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3621 山暮らしと「雨月物語(貧福論)」

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先日「雨月物語」の最終話「貧福論(ひんふくろん)」のことを書いた。引用部分を読んで、よ〜し、自分もお金を丁重に扱い愛すことが出来ればきっとお金が寄ってきてくれるのだろうと、ちょっとがんばってみようかなどと思ってしまった。が、しかしそれに続く話を読んで「がっくり」きてしまった。

くだんの翁(おきな)=じつは黄金の精の化身=はこう続けたのだ:


(承前)

 「また、わが身の行いも正しく、他人にも真心を持ちながら、世間のつきあいを狭(せば)められて苦しんでいる人は、天の神の恵み少なく生まれついてきたのだから、いかに精神を労しても、生きている間に富貴を得ることはない。だからこそ、昔の賢人は求めて効果があれば求めるし、求めても甲斐(かい)がなければ求めない。そして自分の好みに従って俗世間から山林に脱出して、心静かに一生を終わる。そういう心の中はどんなにか清々(せいせい)としたものであろうかとうらやましくなってしまうのだ。
 だがそうはいっても、富貴の道は技術なのであって、たくみな者はよく富を集め、だめな者は瓦が壊れるより簡単に失ってしまう。一方、われら金銀の類は、人の生業についてまわって、頼みとする主人も決まってはいず、ここに集まるかと思うと、その主人の振る舞いによってはたちまち向こうへ逃げていく。あたかも水が低い方へ流れるようにである。金の動きには夜も昼も往来してとどまる時がない。だから、ただもう閑人(ひまじん)が生業も持たずにいれば、泰山のごとき富もすぐに食い尽くしてしまうだろうし、江海のような富もついには飲みほしてしまうものだ。
 何度でも言うが、徳のない人間が財貨を築き上げたりするのは、金の性(さが)と術(わざ)を競う道のことであり、君子たらんとする人は、それにかかわることなくそれを論じない方がよい。時流をつかんだ人が、倹約を守り無駄(むだ)を省いてよく努力すれば、自然に家は富み人も従うようになろう。私は仏教でいう前世の因縁によるということなどは知らないし、儒教でいう天命だという考えにもかかわりはない。全然別な世界で気ままにやっているのだ」という。


はいはい、たしかに清々(せいせい)したこころもちでございますです。(-_-;)

天の恵み少なく生まれついてきたのね。ぼくは賢人であろうはずもないけれど、賢人みたいに生きるのがいいみたい。君子じゃないけど、君子たらんとする人みたいに、それにかかわることなくそれを論じないほうがいいのね。

やっぱり、配られたカードを取っ替えるわけにはいかないし、手持ちのカードでルールに従って少しでもましな結果を出すように努力するほか無いのだ、ポーカーゲームみたいにね。ずうっとそう思ってきたけれど、やっぱりそうなのかもしれない。

さびしいなあ。

※引用した現代語訳は講談社学術文庫「雨月物語(青木正次・全訳注)上下巻」による。

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2007年01月15日 18:35に投稿されたエントリーのページです。

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