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2007年05月 アーカイブ

2007年05月01日

3727 桜が咲いた、坪庭は雪景色。

雨 気温:最低 4℃/最高 6℃

蓼科湖の桜は一気に4分咲きになっていました。観光に写真撮影に「お花見」にたくさんのお客様がいらしていました。ここまで咲くともう十分以上に「見頃」です。このままいくと5/3〜5/5頃に「満開」を迎えることになりそうです。「桜祭り」関係者としてはうれしい誤算でした。当初は4月中に散ってしまうのではないかと言うほどの陽気でしたから。(右の写真は今年の撮影ではありませんがこんな感じです)

今日は道路も観光施設も空(す)いていました。カレンダーどおりの勤務で、お休みでない方が多いのかも知れませんね。例年どおり前半の4/28〜4/30の連休は空(す)いていましたが、後半の5/3〜5/6の4連休はものすごく混みそうです。

注目のお天気は、現在の予報では「雨は降らない、基本的に晴れの日が続く」となっています。絶好の行楽日和となりそうです。どの日を選んでも間違いなしです。

2枚目と3枚目の写真は現在の「坪庭(つぼにわ)」の様子です。ピラタス蓼科ロープウエイに乗って7分半でこんな別世界にいくことが出来ます。まだ雪がたくさんありますが、順路は運動靴で歩けます。ただし、順路を外れて登山コースにはいると突然深雪になりますので、登山はスノーシューやアイゼン等の冬山装備が必要です。

特に最近ダウンバースト現象がよく起こりますので、本格的登山にはツェルトなどの「完全な冬山装備」が必要ですのでくれぐれもご注意下さい。

ペンション・サンセットでもキャンセル等が出て5/4〜5/6はまだ空室がありますので、ご検討いただければさいわいです。空室チェックとご予約はこちらからどうぞ。

まだまだ空いているあした(5/2)なんていうのはものすごくおすすめなのですが・・・。観光施設も高速道路も、当地の道路も、観光施設も、宿泊施設もものすごく空いていて快適ですから。帰りの5/3は「逆コース」になるので渋滞知らずだし。


※今日の2枚目と3枚目の写真は(株)ピラタス蓼科ロープウエイの許諾を得て転載しています。
※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

2007年05月02日

3728 サクラ、サクラ。

曇りのち晴れ 気温:最低 3℃/最高 9℃

朝のうちは雲の中に入って濃霧のような状態だったが、午後になるとすっきりと晴れた。陽射しが強いので気温よりもはるかに温かく感じる。これはきっと桜の開花の度合いが一気に進んだのではないか。

ということで、蓼科湖の聖光寺(しょうこうじ)に見に行った。おおお、思った通りもはや「見頃」も見頃になっていた。こういうときは Richo Caplio R5 が使い勝手がいい。スケッチブックに絵を描くように写真を撮りまくる。

それにしても、桜の花の色はたとえようもなく儚げで華やかだ。白のようなピンクのような絶妙な色合いに改めて感動する。日本人の心を打つなにかがこの花にはあるようだ。それは何なのだろう。

ヨーロッパでは夜桜の下で眠るときが触れるという言い伝えがあると聞いたことがあるけれど、じっさいに夜桜の下にたってみるとそのことが本当だと思われてくる。不思議な力、サクラのもつこの不可思議な力はいったい何なのだろう。春が巡ってくるたびに同じことを思う。

今日の聖光寺の桜はちょうどこんな具合だった。今日の3枚に写真は実際に今日撮影したものだ。ここまで開花すると、これからの進行は加速度的になる。4連休の終盤の「桜祭り」のころには咲く桜、散る桜が半々という絶妙なタイミング、最高の風情になるかも知れない。

高原の桜は都会の桜とはまた異なった風情がある。もう一度「お花見」、あるいは機会を逃してしまったヒトは今年初めての「お花見」ということで、蓼科を訪れてみてはいかが。


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2007年05月03日

3729 怒濤のGW後半戦はじまる

晴れ 気温:最低 - 3℃/最高 16℃

いよいよ「怒濤のような連休」が始まった。県外ナンバーのクルマが連なってビーナスラインを駆け上がってくる。蓼科を目指して早朝にご出発になって渋滞をものともせずにたどり着いたお客様だ。感謝という言葉の他思いつかない。

かつては僕もその中のひとりだったから、こうした連休などの混み合う時期の信州へのアクセスの大変さはよくわかっている。それにかえてもこうして目指したい「なにか」がここにあったから、僕は最終的に「蓼科の住人」になってしまった。

要するに「通いきれない」のならば「移住」しかない、という至極単純で重大な決断をしてしまったわけだ。見ようによっては「お馬鹿な行為」であったかもしれないし、現状を見るならば「それほどだいそれた無鉄砲な企図ではなかった」とも言える。

まあ、いずれにしてもそのようにしてご到着になったお客様を出迎えたのはビーナスライン沿道の、とりわけ蓼科湖畔・聖光寺の華やかな桜だった。きのうきょうと日中ものすごく陽射しが温かかったこともあって一気に開花が進んだ。

駐車場に入りきれずに、係員の指示に従ってしばし待つ必要があったほどだ。ものすごい人出だった。で、しょうがないので、時間のない僕はくるまをちょっと路肩に一時停車してぱちりと一枚撮ったのが1枚目の写真だ。この桜の気の向こうに聖光寺の入り口の門がある。


それにつけても良いお天気で、きょうの空はまさに芸術作品といってもいい。こんな空なら一日中眺めていても飽きない。空の蒼さも雲の白さもその絶妙なかたちも、刻々と変化を見せる情景は僕の心をとらえて放さない。

機会あるごとにお客様には目線の高さの景色ばかりではなく、是非「蓼科の空」をご覧いただきたいとおすすめしているのだけれど、はてさてご覧いただいているのだろうか。そうだったらうれしいのだけれど。

ほんとうに、蓼科の空の美しさは天然のミュージアムなのだから。すくなくとも、僕はそう思っている。


空といえば日中の青空ばかりではなく、未明から夜明けの空も素敵だし、このような燃え立つような夕陽もまた素敵なのだ。ピラタスの丘は夕景が美しいことでも知る人ぞ知るスポットなのだ。朝日撮影の名所があるのと同様に、夕景撮影の名所のひとつとしてピラタスの丘ペンション村の「花とお散歩道ひろば」がある。

この写真もそこで、通りすがりに Richo Caplio R5 というコンパクトデジタルカメラでちょいと写したものだ。焦点距離は200mm、フルオートモードでフォーカスは手前の樹木に合わせ、露出は夕陽そのものに合わせている。

よく考えてみると、僕の写真はいつも「通りすがり」に撮したものばかりのような気がする。そういうのが性格的に合っているというか、良い情景との巡り合わせがそんな感じなのかも知れない、たぶん。


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2007年05月04日

3730 ブログではなく日記であること

晴れ 気温:最低 0℃/最高 17℃

前にも書いたことがあるけれど、ブログシステムに移行する以前とそれ以降とでは「蓼科高原日記」の方向性というか語る内容というか、そういったもろもろのことが大きく変化したように感じている。また、そのようなご指摘も多々いただいたけれど、その通りだと思う。

その理由も以前書いたとおり、現在進行形としてのブログ環境においてはそこで語られる事柄が非常に「パブリック」なものとして受け取られるという現実があるように思う。それが、そのことが、ウェブページで10年以上書き続けてきた「日記」と決定的に異なっていることをいまさらながら認識する。

そのような環境変化に応じて、内面的なことや個人としての想いをあまり語れなくなってしまったのは事実だ。また、ペンション経営者としてお客様ニーズを考えた場合、ニュースとしての情報発信という方向性を強める必要もあった。

昔でいうところの”What's New!”のページが消失した変わりに、ブログがその役割を担うようになった。これはこれで意義のあることだと思っている。しかし、想いを語るという部分に共感してくださってきた読者(?)の方には歯がゆい思いが残る結果となっているかも知れない。

かといって、両者を書き分けるということはいまの僕の知的、体力的能力からして現実的ではないのだ。はっきり言って僕自身フラストレーションを感じているし、ブログ化以降の文章を読み返してそのときの自分を思い浮かべることは困難だ。そこにある「想い」が希薄だからだ。

言い訳になるかも知れないけれど、文章から消えた「想い」は自分に可能な限り「写真」の映像の中に込めてきたつもりではある。ただ、力不足でその想いを伝えうる写真になっていないのかも知れない。

「蓼科高原日記」のような個人的な「日記」の公開システムとして「いわゆるブログ」は適当ではないのかも知れない。ただし、このブログ・システムというやつはコンテンツ・マネジメント・システム(CMS) としての可能性には大いに期待できると考えている。

オン・デマンドでコンテンツを公開・配信できるというのは大いなるメリットが送り手受け手双方にあると思うからだ。その観点から、僕としてはこのシステムを使い続けるつもりではいる。ただし、内容に関しては再度見直す必要があるのかも知れない。自分で読み返して感慨を憶えないような日記は「日記」の名に値しないからだ。

「蓼科高原日記」は本質的に「ブログ」ではないのだ、たぶん。


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2007年05月05日

3731 同時にぼくらもいま「春」を迎えた

晴れのち曇り 気温:最低 1℃/最高 20℃

とびっきりの快晴で朝を迎えた。ようやくメンツがそろってきた野鳥たちの歌声が森にこだまする。まさに絵に描いたような高原の森の朝だ。早朝から笑顔で散策を楽しむお客様の姿が目立つ。吹く風ももはや北風ではなく、柔らかな南風だ。

森の樹木も、いままさに新緑を芽吹こうとしている。あと1週間後には視界は緑一色に変わっているかも知れない。初夏を思わせる真っ白な太陽光線が地表に降り注ぎ、地中で凍結して越冬した種子たちに発芽を促しているかのようだ。

同時にぼくらもいま「春」を迎えた。こころの芽吹きの季節を迎えた。

聖光寺の桜祭り

さて、今日は何とか蓼科湖聖光寺の桜を撮影に行くことが出来た。お客様の夕食前のちょっとした時間を使って夕暮れ間近の桜を撮影した。今日はあえてデジタル一眼レフに DT18-200mmF3.5-F6.3 という35mmカメラ換算で27mm〜300mmのデジタル専用ズームレンズを装着したものを使ってみた。使い込まないことにはいつまでも使いこなせないものね。

盛りを少し過ぎていたけれど充分以上にきれいだった。恒例の桜祭りのイベントも今日は終了し、もう日が暮れるという時間帯にもかかわらずたくさんのお客様が桜の花の下、三々五々散策を楽しんでいた。これにはちょっとびっくりした。ここもしだいに桜の名所として、ようやく、認知されてきたのかも知れない。

パルとの時間

そういえば昨日は満月がこうこうと照りつける、星のじつに綺麗な夜だったことを思い出す。見上げるたびに月はその大きさを増す。まるで風船のように膨張しているかのようだ。午前1時のピラタスの丘は静寂の中にもいのちの気配に満ちて、強烈な月光の元で光り輝いている。その光は直近の蓼科山はもとより遠くの山並みまでを照らし出す。

シベリアンハスキーのパルとの散歩は、どんなに多忙な時でもかかすわけにはいかない。それがパルのもっとも楽しみとしているひとときだからだ。小走りで進むパルの姿を見るとこころが和んでくる、いや、感動を覚えるといったほうがいいかもしれない。それほど、そのリズミカルでしなやかな並足はたとえようもなく優美なものだ。


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※1枚目の写真は聖光寺で見かけたクロツグミ(?)、鳴いていなかったので確信はない。

2007年05月06日

3732 静かな雨の森でジャズを聴く

雨 気温:最低 5℃/最高 9℃

静かな雨の森でジャズを聴く

今日の天気がどうであろうと、最高気温や最低気温がどうであろうが、そんなことは関係ないような気分になる。朝からしだいに激しくなった雨も気にならない。いま僕はひとけのないラウンジで JBL と McIntosh のアンプでコルトレーンの My Favorite Things というアルバムを聴いている。なつかしい Blue Note レーベルのLPの音がする。じつはこのアルバムは ATLANTIC レーベルなのだけれど。

演奏の合間や楽器の音が小さくなるパートでは外から雨音が入り込んでくる、まるで演奏に参加するかのように。春の高原に降る雨はとてもやさしい印象がある。芽吹きを間近に控えた森の上に、それは薄いベールのようにゆっくりと降りてくる。

学生の頃余暇のほとんどを過ごした新宿や神保町のジャズ喫茶のあの懐かしい音とにおいがよみがえる。こうして当時の音を再現すると、こころの中を心地よい風が吹き抜ける。あの頃と同じだ、それはコンスタントに吹き続けるこころ温まる風だ。人間存在の美しさを信じさせるにたるジャズの息吹だ。

正面には常に僕のこころの友である白樺の巨木が迫り来る夕闇の中にたたずんでいる。高さ6mある吹き抜けからはその木の上から下までをひとつの画として捉えることが出来る。空を流れる雲までも見て取ることが出来る。ここは僕にとってもこの建物で最良最上の場所だ。

燃焼音がじゃまになるのでストーブは点火しない。だから、真冬や気温の低い季節はここで(お客様のいらっしゃらない日に)ジャズを聴くことはある種の荒行に近い過酷な体験となる。これだけ大音量で聴いていても、耳の奥からはキーンという静寂の音(sound of silence)が聞こえてくるから不思議だ。


シベリアンハスキー的人間としての僕

ここではなにもかもが「ピュア」なのだ。空気も水もこころも、そしていのちそのものも。

パルから僕はじつに多くのことを学んだ。自然の中でじつはぼくらはなにもなす事が出来ないのだということ。ぼくらに出来ることといえば、宇宙的時間あるいは惑星的時間においては瞬間的なものにすぎない環境破壊という名の暴力だけだ。そのことによる災いを引き受けるのはぼくらである定めだし、地球にとってはそんなことは痛くもかゆくもない。

それは惑星としてのひとつの通過地点に過ぎない。

やがて人類が消滅した後もこの惑星は自分なりの歴史を刻んでいくことになるのだろう。僕が死ねば僕の過ごした個人的には膨大といってもいい時間と経験、あるいは感動や想いや愛したものたちへの思い出は消滅する。そんなものは一切無かったことのように。それでいいのだ。地球は存在し続け、宇宙は膨張を続け、天文学的時間経過の果てにやがて消滅する。

想いを捨てれば自由になれる。それは古代インドの聖者の教えを待つまでもない真理だ。問題は「想いを捨てる」とはどのようなことなのか、どのようにすればそれを捨てて自由になることが出来るのかということだった。その答えを教えてくれたのもまたパルだった。

想いを捨てるということは、それを受け入れるということと同義だったのだ。たとえば死への恐怖を捨て去るには、死そのものを受け入れればよい。パルは生来そのように生きている。生を受けると同時に死すべき自分を受け入れて生きている。おそらく人間以外の野生動物はみなそれを当然のこととして「いま、ここに、ある」いのちを謳歌しているのだと思う。

我らの家族の一員として12年をともに過ごしてきたシベリアンハスキーのパルは、そのように僕の友であり師であり群の仲間であり続けるのだ。彼と僕とどちらがより長く生きるかは神のみぞ知ることだけれど、できることならば、僕の寿命と引き替えてでも同じだけ生きて欲しいと願っている。

雨の蓼科高原ピラタスの丘に、旧いジャズはとてもよく似合う。

初めて蓼科と出合った頃となにも変わっていない。変わるのはひとだけだ、僕を含めて。


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2007年05月07日

3733 桜を愛でつつ「葉隠れ」を想う

晴れ 気温:最低 7℃/最高 18℃

昨日一日降り続いた雨がうそのように、朝から晴れ渡りウグイスの歌声で目覚めた。ペンション・サンセットの敷地がちょうどひとつのテリトリーとなっているようで、毎年違ったウグイスが1羽だけ居着くようなのだ。共通するのは、少なくとも鳴き始めのこの時期には「とても歌が下手だ」ということ。ここはテリトリーとしての評価が低い部類なのかも知れない。

去年のウグイス君は歴代の主の中でも極めつきの「音痴」だった。そのあたりのことは去年の今頃の「蓼科高原日記」に詳しく記したから、ここでは繰り返さない。はっきりしたルールは、人間界と同じく、自然界でも雌にアピールすることのできる雄から番(つがい)になっていくということだ。

ウグイスも歌の上手な個体から順に番が成立していくようなのだ。オスはオスでそれは大変なのだ。

ピラタスの丘にもようやくいつものメンツがそろったようだ。最盛期には約40種類の高山の野鳥の顔ぶれがそろって、朝に夕に盛んに鳴き交わすその歌声はまさにこの世の春。特に未明のそれは覚醒へのまどろみの中で聞く至福の音楽となる。

桜前線は蓼科湖(標高1230m)をゆっくりと過ぎようとしている。やがてさらに50mほど上の「プール平」の桜たちが咲きそろう。特にビーナスライン沿いの巨木はじつに圧倒的な迫力で見るものを虜にする。しだれ桜やさまざまな種類の桜があるので、見応えがある。プール平の蓼科郵便局脇から大滝に続く遊歩道を散策することをおすすめする。

桜の花はどうしてこれほどまでにわれわれの心の奥深くの琴線に触れることが出来るのだろう。咲く花の美しさ、華やかさ、それでいて清楚、散り際の潔さ。そこに「葉隠れ」の神髄を見る想いがするのは僕の勝手な思いこみだろうか。

今日の、そしてこれから吹く風が僕は大好きだ。一年を通じてこの季節の風がもっとも美しくそして爽快(そうかい)なのだ。その風に吹かれていると、まるで命を吹き込まれるような気がしてくるほどだ。その肌触り、香り、緩急のリズム、すべてが絶妙なバランスの上に成り立っている。

敷地内の白樺の巨木の木陰にガダバウトチェアを持ち出して、蓼科山を正面に見据えながらバラクライングリッシュガーデン仕込みのロイヤルミルクティーをたしなむなんてこじゃれたことをやってみたりする。首からぶら下げたデジタル一眼レフで気の向くままにシャッターを切る。

この季節の空はいくら見ていても飽きるということ