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2007年06月 アーカイブ

2007年06月01日

3758 ホームページの再リニューアル開始

曇りのち晴れ 気温:最低 4℃/最高 18℃

毎日が多忙で、昨日と一昨日との区別が付かない。今日と昨日の区別も定かでないほどだ。ホームページのリニューアルをこれまでの10年間の蓄積を一度リセットして、ゼロから始めるというのはものすごく大変なことだとわかった。しかし、やらなければならない。

250MBに迫ろうかという巨大コンテンツのうち、単純に宿泊すべきペンションを探しているお客様にご覧いただくべきものはその十分の一にすぎないからだ。旧来のコンテンツが宿選びで訪問されるお客様の閲覧のじゃまにならないようにしなければならない。

もうマイナーチェンジではダメなのだ。

お客様の90%以上がWindows環境で、XGA(1024×768)の画面でご覧だと言うことと昨今はノートパソコンを利用している方が増加していることを勘案しなければならない。僕みたいにMac環境で1900×1200なんていう24インチ液晶モニターを使っている方はまだ少数なのだ。

そこで、IBM ThinkPad T43 のXGA画面で、IBM HOMEPAGE BUILDER を使って制作することを思い立った。この環境で快適に見ることができるならば、ほとんどのお客様に快適にご覧いただけるだろうと考える。

OS は Windows XP Professional SP2、CPU は Pentium M 1.73Ghz、メモリは 512MB だからまあ標準的な環境だと思う。そんな環境で見てもMacのこの画面のように精細に美しく移るのだと信じ込んでいたけれど、それが誤りだと言うことも認識した。Windowsではここまで文字や画像が美しく表示されないのだ。Vista は良い線いっているかも知れないけれど・・・。

ということで、Windowsユーザーの方にご覧いただくのに最適化するには自分もWindowsユーザーとしてWindowsでホームページの制作をするのがベストではないかと思う。個人的なメインマシンはあくまでもMacだけれど。

ということで、この2週間あまりWindowsの学習に励んできたわけです。だいぶ仕組みや特徴がわかってきて、それなりに使いこなせるようになってきた。メールも半分は ThinkPad で書くようになってきたし、ブログの更新もそんな感じだ。

さて、Windowsマシンによるホームページの公開は夏までに間に合うだろうか。がんばるしかない。か・・・。


※今日写真は我が家の愛犬シベリアンハスキーのパル君です。12歳とは思えない健康と体力を誇っていますが、でもやっぱり年取ったな〜。ひとのことは言えないけれど。

※写真をクリックすると拡大されますので是非大きな画像でじっくり鑑賞してください。

2007年06月02日

3759 クロスプラットフォームは疲れるかも

晴れ時々曇り 気温:最低 4℃/最高 17℃

//www.p-sunset.com/blog/images/R0010447B-thumb.jpg" width="235" height="150" alt="" />新緑の木陰を思いがけずひんやりとした風が吹き抜ける。芽吹いたばかりの透明なグリーンの木の葉の透過光、そして反射光。光は緑色に照り返している。森からはじつにさまざまな野鳥の声がする。日中も歌い続ける鳥もいれば、未明から早朝と夕暮れ間際だけ歌う鳥もいる。

とりわけ未明から夜明けはありとあらゆる野鳥が歌い出すコンサートのようだ。それは良くできたオペラハウスのように彼らの美声を心地よく反響させて、目を閉じればこの世のものとは思えない音楽空間へと僕らを引き込んでいく。

僕の手元に Windows XP Professinal SP2 を走らせるノートPCがやってきてから半月あまり、僕は毎日のように未明から夜明けを徹夜の末に迎える状況が続いた。それはお客様がいらっしゃるときも同様だった。まあ、パンを焼く仕事もあるから、夏休みなども同じような生活サイクルになるのだけれど。

新しもの好きだから、Windows の研究にはまりこんでしまったのかも知れない。初めてのノート型パソコンだから、その利用形態の自由さに魅入られてしまったのかも知れない。なによりも、メジャーなパソコンOSならではの Mac とは比較にならないほどの数多くのアプリケーションの試用版で遊ぶことを憶えてしまったせいかもしれない。

いちばんはまったのは皮肉なことにアンチウイルスソフトとファイアーウォールそしてそれらを統合したインターネット・セキュリティーと呼ばれるソフトウエアたちだった。およそ名の知れたトップ5のソフトは試用版を実際にインストールしてじっくりと研究したことになる。

その結果いま使っているのが、キャノンの関連会社が取り扱っている NOD32 といういささかSF的なネーミングのアンチウイルスソフトと同社が取り扱う OUTOPOST Personal Firewall Pro だ。なにしろ他のソフトに比べて圧倒的に動作が軽く速いのが良い。

そのぶんユーザーインターフェイスは必要最低限でかなり素っ気ない。そういう意味ではコントロールパネルでいろいろ学んだり試してみたり美しいアニメーションが目を楽しませてくれるという楽しみはない。

本来の仕事で使う前にセキュリティー対策の本格的学習と、マシンメインテナンスで忙殺された半月だった。いまようやく、一安心できるところまで理解が進み、扱いに習熟したと言えるかも知れない。

ということで、つぎはホームページの制作更新と、業務に必須のメールの管理を2台のマシンで(それも Mac と Windows が混在する館内ネットワークで)どのようにセキュリティーをキープしつつ共有するかの研究にはいることになる。

まあ、学ぶことはよいことなのだけれど、クロスプラットフォームでのPC活用はいささか「疲れちゃった状態」ではあります。Windows XP の神経質なところ、というかわりと簡単にファイルが壊れるところとか、頻繁に再起動してやったほうが機嫌が良いところなんか8年ほど前の Mac OS 8 みたいでとても懐かしい気持ちになる。

Mac OS X 特に10.4以降になってからは1ヶ月やそこら再起動なしでもへこたれないから。それにアプリケーションを10以上立ち上げっぱなしでも動作が遅くなったりしないもんね。そのあたり、Vista では劇的改善を見ているのだろうか、アップグレードに大いに興味があるんですよね。

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2007年06月03日

3760 本物の避暑地「蓼科」です

曇り一時雨 気温:最低 3℃/最高 14℃

光に満ちた昨日とはうって変わって雲の多い朝となった。が、雲を貫いて差し込む陽射しには初夏を思わせる力強さがある。その陽射しのせいで日なたは暑く感じるくらいだが、建物の中にいるとひんやりとした空気が心地よい。木陰を吹き抜ける風も驚くほど冷たい。まだ半袖では耐えられない気候だ。

シラネアオイがすっかり開ききった。幸いなことにこの花は鹿の好物ではないらしくまだ食べられずに残っている。ニッコウキスゲやヤナギランなどは大好物のようで、うちでも被害に遭っているけれどニッコウキスゲの群生地の霧ヶ峰の被害は年々ひどくなっているようだ、まだ見た目にはわからないかも知れないけれど、これは深刻な事態なのだ。

それはさておき、季節はようやく「春」なのかも知れない。前にも書いたけれど、僕ら住人としてはこの季節は「初夏」といった心持ちなのだけれど、じっさいの気温などを勘案すればやはり都会で言うところの「春」なのかも知れません。

いずれにしても、ドライブしていると見渡す限り新緑の世界です。昨日ご宿泊のお客様も大感激で、お食事の時にその感動を何度も語っていらっしゃいました。僕もまさに同感です。この季節は最高なのです。これを見逃す手はないと思っているのです、ずうううっとね。

午後になって一時驟雨(しゅうう)といった風情で雨が降ったけれど。宵には止んでしまった。たっぷりと雪解け水を吸った大地から雲が湧いて、地表の湿度はどんどん低くなってきている。この湿度の低さこそが、蓼科の気候の(昔からの)特筆すべき点なのだ。

エアコンの除湿モードなんて目じゃないほどの天然のエアコンなのだ、春も夏も秋も。ここでは一年中冬用の分厚い羽毛布団で寝る。それでちょうど良いのだ。エアコンは必要ない、日中でも最高気温は23度程度だし館内はもっと気温が低い。

だから日中でもTシャツでは寒くてトレーナーを羽織ることもあるし、窓を開けていると身体が冷えてしまい、日中に窓を閉めていることだってあるほどだ。さらに日が暮れれば気温は一気に15℃以下に下がりお盆でも8℃になることだってある。真夏でもここでは厚手のフリースを羽織るのがあたりまえの気候なのだ。

ということで、純粋な「避暑地」である蓼科はこれからの季節は心身の疲労回復にはもってこいの場所であることを知っておいて損はないと思います。じつにさまざまな泉質の温泉があるので、温泉のはしごだって出来るし、自然の豊かさにかけては半端じゃあない。

特にいまは、40種類になろうかという野鳥たちの大合唱コーラス付の朝があなたの眠りと目覚めを寄り心地よいものにしてくれること請け合いです。


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2007年06月04日

3761 我が内なる蓼科を語ることにする

曇り時々晴れ 気温:最低 3℃/最高 18℃

厚手のコットンのトレーナースーツを着込んでいても館内は寒いぐらいに感じます。もちろん窓は全部閉め切ってる。外は陽射しがあるのでこのかっこうでちょうど良いのだけれど、断熱材で覆われたこの建物の中まではその熱は入り込まない。

吹き抜けのラウンジの大テーブルでこの文章を書いています。全面ガラス張りなのでまるで外にいるように感じますが、寒いので窓は閉めています。それでも二重断熱ガラスを通して野鳥たちの美しい歌声が聞こえてきます。

現在の室温は16℃、この季節としては平均的な気温になっています。僕は厚手のコットンのトレーナースーツの上に冬用のノースフェイスのダウンパーカを褞袍(どてら)代わりに羽織っていますが、それでちょうどよい具合です。

3台のベースステーションを設置して死角のない館内無線LANを構築したおかげでこうしてどこにいても快適にインターネットを利用できるのは僕個人としてもとても便利です。もちろん本来はお客様の利便性を考えて始めたことではあるのですが、そのメリットを日々享受しているというわけです。

音楽もかけず、こうして文章をタイプしていると、森の静寂がどっと押し寄せてくるようです。もちろん吹き抜ける風の音や葉擦れの音はしますし、鳥の声はあるのですが、それに勝る静寂が僕のこの小さな世界をすっぽりと包み込んでしまいます。

耳の奥からきーんという音が聞こえ始め、それはどんどん大きくなってこれは耳鳴りではないのかと心配になるほどです。これが、ペンション・サンセットを包み込む静寂なのです。この静寂に身も心も任せれば、圧倒的な自然の治癒力が僕らをいやしてくれるのです。

ThinkPad T43 の右手の下のパームレストが内蔵ハードディスクの熱でほんのりと暖かく感じます。寒いくらいの室温なのでそのぬくもりが妙に心を温めてくれます。このような環境でこのように文章を書くというのが10年来の僕の夢でした。蓼科高原日記は本来はこのようにしてしたためられるべきだったのかもしれません。

ブログ化して以来、まず写真を選んでそれを意識しながら文章を書くという作業に変化してきたのですが、久しぶりに写真なしで(それは後から考えればいいと割り切って)こうして書いてみると、書けるのです、すらすらと語りたいことが出てくるようになったのです。

写真を説明したり解説したり、あるいはそれにまつわる話を書くのではなく、僕の内面に浮かび上がることどもを文章にすることの方がどれだけ容易で創造的なことなのかを再認識します。僕が語りたかったのは、映像としての蓼科ではなく、自分の内なる蓼科だったのですから。

とはいえ、お客様にとっては日々掲載される蓼科の風景はきっと心和むものでしょう。それは誰よりも自然を求め、蓼科に魅入られてとうとう移住してしまった僕が一番理解していることです。だから、ここらで仕切り直して、ここしばらくブログのために撮っていた写真をやめて、これからは以前のように僕の心象風景としての写真を撮り、内なる蓼科を語っていきたいと思う次第です。


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2007年06月05日

3762 ThinkPadとともに夕暮れを味わう

曇りのち晴れ 気温:最低 3℃/最高 18℃

ふたたびラウンジの吹き抜けの大テーブルで過ごしている。このノートパソコン、ThinkPad とはじつに絶妙なネーミングではないか。このような使い方をしていると文字通り"ThinkPad"として機能する。うまい日本語が思い浮かばないのが悔しいけれど。

ブラインドタッチに慣れた僕にとっては、紙とペンで書くよりもキーボードをタイプした方が圧倒的に速く文章を書き上げることができる。思い浮かぶ言葉をリアルタイムで記録することができる。幼少の頃から作文が苦手で学校で課題を出されるたびに泣き泣き原稿用紙のマス目を埋めていたのに、いまではこのような装置を得て、毎日こんなにつらつらと作文できるようになった。

そうだ、道具、装置はとても大切なものなのだ。それを得ることによってひとは変わることができるかもしれない。今まで夢に過ぎなかったことができるようになるかもしれない。もし11年前にインターネットと出会い自分のペンションのホームページを作り更新し続けていなかったとしたら、僕は今何をしていただろうか。

ずいぶん日が長くなった。午後7時近くなっても窓辺では、特にこの広大なグラスエリアのもとでは照明は不要だ。周囲はまだ本が読めるほどに十分明るい。すでに太陽は真っ赤な夕暮れを演出して山の稜線に沈んだけれど、その残光はこうして僕の手元の漆黒のキートップにまで届いている。

夕方歌う野鳥の声が聞こえる。この標高では真夏でも蝉の音を聞くことは少ないから、この季節の野鳥の声が同じような感慨を与える唯一のものになっている。鳥の声もいいけれど、真夏の蝉の声もまた忘れがたい。とくに夕暮れを知らせるヒグラシの声は僕の中の表現しようのないほどの憧憬を構成する主要パーツとなって今も切ない思いをよみがえらせる。

最後にヒグラシを聞いたのはいったい何年前のことだろう。寄せては返す波の音のようにそれは深い森を覆い尽くし、僕らを追い立てるようにして家路につかせる。そんなことを思っていると庭でホトトギスが美しい歌を歌い始める。声の良さと歌のうまさではこの森の覇者かもしれない。

ホトトギスが去ると、今度はウグイスがやってきて歌い始める。まるでオペラみたいなしつらえだな、とふと思う。この次の幕はとても長いフレーズをアドリブで歌うあのアカハラかもしれない。夕闇が迫ってくる。僕の手元も次第に暗くなってキーボードライトが必要になる。このPCには標準でそれがついている、まるでこのような使い方まで想定していたかのように。

村上春樹がギリシャのタベルナで SONY の Vaio であのベストセラー小説「ノルウェイの森」を執筆したことは本人が異例の「あとがき」で述べているとおりだけれど、その感覚がちょっとわかったような気がする。おそらくノートPCというものは僕らが考えている以上のものなのだ。

ノート型に限らずパソコンは本質的に「ものを考えるための道具」だということを改めて確認する、実感する。そこがTVなどの家電と決定的に異なるところだと思う。それはいわば僕らの中枢神経系の「外延」を構成する「エクステンション」なのかもしれない。僕らはそれによって脳の機能拡張が可能なのだ。

そんなことをつらつら考えているうちにとっぷりと日が暮れた。僕の周囲には墨のような闇が漂い始めている。キーボードライト無しではもはや手元が見えない。それでも窓外の景色はまだはっきりと見えるのだから太陽の光は偉大だ。

西の空には沈んだ太陽が演出する残照がまだ薄い朱色に残っているのが見える。遠い稜線から上空の雲まで続く絶妙なグラデーションはいつみても感動せずにはいられない。僕のペンションがなぜサンセットと名付けられたのかは、ここでそれを一目見れば説明は不要なのだ。

さて、そろそろここから立ち上がって居室に向かう時間かもしれない。明るい照明につかのまの、あるいは偽りの安息を求めて。


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2007年06月06日

3763 パルのトラウマ

曇りのち雨 気温:最低 6℃/最高 20℃

今日は朝から曇り空、今にも雨が降りそうな気配でした。それでもたまにお日様が顔を出して、プランターの花たちに力強いエネルギーを与えてくれるのでした。ピラタスの丘もすっかり新緑に覆われて、タンポポが咲き始め、シバザクラや可憐な高山植物たちも咲き始めました。

野鳥の定期公演もいつも通り続いています。まだ真っ暗な未明からホトトギスやウグイスが鳴き始め、空が白んでくるとさらに多くの鳥の声がそれに加わって文字通りの大合唱になるのです。実に美しい季節です。

午後になると明らかに天気は下り坂になったことを感じさせる雲行きになりました。そうです、標高1750mのここでは、雲の流れをはっきりと見通すことができるのです。ウチの下を雲が流れていくことだって珍しいことではないのです。

夕方になると、一瞬雷鳴が響き激しい雷雨になりました。若い布頃に落雷被害にあった(幸いやけどやけがはなかった)シベリアンハスキーのパルが犬舎を飛び出して豪雨の中をうろうろし始める。これは明らかなトラウマによる行動だ。どうしようもなく見守ってやることしかできない。

パソコンの電源ケーブルを引き抜き、通信回線を遮断して、近接落雷に備える。ここ数年で電柱の避雷針化工事が進んだおかげで、敷地内の樹木への落雷がほとんどなくなった。ここでは落雷は日常なのです。そんなことを思っていたら百メートルほど離れたところに落雷した瞬間、蛍光灯スタンドが突然点灯する。

40分ほどで雷雨はおさまったけれど、その後も雨は降り続けています。それにしても、自然の中で長年暮らしていると、空気の変化や音の伝わり方の変化で外の様子が家の中にいてもわかるようになるから不思議です。今日も雨の降り始めが空気の変化ではっきりとわかりました。

きのうは、夕暮れを堪能できた。そんな中で書いた日記は昔帰りしたようにも感じられた。しかし、これはブログだし、写真も重要な要素だから今日写真を整理してこの3日間のエントリーに付け加えて再度アップし直した。

文章だけのエントリーの時と、ずいぶん印象が変わってしまうことに驚いた。個人的には文章だけの方がいいな、と思う。でも、蓼科の「いま」を知らせたい思いも募る。ジレンマだ。

ということで、今日のエントリーも、写真は後からアップし直すということで終わりたいと思う。

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2007年06月07日

3764 ホームページ改変

晴れのち曇り一時雨 気温:最低 8℃/最高 18℃

きのうだったかな、もう時間や日にち感覚がおかしくなっていてよくわからない、あ、そうだ昨日に違いない、ペンション・サンセットのホームページの構成を大変革しました。

とはいっても、まだまだマイナーチェンジといったところで、昨年11月に一気にすべてを FLASH で編集したものに変えて昨日までがんばってきたのを、もとの HTML と CSS で構成したものに戻した訳です。「先読み貧乏」という話しが以前日経のウェブマガジンにのっていたけれど、僕が体験したのもまさにそのパターンだと思う。

いくら回線速度が速くなってマシンスペックが上がったと言っても、まだまだモデムやISDNで接続しているひとも20%以上いるのだ。ブロードバンド回線で接続していても実効スピードが遅くて悩んでいる人だっているのだった。

Google Analytics というアクセス解析ソフトの膨大なデータを見ていて、最終的にまだまだ FLASH によるコンテンツは「重くてなかなか表示されない」と考えられていて(じっさいそうなのだけれど)一般的には受け入れられていない。それどころか、嫌われてさえいるケースも想定されるのだ。

おそらくこれからのホームページは現在のブログ公開システム同様のサーバーサイドのデータベースとパブリッシングシステムの連携によるオンデマンドの公開形式へと変化していくと考えている。つまり、お客様が閲覧したいページに移動するのではなく、ホームページのほうが欲しい情報をデータベースから拾い出して編集して提示してくれるのだ。

そんな折、僕も利用しているサーバーインストールタイプのブログ公開システム Movable Type の バージョン 4.0 が発表になった。そしてその目玉機能が、ブログだけでなく企業レベルのホームページも構築できる氏捨て身へと進化した点だという。やはりこれからは CMS (コンテンツマネジメントシステム)無しに情報発信は考えられない時代になるのだろう。

じっさい、大企業のサイトはそのようなオンデマンドパブリッシングシステムで運営されている(と思われる)のだけれど、それを構築維持するためには莫大な経費がかかるわけだ。それを個人でも使えるシステムで同様のことが出来るとなればこれを見逃す手はないと思っている。

話しを戻そう。最近よく耳にする言葉に「売るためのデザインは必要ない」とか「美しいHPより見やすく情報へのアクセスが容易なHPを!」というものがある。その通りだと痛感している。特にペンションの場合、うちのような小規模のペンションでは特に、こじゃれたHPより多少「泥臭い」というか「人間くさい」ホームページのほうが親しみやすいのかも知れないと言うことを感じている。

要は「ひとの温もり」や「息づかい」が感じられるようなホームページのほうが断然良いということかも知れない。この半年新しい自分のHPに対する(データ上の)お客様の反応を見ていて、僕もそう思うようになった。

ということで今回の改変では、かっこう良いとか美しいとかと言うことは二の次にして、とにかく見やすいこと、短時間で流し読みできて大まかな要点を把握できること。ここにあるべきとお客様が潜在的に思っている場所にその情報が期待されるかたちで用意されていることに注力した。

まだまだ力不足で、日々改善を続けなければならないのだけれど、少なくともこれまでのHPよりは断然親しみやすくわかりやすくなったとは思っている。しかしこれは第一段階であって、第二段階としてサイト内ナビゲーションのしっかりした構成のシンプルなホームページを別途制作する予定でいる。

僕はペンションは「道具」あるいは「装置」としての「場」であると考えるものである。そのスペックや特徴やメリットをお伝えするのに必要以上にデザインに凝ったりクールぶったりする必要はないのだと自分に言い聞かせている。いちばん大切なのは「情報へのアクセスしやすさ」と「使いやすさ」つまり「アクセシビリティー」と「ユーザビリティー」こそが肝要なのだ。

ということで、ブログ化したこの「蓼科高原日記」のほうが一歩先んじている状態になっている。今度は、ホームページがそれに追いつく番だ。


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2007年06月08日

3765 ということなのですが、何か?

晴れのち雨 気温:最低 6℃/最高 16℃

この一週間ほどの期間、写真のことは一切考えずにまず文章だけで日記を書くという至極当たり前の作業にいそしんだ。端的に言うならば、ブログの作法を無視して日記の作法に従って過ごした一週間となったということだ。

写真を選択した瞬間に何を書くべきかという方向性と落とし込みが決まってしまう。それはある意味ではとても楽なことでもあるけれど、それを続けていると「考える」ということをしなくなってくる。そしてそのことに気づくのはなかなか困難なのだ。

僕の場合はだんだん「書けなくなって」そのことに気づいた。どちらがいいとか悪いとかということではない、もちろん。それはいわば「情報を伝える」か「想いを伝える」かという選択に過ぎない。僕としてはずうっと(基本的スタンスとして)「想いを伝える」ということを行ってきた。

ということなんですが、何か?

ということで、これはもう開き直るしかないのかもしれない。今後も蓼科のいまの美しさ、すばらしさを写真でも伝えていきたいと考えているけれど、文章としては写真にとらわれないで書けたらいいなと思っている。写真は写真、文章は文章なのだ。なにしろこれは「日記」なのだから、「日誌」にはしたくない。


IBM ThinkPad T43 が僕の元にやってきて三週間が経過した。いまではこちらで日記を書くことが日常となっている。何しろどこにでも移動して好きな場所で書くことができるのだから、これはすてきだ。それに24インチ液晶モニターと巨大な Power Mac G5 の轟音(?)を聞きながら書くよりも静かなノートPCで書く方が落ち着くということもある。

こうなるとパーソナル・コンピュータというよりはプライベート・コンピュータというべきなのかもしれない。少なくとも僕にとってはそうなのだ。トラックパッドやトラックポイントにも慣れてきたが、ノートPC用の小型のワイヤレス・レーザーマウス(ロジクールV450)を入手した。

写真を見ればわかるとおりA4ノートPCで使うのにちょうどよいサイズだ。レシーバーは直接左奥のUSB2ポートに差し込む。デスクトップのMacで使っている同じメーカー(ロジクール)のワイヤレス・レーザーマウス(MX1000 Laser)と並べるとその小ささがわかるが、これはこれで最低限の大きさをキープしているので小さくて使いにくいということはない。

これらの道具によって、どこに行ってもその場所が僕の書斎になるというわけだ。長年の夢がかなってとてもうれしい。


それにしてもこの二週間ほどしだいに左手の麻痺が進んできているのにはちょっと困っている。20年ほど前の交通事故の後遺症なのだけれど、普段は全く何ともないのにちょっとした加減で再発する。事故直後は左半身全体に麻痺が出ていたのが、最終的には治療によって左手の小指と薬指の感覚が全くなくなったこと以外はほぼもとにもどった。

その後リハビリによって握力も元どおりに回復し、左手も普通に使えるようになったが、過労状態になったときなどには左の頬(ほお)から左肩・二の腕の内側・左腕・左手がかなり強い麻痺に襲われて力が入らなくなる。通常58kgの握力が18kgまで落ち込んでしまう。

そうなると左手では爪切りさえできなくなってしまう。いまも左手の薬指と小指はほとんど感覚がないのでやたらミスタイプが多い。ローマ字入力のひとにはよくわかると思うけれど、タイプする上でこの二本の指はかなり重要な指なのだ。

まあ、これも含めて僕という人間なのだから仕方ないのだけれど。誰だって多少の不都合は持っているものだと思うから。記憶力の減退、思考力の低下、これは年齢相応だから黙って受け入れるしかないのかな。でも、そういうことをすべてひっくるめても年をとるのって悪くないと思っている。

生活できるだけの資産があるならば、ということだけれどね。「金のない年寄りは早く死んでくれ」というのが政府のとなえる「小さな政府」の本質だから。でも、本来の意味は「公務員の少ない政府」ということのはずだったのですが、何か?

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2007年06月09日

3766 悲しき雨音

雨 気温:最低 5℃/最高 14℃

ピラタスの丘ペンション村があるのが標高1600mから1800m。秘境と呼ばれる「坪庭」があるのがロープウエイ山頂駅前の標高2240mから2340mあたり。真夏でも別世界のピラタスの丘、それよりもさらに500mも上の山岳地帯の花は、本来なら登山をする人の目にしか触れないものばかりです。

一枚目の写真はミツバオウレン、山頂駅付近に咲きました。二枚目の写真はタチツボスミレ。坪庭の花の季節が始まりました。これからの季節、梅雨の期間も含めて7月中旬くらいまでが坪庭の花の盛りです。遊歩道が整備されているのでロープウエイであがってそのまま運動靴で楽に歩くことができます。坪庭のすばらしさは花ばかりではありません、眺めも絶景で普通なら本格的登山客しかみることのできないものです。

今日はあいにく朝から雨模様、終日降り続きました。けっこう本格的な降りでまとまった雨になりそうです。さいわい雷雨にはなりませんでした。一年中晴れていたら干ばつになって森も死んでしまいますから、雨降りの日がある程度あっても仕方ないですね、出来れば週末や休日は避けて欲しいというのが人間の勝手な願いですけれど。

午後7時半、ラウンジの室温は15℃。厚手のコットンのトレーナーだけではかなり寒く感じる。厚手のフリースジャケットかダウンパーカをはおってちょうどぬくぬくという感じです。

いつもなら何の物音も聞こえないはずが、今夜はいささか様子が異なって、ざあざあという激しい雨音に満ちています。その音の中にも実に多様な音が混じっている。雨滴が新緑を打つぱらぱらという音、樹木の葉がためた雨が落ちて地表を打つときのぱたぱたという音、鋼板製の屋根を打つかんこんという音、屋根から落ちる雨水が軒を打つことことという音。

野鳥の合唱と是非コラボレーションしてほしいほどの音楽的な雨音です。打楽器だけの演奏でもこれだけ色彩があることに驚きます。どこか和太鼓の演奏の興奮に似たものを感じます。目を閉じるとさまざまな想いが浮かんでは消えていきますが、この音楽はいつもとは異なった切ない思い出をよみがえらせるようです。

これも高原暮らしならではの醍醐味です。


それはさておき、商業的に成功しなくてはこの「高原暮らし」も成り立ちません。それはよくわかっているのですが、僕は頭が古いのだろうか、甘ちゃんなのだろうか、メールマガジンを送りつけたり甘言を弄したりしてそれを心地よく思うお客様を集客するというやりかたに違和感を覚えるのです。だからそういうことはやりません。

保養所契約獲得に奔走するよりも、旅行代理店をご接待するよりも、甘いセールストークをひねるよりも、お客様にとってもっとも心地よい場所であり続けるために全力を尽くしたいのです。利潤至上主義の商業主義は僕がもっとも忌避するところのものです。

まあ、いずれにしてもこの新自由主義とやらの世界では、間違っているのは僕の方なのだろうけれども。でもね、これは商売だと割り切って「商人(あきんど)」になりきるか、これは商売ではなく「趣味」だと決然と言い放つ覚悟でなければいまやペンションなんてやってられない。ペンションとはそのような致命的欠陥を持つ前時代的ビジネスモデルなのです。

財務的には僕は前者のスタンスを選択しなければならないのかもしれない。しかし、それだったらなんで第一線のビジネスマンをやめてここにきたのかわからなくなってしまう。同じことをやるのだったら以前の環境の方が遙かによかったからだ。

ということで、全く利益の上がらない後者の道を選んでほそぼそと生きていけたらいいなあと願うばかりなのです。お客様もペンション・サンセットにいらしたときばかりは新自由主義的グローバリズム、そのような商業主義に組み込まれる以外に生計が成り立たないという現実から解き放たれて自由に羽を伸ばしていただければうれしく思います。


※今日の写真は(株)ピラタス蓼科ロープウエイの許諾を得て転載しています。
※クリックすると拡大してごらんいただけます。

2007年06月10日

3767 Never Ending Story

曇りのち雨 気温:最低 5℃/最高 13℃

今日も写真を決めずに書き始めよう。ThinkPad ユーザーになってからは実に様々な場所で多様な姿勢と目線で書くことができるようになって、とても快適に思っている。この環境の方がデスクトップの PowerMac の前で思いを巡らすよりも遙かにプライベートな感覚なのだ。

もうすぐ午前0時になるけれど、外は満天の星空になっている。ペンション・サンセットのちょうど正面に北斗七星が美しく輝いている。それはプラネタリウムなんて比較にならないほどの夜空だ。あまりにも星が多すぎてかえって作り物の夜空のように思われてくるほどだ。

でも、今朝は雨模様だった。こんなに激しい雨はないのではないかと思うほど強く降ったりもした。緩急を繰り返しながら、午後になって雨はぴたりとやんで静寂が森を支配した。文頭の今日の気温をみればわかるとおりまるで6月とは思えないほど気温が低い一日だった。

ラウンジの窓外は日差しがあってもなくても立体的なディジタル画像のようなバーチャルな新緑の世界になっている。変な表現かもしれないけれど、それほど美しいのだ。ハイヴィジョン用に人為的に調整された映像を見ているような不思議な感覚に陥るほどに。

それは全体(ゲシュタルト)としての新緑という概念を感じさせる。個別の木や森はそこにはない。なにかが僕の心の中のスイッチを押して新緑に関するあらゆる感覚と感動の思い出を一気に引き出す、ちょうどそんな感覚がある。だから、これは個人的な感動といえるかもしれない。

何度も書いてきたけれど、風景は「そこ」にあるのではなく、心の中にしかないものなのだ。

矛盾と不条理に満ちたこの世界は、じつは僕のきわめて個人的な世界なのだ。このように生まれ、このように育ち、このように生きてきた僕の人生経験が生成するパーソナルな「世界」なのだ。その証拠に「この世界」は僕の死とともに消滅する。

しかしあなたの世界はそんなことには頓着なく何事もなかったかのように続いていくのだ。あなたの世界は絶対的にあなたのものだからだ。僕らは同じ世界を生きていると思いこんでいるが、そんなことはない、それはある種の共同幻想に過ぎない。

というようなことをよく書いていた時期がこの日記にはあった、というか、そんな自分がかつては存在した。西暦2001年5月の蓼科高原日記にその記録があった。我ながらものすごく刺激を受けた。ほとんどの人にとってはどうでもいいような小理屈かもしれないけれど、自分のありように関する悩みを抱えている人の興味は引くかもしれない。

結論から言えば、何のために生きているのか生きなければいけないのかという問いに答えはない、永遠に、この世界にもほかの世界にも。問いの立て方が間違っているからだ。それはなにものかの「意図」にかかわる問いだからだ。そのなにものかは、概して「神」と呼ばれている。

しかし生きる価値について問いを立てることは可能だ。価値を計るのは人間だからだ、最終的には自分自身だからだ。だから生きる価値について問うべきなのだ。自分がいまここにあることの価値を問うべきなのだ。何を成し遂げたかというようなことではなく、ただいまここにあることの価値を。

そのようにして僕は答えのない問いかけから解き放たれたわけだけれど、それで何かが変わったわけではないし、ドラマみたいにハッピーエンドを迎えるわけでもない。はっきりいって何も変わらなかった。そして思ったのだけれど、釈迦をはじめとした悟りを得て解脱した人々も同じようなあっけなさを感じたのではなかろうか。

世は彼らの偉大さ聡明さを褒め称えるけれど、彼らが幸福になったか、幸福だったかということについては誰も問わない。悟り、解脱もまた新たな出発点に過ぎなかったのだと思う、たぶん。この世界もあの世界も、そのような弁証法的進行を続けるようにしつらえてあるのだ。

なにがあろうと、僕らがいようがいまいがこの世界は絶えることなく進行していく。

Never Ending Story.


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2007年06月11日

3768 蓼科高原日記夜話

晴れのち曇り 気温:最低 3℃/最高 17℃

しんと静まりかえった吹き抜けで、過ごしているとこの世界はじつは安寧と平和に充ち満ちているのではないかと思われてくる。TV報道の戦争や事故や犯罪は作り上げられた現実なのではないか、なんて風に思われてくるのだ。なぜなら人間は不幸なしでは生きていけない種族だから。

たしかに「原罪」意識なしではキリスト教徒でなくとも生きていけないのかもしれない。原罪を意識して初めてひとは救いを求めることができるのだから。原罪は救済の必須条件である。そしてもちろんTV等の報道は事実だろう、100%とはいえないまでも事実に違いはなくしかも一面の真実を提示している。

午後8時近くなると日もとっぷりと暮れて外は漆黒の闇になる。月があればその強烈な光で遠くの山並みまで見通せるのだけれど、今夜は月はない。鹿除けに点灯している明かりの周囲をのぞいて真っ暗な空間が広がっている。

何の物音もしない。この建物の中にいる僕らと、中庭にいるパルの気配だけが感じられるすべてだ。

きのう昔の蓼科高原日記のことを書いたから、少し引用することにする。たとえばこんなことを書いていたのだ。

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(2001年5月31日の日記より)

「社会につぶされた」人間を救うことができるのは心理学ではないと体験的に確信しています。精神医学でもありません。もちろん手助けにはなりますが、本質的には本人の心が変わらなければ「そのひとの世界」は変わりません。何一つ変わりません。変わったと感じてもそれは幻にすぎません。

必要なのは実存にかかわる哲学であり形而上学的思考であり認識に関わる鍛錬です。しかし、だからといって理屈を理解する必要はありません。ものの見方(認識すること)を学ぶこと、そして自分がどのように「在る」かを認識することです。

自分を客体視することと客観視することを混同しないでください。あなたはモノではないのです。いわんや売るべき「商品」ではない。あなたは(サルトルの言葉を借りれば)「実存」する。あなたは「モノ(即時存在)」ではなく、「意識(対自存在)」なのです。

あなたが「モノ」でないのと同様に「他者」もまた「モノ」ではありません。だから「あなた」と「他者」とは等価です。だからこそ殺人者は自分の命をもって罪を贖(あがな)わなければなりません。それが命の大切さを知らしめる唯一の現実的システムです。

横道にそれました。

ことばを変えましょう。「ありのままの自分」を受け入れること。
それができたとき、人は自ら築き上げた自分という檻から解放されます。

幸福とは自分がありのままの自分でいられること。自分が自分であるという揺るぎない確信。そしてそのような自分であることが許されること。ありのままの社会においてではなく、限定された「自分の居場所」でしかそれが許されないとすれば、それはとても悲しいことですが、「自分の居場所」を見つけることができれば上々のできじゃないですか。

本来「アイデンティティ」とはそのようなものです。自分を他人という歪んだ鏡に映して「自分はこういう人間だ」などと自己規定してゆくことではありません。あなたがよく知っている(と思いこんでいる)「あなた」は実は本当の「あなた」ではないかも知れません。

あ、ずいぶん説教くさいことを書いてしまいました。(^_^;)

ちょっと思うところがあったもので・・・。

でも、論文のレジメに近いのでほとんど意味不明かも・・・。すみません。(^^ゞ

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というようなしだいなのだ。

そんなことを考え続けていた、そんなことばかり語り続けていたようだ。コマーシャルサイトとしてはきわめて異例で落第といわざるを得ない。もちろんいまも同じようなスタンスで書いているのだから現在も落第サイトであることに変わりはないのだけれど。

そのときの想いを記すのが日記であり、その日の出来事を記録するのが日誌であると考えている。日記なのだから、このような方向性もありなのではないかと考えているし、じつのところ、これ以外のスタイルではとてもじゃないけれど毎日書き続けることは不可能なのだ。

そんなに都合よく日誌にふさわしい出来事が起きるわけではないからだ。ひととひととの間の出来事を書いていいのならばニュースには事欠かないかもしれないけれど、それではその人たちや自分のプライバシーを守れないかもしれない。それが、この日記に公人以外の人の名前が登場しない最大の理由だ。

実は僕がもっとも書きたいのはひととひととの関わりのことだし、写真だって自然の写真以上に人間をその内面に迫るような写真に写し取りたいのだ。そのようなジレンマを内包しつつ蓼科高原日記は続いていく・・・・・といいなあ。

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2007年06月12日

3769 文章と写真の融合は難しい

晴れ時々曇り 気温:最低 6℃/最高 13℃

ほぼ晴れ、というのが今日の天気をうまく言い当てている。晴れてはいるようなのだけれど、雲が多く日を遮っている時間が長い。結果として、気温があまり上がらない。例年6月のこの時節はこんなに気温が低かったろうか。

さて、この3日間写真を入れずにこの日記を書いてきた。まあ、あとから入れればいいやと考えていた。お見せしたい写真はたくさんあるし、文章の雰囲気を壊さずに写真も生きるようなやり方があるだろうと思っていた。しかしこれが意外と難しいのだ。

それはたとえばラジオドラマやラジオのドキュメンタリーに写真や映像を付け加えると全く違った作品になってしまうようなものだ。もちろんこの日記は「作品」などという大それたものではないけれど、しかしそれなりに伝えたい雰囲気や想いというものがある。

それが写真をあとから入れることによって壊れてしまうのは残念なのだ。写真を入れるときは最初から写真との協調関係を維持しながら書くべきなのだろうという結論に達しつつある。ということで、きょうも写真はずうっとあとまで入れないことになるだろう、たぶん。(よい写真が見つかればもちろん挿入するけれど)

すっかりここが気に入ってしまった。ラウンジの吹き抜けの大テーブル。いまや深夜だろうが未明だろうが関係なく愛用の ThinkPad T43 とともにここで過ごすことが多くなった。気温が低いとバッテリーの持ちが悪くなるし、パフォーマンスも落ちるので電源アダプター持参だ。

明かりをダウンライトをぐっと絞って必要最低限のものにして、薄暗がりのなかで手元をPCのキーボードライトで照らしてタイプしている。この暗さが心地よい。耳の奥がきーんと鳴る静寂が至福といってよい。

あああ?、とっても快適。これが必要に迫られた結果でなく自ら望んだモバイル・コンピューティングというものだ。この ThinkPad は 14.1 インチで厚さも1インチ強だから、ラップトップというよりはモバイルの範疇に入る携帯性のよいものだ。

最初購入を予定していた新製品のダイナブックはその大きさ厚さ重さを考えるとどうみても家庭用ラップトップという位置づけで作られたものだった。そのような使い方にフォーカスして企画されたものだった。電池駆動も公称1時間しかないし。それはそれでいいのだけれど、僕は携帯性と電池駆動で4時間動くこのマシンを選択した。

将来もう1台所有するとするなら、いまのメインマシンの Power Mac G5 の後継として MacBook Pro の15インチないしは17インチモニターのものを選択するだろう。これならふだんはスタンドにたてて24インチ液晶モニターに DVI 接続してワイヤレスキーボードでデスクトップマシン的に使うこともできるし、持ち運べる Mac として今夜のように使うこともできる。

僕にとってもはや Mac も Windows も関係ない。これらは一つのものの二つの側面として僕の中に組み込まれてしまった。いま大切だと思っているのは9割方のお客様がこの Windows 環境で僕の作るホームページをごらんになっているという事実だ。

それがどのようなものかを知らずして、快適にご覧いただくことのできるホームページを作るなんてことはできないと感じるのだ、そしてそれは自分がこうして同じ環境になってみてはじめて実感できることでもある。

じっさい、Windows のノートPCでこんな風に中途半端に画面が切れてしまうなんてことは想像もしていなかったし、インターネットエクスプローラーで文字がこのようなアンバランスな大きさに変わって表示されてしまうということも想定外だった。また、ノートPCのタッチパッドの場合 の操作性を勘案してレイアウトを工夫する必要があることも学ぶことができた。

さっそく改善したので、以前よりはだいぶご覧になりやすくなっていれば幸いです。

2007年06月13日

3770 静かな時間

曇り 気温:最低 8℃/最高 18℃

いま僕は無音の中にいる。全く音のない世界にいる。まるである種の不可思議な夢の世界のように、ここは静謐に満ちている。しかし、僕は眠っているわけではない。ラウンジの吹き抜けの例の大テーブルにいて ThinkPad の心地よいキーボードをたたいている。

だからこれは現実としての静寂ではなく、観念としての静寂といえるかもしれない。僕らは日常的に知らず知らずに観念と概念と、そしてこうあらねばならぬというゾルレンに支配されている。しかしこの静けさは常識的にいって「本物の」静けさだ。

僕が立てる物音のほかは何の音もしない。僕の気配のほかには何者の気配も感じられない。寂しさや怖ろしさはない。それはこのような漆黒の闇夜でも変わることはない。このような大自然の中で14年も暮らしてきたものならではの感覚かもしれないけれど。

柔らかな感触の闇がアルミサッシの隙間から館内に流れ込んでくる。それはまるで真冬のすきま風のようだ。いやむしろそれは厨房から漂ってくるご馳走のにおいのように、という方が近いかもしれない。その闇は煙のようでもあり、空間を漂う墨のようでもあり、いずれにしてもとても柔らかで優しい感触がする。

いま僕は厚手のコットンのパジャマの上にノースフェイスのリップストップナイロンシェルのダウンパーカを羽織っている。真冬用のそれを着てちょうどよい心地がする。それほど山の夜は冷える。しかし不快な冷え方ではない。

鹿除けに点灯した明かりのおかげで、敷地内に野生の鹿の群れが入ってくることがなくなったようだ。同時に狐や狸もシベリアンハスキーのパル君の領土侵犯をしなくなったようだ。それでようやく彼も夜間多少安眠できるようになった様子だ。

蓼科高原は平年より二週間遅れの花暦になっているようで、そろそろ標高1500m付近でもレンゲツツジが咲き始めたようだ。ということは白樺湖から車山にかけてある群生地もそろそろ見頃になるのだろう。今年は是非写真撮影に出かけたいと考えているのだけれど。

蛍光オレンジの鮮やかな花は新緑に覆われた山を背景にとてもよく映える。それは夢のように美しいものだ。一度見てしまうと病みつきになる美しさだ。蓼科はまだ梅雨入り前、ドライブには絶好の週末になりそうだ。

載せたい写真は手元にたくさんあるのだけれど、文章とのバランスを考えるとなかなか選択が難しい。正直なところどの写真をどこに載せるか、ということではなくむしろ、そもそも写真を載せるべきかどうかという選択において僕としては悩んでいる。

僕は映像芸術としての写真をこよなく愛している。その一方で文章から広がる無限の想像の世界を一撃で破壊してしまう写真というものを心から憎んでもいる。それは写真の持つ多義性と文章の目指す一義性のせめぎ合いでもある。

僕はそのことをもっと学ばなくてはならない。


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2007年06月14日

3771 今日、梅雨入り宣言

雨 気温:最低 8℃/最高 14℃

朝から雨降りだった。空は比較的明るく、ただの曇り空のように見えるけれど、外に出てみるとやはりしっかりと雨が降っているのだった。標高1700mを超す亜高山帯は空に近いから、こんな風な天気によく遭遇する。僕らはここが日常だけれど、普通に考えれば「登山」の世界なのですね、ここは。

テレビを見ていたら今日「四国から甲信越」が梅雨入りしたとのことでした。まあ順当なスケジュールなのでしょう。今年は異常気象に見舞われないことを祈るばかりです。とはいえ、蓼科は昨年の異常な大雨とはほとんど無縁でしたから、むしろ都市部の水害などを心配しているわけで。

それは標高が高くなるほど雲が少ないという原理に理由があります。ここでは上空の雲は一層しかないのです。それに対して沿岸部では三層四層五層と分厚い雨雲の下になるわけです。標高が低いところほどたくさん雨が降るということには蓋然性があります。

さて、ThinkPad の Windows XP Professional SP2 もだいぶ飼い慣らすことができて、かなり自由に使うことができるようになりました。現時点での感想はやはりこれは7年前の MacOS9.2 とほぼ同じレベルのシステムの堅牢性、安定性だなということです。

もちろんいいところ好きなところもたくさんあるからこそこうして使い込んでいるわけで、思いの外(言い尽くされた問題点、特に安全性に関してのものが解決されているならば)思ったよりも遙かにいいじゃん、といったところです。このOS、嫌いじゃないです、自分でも意外なのですが。

とはいえ安全性にいまひとつ確信が持てなくて、ネットショッピングとかネットバンキングとかには Mac を使っています。パーソナルファイアーウォールとアンチウイルス、アンチスパイウエアソフトはちゃんと入れてはいるのですが、Mac ではこういうリアルなセキュリティー上のスリルというのは経験したことがないので大いに不安なのです。

いずれにしてもおもしろいソフト、便利なソフトが星の数ほどあるというのは Mac では味わえない楽しいことのひとつです。まずはインターネットセキュリティー関係のソフトウエアにはまってしまったというのは実用的ではあるけれどちょっと皮肉なことではあります。

Windows で一番違和感があった用語は「プロパティー」だったのですが、まあこれは Mac でいうところの「情報を見る」ということで、キーボードショートカットはおおむね Windows のコントロールキーが Mac のコマンドキーに当たると解釈すれば間違いない。

というような具合に外国語を学ぶときの要領で Windows に馴染みつつある昨今です。

新しいことを学ぶのはやはり楽しいものです。


※今日の写真はテラスの情景とテラスの水たまりに映り込む新緑です。
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2007年06月15日

3772 寒風の吹きすさぶ

晴れ(夕方から強風) 気温:最低 8℃/最高 15℃

目を覚ますと時刻はすでに午後2時近かった。昨夜というよりは今朝はめずらしく午前2時前には床についたから12時間以上も眠っていたことになる。文字通り爆睡していたらしい。一片の記憶もひとかけらの夢も残っていない。

自分でも気づかないうちに相当疲労していたのかもしれない。思えば昨年秋以来ネット界の指向性の変化に対応するのに精一杯だったように感じる。簡単に言ってしまえばペンション・サンセットのホームページをご覧になるお客様の行動様式がこれまでとは激変したのだ。

同時に、宿選びの基準も大きく変化したように思う。その手がかりがネット上の宿情報がメインということになれば、唯一自分の思いのままに自分の宿を語ることのできる自前のホームページで思いの丈をアピールしなければならない。

ということで、終わることのない試行錯誤が始まったのが昨秋だった。それはやがて「迷走」といった方がいいような状況になってしまった。想いを込めれば込めるほど、表現を磨けば磨くほど、かえって伝えたいことが伝わらないジレンマに陥ってしまう。

こんな自分がコミュニケーションのプロとして仕事をしていたのかと恥ずかしい思いでいっぱいだ。こういうのを「紺屋の白袴(こうやのしらばかま)」というのかもしれない。自分のこととなるとめっぽうPR下手なのだ。

深夜いつもの吹き抜けの大テーブル(なんだか何かの符牒みたいになってきた)で、日記をしたためている。この時間になるとここはかなり寒い。室温はすでに15℃以下だ。そして全く無音といっていいほど静まりかえっている。

耳を澄ませば分厚い二重ガラスの窓の向こうから外を吹き荒れる風の音が聞こえてくる。この強風のおかげで空はすっきりと晴れ渡り満天の星空になっている。ぎらぎらと輝く星はなにやらぞっとさせるものがある。これが自然の真の姿かもしれない。美しいと同時におどろおどろしさを隠し持っている。

それにつけても、左手の麻痺は少しずつ悪化しているようで、小指と薬指はまるでバンドエイドを三重に巻いたようにもたもたと無感覚だ。自分の体の一部とはもはや感じられない。彼らが何をしているのか僕は感覚できない。だからミスタイプしまくりなのだ。

原因は推定できているのでまだ病院には行っていない。診療を受けたところで、できることはあまりないからだ。ずいぶん前の交通事故で頸椎と胸椎に受傷したことによる後遺症なのだ。危うく左半身麻痺になるところだったのだから、左手?左腕の麻痺(それもたまにそうなる)で済んで幸運というほかない。

ああ、また風の音がする。いつの季節もピラタスの森を吹き抜ける風の音は僕に哀しい思い出を、その映像を、そのにおいのようなものまでも思い出させる。つらいというわけでもないし、もはや涙も出ないのだけれど、とても切ない感情に満たされてしまうのは致し方ない。

ひとというのは孤独な存在だ。男も女も関係ない、年齢もまた関係ない。実存するというのはこのようにあるということなのだ。普段は様々な光や反映や幻想やらで彩られているから気づかずに済んでいるだけのことだ。生まれいずる時、そして死にゆくとき、愛情も友情もなすすべがない。

ひととひととの関わりや繋がりの中でしか生きられないのが人間だけれど、それぞれにそれぞれの孤独を心に宿して生きてゆくのも人間、そして最期の時もたったひとりで幕を引かなければならないのもまた人間の定め。

真剣に死ぬ覚悟なしに真剣に生きることはかなわないのかもしれない。


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2007年06月16日

3773 週間予報による経済的損失

晴れ 気温:最低 5℃/最高 15℃

じつに「週間天気予報」とやらはあてにならない。この10年間ずうっとそう言い続けてきたような気がするから、その間なんら進歩がなかったのだろう。つい昨日まではこの週末は雨模様で来週もぐずついた梅雨空になると断言していたのではないか?

このような「結果として、いいかげんな予報」のためにわれわれ観光業界がどれほどの経済的損失を被っているか、気象予報関係者はまったく認識していないとしか言いようがない。予報なのだから当たらないことがあるのはしかたがないと思うが、それを迅速に訂正するということを行うのが責任ある仕事というものだろう。

これまで今週末は雨だと申し上げておりましたが、その後絶好の行楽日和に変わりました。

その一言がない。

ここにもお役所仕事を発祥とする業界の末期的役人気質が息づいているのを感じる。

じじつ、今日も明日も「絶好の行楽日和」なのだ。暑いほどの陽射しに恵まれて、新緑がまぶしく輝いているのだ。週間天気予報を信用して登山や山歩きやドライブを延期したり諦めたひとがどれだけいらっしゃると思っているのだろう。しかし、「彼ら」はそんなことにはまったく無頓着に得意げに気象を語っている。そういう時代ではないのだよ、もはや。

天気予報、気象予測と経済は密接に結びついているのだ、人類史上これほど密接だったことがないほどに。そのことを、関係書誌にはよおおおおおおく認識して欲しい。気象オタクではだめなんだよ、もはや。ああ腹が立つ。


それともう一つ気がついたことがある。Microsoft と Google の戦いだ。Google Toolbar for IE のインストールに対して Windows XP が拒否反応を見せることだ。ほかの Google のアプリケーションに対してもそうなのだけれど、その動作を妨害したりはしないけれど、インストールを嫌がる気がする。

反対にアンインストールに対しては Googleアプリがそれに抵抗を示す。こんなところまで両者の確執が出ている気がしてちょっとどきっとしたり・・・。Google は Mac とはきわめて親和性が高くもっと友好的だから、意外な側面を見た思いがする、気のせいというにははっきりしすぎた振る舞いを見せるのだ。

結局、Googleアプリを一切アンインストールしてしまった。個人的には現在最高の使い心地の Gmail はもちろん使い続けているけれど。まあ、これはウェブメールだから何らかのアプリをインストールするわけではないので特に問題はない。

でも、メール着信を知らせる Gmail Nortifier ローカルアプリケーションなので同様の理由でアンインストールした。Macバージョンはとってもおしゃれにさりげなくメール着信を教えてくれるのに Windows ではダイアログのデザインも粗雑でうるさくあまり印象がよくなかったし。

競争を第一とする戦闘的経済社会というものは本当によいものなのだろうか、とここで改めて考えさせられる。そこには人の心には一切関知しない金(かね)の原理だけが一人歩きしている。もはや精神や心の時代は終焉を迎え他のだろうか。我が日本人が「エコノミックアニマル」と呼ばれ非難されさげすまれた時代を懐かしく思い出す。

競争こそ経済発展の原動力でそれがよりよい社会、よりよい世界を構築するのだなんてきれい事をのたまうネオコンの奴らの顔を見ていると、これはやはりもう一度社会主義的革命が必要な気がしてくる。
新自由主義の総本山の米国社会の自家撞着と不幸を目の当たりにすればそれが真っ赤な嘘だとわかるではないか。

米国は世界に自らの不幸のシステムをごりおし輸出する前にまず世界がうらやむ理想社会を自国に作り上げて見せてほしいものだ。人生を闘争と戦争にあけくれた、要するに殺し合いに明け暮れていた長い人類史を経て社会主義的資本主義というバランスのとれた経済にたどり着いたというのに、ふたたび昔帰りをもくろむ輩の動きには注意が必要だと思う。

あ、そうそう、Gmail のログイン先をデフォルトではなく https://mail.google.com/mail/ にするとSSLによる安全な接続が可能となるので、おすすめです。このことはあまり目立つ書き方をしていないんですよね、Gmail のページでも。


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2007年06月17日

3774 信州への憧憬、蓼科への想い

晴れ 気温:最低 5℃/最高 18℃

写真なしのエントリーが約一週間続いてしまったので、遅ればせながら、一週間前のエントリーに戻ってそれぞれにふさわしい写真を挿入していく作業を試みようと思います。写真は写真できちんと、それもブログ用にと、撮影し続けてはいるのです。

以前にも一度同じようなパターンであとから写真を追加するということをやったことがあるのですが、そのときは文章だけの時と雰囲気というかニュアンスが激変してしまって、ちょっと面食らった記憶があります。やはりあとから付け足すというのはうまくいかないのかもしれません。

いずれにしても、再チャレンジしてみようとは思っています。蓼科の「いま」の映像をお伝えするのもこのブログ化した「蓼科高原日記」の役割ですから。写真を撮るのもまた楽しいことですしね。(^.^)

左手の麻痺というか「しびれ」は相変わらずですが、その状態にすっかり慣れてしまいました。こういう「古傷」のぶり返しは失恋の思い出と同じで、季節の変わり目やちょっとした出来事がきっかけで起こるのでしょう。対処法も、おそらくは、失恋の思い出に対するのと同じかもしれません。

つまり、あまり気にかけないでいるうちに忘れてしまうわけです。あるいはその状態が日常になってしまうのです。

それはさておき、今日もとてもよいお天気でした。気温だけ見ると「春」のように感じるかもしれませんが、体感的にはさわやかな「高原の初夏」でした。森は新緑に彩られ、その透き通ったグリーンの照り返しは驚くほどまぶしく美しいものです。

まだ数日はよいお天気が続きそうです。平日の高原ドライブには絶好の気候と景色です。是非この季節の蓼科をドライブしてみてください、病みつきになりますよ。

そのようにしてまた新たな蓼科の住人(予備軍)が生まれているわけですが。僕ももちろんペンション村の仲間のほとんどが同様にして蓼科人(?)になってしまったのです。都会の人々の「信州」への憧憬はほとんど宗教といってもいいほど強烈な想いを伴うものですが、とりわけ蓼科への想いはいずれこの地の住人になってしまうほどなのですね。


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2007年06月18日

3775 結局は・・・

曇り一時雨 気温:最低 5℃/最高 14℃

いつの間にか霧に包まれていた。さっきお客様をお見送りしたときには曇ってはいたもののもっと明るかったのに、激変した窓外の景色にいささか驚かされた。やはりここは亜高山帯なのだ。山麓から見たならば、これは霧ではなく雲であることが認識できる。しかしここにいる限り長年ここで暮らしてきたものにしかその違いはわからない。

先ほどまで歌っていたホトトギスやウグイスそしてアカハラはいまはどこかで息を潜めている。キジバトの声だけが静かな森に響いている。未明から早朝に歌う鳥たちはいまは休憩時間なのかもしれない。いやじっさいは生きるための活動に忙殺されているのだろう。

彼らを見ているとつくずく思うのだけれど、生きるということは限りない「闘争」なのだ。終わりのない「闘い」なのだ。人間だって本来はそのように生きる定めなのかもしれない。しかし気の遠くなるような歳月の後、そうではない文明社会、経済社会を構築してきたのではないか。

弱肉強食の原理の元で切り捨てられ抹殺されてきた人たちも共に生きることのできる社会を実現したのではなかったか。しかし時代はいま、力尽くで「昔帰り」を画策する魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する世界へと大きく梶を切っている。

それは間違っている。そこに人類の幸福と安寧に寄与する世界構築に向けてのヴィジョンが欠けているからだ。あるのはひたすら資本を太らせるという近視眼的欲求だけだ。いったいあなたたちは何をしたいのだ?この世界をどうしたいのか?答えられないだろう。そんなことはどうでもいいからだ。

いま世界の多くの政権が後ろ暗いものたちの、特権階級の、既得権者の傀儡(かいらい)として正体を明らかにしつつある。これまでの人生を通してノンポリティカルを通してきた僕でさえそう思うのだから、これは確かなことだ。いかなるイデオロギーにも僕はくみしないけれど、このような「心を持たない」政権は早く終わらせ梶を切り直さなければならないと思う。

どうして僕がいかなるイデオロギーにもくみさないと誓ったか、それは「イデオロギーは無垢の人を殺す」からだ、心を持たない殺戮者を作り出すからだ。それが「理論に従って人を殺す精神的装置」だからだ。人間から崇高な精神と明晰な思考力を奪うからだ。この世界を支配するのが結局は(軍事力、政治力、覇権等々どのように呼ぼうが)「暴力」とそれを操る「金」だと指し示すからだ。

僕らは彼らとこそ闘わなくてはならない。


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2007年06月19日

3776 坪庭とバラクライングリッシュガーデンが見頃

曇り一時雨 気温:最低 9℃/最高 19℃

ビーナスライン沿道の白樺湖〜車山・霧ヶ峰付近のレンゲツツジの群生地が見頃を迎えています。今週末頃がちょうど最盛期になりそうで、すでにたくさんの観光や写真愛好家のお客様がお見えになっています。天候に関わりなく美しく映える蛍光オレンジの花の群生は一見の価値があります。ぜひおいでください。

100人乗りのピラタスロープウエイ(正式名称はピラタス蓼科ロープウエイ)に乗って7分半で500m上の2240mの山岳地帯に到達できるのがこのロープウエイの醍醐味でしょう。山頂駅前には「坪庭(つぼにわ)」と名付けられた自然に出来た高山植物の群生地があり、それを保護するための遊歩道が完備しています。

山麓駅前に500台収容可能な無料駐車場があるので、他のロープウエイで良くある駐車場待ちなんてこともありませんので、ご安心下さい。

通常では本格的登山のお客様しか目にすることの出来ないめずらしい高山植物と出会えるのが「坪庭」の人気の秘密です。順路を一周すると、個人差はありますが、約20分〜30分です。それでもう3000m級の山に登ってきた気分になれます。眺望も最高で南アルプスから木曽御嶽山を経て中央アルプス、乗鞍岳、穂高連邦、美ヶ原、北アルプスまでを一望に出来ます。

山頂駅周辺では可憐な「コイワカガミ」が咲いています。標高1700m〜1800mのピラタスの丘では皆無とはいわないまでもなかなかお目にかかれないこれらの高山植物が群生するきわめてめずらしい場所がこの「坪庭」なのです。(このエントリーの3枚目の写真です)

さて、いつもだったらまだまだ暖房が必要な季節なのですが、今年は先週末あたりから朝夕も暖房が不要になっています。もちろん「暑い」というのではなく「寒くない」といったほうが事実を正確に表現していると思います。

蓼科の梅雨はいつもこんな感じです。以下にも梅雨といった「じめじめ」した印象はありません。八ヶ岳は3000万年前に出来た火山なので、地質は水はけが良くしかも急峻な山岳なので水はどんどん諏訪湖に向かって流れていってしまうのです。

ピラタスの丘もすっかり新緑に覆われて、冬のスキー、スノーボードでしたいらしたことのないお客様にはまったく想像もつかない景色へと変化しています。蓼科の四季は劇的な変化を見せてくれるのです。だから飽きない、決して飽きることはないのです。なぜならふたつとして同じ季節はなく、四季の変化がこれほどはっきりしている場所はあまりないと思うからです。

蓼科高原バラクライングリッシュガーデンからはバラの開花の知らせが届いています。日本でもっとも英国の気候に近い土地として蓼科を選んでつくられたこの本格的英国庭園は本国同様、雨の日もまた最高に風情があります。

もうすぐバラと草花を愛でるひとびとの祭典「バラクラフラワーショー」が始まります。今週末開催です。ペンション・サンセットではお得な割引入場券付のプランを実施していますので、是非ご利用下さい。ガーデンは一年を通じてもっとも美しく、ちょっと表現できないほど綺麗な季節なのです。


※今日の2枚目と3枚目の写真は(株)ピラタス蓼科ロープウエイの許諾を得て転載しています。
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2007年06月20日

3777 神の定めしこと

曇り 気温:最低 10℃/最高 18℃

午前8時、エゾハルゼミの声が聞こえる。最初に聞いたのは一週間ほど前のことだろうか。花暦は平年に比べて二週間以上遅れている印象だけれど、エゾハルゼミの出現に関しては平年並みのようだ。平日のピラタスの丘は静寂に包まれている。特にこの時間帯はそうだ。

窓外は曇り空でうっすらと霞がかかったような印象だ。外に出て深呼吸するとしっとりとした新緑の味がする。梅雨といっても蓼科は湿度がとても低い。じめじめしたところはほとんどない。いまや山を覆い尽くした新緑が雨とそして大気中のこの水蒸気を吸収して活発に生育を加速する季節だ。

梅雨が明ける頃には新緑はすっかり黒々と葉緑素を増して、様相は一変する。森は「黒い森」と変わり、真夏の高原の強烈な日差しを力一杯受け止める準備が完了する。枝を伸ばし小枝を広げ、ほかの樹木と光を奪い合うすさまじい生存競争を始める。

森では少しでも光を受け止めたものが生き残る。それを勝利と呼ぶのかどうかはわからないけれど、いずれにしても光を奪われてしまったものはしだいにその勢力を減じていく。神がこの世界をそのようにあれと思惟したのであれば、競争、闘争、戦争はこの世界の定めなのかもしれない。

それでは、平和は神の望むところではないのだろうか。いまこの世界は宗教があるがゆえに戦争が行われているように感じられるのは僕の個人的な思い過ごしに過ぎないのだろうか。なぜかどの宗教も平和と調和と唱える一方で異教徒の殲滅を教義としているように思われる、たとえそれが明示的ではないにせよ。

宗教の原則は自らが正義であり、その正義が世界を支配することであり、それはいわば異教徒皆殺しの原理なのではないか。そうだとするならば、この世界から戦争と殺戮は永遠になくならないのだろう。

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早朝から出かけて午前10時頃に戻ってくると、ピラタスの丘は間断なく歌うカッコウと多数のエゾハルゼミの歌の饗宴になっていた。彼らの奏でる音楽は執拗なまでに同じパターンを繰り返し、まるで呪術のBGMのようにも聞こえる。このポリリズムは原始的な宗教音楽を思わせる。

あらゆる知覚と認識そして直感はすべて、根源的には、宗教的体験なのかも知れない。それはすでにわれわれのDNAに組み込まれたものなのかも知れない。いずれにしても宗教のもたらすものは「身内の安寧と秩序そして平和と救済」であって、異教徒のそれではない。闘争は神の定めた根本原理なのかも知れない。


※今日の2枚目と3枚目の写真は(株)ピラタス蓼科ロープウエイの許諾を得て転載しています。ロープウエイで訪れる「坪庭(つぼにわ)」ではミネズオウが咲きました。(3枚目の写真)
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2007年06月21日

3778 市場原理と直接民主主義

曇りのち雨 気温:最低 12℃/最高 18℃

ピラタスの丘全体でレンゲツツジが見頃を迎えています。白樺湖から車山にかけての群生地でも見頃になっています。平年より2週間ばかり遅い花暦になっているようなのですが、このままのスケジュールで花が咲いていくのでしょうか。

これまでの個人的経験では有名な霧ヶ峰のニッコウキスゲの群生の見頃はそんなにずれがなく、例年7月中旬から下旬になっていますから、7月にはいると梅雨明けのタイミングとも関わりなくきっちりと咲くべき時に咲く花も多いようです。

あ、そうそう、心配していたのですがレンゲツツジは鹿の好物ではないようで食害を免れています。ペンション・サンセットの敷地に咲くレンゲツツジも無事に咲きそろっています。その一方でまだ花をつけていないのにヤナギランはしっかり食べられてしまいました。

ニッコウキスゲも例年咲いたと思うまもなくきれいに食べられてしまいます。当地は猿はほとんどいないのですが、今日のニュースによると他県の町中で猿に襲われてけが人が出たという話がありました。猿にしても鹿にしても天敵がいない野生動物を過保護するとどのような結果を招くかというそんな簡単なことも見えないなんて信じられないことです。

動物愛護や自然保護は、もちろん、推進すべきすばらしい活動だと思うのですが、偏ったあるいは行き過ぎたイデオロギーになってしまうとそれは想像力を失った思考停止状態にはまりこんでしまいます。どんな活動でもそうですが、指導的立場にある人々の想像力が欠如するとカルト的活動になってしまいます。

昨日書いた宗教も同様です。信仰はなによりも尊いものですが、それをミスリードする指導者であってはならないのです。宗教やその教えを「利用」してはならないのです。宗教によって人々をテロによる殺戮や戦争へと駆り立ててはならないのです。

ぼくはそのようにして人を殺す宗教を信じません。自らを正義正論と決めつけて立場の異なる人々の声を圧殺するような社会活動をする団体をぼくは信じません。結局それは暴力によって他者を支配しようとする行為に他ならないからです。

止めどなく強行採決を繰り返す「与党」と呼ばれる人たちも同じようなものですね。あれは数の暴力による「政治」とも呼べない蛮行でしかないと思います。もはやいまの選挙システムによる間接民主主義は現代日本の政治にはマッチしないのかもしれません。

市場で経済活動をする民間企業の例を想像してみてください。彼らは日々刻々とその商品やサービスに対する消費者の選挙(選択)に晒され鍛えられているのです。消費者のニーズや価値観や要求に応えられない商品やサービス、そしてそれを作り出す企業は市場から即退去させられます。

まさに直接民主主義です。

いまの政治家や官僚にはそのようなクリティカルな状況はシステムとして存在しないので、いつまででも無責任に人ごとみたいな顔をして居座っていられるわけです。もちろん彼らには彼らの世界の掟があって、大変なこともあると思うのですが、そんなことは彼らが奉仕すべき国民は関知しないことです。

それは消費者が企業の内情や都合をいっさい関知しないのと同様です。

いまこそ、消費者が商品やサービスへの評価を通じて企業活動を評価するのと同じように政治や行政や様々なプレッシャー・グループの活動に直接的にチェックを入れるシステムが必要だと思います。強弁や正論なんて市場原理の前ではなんの役にも立ちません。それが本当に正しく必要とされ魅力的あるいは有用なものかどうか、評価基準はそれだけです。

かくいうぼくもペンション経営者としてお客様そして市場原理の直接民主主義に日々晒されていることを実感しています。お客様は誰か?ぼくらの場合は「お客様・消費者」です、政治家や官僚の場合は国民・市民です。何をなすべきか?ぼくらの場合はお客様に喜んでいただけることをする、政治家や官僚なら国民が歓迎することをする。それだけなんだ、きっと。そしてそれだけのことが果てしなく難しいということも現実なのです。言うは易し行うは難し、う?ん。


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2007年06月22日

3779 サンセットの客室めぐり

雨のち曇り 気温:最低 10℃/最高 14℃

雨の日の客室めぐり

朝から、正確に言えば未明から、土砂降りの雨が降り続きました。びしゃびしゃという雨音はじつに久しぶりに聞くものです。いつもはもっと静かな雨ばかりですから。そこで思い立ってそれぞれの客室で雨の音を聞いてみました。

一階の角部屋二部屋は窓が二面にあることもあって、かなりはっきりとを聞くことができました。メイクしていないベッドに横になって目を閉じると、その単調なリズムに瞑想のような意識状態になってきます。自然の音というのはどうしてこんなにも心地よいのだろう。

角部屋以外の一階の部屋はあまり雨音が聞こえず静謐に満ちています。それはそれで心安らぐ雰囲気です。ペンション・サンセットの一階の部屋は上が大屋根なので、上階の客室の音がうるさいなんていうことがなくとても静かです。

二階の部屋はことことと軒を打つ雨音と新緑を打つ雨音とが半々に聞こえますが、一家の部屋同様に二重窓越しなのでほどよい音量で心地よく感じました。それぞれの部屋は微妙にしつらえが異なるのですが、広さはほぼ同じ13平米強で明るくクリーンでとても気持ちいいと(自画自賛ではなく)そう思います。

ペンション・サンセットは外壁が水色で縁取りや窓枠が白、一方館内はその反対の配色で壁と天井が白で窓枠や縁(へり)が水色になっているので、とても落ち着くのです。このような配色はちょっと珍しいと思いますし、幸いお客様には大変好評なのですが。

そんな風にして小一時間を過ごした午前中でした。

だからどうなんだと聞かれても答えようがないのですが、そうすることによってお客様が実際に当館でどのようにお過ごしになっているかを想像できるのです、たぶん・・・ですけれど。


気圧が低いのです

それはさておき、お越しいただいたお客様にはよくお話するのですが、ピラタスの丘は標高1700m?1800mに展開する別荘地でそのなかに30件ほどのペンションが建っていて、それを総称して「ピラタスの丘ペンション村」と呼んでいるわけです。

で、特徴的なのはこの豊かな自然と圧倒的な静けさと雄大な風景をあげることができるのですが、じつはもう一つ特筆すべき特徴があります。それは「空気が薄い」と言うことです。どのくらい薄いかというと平野部の20%OFFです。これだけ薄いと水は80℃で沸騰しますし、いきなり激しい運動をすると軽い酸欠症状になります。じっさい、オリンピック選手が「高所トレーニング」を行っている場所なのですから。

言葉で言ってもわかりにくいと思うのでその「証拠」を一つ載せておきます。写真の通りここにまで上がってくるとポテトチップスやカールなどの袋は風船のようにパンパンにふくらんでしまうのです。特に今日のように「低気圧」だといつも以上にこんなにふくらむのです。

だからこそ、当地での山歩きの時は体が低気圧に馴染むまでゆっくりと無理せず歩くことが必要です。だいたい一晩で体が馴染んでしまうのですが、お越しになった当初気圧に敏感な方は微妙な変化を感じるかもしれません。しかし、心配は無用、大丈夫です。それはここにずうっと暮らしている我々が証明していますから。それはやがて心地よい感覚へと変化していきます。

むしろこの特性を生かして最近は脳を活性化するプログラム「脳トレ」も行われているのです。これは学術的に裏付けられたトレーニングプログラムですからどなたも安心して参加していただけるものです。→「蓼科 脳トレ」で検索!

また同じ運動をしても平野部の30%増しの脂肪燃焼となり、運動によって上がった基礎代謝も30%長く持続するという学術研究結果も報告されています。ダイエットには低酸素運動が効くのですね。そのわりには僕はいささかメタボリックです。冬はスキーで運動が足りるのですが、それ以外の季節はどこに行くにもクルマで、意識的に運動する機会が少ないですから・・・。こんなに良い環境にいるのに面目ないです。


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2007年06月23日

3780 パルの近況と「JAZZ@ピラタスの丘」のご案内

晴れ 気温:最低 7℃/最高 17℃

ほらね、また快晴じゃん。天気予報ご担当の皆様、たしか週の初めにはこの週末は土日とも雨という予報ではなかったでしょうか?たしか先週も同じパターンで大外れして雨なんか降らずに週末は快晴でしたよね。これはどういうことでしょうか。観光業はこのような外れの多い役立たずの週間予報によってどれだけ損失を受けているか想像がつかないほどです。

気象関係者は天気予報の経済効果なんかにはいっさい興味がないのだとしか思えません。しかし、この仕事に携わるものとしてそこまで配慮する責任が皆さんにはあるのです。これまでも何百回と申し上げてきましたが、馬耳東風でしたが、僕としては永遠にこのことは言い続けていくしかないと思っています。

と、ちょっととんがってみたけれど、しょせん「ごまめの歯ぎしり」なんでしょうね?、きっと。

ちなみに1枚目の写真はピラタスの丘の「お散歩ひろば」から見た手の届きそうな雄大な雲です。ここは空を眺めるにも、夕陽・夕焼けを鑑賞するにも、眺望を楽しむにも最適の場所なのです。

それはさておき、きょうはシベリアンハスキーのパル君を獣医さんに連れて行きました。病気ではなくて、ワクチンの注射とフィラリアの予防薬を処方していただくためです。かかりつけの獣医さんまでは片道20kmほどなのですが、車に乗せたとたんに(車嫌いなのでこんなときぐらいしか車には乗らなワンコこなので)もうすぐに獣医さん行きだとわかって大騒ぎです。

体重30kgもある大型犬が車の中でじたばたするのですから、夫婦二人がかりでもう大変です。いつも獣医さんたちに大笑いされてしまいます。他の小さなペットたちはおとなしく診療を受けているのに、大騒ぎするパル君を「だっこ」して診療室まで連れて行くのですから。

まあとにもかくにも、診療が終わってパル君もぼくらもほっとして帰途につきました。いつもこんな調子なので、毎年この季節の一大行事になってしまいました。12歳にもなって、子犬の頃よりも大騒ぎするのですから本当に甘えん坊なのですね。まあ、そこがまたパル君らしいところなのですが。

2枚目のの写真はマーガレットの蕾(つぼみ)です。こんな感じなのですね、これまで咲いたところしかよく見たこと無かったので新鮮です。

あ、そうそう、ペンション・サンセットの「プラン一覧」にはすでに掲載しているのですが、「JAZZ@ピラタスの丘・第二回蓼科高原ジャズパーティー」が7月7日(土)の七夕の日にピラタスの丘で催されます。誰もが聞いたことのあるスタンダードなジャズをプロのミュージシャンの方が楽しく聞かせてくれます。

昼の部と夜の部があり、どちらか一方(2000円)、あるいは両方(3000円)をお楽しみいただけます。お申し込みはピラタスの丘の各ペンションまで。もちろんペンション・サンセットでもお取り扱いしています。ご宿泊でも日帰りでもOKです。そろそろ残席数も少なくなってきておりますのでお申し込みはお早めに。(昼の部、夜の部各定員50名様です)

詳しくはピラタスの丘ペンション村公式ホームページをご覧下さい。(関連リンク:http://pension.exblog.jp/5670074/

皆様のお越しをお待ちしております。


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2007年06月24日

3781 泥臭いほうがいいのね、たぶん。

曇りのち雨 気温:最低 9℃/最高 14℃

ホームページについて考えると頭が痛いのですよん、じつのところ。1996年にホームページを開設した頃はみんな(いわゆる)クールな=かっこういいホームページを目指していたのですね。インターネットなんちゅう新しいメディア世界を前にして夢いっぱい希望いっぱいだったから米国のすてきなホームページを見て目がハートになっちゃったわけなのね。

で、その後もずうううっとクールな、それでいて見やすく親しみやすいホームページを目指してがんばってきたんだけど、最近どうやら風向きが変わったらしくて、遅ればせながらそのことに気がついたわけなのね。

ペンションのホームページの場合、見やすいとかかっこういいということなんかよりも、親しみやすい、もっといえば「泥臭い」くらいのほうがどうもお客様ウケがいいみたいなのね。ありゃりゃ〜。これは勘違いしていたかも〜!(^_^;)

じゃあ、そういうふうにしちゃおうじゃんじゃん。Windowsマシンも使い始めたことだし、あこがれのホームページビルダーも手に入れたことだし、おもいっきり泥臭いホームページをつくってみようって思うのね。ホームページってあんまりクールにつくっちゃうとどうも「上から目線」みたいに思われちゃうみたいだし〜、「しきい」が高いと見られちゃうみたいだし〜。ほんとはそんなこと全然無いんだけど。

どうせ見るなら気持ちいいデザインのほうがいいと思うんだけどなあ。ま、そういうことはお客様が決めることなので、作り手がどうのこうの言える筋合いじゃあないよね〜。どっちにしても、本来センスの良い人間じゃないから「ふつう」につくれば垢抜けない泥臭いページだけど運が良けりゃ親しみがわくようなホームページが作れるかもしんないし〜。

いまの時代「上から目線」も「高ピー」もダメダメだからね〜。

あああ〜、このブログも「高ピー」かもね〜。上から目線かもね〜。そう思われてるかもね?。やばいかもね〜。


さて、どうしたものか。なんて言いながらまだ毒はいてるし?。(-_-;)

2007年06月25日

3782 ユニクロのCM曲は・・・

晴れのち曇り一時雨 気温:最低 9℃/最高 16℃

いま放映されているユニクロドライ(UNIQLO DRY)のCMのBGMがとても懐かしい。でも、子供の頃聞いた記憶しかないのでタイトルがわからなかった。パーシーフェイスオーケストラの演奏で当時大ヒットしたことは覚えている。

で、ウェブで調べてみると1960年4月に公開された米国映画「避暑地の出来事」の主題曲「夏の日の恋(The Summer Place)」だとわかった。ううむ、思い出したぞ。とたんに大昔の記憶がどっとよみがえってきた。なんとも憧憬を刺激するCMだ。ぼくにもかろやかに舞うことのできた時代があったのだ。無垢な恋をした時代があったのだ。

いまのぼくには、あのCMのように軽やかに走ることも夏の日差しの中をインラインスケートで舞うこともできない。歳をとるというのはそういうことであり、若いというのはああいうことなのだ。そしてそのことに気づくのは、もちろん、もう取り返しがつかなくなったあとのことだ。

寿命はひとそれぞれだから五十代半ばのぼくがこんなことを言っても許容されると思うのだ。個人的にはもう人生のエピローグに入っているのを実感している。「いや〜、まだまだ人生これからだ」なんていうのは僕の美学と相容れないものがある。自分なりのクオリティ・オブ・ライフをキープ出来なくなったらもう生きているとは言えないのだ、きわめて個人的な価値観だけれど。

もちろん、ひそとれぞれだから、じっさいに「人生まだまだ」と言い切れるだけのエネルギッシュな人だっているわけで、それはとてもうらやましく思う。ここで言うエネルギーとは肉体的なものだけではなく、精神的エネルギーそしてもっと本質的な「生命力」とでもいうべきもののことだ。

最近午前3時過ぎから歌い始めるホトトギスがいることに気づいた。周囲はまだ真っ暗だ。未明までですらまだ1時間以上あるというのに、彼はなにかを訴えるかのように必死に歌い続ける。ご承知の通り雌はそんな馬鹿なことはしない。それが自然の摂理だ。雄とはなんとも哀しいジェンダーである。

2007年06月26日

3783 余所者(よそもの)であること

晴れのち曇り 気温:最低 11℃/最高 17℃

街を走るとよく諏訪ナンバーのクルマを見かけるようになった。例の「ご当地ナンバー」だ。それはそれでなかなか悪くない。じつは今日ランドローバー・ディスカバリー2を車検整備に出したのだけれど、迷った末これまでどおり松本ナンバーで継続登録することにした。

深い意味はない。ディーラーが松本にあるので、松本ナンバーのほうが仕事がはかどるということだ。もしディーラーが諏訪にあったならば諏訪ナンバーにしただろう。地元の方が切望したような諏訪ナンバーに対する思い入れは、悪いけれど、余所者(よそもの)のぼくにはない。

幼少の頃から転校を繰り返した僕は「転校生」という「余所者」の立場にはすっかり慣れてしまっている。転校生というものは、どんなに溶け込もうとしても、最後の最後には「余所者」であることを思い知らされるのだ。そのことをいやというほど経験してきた。

誰が悪いわけでもない、それは自然なことであり、しかたのないことなのだ。逆に信州生まれのひとが僕らみたいに「浜っ子(横浜生まれ)」になれないのと同じことだ。だから、余所者であることは断じて悪いことではないと考えている。

「余所者」ですがなにか? というわけだ。

もちろん、「郷に入らば郷に従え」というのは賢い教えではある。それは事実であり、真実を含む実際的経験的処世術でもある。しかしそれは、100%地元のしきたりに従えとか、地元の人間になるよう努力せよということではない。同時に地元の人間の下に自分を置けということでもない。断じてそうではない。

地元の人間ならたくさんいるし、もとよりそんな「なんちゃって地元人」なんて純正地元人に比べたら大して役にも立ちはしない。地元になじむことと、「同化」することとは根本的に異なるのだ。ぼくらは、その本質において、「地元の人間」になれるはずがないのだ。

かつて飛鳥時代、平安時代に日本に渡ってきた朝鮮のひとびとのように、ぼくらは地元に「なにか」をもたらすためにやってきたのだと考える方がお互いにとって建設的だと思うのだ。なにか新しいもの、新しいこと、刮目すべきもの、目から鱗が落ちるような新発想や、経験や技術。

そいういったものをもたらすために「余所者」はあるべきだと、個人的には考えている。

同時に、残り少ない人生を「ひとに気に入られるために生きる」ことはしたくない。ひとのために尽くすことはやぶさかではないが、ひとに気に入られるために自分の人生観を曲げることまでは断じてしたくないと思っている。

他人は所詮他人でしかない、移ろいやすく飽きやすい傍観者に過ぎない。人の評価なんてそんなものだ。そんな他人が自分の窮地にいったいなにをしてくれるというのか、そんな幻想を抱くことにぼくは注意深くありたいと願っている。

自分への評価は自分以外に下しようがないのだ。他人というゆがんだ邪気な鏡を信用してはいけない。ぼく自身がそうであるように、人間というものは限りなく美しく同時に醜悪な生き物なのだから。

というようなことを考えたこともないのなら、あなたは「健全」な生育歴の持ち主に違いない。きっと幸せになれると思う。

おりしも蓼科高原はレンゲツツジの群生の見頃になっています。ピラタスロープウエイの他、白樺湖〜車山の群生地が名所です。

※今日の写真は(株)ピラタス蓼科ロープウエイの許諾を得て転載しています。

2007年06月27日

3784 高原の花の季節は7月です(1)

晴れのち曇り 気温:最低 11℃/最高 19℃

ジャーマンアイリスが咲き、アヤメが咲いた。ピラタスの丘はすでに梅雨のピークを過ぎたかのように見える。これが本来の蓼科の季節感なのだけれど、まだ油断はできない、昨年のような長梅雨にならなければよいのだけれど。

一方で雨不足で飲料水生活用水が極度に不足している地方もあると聞くと、どう考えても貯水ダムの建設場所の選択を誤ったとしか思えないのだ。それとも気候が変わって、ダム周辺の降水量が激変したのだろうか。主権者たるわれら国民が知らない、知らされていないことが多すぎるようにも思う。

今日は朝のうちは初夏を思わせる強い日差しが照りつけて、すこしだけ青さを増した新緑を輝かせた。吹き抜ける風に揺れる新緑の森は夏の大海原のきらめきを感じさせる。最高の季節だ、じつにいまこそ最高の季節だ。

もうすぐ高原の花が一斉に咲きそろう季節になる。高原の夏は8月ではなく、7月なのだ。百花繚乱の、文字通り百花繚乱の季節がやってくる。いのちあふれる蓼科の夏がやってくる。有名なニッコウキスゲの群生地はここからクルマで20分ほどの車山?霧ヶ峰のビーナスライン沿道の山の斜面にあり、そのすべてを透き通った黄色で美しく染め上げる。

今年は花暦が一週間から二週間遅れているので、満開の見頃がいつになるかはまだ確定できない。7月14日(土)頃には咲いていると思われるけれど、いわゆる「満開」はその一週間後になるかもしれない。しかし高原の花のピークは、じつは7月14日からの連休のあたりなのだ。

7月は百花繚乱の季節、いつお越しになってもがっかりなさることはないと思う。特に蓼科高原バラクライングリッシュガーデンはすでに百花繚乱になっている。一年でもっとも多くの花が咲き乱れる最高の季節を迎えている。是非訪れることをおすすめする。

→蓼科高原バラクライングリッシュガーデンHP


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2007年06月28日

3785 高原の花の季節は7月です(2)

曇りのち雨 気温:最低 11℃/最高 19℃

昨年はペンション・サンセットの庭は奇妙な鳴き方をするウグイスのテリトリーだったのだけれど、今年は最初昨年とは違うウグイスのものになり、その後めっぽう元気の良いホトトギスのテリトリーとなっている。

それにしても昨年のあのウグイスはどうしているのだろう。ホーーーーホチェチョ、なんていうパンクな歌を歌い続けたあげくに正統派ウグイスに追い出されてしまったあの小さな不思議なウグイス君は、しっかり生き残ったのだろうか。

全国的にウグイスの鳴き方がおかしくなってきているのは確かなようで、お客様との会話の中でもそのことがよく話題にのぼる。ゴルフ中継を見ていても奇妙な鳴き方のウグイスの声が聞こえることが多くなった。ホーホケキョという我々の既成概念を見事に裏切ってくれるニューウエーブが台頭しているのだろうか。

一昨年頃までは行きもできないほど大量のタンポポの綿毛が飛び交う季節なのだけれど、必死に駆除したおかげで昨年あたりからそのような現象を見なくなった。外来種の巨大で強靱なタンポポを駆除するのは至難の業だったが、とうとう優位に立てたようだ。

その結果、可憐な在来種のタンポポや、駆逐されてしまっていた小さな山野草がよく見られるようになってきている。少しだけ本来の植生に戻すことができたのかもしれない。財産区の許可を得て間伐、枝打ち、下草狩りをペンション村を挙げて行ったおかげで、ピラタスの森もカオス化する直前で踏みとどまっている。

人の手の入らない森は文字通りのジャングルと化してしまうのだ。混沌とした醜悪とも見える生存競争の姿を我々にさらしてしまうのだ。このことは森に暮らしてみないとおそらくは決して知ることのない事実かも知れない。人の手の入らない自然には我々の抱く「風景」とか「景色」というものは存在しない。

それらは自然によって触発された結果としての、われわれの心象風景だからだ。自然を美しいと感じるためには、我々の内面に美しい自然が存在しなければならないのだ。美を感じる心がなければこの世界に美など存在し得ない。

それはさておき、いまはレンゲツツジの群生と野生のアヤメと野生のマーガレットが美しい季節だ。車山高原ではレンゲツツジの群生を背景にそろそろニッコウキスゲがちらほらと咲き始めたとのことだ。車山の観光協会によれば、今年のニッコウキスゲの群生の見頃は7月第2週?第4週になりそうとのこと。

となるとちょうど真ん中の7月第3週あたりが「満開」になるのだろうか。しかしそれはまさに「水物」なので、車山の公式ホームページの開花情報やライブカメラを注視してタイミングを計ると良いと思う。

繰り返しになるけれど、7月第2週から蓼科高原は百花繚乱の季節に入る。それまでには梅雨も明けると思う。蓼科の梅雨はからっとしていてしかも短期間なのだ。

8月に近づくほど花は少なくなっていく。高原の花の盛りは7月なのだ。8月はすでに秋と言って良いと思う。ほとんどの花は終わってしまっていることが多い。避暑地らしい気候としては8月がベストだけれど、花を愛でるならば初夏という風情の7月がベストなのです。


※今日の2枚目の写真は(株)ピラタス蓼科ロープウエイの許諾を得て転載しています。
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2007年06月29日

3786 脱力の時代

曇りのち雨 気温:最低 14℃/最高 16℃

この脱力感はいったい何なのだろう。「会社は株主のものだ」という経済社会になってから、世の中はどんどん奇妙な方向へと突っ走っているけれど、会社は株主だけのものではないのだ。「会社は、企業は、社会のものなのだ」と言うことを否定したら、社会は単なる金儲けゲームのための装置になってしまう。

勝者の、既得権者の、勝手な論理のみがまかり通り、狂気の沙汰も金次第になっていく。人間の尊厳や人権や公共の福祉など一気に吹っ飛んで、非情のものたち、ひとにあらざるものたちの「金の論理」が跋扈(ばっこ)する暗黒社会へと突き進んでしまう。

要するにトランプゲームの「地主と貧民」そのままの社会になってしまうのだ。それはすでに現実のものとなってきている。強いものは強いもの同士でますます結託し、その既得権益をより強固なものとし、貧しいものたちは本来闘うべき既得権者ではなく、貧しいもの同士で争い諍い(いさかい)つぶし合っている。

「格差社会」とはそのようなものだ。格差社会とは競争社会ではなく、既得権者とそれ以外の者との格差をより強固にするシステムなのだ。そこに競争があるからこそ進歩がありチャンスがあるというのはまやかしのプロパガンダ、根拠のない幻想に過ぎない。

生存競争に明け暮れている限り「幸福への進化」など起こりえない。まさに「衣食足りて礼節を知る」のだ。ああモラルとか礼節とか尊厳とかみ?んな「死語」になってしまった。何でもありだもんね。金と権力と既得権益がすべての社会だもんね。

それにしても官僚組織というのは自身の既得権益を守り増幅するためにだけ存在するんだね。それはあたかも資産家がその資産によって社会に益をなすことよりもその運用と利益の確保に専念するかのごときだ。

そういう意味ではいまのファンドは「死に金」だ。死に金が死に神のごとく嫌われながら優良会社を買いあさり株価をつり上げては売り払う。そこには何の社会的貢献も考慮されていない、そこには企業の社会的責任やヴィジョンもない。経営理念は「短期的に資産価値を上げること」のみだ。

一部の者たちだけが享受する史上最高の好景気が続いている。我々庶民はまさに「部外者」でしかない。まったく好況を実感できない、希望も展望もない暗い日々が続いている。そして大増税。増税するなら好景気にわきたつ企業に対する法人税から始めるのがセオリーではないのか。

まさに、無理が通れば道理が引っ込むというわけだ。強行採決しか能のない与党には何も期待できず、公務員の権益保護をかかげる野党にも何も期待できない。アナーキーな雰囲気に満ちた時代になりつつある。


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2007年06月30日

3787 避暑地の出来事

曇一時晴れ 気温:最低 13℃/最高 17℃

うちの庭と森をテリトリーとしたホトトギスの声で目覚めることが多くなってきた。早いときは未明から歌い始めるけれど、決して睡眠の妨げとはならない美しい歌声だ。われわれの居室も客室も東向きなので晴れた日には明るい陽射しが差し込んで爽快な目覚めがやってくる。

森の樹木はますますその葉を茂らせて、新緑から夏の色濃い葉へと少しずつ変化し始めている。ビーナスライン沿道では蛍光オレンジのレンゲツツジが咲きそろい特に白樺湖から霧ヶ峰にかけてじつに華やかな演出をしてくれている。

レンゲツツジの群生は7月上旬いっぱいお楽しみいただけると思う。それが終わると入れ替わるようにして同じ場所にニッコウキスゲの群生が一斉に開花して山肌を鮮やかな黄色に染め上げる。あまりにも有名なその情景はTVなんかでは本当の感動は得られない。じっさいに自身の愛で見て初めて理屈を越えた深い感動を覚える類の美しい風景だ。

バラクライングリッシュガーデンも年間を通じてもっとも花の数が多い百花繚乱の季節を迎えている。他の季節に訪れて「ああこんな門下」と感じたお客様も是非この季節に尾等ずれていただければさいわいだ。本当の英国庭園とはこのようなものなのだと、感激することだろう。

梅雨ということで曇りがちでたまに小雨が降る天気が続いているけれど、気温も湿度も空ほど高くなく、朝晩はぐっと冷え込んでいる。東京が「熱帯夜」だなんて聞いても実感がないピラタスの丘の気候はまさに「サマー・プレイス(避暑地)」のそれだ。

折しもユニクロのCMで流れている曲は1960年に公開された米国映画「避暑地の出来事」の主題曲「ザ・サマー・プレイス(邦題:夏の日の恋)」だ。そうなのだ、蓼科はその発祥以来の生粋の「避暑地」なのだ。

蓼科は「観光地」でも「温泉保養地」でもない、日本でも有数の「避暑地」なのだ。もちろん自然派のお客様の観光や保養にももっとも適した場所でもあるのだけれど、その本質は「避暑地」なのだ。

軽井沢は都会派の避暑地であり、蓼科は自然派の避暑地である。また軽井沢は社交のための避暑地であり、蓼科はプライベートに過ごすための避暑地である。じっさいに両方に別荘を構えている著名人が多いのはそのような理由によるものだ。

お客様もどうぞこのふたつの優れた避暑地をうまく使い分けていただきたい。


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