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2009年02月 アーカイブ

2009年02月01日

4478 風立ちぬ(ふたたび)






高橋真唯(たかはしまい)のファンになってしまった。

「妄想姉妹?文學という名のもとに」(日テレ系)を観て

あっというまもなく魅入られてしまった。


とても作りの丁寧な映像作品で(そう、ドラマというよりは作品だ)

堀辰雄の原作を見事に妄想的に(?)映像化していて

その世界にあっては彼女のほかにヒロインの「節子」を演じられる者は

いないかのように感じられた。


青空文庫で

あらためて堀辰雄の「風立ちぬ」を読み返してみた

おおお、なかなかいい作品じゃん!


これまで何度か読んだことがあるけれど

そのたびに

ああ、このひとはやはり「詩人」であって

小説家としては力不足だなあなどと

うそぶいていたのだけれど

ここに描かれている「世界」という観点で

読み返してみると

評価は俄然変わってくるのだった。


村上春樹の「ノルウェイの森」・・・

この作品はもう人に言うのが恥ずかしくなるほど

繰り返し読み返しているのだけれど

京都の山奥のあの療養施設の「直子」の世界を

彷彿とさせるではないか。


もし「ノルウェイの森」が映画化されるとしたら

高橋真唯(たかはしまい)は「直子」を演じることができる

数少ない女優ではないかと思う。


風立ちぬ、いざ生きめやも

ポール・ヴァレリーの詩の一節を、ふと思い浮かべる。

この一節は上記の堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭で

引用されています。

わたしはその小説を通じて高原というものと、

その季節感を知ったのでした。

それでもなお、

わたしと高原とは百万キロの距離を隔てていたのでしたが。

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●ペンション・サンセット

●蓼科高原日記


☆たてしなラヂオ☆


4479 ハイシーズン






(写真クリックで拡大)


たしかに今この冬は積雪量が少ないように感じますが

ゲレンデに関して言えば

決して少なくはないと思います。

雪質もかなりいいです。

そして・・・

「ひょうたんコース」が滑走可能になりました!

ピラタス蓼科スノーリゾートは

これで全コースが100%滑走可能となりました!

今日からいよいよ2月ですが

日差しはどんどん温かくなってきています。

気温はほどよく低いので

雪は降ったときのままのパウダースノーです。

個人的にはシーズン中盤と言ったところですが

スキー、スノーボードのハイシーズンに突入です。

(^^)


■ ピラタス蓼科スノーリゾート

 情報更新  09/2/1
 現在の天候  晴れ/曇
 今日の予報  曇/晴れ
 気温  -7℃
 積雪  110cm
 滑走可否  全面可
 ロープウエイ  運行中
 クワッドリフト  運行中
 トリプルリフト  運行中
 滑走可能領域  .  全面滑走可


(上記情報は許諾を得て公式HPより転載しています)


★★★


ピラタス蓼科スノーリゾートは最高のコンディションですよ!

ご宿泊は、あの「楽天トラベル」のお客様アンケートで5つ星の最高点を獲得した優良ペンション、蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットを是非ご利用くださいね!

皆様のお越しをお待ちしております。(^^)

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●ペンション・サンセット

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☆たてしなラヂオ☆

2009年02月02日

4480 僕のスキー日記(02/02)






今日のピラタス蓼科スノーリゾートの風景。コンディションは最高!

(写真クリックで拡大)


お天気もいいし

風もなくて

しかも

日差しも温かいから

さあて

スキーに行こうか

思ったのだけれど

あああ・・・

今日は雪かきだった!

きのうはかちかちになっていて

おまけにやたら重たい状態だったので

順延していたのだった

すっかり忘れていたぁー


ということで

しっかりと雪かきを終わらせましたよ

終わる頃には

スキー場の営業終了時間になっていた


お粗末様でした、ははは・・・

明日は絶対に滑りまくるぞ!


(^^)


■ ピラタス蓼科スノーリゾート

 情報更新  09/2/2
 現在の天候  晴れ
 今日の予報  晴れ
 気温  -6℃
 積雪  110cm
 滑走可否  全面可
 ロープウエイ  運行中
 クワッドリフト  運行中
 トリプルリフト  ------
 滑走可能領域  .  全面滑走可


(上記情報と今日の写真は許諾を得て公式HPより転載しています)


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☆たてしなラヂオ☆

2009年02月03日

4481 生きる(1)

数年前に

『じっさい、人生なんて意味無いですから、少なくとも本人にとっては。』

と書いたら、意外な反響をいただきました。

「意外」という意味は、

好意的な感想が多かったということですが、

「反感」を抱いた方は

たぶん

紳士的にあえて何もおっしゃらなかったのだと理解しています。

「同意できない」とお感じになった方々に補足説明をする必要があると思います。

僕の言わんとしたことは(それなりに)ご理解いただけるように・・・。


要するに

「人生の意味というものはきわめて個人的なものだ」

ということです。


ぼくが「意義」という言葉ではなく

「意味」という言葉を使っていることに注目して下さい。


ことばを変えるならば、

きわめて個人的問題としての「人生」に対して

当事者が「根元的な意味」を見いだせるかどうか、

あるいは

「どのような意味」を与えうるのかということは、

やはりきわめて個人的な問題なのだ、

ということです。


「そもそも人生には意味なんて無いのだ」

というのもひとつの立場です。

それに耐えて生きてゆくというのも

また

「茨の道(いばらのみち)」

だと思いますから、

間違っても

ぼくは「それは違う!」

なんてことは言えない。


そもそもぼくは「この立場」なのですから、

なおさらね。


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☆たてしなラヂオ☆

4481b 生きる(2)

自分の人生に明確な目標や使命や確固たる意味を見いだせたひとは幸運です。

その僥倖(ぎょうこう)をどうか大切になさって下さい。

しかし他の(たぶん)大多数のひとは

人生の意味を求めて

苦しい日々を送っているのだと思います。


その苦痛の原因は

「人生に意味を見いだせないでいるのは自分だけなのではないか」

という誤謬(ごびゅう)です。


そうじゃないんだ、

それがふつうなんだよ、

みんなそうなんだよ、

きっと。


人生に意味なんか無くてもいいじゃないか。

いま

あなたは

ここに存在して、

確かに生きているのだから。


あなたがここにあるというだけで、

どれほど多くのひとが

あなたに想いをはせていることか、

あなたはきっと気づいていない。


「必要のない人間」なんていないのだ。


それでも

あなたは

絶望にうちひしがれ

自らいのちを断とうとするかも知れない。


僕らにそれを止めることはできない、

それはあなただけに許された選択だから。

あなたの人生はやはりあなた自身のものだから。


でも知っておいて欲しい、

ひとは原初より『意味』を携えて生まれてくるわけではない。

人生の意味は自ら見いだすべきものである。

そして

もし『意味』を見いだせなかったとしても、

それはあなた自身にとってのことであって、

この世界や周囲の人々にとっては

あなたは充分以上に意味のある存在なのだ

かけがえのない存在なのだ

ということを。


人生なんて森を吹き抜ける風のようなものだ。

どんなに幸福でも

どんなに苦しくても

それは

永遠に続くものではない。


そして「死」は突然やってくる。


あなたの「この世界」は

そのようにして

終末を迎える。


それは「終わり」かもしれないし

「始まり」かもしれない。

だれにもわからない。


しかし

あなたを思うひとのこころのなかで

あなたは永遠に生き続ける。


生きることの意味は

永遠の謎に終わるかもしれない

しかし

あなたが生きたことの価値は

誰にも書き換えることの出来ない事実として

この世界にはっきりと記憶されるのだ。

堀辰雄にならって

ポール・ヴァレリーの詩からから引用して終わろう。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」

"Le vent se l?ve, il faut tenter de vivre."

(風が起きた、生きてみなければならない)

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●蓼科高原日記

☆たてしなラヂオ☆

4482 夜明けのドゥルーズ=ガタリ






ラヂヲのペンションの目の前にそびえ立つ蓼科山(標高2530m)!

(写真クリックで拡大)


きのう

「明日こそ絶対に滑るぞ!」

と心に決めていたのに

今日も滑ることが出来ませんでした


仕事をしているうちに興(きょう)が乗って

ついつい徹夜になってしまったのでした

そんなコンディションでは本気で滑ることは出来ないから

あきらめました


夜明けに聴いた

カラヤン指揮・ベルリンフィルの演奏する

グスタフ・マーラーの交響曲第5番は最高でしたねー


ジル・ドゥルーズ フェリックス・ガタリの・・・

いわゆる「ドゥルーズ=ガタリ」の

「哲学とはなにか」もまた

夜明けに読むととても気分がいい


わたしって

変でしょうか?

(笑)

(^^)


■ ピラタス蓼科スノーリゾート

 情報更新  09/2/3
 現在の天候  晴れ
 今日の予報  晴れ→雪
 気温  -3℃
 積雪  110cm
 滑走可否  全面可
 ロープウエイ  運行中
 クワッドリフト  運行中
 トリプルリフト  ------
 滑走可能領域  .  全面滑走可


(上記情報と今日の写真は許諾を得て公式HPより転載しています)


★★★


ピラタス蓼科スノーリゾートは最高のコンディションですよ!

ご宿泊は、あの「楽天トラベル」のお客様アンケートで5つ星の最高点を獲得した優良ペンション、蓼科高原ピラタスの丘ペンション・サンセットを是非ご利用くださいね!

皆様のお越しをお待ちしております。(^^)

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☆たてしなラヂオ☆

2009年02月04日

4483 男の愛と女の愛とは違う

以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。

とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。

☆☆☆

2003.01.13(月)----天気:晴れ 気温 = 最低 -8度/ 最高 0度

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み終えた。初版本がでてすぐ読んだから初めて読んだのは1985年6月、いまから18年ほど前のことになる。僕が高校生なら「一生」分の歳月が流れたことになる。当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたがまだ33歳のばりばりの電通マンだった。

その後も何度か読返そうと思ったけれどその度に、なぜか途中で投げ出してしまった。初回はかなり興味深く読むことができたのだけれど、2回目以降はなんだか「つまらなく」感じられてしまったのだ。しかし、いま村上作品を読み解く鍵のほとんどすべてがこの作品で語られているような印象を抱いている。

「ノルウェイの森」にある種の男性のセンシティヴな人生観のほぼすべてが書かれているように、この作品には村上春樹そのひとの「自伝的」ともいえる人生との向き合い方が描かれているように感じる。そのような感想を持ったのは今回が初めてのことだ。初めてとはいっても最初から最後まで一気に読み通したのはこれが2回目なのだけれど。

そのように共鳴できたのは僕の年齢的なものなのかも知れないし、あるいは僕の現在置かれた状況的なものが作用しているのかも知れない。いずれにしても僕のこころが強く魅かれたのは作品に登場する女性たちの存在だ。他の作品でもそうなのだけれど。

彼女達のような女性は現実には存在しないだろう、たぶん。生身の女性はあのような存在ではあり得ないから、本人を含めて誰がどのようにありたいと望もうとも。そうした意味において、彼女達は男性が(勝手に)思い描く「憧憬」なのかもしれない。女性に疎い(うとい)僕にはわからない。

それはさておきひとつの発見があった。それは「こころ」は「感情」やその最高(?)の形態である「愛情」の「いれもの」ではない、という事実だ。したがって「愛」はあっても「こころ」が無い、という状況がありうるということ。これは男性から見れば女性のある種理解不能な「愛」の観念あるいは感覚を読み解く鍵になるのかも知れない。

女性のことは男性の僕にはわからないけれど、男性としては「愛」とは「愛で充満したこころ」そのものであって、自分の全存在をかけた「行為」であるのかもしれない。女性は愛の証として「愛」そのものを差し出すが、男性は愛の証として自分の「こころ」と「肉体」そして自分が手に入れたすべての地位や名誉や富を差し出さずにはいられない。しかし、これは取引としては割に合わない。

かくして男性と女性とは決定的に異なった「愛」をかわしているのだと思う。言うなればお互いの「ニーズ」が異なっているのだ。それはそれで美しいし、素晴らしい体験なのだから、それでいいと思う。ただ、おたがい(だからって)文句は言うなよ!

ひとのこころの儚さ弱さを知れば「永遠の愛」なんていうものは「言葉のあや」にすぎないことを認めざるを得ない。「愛」は至高の存在ではない。それはメタファーであり便宜的な「価値づけ」である。至高なのはひとの「こころ」の存在なのではないか。こころが無くても愛は息づくことができるが、それは「愛」と名付けられた「こころの影」でしかない。

本来的な意味では愛とは「こころの共鳴」であり「こころの連帯」である。もしそうであるならば互いに勇気づけあい癒しあうことができるかも知れない。

その観点からすると、いまのぼくは誰にも愛されていないし誰かを愛してもいない。とても哀しことだけれど。愛するためには膨大な生命力が必要だからだ。いまの僕にそんなパワーはもはや残っていない。誰にも助けを求めることかなわず、誰にも癒されることかなわず、死してなおだれ一人涙を流し「鎮魂」を願うもの無し。

(つづく)


☆たてしなラヂヲ☆


4484 思念の津波

(承前)

以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。

とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。

☆☆☆

2003.01.14(火)----晴れのち雪 気温 = 最低 -8度/ 最高 -5度

『村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み終えた。初版本がでてすぐ読んだから初めて読んだのは1985年6月、いまから18年ほど前のことになる。僕が高校生なら「一生」分の歳月が流れたことになる。当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたがまだ33歳のばりばりの電通マンだった。』

と、私は昨日書いた。あえて自分の前職を具体的に記したのにはそれなりの意味がある。それは私がどれだけ「特異な世界」に身を置いていたかを表現する他の方法が見当たらなかったからだ。奇妙に歪んだその世界はそれなりに自己完結しており、どれだけ「それはおかしい!」とさけんでみたところで微動だにしないある種の価値観が完ぺきに支配し機能していた。

いうなれば、どこがおかしいのかわからないほどそれはおかしな世界だったのだ。あまりに特異すぎて誰もその特異性に気づかないほどだった。しかしあるとき私はその特異性に気づいてしまったのだ、決定的に。善いとか悪いとか、そういう問題ではなく、それは決定的に特異な世界だった。しかしそのことが「本当の私」に出会う旅への出発点となったのは実に皮肉なことだった。

『当時僕はそろそろ変調が出始めてはいたが』というのはそういう背景があってのことだ。それまですっかり馴染んであたり前だった世界が、私の認識が180度変わったためになんとも歪んだ居心地の悪い邪気に満ちた世界へと一変してしまったのだから『変調』をきたしてもむべなるかなである。私は見てはいけない「ゲームの裏側」を見てしまったのだ。

まあこんなことは社会に出ればいずれ誰でも経験することといってしまえばそれまでだが、私の場合はいささか事情が込み入っていたためにいろんな自己矛盾がいっきに落とし前をつけにかかってきたのだった。それはまるで「思念の津波」のようであった。

なんて書き始めるとあたかも小説の冒頭のようではあるけれど、私には小説は書けないし書けたとしても書くつもりは無い、残念ながら。いま書けばやはり多様な自己弁護と筋違いの非難が顔を出してしまうに決まっているから。私がいまここにあることに私は満足しているし、掛け値なしに一切後悔していない。しかしそのことと過去を語ることとはまた別の話だ。

何で急にこんな話をしたくなったのかよくわからないが、おそらく私は自分の人生を「検証」してみたいのではないかと思う。次の人生へのステップとしてあるいはいつか必ずやってくる「死」へのブリッジとして。


(つづく)


☆たてしなラヂヲ☆


2009年02月05日

4485 いまそこに在る事実を認める


(承前)

以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。

とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。

☆☆☆

2003.01.15(水)----雪のち晴れ 気温 = 最低 -15度/ 最高 -7度

『私がいまここにあることに私は満足しているし、掛け値なしに一切後悔していない。しかしそのことと過去を語ることとはまた別の話だ。』

と、私は昨日書いた。年を経るごとに過去を思い起こしたり語ることが多くなったのは、私が明らかに「人生のピーク」とでも呼ぶべき地点をすでに通過してしまった事実を物語っている。それは自然なことだし、逃れようの無いことであると思う。

私は人生の頂点を過ぎて久しく、すでに「老い」の段階に入っている。それは気持ちの問題ではなく、しごく単純明快な「事実」である。そうであるならば、そのように生きるしかないではないか。いまの自分に出来ることを行い、できないことはできないと認める他ない。でないと何も始まらないし、一歩たりとも前に進むことができない。

いまそこに在る事実を認めることから始めなければならない。たとえそれが自分にとって堪え難いものであったとしても。あるいは「かつての自分」からすれば信じられないほど無力な自分をそこに見いださざるを得ないとしても。

旅人が来し方の事物を語るのと同じように、人生のピークを過ぎて「夕暮れ」に向かう人間はあたりまえのように「過去」を語ることになる。それは(くりかえしになるが)自然なことなのだ。これから起こるであろうことよりも、過去に遭遇し通過してきた経験のほうが圧倒的に多いのだから。そしてはるか未来を語るにはすでに人生は短い。だからお若い方々はどうかそのことに寛容であって欲しいと願う。

というようなことをいうと、「まるで70代の男性の語ること」のようだと思うかも知れない。自分でもそう感じないでもない。50歳なんてまだまだ若い、ヒヨッコだという世界もあるだろうから。しかし、年齢というものは極めて「個人的」なものなのだ。実年齢はその人間の通過してきた(単なる)時間で測られるべきではなく、その密度と消費したエネルギーの乗数で語られるべきだ。

だから私は単に齢を重ねただけの老人をイノセントに尊敬したり信じたりできない。ある意味において年齢は関係ないのだ。そうした意味において、ただ歳をとっているというだけで「敬愛し尊敬しなければならない」という社会的通念には無理がある。どのような年齢の人間にも「素晴らしい人間」から「どうしようもないろくでなし」までじつに多様な人間が存在するのだから。

ただひとついえるのは、彼らがその年齢まで生き抜いてきたという一点だけには無条件に相当の敬意を払うべきである。人生、単純に日々生き続けるということだけでもじつに大変なことなのだから。人間性はまた別次元の話だけれど。

私の人生は残り数秒からじつに数十年という可能性の中にある。何れにせよはっきりしているのは、私が確実に「中年」と呼ばれる世代から「老人」と呼ばれる世代へと向かって進み続けていて、その事実はいかんともしがたいということだ。それは受け入れなくてはならない、事実として。

17歳の私は50歳の私を想像することすらできなかった。それはまるで20世紀にあって30世紀の世界を想像するよりも困難なことだった。50歳の自分を想像することは永遠を思うのと等しい行為だった。しかし、ひとは確実に歳をとり確実に50歳になるのだ、この私が証明しているように。

(つづく)


☆たてしなラヂヲ☆


2009年02月06日

4486 「空(くう)」とか「カオス」とか


(承前)

以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。

とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。

☆☆☆

2003.01.16(木)----晴れ 気温 = 最低 -15度/ 最高 -4度

『17歳の私は50歳の私を想像することすらできなかった。それはまるで20世紀にあって30世紀の世界を想像するよりも困難なことだった。50歳の自分を想像することは永遠を思うのと等しい行為だった。しかし、ひとは確実に歳をとり確実に50歳になるのだ、この私が証明しているように。』

それは百億光年離れた恒星のほのかな光を求めて夜空を見上げるような気分だった。しかしいままさに私はその場所に立っているのだ。なんということだろう。しかし明確に実感できるのは「こころに年齢は無い」ということだ。私のこころは時に15歳の少年であり、時に24歳の青年であり、そして時に50歳の初老の男性である。

もっと大切なことを書いておかなければならない。それは「私はうそつきだ」ということである。これは「日記」ではあるけれど、決してプライベートな日記ではない。私小説的な文章ですらないのだ。これは「公開を前提に描かれた自画像」とでもいうべきフィクションである。ほら、よくある「これは事実をもとに構成されたフィクションです。」というやつなのだ。

ひとは理解されたいと切望するものだけれど、誤った理解をされるよりはむしろ全く誤解されるか全く理解されないほうがましだと私は考えるものである。

さて、こころは歳を取らないという話だ。私はこの世に生をうけてからこれまでのすべての瞬間のこころを50歳のこころに内包して生きている。目を閉じれば自分の中にある広大な薄明の世界を感じることができる。それは私にとっての「この世界」である。そこでは愛する者たちが息づく私のコアとでも呼ぶべき部分が本来の姿で存在している「私の世界」である。

私の肉体が生命を失って滅び消え去っても私のこの世界は存在し続ける、たぶん。「私の『この世界』」はわれわれが「現実」と呼ぶ世界に属さないからだ。それをひとは「永遠」と呼ぶべきなのだろうか。

私という存在が消え去ってもすべてが失われるわけではない。私は無に帰すが、「無」は「非存在」ではない。「無」は存在する。あるいは「存在される」。「無」は「存在」の対立概念ではない。私は無の彼方へ没するのではなく「空(くう)」のなかに含まれる。空(くう)とは存在の充満する無である。ドゥルーズ=ガタリならこれを「カオス(混沌)」と呼ぶかもしれない。しかしそれは秩序ある創造的・知性的カオスなのだ。いずれにしても「私のこの世界」はそのような空(くう)に永遠に同化する。

まあ、空(くう)というのは実際にそれらしきものを体験してみないことには理解不能だとは思うけれど、体験的には(般若心経にもあるとおり)「なんにもないけれどすべてがある、存在で充満した空っぽの世界」だ。これは論理的には全く理解不能なひとつの事実だ。やはり自分で実際に体験するほかないのだろう。

(つづく)


☆たてしなラヂヲ☆


2009年02月07日

4487 魂の共感


(承前)

以下は観ての通りだいぶ昔の「蓼科高原日記」の記事である。

とても長い文章なので、携帯からアクセスしている方は覚悟していただくか読むことを断念した方がいいかもしれない。

☆☆☆

2003.01.17(金)----晴れのち曇り 気温 = 最低 -13度/ 最高 1度

『 ひとは理解されたいと切望するものだけれど、誤った理解をされるよりはむしろ全く誤解されるか全く理解されないほうがましだと私は考えるものである。』

と私は書いたけれど、実際に私はそのように考えている。そりゃあわかってもらえれば本当に嬉しいけれど、わかってもらえないならばそれはそれでしょうがないや、と思っている。だから私はよくひとに誤解され、時に嫌われるのだと思う。しかし、それが私なのだ。

正確に言えば私が求めるものは「理解」ではなく、「魂の共感」とでもいうべきものなのかもしれない。それは努力してどうにかなるものではないし、説得できるものでも無い。それでも起こる時はじつにあっけなく簡単に「魂の共鳴現象」は生じるものなのだ。

たしかに人間はひとりで生きてゆくことはできない。それは事実だ。しかし、同時に、しょせん人間はひとりなのだ。誕生が主体的なものであるならば、生まれる時もひとりそして死ぬ時もひとり。最後にはやはり自分自身で自分の人生と折り合いを付け決着を見なければならないのだと思っている。

1月の厳冬期の夜、空には満月を過ぎたばかりの大きな光の球が煌々と輝いている。分厚く積雪した森からはなんの音も聞こえてこない。静寂があたりを支配している。まるで私の知らないうちに世界が終わってしまったかのように。


(おわり)


☆たてしなラヂヲ☆


2009年02月08日

4488 常識とか



(補足)


たしかに人間はひとりで生きてゆくことはできない。それは事実だ。しかし、同時に、しょせん人間はひとりなのだ。


と私は書いたけれど、

実際に私はそのように考えている。


しかし

この一覧の記事は

そのことを伝えたくて

書かれたものではない


むしろ、

だからこそ

ひとのぬくもりが必要なのだ


生き抜くためには「愛」が必要なのだ

ぼくらには・・・

そのことを言いたかったのかもしれない。


しかしその一方で

どうにも理解され得ない世界観というものを持つ人間が

同じこの世界には存在するのだと言うことを伝えたかった。


それが本質的に「犯罪的観念」あるいは「狂気」でない限りにおいては

そのような世界を生きざるを得ない人間にも

他と同様の敬意が払われるべきだ。


世の常識などというものは

「歌は世につれ、世は歌につれ」

みたいなものなのだ。


「歌」を「ひと」に読み替えてみてほしい。

ことかように

一夜にして世界はころっと違う方向に走り出す。


極端なことを言えば

100万人には100万通りの常識が存在するのだ

たぶん。


その最大公約数が実際的な「常識」として規範化される


それは必要なことだ

まちがっていない

しかし

その規範から少しでも外れたものを

闇雲に排除するのは間違ったことだと思う


とか・・・


そんなことを言いたかったような気もする


☆たてしなラヂヲ☆


4489 僕のスキー日記(02/08)






今日のピラタス蓼科スノーリゾートの風景。コンディションは最高!

(写真クリックで拡大)

ゲレンデの雪は平年以上にありますが、降雪回数はいつもより少ないです。しかし、雪質は近年まれなほどよくて滑っていて快感です!(^^)

2月にはいって【厳冬期】も終わり、日差しはどんどん温かくなってきているので、ゲレンデはとても快適です。ファミリースキーやリクリエーションとしてのスキーには絶好の季節を迎えました。

3月に入るとさすがに2000mに近いこの標高でも雪は水気が多くなってきますから、2月がもっともバランスが良くて快適なシーズンかもしれません。個人的にはもっと寒い12月から1月が大好きなのですが。


(^^)


■ ピラタス蓼科スノーリゾート

 情報更新  09/2/8
 現在の天候  雪
 今日の予報  晴
 気温  -5℃
 積雪  110cm
 滑走可否  全面可
 ロープウエイ  運行中
 クワッドリフト  運行中
 トリプルリフト  運行中
 滑走可能領域  .  全面滑走可

(上記情報と今日の写真は許諾を得て公式HPより転載しています)


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☆たてしなラヂオ☆

2009年02月09日

4490 夢の中から責任は始まる






今日のピラタス蓼科スノーリゾートの風景。コンディションは最高!

(写真クリックで拡大)

村上春樹の「海辺のカフカ」を読み返していたらこんな一節に目がとまった。

『すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェエーツが書いている。In dreams begin the responsibilitiesーーーまさにそのとおり。逆に言えば、想像力のないところに責任は生じないのかも知れない。このアイヒマンの例に見られるように。』

アイヒマンは徹頭徹尾「実務家」であった。ユダヤ人の組織的虐殺遂行に当たっても、その罪を裁く裁判においても。彼は自分に与えられた職務を忠実に遂行しただけなのになぜ自分がこのように責められ罰せられなければならないのか、最後までわからなかったのかも知れない。彼には「想像力」が致命的に欠落していたのだ。

現代日本の(全部とは言わないが)銀行や官僚や政治家にはこのアイヒマンに勝るとも劣らぬ『想像力の欠如』を感じさせられる。

彼らがそのように行動してなお無責任きわまりないのは、『想像力のないところに責任は生じない』からだ。

彼らは夢を見ることもないのだろう・・・『夢の中から責任は始まる』のだから。


(^^)

☆☆☆


■ ピラタス蓼科スノーリゾート

 情報更新  09/2/9
 現在の天候  晴れ
 今日の予報  晴→雪
 気温  -6℃
 積雪  110cm
 滑走可否  全面可
 ロープウエイ  運行中
 クワッドリフト  運行中
 トリプルリフト  ――
 滑走可能領域  .  全面滑走可


(上記情報と今日の写真は許諾を得て公式HPより転載しています)


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2009年02月10日

4491幸福とは寓話(ぐうわ)であり、不幸とは物語である。






昨日のピラタス蓼科スノーリゾート滑走中のワンショット!

(写真クリックで拡大)


『幸福とは寓話(ぐうわ)であり、不幸とは物語である。』(トルストイ)

さて、私いま不幸なのかも知れない。個人的には壮大とも言える物語の主人公だ。『脱サラ』をして『夢をかなえて』ペンションオーナーとなった幸福。しかしこれは寓話である。

夢の中から責任は生じる。そして、夢がかなったところから現実が始まる。ペンションオーナーであることのリアリティと、サラリーマンであることのリアリティとの間にはなんの違いもない。リアリティはリアリティだ。生きるということの現実は、それ以上でもそれ以下でもない。

約束された幸福とは未来に向けての投影である限りにおいて幸福と言いうるのであって、いま幸福と感じているならばそれはすでに終わってしまった過ぎ去った幸福である。私はいま、すでに終わってしまった『古い夢』の中にいる。

私が決定的に間違っていたのは、自分の考える『理想のペンション』を目指したことだ。いまはそのことが身に染みてよくわかる。この時代はあるいはこの世界は本来的に、「それがどのようにあるか」という本質よりも「それがどのように見えるか」ということによって評価されるのだった。

適度のショウアップと嘘にならない程度のサクセスストーリーが必要なのだ。ここでは「誠実であること」「正直であること」はむしろ顧客ニーズに相反する要素となる。これは時代性なのだろうか、それとも本来世界はそのように成り立っているのだろうか。

『万物はメタファーである』とゲーテは言った。私もメタファーとしての「理想のペンション」「夢のような山暮らし」を構築すべきなのかも知れない。なぜならそれは虚偽ではなく、紛れもない真実の一断面であることは確かだからだ。

この日記で最近私は舞台裏のことばかり書きすぎたようだ。ショウビジネスの舞台裏はそれがリアルすぎると興ざめするものだ。そうだ、ペンションはショウビジネスと似ているところがある。

『ペンションとは理想的人生の寓話であり、同時に成功の物語でなければならない。』

私はそのことを忘れかけていたようである。

私は成功しなければならない。そして優雅に成功し続けなければならない。

時代の移ろいに不用意に惑わされずに、ペンション・サンセットはその本来あった姿へと急激に回帰してゆきます。お客様にとって『ステキな』『心地よい』『夢のような』高原の宿へと。いまがそうじゃない、ということではないのだけれど、私なりに明瞭な理念を持ってそのように再構築したいと思っています。


(^^)

☆☆☆


■ ピラタス蓼科スノーリゾート

 情報更新  09/2/10
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(上記情報は許諾を得て公式HPより転載しています)


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2009年02月11日

4492 Mac Pro MA970J/A



6年ぶりにMacを買い換えた

知っているひとは知っていると想うけれど、今のMacはWindowsマシンと同じIntel(インテル)によるアーキテクチャーに変わっている。だからCore 2 DuoとかXeon 5400 Quadなどの最新のプロセッサーを積んでいる。

だから想像通りWindowsを走らせることもできるようになっている。それが今回の買い換えの直接的な動機だった。

最初は2007年発売のMac Pro (Xeon 5100 Duo x 2 搭載)の中古を狙っていて、ようやく出物があってネットで注文した直後に、Appleの整備済みMac(アウトレット)の販売リストをチェックしてみたらなんと2008年発売の現行機種が載っているではないか。

これは数分で売れてしまうこともあるので、慌てて速攻で「ポチッとな」をしてしまった。(ほとんど衝動買いね)

先に注文をかけたお店にはお詫びとキャンセルのメールと電話をして礼を尽くしたしだい。

製品ラインの中ではもっとも廉価なスペックのマシンだけれど、それでも Xeon 5400 Quad x 1 のスペックは僕の使い方では必要充分だ。標準でXeon 5400 Quad x 2 の8コアのワークステーションだもの。そりゃー予算が許せば最高スペックのMacを購入するというのが長く使うための鉄則なのだけどね?。

今回は大人の判断で予算内におさめたというわけ。

これまで6年使ってきた Power Mac G5 もけっこう高値で買い取りに出せそうだし(Mac OS X のもとで、エミュレーションでMac OS 9 を動かせる最後のマシンだから)、まあ妥当な予算内に収まって、めでたしめでたし。

Windows起動での使い心地はまた後日ご報告ということで、きょうはここまでねー。(^^)

まあ、今現在は、切替機でワンセットのキーボードとマウスとモニターをMacとWindowsの2台のマシンで共用しているので、たまに自分が Mac OS X 10.5.7 (Leopard) を使っているのか Windows Vista Ultimate SP1 を使っているのかわからなくなってしまう。それほど両者はよく似てきているのだ。

ま、それは歓迎だけどね。


(^^)

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4493 僕のスキー日記(02/11)






ロープウエイから観た「ひょうたんコース」最大斜度34℃なんですが、幅がないぼこぼこの難コースなので上級者限定です。(02/11)

(写真クリックで拡大)


『純粋な現在とは、未来を喰らっていく過去の捉えがたい進行である。実を言えば、あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ。』(アンリ・ベルグソン著「物質と記憶」より)

あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ。・・・うーん、先に言われてしまった。まさにその通りだと思う。

今日は家の中から外を見ている限り何だか暖かそうな日だったのだけれど、実際はかなり寒かった。午後には一時本格的に雪が舞ったし、宵からは本格的な雪になったし。いずれにしても、きょうは意を決してゲレンデに出たのだけれど、仕事が長引いてしまって午後3時頃になってようやく滑り出した次第。

今シーズンの僕は5年のブランクを経た腰痛持ちのスキーヤーだけれど、きょうのゲレンデコンディションはとても素晴らしいものになっていた。こちら方面のスキー場は原則的に固く圧雪したハードパックと呼ばれるゲレンデだと経験的にそう思っておられる方が多いことと思うのだけれど、ここ数年は様相が異なっていいます。パフパフのパウダーコンディションの柔らかなゲレンデになっていることのほうが多いのです。

ちょうどいま、そのようなゲレンデになっているところです。陽射しもしだいに春めいてきており、気持ちの良い休日をお過ごし頂けると思います。今週末も今年は3連休にはならなかったので、ご宿泊予約状況から見ても、昨年までのような混雑はまず無いと思われます。安心してお越しください。

バレンタインデーだしね!(^^)

▼バレンタインデー限定プランはこちら▼
http://sunset.rwiths.net/r-withs/tfi0010a.do


(^^)

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2009年02月12日

4494 今週末は「バレンタインデー・スキー」






ピラタス蓼科スノーリゾートの「テクニカルバーン」頂上から観た南アルプスの山並み。(02/11)

(写真クリックで拡大)


かつてマーシャル・マクルーハンはTVによって地球はひとつの村になると予言した。しかしその予言に最も近い様相をもたらしたのはインターネットなのかもしれない。このホームページを立ち上げてすでに13年を経過しようとしている現在、当初の熱気とは裏腹に「それはやはり違うのではないか」と感じ始めている。

「情報の伝達と交換」という事実と、「コミュニケーション」という行為とは微妙にそして決定的に異なるのではないか。そんなふうに感じている、それもとても強く。

インターネットという未来的な衣装をまとったシステムによって私たちは本当にコミュニケートしているのだろうか。私にはどうもそのようには思えない。それはなぜなのだろう。

私たちの心は抽象やメタファーを通じてふれあうようにはできていないのかも知れない。100万文字の電子メールより、ひとつのまなざし、そっと肩に手を触れる行為のほうが勝(まさ)っているのではないか。「手紙(もちろん手書きの)」のメタファーとしての電子メールはやはり「手紙」ではないのかもしれない。それはあくまでも実体のない手紙(のようなもの)でしかないのかも知れない。

私は何もかもがデータとして扱われる「洗練された(とされる)社会」を「進化した社会」と感じることができないでいる。そのような社会では私たちは上田秋成の『雨月物語』にあるような「物」として振る舞うようになってゆくのかもしれない。

『我(われ)今仮に化(かたち)をあらはして語るといへども、神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば人と異なる慮(こころ)あり。』『我(われ)もと神にあらず仏にあらず、只(ただ)これ非情なり。非情の物として人の善悪を糺(ただ)し、それにしたがういはれなし。』

(「いま私は仮に人間のかたちをしてここに現れて語ってはいるが、神でもなく仏でもない。もともと感情のないものであるから、人間とは違う心の動きを持っている。」「神でも仏でもなく、ただ感情を持たないものである。だから人間の善悪を判断する必要もないし、人間の善悪の基準に従って行動を律するいわれもない。」)

それもまた『進化』と呼ばれるべきことなのだろうか。


☆☆☆


ピラタス蓼科スノーリゾートは2月らしい温かな日差しのゲレンデになっています。陽射しもしだいに春めいてきており、気持ちの良い休日をお過ごし頂けると思います。ファミリーで楽しむにも最適かと思います。今週末も今年は3連休にはならなかったので、ご宿泊予約状況から見ても、昨年までのような混雑はまず無いと思われます。安心してお越しください。

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2009年02月13日

4495 スキーの効用






ピラタス蓼科スノーリゾートの「テクニカルバーン」頂上から観たゴール地点。(02/11)

(写真クリックで拡大)

このバーンはねじれと起伏がほんの100mほどの急斜面にてんこ盛りでかなりのくせ者です。特に今年はわざとそれを誇張する作りになっています。とてもおもしろいのですが写真の通り下のスペースがあまりないのでその圧迫感が大きな特徴ですねー。中級者以上向きですから、初心者や昔取った杵柄(きねづか)組のひとはいきなり飛び込まないようにしましょう。

さて、きょうは蓼科でも九州地方同様に「春一番」とみられる風が吹きました。結構強い風でしたが、ピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデではさほど感じなかったのは風向きと周囲の森の位置関係によるものかもしれません。

週末は祝日にはかなりたくさんのお客様で賑わって、とても明るく楽しい府に気になっています。それでもリフト待ちは最大でも5分ほどですし、ロープウエイは混んでいるときには10分間隔で動きますから、長時間待つことはありません。なにしろ100人乗りですから。

スノーシューイングを楽しむお客様も2月には言ってぐっと増えて、スキー場のレンタルでスノーシューを借りてロープウエイで上に上がって平坦なコースで歩行と景色を楽しんだあと、スキー場沿いの下山ルートを下るというのが超おすすめです。これは一度やるとかなりはまりますよー!

僕はロープウエイの山頂駅をスタートして山麓駅まで徒歩だと1時間のところを、スキーでは約6分ほどで降りてきます。GS用の板で直滑降です。かなりきつい筋トレになりますから、ダイエット効果が出てきています。

スキーは全身運動で、特にこういう長いコースを繰り返し滑ると有酸素のインターバル・トレーニングにもなるし、ここは高所トレーニングに適した低酸素(20%から30%空気が薄い)ということで、とってもヘルシー(?)です。(笑)

心身のリフレッシュにはこういう大自然の中で雪遊びするのがベストだというのは、もとサラリーマンとしての僕の個人的確信です。みなさまも是非お試しくださいな。(^^)

☆☆☆


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2009年02月14日

4496 非情の物



それでなくても出口の無いデフレ不況なのに、米国発の金融危機や北朝鮮の恫喝外交、政局にうつつを抜かす政府と国会、とこれでもかこれでもかと世情不安をあおり立てるような出来事ばかりが起こります。世情不安になるとのんびり旅行でもしようかなんて気分になかなかなれなくなってくるのかもしれない。

で、近場のテーマパークあたりで強制的に「思考停止」をはかりたくなるのも無理は無いと思います。明日に期待できない世の中ならばいまを楽しむ。あとさき考えても意味がない。僕も同じ気分です。そりゃあ僕なりの個人的な展望や抱負や希望はあるけれどそんなものはこの「現実」とやらのまえにあっという間にどこかに吹っ飛ばされてしまう。

いつもだったら「励まし」の1行で締めくくるところだけれど、いまは僕のほうが誰かに励ましてもらいたいくらいだから、白々しくて「励まし」なんて書けない。あしからず。

このブログの(最近の)のサブタイトルにもあるように、僕だっていつも歌っている("Now He Sings,")わけではないのだ。ときにはむせび泣く("Now He Sobs.")ことだってある。こんなことならばこころなんてものは捨ててしまいたいと思うことだってある。

『我(われ)今仮に化(かたち)をあらはして語るといへども、神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば人と異なる慮(こころ)あり。』『我(われ)もと神にあらず仏にあらず、只(ただ)これ非情なり。非情の物として人の善悪を糺(ただ)し、それにしたがういはれなし。』(上田秋成・「雨月物語」)

(「いま私は仮に人間のかたちをしてここに現れて語ってはいるが、神でもなく仏でもない。もともと感情のないものであるから、人間とは違う心の動きを持っている。」「神でも仏でもなく、ただ感情を持たないものである。だから人間の善悪を判断する必要もないし、人間の善悪の基準に従って行動を律するいわれもない。」)

こころが無いにもかかわらず、情(こころ)があるように振舞うことが現代社会において成功する人物の条件である。こころ無い非情の時代には、テネシー・ウイリアムズの言うところのこころの無い「うつろな人間」がふさわしい。僕は完ぺきにOUT OF DATEだ。

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☆たてしなラヂオ☆

4497 僕の3つのブログについて



ブログを3つ書くようになってから7ヶ月半たったのですが、当初書き分けていたコンテンツも共通するものが多くならざるを得なくなってきました。

そもそも無理を承知で始めたことなので、まあ当然の毛結果なのですけれど。

それでも「蓼科高原日記」と「たてしなクロニクル」はその方向性が異なるものになるよう工夫しています。具体的には「たてしなクロニクル」はより広範なカテゴリーをカバーするようにしています。

今後は「蓼科高原日記」では、かつてそうであったように、心象風景を語ることが多くなるかも知れません。

「たてしなクロニクル」では、それに加えて雑多な記事(エントリー)を書いていきたいと考えています。また、クロニクルの方では、まだ載せていない、「蓼科高原日記の過去(1997年からの)記事」も紹介していきたいと想っています。

楽天ブログの「TATESHINA DIARY」は「蓼科高原日記(TATESHINA DIARY)」と改題して、「蓼科高原日記」のレプリカとします。これは楽天トラベルからは楽天ブログにしかリンクが張れないという制約があるために開設したブログだからです。

いろいろと迷走するかも知れませんが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。


☆たてしなラヂヲ☆

2009年02月15日

4498 僕の新しいMacについて



Macを買い換えてから約1週間かな。

マシンのケース自体はこれまで使っていたPower Mac G5とまったく外見が同じなので、よく観ないと買い換えたことすらわからないです。奥様の目を盗んで買い換えるならおすすめですよMac Proは・・・。

早速セットアップしたのだけれど、箱を開けてワンタッチでケースを開けて500GBのハードディスクを3大増設して500GB×4=2TBにして、メモリを4GB増設して合計6GBにしてホームネットワークに接続するまでものの20分ほどでした。

相変わらず手際の良いマシンというかOSというか、改めて感心しました。(O_o)WAO!!!

初めて起動してみたMac OS X 10.5(Leopard)のデスクトップはなんだかWindows Vistaみたい、というのが第一印象。操作感もなんだかすごく似ている。どっちがどっちを真似したなんて?ことではなくて、ある種の必然性から両者は似てきたのだと想いますねー。

?PC切替機を使ってワンセットのモニタとキーボード&マウスでMac ProとDELL XPS 420(Windows Vista Ultimate)を切り替えて使っているのですが、たまに今どっちを使っているのかわかんなくなっちゃうほどです。キーボード・ショートカットを間違えて、はっと気がつくってことが多いです。

おまけにMacのほうにはMac OS X 10.5のほかに、AppleのBootCampを利用してWindows XPを入れてネイティブに起動して使っているのでさらにややこしくなっているわけですが、慣れてしまえばとっても便利です。

レーザー複合機とインクジェットプリンタはネットワーク接続なのでどのマシン、どのOSからも使えるし、データもNAS(ネットワーク上のハードディスクのことね)に必ず最新のコピーを載せるようにしているので共有も簡単です。

その分セキュリティーにはかなり神経を使っていますが、小規模なローカル・ネットワークなので外部からの侵入経路として想定できるポイントはよくわかっているので・・・。

さて、このエントリー(記事)はパソコンに興味のないひとには「ものすごーくつまんない」ものだと想いますが、そうでもないひともけっこうたくさんいらっしゃるので、こんなこともたまには書かせて下さいね。(^_-)

よろしくお願いします。


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4499 異様な陽気



おはようございます。

きのう、きょうとものすごく温かいですね。

平年より10℃以上も気温が高いです。

スキー場のゲレンデの雪は全く解けないでいるので大丈夫ですけど、

ペンション・サンセットの周りの雪はずんずん解けて

まるで4月中旬みたいな風景です。

道路もほぼ95%乾燥路面になっていますが

気温が下がればアイスバーンになるので

くれぐれも普通タイヤだけで大丈夫なんだもんねー

なんていう冒険はなさらないでくださいね!

今週も雪の予報が出ているので

また冬景色に変わると思うのですが

この週末に関しては異様な陽気ですねー

全国的なものらしいですが・・・。


(^_^;)


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2009年02月16日

4500 ゲレンデはグッドコンディション



ここ数日(異様に)温かな日が続きましたが、みなさまは体調を崩したりしていませんか?

蓼科高原、北八ヶ岳でも、僕が住んでいるピラタスの丘でも同じような気候になっています。

・・・ってことで、僕はいささか不調になっています。そりゃあ氷点下20℃があたりまえの季節に急にプラス10℃なんていう4月中旬みたいな気候になってしまったのだからしょうがないのかもしれませんね。

それだけではなくて、買い物のために標高差1000mある山麓の街に降りると気圧が10%も違うので気温差とともに身体に負担になるのは事実のようです。

平野部より気圧が20%低いところで暮らしていると、いろんなことがあります。毎日が「高所トレーニングみたいなものですから・・・。(要するに空気が20%薄いということですから)

明日からふたたび本来の冬の気候に戻るそうなので、僕だけでなくみなさまもくれぐれも薄着になりすぎないように気をつけないと行けないですね。薄着のほうが身軽でいいんですけどねー。

それはさておき、ゲレンデの雪はこんな陽気にもほとんど影響を受けていません。今年の雪は特に結晶がしっかりしたパウダースノーがずっしり積もっているので、雨が降ろうと陽射しが強かろうと、結晶が崩れないので、冷え込めばもとどおりになってしまうのです。

ということで、いつもどおりの2月のコンディションでスキー、スノーボードが楽しめますので、ご心配なく。

この冬目立つのは、登山道の積雪がいつになく少ないことからこの季節にスノーシューを利用しての山歩きのお客様が大変多いということでしょうか。スキー場で廉価にスノーシューをレンタルできるのも理由のひとつかも知れません。

スノーシューでの山歩きは一度やったらやみつきですよー。(^_-)b


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4500 海辺のカフカ



村上春樹の「海辺のカフカ」を読み返してみて改めて感じたのだけれど、テーマは「こころ」なのだという気がする。感情の動き、つまり「感情がある」ということと、「こころがある(こころを持っている)」ということとは根本的に異なるのだということをぼくはこの作品を通じて知った。恥ずかしいけれど、生まれて初めてこの両者の違いを確認した。

そして読み解く鍵は「万物はメタファーである」というゲーテの言葉、そして「フランツ・カフカ」。

主人公の15歳の「田村カフカ」にとって「佐伯さん」はメタファー(あるいは反証のある仮説)としての「生みの母」であり、「さくら」はメタファー(あるいは反証のある仮説)としての「義理の姉」であるのかもしれない。そして「大島さん」はこの不思議な物語の全体構造を体現するメタファーであるようにぼくには感じられた。いうまでもなくこの作品の底流をなす骨格はギリシャ悲劇である。

そしてメタファーとしての「入り口の石」を通じて、さらに奥深い部分で「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で語られた「世界の終わり」の街と繋(つな)がっている。底知れぬ存在の重さを持った太古の森の奥深く・・・「入り口の石」が開いているときにだけ出入りすることができる街・・・そこに登場するのは間違いなく「あの街(世界の終わり)」だ。

だから再読するに当たってぼくは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を精読した。ぼくは1979年以来の村上春樹ファンというか「熱烈的読者」なのだけれど、最近になってようやく彼の作品に含まれる様々な仕掛けを「構造的」に理解できるようになってきた。村上作品は普通に通読してもこの上なく魅力的な作品ばかりだけれど、その構造なりキーワードをバックグラウンドにまでさかのぼって考察することにより本来の奥深い世界をかいま見ることができるのかも知れない。

それにしても、今回再読してもっとも強く印象に残ったのは「雨月物語」から引用された次の一節だった。昨日も引用したしそれ以前にも書いたけれど、あえて再度記したい。(現代語訳は僕のつたない解釈です。この引用に触発されて読破しました。)

『我(われ)今仮に化(かたち)をあらはして語るといへども、神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば人と異なる慮(こころ)あり。』『我(われ)もと神にあらず仏にあらず、只(ただ)これ非情なり。非情の物として人の善悪を糺(ただ)し、それにしたがういはれなし。』(上田秋成・「雨月物語」)

(「いま私は仮に人間のかたちをしてここに現れて語ってはいるが、神でもなく仏でもない。もともと感情のないものであるから、人間とは違うこころの動きを持っている。」「神でも仏でもなく、ただ感情を持たないものである。だから人間の善悪を判断する必要もないし、人間の善悪の基準に従って行動を律するいわれもない。」)

この語りはまるで僕自身のことのように感じられる。あるいは以前書いたように、自分がそれとは対極におかれているようにも感じる。それは交流電流のようにめまぐるしく極性を逆転していったいどちらが現実なのか(真実なのか)わからない。ぼくにはもとより「感情」はあるのだろうか、人間としての「こころ」はあるのだろうか。

「現実」とよばれるこの世界にどうにもしっくりと馴染めない自分をなんとかここまで操ってきたけれど、長い間それをやっているとほとほと疲れ果ててしまう。村上春樹氏はぼくより3歳年長だけれど、彼はどのように思考しどのように「自分のダンス」のステップを踏み続けることができたのだろう。ぼくはもううまく踊ることができなくなってきているというのに。

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2009年02月17日

4501 フランツ・カフカ



予報通り「寒の戻り」がありました。昨夜半から降り始めた雪によって、再び一面の雪景色に戻りました。自然の力という物は実に偉大ですね。いとも簡単にこういうことをやってくれます。

氷点下10℃以下までぐっと冷え込んだのですが、これでもまだまだ以前より温かな2月なのです。それでも、そのおかげで、積雪は水気が飛んで結晶が復活し、ゲレンデは最高のパウダーコンディションに戻りました、たぶん。よかったよかった。(^^)

じつにひさしぶりにフランツ・カフカの「変身」を読み返しています。息子から借りた文庫本なのですが、当時と同じ翻訳ながら、きめ細かく文章が推敲・改訂されていてずいぶん読みやすくなった印象を受けます。当時はただ気持ち悪い(キモイ?)だけでしたが、いま読むと良く理解できる作品です。引き続き「城」や「審判」などを読みたいですね。

村上春樹の「海辺のカフカ」を理解したいなら、当然ながら、読んでおくべきフランツ・カフカの作品の筆頭なのかもしれません。

村上作品は、作中に登場する歴史的人物、場所、音楽、文学作品、哲学者、映画、芸術作品などなど、挙げだしたらきりはないのだけれど、それらを一つ一つ自分の五感でしっかりと確認することが作品を読み解く鍵になっている希有な作品群だと思います。

だから、僕はそのようにしながら読み返しているわけです。

少しずつ自分の視野を広げ感性を磨きつつ・・・。


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4502 僕のジャズ



今日息子から"Harbie Hancock"の3枚目のリーダー・アルバム"Maiden Voyage"(処女航海)をプレゼントされました。ちょっと早いお誕生日プレゼントだそうです。このアルバムは僕が大学生時代にアルバイトして「自分で購入した」初めてのジャズ・レコードなのです。1965年に録音されたものですが、僕が手に入れたのは1970年のことでした。ちなみに僕が初めて手にしたジャズ・レコードは伯父からもらった"MJQ(Modern Jazz Qualtet"の名作"Vandome"でした。いまでもそれらは3,500枚にのぼるジャズ・レコード・コレクションの1枚として所有してはいるのですが、LPレコードゆえになかなか聴く機会が無かったのです。で、今回CDをプレゼントしてくれたわけです。

"Harbie Hancock"はスタンダード・ナンバー「ウォーターメロンマン(スイカ売り)」の作曲者として同名のジャズアルバムで一世を風靡したジャズ・ピアニストです。"Maiden Voyage"を世に出した頃は黄金の"Miles Davis Quintet"の新進気鋭の若きピアニストでした。ベースが"Ron Carter"そしてドラムスが"Anthony Williams(Tony Williams)"というこのリズムセクションはいまとなってはまさに夢のようなパーソネルです。サックスが"George Coleman"そしてトランペットが"Freddie Hubbard"というジャズ・ファンなら背筋がぞくぞくするようなアルバムになっています。(要するに当時の"Miles Davis Quintet"のトランペットが入れ替わっているだけというものすごいパーソネル!)

この音楽にぼくがどれほどの衝撃を受けたかを語ることはほとんど不可能なほどです。それはビートルズの「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」あるいはクリームの「フレッシュ・クリーム」を聴いた時と同じかそれ以上のショックでした。「あたまをガツンと一発」といった感じでしたね。

若い頃から音楽に親しみ一時はミュージシャンを目指して幅広い音楽をむさぼるように聞き込んでいなかったなら、村上春樹作品に対する僕の感覚もいまとはかなり変わっていたというか、ほとんど理解できなかったかもしれません。少なくとも音楽が人生の一部を成していないひとには理解が困難かもしれないですね。

20年来の友人ウォン・ウィン・ツァン氏がいまから30数年前「江夏健二」という名で新宿の小さなライブハウス「ピット・イン」の「昼の部」でこのアルバムの曲を演奏していたまさにその時、当時高校生だったぼくが2mと離れていない客席でその演奏を聴いていたという事実を昨年ひょんなことから思い出しました。本人に確認すると果たしてそのとおりだったのです。何という巡り合わせでしょうか。ちょうど彼が20歳、ぼくが17歳ぐらいだったでしょうか。その演奏はいまの「癒しに満ちた」ウォン氏の音楽からは想像もつかないほど激しくそして怒りに満ちたものでした。

人生はじつに不可思議な巡り合わせに満ちています。もちろん「素晴らしい」という意味において。


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4503 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ



身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

流れに身をまかせるというのも大切なことかも知れないなと近ごろ良く思います。特にこうした閉塞状況の中では、妙にじたばたしないほうがマシなことも多いようです。たとえそれが結果的に「座して死を待つ」ことになったとしてもそれはそれで潔い(いさぎよい)のかも知れません。

その時代や環境にもっとも適応したものだけが生き残るというのは生命(いのち)の基本原則ですから、それはそれでいいのではないでしょうか。もちろんそれは違うと考えて闘い抜くという選択肢もあって、それもまたひとつの選択でしょう。それはとても尊い生き方だと思います。

でも、ぼくに限って言うならば人生はそれほどまでにして生きる価値があるのだろうかという想いのほうが強いのです。それはぼくの生い立ちにそのほとんどを負っている想いなので、他のひとはめったなことではそんなふうには考えないと思いますが。

ストーリーに富んだ、絵に書いたような小説的なあるいはTV的な「過酷な人生」だけが「過酷な人生」ではない。ストーリーなど無くただ間断なく降り注ぐ形而上の石つぶての雨のもとに生きる人生だってあるのです。

ぼくらはひとそれぞれにそれぞれの人生を認めなくてはならない。傍(はた)からどう見えようともひとはそれぞれの天国や地獄をこころの奥深く抱えて生きているのだから。


とはいえ

風立ちぬ、いざ生きめやも

いまは本心からそのように思っているのですけれどね。

(注)ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』

(『魅惑』Charme 所収。1922年)

日本では堀辰雄の『風立ちぬ』の冒頭に引用された

「風立ちぬ、いざ生きめやも」

"Le vent se leve, il faut tenter de vivre."

(風が起きた、生きてみなければならない)

の一節で知られる。

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☆たてしなラヂオ☆

2009年02月18日

4504 自分であることの対価



今日は何を書こうかな、なんてふうに考えて書いているわけではないのです。その時の自分の気分みたいなものをそのまま書いているような気さえします。そうした意味においていうならば、この日記は正真正銘の「駄文(だぶん)」です。読んでいただいている方には大変申し訳ないと思っていますが、ぼくは元来そういうひとなのです。

しかし書いてあることは本心だし、プライバシーの保護のためのフィクション化という一点を除けば、すべて本当のことです。

この日記の本質は米国の哲学者にして心理学者であるウイリアムズ・ジェイムズの言うところの「意識の流れ」を記録したようなものです。あるいはシュールレアリズムの言うところの「自動書記」に近いのかも知れない。いずれにしてもぼくの内面に映し出された情景なり風景なりを記したものです。それをぼくの「想い」と感じておられる方もいらっしゃるようですがそれは当たっています。

今日ある方から心温まるメールをいただきました。そこにはここ数ヶ月日記を読むたびに胸の詰まる思いがしたとしたためられていました。ああ、本当に申し訳ないことをしてしまったと思うと同時にぼくの「想い」を確実に受け止めて下さっている方がいらしたのだとなんだかとても救われた思いがしました。

ぼくがぼくである限り、自分が自分であることを望む限り、この「苦悩」としか呼びようのない想いは終わることはないのかも知れません。それは自分が自分であるための「対価」なのかもしれません。それはぼくがこの世界に「実存」することの重さ、存在の重さだと感じています。自分という存在の重さは、それを自分一人で支えようとしてみれば、それが耐え難い重さであることを思い知らされます。これはきっと何かの「罰」なのだとさえ思われるのです。

だからこそひとは支え合って生きてゆかなければならないのかも知れません。それはひとつの「救済」です。しかし、支え合って生きてゆくという道を選べない人生だってあるのです。もちろん(少なくとも見かけ上は)自分自身で選ぶ道ではあるのですが。その道をゆく以外に自分を自分として束ねておくことができない、自分を自分として形成し続けることができない人間もこの世界にはいるのです。

以前にも書いたとおり、ぼくはどちらと言われれば、「観念世界」に生きる人間です。いわば鏡の反対側、「現実世界」に力強く生きる方々には理解不能なことばかり書いているのかも知れません。「やわ」な「泣き言」ばかり書いているように感じられるかも知れません。しかしこれがぼくが身を置く世界なのです。それはそれでそちらの世界と同じかそれ以上に「タフな世界」です。


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4505 雨月物語



江戸時代中期の作家上田秋成の「雨月物語」にすっかりはまっています。学生時代には「古文(古典)」なんて大嫌いだったのに、不思議なことです。いまはその文章の美しい響きに魅了されている自分があります。

そしてそれ以上に衝撃を受けているのは、当時急激に増加しつつあった近世都市生活者としての「知識人」というかインテリゲンチャの姿が描かれていることです。都市文化とは無縁の地方の里で自然を畏怖しその恵みに感謝し、それに従い、自然の一部として自然に沿って生きる人々のなかにそのような人物が突然変異のように現れる悲劇。その「近世の知識人」の危うさ脆弱さ自己欺瞞。

自己の「知識」を後ろ盾とした独断的な世界認識の、その危うさ脆弱さ自己欺瞞はまさに私のものでもあります。その事実を突き付けられて、これまで固く信じてきた自分というもの、自分の価値観が崩壊しそうです。私は「知識人」なんていうたいそうな者とは無縁だけれど、それでも志向性を同じくする者だから。

自らの内的自然にありのままに沿い、自分を取り巻く自然に対しても成すがままに沿い、そのように生きるひとびとの強さたくましさにはとてもかないません。

都市生活者と村落共同体に生きる人々との決定的な違いをこれほど明確に認識できたのは、ひとえに上田秋成の筆力とそれを現代語訳・校注した青木正次氏の力量に負っています。「雨月物語」は怪異譚として(私もそうでしたが)認識しているひとが多いかも知れませんが、実際はまったく異なった作品でした。この作品との出会いに感謝しています。

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2009年02月19日

4506 「生きのびること」から「それ以上のもの」へ



さて、昨日は「自らの内的自然にありのままに沿い、自分を取り巻く自然に対しても成すがままに沿い、そのように生きるひとびとの強さたくましさにはとてもかないません。」と書きました。しかしそれには続きがあるのです。動物として生きるならそれだけでよいのです。しかし人間は動物であると同時に、そうではない局面を持った存在でもあるからです。

「ただ生きるために生きる」という、生きる目的と生きることとが同じものであるような、抽象的思考の無い、きわめて即物的で具象的な「生活」こそ生命の本質的スタイルなのかも知れません。しかし、この世界で人間のおかれた位置はそれ以上のものであると、かろうじて今のところまでは、思うのです。

だからこそ、人間の中に抽象的思考力を持った、そのような観念的・理念的世界に生きる者が出現することは必然であったようにも思います。「ただ生きるために生きる」という第一義的な観点からはそのような「異端者」は何ら生産性を持たないという点において生活共同体に寄生する「厄介者」かも知れないし、実際にそのように扱われてもしかたがない。

しかしそのような境遇の中で与えられた一定の自由空間の中で彼らは観念世界における飛翔をはじめました、つまり「夢見ること」を始めたのです。これはひとびとが第一義的な生きるために生きるということを為し遂げ精神活動に費やす余力を持つにいたった時点できわめて重要なさきがけとなったのです。近世に生きた彼らを原初的「知識人」と呼んで良いのかどうかわかりませんが、近代そして現代の「知識人」の原型をなす存在であったであろうことは確かではないでしょうか。

ことそこにいたって初めてそれと意図された「知的生産」が始まったのかもしれない。しかしそれとても「衣食足りて」初めて「価値」として機能する第二義的生産であることにかわりはなく、それが「知識人」の致命的な欠落要素であるように思われます。つまり「知識人」でありつづけるためにはサポーターないしはパトロンが必須であるという厳然たる事実です。ひとりの人間がその両方を兼ね備えるということは極めて困難でありきわめてまれなことだからです。

飢餓状況の中では「一粒の豆」と「ひとつの真実の命題」とどちらが救いとなるかは、生きるという観点からは明瞭です。しかし「一粒の豆」では生きながらえることかなわず結局死にゆくしかないならば「ひとつの真理の言葉」こそが最後まで「人間存在」として死にゆくための唯一の救いになるのかも知れません。

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4507 寒いですねー






このブログでも僕は記事に連番を振ることを習慣としています。読者の方の利便性と言うこともあるのだけれど、まあ、「万歩計」みたいなものです。自分のモティべーションを維持するためのひとつの方策です。

それと同時にその背後に秘めた想いもあります。明らかに人生の分水嶺を過ぎて黄昏の時に向かって坂を下ってゆく自分の生きた証(あかし)としてこの日記を書いていることをいつも自覚していたいという想いです。

それはさておき本来そうあるべき「まともに寒い日」が続いてこれはいよいよ暖冬異変も多少改善されたのかなと感じている昨今です。「まともな冬」の後には「まともな春」がやってきます。そして「まともな夏」、次には「まともな秋」が巡ってきます。だからこれはとても良い兆候です。

陽差しは暖かく強烈な真っ白な光線です。それでも終日常に氷点下なので雪が融けません。ゲレンデはもう言葉では言い尽くせないほど最高のコンディションなのですが、ぼくは確定申告の作業でていっぱい。ゲレンデに出られないでいます。

森では小動物や野鳥達の姿が目立ち初めています。朝などはシジュウカラやコガラがにぎやかに飛び回っています。ここピラタスの丘ではそのようにして季節は確実に春へと向かっているのですが、現実の世界は戦争という名の「冬」へと逆行しているような重苦しい雰囲気に充ちています。戦争には神の祝福も正義の栄光も無い。「聖戦」なんて無いのだよ。

聖戦を唱え自爆テロを提唱する者はまず自分の最愛の息子に自爆テロを命じてその真実を証明するがよい。正義の戦争を唱える者もまた自分の最愛の家族を戦争の真っ只中に遣わすがよい。戦争を始める者は戦争の真実の結末を知ることはない。

「戦争の結末を知るのはただ死者のみである。」(プラトン)

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2009年02月20日

4508 ブルースの真実






ここ数日いささか「重い話題」を語ってしまったようで・・・。(^_^;)

コメントがほとんどなくなっちゃって・・・ははは。

さて、気を取り直して書くことにします。

繰り返しになるけれど、蓼科も「寒の戻り」というのでしょうか、本来というかそれ以上に冷え込んでいます。氷点下16℃なんて言う朝が続いています。

急に「しん」となったと思ったら、外では雪が降り積もりだしていました。

雪の降る夜は、まるで世界が終わってしまったかのように、静かだ。

というのはやはり永遠の真実のようですね。

いずれにしても予報によればこの雪はかなり積もるようです。

こんな深夜にオリバー・ネルソンの「ブルースの真実」というアルバムを聴くのは、なんともはまりすぎという感じでとても心地よいのですよねー。

「おとなー!」ってかんじ?(笑)


※1961年録音の名盤、オリバー・ネルソン(Oliver Nelson)の「ブルースの真実(The Blues And The Abstract Truth)」です。学生時代にジャズ喫茶でいやというほど聞き込んだものです。1959年録音のマイルス・デイヴィス(Miles Davis)の「カインド・オブ・ブルー(KInd of Blue)」とともに並び立つジャズの記念碑的名盤だと思います。


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4509 僕のスキー日記(02/20)




ピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデの様子です。いい感じでしょう?


昨夜からの雪は結構積もって、そうですねー、約30センチほど積もりました。上空の気温が高いようで水気の多い雪ですが、結晶がしっかりしているので今夜冷え込めば明日はとても良いパウダースノウになると思います。

景色は再び「冬景色」にもどりました。冬はやはり冬らしくないといけませんね。雪かきは大変だけれど、そう思います。

今日は雪になったりみぞれになったり猫の目のように天候が変わっています。強風が吹いたかと思うと一瞬晴れ間がのぞいたり・・・。標高2000mに近い山岳地帯ならではの気象ですが、ゲレンデは思いのほか穏やかです。

週末の天気は晴れになりそうなので、絶好のスキー日和です、たぶん。(^^)

天気概況はこちら↓
http://www.p-sunset.com/weather/

プラン料金を見直してお客様にお得な価格になりましたので是非ご利用いただければさいわいです・・・とか、ペンション経営者らしいことを行ってみたりして。(笑)


★★★


【ピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデ状況】

 情報更新  09/2/20
 今日の予報  雪→曇り
 気温  -1℃
 積雪  110cm
 風向・風速  SW5m
 ロープウエイ  運行中
 クワットリフト  運行中
 トリプルリフト  ------
 滑走可能領域  .  ほぼ全面可

(上記情報は許諾を得て公式HPより転載しています)


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2009年02月21日

4510 文は体を現す



太古より

すでにいろんなひとが言っている(?)けれど

「文体」こそ本質的なものなのだと思う。


ひとが言語によって思考する限りそれは事実だと思う。


ぼくがこの4,500余日のブログ運営で

手に入れたものは

その「文体」だ

と言うことができるのかも知れない。


「文体」という観点から自分の生き方を眺めてみるのも

また新しい発見があって興味深いかも知れません。

「文体」と「ライフスタイル」って

思いの外密接な関連があるかも知れない。


それにしても、


ひとに何かを伝えたい

とか

何かをわかって欲しい

思いながら文章を書く場合と、

それらの希望を捨て去って書く場合とでは

雲泥の差がある。


前者は創造的作業であり

後者は実践的作業である。


そうした意味において

この日記は文学作品ではないのだ

という認識は

ぼくにとって

とても大切なことだと思う。


何かを伝えるべきかとか

何かを伝えたいかとか

何かをわかって欲しいとか

そんなことは考えずに、

ただ自分のこころに映し出された事実だけを

淡々と書きつづるのが

この日記本来のスタイルなのかも知れない。


そこにぼくの想いがこめられてしまったとしても、

それは

「ぼくのこころに映し出されたぼくの極めて個人的な想いという事実」

にすぎない。


それ以上でも、それ以下でも、その他の何かでもない。


・・・とか。


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2009年02月22日

4511 全角・波ダッシュの文字化け



MACPRO_AV1.jpg


きょうは久しぶりにMacから書いています。いつもは仕事用のWindows Vistaマシンで書いているのですが、Windowsから書くと「全角の波ダッシュ(〜)」が文字化けしてしまってダメなんですよねー。

これはウインドウズのバグだそうで、いまだに改善される気配がありません。

といってもワープロなんかでは文字化けしません。

ブログなどのこういうウェブ・ベースの文字入力で「Shift_Jis(シフト・ジス)」で入力したものを「UTF-8(ユー・ティー・エフ・エイト)」に変換して公開するシステムの場合に文字化けしちゃうんですよね。

Macの場合それは起きません。

確かめるのは簡単、

この記事の「〜」が波ダッシュとして読めれば文字化けしていないということだから。

これは上記「文字エンコーディング」のアドレスの割り当てがうまく行われているからで、Windowsの場合そうではないということは日本語に対する知識と配慮がちょっと足りなかったということかもしれません。

これは、僕がWindowsを常用するようになっていちばん驚いたことのひとつです。

みなさんは大丈夫ですか?

当然ながら「文字エンコーディング」を「Shift_Jis」のまま公開しているブログでは当然問題なしということなのですが。

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2009年02月23日

4512 MacとWindows



MACPRO_AV2.jpg


思いの外Macネタって受けるんですねー。昔に比べてMacユーザーやMacのことを知っている人が増えているみたい。やっぱりiPodの大ヒットが影響しているんでしょうか。

写真はラヂヲの愛機Mac Pro MA970J/AというIntel Xeon 5400 Quad Coreプロセッサ×2基を積んだ8コアマシンです。メモリは32GBまで使えます。ハードディスクは上部に引き出しがあって4台までワンタッチで抜き差しが出来ます。まあ、ここまでくると趣味の世界ですね、たぶん。「趣味=Mac」ですからー。(笑)

こういう輩に限ってろくな写真も撮れないくせにライカ(Leica)を持っていたりするんだよなー、って声が聞こえそうですが・・・・・・はい、持ってます、ライカ・・・・・・ろくな写真撮ってません・・・・・・すみませんです。(^_^;)

それはさておき・・・・・・

Mac OS X 10.5 "Leopard"とWindows Vistaの両方を使っていますが、両者はとてもよく似てきていますね。もちろんユーザーインターフェイスが、ということですが、使いやすい方向でにてきているのでこれは大歓迎です。

だって、MacユーザーがWindowsを使うにもその反対の場合も、とても便利じゃないですか。パソコンが使いやすくなるのはとても良いことですから。

ちまたではWindows Vistaはいささか(特にパワーユーザーの方に)評判が芳しくないようですが、ラヂヲのレベルのWindows使いにはっていうかMacの「パワーユーザー」であるラヂヲにとっては別段「なんだこれは!」なんて怒るほどのことは起きていません。

ちなみに、Windows XP Professional SP3もMacのサブOSとして、ThinkPad T43のOSとして使っているけど。ユーザーインターフェイスに関してはVistaの方が優れていると思いますよ。

とはいえラヂヲはMac歴15年の生粋のMacユーザーなので、仕事の必要性から使い始めてまだ2年のWindowsユーザーとしてはあまり偉そうなことはいえません。パソコン自体は1988年からMS DOSマシンを使っているのですが。(会社で、だけれど)

まあ、いずれにしてもパソコンはまだまだ家電レベルの使いやすさにはなっていないので、もっともっと進化して誰にでも簡単に使えるようになるといいですね。(^^)

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2009年02月24日

4513 まぼろしの春



折からの陽気に

クルマの窓を全開にして

スキーから戻ってきて、

サンセットの駐車場に乗り入れる。


そのままエンジンを切ると、

めまいのするような静寂が押し寄せてくる。

それはまるで質量を持っているかのような

圧倒的な静寂だ。


そっと目を閉じる。

風が頬をなぶり、

ほのかな春のにおいがする。

さわさわと風の音が聞こえる、

野鳥の声が聞こえる。


この瞬間が僕は好きだ。


真っ白な雪の上に

惜しみなく降り注ぐ陽光は

まるで神の慈しみのようだ。

芽吹きの準備に余念のない

樹木や灌木の影がくっきりと

映し出されている。

モノクロームの世界なのだけれど、

ハイコントラストな情景の中に

すべての色が隠されているのを感じる。


真夏の

あの百花繚乱の極彩色の世界が

僕には見えてくる。


静かだ。

本当に静かだ。

聞こえるのは風の音だけ。

そして感じるのは

音もなく降り注ぐ

このあふれるばかりの陽光の感触。


きめ細かな光の粒子を感じる。

このまま春になってしまうのだろうか。

いや、そんなはずはない。

でもここにあるのは、

もう二度と雪なんか降らないのではないか

というほどの

「まぼろしの春」。

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4514 2月24日・午後



昨日と同じように

駐車場にクルマを入れて、

エンジンを切る。


どっと静寂が押し寄せる。

それはやはり確かな質量を持っている。

開け放った車窓から風が吹き込む。


それは薫風といっても良いほどの軟らかな感触だ。

ほのかに春のにおいがする。

そしてシジュウカラの可憐な地鳴き。


今日は昨日とは異なって

一日中陽光は射さなかった。

だから気温のわりにとても寒く感じるし、

雪もあまり融けなかった。

それでも空を覆う薄い雲を透かして

太陽はその存在を常に感じさせていた。


分厚く積もった雪の下から

春の息吹が聞こえるような気がする。

樹木の周囲は丸く雪が融けて

ごうごうと水分を吸い上げているのを感じる。


ところどころに、

本当に久しぶりに地面が顔を出した。

そこを踏みしめると、

懐かしい地面の感触がした。


春はもうすぐそこまで来ているように思われるけれど、

週末には再び冬が戻ってくるとの予報。

しかし、

そんな予報も

にわかには信じられないほどの

暖かさが続いている。


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2009年02月25日

4515 真冬の雨






雨音に気づいて、遅く起きた朝は・・・・・・って

えええ!( ・_・;)

雨だって・・・・・・


冬なのに

雪じゃなくて

雨だって・・・・・・


ここ数年の傾向だけれど

真冬に雨が降る

これはやっぱり変だよ


もうザーザー降り

雲の中にはいってしまっているので

周囲は濃霧状態じゃん


滑れないほどのが図じゃないけれど

雨がねー

嫌いなんだよねー


ということで

きょうもまた

滑りにいけなかった

ラヂヲでした


ストレスたまるー!


ただしー

明日から連続で雪が降って

今週末は晴れの予報だから

スキー、スノーボード、スノーシュー、山歩き

いいですよー!

(^^)

★★★


【ピラタス蓼科スノーリゾート情報】 

 情報更新  09/2/25
 現在の天候  雨
 今日の予報  曇/雪
 気温  +3℃
 積雪  110cm
 風向・風速  SW8m
 ロープウエイ  運行中
 クワットリフト  運行中
 トリプルリフト  .  ------
 滑走可能領域  全面滑走可


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2009年02月26日

4516 パルの思い出



我が家の愛犬パル(シベリアンハスキー、♂)は昨年の12月23日に僕らに介護されながら亡くなってしまいました。14歳と2ヶ月と10日の生涯でした。2月10日がちょうど人間で言うところの四十九日でした。

そのことに気づいたのはその翌日パルの犬舎のまえの分厚い積雪の上に数メートルにわたってあの懐かしいパルの足跡が残されていたからです。

空からふわっと降りてきて、数メートル助走して再び天に舞い上がったかのように、その前後には足跡は全くありませんでした。

じつに不思議なことですが、僕らは不思議とも何とも感じなかったのです。

「ああ、パルが天国に行ったんだね・・・・・・ああ、そうだ、ちょうど四十九日だったんだ」って

そう思ってなんだかほっとするやら、改めて涙があふれて来るやら・・・・・・

数年前の記事を読んでいたら、パルとの思い出が書いてあったので、採録します。

★★★

除雪が終わると中庭にいるシベリアンハスキーのパルのところに遊びに行くことにしています。「戦いごっこ(格闘ごっこ)」を(雪上をころげまわりまがら)ひとしきりやって彼が満足すると、僕は彼の傍らの雪上に座り込んで彼と同じ視点で一緒に空を見上げます。こうして並んで座るとパルはやはりずいぶんと大きな犬なのだなあと実感します。座り込んだ僕と大して違わない大きさです。

最近パルは月や星や高空を行く飛行機の明かりを眺めることを覚えました。僕も彼につきあって一緒に眺めます。今夜みたいに雪の日は、舞い降りる雪を一緒に見上げます。子犬のころからの長いつきあいですが、最近とみにこころが通じ合うようになったような気がします。何もせずにこうしているだけでお互いの信頼感がひしひしと伝わってきます。

それは飼い主と飼い犬というような関係では決してなく、同志というか家族というか、ともにこの地で生きるもの同士の連帯のようにも感じられます。別に雪の上でなくてもいいのかもしれませんが、こうして大地の上にじかに座ると世界がまったく違って見えるから不思議です。都市の路上にぺったりと座り込んでいる若者たちも僕やパルと同じように日常とはまったく異なった世界を見ているのかもしれませんね。

そんな彼らにまゆをひそめてばかりいないで、どうぞご自身も一度大地にじかに座り込んで見慣れた自然や街の風景を眺めてみたらどうでしょう。一元的と思われるこの世界がじつは視点をちょっと変えるだけで様々に姿を現す多元的な世界であることに気づく良いきっかけになるかもしれません。

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4517 僕のスキー日記(02/26)



過ぎてみればあっという間に2月も終わりです。ゲレンデではスキー協会の講習を受ける仲間の姿が目立つようになりましたが、今シーズンの僕には無縁の世界です。いまの僕にはこれ以上ここが悪いあそこを直せなどと言われてもとても対応できないほど飽和状態なのです。というか「そんなことはわかっている」って言い返したくなる状態なのです。

いま必要なのはここがいい、そこがよかったという褒め言葉というか前進したことに対するご褒美なのです。日本スキー教程に欠けているのはそのようなヒューマンファクターに関わるノウハウではないでしょうか。理屈はわかったからもう結構だ、だから要するになんだって言うんだ、と思うのね、僕なんかの場合。正論を正攻法で教え込もうとしてもそれはもはや時代錯誤ではないかと思う。

たとえばスキー教師から「もっと膝を使って!」といわれても「いつなんのためにどのように使うか」という教えはないというのがいまのレッスンの傾向ではないかと思う。あるいは「もっとスピードコントロールをして!」といわれてもその対処法は示されない。スキー操作における減速要素、加速要素を体系化できていないからそういう指導しかできないのだ。確かにそのようなことは自分で学んで練習すべきであるのは正論であるけれど、独学では困難なものについては指導者がきちんと身をもって進路を指し示すべきである。

僕が言われたもっともひどい指導(?)の言葉は「##さんは勘違いしているんだよなあ」です。なにをどう勘違いしているためにどうなってしまっているのか、まともな指導者ならばそれをきちんと説明するのがプロというものでしょう。もしそうでないならばこれは単なる揶揄(やゆ)でしかない。それならば断じて許せない。これは有料レッスンなのだからね、一事が万事この調子だからスキー人口の減少は続くのだ。スキーを「スキー道」にしてしまうのは自由だけれど、それは個人的な問題であってスキー協会というような組織がそれを押しつけるというのはいかがなものか、よく考えてみて欲しい。

せいいっぱい好意的に理解するならば、要するに指導者の言語的表現能力、具体的に言うなら内的運動感覚を体系的に言語化して表現する能力が不足しているということだ。理論を聞いただけで即身体で表現できるならスポーツはあまりにもたやすい。スクールに入ってレッスンなんて受ける必要はない。上に書いたような指導を受けると、それはレッスンを長引かせるための出し惜しみではないのかとすら感じられることがある。僕でさえ膝の使い方については体系的に語ることができるのだから。もっと言語表現能力、内的感覚を言語化する能力を身につけて欲しい。

この発言の根底には現在の指導体系がいまだに「スキー指導者を養成する」というスタンスを引きずっているという信じがたい事実に対する問題意識がある。一刻も早く「安全に最大限に楽しむための方法論」へと転換しない限りスキー人口の減少は続くと僕は感じている。まあ、ゴルフにも似たところがあるけれど、あちらはそのあたりがうまくいっているじゃない、おとなだなーって思いますね。


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2009年02月27日

4518 パルの思い出(2)




今朝のラウンジから見た風景(正面の山は標高2,530mの蓼科山です)


また古い日記からの記事です。

改めて書く必要がないほど、ぼくの(ぼくらの)気持ちを表現しているので、再掲載します。

神様に関する記述部分はいまの僕の考えとはいささか異なるところがあるのだけれど・・・・・・


★★★

2004.02.19(木)----------- 晴 気温 = 最低 -8℃/ 最高 4℃

この日記を書きはじめてから今日で2,662日目です。

昨日よりさらに暖かな一日になりました。この日差しはまるで4月上旬並みです。気温も+4℃まで上がって、気温だけだと3月中旬なみといったところでした。しかし体感温度はまさに春そのものでした。寒いのが苦手なスキーヤーやファミリースキーには最適な天気ですが、寒くないとゲレンデに出たくなくなる僕には最悪のお天気です。

ピラタスの森に野鳥の姿が見られるようになってきました。これは春の兆しです。

景色はどこを見ても白銀の世界なのですが、日差しと野鳥や小動物の足跡が春が近いことを告げています。昨年秋に9歳になったシベリアンハスキーのパルはこの一年で急激に家族意識が芽生えたらしく、僕らを家族と見なしてじつによくなついて、頻繁にコミュニケーションを求めるようになりました。これまではいっしょにいるだけといったスタンスだったのですが、何が彼をそのように変えたのでしょうか。

それだけではなく、昼は八ヶ岳上空の航路を往くジェット旅客機を眺め、夜は明るい月や星やそしておそらくは流れ星を眺めているのです。野鳥の声に耳を澄まし、風の感触を楽しみ、雪の冷たさを味わっているかのようです。それはまるで初めてこの世界の美しさ不思議さに気づいた知的生命体のようでもあります。

彼は僕らにとってかけがえのない家族であり、この厳しい自然の中で生きる大切な友であり、この土地で初めて出会った同志です。僕らにはパルを「飼っている」という認識はありません。ともに暮らしているのです。彼はかけがえのないいのち、かけがえのない存在なのです。

しかしこの幸福な関係もやがて終わるときが来ることを僕らは知っています。出会いとはそもそもそのようなものです。出会ったときから別れは約束されている、さよならだけが人生だ。それはこの宇宙に神が不在だからかも知れない。あるいは神は存在するのだけれどいのちには無関心だからかも知れない。ひとを悲しませないということには興味がないのだ、きっと。なぜならそれは神の仕事ではないからだ。

神が人間を創造したのではなく、人間が神を創造したのだ。この世界に整合性をもたせるためには神という概念が必要だったから、人間はつじつま合わせのために神を作り上げた。だから、神はいなければならぬ、しかし神は不在だ。もしいたとしても我々の望む仕事をしていない、我々のために涙を流してはいない、我々のために戦ってなどいない。なぜならそれは神の仕事ではないからだ。

僕は神を信じない。少なくとも宗教の語る神は信じない。真の神とは概念などではなく、唯一無二の超越的存在だから、それを語ることも指し示すこともかなわない。そのようなものだ。怒ったり泣いたり笑ったり罰を与えたり正義を行ったりすることはない。それはただそこにある。神は存在しない、反対に、絶対存在こそが神なのだ。たぶんね。


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☆たてしなラヂオ☆

4519 記憶とか追憶とか(1)




今朝から雪が降っていますが、土日は晴れの予報が出ています。


予報より半日早く雪が降り始めました。

午前6時には降っていなかったのですが、午前7時過ぎから降り始め、いまでは本降りになっています。水気の少ないとてもいいパウダースノウです。

明日、明後日は好天に恵まれそうですので、気持ちの良いスキー、スノーボードが楽しめそうです。


さて、きょうも古い記事から懐かしい一編を再掲載します。


★★★


02月05日(日) 気温:最低 -15℃/最高 -7℃ Weather 晴れ

3377 冬の夕暮れ。


ピラタスの丘の雪景色風はなく、湿度が高いようだ。空気の肌触りが柔らかい。真っ赤な夕陽の光線がほぼ真横から射している。すぐ目の前にそびえる蓼科山に向かって左から右へとそれは差し込んでいる。ピラタスの森はしんと静まりかえっている。冬の夕暮れ時、僕はこの時間が大好きだ。

その中に身を置いているとさまざまなことが心によみがえってくる、ちょうど心のスクリーンに映し出されるような感覚で。ふと麻生久美子という女優のことを想う。彼女を観ているとなにかが心の奥深い部分を刺激する、その部分をだれかが腹立たしげに蹴飛ばしているようだ。

彼女が誰かに似ているということではない、たぶん。彼女を観ることによって誰かを思い出そうとしているのだ。彼女の持っている雰囲気があるひとを思い出させる。そうだ、僕が中学生の頃想いつづけたある娘のことを思い出す。

僕は卒業直前にとうとう彼女に告白し、それが受け入れられたのだった。天にも昇る気持ちだった。しかし、キューピッド役の同級生の女の子を通じて伝えたために、彼女にはこっぴどく非難されることになった。「うれしかったわ。でも直接私に言ってほしかった。」と。

そのときからその娘は僕の彼女になった。僕が彼女の「彼氏」になったのかどうかはよくわからなかったけれど。初めてのデートで僕は彼女をそっと抱きしめて「好きだ」と改めて告白した。彼女は「ありがとう、うれしいわ」と恥ずかしそうに小声で言った。

そうだ彼女は「好きだ」とは答えなかった。数十年の時を隔ててようやく僕は理解する。僕は彼女を愛していたが、彼女は僕を愛してはいなかった。好意は持っていたかも知れないが、愛してはいなかった。おそらくはそれ以前の感情でとどまっていた。愛されることは受け入れても、愛することを始めてはいなかった。

その後3年間僕らは奇妙な交際を続けた。たまにデートしたり、電話で話したり、手紙をやりとりした。「恋人」という感じではなかった。しかし自分たちがお互いに彼女と彼氏としてつきあっているという奇妙な確信だけは共有していた。

僕がスポーツで怪我をして入院したとき、彼女は見舞いに来てくれた。そのときの彼女の所作振る舞いは間違いなく恋人のそれだった。彼女の優しい想いがひしひしと感じられた。彼女は誠実な女の子だったのだ。つまり僕が告白し彼女がそれを受け入れたという事実に対して誠実だった。

麻生久美子そのような関係や想いが恋と呼べるかどうか僕にはいまでもわからない。ただ、彼女は僕と会うときいつも彼女の通う女子高のセーラー服を着ていたから、私服の彼女には一度も会ったことがない。それは彼女なりの儀礼なりけじめだったのかも知れない。それは僕ら二人を一定以上近づけない「ついたて」のようなものだったのかも知れない。

麻生久美子が「彼女」を思い出させたのは、麻生久美子がかつて雑誌が企画した「制服美少女」として一世を風靡したときにその姿を見た記憶があったからだった。ネットで探し出していま改めてそのときの写真を見ると、確かに「彼女」のセーラー服姿を思い出させるなにかがある。自分が美しい娘であるという事実を封印しようとするかのようなストイックな風情があるからかもしれない。

当時はあまり意識していなかったが「彼女」はかなりの美人だったことをいまになって思い知る。彼女と歩いているとき僕が緊張してうまく話ができなかったのはおそらくそのせいだ。そんなことにすら気づかなかった僕はひどく鈍感な男の子だったのだろう。だから秘められた彼女の想いを受け止められなかったのは僕の責任だった。

今更このようなことを言っても書いてもせんなきことだけれど、忘れないように書いておくことにする。すべては古代史に属する出来事だけれど、歴史的事実であることに変わりはない。僕はもっと率直に彼女を求めるべきだったし、彼女の想いに応えるべきだった。後悔はもはやなんの役にも立たない。良くも悪くも時効が成立してしまっている。


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☆たてしなラヂオ☆

2009年02月28日

4520 スキー情報(02/27)




きのう雪が降ふりましたが、土日は晴れの予報が出ています。


きょうは好天に恵まれそうですので、気持ちの良いスキー、スノーボードが楽しめそうです。


【ピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデ情報】

現在ピラタス周辺は降雪中です、この雪のおかげでゲレンデの状態もバッチリ!
この週末はぜひお出かけ下さい☆

 情報更新  09/2/27
 現在の天候  雪
 今日の予報  雪
 気温  -2℃
 積雪  110cm
 風向・風速  SW7m
 ロープウエイ  運行中
 クワットリフト  運行中
 トリプルリフト  .  ------
滑走可能領域  全面滑走可


【道路状況】

降雪により滑りやすい状態です、お出かけの際には滑り止めのご用意をお願い致します。
明日の朝は7:00より除雪を行います、8:00には遅くとも除雪が完了します、車間距離を十分保ち、安全運転でお越し下さい。

(上記情報は(株)ピラタス蓼科ロープウェイ様の許諾を得て転載)

★★★


モーツアルトの「レクイエム」をよく聴く。好きなのだ。しかし最初から好きだったわけではない。30代にはとても聴くに堪えなかった。それは僕のほうの問題だった、準備ができていなかったのだ。フォーレの「レクイエム」のほうが好きだった。

僕がモーツアルトの熱狂的ファンになったのは映画「アマデウス」以降のことだ。あの映画を観て僕は劇的に変化した。なにかを理解できたのかも知れない。あるいは、なにかを感じることができるようになったと言うことなのかも知れない。

いずれにしてもモーツアルトの音楽家としてのすごさ、アレンジャーとしてのすごさ、そのオーケストレーションの完璧さに打ちのめされてしまった。それはたとえば三島由紀夫が書き始めたときにはすでに小説は完璧な姿で完成していた、と言うのと似ているのかも知れない。

モーツアルトの音楽は後であれこれ思案したりいじったりした痕跡が感じられない。それはあたりまえのごとく完成された姿ですでにそこにあったかのようだ。それはすでに完成していて譜面に書かれ演奏されるのを待っていた、と言うように感じるのだ。無駄なものは一切無く、必要なものはすべて備わっている。

ピラタスの丘の雪景色と言うことでそれ以降僕の音楽体験はバッハとモーツアルトとビートルズとモダンジャズということになった。文学体験がヘミングウエーとサリンジャーとヘッセとカミュであるのと同様に。サルトルとカフカと村上春樹は僕にとって別格の存在だからここには列挙しない。

が、「2001年宇宙の旅」シリーズのアーサー・C・クラークと「アンドロイドは電気羊の夢を見るか(映画ブレードランナーの原作)」「中継基地」、「地図にない街」等のクリフォード・D・シマックは「お気に入り」として記しておくべきかも知れない。

大きな声では言えないのだけれど、僕はレイ・ブラッドベリの大ファンなのだ、ちまたでいうところのブラッドベリアンということだ。Macなひとにはブラッドベリアンが多いのではないかと内心密かに信じているのだけれど・・・・・・。

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