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2007年10月 アーカイブ

2007年10月01日

3980 センチメンタルな秋

雨 気温:最低 7℃/最高 9℃

ここ一週間ほど結果的に完全な徹夜状況が続いてしまった。きょうも床についたのはお昼近くだった。床につくとすぐに真っ暗な虚無がやってきた。光もなく夢もない完璧な無。その感覚が僕には心地よかったりもする。

それにしてもこの冷え込みは本格的な秋がやってきたことを実感させる。今日は10月1日だった。暑さ寒さも彼岸までというけど、じつにその通りの季節感が蓼科の特徴でもある。森や山がこれまでの緑から黄色に変わりやがて赤が支配的な風景に変わる季節だ。

朝晩の冷え込みがきつくなり、柔らかな日差しと凛とした大気がものの輪郭をはっきりとさせる。肌触りの柔らかな風があらゆる音の角をまるめてしまう。秋の音はだからとてもソフト・トーンなのだ。クラシック音楽やジャズなどのアコースティックな音楽を聴くには最適だ。

今日も昨日からの雨が降り続いた。終日の雨それも二日連続というのは珍しい。しかもその降り方はかなり強いものだった。前にも書いたけど、今年の樹木は全体的にまだ水分を十分保っているので、木の葉を打つ音もからからという秋の音にはなっていない。

しかし、紅葉はいつも通りのスケジュールで進んでいる。今年はしっとりと落ち着いたたたずまいの紅葉景色が見られると思う。いつもの紅葉はもっと葉が乾いていて、感動するまもなくはらはらと散り始める。

秋という季節はいろんなことを思い出させたり、考えさせたりする不思議な季節だ。少なくとも僕にとってはそのような季節なのだ。一言で言ってしまえば「センチメンタル」になるということかもしれない。そんな不思議な力が「蓼科の秋」にはある。

いま聴いているのはマイルス・デイヴィスの名盤中の名盤「カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)」だ。このアルバムと出会ったのは遙か数十年前のことだ。聞き込めば聞き込むほどその魅力にのめり込んでしまう音楽がいっぱい詰まっている。ジャズというジャンルを超えた「音楽」として、僕をとらえて放さない完成度と魅力がある。

昨年の秋から今年の秋へと季節は一巡りしたわけだけれど、その間に僕という存在もかなり劇的に変化したように感じる。自分で言うのも変だけど、こうして文章を書いているとそのことがよくわかるのだ。うん、センチメンタルでなくなったのだ、一言で言ってしまえば。

本来の自分が「叙情的」ではないということを知ってとても驚いている。

まあ、知らなかったのは僕だけなのかもしれないけどね。

僕がどのような人間かと言うことは僕が決めることではない。それは、僕以外の誰かが、あるいは僕以外のみんなが決めることだ。そのことに興味はない。ただ、自分が自分という存在に対して感じるある種の感触については興味がある。だって、僕だって生身で生きている人間なのだから。

これから少しずつ、自分という存在の感触を確かめていきたいと思う。

こんなことは思春期、青年期にはできないことだからね。

秋深まる蓼科の寒山より。


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2007年10月02日

3981 シンフォニーとしての蓼科の風景

晴れのち曇り 気温:最低 7℃/最高 12℃

ピラタスの丘からビーナスラインへと下る道は、登ってくる時より数段魅力的だ。なんと言っても景色が最高なのだ。そして、その道を走るだけでいまがどのような季節なのかを明確に知ることができる。今日もそうだった。

道の両側の森は緑から黄色へと変化し始めていて、そのなかに紅茶色や朱色や蛍光オレンジに紅葉した樹木が多々観られる。そのコントラストに思わずはっとさせられることが多い。森や山が一斉にかけ声を欠けるようにして、ぱっと紅葉の景色になるのではなく、シンフォニーのように各パートがそれぞれの主題を奏するのだ。

蓼科の紅葉はその様な特徴を持っている。

それは四季を通じて同様で、いわば「シンフォニー」てきな風景を構成するのだ。

こころを鎮め目を凝らし耳を澄ませば、蓼科はじつにさまざまなシンフォニーに満ちている。

★★★

夢中でシャッターを切っていたらあっという間に1GBのコンパクトフラッシュメモリがいっぱいになってしまった。RAWモードで取っているために写真1枚あたりのファイル容量が大きいためだ。最高画質のJPGで取っていれば1GBのメモリでしこたま撮影できるだろう。

なるほどこれはもっとメモリが必要だと言うことで、紅葉撮影のシーズンインに合わせて2GBのメモリを amazon.co.jp に発注したところだ。1GBと2GBのメモリで合計3GBあれば1日分の撮影には何とか間に合うだろう。

撮りためた写真の保管もPCのハードディスクだけでは万一のファイル消失が怖い。そこで大容量のハードディスクを2台ならべてまったく同じデータを記録する Raid1 (ミラーリング)の外付けハードディスクを導入することにして、機種の最終選考に入った。 ああ、なにかと物いりだ。

でも、これまで11年間に撮りためた膨大な写真やこの日記の文章を一気に失うことを考えたら、その程度の出費はごく普通の、というよりは格段に少ない投資なのかも知れない。万一データ消失してしまったら、文字通り「とりかえしがつかない」のだから。

ネットワーク接続でファイル共有のできるハードディスクも検討したのだけれど、まだまだ他の接続でのファイル転送に比べて圧倒的に速度が遅いのが難点だった。バックアップやファイル転送といったことで時間を無駄に使いたくないのだ。第一ファイル共有するひとは僕だけだしね。WindowsとMacとでファイル共有するだけなのだ、現状は。

ということで、僕の「制作の場」であり「書斎」でもあるこの仮想空間の備品がまた増えて、システムのしつらえが少しだけ変化する。その変化がまた僕に何らかの変化をもたらす。

キーボードひとつにしたってばかにしていけない。キーボードを換えるだけで、文章や文体がまったく変わってしまうことだってあるのだからね。これは僕自身が何度も経験してきたことだから間違いない。

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2007年10月03日

3982 Take Five

曇り 気温:最低 6℃/最高 10℃

Take Five という名曲であまりにも有名なデイヴ・ブルーベック・クァルテットの「タイム・アウト(Time Out)」というアルバムが今日到着した。もちろんLPアルバムは所有しているんだけど、いまはレコードプレーヤーが使えない状況なのでCDを購入したのだ。

このアルバムと出合ったのは高校3年生の頃だからいまから40年ほど前のことになる。このアルバムをフルコピーして高校の記念祭(学園祭)で演奏したことを思い出す。中学の頃から僕はジャズドラマーを目指してプロの先生について習っていて、新宿のピットインにも中学時代から入り浸っていた。

とにかく Take Five のドラムソロパートにはいると会場がしんと静まりかえって聞き耳を立てているのを感じて音楽を演奏する喜びを初めて実感したのを昨日のことのように思い出す。まあ、初老の男性がよくやる昔語りだから、右から左に聞き流して下さい。

で、あらためてこの音楽を聴いて思ったことは、やはりこれは当時白人が黒人中心のジャズに対してはなったクリーンでこざっぱりしたホワイト・ジャズだということだ。素晴らしい曲であり演奏であるのだけれど、そこには汗臭いパッションやほの暗いグルヴィーなニュアンスは皆無と言っていい。

真っ白なボタンダウンシャツにレジメンタルタイをしめたアイヴィーリーガーが演奏するようなジャズだ。それでも僕はこの音楽を高く評価するし、とても好きなのだけれどね、なぜか。これ以降ジャズは白人のジャズ、黒人のジャズなんてジャンルが無くなって同じるつぼでごった混ぜになってより高いステージへと昇っていったように感じている。

★★★


紅葉はどんどんすすんでいる。走り出したらもう泊まらないのが紅葉だから、見頃なんて保証書無しの「予測」に過ぎなくなってきた。まあだいたいの進行状況はいつも書いているとおりだけれど、そのピークは数日谷で前後にずれるかも知れない。

いずれにしても今週末の連休は急激に紅葉のピークへと向かう途中経過、あるいはまさにピークの景色に出会える確率はけっこう高いと思う。特にピークは標高2000m以上のあたりだ。ピラタスロープウエイで上に上がって山歩きするか、国道299号線で麦草峠や白駒池を訪れることをおすすめしたい。


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2007年10月04日

3983 ポスト団塊世代の僕ら

晴れのち曇り 気温:最低 6℃/最高 14℃

秋は結実の季節、実りの季節、収穫の季節だ。それは次の世代への引き継ぎの季節でもある。旧い世代が新しい世代に未来を託して去ってゆく季節でもある。その理(ことわり)を僕自身もひしひしと感じている。

このあいだペンション村のメーリングリストでちょっとした議論になって、ヒートアップしたときに「あなたは全共闘世代だろう」といわれた。が、それは大間違いだ。僕は団塊の世代以降の先頭の世代であり、全共闘世代の正義と欺瞞の両方をしかと観て成長した世代なのだ。

だからといってその世代の人たちに悪印象は持っていないし、いまだに期待してもいるのだ。ようるすに僕は一貫して意識的にノンポリティカルな人間だったし、たぶんいまもそうなのだ。僕はただ観察していた、仔細に彼らと彼らの時代を心にとどめながら生きてきた。そういう役回りなのだ。

団塊の世代、そして全共闘世代は僕らの兄や姉の世代だから、とても親近感がある。しかし、同時に決定的に違う世代、決定的に異なる時代(隣り合った時代だったにもかかわらず)を生きてきたことを実感している。

これまで僕ら「ポスト団塊の世代」について一切論じられてこなかったことが不思議でならない。時代の証人として僕らほどふさわしい世代はないのにね。

それはそれとして、議論の最中にひとを「世代」でひとくくりにして切って捨てるというのはいかにも失敬だ。そういう君の世代は「頭を低くしていればやがて嵐は去る」主義世代なのではないかと切り返してやったけど、言うべきではないかった。僕らはそういう問題について議論していたわけではないのだから。

こういう場外乱闘は良くない。


★★★


さて、「結実」の季節の話しに戻ろう。

ピラタスの丘あたりもすっかり秋景色に変わった。一面紅葉の時節にはあともう少し。しかし、そうなると、紅葉の見頃なんてほんの1日であっという間に落葉を始めるから、この風情を楽しむなら今週末から来週末のほうがベターなのだ。

見頃を迎えた紅葉はクルマで少し走った標高2000m付近でじっくりと楽しめるのだから、心配はない。日光のような一面の紅葉(もみじ)の赤に染まった景色ではない、さまざまな色の織りなすタペストリーのような紅葉景色が蓼科そして八ヶ岳の紅葉の特徴だ。

その感動は「まあきれい!」というストレートな感動とはまた質が違ったものだ。あとになって、じーんと胸にしみてくるような感動なのだ。一度体験してみないと正確には理解できないとは思うけれど。

そういえば昨日デイヴ・ブルーベック・クァルテットの「タイム・アウト」というアルバム(あの有名なテイク・ファイブが収録されたアルバムだ)が以前聴いたときに比べて感動的でないようなことを書いたけれど、ずうっと聴いていて今日になってその印象が変化してきた。

なんだか急にじーんと胸にしみてきたのだ。初めて聴いた頃の僕にロールバックしたのかもしれない。あの頃の感触が鮮明によみがえってきた。うーん、やっぱり名盤だよこれは。演奏的にはいまは絶版で手に入りにくくなっているカーネギーホールでのライヴ版が最高にエキサイティングなのだけれど。

あのライヴは、エキサイトして演奏するデイヴ・ブルーベックの「らしくなさ」がとても良かった。そのインタープレイも丁々発止と生き生きしていてこれぞジャズって感じ。いつものお行儀の良いユニットという印象とはだいぶ異なってとっても良い。

何とか手に入れて聞き直したいと思っているのだけれど、なかなか見つけられないでいる。


★★★


さて、 ThinkPad T43 ユーザーとなって、当然ながら Windows ユーザーにもなってちょうど5ヶ月が経過した。一通りのことは経験していっぱしのことを言うようになったけれど、まあこれはこれでいいOSなんじゃないかという風に思っている。そりゃあ、言いたいことはたくさんあるけど。

シームレスに Mac と Windows を使って毎日の仕事をこなしている。いま自分がどちらを使っているかなんてほとんど意識しないほどだ。だからそれぞれに快適で軽快な「お仕事環境」を作るように心がけている。

ちなみに今日納品になった新しい2.5インチ80GBの純正HDDに早速換装した。これまでの60GBのものに比べて格段に処理速度が改善した、少なくともそのように体感できる。これまで使っていたHDDはバックアップ用として、ウルトラベイ・カセットにセットしてセカンドHDDとして内蔵してしまった。

いつでも取り外して、デフォルトのDVD/CDドライブと交換できるのが便利だ。じっさいHDD交換はねじ1本外すだけでものの5分で完了した。このあたりのメンテナンス製の高さが ThinkPad を選ぶ理由だと思う。

というような感じで、最近は Mac と Windows を半々ぐらいの比率で使うようになっている。実際このブログも文章は ThinkPad で書くことが多い。なぜってこっちの方がなんだか親密な気分になれるから。ノート型パソコンというのはデスクトップ型に比べてよりパーソナルに感じるのだ。


★★★


さて、いよいよ紅葉シーズンだ。今週末も天気予報が「晴れ」とでている。

土日はたくさんのお客様がいらっしゃるので、月曜日あたりに紅葉写真を撮りにドライブしようかと目論んでいる。


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2007年10月05日

3984 耳寄り情報-071005

晴れ 気温:最低 4℃/最高 10℃

東京の真冬の気温です

いよいよ本格的な冷え込みが始まったようだ。これが蓼科、とくに北八ヶ岳の秋の気候なのだ。温暖な平野部からいらっしゃるお客様は季節が2ヶ月先を行っていると考えて防寒具を忘れずに持ってきて欲しい。たとえば今日の気温は東京の12月の気温に等しいのだから。

半袖なんかじゃ「凍死」しますよ?。(^_^;)

館内でも厚手のトレーナーかフリースを着ないと、たとえ暖房が入っていても寒くてしょうがないです。これは室温の問題ではなくて、体感気温の問題なのです。室温が26℃以上あってもしんしんと冷えるように感じるはずです。

日差しは暖かなので晴れた日にはそのぬくもりに浸って高原の秋を楽しめるはず。日差しが無くて風があったりすれば、都会の冬の服装にしないと、というか高原キャンプの服装をしないと寒いと思います。その辺の山のキャンプ場なんかより500m?1000mも高いところに蓼科はあるのですから。

蓼科の朝晩の気温は、平野部の真冬と同じです。

こうなってくると紅葉の進行が早まってくる。冷え込みが厳しいほど紅葉の速度は上がるのだ。しかも色づきが良くなるので、冷え込みは大歓迎だ。明日写真を撮ってこよう。


バラクラ「秋の収穫祭」開催中

折しも今週末は蓼科高原バラクライングリッシュガーデンで「秋の収穫祭(ハーベスト・フェスティバル)」が開催中だ。意外に思うかもしれないけど、庭園はいま秋の花がとても美しいので一見価値がある。秋の英国庭園は「わび、さび」の世界で、日本庭園に通じるものもあったりして、とてもいやされる。

百花繚乱の夏の庭園も良いものだけれど、バラの花咲く6月の庭園も良いのだけれど、秋の庭園のこの風情はとても僕の気に入った。

ペンション・サンセットにお泊まりのお客様は200円引きで入場券を手に入れることができるのでご利用下さい。

 バラクライングリッシュガーデンの詳細はこちら
 http://www.today.barakura.net/


熱気球に乗れる!

 ペンション・サンセットからクルマ30分の原村まで足を伸ばせば
 なんと「熱気球」に乗る体験ができるのだ。

 高いところが好きな人は是非!

 熱気球の詳細はこちら
 http://www.lcv.ne.jp/~hotair/


八ヶ岳クラフトフェアinSUWA

 【開催期間】 2007年10月7日(日)8日(祝)雨天決行
 【時間】   10:00〜16:00(二日間とも)
 【会場】   諏訪市湖畔公園内石彫公園(芝生)

 LCV主催「八ヶ岳クラフトフェア」が今年は会場を諏訪湖畔に移
 して開催されます。
 全国から約200名のクラフトマンが集結。ぜひお出かけ下さい。

 クラフトフェアの詳細はこちら
 http://www.lcv.co.jp/craft/


以上、耳寄り情報でした。


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2007年10月06日

3985 紅葉の季節になりました

晴れ 気温:最低 5℃/最高 12℃

今日の紅葉の写真です

右の写真は今日、ピラタスの丘で撮したものです。こんな感じで紅葉が始まっています。ここ数日の急激な気温の低下で、一気に紅葉が加速しているようです。

来週末(10/13)頃には一面の紅葉風景になるかも知れません。おそらく再来週(10/20)にはペンション・サンセット周辺の紅葉は有終の美を飾るのではないかと思っています。

北八ヶ岳の紅葉を楽しむならば来週末(10/13)がぎりぎりかと思います。

まあ、標高差が1000mもある蓼科高原では最盛期の紅葉を見逃すことはありませんからその点は安心してお越しいただければさいわいです。信州全体が標高によって紅葉の見頃が決まりますから、他で紅葉狩りをすることもできるし。

メールマガジンのこと

それはさておき、昨日は「耳寄り情報」なんて書いちゃいましたが、こんなタイトルつけて書いたのは「蓼科高原日記」史上初めてのことではないかとあとになって気がつきました。これも今日配信させていただいた第6号までのメルマガ制作の影響を受けたのかなと思っています。

手探り状態だったメールマガジンも「案ずるより産むが易し」で実際に始めてしまったら、何となく感触がつかめてきたような。時折しも「紅葉の季節」ということで、当初月1回〜2回の配信予定が、毎週配信になってしまいました。

最新の紅葉情報だけでなく、この季節にはけっこういろんな面白いイベントが目白押しなのでそれもお伝えしたいということで、こうなっています。ご迷惑かも知れませんがおつきあいのほどよろしくお願い申し上げます。

もちろんまだまだ未熟でつまんないメルマガなんですけど、要するに「やりたいようにやる」のがいちばんかな(?)なんて思う昨今であります。許されるならもっとずううっと長い文章をメルマガに載せたいのですが、場合によってはひんしゅくを買うかも知れないしね〜。

でも、正直言って毎号載せている「耳寄り情報」はセールストークなんかじゃなくて、本当に伝えたい情報なんですよ。ホームページに載せても他の情報に埋もれてあまり伝わらないという経験をしてきたので、メルマガというメディアを得てこれでようやく効果的にお知らせすることができるかな、と。

今日はたくさんのお客様で満室です。信州の秋、高原の秋に癒しを求めてたくさんのお客様が蓼科高原を目指していらっしゃっているようです。

明日の天気予報も「秋晴れ」です。(^^)


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2007年10月07日

3986 メルマガ「蓼科高原からの手紙」はPR誌です

晴れ 気温:最低 6℃/最高 12℃

昨日今日とメルマガの登録解除が合計2件あった。配信数から見れば0.1%よりはるかに小さい数字だけれど、僕にとっては二人の方にとって不要だったという絶対数がとても気になる。

まあ、僕自身メルマガはあまり好きではなかったので、内容にかかわらずメルマガをうるさく感じる気持ちもわかるのだけれど。

しかしいまはメルマガのメリットをかなり享受しているという事実がある。その自己体験をふまえてペンション・サンセットのメルマガ発刊を決断したわけだ。たとえふだんは「やれやれまた来てるよ」と思うだけで即削除していても、いざ旅行を思い立ったときなどにはきっと役に立つという確信がある。

また、このブログが個人的日記であり続けるためにもメルマガ発行が必要だったのだ。

セールストークやお客様へのダイレクトな呼びかけはメルマガに任せて、ブログはきわめて個人的なメッセージをメインに書いていきたいのだ。だから、メルマガ「蓼科高原からの手紙」に「蓼科高原日記」を期待されても、僕としては困ってしまうというのが偽らざる心境なのだ。

このふたつはまったく正反対の役割を担っているからだ。「蓼科高原からの手紙」は「信州」「蓼科高原」「ペンション・サンセット」をPRするためのダイレクトメールなのだ。メルマガ「蓼科高原からの手紙」はPR誌なのだ。

それは宿命的なものでもあって、まさかあなたメルマガで「神とはわれわれの苦痛を計る概念である」なんてこと書けないでしょ?もっとそういうことをブログで書きたいからこそメルマガにそれ以外の部分を任せよう。

そういうことです。


ということで、登録解除はご自身でいつでもできますのでご遠慮なくどうぞ。プライバシー保護の観点から、僕にはどなたが解除なさったかはわからないしくみに変えましたので、心配ありません。


さて、これでここではもっと自由に好き勝手なことを語れるというわけです。

日によってはご興味のないことを書くこともあると思いますが、ひとそれぞれですから、お好みの日記をご覧いただければさいわいです。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。(今日のピラタスの丘の紅葉)

2007年10月08日

3987 宇宙を満たすエーテルのようにそれは森に染みこんでいくのだ

雨 気温:最低 6℃/最高 12℃

いきなり紅葉になるわけではない。
いきなり木の葉全体が赤くなるわけではない。
いきなりその樹木全体が朱に染まるわけではない。

宇宙を満たすエーテルのようにそれは森に染みこんでいくのだ。

それは吹き下ろす風のように山から里へと駆け抜けるのだ。
ぼやぼやしていると、あっという間に紅葉は通り過ぎて
目の前には冬ざれた森が凛とたたずんでいる。

紅葉はつかの間の夢。

いつもそこにあって、われわれを待っているわけではない。

★★★

日が傾いたと思うほどなく薄明があたりを支配する。子供たちは森を抜け家路を急ぐ。追い立てるようにかしましく鳴いていたヒグラシもいまは沈黙している。闇の使者のようなカラスが最期の警告を発して遠くへ飛び去っていく。

季節は盛夏を過ぎて初秋へと彩りを変化させつつあった。そのことは森の色やたたずまいそして香りに明瞭に現れていた。日が落ちると吹く風は驚くほど冷たかった。そういえばあれほど猛威をふるっていたヤブ蚊がほとんどいなくなっている。

闇の中から巨大な手が伸びてきて僕らをひとつかみにして虜にしてしまいそうだ。いまや森はわけのわからない多様な音に満ちている。林道の砂利を踏みしめる運動靴の音がやけに大きく聞こえる。汗とほこりにまみれたからだが疲労にきしんでいる。泥のような眠気がふっとよぎる。

眼前を狐が走り抜け、遠くで野生の鹿の叫び声がする。きゅーん、きゅーんというその声はもの悲しげだ。闇は質量を持った粒子のように僕らを取り囲み、あらゆる光を奪い去る。仲間のひとりが持ってきた懐中電灯の弱々しい光だけがかろうじて進路を照らし出す。

子供たちは帰り着くことができるのだろうか。

そうだ、これは夢なのだ。大人になった僕が子供時代の自分を見守っている。それでもなお、僕はそこにいる。深い森の果てしない闇の中に。

これは何かのメタファーなのだろうか。泥のような眠りから覚醒に向かう途上でそんなことを思う。外はまだ漆黒の闇。その闇の向こうから野生の鹿のきゅーんとという遠吠えが聞こえる。野生の中での暮らしとはこのようなものだ。


おそらく未明から降り始めた雨が終日降り続いた。ピラタスの丘はすっぽりと雨雲の中に入って、上空から吹き下ろす雲の粒子で濃霧のようになっている。懐中電灯で闇の空間を照らすと、一条の光の中にその粒子がくっきりと映し出される。それは荒波のようにものすごい速さで移動している。

この連休の初日と今日とでは森の色がまったく違っていることに今朝気づいた。はっきりと黄色く変わっているのだ。すでに三分の一ほど落葉をすませた樹木もある。森はずいぶん見通しが良くなってきている。

この分だと今週末(10/13)頃にはペンション・サンセットの周辺も紅葉真っ盛りになりそうだ。再来週(10/20)にはすっかり落葉がすんでもっと標高の低いところに「紅葉の帯」は移動しているかも知れない。

今日ご出発のお客様の多くが「こういう天気もなかなかいいものですね」とおっしゃっていたのが印象的だった。確かに墨絵のような印象的で美しい朝だったのだ。自分のペンションのラウンジの窓から見るこの風景は、じつは僕にとっても宝のようなものなのだ。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。(昨日の紅葉)

2007年10月09日

3988 The World without Love

曇り時々雨のち晴れ 気温:最低 6℃/最高 12℃

毎朝窓外を見るたびに驚かざるを得ない。日々激変するその情景に紅葉の季節の変化の速さに感嘆する。実際の気温もさることながら体感的な気温もここ1週間急激に下がっている。

秋いよいよ深まるの感が強い。

今夜は満天の星空がとても美しい。大気中の水蒸気がすべて夜露となって地表に落ちたためだ。地表はまるで雨後のようになにもかもがしっとりと濡れている。こんな時に雨傘を差して歩けば、ぽつんぽつんと雨の音を聞くことができる。実際はそれが夜露の降る音なのだけれど。

深夜には相変わらずキューンという澄んだ鹿の遠吠えが聞こえる。なんだかまるでカナダにいるみたいだ、ふとそう思った。歳をとってすっかり耳が遠くなってしまったシベリアンハスキーのパルはその声にも気づかずにぐっすりと寝入っている。

彼にも静かで穏やかないのちの季節が巡ってきたのだ。

そして僕にも同様に・・・。

僕はいま愛のない世界に生きている。

そのことを実感している。

誰も愛していないし、誰にも愛されていない。

これは象徴的な言い方だ。

現実的には、誰かに愛されているのだろうし、誰かを愛しているのだろう。

しかしそれだけでは不十分な状況にいま置かれているのだ。

僕はもっともっと深く大きな愛情に飢えている。

信仰を持ったひとならそれを神の愛だというだろうな、きっと。

そうかもしれない、でもそれはメタファーなのだ。

そのことを僕は知っている。

僕はこの世界を愛している、心から。

同時に、僕はこの世界に愛されたい。

そう思うのだ。

---

信じられないかも知れないけど、僕はいま居室でダウンパーカを来てこのエントリーを執筆している。それほどの冷え込みなのだ。薄い長袖カーディガンしか持ってこないで寒い寒いなんて言っても僕は「右から左に受け流す〜」ですよ。僕の言っていることを信用しないあなたが悪い〜!

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2007年10月10日

3989 今週末ピラタスは紅葉見頃

晴れ 気温:最低 3℃/最高 10℃

ピラタスの丘もいつの間にか紅葉がすすんでいたことを知ってびっくりした。クルマで少し下まで降りてきたのだけれど、ピラタスの丘ペンション村の中もそうだし、ビーナスラインもすっかり黄色と赤の世界になっていた。

夕陽の時間には今日の写真のように、その色はさらに色鮮やかにわれわれの目にしみるのだ。

なんともゴージャスな紅葉景色ではないか。

撮影した本人が感嘆しているのだから間違いない!

このぶんだと、なにしろ今朝は3℃まで冷え込んだのだ、今週末にはペンション・サンセットの周辺も赤と黄色と緑の織りなす「蓼科紅葉景色」の最盛期を迎えそうだ。来週末では遅すぎるかも知れない。もうすっかり落葉してしまっているかも知れない。

おなじみのペンション・サンセットのラウンジからの紅葉の眺めを楽しみたいのなら、今週末を外してはあとで落胆することになりそうだ。標高1750mがそんな感じだから麦草峠や白駒池の紅葉の最盛期も今週末が有終の美ということになりそうだ。横谷渓谷の紅葉も今週末から見頃になるのが通例だ。

来週では遅すぎる、たぶん。


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2007年10月11日

3990 山岳部の紅葉が見頃、高原部はこれから

晴れ 気温:最低 3℃/最高 13℃

標高1800mに近い「空に最も近いペンション村」である「ピラタスの丘ペンション村」でも紅葉がすすんでいます。白樺は黄葉してすでに落葉を始めています。一陣の風にはらはらと舞い落ちるその情景はなにか懐かしく心を打つものがあります。

そして、森全体が黄色みを増し、散見されるばかりだった真っ赤な紅葉もその範囲をどんどん広げています。

誤解の無いように言うなら、蓼科の紅葉は日光のような一面が真っ赤になるものではなく、自然原生林ならではの赤・黄・緑のおりなすタペストリーのような紅葉になります。

日光のような紅葉も目を見張るものがありますが、このタペストリーあるいは錦絵(にしきえ)の「錦秋(きんしゅう)」の風景もじつに感動的です。僕はどちらも同じように愛しています。

ペンション・サンセットの周辺もかなり紅葉がすすんで、紅葉(モミジ)も半分ほど赤くなっていますからあと数日で真っ赤になるでしょう。

繰り返しになりますが、蓼科の紅葉は山全体が真っ赤になるのではなく、さまざまな樹木の色がおり混ざって「タペストリー」を織りなし、絶妙な風景を見せてくれるのです。その美しさはじっさいに目の当たりにして見たひとでなければわからないと思います。

今週末、ピラタスの丘を訪れて散策してみれば、そのことが実感できることと思います。

平野部、都市部のお客様の体感気温からすると、当地は「とても寒い」と感じられることは間違いないので、真冬用のもこもこのダウンパーカやフリースを必ずご持参下さい。活動範囲がぐんと広がりますし、なりよりも快適にこの秋の風情を堪能できますよ。

それから履き物はできることならハイキングシューズがおすすめです。当館からクルマ40分の標高2100mの原生林の中の神秘の湖「白駒池」がいま紅葉の見頃を迎えていて、そこに行くにはどうしてもハイキングシューズが必要だからです。最低限、汚れてもいいような運動靴に履き替えないとどろどろになってしまうかも知れません。

今週末は「白駒池」をぜひ観光ルートに加えて下さい。

こちらにペンション仲間の実体験リポートがありますので参考にして下さい。


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2007年10月12日

3991 今年の紅葉は同時進行?

晴れ 気温:最低 3℃/最高 10℃

正直なところ秋の蓼科の魅力は「紅葉」だけではないのだけれど、世間一般ではやっぱり「紅葉でしょう」ということで、紅葉のことを詳しくご報告しています。

今日の写真はペンション・サンセットの入り口看板灯そばの紅葉です。

蓼科の秋は、「錦秋(きんしゅう)」の魅力がまず一番にくると思います。

ちなみに錦秋とは:

紅葉が錦のように美しくなる秋 [株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

ということだそうです。

日本の言葉って本当に美しく表現力豊かですね。

***

さて、蓼科の山や森は原生林が主ですので、自然と紅葉も多様な樹木の紅葉となるために緑・黄・赤のおりなすタペストリーのようになるので「錦秋」となるわけです。

緑は一年中葉の色が変わらない常緑広葉樹、黄色は白樺やみずならなどの黄葉する樹木、そして様々な赤に紅葉するモミジをはじめとした樹木たち。

人の手が良く入った植林の森ではこのようにはなりません。ちなみに「スズラン峠」を越えた立科町側は戦後国策事業として唐松の宿鈴が行われたので一面の唐松林になっています。

東山魁夷画伯が好んで描いた青い森はこの唐松林にモチーフを得たとも聞いています。じっさいにライトブラウンに紅葉した見渡す限りの紅葉のカラマツは画伯の絵画を連想させます。あえてカラマツの紅葉を見にいらっしゃるお客様も多いのです。

カラマツの紅葉の見頃は11月中旬以降になります。その頃ちょうど蓼科高原の広葉樹の紅葉が終わります。

★★★

さて、今日ビーナスラインを走って驚いたのは、蓼科湖付近でもすでに紅葉が始まっていたことです。ヤマウルシはもとよりソメイヨシノの真っ赤な紅葉もすすんでいました。こんなことは初めての経験です。蓼科湖畔も紅葉で彩られ始めています。

おそらくこれは今年の長梅雨と年々気温が上昇する夏の気候によるものかと思われ、帯状に山を下って標高を下げていく紅葉のその「帯」の幅が異例に広いものになっているのではないかと個人的には推測しています。

もちろん標高の高い部分のほうが紅葉している樹木の比率は高いのですが、時間差をもってずっと標高の低いところでもいち早く紅葉が始まっているわけです。


まあ、実際的に考えれば、今週末の紅葉狩りは国道299号線を登った「麦草峠」から「高見石」そして「白駒池」が最盛期で見頃です。来週では遅すぎると思います。

そして、ピラタスの丘やピラタスロープウエイでは今週末から来週末が紅葉の見頃、横谷峡も同じタイミングと思われます。来週末から月末にかけては蓼科湖などの湖沼部をメインにして蓼科高原全体が紅葉のグラデーションを形成するでしょう。

つまり湖沼部は紅葉鮮やかな見頃だけれど、標高が高くなるにつれて紅葉は減じて落葉した森へと変わっていき、広葉樹の紅葉の終わりといれちがいに落葉松の紅葉が見事な景色を見せてくれるようになるでしょう。


ということで、今年はじつに多様な美しい景色を見せてくれそうな蓼科高原です。10月中〜11月上旬の期間ならいついらしても紅葉に出合うことができると思われます。

こんなことはめったにないことなので、この機会を逃すと後悔するかも、きっと。


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2007年10月13日

3992 蓼科の紅葉は最盛期を迎えます

晴れ 気温:最低 2℃/最高 10℃

ピラタスの丘よりだいぶ標高の低いところでもこのような紅葉が始まっている。このような進み方はこれまでの僕らの常識を、ある意味で、改めさせるものだと思う。

紅葉は帯状に標高を下げていくものだとこれまで僕らは信じていたし、実際その様な眺望を目にしてきた。しかし今年は様子が違うのだ。注意深く見守っていきたい。

いずれにしても、ピラタスロープウエイからの眺めは素晴らしく、山歩きのお客様も大満足の紅葉狩りを楽しんでいる。麦草峠方面特に「白駒池」は必見だ。来週末まで何とか持ってくれるだろうか。

さて、今日の夜ペンション・サンセットのメールマガジンの創刊第7号を配信させていただいた。少しずつだけれど、方向性が定まってきたような気がする。いきなり「決定版」というのは無理なので、忍耐をもって見守っていただければ幸いなのね。(^^ゞ

先週以来お客様のいらっしゃる日には営業時間中全館暖房の日々が続いている。それほどこの1週間ほどの朝晩の冷え込みは本格的なのだ。まあ、だからこそ紅葉が色づく訳なのだけれど。

蓼科高原では広葉樹の紅葉は11月上旬まで、東山魁夷画伯が愛した蓼科のカラマツの森の紅葉はそれ以降12月に雪が積もり始めるまで見頃が続く。

テーマパークやつくられた景色で構成された一部のテレビの紀行番組が好きなひとには蓼科の景色はなじまないかもしれない。しかし本物の自然の景色というのはこのように見えるものなのだ。景色の美しさはそれを観るひとの感性に正比例する。

景色を見るのはじつはとても「創造的な行為」なのだということを、僕は蓼科の自然に教えられた。


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2007年10月14日

3993 紅葉だけでない蓼科の秋

晴れ 気温:最低 2℃/最高 9℃

この季節以降、冷え込みがきつくなってくると大気中の水蒸気が急激に減少するので、夕焼けよりは夕日そのものが美しい季節になってくる。そうだ、きれいなのは、感動的なのは夕焼けだけではないことを知る。少なくとも僕はここに移住してそのことを知った。

その夕陽に照り返す紅葉の鮮やかさはじつにすばらしい情景を展開する。

今日はそのことだけを伝えたい。


★★★


紅葉の進行状況をお知らせするためにメールマガジンを週刊発行にしているけれど、当然ながらその頻度での配信を「うるさく」感じるお客様もいらっしゃるだろう。その結果配信停止の手続きをとるお客様も散見される。内容と配信頻度のあんばいがまだ良くつかめていない現状ではそれもやむを得ないことなのだと思っている。

お客様が知りたい情報をお送りするのがメールマガジンの趣旨であって、こちらがお伝えしたい情報を伝えるためにお送りするというのは方向性が正反対だ。そのことをもう一度よく考えていきたい。でも、お客様にとっても知って得する情報というのが結構多いのだ。

また、「ご宿泊応援クーポン」もさいわい好評をいただいているけれど、「乱発」というのはいかがなものかとも思っている。そんなのありがたみがないでしょ。もっとタイムリーで「ありがたみのあるクーポン」を考えたい。

僕のペンションの「お客様にとっての価値」はトータルでの心地よさであって、お得だとか安いとかといったことではないことを教えていただいた。極端な意見としては「オーナーはなにもしなくて良いからこれまで通りのペンション・サンセットであってくれさえすればいい、それを守ることに専念して欲しい」というものだった。

この言葉には刮目すべきものがあった。

がーんと一発頭を殴られた気がした。

そうだ、そうなのだ。

僕は久しくそのことから目が離れてしまっていたのかもしれない。

反省して心を新たにしている。


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2007年10月15日

3994 秋深まる、紅葉進む

晴れ 気温:最低 2℃/最高 8℃

昨夜半、突然の雨。少し驚いた。あとでネットの天気概況を観たらいつの間にか雨マークが6時間ほど割り込んでいた。これが12月以降なら「突然の雪」になるわけで、それは良くあることなので別段驚かない。なんであんなに驚いたのだろう。

おかげで今日やろうと思っていたペンキ塗りを延期することになった。テラスも壁もびっしょり濡れてしまったからだ。良く乾燥した状態で塗りたいから、延期することにしたけれどいつまでも順延しているわけにもいかない。気がつけば積雪しているとか、気温が氷点下になってしまうから。

まあ、じっさいにはそれは11月末以降のことなのだけれど。


ラウンジから見る景色はどんどん色彩豊かになっている。毎朝加速しているように感じる。

今日の写真は数日前のものなので(さぼってすみません)、窓外の景色はいまはもっと赤くなっています。

それにしても、本格的な秋の気候になった。それでも昨年の9月の急激な冷え込みに比べたらまだまだ温かだと思う。

昨日書き忘れたけれど、ご存知の方はご存知の我が家の人気者シベリアンハスキーのパル君は10月13日に13歳の誕生日を迎えた。まだまだとても元気だけれど、やはりちょっとした動作に老いを感じるのはいたしかたない。相変わらずマイペースで、天然で、とてもいいやつです。

今日早起きして「お客様の声」のページを更新しました。

以上、お知らせまで。


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2007年10月16日

3995 そぞろ寒い時代

晴れ 気温:最低 4℃/最高 8℃

「そぞろ寒(そぞろさむ)」というのだそうだ。

秋が深まりしんしんと冷える夜には、実際以上に寒さを感じる。

しかし同時に、秋は「柔らかな季節」だ。

少なくとも僕にとっては、現実の肌触りも心が感じるそれもとても柔らかな季節なのだ。

ぐんと湿度が下がり、さらっとした冷たい風が森を吹き抜ける。

その感触は優しい。

鋭利な刃物のような「木枯らし」とはまったく別物だ。

はらはらと舞う落葉もまた疲れた心を慰撫する。

秋は癒しの季節なのだ。

同時に人生の終わりを見通すにも最適の季節かもしれない。

少なくとも僕にとってはそうだ。

良く生きることは良く死ぬことだから。

そのことにゆったりと想いを巡らす深夜。

若い人には永遠の未来のことに思えるだろう。

きみたちにとってはなにかを終わらせてなにかを始める季節なのかも知れない。

たとえば夏の恋の終わり。

小泉政権以来世の中は「わかりやすさ」がすべてになってしまった。

劇場的であり、かつ、わかりやすいこと。

しかしそのような「わかりやすさ」がもたらすのは、
奥行きや深みのないコミュニケーションなのだ。

中身がないからこそ、「わかった」ような気がするのだ。

だからこそわかりやすいと感じる。

真実は単純だがわかりにくいものだ。

真理はシンプルだけれどほとんど理解不能なのだ。

だからひとは容易に悟りを開けない。

皮肉なことに、わかりやすさの欺瞞生を暴くためには、
「わかりやすさ」のトリックを使わなければならない。

そんな時代になってしまった。

レトリックではなく、トリックを使う。

ほんとうに、皮肉なことだ。

そぞろ寒い時代になってしまった。


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2007年10月17日

3996 人間だもの

晴れ 気温:最低 1℃/最高 8℃

更新が遅くなりすみませんでした。

少し充電しないと書くことができなくなってきたようです。

人間だもの・・・・。(笑)


ピラタスの丘の紅葉は今が盛りです。
が、様子がいつもと違うのです。

早々と紅葉して散ってしまう木があると思えば、
いつもなら真っ赤に紅葉しているはずの木が
まだこれからといった感じで

ようするに足並みがそろわないのです。

奇妙な秋です。


結果的にこの秋の紅葉は息の長いものになりそうです。

お楽しみに。


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2007年10月18日

3997 三五五三のリフレイン

晴れ 気温:最低 1℃/最高 9℃

 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

(夏目漱石著「草枕」より:青空文庫


なあんだ、「草枕」に全部書いてあったんだ。思春期に読んだことあるのにね、当時は全然理解していなかったってことか。

いまは僕も山路(やまみち)を登りながら、そう考えるよ。

それはさておき、

読んでくれているひとはごく少数だろうけど、書くことができなくなった僕は過去の戯言を繰り返すしか能がないのだ。

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エントリーナンバー 3557 2006.11.08 を繰り返す:

本音とか正直とか公正とか、そんな言葉も概念もおとぎ話の中にしか出てこないのだ。世界は嘘と欺瞞と不公正に満ち、不公平がその実体に違いない。愛という名のメタファーに救いを求めるほか無い。しかし、メタファーはあくまでもメタファーでしかない。愛は人間存在によってのみ存在させることができる。愛はそのままでは生き続けられない。

世の中が公平であるとか、神が正義であるとかいうのと同様にそんなものはわれわれの妄想でしかない。信じる努力なしに愛は永遠ではないし、闘う勇気無しには正義は存在すら危うい。戦争や闘争は人間の原初的性向であり、平和や融和はその合間に訪れる僥倖(ぎょうこう)に過ぎない。

だからこそわれわれは演技するのだ。この世界は本来的に平和であるかのように、人間は平和をなによりも愛する生き物であるかのように、人間とその社会は必然的に正義と公平を志向するものなのだと。社会正義は必ずなされるものなのだと。愛さえあれば平和は必ず訪れるものなのだと。

別に悲観的にものを見ているわけではない。ことさら斜に構えて世界を見ようとしているのでもない。僕はただ可能な限り公平に見極めたいだけなのだ。僕なりのささやかな勇気を持って。

先日僕は、この日記を書くことが僕の生業でもあるペンションからお客様を遠ざける結果になっているのではないかという疑念を持っていることを告白した。本当にそう考えているのだ。現代社会においてひとは耳に心地よいものを志向する、自我に心地よいものにのみ心が傾く。

時代はまさに誘惑の時代を迎えている。社会はいまや、少なくとも、市場は「女性原理」に従って動き始めている。それは倫理を越えた原理である。それは「心地よさ」こそが市場原理であるような世界だ。


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以下、今日のコメント:

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少なくとも現代消費社会は「女性原理」に逆らうものは生き残れない時代になった。

それでみんなは幸せになっているのだろうか。

女性だけでも幸せになっているならそれはそれでよいのだけれど、

どうも女性も男性もあんまりしあわせそうには見えないもの。

「女性原理」だけ、ではダメなんだ、たぶん。

「男性原理」と両方があって初めてバランスのとれた世界が実現できるのだと思う。

つまらない結論だけど、真実はそんなものさ。

だから、誰も聞く耳を持たない。

智(ち)に働けば角(かど)が立つ。

このペンション村でもね、だから僕は嫌われている、たぶん。

情に棹(さお)さして流される方が心地よいもの、誰だって。

寛容に振る舞ったほうが得だし、気分が良いもの。

僕だって例外ではない。

でも誰かが理を説かなければ間違った方向に突っ走ってしまうから。

でも、もうそれもやめた。

多少、利に聡く(さとく)なったのかもしれない。

ほんとうのところは、もう疲れちゃっただけなのだけれど。

だから、口をつぐんで「空気を読む」ことだけに集中しよう。

しばらくは自分のことだけを考えて暮らすことにする。

今一度自分の足場を固めなければ、もうなにも言えない。

勝てば官軍というのは、どんな社会でも普遍の法則なのだ。

群れるんだったら力のある派閥に属することだ。

それができないのだったら徹底して「いいひと」になりきることだ。

唯我独尊の個人であることを断念しなければならない。

「個」あるいは「近代西欧的自我」を確立することは封建的地域共同体にとっては極悪な罪なのだ。

それは会社だろうが田舎の地域社会だろうが変わることなく根付いた原理原則であることを僕は確認した。

地域社会に順応した「パブリックな自我」を生きることこそが望まれている。

個人の集まりが社会ではなく、生きるための共同体の一部として個人があるに過ぎない。

オオカミのように群れて生きるのではなく、集団として全体主義的に生き抜いてきたのが人類なのかもしれない。

原初より人類はそのような生き方を脱してはいなかったのだ。

そのこともまたいま見えてきた事実のひとつだ。

それを改めない限り、暴力も戦争も決して無くならない。

それは精神あるいは心の問題ではなく、構造的な問題だからだ。

2007年10月19日

3998 秋雨の紅葉を打つ

曇りのち雨 気温:最低 1℃/最高 8℃

ざあざあと音を立てて雨が降る。めずらしいことだ。おそらく森の一部の樹木が葉を落として隙間が増えたために雨滴が直接地表の落葉を打つようになったからだろう。この音はからからになった落葉を打つ音なのだ。

蓼科の紅葉は、半ばで停滞しているように感じる。先に紅葉した木が遅れている樹木の紅葉を待ってくれているような気さえする。白樺の木はすでに黄色くなっているので、さっさとマイペースで葉を落としている。

最近いろんな夢を見る。いつもは夢など見ないのに、というか、夢を見たことすら思い出せない深い眠りなのに。これまで縁のあった思いで深い人たちが登場し、さまざまな言葉を交わして去っていく。まあ、女性のほうが多いのだけれど。そう、昔の恋人や友達以上恋人未満。

未完の恋は忘れられないものなのだ。どこかの学者が唱えているようにね。

男の恋の思い出はライヴDVDみたいな現在進行形の鮮明な記憶だ。きっぱりと恋を終わらせることのできる女性のそれとはまったく異なっていると思う。それは完全版としてパッケージされ大切にアーカイブされている。

それは熾火(おきび)のように死ぬまで消えることのないいのちの炎だ。

男性は自分の愛した女性を生涯忘れることはない。

たとえそれが美しい幻影に過ぎないとしても。


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2007年10月20日

3999 我が家は紅葉の盛り

晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃

今日は晴れ。

我が家も紅葉の盛り。

差し込む秋の陽射しに美しい景色を心に描く。

景色はそれぞれの心のスクリーンに映し出されるもの。

良い景色を描いて、心地よく澄んだ心のスクリーンをお持ち帰り下さい。

posted by : P・サンセット

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この日記を書き始めてから明日で4000日目を迎えます。なかには11年間4000日を共に歩んで下さった方もおられることと思います。ありがとうございました。

ひとつのことをこれほど長きにわたって継続できたのは、ひとえにこれを読んで下さるみなさまがいらしたからです。なにより感謝しているのは、くじけそうになったときに、励ましのお便りをいただけたことです。

この日記は、私にとって三日坊主で終わらなかった人生最初で最後の出来事になると思います、たぶん。すでに11年目にはいっているのだから、これはすごいことだと自分でも思いますが、過去になにを書いたかなんてもう憶えていない自分が少し寂しい。

これを機会に少し昔自分が書いたものを読み返してみようと思います。そしていまそのことをどう感じ、どう考えるのか、そんなことを検証してみるのも面白いかななどと思っています。

今後ともよろしくお願いします。


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2007年10月21日

4000 紅葉は蓼科高原全体に広がる

晴れ 気温:最低 - 4℃/最高 6℃

間違いではありません、マイナス4℃です。今朝は天気予報どおり広範囲でこの秋いちばんの冷え込みになったようです。ただ、じっさいは数字ほど寒くは感じません。まだまだ陽射しが強いからでしょうか。地形的な問題でしょうか。以前日光に行ったときなどは信じられないほど寒く感じたけれど。

昨日八ヶ岳も全体的に初冠雪を記録しました。里から望むと、標高の高い南八ヶ岳がはっきりと冠雪しているのが見えます。北八ヶ岳はおおむね2500m級、南八ヶ岳はおおむね3000m級の山が連なります。何年か前に北横岳に登ったときは11月初旬で氷点下だったけれど山頂まで雪はなかった記憶があります。

その時々で山の様相は劇的に異なるのでですね。だからこそ注意が必要なのだと再認識しました。

個人的にはこの時期に山に登るのがいちばん快適に感じます。

麦草峠、白駒池はこの土日でほぼ紅葉は有終の美を飾ったことと思います。が、まだ写真撮影のチャンスはあるかと思うので今週訪れてみようかと思っています。これからは標高2000m以下のもっと標高の低いとことで紅葉狩りとなります。たしかに今年の紅葉は1週間〜2週間程度遅れて進行しているようです。

標高1200付近にある蓼科湖でもすでに一部の樹木が真っ赤に紅葉していました。そこから標高100mほど上にあるプール平でもきれいに紅葉した桜の木を見ることができました。たしかに今年の紅葉は進行が遅いようです。ということは、まだまだ楽しめると言うことですね。

11月初旬の蓼科高原映画祭と蓼科の紅葉の両方を楽しめるなんて今年が初めてではないかと思います。これはチャンスかも。

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2007年10月22日

4001 今年の紅葉は二段ロケット型?

晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃

麦草峠、白駒池〜ピラタスの丘が見頃です。横谷峡もそろそろ。
いまや紅葉は蓼科高原全体で始まりました。11月中旬までかな、
今年の紅葉の見頃はいつもより半月長くなりそうです。

ピラタスの丘は標高1800m近い高所にありますが、さらに高い
麦草峠や白駒池(標高2000m以上)ではまさに紅葉の見頃です。
たくさんの写真愛好家や、TVなどのマスコミが撮影に来ています!

国道299号線でクルマでもアクセスできますのでおすすめです。

今週中には有終の美になるでしょう。

それより標高の低い(2000m以下)ではこれから見頃です。
今年は確かに紅葉が遅れているようです。
まるで二段ロケットみたいに第二段階スタートといった感じ。
いつもとちょっと違う紅葉の進み具合です。

ということで、今日メルマガ「蓼科高原からの手紙・第7号」を配信させていただきました。

毎週配信というのもかえってご迷惑かと、最後まで配信するかどうか迷ったのですが、紅葉の季節で状況変化が激しいと言うことで配信しました。

なんだかやっつけ仕事的になってしまったかなと反省していますが、メルマガの特性として何度も読み返していただけるとは思って言いませんので、同じ情報でも新情報を追加しておすすめ度や重要度に応じて再編集して再度配信しています。

メルマガはさらっと読み流して必要ないと思えばその号は削除してしまうというのが僕自身の情報管理ポリシーでもあるのでそれで良いのだと思っています。

多少なりともみなさまのお役に立てば望外の「お手柄」と思います。

それはさておき今日蓼科湖まで走って、周辺の紅葉の写真を撮影してきました。蓼科湖は桜の木を中心に真っ赤な紅葉が湖畔を美しく彩り始めています。


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2007年10月23日

4002 至福の時間

晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃

ようやく夢を見なくなった。正確に言うなら、覚醒後、夢を見たことを自覚しなくなった。いつだって夢は見ているのだ、脳が生きていて眠っているときには。

この秋は夕方や早朝に野生の鹿の遠吠えを聞くのが日課になった。キューンというもの悲しげなその声に深い森を想像し、じつは自分がそのまっただ中にいることを自覚する。以前はこの季節の夕刻に必ず聞いていたアカハラの歌声を聞くことが無くなったのはやはり気象異変の影響なのだろう。

至福の時は、そう思った瞬間から消え始めるものなのだ。

時間よとまれ、と願う。

しかし時間は止まらない。

どんどん先に行ってしまう。


深夜、いや、もう夜明けだ。愛用の旧いラジカセでマイルスの「ブルー・イン・グリーン」を聴きながら村上春樹の「ノルウェイの森」を読む。1987年製のビクターのラジカセで聴くマイルスは古き良き時代のにおいがする。1987年発表の「ノルウェイの森」もまた、僕の青春時代の香りがする。

外は静寂に支配されている。窓外にはシベリアンハスキーのパルが静かな寝息を立てている。野生鹿の遠吠えもいまは聞こえない。野鳥のさえずりもこの季節にはもう聴くことは出来ない。ピラタスの森は息を潜めて夜明けを待っている。

紅葉や観光情報のことばかり書くのにはいささか疲れてしまったというのが本音なのかも知れない。もっと他に書きたいことがあるのかも知れない。だから書けなくなってしまったのだろう。あるいは、書くことが苦痛に感じられるのだろう。

こんな夜明けには自分が本当に愛したのは誰だったのか、本当に愛したものは何だったのか、そんなことがぼんやりと見えてくる。そのひとがいまどうしているのか気にかかる。知ったってどうにもなるものでもないのだけれど。

自分が本当に愛したものが何だったのかを知ったとしても、いまさらどうにもなるものでもないのだけれど。それでも、知ることは意味のあることだ。それらはいまここにいる僕の本質を形成するものだから。


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2007年10月24日

4003 白駒池の紅葉は今週末まで見頃です!

晴れ 気温:最低 0℃/最高 8℃

ペンション・サンセットのカエデが真っ赤になりました。総合的に判断するならば、いまがピークなのかな、とも思います。とすると、やっぱり今年の紅葉は樹木の種類によって紅葉のタイミングが2段階で進行していると言うことなのかも知れませんね。

僕にとってもこんなこと初めての体験なので、いろいろと迷走した紅葉見頃情報となってしまいましたことをお詫びします。しかし、まったくはずれてはいなかったので、それぞれの紅葉狩りを楽しんでいただけたようでほっとしています。

うれしい番狂わせがあります。

なんとあの白駒池の紅葉が今週末まで見頃だそうです。

地元のテレビ局が今夕ニュース映像で見せてくれました。先週とほとんど変わらない紅葉の盛りの白駒池の紅葉を。麦草峠や高見石方面への山歩きや、白駒池まで徒歩15分程度の所に駐車場の整備されている国道299号線ドライブには最高の週末になりそうですよ。


もうすぐ第10回小津安二郎記念蓼科高原映画祭が開催になります!

11月2日(金)〜4日(日)に開催される蓼科高原映画祭は蓼科の紅葉のすばらしい情緒が満喫できます。

>>第10回小津安二郎記念蓼科高原映画祭のホームページへ

ピラタスの丘ペンション村からのうれしいお知らせ:

期間中ピラタスの丘ペンション村(どのペンションでもOK)にご宿泊のお客様に
蓼科高原映画祭チケットをプレゼントさせていただきます。
チケット用意の都合上、ご宿泊先のペンションに予めお申し付け下さい。
限定枚数に達ししだいこのプレゼントは終了となります。
ご予約はお早めに!


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2007年10月25日

4004 山小屋風ストーブ

晴れ 気温:最低 0℃/最高 10℃

あいにく明日は雨の予報が出ている。当たるかどうかは別として、午前0時を回った現在は十五夜お月さんが煌々と照っている。星だってたくさん見える。これで本当に明日の朝までに雨になるのだろうか。山の天気はじつに予想しがたい。

昨日も書いたけれど、標高2000強の場所にある原生林の中の神秘の湖「白駒池」は今週末まで目の覚めるような紅葉を湖面に映して我々を出迎えてくれる。一度見てしまったら病みつきになるようで、毎年この時期に白駒池を訪れるようになってしまうとか。

今週末が今年最後のチャンスですよ。

いまはもう蓼科高原全体が高原の秋、紅葉の山々といった風情になっています。山歩きにも、ドライブにも、路線バス利用のゆったりした旅でも、蓼科でしか味わえない「秋」を満喫できます。これはセールストークなんかじゃなくて僕らの体験的事実です。

最低気温の平均が0℃になったので、床下通風口をクローズしました。耐寒仕様の建物なので、それだけで暖房効率が上がりぐっと温かくなりました。ラウンジでは冬用の「山小屋風ストーブ」を炊かないとなかなか室温が20℃にならなくなってきました。

長期的には館内が煤けるし、灯油1リットルを燃焼させるとだいたい1リットルの水蒸気が発生するので、それが見えないところで結露して建物の基本構造を痛める可能性が高いと、先日専門家のお客様から教えていただいたので、換気システムを最大限利用して水蒸気を外に出す工夫をいろいろと考えながらの使用です。

客室はすべて温水循環型の「火を使わない」暖房システムなのでとてもクリーンでやわらかな暖かさです。ラウンジにも同じシステムが導入されているのですが、それだけではなかなか室温が上がらないのと、やはり遠赤外線の暖かさをお客様は求めていらっしゃることから、この大きなストーブを使うようになりました。

じつはこのストーブ、国産では唯一標高1200m以上の高地で使用できるストーブなのです。平地に比べて空気が20%以上も薄い標高1750mではこのストーブしか安全に使うことができません。空気が薄い分を強制加給機(スーパーチャージャー)によって補って完全燃焼させるシステムです。おかげで、標高2000mまでのメーカー保証があります。

街で売っているファンヒーターなどはすぐに不完全燃焼を起こしてセンサーが作動して消えてしまいます。こちらに移住するまでそんなことは想像もしたことがなかったのでとても驚いたものです。普通の製品は標高1000mまでしか使えないもの、ぎりぎり1200mまでOKのものがありますが、それ以上の高地では使えないとのことでした。

それはさておきこの「山小屋風ストーブ」はお客様の人気者です。文字通り「山小屋みたい!」というあこがれと、実質的な暖かさ故のことかと思いますが、いずれにしても赤く燃える火の周りにはいつの世もひとが集うものなのですね、たぶん。


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2007年10月26日

4005 今週末は曇り、蓼科全体が紅葉

晴れのち雨のち曇り 気温:最低 3℃/最高 13℃

今週末は曇りの予報になったり、

雨の予報になったり、

はっきりしないけれど、

いまは雨は止んで曇り空です。

蓼科高原全体が紅葉で彩られている。

横谷峡も写真撮影に最適な紅葉最盛期を迎えた。

ピラタスロープウエイやピラタスの丘も朱色に染まっている。

白駒池、麦草峠は紅葉景色の最後のチャンスが今週末。

紅葉情報はこちらでご覧下さい。

蓼科高原の紅葉の秋はあと3週間続きます。

(23:30記)

★★★


愛用の Power Mac G5 も使い始めてちょうど5年経過するけれど、必要十分なパワーを維持している。まあグラフィックボードの増強、メモリを6GBに増強などなどチューンナップしてきているけれど、そんなにいじってはいない。

そして、デジタル写真ファイルの増大に対応するためにハードディスクを増強した。これまでの160GB×2台を500GB×2台内蔵に変更し、Newer Technology の Guardian MAXimus という外付けHDDケース160GB×2台を Raid 1(ミラーリング)設定した。

ハードディスクは新モデルになるたびに微妙に速くなり、劇的に静かになっている感じがする。これまではSeagate製の愛用者だったが、コストと静粛性を優先して今回はHITACHI製(元はIBMだからね)の製品を選択した。

11年間に撮りためたデジタル写真だけはなにがあっても失うわけにはいかないので、このようなシステム構成にしたわけです。これで安心してRAWモードでばしばし撮影できる。なにしろ1日紅葉を撮りに行くとすぐに2GBや3GBのファイルサイズになってしまうから。

現在の OS は Mac OS X 10.4.10 (Tiger) で、今日発売の Mac OS X 10.5 (Lepeard) へのアップグレードはこのマシンを Xeon×2(クワッドコア)の Intel-Mac に買い換えるときになりそう。

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2007年10月27日

4006 今日は秋の嵐、明日は晴れる。

雨のち嵐 気温:最低 3℃/最高 13℃

目が醒めると落ち葉に埋もれていた。楢の木の褐色の落ち葉だ。紅葉は落ちていない。未明から雨が降り出したのは知っていたけれど、いつの間にか激しい降りに変わっている。やがて風が強くなった。

ミズナラの大きな葉が宙を舞って落ちてくる。それが大雪のように降り積もる。屋根にも、テラスにも、地表にも。これは嵐だ。台風とまでは行かないけれど、まるで春の嵐のようだ。


ずうっと南の太平洋上を季節外れの台風が通過中だという。その影響なのだ。台風は明朝にははるか遠くに去って、未明から晴れるという予報が出ている。

ご宿泊のお客様にはあいにくだったけれど、ピラタスの丘までの途上、紅葉の美しさに目を見張ったとおっしゃる。蓼科はまさに極彩色の秋を迎えているのだ。この美しい景色はあと2〜3週間続くだろう。

しかし、雨の日の紅葉もまたしっとりと美しいものだ。そのことを今日知った。


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2007年10月28日

4007 蓼科は極彩色の世界・蓼科山が初冠雪

晴れ 気温:最低 - 2℃/最高 8℃

美しい森を歩いていた。真っ赤に紅葉した楓(かえで)がほどよい感覚で頭上を覆い、他の樹木は新緑に輝き下草も青々として吹き抜ける風にそよいでいる。径(みち)に沿うように渓流が流れ、さらさらと軽やかな水音が心地よい。

陽射しはまっすぐで強い初夏の光線だ。しかし、僕の感じる季節は秋。腐葉土に覆われた森の小径はふわふわとして雲の上を歩いているような感覚がする。落ちた小枝が時折ぱきぱきと足下で音を立てる。

突然見知らぬ鳥が鋭い鳴き声とともに飛び立っていく。完璧な世界が一瞬切り裂かれる。しかしゆっくりと広がる波紋がおさまると、この球形の空間は元どおりの完璧な姿を取り戻す。僕はこれが自分の夢であることを感じる。

この森が僕の心の形であることをしだいに思い出す。僕はいま自分の夢の中にいてゆっくりと覚醒へと向かっているのだ。いったい覚醒は褒め称えられるべきことなのだろうか、夢は笑い飛ばされ忘れられるべきものなのだろうか。


★★★

蓼科山が冠雪しました。昨日の夜は氷雨だったので、これはきっと山の上では雪だよと言っていたのですが、やはり標高2200m以上は雪になったようです。

紅葉は数百メートルの帯状に山を下るのが通例ですが、いまちょうどその帯がピラタスの丘を通り過ぎようとしているようです。

ミズナラや白樺などは昨日の「秋の嵐」でおおかた葉を落としましたが、カエデやヤマウルシなどはまだしっかりと赤い葉をさらに鮮やかにしつつあります。

いままさに極彩色に彩られる蓼科高原です。


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2007年10月29日

4008 ディフェンシブな社会

曇り時々晴れ 気温:最低 0℃/最高 10℃

最近電話で問い合わせをしたりするときに相手の企業なりお店なりの対応に「なにかが変わった」と感じるのは僕だけだろうか。ひとことで言ってしまえれば彼らは「身構えている」のだ。フレンドリーではなくむしろ「ディフェンシブ(防衛的)」なスタンスの応対なのだ。

これまでと少しも変わった問い合わせのしかたや態度を取っているわけではないにもかかわらず、そのような応対をされるのはいささか不本意であるわけだ。おそらくどんなに丁寧で礼儀正しく友好的な態度で連絡を取ったとしても、彼らの応対のスタンスは変わらないのではないかと思う。

それほど「クレーマー」事案が増加しているのだろうか。おそらくは、そうなのだろう。そのことはインターネットショッピングするときにも感じる。ホームページの注意事項がより詳細にまた、規定の記述がより法律に則った厳密なものになってきているのだ。

まあ、ペンションのホームページでさえ確かにそうしたクレーマー事案対応にならざるを得なくなってきているのは事実なのだが。企業等に対して社会通念上あるいは法律的に妥当性を持った「クレーム」を申し立てるひとと、そうではなく昨今「人格障害」と呼ばれているような根拠のない「難癖としてのクレーム」を申し立てるいわゆる「クレーマー」とが混同されているように感じる。

おちおち商品の不具合を知らせて相談することもできなくなってきた。ここにいたるまで消費者が過剰な反応をしすぎたのかもしれない。些事に渡って消費者があまりにも攻撃的な態度を取りすぎたのかも知れない。いまや、企業やお店が消費者に身構え、場合によっては反撃し始めている。まともな消費者にしてみればそれは不当な反撃であり、まともに話も聞かない企業や店の出現でもあるかもしれない。

日本的な心優しいホスピタリティーはいったいどこに行ってしまったのだろう。

しかしまっとうに商売してきた老舗がたった一度の不祥事のために、社会正義の錦の御旗の元に解体抹殺されてしまうご時世だ。それもまた極端に走りすぎている。そんなものは社会正義でも何でもない。消費者とそれをあおるマスコミの恐怖政治が始まっている。

それは犯罪者すべてを無差別に死刑に処するに等しい所行ではないか。まず社会的に更正させる道を模索するのが健全な社会というものではないのか。「世間様」が消失して久しいが、以来我が国はじつにバランスを欠いた米国流のぎすぎす社会になってしまったようだ。

米国が嫌われるのは自由と正義の名の下に世界を不幸にしているからだ。世界中を力づくで米国化することが彼らの言うところの「グローバリゼーション」であり「グローバルスタンダードの実現」なのだ。それは米国流の格差社会化による「不幸のシステム」の輸出でもある。

米国に依存しなければ生きていけない日本の構造的問題を改めることこそが本当の「構造改革」なのではないだろうか。格差社会化をすすめ、福祉を切り捨て、富の再分配をやめることが「構造改革」なのでは断じてないと思う。


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2007年10月30日

4009 どちらも生きる意志にちがいない

晴れのち宵から雨 気温:最低 2℃/最高 10℃

昨日は早朝からテラス補修用の木材のステイン塗布作業を行った。気温2℃、強風の吹きすさぶ中で3時間ほどかけて作業を終えた。ミズナラの大きな葉や落葉松の針葉が雨あられと落ちてくる。ステインで良かった。これがペンキだったらそのまま張り付いて台無しになってしまうところだ。

体調が優れなかったせいか、それでなくても平地より20%も薄い空気のせいか呼吸が苦しい。1枚塗ってはしゃがみ込んで休まなければならない。南風なのに風は驚くほど冷たい。

岩の上に腰掛けて呼吸を整えながら蓼科山を望む。本当に手が届きそうなほど間近にそれはある。ペンション・サンセットの庭と同様に山腹が紅葉で彩られている。

空をよぎる雲の足が速い。

酸欠で意識が遠のく。このまま意識を失ってそのまま死んでいくのもまた幸福なのではないかと、ふと思う。この美しい極彩色の世界で、清冽な風に吹かれて命を終えるのもまた良いのではないか。

病院で身体を切り刻まれチューブだらけになって苦しみ抜いて死ぬよりは断然良いのではないか。その様な肉親の死をあまりにも繰り返し見てきた者としては、そんなものは尊厳を持った人間の死とはとうてい見なし得ない。

「患者」が死ぬのではない、「人間」が死ぬのだ。ひとはひととして生き様を選択する尊厳と権利持つと同時に死に様を選択する尊厳と権利を持っている。個人的には僕は尊厳死を支持するし、いつでも「リビング・ウイル」を取得する準備ができている。

なにがどうあれ、生きること、なんとしてでも生きようとすることはたとえようもなく尊い。それは「いのちあるもの」の使命でもある。

けれど、一方でいのちを自然の意志にゆだねるという選択もまた尊いと思うのだ。それは決して生きることを放棄したりいのちを粗末しているということではないからだ。

どちらの選択も間違っていない、どちらの選択も正しいのではないかと思う。

そのことを僕はこの森から教えられた。


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2007年10月31日

4010 センティメントの問題

晴れ 気温:最低 0℃/最高 10℃

昨日書いた内容はしっかり読んでもらえないとおそらく大きな誤解を招くのではないかと思う。その一方で、いくら補足説明をしたところで、ひとそれぞれの立場や経験や考え方を変えることはできないので、そんなことは無駄だとも思われるのだ。

だから村上春樹がいまや代表作のひとつとなった「ノルウェイの森」の最終章で主人公に語らせている言葉を引用してひとまずこの議論を締めくくりたいと思う。

どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。われわれはその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。

僕は1987年の秋に刊行された初版でこの小説を読み、以来数十回読み返している。そしていまも蓼科の秋の訪れを感じるとふたたび手に取る座右の書ともなっている。個人的には、この小説から僕は人生のかなり多くのモノやコトを学ぶことができた。

「風の歌を聴け」以来の村上春樹ファンとしては全作品をかなりの回数読み返しているわけだけれど、唯一読み返すことをしていないのは「ねじまき鳥クロニクル」くらいだろうか。あまりにも重すぎて体力的にちょっと無理。

「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」、「ダンス、ダンス、ダンス」を順番に読みこめば村上春樹の世界のひとつの側面を体感できるだろう。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでから「海辺のカフカ」を読めばこの2つの小説の世界が表裏をなしていることがわかるだろう。

村上春樹本人が(例外的に書いた「あとがき」のなかで)言っているように、「ノルウェイの森」という作品はこれら、あるいは他の小説群のラインからはきっぱりとはずれた特異点に立っている作品だと思う。

これは氏の言うように「きわめて個人的な小説」なのだ。僕にとってそうであるように。その意味ではセンティメントを共有できないひとにはこの小説は「つまらない」と感じられるのかも知れない。

それはそうと、僕はよく池澤夏樹みたいな文章を書くと言われることがある。そうかも知れない。彼も僕が好きな作家のひとりだから。しかし僕は文章作法のほとんどを村上春樹の作品を読むことによって学んだ。特に真似するつもりはないけれど、僕がもっとも好きなスタイルだからだ。

池澤夏樹が僕が高校時代にどっぷりとはまっていた福永武彦の息子だと言うことを最近知って、ああなるほどと合点がいったものだった。ひとのセンティメントは変えようとしても変わるものではないということだ。

ちなみに僕が抱く世界観は池澤夏樹の「スティル・ライフ」の冒頭の文章に的確に表現されている。長いので引用は避けるけれど、機会があったら是非一読することをおすすめする。


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