« 2008年02月 | メイン | 2008年04月 »

2008年03月 アーカイブ

2008年03月01日

4132 今シーズンは1ヶ月長い!

雪のち晴れ 気温:最低 - 8℃/最高 - 4℃


予報通り未明から雪になった様子だ。

朝目覚めると、森全体が「しん」と静まりかえっている。

これが雪が降っているときの特徴なのだ。

世界中の音という音が吸い取られてしまったような静寂。

中庭のシベリアンハスキーのパル君もぐっすりと眠っている。

ライヴカメラでピラタス蓼科スノーリゾートのゲレンデの様子を見ると

吹雪いているようで、視界がきわめて悪い。

ラウンジから外を見ると風が舞っている。

午前中いっぱいそんな状態だったけれど、午後からはうそのように

晴れて、穏やかな天気に変わった。

ほっと胸をなで下ろす。

スキー場もそんなに混んではいない。

雪はあふれかえるほどある。

最高のコンディションが(予報では)明日いっぱい続く。

これが3月初旬だとは信じがたい。

気温もゲレンデ状態も2月そのものなのだ。

今シーズンの3月は例年の2月と同じコンディションでスキーや

スノーボードが楽しめそうだ。

暖冬化で年々シーズンが短くなっていたけれど

今年は昔のように、長いシーズンを満喫できそうだ。

春休みのファミリースキーも抜群のコンディションで楽しめそう!


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


2008年03月02日

4133 ようやく2月なみの気候に

晴れ 気温:最低 - 12℃/最高 - 1℃


ウチのペンションの看板です。Pension Sunset と書いてありますが、英語のロゴなのでわかりにくいのが欠点かも知れません。いずれカタカナにしようかなどと考えていますが、これはこれなりにこだわりと愛着があるもので・・・。

よく観ると、山のペンションらしくない。これはむしろ海のイメージだと感じるかも知れません。じつはそのとおりなのです。建物もそうですが、ペンション サンセットは海のイメージなのです。山にある海の別荘って感じです。

山に登って住みついてしまったイルカのようなものです。

☆☆☆

今日は朝から穏やかなお天気になりました。風もなく、陽射しがとても暖かい、平年の2月のような一日になりました。しかしじっさいはもう3月なのですよね。それでも、ようやく気候は2月なみになったばかりです。雪質も2月そのもの、というか1月に近いパフパフパウダーのままです。

今シーズンは暖冬で短くなったシーズンを1ヶ月延長してくれたようです。

うれしいですね。(^^)

※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


2008年03月03日

4134 ずずずずずどしん

曇りのち小雪 気温:最低 - 8℃/最高 - 1℃


きょうは朝のうち曇り、午後になって小雪が舞うようになり、夜半にようやく止んだ。細かなパウダースノーだったけれど、水気が多い雪で数センチの積雪に終わった。陽射しが強くなり、ずずずずずどしんと、大屋根の雪もあらかた落ちて、ふっと軽くなった印象の我が家です。

見てみれば一度に数トン分の雪と氷が落ちたことが確認できた。こんなに重いものが屋根に載っていたのだなあと改めて感心した。同時に、季節は春に向けて加速していくのだろうと思った。近頃めっきり日が長くなったものね。

その後、あの野生の牡鹿とは出会っていない。是が非でももう一度ゆっくり会ってみたいと思っている。野生の鹿を特別の存在として意識したのはこれが初めてのことで、とても不思議な体験だと感じている。

以前、野生鹿の「食害」が目に余る状況を書いたことがあるけれど、あの牡鹿のイノセントな瞳と出会ってしまったあとでは、単純に「害獣駆除」を語れなくなってしまった。迷惑に思うことも、憎むことはおろか嫌うことすらできなくなってしまった。

夏目漱石の書いたとおり、「情に棹(さお)させば流される」のだなあ、やっぱり。

「我が心は石にあらず」なのだ、たぶん。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


2008年03月04日

4135 麻痺(まひ)

晴れ 気温:最低 - 12℃/最高 - 3℃


感じること、認識すること、思考すること、そして想像してみること。

冬という季節と対峙していると、そのような想いもしだいに麻痺してくるようだ。

今日と昨日の区別がつかず、昨日と一昨日の区別がつかない。

明日のことを想像してみることができなくなる。

でも、ぼくが都市生活者に戻ったとしても、そのようにして環境が変わり季節が

変わったとしても、この「麻痺」は僕につきまとい続けるのかも知れない。

つまり、これは一般論ではなくて、ぼくの個人的問題なのだ、たぶん。

あるいはこの時代が持つ本質的ななにかがそのようにさせるのかも知れない。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


2008年03月05日

4136 メタファーでもいいじゃない

晴れのち一時雪 気温:最低 - 12℃/最高 - 7℃


万物はメタファーである、僕自身がそうであるように。

このブログのサブタイトルの変遷を知っているひとは、思いの外少ないのかもしれない。しかし、まあ、変遷といっても数回しか変わっていないのだから、憶えているひともいるのかな。

ブログのサブタイトルって結構重要な要素なのだよね。少なくとも僕はそう意識している。それは、どんな想いを持ってそのブログを書いているかということを宣言するのがブログのサブタイトルではないかと思うからだ。

それだけに、サブタイトルしだいで、ブログを読んでもらえたり、読んでもらえなかったり、好かれたり嫌われたりするのかもしれない。

ぼくはペンション経営者だから、個人的なブログといえども自分の仕事をまったく意識しないで書くわけにはいかないんじゃないかと迷うことがしばしばだ。でもね、そうすると自分で読み返してみてもすごくつまらない、少なくともおもしろくはない文章や内容になっちゃうことに気づく。

何年も前から読んでくれているひとはすでに気づいていると思うけれど、この1年というもの、ずいぶん迷いが出ていたことと思う。でも、結局ぼくはぐるりと一回りして元の場所へと戻ってきたわけだ。自分というこの場所へ。

ひとは自分自身から逃げ出すことはできないし、自分以外のものになることなんてできないのだ。

とはいえ、ここに記される、あるいは、これまで記されてきた「僕」という存在は、もちろん、「本当のぼく」ではない。偽物ではないけれど「いま、ここにある、自分」ではない。それは作為的なものではなく、文章表現の限界とでも言うべきものだ。

この「ぼく」はひとつの「メタファー」を超えることはできない。もう少し表現を工夫するならば、僕は僕であって僕ではない、ということもできるかもしれない。いずれにせよ「万物はメタファー」なのだ。ゲーテの戯曲「ファウスト」の終末でファウストが叫ぶように、それは確かに真実なのだ。

メタファーとしての僕でもいいじゃない。

改めてそう思う。

ペンションでの僕は「きさくなオーナー」だけれど(自分ではそう思っている)、ブログを書くときの僕は「このような僕」なのだ。そしていま、このような僕にもどって、このブログを書き続けることにしたいと思っている。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


2008年03月06日

4137 自分自身であること

晴れのち雪 気温:最低 - 13℃/最高 - 4℃


村上春樹ばかり読んでいるような気がする。もとよりもっとも敬愛する作家だから、読書というとまず彼の作品を読み返すことになる。それにしてもこの冬は恒例の「ノルウェイの森」から始まって、「海辺のカフカ」、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と次々に読み返しているのだから、ちょっとしたブームではある。

とくに「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」はこの冬だけでも3回も読み返している。単行本で618ページもある長編だから結構読みでがあるにもかかわらず、この作品を読み解きたくてずんずん読み進んでしまった。この本には村上作品の一連のテーマとでも呼ぶべきものがぎっしりと詰まっているからだ。

しかしもう一度私が人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれがーーその失いつづける人生がーー私自身だからだ。私には私自身になる以外に道はないのだ。どれだけ人々が私を見捨て、どれだけ私が人々を見捨て、様々な美しい感情やすぐれた資質や夢が消滅し制限されていったとしても、私は私自身以外の何ものかになることはできないのだ。

物語の終末近く(第33章)で語られる独白にあるこの言葉にその「テーマ」は集約されているように、僕には思われるのだ。少なくとも同じような経緯を辿り、同様の想いにいたった僕にはそのように思われるのだ。だからもし僕が人生の意味を問われたならば一般論としては「回答不能」と答え、個人的には「自分自身になること、そして自分自身でありつづけること」と答えるだろう。

僕が昨日書いた「ひとは自分自身からは逃れられない」というのはそのような意味だ。

僕の人生がどんなに幸福であろうと、あるいは悲惨なものであろうと、そのような状況や運命とは関係なく僕は僕自身であることからは逃れられない。僕は僕自身として幸福になる道を模索するほか無いのだ。幸福とは、少なくとも個人的には、自分が自分であることを確信できること、そしてそのことをすべてのひとから認められることではないだろうか。そのような意味において、ひとは自分自身を目指すことを宿命づけられていると言える。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


2008年03月07日

4138 10年に一度

雪のち晴れ 気温:最低 - 9℃/最高 - 3℃


ピラタス蓼科スノーリゾートでは人気のモーグルバーンやレールやキッカーなどのゲレンデアイテムが勢揃いしています。

スノーボーダーはもとよりフリースタイルスキーヤーなら楽しくてしょうがない条件が整っています。

しかも今年は3月に入ってからも2月上旬なみの低温と積雪が続きたっぷりとしたパフパフパウダーがしこたまあるのです。

こんなコンディションのシーズンは10年に一度です。

春スキーにはまだまだ遠い本格シーズンが続いています。

どうぞみなさまお誘い合わせの上でお越し下さいね。

1泊朝食付き「ウインタープラン」がおすすめです。

4500円のロープウエイ・リフト共通1日券が3000円で何枚でも購入できる特典付きです!

最高のゲレンデと雪を楽しんでください。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。
※今日の写真は(株)ピラタス蓼科ロープウエイの許諾を得て掲載しています。

4139 静かな生活

晴れ 気温:最低 - 12℃/最高 - 1℃


この静寂はいったい何なのだろう。

森中が息を潜めているような、まるで世界が終わってしまったかのような

この静けさはここでしか経験できないものだ。

静けさが寂しさでも畏れでもなく、それは穏やかで温かい。

耳の奥からきーんと言う音が聞こえてくる。

サイモンとガーファンクルならそれを"Sound Of Silence"と呼ぶだろう。

それは寂しさとは異質な感覚だ。

寂しさってなんだろう。

静けさは寂しさではない。

孤独は寂しさではない。

孤立もまた寂しさではない。

そもそも、ここには「寂しさ」も「孤独」も「孤立」もない。

温かく穏やかな静寂があるばかりだ。

そんな環境の中で、僕の「静かな生活」は続いてゆく。

そういうのもいいな〜と思うあなたは正しい。

いいかもしれないけど、なんかな〜と思うあなたも、また、正しい。

「静かな生活」実践者としてはその両方の側面と向き合うことになる。

そのうえで、この「静かな生活」を選び取った自分を正しいと思っている。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


2008年03月09日

4140 蓼科高原からの手紙

晴れ 気温:最低 - 9℃/最高 - 1℃

今日もきれいな夕暮れになりました。予報ではこれから雪とのこと。信じられない。

※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。


☆☆☆


約1ヶ月ぶりにメールマガジン「蓼科高原からの手紙」を配信して、ほっとしている。今日の配信で第16号となった。あまり頻繁でもご迷惑だろうと、ひと月に1回ないし2回にしている。

今のところメルマガっぽいメルマガにしているけれど、ほんとうのところはもっと「蓼科高原日記風」にしたいというのが本音ではある。それに加えて、蓼科やウチのペンションのお役立ち情報をお知らせできればいいな、と考えている。

そのあたりの案配が自分としても良くつかめないでいるので、これは迅速に改善したい。

まあ、このブログというか「蓼科高原日記」にしても、時代の変化に最小限でも対応していきたいと考えると、とたんに道が見えなくなってくるので困ってしまう。

それは時代への迎合ではなく、自分のやっていること、自分の考え方に自信が持てないと言うことでもない。自分のやっていることはよくわかっているつもりだし、何をしたいかもよくわかっている。

しかし、そもそも、読んでもらえなければ、何も変わらないし、なにも動き出さないじゃん。

もっとも、こんなブログひとつでなにかが変わるとも想っていないけど。

でも、何にもしないよりは良いと思う。