るのは純粋な闇だけだ。

しかし、それはそれでなかなか感動的な体験ではあるのだけれど。


いまはもう霧は晴れているが、

頭上には分厚い雲があり、

雲の上から照る月の光も淡いものになっている。

いつもどおりとても静かなピラタスの丘(の夜)だけれど、

その静寂の中にいのちの気配を感じるようになってきた。


もうすぐ春なのだ、

といっても都会のひとからみればあと2ヶ月近くは冬の気候が続く。

ピラタスの春は冬なのだ。

しかし、ここではここなりの春が確かにやってくる。

樹木の周囲の雪が丸く溶け、

木が水を吸い上げ始める。

それはまさに森の胎動だ。

小動物がまるで冬眠から醒めたみたいに活動量を増やす。


空の色が変わり、

雲のかたちが変わり、

陽射しのベクトルが変化し、

熱量が増す。


風のにおいが変わり、

音の伝わり方が変化して、

空気が柔らかくなってくる。

それを感じる度に

ぼくは冬景色の中に新緑の春の森の幻を見る。

つがいの時期を迎えていのちを謳歌する

野鳥たちの大合唱を聴いたような気がする。


今夜も

パルの犬舎のすぐ前を

野生のキツネ(通称コンちゃん)が通って、

パル君がスクランブルをかけた。

もし彼が繋がれてなかったら、

コンちゃんはとんでもない災難に見舞われたことだろう。

しかしコンちゃんもパルが繋がれていることを知っているので、

こうしてすぐ近くまでやってくるらしい。


悪意は感じられない、

むしろ

パルに対して親密な感情を抱いているようにさえ見える。

シベリアンハスキーは

そんな野生のにおいを持った

数少ない犬種なのかも知れない。


スクランブルをかけるときでも

パルは一切ほえたり声を立てたりしない。

無駄吠えもしないし、

他の犬に吠えかけられても

吠え返さないで無視する。

そして、

自分の気配を消すのがとても上手だ。

そんなパルを僕らは「ステルス犬」と呼んでいる。

ほんとうに

いるのかいないのか忘れてしまうほど

静かなのだ。

そして天然で、

楽天家で、

とってもお茶目なのだ。


そんなパルをぼくらはこよなく愛していた。

そんなパルも昨年の12月23日に14年余の生涯を終えた。

パルがいないことに僕らは未だになじめない。

おそらく永遠になじむことはないだろう。

いまもパルの穏やかで温かな気配を感じ続けながら