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3842 追憶のなかの風景

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蝉が戻ってきた。

驚いたことに今朝窓を開けると蝉の声が聞こえるではないか。ジージーと鳴く蝉の音にふたたび夏の盛りの記憶がよみがえる。ここで聴く蝉は暑苦しいということはなく、むしろ清涼感を感じさせる。じっさい、夜明けまで起きていたのでお客様のチェックアウト後に仮眠したときなど、その声は妙なる歌声に思えたほどだった。そして窓から吹き込む冷風(涼風ではない)に危うく風邪を引くところだった。

あいかわらず窓全開、サンルーフ全開でクルマを走らせているけれど、ますます快適になってきた。涼風が心地よいのはもとより、蝉時雨をはじめとした様々な自然の音、季節の音、そう、「夏の音」を聴くことができるからだ。

そういうことは都市生活ではめっきり少なくなってしまったのではないだろうか。僕がこちらに移住する前からそんな具合だったのだから、いまはもっと自然とふれあう機会は減ってしまっているかもしれない。もちろんその気になれば大都会に暮らしていたって、思わぬところで無垢の自然と出会うことが可能なのだけれど。

いま芹が沢インターチェンジで国道299号線と国道152号線を結ぶ立体交差道路の建設が進んでいる。なんでもない農村の風景だけれどなかなか好きなビューポイントだった場所にそれは建設されている。そして思うのだ。

日本人の心の中にはもはや「風景」に対する感性というものがなくなってしまっているのではないか、と。いま思えば、この工事が始まる以前の風景そのものがすでにとんでもなく損なわれていたのかもしれない。高圧電流を流す鉄塔や、携帯電話のアンテナ塔や農家や民家から林立する高いテレビ受信アンテナなど。

それは遠い過去からそこにあったものなのに、いや、だからこそ我々の脳がフィルタリングして見えなくしてしまっていたのだろう。我々に見えるのはそのようなものがなかった頃の「原風景」とでもいったものだけだったのだ。

そのことがさらなる風景の破壊を呼ぶのだった。それはとどまるところを知らない。免罪符を得たかのように、イノセントな風景破壊が進んでいる。それも加速度的に。「日本の原風景」などもはや我々の世代(現在50歳以上)の追憶の中にしかないのだ。我々はそれを投影して「美しい日本」を観ているつもりになっているに過ぎない。

良くも悪しくも、風景とはひとのこころのなかに創り出され記憶されるものだから。


※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。(忘れな草)

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2007年08月24日 19:40に投稿されたエントリーのページです。

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