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2009年02月 アーカイブ

2009年02月01日

4478 風立ちぬ(ふたたび)






高橋真唯(たかはしまい)のファンになってしまった。

「妄想姉妹?文學という名のもとに」(日テレ系)を観て

あっというまもなく魅入られてしまった。


とても作りの丁寧な映像作品で(そう、ドラマというよりは作品だ)

堀辰雄の原作を見事に妄想的に(?)映像化していて

その世界にあっては彼女のほかにヒロインの「節子」を演じられる者は

いないかのように感じられた。


青空文庫で

あらためて堀辰雄の「風立ちぬ」を読み返してみた

おおお、なかなかいい作品じゃん!


これまで何度か読んだことがあるけれど

そのたびに

ああ、このひとはやはり「詩人」であって

小説家としては力不足だなあなどと

うそぶいていたのだけれど

ここに描かれている「世界」という観点で

読み返してみると

評価は俄然変わってくるのだった。


村上春樹の「ノルウェイの森」・・・

この作品はもう人に言うのが恥ずかしくなるほど

繰り返し読み返しているのだけれど

京都の山奥のあの療養施設の「直子」の世界を

彷彿とさせるではないか。


もし「ノルウェイの森」が映画化されるとしたら

高橋真唯(たかはしまい)は「直子」を演じることができる

数少ない女優ではないかと思う。


風立ちぬ、いざ生きめやも

ポール・ヴァレリーの詩の一節を、ふと思い浮かべる。

この一節は上記の堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭で

引用されています。

わたしはその小説を通じて高原というものと、

その季節感を知ったのでした。

それでもなお、

わたしと高原とは百万キロの距離を隔てていたのでしたが。

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☆たてしなラヂオ☆


4479 ハイシーズン






(写真クリックで拡大)


たしかに今この冬は積雪量が少ないように感じますが

ゲレンデに関して言えば

決して少なくはないと思います。

雪質もかなりいいです。

そして・・・

「ひょうたんコース」が滑走可能になりました!

ピラタス蓼科スノーリゾートは

これで全コースが100%滑走可能となりました!

今日からいよいよ2月ですが

日差しはどんどん温かくなってきています。

気温はほどよく低いので

雪は降ったときのままのパウダースノーです。

個人的にはシーズン中盤と言ったところですが

スキー、スノーボードのハイシーズンに突入です。

(^^)


■ ピラタス蓼科スノーリゾート

 情報更新  09/2/1
 現在の天候  晴れ/曇
 今日の予報  曇/晴れ
 気温  -7℃
 積雪  110cm
 滑走可否  全面可
 ロープウエイ  運行中
 クワッドリフト  運行中
 トリプルリフト  運行中
 滑走可能領域  .  全面滑走可


(上記情報は許諾を得て公式HPより転載しています)


★★★


ピラタス蓼科スノーリゾートは最高のコンディションですよ!

ご宿泊は、あの「楽天トラベル」のお客様アンケートで5つ星の最高点を獲得した優良ペンション、蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットを是非ご利用くださいね!

皆様のお越しをお待ちしております。(^^)

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2009年02月02日

4480 僕のスキー日記(02/02)






今日のピラタス蓼科スノーリゾートの風景。コンディションは最高!

(写真クリックで拡大)


お天気もいいし

風もなくて

しかも

日差しも温かいから

さあて

スキーに行こうか

思ったのだけれど

あああ・・・

今日は雪かきだった!

きのうはかちかちになっていて

おまけにやたら重たい状態だったので

順延していたのだった

すっかり忘れていたぁー


ということで

しっかりと雪かきを終わらせましたよ

終わる頃には

スキー場の営業終了時間になっていた


お粗末様でした、ははは・・・

明日は絶対に滑りまくるぞ!


(^^)


■ ピラタス蓼科スノーリゾート

 情報更新  09/2/2
 現在の天候  晴れ
 今日の予報  晴れ
 気温  -6℃
 積雪  110cm
 滑走可否  全面可
 ロープウエイ  運行中
 クワッドリフト  運行中
 トリプルリフト  ------
 滑走可能領域  .  全面滑走可


(上記情報と今日の写真は許諾を得て公式HPより転載しています)


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2009年02月03日

4481 生きる(1)

数年前に

『じっさい、人生なんて意味無いですから、少なくとも本人にとっては。』

と書いたら、意外な反響をいただきました。

「意外」という意味は、

好意的な感想が多かったということですが、

「反感」を抱いた方は

たぶん

紳士的にあえて何もおっしゃらなかったのだと理解しています。

「同意できない」とお感じになった方々に補足説明をする必要があると思います。

僕の言わんとしたことは(それなりに)ご理解いただけるように・・・。


要するに

「人生の意味というものはきわめて個人的なものだ」

ということです。


ぼくが「意義」という言葉ではなく

「意味」という言葉を使っていることに注目して下さい。


ことばを変えるならば、

きわめて個人的問題としての「人生」に対して

当事者が「根元的な意味」を見いだせるかどうか、

あるいは

「どのような意味」を与えうるのかということは、

やはりきわめて個人的な問題なのだ、

ということです。


「そもそも人生には意味なんて無いのだ」

というのもひとつの立場です。

それに耐えて生きてゆくというのも

また

「茨の道(いばらのみち)」

だと思いますから、

間違っても

ぼくは「それは違う!」

なんてことは言えない。


そもそもぼくは「この立場」なのですから、

なおさらね。


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4481b 生きる(2)

自分の人生に明確な目標や使命や確固たる意味を見いだせたひとは幸運です。

その僥倖(ぎょうこう)をどうか大切になさって下さい。

しかし他の(たぶん)大多数のひとは

人生の意味を求めて

苦しい日々を送っているのだと思います。


その苦痛の原因は

「人生に意味を見いだせないでいるのは自分だけなのではないか」

という誤謬(ごびゅう)です。


そうじゃないんだ、

それがふつうなんだよ、

みんなそうなんだよ、

きっと。


人生に意味なんか無くてもいいじゃないか。

いま

あなたは

ここに存在して、

確かに生きているのだから。


あなたがここにあるというだけで、

どれほど多くのひとが

あなたに想いをはせていることか、

あなたはきっと気づいていない。


「必要のない人間」なんていないのだ。


それでも

あなたは

絶望にうちひしがれ

自らいのちを断とうとするかも知れない。


僕らにそれを止めることはできない、

それはあなただけに許された選択だから。

あなたの人生はやはりあなた自身のものだから。


でも知っておいて欲しい、

ひとは原初より『意味』を携えて生まれてくるわけではない。

人生の意味は自ら見いだすべきものである。

そして

もし『意味』を見いだせなかったとしても、

それはあなた自身にとってのことであって、

この世界や周囲の人々にとっては

あなたは充分以上に意味のある存在なのだ

かけがえのない存在なのだ

ということを。


人生なんて森を吹き抜ける風のようなものだ。

どんなに幸福でも

どんなに苦しくても

それは

永遠に続くものではない。


そして「死」は突然やってくる。


あなたの「この世界」は

そのようにして

終末を迎える。


それは「終わり」かもしれないし

「始まり」かもしれない。

だれにもわからない。


しかし

あなたを思うひとのこころのなかで

あなたは永遠に生き続ける。


生きることの意味は

永遠の謎に終わるかもしれない

しかし

あなたが生きたことの価値は

誰にも書き換えることの出来ない事実として

この世界にはっきりと記憶されるのだ。

堀辰雄にならって

ポール・ヴァレリーの詩からから引用して終わろう。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」

"Le vent se l?ve, il faut tenter de vivre."

(風が起きた、生きてみなければならない)

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☆たてしなラヂオ☆

4482 夜明けのドゥルーズ=ガタリ






ラヂヲのペンションの目の前にそびえ立つ蓼科山(標高2530m)!

(写真クリックで拡大)


きのう

「明日こそ絶対に滑るぞ!」

と心に決めていたのに

今日も滑ることが出来ませんでした


仕事をしているうちに興(きょう)が乗って

ついつい徹夜になってしまったのでした

そんなコンディションでは本気で滑ることは出来ないから

あきらめました


夜明けに聴いた

カラヤン指揮・ベルリンフィルの演奏する

グスタフ・マーラーの交響曲第5番は最高でしたねー


ジル・ドゥルーズ フェリックス・ガタリの・・・

いわゆる「ドゥルーズ=ガタリ」の

「哲学とはなにか」もまた

夜明けに読むととても気分がいい


わたしって

変でしょうか?

(笑)

(^^)


■ ピラタス蓼科スノーリゾート

 情報更新  09/2/3
 現在の天候  晴れ
 今日の予報  晴れ→雪
 気温  -3℃
 積雪  110cm
 滑走可否  全面可
 ロープウエイ  運行中
 クワッドリフト  運行中
 トリプルリフト  ------
 滑走可能領域  .  全面滑走可


(上記情報と今日の写真は許諾を得て公式HPより転載しています)


★★★


ピラタス蓼科スノーリゾートは最高のコンディションですよ!

ご宿泊は、あの「楽天トラベル」のお客様アンケートで5つ星の最高点を獲得した優良ペンション、蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットを是非ご利用くださいね!

皆様のお越しをお待ちしております。(^^)

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●ペンション・サンセット

●蓼科高原日記

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2009年02月04日

4483 男の愛と女の愛とは違う

以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。

とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。

☆☆☆

2003.01.13(月)----天気:晴れ 気温 = 最低 -8度/ 最高 0度

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み終えた。初版本がでてすぐ読んだから初めて読んだのは1985年6月、いまから18年ほど前のことになる。僕が高校生なら「一生」分の歳月が流れたことになる。当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたがまだ33歳のばりばりの電通マンだった。

その後も何度か読返そうと思ったけれどその度に、なぜか途中で投げ出してしまった。初回はかなり興味深く読むことができたのだけれど、2回目以降はなんだか「つまらなく」感じられてしまったのだ。しかし、いま村上作品を読み解く鍵のほとんどすべてがこの作品で語られているような印象を抱いている。

「ノルウェイの森」にある種の男性のセンシティヴな人生観のほぼすべてが書かれているように、この作品には村上春樹そのひとの「自伝的」ともいえる人生との向き合い方が描かれているように感じる。そのような感想を持ったのは今回が初めてのことだ。初めてとはいっても最初から最後まで一気に読み通したのはこれが2回目なのだけれど。

そのように共鳴できたのは僕の年齢的なものなのかも知れないし、あるいは僕の現在置かれた状況的なものが作用しているのかも知れない。いずれにしても僕のこころが強く魅かれたのは作品に登場する女性たちの存在だ。他の作品でもそうなのだけれど。

彼女達のような女性は現実には存在しないだろう、たぶん。生身の女性はあのような存在ではあり得ないから、本人を含めて誰がどのようにありたいと望もうとも。そうした意味において、彼女達は男性が(勝手に)思い描く「憧憬」なのかもしれない。女性に疎い(うとい)僕にはわからない。

それはさておきひとつの発見があった。それは「こころ」は「感情」やその最高(?)の形態である「愛情」の「いれもの」ではない、という事実だ。したがって「愛」はあっても「こころ」が無い、という状況がありうるということ。これは男性から見れば女性のある種理解不能な「愛」の観念あるいは感覚を読み解く鍵になるのかも知れない。

女性のことは男性の僕にはわからないけれど、男性としては「愛」とは「愛で充満したこころ」そのものであって、自分の全存在をかけた「行為」であるのかもしれない。女性は愛の証として「愛」そのものを差し出すが、男性は愛の証として自分の「こころ」と「肉体」そして自分が手に入れたすべての地位や名誉や富を差し出さずにはいられない。しかし、これは取引としては割に合わない。

かくして男性と女性とは決定的に異なった「愛」をかわしているのだと思う。言うなればお互いの「ニーズ」が異なっているのだ。それはそれで美しいし、素晴らしい体験なのだから、それでいいと思う。ただ、おたがい(だからって)文句は言うなよ!

ひとのこころの儚さ弱さを知れば「永遠の愛」なんていうものは「言葉のあや」にすぎないことを認めざるを得ない。「愛」は至高の存在ではない。それはメタファーであり便宜的な「価値づけ」である。至高なのはひとの「こころ」の存在なのではないか。こころが無くても愛は息づくことができるが、それは「愛」と名付けられた「こころの影」でしかない。

本来的な意味では愛とは「こころの共鳴」であり「こころの連帯」である。もしそうであるならば互いに勇気づけあい癒しあうことができるかも知れない。

その観点からすると、いまのぼくは誰にも愛されていないし誰かを愛してもいない。とても哀しことだけれど。愛するためには膨大な生命力が必要だからだ。いまの僕にそんなパワーはもはや残っていない。誰にも助けを求めることかなわず、誰にも癒されることかなわず、死してなおだれ一人涙を流し「鎮魂」を願うもの無し。

(つづく)


☆たてしなラヂヲ☆


4484 思念の津波

(承前)

以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。

とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。

☆☆☆

2003.01.14(火)----晴れのち雪 気温 = 最低 -8度/ 最高 -5度

『村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み終えた。初版本がでてすぐ読んだから初めて読んだのは1985年6月、いまから18年ほど前のことになる。僕が高校生なら「一生」分の歳月が流れたことになる。当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたがまだ33歳のばりばりの電通マンだった。』

と、私は昨日書いた。あえて自分の前職を具体的に記したのにはそれなりの意味がある。それは私がどれだけ「特異な世界」に身を置いていたかを表現する他の方法が見当たらなかったからだ。奇妙に歪んだその世界はそれなりに自己完結しており、どれだけ「それはおかしい!」とさけんでみたところで微動だにしないある種の価値観が完ぺきに支配し機能していた。

いうなれば、どこがおかしいのかわからないほどそれはおかしな世界だったのだ。あまりに特異すぎて誰もその特異性に気づかないほどだった。しかしあるとき私はその特異性に気づいてしまったのだ、決定的に。善いとか悪いとか、そういう問題ではなく、それは決定的に特異な世界だった。しかしそのことが「本当の私」に出会う旅への出発点となったのは実に皮肉なことだった。

『当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたが』というのはそういう背景があってのことだ。それまですっかり馴染んであたり前だった世界が、私の認識が180度変わったためになんとも歪んだ居心地の悪い邪気に満ちた世界へと一変してしまったのだから『変調』をきたしてもむべなるかなである。私は見てはいけない「ゲームの裏側」を見てしまったのだ。

まあこんなことは社会に出ればいずれ誰でも経験することといってしまえばそれまでだが、私の場合はいささか事情が込み入っていたためにいろんな自己矛盾がいっきに落とし前をつけにかかってきたのだった。それはまるで「思念の津波」のようであった。

なんて書き始めるとあたかも小説の冒頭のようではあるけれど、私には小説は書けないし書けたとしても書くつもりは無い、残念ながら。いま書けばやはり多様な自己弁護と筋違いの非難が顔を出してしまうに決まっているから。私がいまここにあることに私は満足している