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2006年10月 アーカイブ

2006年10月01日

3515 闇の絵巻

雨 気温:最低 6℃/最高 12℃

秋の深まりは日々の気温の低下によって知らされる。見た目にはまだ紅葉は始まっていないように見えるが、よく観ればその兆候は森のそこここに見て取ることができるだろう。標高2000mを越える麦草峠付近ではナナカマドなどが真っ赤に紅葉している。おそらく今週末が見頃になるのだろう。

標高1700〜1800mに位置するピラタスの丘ペンション村ではその次の週(10/14頃)が真っ盛りになりそうだ。蓼科湖(標高1240m)付近は400本のソメイヨシノが真っ赤に紅葉する11月上旬が見頃になる。

秋の深まりは音の伝わり方響き方でも知ることができる。そして朝夕の静けさもまた秋の訪れの証拠だ。それぞれの季節、ここは静寂の支配する土地だけれど、その静寂の味わいはそれぞれに異なるのだ。雪降る夜の静寂、雨降る春の日の静けさ、夏の夜のしんとした気配、秋の日のおだやかな時の流れ。

昨夜は満天の星を望んだが、今日は終日雨が降り続いている。外に出るとまとわりつくような闇が満ちている。それはあらゆる光を吸い尽くし、まるで煙のように身にまとわりつきそして流れて去ってゆく。こんな夜の犬との散歩は、闇をかき分けて進むような錯覚に陥る。

篠突く雨が樹木の葉を打つ音はすでに秋の音に変わっている。その雨滴はいったん樹上に蓄えられ、少しずつ地表へと降り注ぐ。空からの雨と、樹上からの雨と、2種類の雨が同時に降り注ぐ。闇夜の雨などというとまるで「雨月物語」のようで、不気味に聞こえるかも知れない。

しかしじっさいは、闇も雨もそのような不気味さとはまったく無縁なのだった。雨は雨であり闇は闇としてそこにある、ただそれだけだ。夜の森にはじつに様々な気配が満ちているのだけれど、それにも慣れて僕らは安心してしかし慎重に闇夜を歩くことができるようになった。

この雨は明日の午後まで続きその後晴れてくるとの気象概況だ。

2006年10月02日

3516 インターネット回線速度20MBに

雨 気温:最低 7℃/最高 10℃

10月2日(月)、いつも使っているCATV回線のインターネット接続速度が上がった。回線側に何らかの改善がなされたためなのか、昨日僕の Power Mac G5 を Mac OS X 10.4.8 にアップデートしたのが主たる要因なのかまだわからない。しかし、劇的にスループットが向上したのは事実だ。

これまで決して2Mbpsを越えることの無かった RBB の東京のサーバーでの速度測定や Gyao でも20Mbps近い速度をたたき出したのだ。これにはびっくりした、いったいなにが起こったのだろうか。そもそも速度に関してはベストエフォート型のネットワークだから、回線が空いていたのかも知れないし、回線の補強やチューニングがなされた可能性もある。

いずれにしてもよろこばしいことで、関連文書には broadband network performance が改善されているとあるので、タイミングから考えるとやはりOSのアップデートが主たる要因かも知れないと踏んでいる。わからないのは、Apple Broadband Tuner 1.0 をインストールした状態とアンインストールした状態ではどちらが早いのかはっきりしたデータがとれなかったことだけれど、感覚的にはやはりインストールした状態の方がベターのようだ。

それにしても回線の通信速度が速くなるのにともなって、ユーザーもそれなりに勉強してチューニングをしながら使わないと本来の速度が出ないということがあたりまえに起こるようだ。これは技術サポートの人からも言われたことなので、技術的にもそういうことなのだろう。回線速度を上げるほど神経質な側面が出てくるようだ。

拠出するコストに見合った性能を手に入れるためにはそれなりの学習が必要だということなのだろう、現状としては。これはがんばってみるしかない。

それはさておき、今日は予報とはちょっと異なった天気になった。すなわち朝から雨降りで、それもけっこう本格的で、午後にはかなり空が明るくなったものの山では雨が続いた。一時曇りに変わったが、その後また降り始め夜半になっても雨が降っている。

ちなみに明日は曇りのち晴れ、あさっては曇り時々晴れの予報が出ている。今週末の連休は「雨は無い」とのことなので、ほっとしている。そろそろ山岳部は紅葉が見頃を迎えるタイミングなので、山歩きやドライブのお客様には「ころ合い」かな、と思う。

2006年10月03日

3517 紅葉、鹿との出会い

晴れ 気温:最低 9℃/最高 15℃

夜、愛犬と散歩に出ると必ず野生の鹿と遭遇する。それはまるで野生のキツネやタヌキと出合うのと同じ確率なのだ。ここ数年鹿の数が目に見えて増加した結果だろう。先日は夜の野原を鹿の群が走り抜けるところまで目撃できたほどだ。子供の頃観たウォルト・ディズニーのアニメーションの一場面みたいだった。

たまに鹿の糞を見つけるから、ペンション・サンセットの敷地内も通り抜けているようだ。野生のキツネも増えている様子で、ピラタスの丘では飼い犬よりもキツネやタヌキや鹿の数の方がずうっと多い状況になっている。したがって、それらの野生動物と接近遭遇するお客様も増えている。

野生動物がこのように「増えすぎる」ということは生態系から観ても、食害等の実際的側面から観ても決して喜んではいられないのだけれど、野生動物との出会いほど魂を揺さぶられる体験はない。このピラタスの丘と命名された別荘地が開発されて30年近く経過して、いま再び自然がわれわれを包み込み飲み込もうとしているかのように感じている。

さて、秋の高原といえば「紅葉」と相場が決まっているようなのだけれど、いよいよ紅葉が始まっている。標高2000m以上ではいまから今週末の連休のあたりが真っ盛りの見頃を迎えそうだ。ピラタスの丘も森のあちこちでナナカマドやウルシやタラノキやヤマブドウが真っ赤に紅葉して、それは思わず息をのむほど美しい。

ピラタスの丘が全面的に紅葉するのはおそらく今週末の連休以降、翌週末頃まで間になりそうだ。紅葉はひとたび始まるとその展開速度は驚くべきものがある。あっという間に山を駆け下りて里に至るのだ。蓼科湖(標高1240m)を始めとした湖沼部(白樺湖、女神湖)では11月上旬が最盛期になるだろう。

ということで今週末のおすすめコースは国道299号線を麦草峠方面を経て八千穂村あたりまでドライブするのがおすすめだ。あるいはピラタスロープウエイを利用して麦草峠方面に山歩きを楽しむのもすてきな紅葉狩りになることだろう。

もうひとつのおすすめは、ビーナスラインを美ヶ原までドライブするというものだ。美ヶ原もまた今週末の連休が紅葉の盛りになるからだ。ここから観ても、蓼科山や八子ヶ峰の山腹にも真っ赤に紅葉した樹木がまるで花が咲いたように色鮮やかに見える。ペンション・サンセットの庭でも白樺が黄葉し、ウルシ、タラノキ、ナナカマドが美しく紅葉している。

いよいよ紅葉シーズンが始まった。

2006年10月04日

3518 人生は円環を描く

晴れのち曇り 気温:最低 9℃/最高 15℃

朝から良い天気で、じつに気持ちのいい一日だったが、夕暮れ間近になってピラタスの丘全体が雲の中に入ってしまった。おそらくここだけ濃霧状態になっているのだろう。雨とも濃霧ともつかない。建物周りの照明も遠くまでは届かずに拡散してしまう。

少し離れたところから観ると、きょうのペンション・サンセットはとてもファンタジックなたたずまいだ。まだ高原暮らしを始める前は、こんな霧の夜(実際は雲の中に入っているだけ)にはえもいわれないロマンチックな気分になったものだ。流れ揺蕩う(たゆとう)霧の粒子に自分の想いを込めてしまう。

毎朝ラウンジに出る度に景色がはっきりと変化していて驚くばかりだ。森の様子がどんどん変わっている。紅葉に向かって、まず色彩が変化し、いつの間にか地面は黄色や朱色の落ち葉で彩られている。精神の回廊を歩むようなバッハを聴きながら、それがこの情景にたとえようもなくマッチしていることを感じる。

しかし想いは伝わらない。伝えるべき対象を欠いているからだ。伝えたい誰かをイメージできない僕がいる。かつて僕は伝えるべきことを伝えるべき相手に確実に伝えるという仕事をしていた。広告会社というのはコミュニケーション産業なのだ。僕はいつもいつも伝えるべきことと伝えるべき相手とを繋ぐ手段を夜も寝ないで考え続けていた。そして気づいたことは、自分にはこの仕事を続ける資質が致命的に欠けているという事実だった。

そのようにして僕の前半生は終わった。僕は勝負を下りて、改めて「自分の土俵で自分の相撲を取る」ことを求めた。そして10年後、ふと気づくと「ここ」にいた。若かった僕は自分を変えたかったのだろう。自分にとってもっとも居心地の悪い、もっとも不得意な環境に自分を投げ込んだのだ。

若い頃は何でも「演じきる」自信があった。まったく根拠のない自信だ。誰にだって若い頃にはよくある勘違いだ。どんなことをしたって、どんな仕事をしたって、どんな経験をしたって「自分の核心」とでも呼ぶべき部分は決して変わらないし、変えることなんてできないのだ。ブーメランのように僕は「自分というこの場所」に戻ってきていた。

そのようにして「円環」を描いてひとは結局「自分」に戻ってくるものなのだ。決して「自分」からは逃げられない。自分を見捨てることもできないし、自分から見捨てられることもない。自分になるしかないのだ。なぜなら、ひとは「自分」になることを運命づけられて生まれてくるからだ。

人生に「意味」を見いだすことはほとんど不可能か、見いだしたとしてもそれは便宜的な「幻想」にすぎない。しかし人生の目的と価値を定めることは可能だ。「ひとは自分になるために生きている」ということだ。だからこそ幸福とは「自分が自分である」ということに違いない。本当の自分はここにいる。最初からね。きみはいったいどこを探し回っていたのかね。こんな霧の深い夜に。

2006年10月05日

3519 秋の雨音

曇りのち雨 気温:最低 8℃/最高 13℃

朝のうち曇り空だったが、昼前には雨が降り出した。土砂降りでは無いが始めから本降りになった。高原の雨はきれいだから、雨が降るほどに屋外駐車してあるクルマがきれいになっていく。ペンション・サンセットの敷地内のアプローチの砂利道や駐車場に降り積もった紅葉を打つ雨音、樹木の葉を打つ雨音がぱたぱたさわさわと聞こえる。

この季節の雨はそのように清冽な印象がする。雨の日の午後を過ごしながら「なんだかすごく静かね。」と妻が言う。そうなのだ、雪降る夜の次に静かなのだ。特にこの季節の雨降りの午後は、何もかもが眠り込んでしまったような静寂に満ちている。森に降る雨はそもそも静かなものなのだけれど。

中庭の犬舎のなかでシベリアンハスキーのパルが熟睡している。夜中は最近特に野生の鹿が徘徊しているので、おちおち眠っていられないから、明るいうちに安心してゆっくり眠っている。風も無く、樹木も揺れない、雨はまるで定規で引いたようにまっすぐな軌跡を残しながら空から地表へと降り続けている。

まるで時間が止まってしまったような錯覚に陥る。どこからともなく、いや、僕の頭の中からか耳の奥からかきーんという音が聞こえてくる。自分の呼吸する音がはっきりと聞こえる。二重ガラスの向こうの景色は一幅の絵画のように色鮮やかで癒しに満ちている。

その一方でこの景色はどこか心うきうきするものを感じさせる。わくわくしてくる。紅葉が始まる時にはいつもこの気分が支配するようになっていく。秋に収穫されるのは田畑の作物だけでは無く、景色もまた収穫の季節を迎えるのだ。雨が降っていても空は明るく、景色はくっきりとしている。

Power Mac G5 のたてるぶーんという音、僕がキーボードをたたく音以外なにも聞こえない。夜になってピラタスの森はますます静かだ。自分がいま覚醒しているのか眠っているのかも定かでなくなるほどに。

2006年10月06日

3520 野生の鹿が通り抜ける

雨 気温:最低 8℃/最高 10℃

台風16号はすでに熱帯低気圧に変わり、天気概況によれば日本近海には現在「台風」はひとつも存在しないとのこと。しかし秋雨前線の活動が活発なため広範囲にわたって強い風雨に見舞われているている現状だ。ここ蓼科でも昨夜半以来しだいに風雨が強くなり、春の嵐のような状況になっている。降雨はさほどでも無いが、風は強い。ピラタスロープウエイは法令に従って今日は終日運休となった。

明日は午前中で雨が上がって、それ以降は上り坂となり土曜日は曇り、日曜日は曇り後晴れ、月曜日は晴れという予報になっている。この3連休は8日(日)以降に観光を予定するとよろしいかと思う。ピラタスの丘は今日も気温が上がらず、最低気温8℃、最高気温10℃と、東京の12月と同じ気温となった。

蓼科を訪れる方は冬用のフリースやダウンパーカを絶対に忘れないこと。いちばんいいのは薄いものでもいいから長袖長ズボンのアンダーウエア(下着)を1枚着用すること。そうすればまったく寒さなど感じないで思いっきり高原の秋を満喫できると言うものだ。だまされたと思って是非お試しあれ。

ピラタスの丘も劇的に色づいてきている。紅葉は思っていたよりも早く最盛期を迎えるかも知れない。まあ順当な線としては来週末がペンション・サンセットの周辺の紅葉の見ごろとなると思う。現在すでにロープウエイで上がる2000m以上のところは紅葉真っ盛りだ。1750mにあるペンション・サンセットのところまで紅葉が降りてくるのも時間の問題だ。

最近ペンション・サンセットの敷地内を野生の鹿が通り抜けていることが判明したので、終夜屋外の照明を必要最小限点灯することにしている。敷地内の植物や樹木に食害を出さないためだ。それほど鹿の出現確率が高いので、野生との出会いを求めるひとにとって、ピラタスの丘はまたひとつ魅力を増したのかも知れない。

また、都市生活者にとっては「闇」は恐ろしいもの以外の何ものでも無いようなので、夜間窓の外に多少の光があることは安心につながるのかな、とも思っている。そのあたりはお客様のご意見を聞きながら考えていきたいと思っている。ここはとんでもない山岳部だから、またペンションがたくさん建っている別荘地だから治安はとても良く、これまで事件らしきものは皆無だけれど、まあそんなことで、試しに夜間照明を実施しているしだい。

蓼科はすでに紅葉シーズンにはいっているので、これから11月上旬いっぱいはいついらしても紅葉をめでることができると思います。今年の紅葉はしなやかで虫食いも無く色味も鮮やか、ここ数年の中でも格別に美しいので是非ご覧いただきたいのです。

2006年10月07日

3521 ふくろうが私の名を呼ぶ

雨のち晴れ 気温:最低 4℃/最高 7℃

カナダの西海岸でユースホステルを経営なさっている方からメールをいただいた。「ふくろうが私の名を呼ぶ」と言う小説を検索していてこのサイトに出会ったとのこと。まさにこの小説の舞台になったあたりにお住まいなのだ。

書いた本人がすっかり忘れていた。で、Google(TM)のサイト内検索を利用して探してみたら以下の文章が出てきた。11年も毎日書いていたらどこにどの文章があるかなんて自分でもわからないよ。それにしても、しっかりと書いているね、いまの僕にはとても書けないようなことを。それにしても「人間風車」ってなんだろう、すっかり忘れてしまった。

こうなるともう記憶というよりは歴史、歴史というよりは考古学の世界なのかも知れない。記憶の考古学ってないのかな。この手の話や文章が好きなひとは昔の蓼科高原日記を読んでね。

★★★

2003.01.07(火)-------------気温 = 最低 -13度/ 最高 -3度

米国の作家J.D.サリンジャーの名作「ライ麦畑で捕まえて(The Catcher in the Rye)」が村上春樹氏の翻訳で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というタイトルで出版されることが決まったそうですが、これはまあいささか旧聞に属するとは思うけれど、とてもうれしいことだ。僕らは同じ白水社刊の野崎孝訳の名訳「ライ麦畑で捕まえて」によって「ライ麦」体験をしたわけだけれど、それはいま思い返しても強烈なものだった。

強烈といってもセンセーショナルな体験とか感動というのではなく、しみじみとこころに染み渡るというか、いやそうじゃないな(そういう体験をしたければスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」やマーガレット・クレイヴンの「ふくろうが私の名を呼ぶ」(角川書店刊)をおすすめする)、自分が年齢を重ねるにつれてジンと効いてくるというたぐいの感動だった。ぼくの周囲の同世代の人間にとっては「中原中也」や「萩原朔太郎」や「福永武彦」や「出家とその弟子(倉田百三著)」同様ある種の「通過儀式」みたいなものだったような気がする。夏目漱石、森鴎外、太宰治などなどのリストを思い返してみるとつくづくぼくらは「古典主義」的読者だったのだなあ。

我が敬愛する(といってもちょうど娘に当たる年齢なのだけれど)宇多田ヒカル(さん)がヘルマン・ヘッセを愛読していたことを最近知ったのだけれど、「車輪の下」「デミアン」「シッダールタ」「幸福論」「荒野の狼」とかなりの作品に「人間風車」状態になってしまったのが懐かしい(ブレーンバスターでなくてよかった)。ちなみに彼女の愛読書リストには「グレート・ギャツビー」もしっかりはいっている。

大学に入って最初の衝撃はアルベール・カミュの「異邦人」「ペスト」「シジフォスの神話」、ジャンポール・サルトルの「嘔吐」「存在と無」、そしてあのフランツ・カフカ。ご想像通りぼくにはドラッグなんて必要なかった。この読書体験のほうがよほど強烈なドラッグ的体験だったから。「実存主義」「不条理」という名のドラッグね。

カフカの言葉にすべては凝縮されている。

『ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。』(親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日)

いまインターネットで『カフカ』で検索をかけると「海辺のカフカ(村上春樹著)」関連のサイトばかり出てきてしまうのは、まあいたしかたないでしょう。で、多少カフカを知りたい方のためにこのサイトをお勧めしておきます。

ぼくの読書体験を書き始めたらそれこそ「ネバー・エンディング・ストーリー」になってしまうのですが、今後少しずつ思い出しながら書いていこうとは思っています。大学時代だけで3,400冊読破したことはいささかばかげているとぼく自身思うのですが、その体験がいまのぼくの精神的骨格の形成に少なからぬ影響を与えていることは否めません。学問(勉強?)とジャズ(リスニング&演奏活動)と目がつぶれそうなほどむさぼり読んだ無数の書物のインクと紙の匂いこそぼくの激情と夢と孤独に支配された青春でした。


------------------------------(23時)

★★★

さて、現在の僕に戻る。

今日はひきつづき風が強く(台風は消えてなくなっちゃったのに)、ロープウエイも運休。午後になってようやく収まってきた。昨日収まったように見えたのは一時的なものだった。夜には風も止んで雲間から満月に近い月齢14の明るい月が顔をのぞかせた。

寒い、ものすごく寒い。長袖のワークシャツの上にフリースのシェルドジャケットを着込んでフリースの帽子をかぶってちょうどいい低温だ。もちろん吐く息は真っ白。これは11月並の気候だと思う。最低気温4℃、最高気温7℃だもの。

シベリアンハスキーだから愛犬パル君はますます元気、急坂をぐんぐん登り、ずんずん進んでいく。これなら犬ぞりを引けるというのも納得の馬鹿力だ。雲を透かして照る月明かりであたりはぼおっと明るいから、ハンディライトを使うことはほとんどない。遥か下に山麓の街の明かりが見える。山並みは墨絵のように闇に沈んでいる。

僕は60歳の自分を想像できない。そんなに遠い将来のことでも無いのに。すでに「フクロウが私の名を呼んでいる」のかも知れない。カナダのネイティヴの間では死ぬ前に「フクロウがその人の名を呼ぶ」という伝承があるという。それに題材を求めた作品が上記の小説だ。静謐に満ち、哀しくしみじみとした作品だ。一読をお薦めする。

2006年10月08日

3522 蓼科の紅葉狩りと服装

晴れ 気温:最低 3℃/最高 9℃

今日は快晴だった。明日も晴れ、明後日も晴れという天気予報がでている。晴れた夜はとても冷え込むから、また晴れた日中でも陽射しは暖かいけれど風がとあるととても寒く感じるから、秋の高原を訪れるならそれなりの服装計画が必須となります。

おすすめなのは、薄手でもいいからアンダーウエアを長袖のものにすること、できればパンツの下にはく中厚手のタイツを準備。羽織るものとしては長袖の厚手のシャツ、厚手のトレーナー、中厚手のフリース、それから風が吹いた時に寒い思いをしないために、風を通さないナイロンのウインドブレーカーかマウンテンパーカがあれば完璧。

寒がりのひとはこれに加えて毛糸の帽子、啓人の手袋があればなおいいでしょう。

そしてこちらに到着したら是非秋の高原の「森」を散歩して下さい。早朝か、夕暮れ時がおすすめです。湖畔の森だったらいっそうロマンティックでしょう。そう、秋の高原はロマンにあふれているのです。

台風なんてとっくに消失しているのに、良く風が吹きます。今日の蓼科も強風というほどでは無いけれど、冷たい風がコンスタントに吹きました。朝夕はときおり吹き抜けるこの風がとても寒く感じさせます。しかし、この冷え込みによって紅葉はずんずん進行しています。

この連休は標高2400m〜2000m付近がなんとも美しかった。国道299号線ドライブしたお客様や、麦草峠・白駒池を訪れたお客様、そして山歩き・登山でロープウエイから山にはいったお客様はこの至福の風景を堪能されました。

今週末にはロープウエイ下から標高1750mのピラタスの丘付近まで紅葉が降りてきそうです。今度の土日にはペンション・サンセットも紅葉のタペストリーの中に織り込まれてしまいそうです。紅葉は標高の高いところから低いところへと山を駆け降りるものですから、標高差の大きい蓼科では11月半ばまで広葉樹の紅葉が楽しめます。特に蓼科湖では400本の桜の木(ソメイヨシノ)が真っ赤に紅葉します!

それが終わるといよいよ針葉樹の紅葉です。落葉松(からまつ)の紅葉の美しさはそれを知るものにとっては忘れ難いものです。東山魁夷画伯も好んで当地の落葉松林を取材していたそうで、画伯の描いたブルーの美しい針葉樹林は当地の風景もはいっているのだと改めて親近感を感じます。

今夜もお客様のために全館暖房を入れています。暖房を入れないと館内は15℃〜18℃ほどになってしまう気候です。これは平年に比べるとかなり寒いです。いつものこの時期ならもっとずうっと温かなのです。数日中に平年並の気温に戻るとは思いますが、いずれにしても、都市部からいらしたお客様には「ものすごく寒い」と感じられるかも知れません。

そういうことなので、上記の服装を是非ご用意下さい。そうすれば極上の高原の秋を快適にお過ごしいただけると思います。あ、これは朝夕のことで、日中は陽射しがぽかぽかと暖かいですからそのあたりのご心配は無きよう。別の表現をするなら、山にキャンプに行く時程度の防寒衣料は必ずご用意下さいということです。ここは日本中のどのキャンプ場より標高が高いのですから。

今夜は満天の星が美しい。今日はジャコビニ流星群が出現する日なのですが、なにしろ「突発的に出現する流星群」だそうで、残念ながら僕はまだ見ていません。もう一度ラウンジの窓から夜空を見上げてみようっと。

2006年10月09日

3523 「自分が自分であること」に耐える

晴れ 気温:最低 3℃/最高 11℃

山暮らしはいつも命がけの危険と隣り合わせの力仕事、というか「闘い」です。周囲のひとはそんなことは当たり前で何とも感じていない、とういか、言うまでもないから何も言わずに淡々と作業なさっているようですが、肉体労働未経験の都会育ちのビジネスマンだった僕は、とても「ひ弱」で、いつもびくびくしながら作業しています。(^_^;)

そう、僕はこの地に暮らすようになって知った。自分の弱さを、それも自分の本当の弱さがどのようなものなのかを。それを知ったからといって、急に何かが変わるわけでもないし、好転させる方法が見えてくるわけでもない。でも、知らないよりは知っていた方がいいと思っている。

強くなりたいと想っても、そして実際に強くなろうとしても、それで強くなれることは先ずあり得ない。それは経験的事実だ。でも。強さってなんだろうと考えたとき、それが「耐える強さ」だってことに気づいた。何に耐える強さかというと、「自分が自分であること」に耐える強さだ。

「自分らしく生きる」というのはそういうことなんだ、シンプルに言ってしまえば。

ひとは互いに相手を自分の価値観なり世界観に従わせようとしながら生きている。「組織」とか「地域」とか「仲間」とか、それはあらゆるレベルにおいて自然な原理として存在する。それから逃れて生きていくことはほとんど不可能だ。

そこで、選択肢はおおまかにふたつ。(1)自分を捨てて相手に合わせる、(2)自分の生き方を通す。

前者を選択するのが常識的選択かも知れない。が、後者への欲求はしだいに増すのどの渇きにも似てわれわれを苦しめることとなる。「自分は一体何者なのだ?」という問いかけとなって我々の魂をゆさぶり不安にする。

「自分を捨てて」というのはじつに巧妙なレトリックであって、これは強者が弱者を従わせ支配するときの美しく甘美な常套句である。「もっと馬鹿になれ!」という言葉も本質的には同じものだ。その証拠を示すのはじつに簡単だ。強者、支配者が「自分を捨てて相手に従う」のを見たことがあるだろうか、それは強者の敗北に他ならない。それを行えば彼はもはや支配者ではなく被支配者である。

「もっと馬鹿になる」ような支配者はいない、それではもはや支配者ではいられないからだ。百歩譲って別の意味において比喩として「もっと馬鹿になる」ことが有用なケースはあるかも知れない。が、それは人に言われたり命じられたりする筋合いのものではない。自分で考え自分で決めることだ。それこそよけいなお世話というものだろう。

「人の和」を説く人間は「秀でた(ひいでた)」強い影響力・支配力を持った人間ばかりではないだろうか。「和をもって尊しと為す(わをもってとうとしとなす)」と説いたのは聖徳太子だが、この言葉は絶対的支配者である聖徳太子が説いたからこそ意味を成すのであって、名も無き民が発しても実際的にはほとんど意味を成さない言葉だったろう。

もっとも、この言葉はかなり誤った用法で用いられているケースが多いようだけれど。興味のある方はウェブ上で検索しても良いし、辞書を引くなりして調べてみるのも興味深いかも知れない。

「小異を捨てて大同につく(しょういをすててだいどうにつく)」も同様に(意図的に)誤った使い方をされていることが多い。ここで言う「小異」こそ「個人の尊厳や固有の権利」であり「本当の自分」であることが多いのだ。意見や見解の小さな違いを捨てて大局的合意をするという本来の意味とは異なった使い方をする支配者。「大同小異」、危険な言葉だ。

さて、僕はといえば、ばりばりの「組織人」として自分を訓練し、組織人として前半生を生きた。そして自己崩壊寸前までいってしまった、少なくとも内面的には。要はバランス感覚が悪かったということなのだけれど。簡単に言ってしまえば、「本音(本当の自分の生き方)」と「たてまえ(自分を捨てて所属集団の価値観に則って生きる)」の使い分けがうまくなかったってこと。

だから、ここへやって来たのは、「本当の自分の生き方」を実現する、実際的には「実践する」、ということだったのです。しかし実際のところそれはどこにいたって「ハードボイルド」な生き方です。向かい風の人生ですね。場合によっては村八分的人間関係の危機をはらんだスタンスです。だから「快適で安楽で楽しい人生」を求めているわけではない。つらくて孤独な闘いの後半生を選択したのかも知れない。

でもその選択以降の僕こそ本来の「自分らしい自分」だと胸を張って言えるし、そんな自分がうれしい。

そんな僕にたいして反感を持つ人間もいるだろうしそうでない人たちもいると思う。それが自然なことだ。敵もいれば味方もいる、さらに敵か味方かが曖昧な人たちも圧倒的多数存在する。それが自然な姿だし、その曖昧さに耐えることこそ自分を強くする唯一の成長過程だとも思っている。

だから本当は僕は孤独ではないのかも知れない。それは単なる「孤独感」にすぎないのかもしれない、誰もが時として感じる。そのような孤独感を持たないひとはおそらく自分が「共同幻想」の世界に生きていることに気づいていないのだ。しかし、誰の人生においてもその事実が暴かれる日はやがてやってくる、確実に。まあいいか、ゲーテがファウストに言わせたように、しょせん「万物はメタファー」なのだから。


(注)実はこの文章は2004年6月某日に書いた日記の一部だ。思うところあって転載する。

2006年10月10日

3524 100万アクセス達成

晴れ 気温:最低 3℃/最高 12℃

昨夜半にこのサイトのアクセスカウンターが100万アクセスを越えました。1996年7月以来4年かかって10万アクセスでしたから、その後の6年余で90万アクセスという計算になるわけで、インターネットの爆発的普及と回線のブロードバンド化の進展には目を見張るばかりです。

某白書によれば1996年に500万人ほどであったインターネット利用者数は昨年約7000万人になりほぼ飽和状態とのことですから、インターネットを必要とするひとにはすべてそれなりの回線接続が完了しているということのようです。

いずれにしても、このサイトを訪れて下さる方々がいらっしゃるからこそ開設当時は夢のまた夢であった100万アクセスを達成できたということです。みなさまのご愛顧(?)に感謝しております。ホームページ(=ウェブサイト)を運営していく動力源は、アクセス数といっても過言ではありません。見て下さる方がいるからこそ日々の更新をさぼれないし、もっと良いものにしていこうという動機付けがなされるわけです。

昨日から今朝にかけて、100万アクセスを一区切りとして、二つのことを実施しました。ひとつは閲覧者の安全と利便性を向上させるための「セルフレイティング」および「セルフラベリング」、そしてふたつめはコンテンツやサイト設計を改善するために利用する意図での「Google Analytics」への参加です。

それぞれどのようなものでどのようなことがなされるのかということは上記の単語をクリックしていただくとリンク先に説明がありますので、ご覧いただければさいわいです。これらによってより閲覧者の立場に立ったサイトにグレードアップすることをめざします。

ペンションの集客サイトとして考えた場合、このサイトはアクセス数のわりに集客数が少ないという「落第サイト」といえるかも知れません。集客に特化すればもっと集客効率を上げることができるのかも知れません。正直なところ、この10年余そのことをずうっと考え悩み続けてきたことを告白せざるを得ません。

しかし、これが僕のスタイルなのです。ペンション・サンセットのスタイルなのです。これは変えられません。本当のところは、変えようとしたこともあるけれどその試みは水泡に帰したということです。やはり「自分の土俵で自分の相撲を取る」ほか無いしそれがベストウェイなのだと思います。やれやれ・・・。

このサイトへのアクセスは、おかげさまで、開設以来漸増的に増加しています。その結果累積アクセス数のグラフの傾きは増加し続けています。アクセス数はコンスタントに増加傾向にあり、たとえばトランプの赤あるいは黒がでる確率、つまりまったくの偶然性に依存した確率分布(=二項分布)の確率密度にはあてはまらず、アクセス数の累積カウント数は緩やかな立ち上がりの指数関数のグラフを描いています。ということはご覧下さる方が「偶然このサイトに行き当たったということではない」ということを指し示しています。

このことは、数学的には決して偶然では無く、ある目的を持ってこのサイトにアクセスし閲覧して下さっているということを示しています。その「ある目的」を漠然とでは無く明確に僕が知りそのニーズに応えていくのが今後のこのサイトの使命(ちょっと大げさだけど)では無いかと考えているしだいです。

まあ、ペンションのホームページですから、ある目的を持ってアクセスするというのは蓋然的であるわけですけれど。それにしても、アクセスに至るまでのプロセスは完全な偶然性に支配されているわけでは無いということでもあります。この事実から推測されることはアクセスする方の多くが Google や Yahoo! などの検索サイトを利用しているであろうということです。

僕はそのことを認識し、この状況に日々対応しています。数学的なことやマーケティング的なことはさておき、このサイトとお客様との出会いを僕は「一期一会のかけがいの無い出会い」だと考えています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2006年10月11日

3525 その思いを手放すのだ

雨 気温:最低 5℃/最高 10℃

Everything's gonna right! そう思いたいけれど、性分なのかついついいろんな心配事を抱え込んでしまう。そんなだからサラリーマンというかビジネスマン落第だったわけさ。もっとひらりひらりと世渡りできなくっちゃね。でもそれができないのが僕という人間なのだ。このことからは逃げられない。

だから逃げることをやめたわけだ。逃げることを止め、自分でない自分を演じることを止め、自分でない《本当の自分》とやらを探すことを止め、ありのままの自分で生きていこうと決めた。どうあがいたところでひとは自分という事実からは逃げられないのだ。

そう決意したのは、それができたのは15年ほど前のことだろうか。結論から言ってしまえば、それは簡単なことだった。それまで守るべきものだと信じてきた、それまで築き上げてきたと思い込んでいたものをすべて手放せば良いのだ。インドの聖者が言った「その思いを手放すのだ!」と。そのとおりだった。

手放せばすっと身も心も軽くなる。それが探し求めて止まなかった「本当の自分」だった。あっけないほどあたりまえにそれはそこにあった。僕はシンプルに「僕」だった。なんの肩書きもなく、しがらみもなく、守るべきものも無く、迷いも無く同時に迷わないということも無く、ここにいたのだ。

なんだか100万アクセス達成を機に、きゅうにしゃんとした印象なのだけれど、これは「たまたま」なのだ。これは僕の「振れ」の範囲内のことなのだ。想定内のゆらぎなのだ。なにしろいま語っている僕は「パブリックな僕」だからね。個人的な生身の人間としての僕では無いのだから。

さて、今日は朝からいかにも高原らしい雨降りとなりました。空は明るいのだけれど、そして降りはたいしたことがないのだけれど、とうとう宵まで雨が止むことは無かった。夜半には完全に止んで空は晴れてきたけれど。天気予報では明日以降当分は晴れマークがついているから、今週末は絶好の紅葉狩りのタイミングになると思います。

蓼科の紅葉は、現在標高2000m〜1900mあたりまで降りてきているので、週末にはちょうどピラタスの丘ペンション村(標高1750m)まで降りてきて鮮やかな紅葉世界になると思われます。蓼科湖や白樺湖は標高1300m〜1200mだから紅葉が最盛期を迎えるのは10月末から11月上旬になります。これがまたなんともきれいなのだ。ちなみに渓谷美が売りの横谷峡の紅葉は今週末から来週末あたりになりそうです。

今夜もピラタスの森はしんと静まり返って、野生動物の気配の他はときおり吹き抜ける風の音が支配しています。あ、でも、ときおり鳴くフクロウの声と野生の鹿の鳴き声が、夜のしじまを破って遠くから聞こえてきます。僕のペンションでも鹿除けに建物回りに夜間照明を施しましたが、いまのところ効果が出ているようで、朝起きて庭に鹿の糞が転がっているようなことが無くなりました。

ピラタスの丘も開発から30年余を経て、ふたたび野生に支配され出してきているのを感じます。

2006年10月12日

3526 と、ぼくは想っている

晴れ 気温:最低 6℃/最高 12℃

今日は比較的暖かでした。というか、館内にいるより外に出た方が陽射しを浴びる分だけずうっと温かく感じるし、実際に活動してみると少し汗ばむほどだった。しかしさすがに半袖では身体が冷え切って鼻水が出てきてやがてくしゃみをすることになる。厚手のトレーナーを着てちょうど良い。

昨日までに館内の照明の電球交換を終えたので、今日は屋外の灯火の電球交換を行った。そんなに長いはしごを使わなくても良いので、樹木の枝打ちよりははるかに安全だし気分も軽い。日が暮れたあとに点灯試験をしてみたけれど、電球型蛍光灯の進歩は著しく、明るさや光の色味についても白熱球と遜色なかった。

省エネルギーは時代の要請でもあるから積極的に改善を図っています。特に最近は野生の鹿が敷地内に入り込んだりするので、夜通し建物周りを照明する必要があるので、省エネは必須なのです。出入り口周りは低誘虫の波長の黄色い電球を使い、それ以外は「光害」とならないように照射範囲の狭いスポットライトタイプのレフ球を使っています。そのどれもがいまや電球型蛍光灯で提供されているのだから、これを使わないては無い。

経費節減という観点からはどうでしょうね、電球型蛍光灯は白熱球の10倍近い値段で寿命が4〜5倍ほどですから、節電できた分を加味してもさほど大きなコスト減にはならないかも知れません。しかし、使用後の電球の処分や消費電力の削減という側面を見ればとても環境に優しいのでは無いかと考えています。

ということで、光の波長の微妙なニュアンスが大切な芸術作品やライトアップは別として、実用に供する明かりに関しては僕は積極的に蛍光灯化をすすめています。実際よく見てみれば高級なホテルでもレストランでも意外な場所にこの電球型あるいは電球色(白熱灯の色味の)蛍光管が代替電飾として利用されていることに気づくことでしょう。

この蛍光灯もやがてすべて高光度・高輝度LEDに取って代わられるのも時間の問題でしょう。そうなると白熱灯はもはや芸術や趣味の明かりとして認識されるようになるのでは無いかと思っています。個人的には白熱灯の光がとても好きなのですが、用途と光のニュアンスを勘案して使い分けているしだいです。

お客様はペンション・サンセットではご家庭でよく行っておられるようにまめに電灯を消す必要はありません、いやむしろ消さないでいただきたい。蛍光灯はその特性上、点滅が寿命を縮める最大の要因なのです。消費電力は常時点灯でも白熱球の1/4〜1/5程度ですからその方がトータルに考えて省エネになるのです。

あ、浴室と洗面所とお部屋の電気スタンドは白熱灯ですから、こちらはこまめに消していただけるとさいわいです。あとはおおむね蛍光灯あるいは蛍光管を使用していますから点けっ放しの方が省エネになります。(^^)

むしろお願いしたいのはこれからの季節は全館暖房を入れるのですが、灯油価格は昨年の2倍強になっていますから、真冬なのに部屋の中で半袖になってがんがん暖房したり、あげくのはてにタバコの煙を出すために外気温氷点下20℃の夜に窓を開けて換気するなんて「あんまりな」ことだけはしないでいただきたのです。特にお若い世代の方には人類の古来よりの叡知である衣服による温度調節を改めて学んでいただきたいと愚考するしだいです。m(_ _)m

誤解の無いように記すならば、じっさいにはそのようなお客様はペンション・サンセットではほとんどゼロに近いので余計なことを書いたなあという気もしないでは無いです。しかし、たまに絵に描いたようにそれをなさるお客様がいらして、そういう時には窓を閉めていただくようお願い申し上げるのですが・・・。うるさいオヤヂだと想われるのもいやだしなあ。(^^ ;

2006年10月13日

3527 Oh My Love

晴れ 気温:最低 3℃/最高 12℃

久しぶりに聴く John Lennon の歌声。しんと静まり返った秋の夜に波紋のようにひろがってゆく。

Oh My Love

Oh my love for the first time in my life,
My eyes are wide open,
Oh my lover for the first time in my life,
My eyes can see,

I see the wind,
Oh I see the trees,
Everything is clear in my heart,
I see the clouds,
Oh I see the sky,
Everything is clear in our world,

Oh my love for the first time in my life,
My mind is wide open,
Oh my lover for the first time in my life,
My mind can feel,

I feel the sorrow,
Oh I feel dreams,
Everything is clear in my heart,
Everything is clear in our world,
I feel the life,
Oh I feel love.

(C) Written by: John Lennon & Yoko Ono


バッハのどのアリアよりも素晴らしい。僕が言うべきことは何も無い。ジョンのアルバム「イマジン」に収録されているので、機会があったらぜひ耳を傾けて欲しい。

2006年10月14日

3528 迷い

晴れ 気温:最低 4℃/最高 11℃

ピラタスの丘はしんと静まり返っている。人気(ひとけ)が無いということではなくて、秋はいつもこうなのだ。・・・と、このような文体で書く時は「ひとりごと」。「です・ます」スタイルの時は「ひとに語りかける」ときです。べつに使い分けているつもりはないけれど、自然にそうなってしまう。自分としてはこの文体の方が肩の力が抜けて心地よいのだけれど。

このことはちょうどが僕がどっちを利き腕として使うかという「迷い」と似ている。どうも僕は人口の5%ほどはいるといわれる「両手利き」のようなのだ。息子もそうだから間違いない。右手でも左手でも文字を書くことができるし、箸を持つことができる。野球では右投げ左打ちだし、ゴルフも左打ちの方がスコアがいい。お食事のサーブは左手でないとできないし、缶飲料のプルトップリングやボトルのキャップも左手でないと開封できない。要するに力仕事は右、細かい仕事は左でないとまったくうまくいかない。このことは日常的に頭の中に混乱の波紋を立てていて、それがけっこう疲れる。

文章を書く時にもまったく同様なことが頭の中で起きている。

さて、今日も一日とても気持ちよい秋晴れになった。「海辺のカフカ」に出てくる「百万ドルトリオ」による「大公トリオ」のCDをようやく手に入れた。Amazon.co.jp のカスタマーレビューを見るとどうもこのパターンでこのアルバムを聞くこととなったひとは多いようだ。村上春樹の小説を読み解くには登場する音楽もチェックした方がいいことは体験的事実だから。べつに読み解かなくたって良いのだけれど。

そういえばノーベル文学賞は今年は別のひとになったようで、とても残念だった。間違いなく日本は正しくアジアの国なのだということを再認識した。村上春樹といえども極東の国の作家なのだ。まあ、賞をとろうが取るまいが村上春樹が僕の中に占める大きさになんの変わりもない。

で、「大公トリオ」だけれどいまそのアルバムを聴きながらこの文章を書いている。何だか聴いたことがあるなあ、もしかしたら蓼科の「銀巴里」というしゃれた名前の理髪店でかかっていたのかもしれない。いつも「頭を刈って」いただいているのだけれど、蓼科の別荘を訪れる政財界人御用達の知るひとぞ知る名店だ。

いずれにしても、定評通りの名演には違いない。初めて聴いた時にはその録音時代なりの「音質の悪さ」がとても気になるが、聴き返すうちにそんなことはどうでも良くなって、演奏の本質、音楽の本質へと精神が自然に引き寄せられどっぷりと浸ってしまう。どちらかといえばベートーベンは嫌いな僕だけれど、名演奏というものはそんなことは超越してしまうようだ。(でも同じアルバム収録のシューベルトの作品の方が好きだけどね)

いずれパブロ・カザルスの演奏でも聴きたいと思っている。

このサイトのリピーターの方は驚くかも知れない。今夕、トップページを入れ替えたのだ。ペンション・サンセットのページをトップページにして、これまでのトップページをサブにまわした。これはマーケティングの観点から判断した。お客様の閲覧の流れを考えるとこのほうが自然なのだ。さてどうなることやら。

今後の Google Analytics のデータ解析を待つほかない。もしかしたら不評かも知れないし、各検索エンジンでの順位を落とすかも知れない。現在「蓼科 ペンション」、「蓼科高原 ペンション」などのキーワードでは各検索エンジンでトップランカーになっているけれど、それを失う危険も極めて大きいのだ。

しかし、このサイトが僕の個人的サイトであるのと同時に、あくまでもペンション・サンセットの集客サイトであるという歴然たる事実を受け入れるならば今回の判断は「必然」だと思う。これまでの「蓼科高原日記」メインのトップページからペンション・サンセットのページに飛んでくれるお客様はなんと全体の10%にすぎないのだ。これではペンションのHPとしては「落第」だ。そしてそれに甘んじていられるほど状況は甘くない。

ある意味では誠に「不本意」ではあるけれど、お客様の平均閲覧時間とページ移動動向をみるかぎりいまのままではいけないと思った。トップページを入れ替えた以外はどこもいじっていないので、リピーターの方の利便性への影響は最小限で済むと思うので、ご容赦下さい。

閲覧者動向を見極めて改めて全体の構成を大幅に見直していこうと思います。

2006年10月15日

3529 コミュニケーションと冗長度(redundancy)

晴れ 気温:最低 3℃/最高 11℃

昨日の日記にも書いたけれど、このサイトのトップページをペンション・サンセットのページに変更した。これまではいわば「扉ページ」あるいは「表紙」にあたる蓼科高原日記をメインコンテンツとするページがトップページだった。

ぼく個人の美学としてはこれがベストだったのだけれど、閲覧者動向を追跡してみるとかならずしもベストとは言えないことがわかった。結論めいたことをいってしまえば、みなさんいそがしいのだ。昔みたいに1分いくらの高額な電話料金+インターネット回線接続料金を取られるわけでもないのに、まるで「駆け抜けてゆく」といった風情なのだ。

平均すると1ページ当たりの閲覧時間が数十秒というのではまともなコミュニケーションは成立しないと思うのだが、それが実態だ。どうりで「ホームページを見ているのですが」とおっしゃりながら電話でご予約いただいても、ホームページにはっきりと書いてあることを読んでいらっしゃらないお客様が多いのだ。

見てはいても、読んではいないし、理解もしていない。これは自己防衛的コミュニケーション拒否といえなくもない。しかし、情報過多時代にあって個人としても情報のフィルタリングが必要なのは理解できるが、必要な情報までフィルタリングして拒否してしまうというのはもう現代の「社会的病理」というほかない。

要するに「ぜんぜんひとのはなし聞いてないし〜」ということなのだ。(^^;)

このような時代に合ってはむしろ「情報過小」という逆の方法をとったほうがコミュニケーションが成立しやすいのかも知れないと考え始めている。たとえば世にはびこる「パワーポイント型プレゼンテーション」が良い例だ。メインタイトルは1ページにつきひとつ、1ページにつき3項目のサブタイトル、1ページにつき1項目3行以内の解説、文章を限りなく抑えて図表で「ビジュアルに」説明する・・・というやつだ。

そういう時代なのだ、そういう社会になったのだ、たぶん。

しかし、同じことを繰り返し伝えるという「冗長度(redundancy)」もある程度必要なのだ。1度だけ聞いてもうわかったから繰り返さなくてもいいというひとが多くなったが、実際のところ人間の能力はそこまで優れてはいない。人間の能力では「繰り返し確認」という手順が正確なコミュニケーションには不可欠なのだ。

パワーポイントスタイルのプレゼンテーションが見た直後にはすっかりわかったような気がしつつも、時間が経ってみるとよくわからないことが多々出てくるのは「冗長度」が低いからだ。よくいえば「簡潔」なのだが、繰り返しがほとんど無い分、コミュニケーションの深さは期待できない。

一般的に言語はおおむね50%の「冗長度」を持っていると言われている。言い換えるならば、たとえばこの文章の半分の文字をランダムに消去したとしてもだいたいの主旨はわかるという場合がこれにあたる。あるいは「キーワード」が文脈上に少なくとも2度出現すると考えてもいい。冗長度が50%を切って極端に低くなると、ひと言聞き逃しただけでもう話の筋がわからなくなる。人間のが正確な言語的コミュニケーションを達成するためには50%の冗長度が必須だと考えても良いのかも知れない。

ペンション・サンセットのホームページやご案内メールは「冗長度」が高い。意図的に高くしてある。それはより深いコミュニケーションをめざしているからだ。それがお客様にとって良いことだと信じているからだけれど、ほんとうのところ、ビジネスとしてペンションを考えた場合「どうなのだろう」と迷いが出てきている。この50%の冗長度に「最適化」することによって、くどくなくまた簡潔すぎないホームページになるのかも知れない。今後の作業になるけれど、こつこつやっていこうと思っています。

2006年10月16日

3530 それでは納得できない自分がいる

晴れ 気温:最低 3℃/最高 11℃
おととい、そして昨日の日記で書いた通り、このサイトのトップページをペンション・サンセットの集客ページに変更した。これまではいわば「扉ページ」あるいは「表紙」にあたる蓼科高原日記をメインコンテンツとするページがトップページだった。

しかし、アクセスいただいた閲覧者の動向をデータで見てみると必ずしも良い選択ではないということが一目瞭然だった。やはり付け焼き刃的にサイトの一部だけを大変更するとある種の混乱を招くのだと思う。Yahoo! Japan では少しだけランクが上がり、Google では少しだけランクが下がり、msn ではランクがぐっと上がった。といっても、ベスト10のなかでの動きだけれど。

結論として、即決でもとに戻した。3日前までと同じに戻した。蓼科高原日記をメインコンテンツとするページがトップページで、ペンション・サンセットの集客ページをサブページにまわした。これが長年守り続けてきたこのサイトのスタイルなのだ。やはり変えるべきではないと思った。しかし「実験」としての価値は充分以上にあった。いずれにしてもお騒がせしました。

そんなチェックをしながらじつに久しぶりに他のペンションのホームページを見て回った。じつに魅力的で技術的にも高度な楽しそうなページが目白押しだった。それはもう圧倒されてしまうくらいだ。しかし、がんばれば同じようなものを作ることは可能だけれど、でもやりたくないというのが本音だ。

プロにお願いするという手もあるし、じっさいにそうしているペンションも散見された。情報がよく整理されていて閲覧しやすそうで、これは効果的なホームページなんだろうなあと思った。やはりプロの手になるものは魅力的だった。僕もそうすべきなのかも知れないと思った、そのときは。

でも、そうしたくないというかたくなな自分がここにいる。お料理もパンもすべて手作りといっている一方で、お客様との最初のコミュニケーションの場であるホームページが「手作り」でないのは矛盾するように思われてしまって・・・僕はトレンディーじゃなくって頭が固いんだ、きっと。

経営者としては、これまで築き上げてきたこのサイトのすべてをうち捨てて、プロの手になるサイトに切り替え、集客に全力を尽くすべきなのかも知れない。蓼科高原日記なんて書いている暇があったら、団体旅行の営業に奔走すべきなのかも知れない。しかしそれでは納得できない自分がいる。

とうわけで、まずは情報を整理し直して、いささかとっちらかってしまっているこのサイトの再構成とナビゲーションの充実を行おうと思っています。表現の簡素化や視覚化も必要かも知れない。とかく現代は文字を読むのが嫌いなひとが増えたようなので。

でも、本音としてはこのサイトを「見る」のではなく「読んで」ほしいのです。このサイトは本来テキストだけで構成されるべきものとして誕生したのだから。いまとなってはトレンディーじゃないのは確かだけど。なぜそうなったかということは過去に何度も書いたからここでは繰り返さない。

★★★

さて、昨日から吹き続けていた風は未明にピークを迎えてびゅーびゅーと木々の梢を鳴らす音で目が覚めた。中庭にいるパルのことが気になって、もぞもぞと起き出した。中庭にでて犬舎の雨戸を閉めてやると中からパルが飛び出してきてやたらとなついてくる。きっとこのただならぬ雰囲気と大きな風の音が不安だったのだろう。

未明の空に真っ白な月が怜悧(れいり)な光を放っていた。明かりなしでもあらゆるものがくっきりと見えるほど明るく鋭い光だ。冷たい風に身体は凍えるが、心はなぜかとても温かだった。この優しい生き物が僕らのもとにやってきたのは12年前の冬だった。以来僕らとともにこの森で生きてきた。彼は飼い犬などではなくペットでもなく文字通り対等な関係としての家族なのだ。あるいはシベリアンハスキー流の解釈でいうならば、同じ「群れ」の仲間なのだ。

僕は多くのことをパルから学んだ。その反対に彼が僕から学ぶべきことはおそらく何もなかっただろう。自然の中で生きる、ただ単純に「生きる」ということを僕は彼から学んだのだ。ただ生きて、当たり前のこととして死んでいく。そのどこに疑問や不安があるのだ、といつも問われているような気がした。

強風でロープウエイは運休となったが、その風も午後はやくには止んで穏やかな天気に変わった。何もかも吹き飛ばしてくれたおかげで、今日の夕焼けはじつに感動的に美しかった。ピラタスの丘の紅葉もいよいよ最盛期を迎えている。山岳部の紅葉はピークを越えて、もっと標高の低い湖沼部や蓼科高原の観光スポットでの紅葉の見ごろは今週末からになる。

2006年10月17日

3531 サンセットのポジション

晴れ 気温:最低 3℃/最高 12℃

ここ数日このサイトはどたばた劇を演じてしまったけれど、ようやくネット上でのポジション(ランキングなど)とステータス(状況)は元に戻ったようで落ち着きを見せている。初めてアクセスしていただいた方にはなんのことだかわからないと思うけれど、それはそれでいいので気にしないで下さい。

ウエブマスターというのは何年やっていても(僕は11年)いつも迷いに迷っているものなのだ。そしてときおりその迷いが明確な形をもった行動として、またサイトの構成や位置づけの変化として姿を現す。リピーターのお客様によればペンション・サンセットほどポジションをはっきりと見せているペンションは少ないそうだ。

要するに、どのようなお客様に適した宿で、どのようなお客様には適していない宿であるか、ということをはっきりと表現しているホームページになっている、ということのようだ。僕自身はあまり意識していなくても、たとえばこの日記を通読してみればおのずとあるペンション像がくっきりと浮かんでくるのだ、と。

それはそれで、何が得意で何が得意でないかというのと同じで、お客様にとっても選択が容易になるというものだ。現代社会にあってはこのターゲット・ゾーンを明確にした宿の運営というものがウチみたいな弱小ペンションといえども、必須なようだ。たかがペンションでも、そうなのだ・・・いやはや大変な時代になったものだ。

ペンション・サンセットは;

(1)個人のお客様が全体の80%を占めている。
(2)ご夫婦、カップルのお客様が全体の60%。
(3)ご家族連れのお客様が全体の20%。
(4)グループのお客様が全体の15%。
(5)団体のお客様が全体の5%。
(6)リピート率25%。(4人に1人のお客様が再度ご利用になります)

というようなことで、このデータを見るだけでもイメージが見えてくることだろう。

これは結果であって、僕らがお客様を選んでいるわけではありません。あくまでもお客様の選択結果がこのような数字となって現れているわけです。団体のお客様が少ないのは僕が宴会(どんちゃん騒ぎ)をお断りしているからだと考えています。泥酔したい方や、酩酊して騒ぎたい方にはいささか居心地の悪い宿なのでしょう。

ペンションのご案内ページの「お客様の感想」をご覧いただくとわかると思うのだけれど、僕は決して口うるさいペンション・オーナーではないです。お客様とため口をきくような礼儀知らずでもありません。一時流行った「知的普通人」というタイプです。あくまでも大切なゲストを迎える(きさくな?)ホストとして振る舞っていますからご安心の上お越しいただければさいわいです。(ほんとだってば)

2006年10月18日

3532 紅葉見頃は標高1800m付近

晴れ 気温:最低 5℃/最高 12℃

ビーナスラインは紅葉に彩られています。いま最盛期は標高1800mあたりですが、1200mから上はすでに沿道の森のそこここにじつに見事な紅葉がまるでレイアウトしたかのように、スポット的にみられてそれが緑との対象でより強烈な印象を与えています。じつに美しい。

渓谷美で定評のある撮影スポット「横谷峡」もそろそろ見頃かと思われます。国道299号線を上っていくとやがて「横谷温泉」の看板がありますが、そこから遊歩道が始まっています。

ピラタスロープウエイの山麓駅付近もちょうど見頃です。今週末から来週末が山岳部では紅葉の見納めになりそうですから、おっとり構えていてはいけません。それが終わると今度は蓼科高原の湖沼部が紅葉の盛りになります。水面に映り込む紅葉と八ヶ岳の対比は最高に美しいものです。

天気予報では明朝は霜が降りるかも知れないとのこと。毎朝3℃程度まで気温が下がって、夜もとても冷え込んでいます。お越しになる方は、暖かな日中を想定しないで、そんな朝晩の冷え込みにも対応できる服装計画を怠らないことが大切です。

いままさに蓼科山、八子ヶ峰の山腹は錦絵のように色づいて、感動的な風景となっています。お天気も良さそうです。今週末、みなさまのお越しをお待ちしております。

2006年10月19日

3533 感性の共有と精神の共有

晴れ 気温:最低 3℃/最高 12℃

いまの僕のささやかな夢は、たとえば Diana Ross の Blue というアルバムを聴いていると妻がやってきて「これ誰?いい感じね。」と言ってくれることだ。僕は応える「うん、いいだろう、Diana Ross の What a Diefference a Day Makes って曲さ。」と。

感性の共有には、もちろん、いい面と悪い面とがある。そのことを知った上で、やはりそうなりたいという想いがずうっとあった。そしていまだにそれは成立していない、あるいは永遠に成立しないのかも知れないと思い始めている。

それはしかたのないことだし、良い面に目を向けるべきなのかも知れない。たとえば、モンティー・パイソンのどのギャグが好きかがなにからなにまでまったく同じだというカップルがいたとすれば、どうも長続きしないような気がしたものだ。もしそういう人がいたらごめんなさい、あくまでもこれは僕の個人的体験談だ。

好みというか、もっと深い部分で精神を共有してしまうとむしろお互いに重くつらい思いをするのではないか、とも思った。若い頃、まだ結婚する以前にそのような女性がいた。いまでいう「友達以上恋人未満」という微妙な関係でおわったのは、愛情が深まるにつれてお互いにそのことに気づき始めたからではないかといまでも思っている。

根っこの部分では共通した流れを持ちつつ、異なった感性、異なった価値観を持っている方がお互いに刺激しあって成長できるのではないか。

さて、今日も蓼科はよいお天気でした。ピラタスの丘からロープウエイ付近は今週末が紅葉の見頃になります。写真撮影に最適な渓谷美の横谷峡(よこやきょう)も今週末が見頃になると思います。来週末はもう少し標高の低い湖沼部が見頃になってくるでしょう。

毎日夕暮れ時がとてもきれいです。夕陽も、夕焼けも。夜はよく晴れて星空もくっきりと見える日が増えています。夕陽を眺めるにしても、星を見るにしても真冬なみの(大げさなくらいの)防寒装備をお忘れ無く。そのときの気温は5℃〜3℃です。

2006年10月20日

3534 iTunes Music Store 初体験

曇りのち晴れ 気温:最低 6℃/最高 9℃

(1)↓↓冗長度を下げようと思ったり。↓↓

やはりみなさん忙しいのだ、朝から晩までケータイやってるし、ゲームやんなきゃいけないし、もちろん仕事は超忙しいし。要するに世の中全部「みんなひとの話しぜんぜん聞く気ないし〜」状態なのだ。

数日前にこのホームページは「冗長度(redundancy)」が高いのだ、と書いた。わかりやすく言っちゃえば、意図的に「くどく」書いてあるのだ。それは「念押し」というニュアンスなのだけれど、はっきり言ってあまり効果はないようだ。「みんなぜんぜん読んでないし〜」ってことで。

これはミスマッチというほかない。ということで、今後はこのホームページも「冗長度」を下げていく方向に持って行こうと考えている。

ちなみに(科学的に測定したわけではないけど)現在の冗長度は70〜80%以上だと思われる。どうせやるなら冗長度25%ぐらいで、「ほんと、真剣に見ないとダメなのね」的なものにしたいという欲求が高まってくる・・・これはやばいかも。

このわくわくした心境、これはかなりあぶない。(^_^;)


(2)iTunes Music Store 初体験。

iPod の爆発的普及と同時に大ヒット中の iTunes Music Store (ITMS) を初めて利用した。MP3 フォーマットでこの価格はどうかな、とずうっと思っていたのでなかなか利用する機会がなかったのだけれど、やってしまった。なんだかふらふらっと「購入する」ボタンをクリックしてしまったのだ。

Amazon.co.jp スタイルのこのインターフェイスは限りなく僕の購入欲を刺激し、感性をインスパイアするのだ。もともとが音楽フリークだから、ツボにはまるとさあ大変なのだ。しかもこんなに簡単にリアルタイムで音楽が購入できてしまうというのは、まったく新次元の音楽体験というほかない。

1950年代初頭生まれの僕としては iTunes Music Store (iTMS) はお宝の山といっても過言ではないのだ。熊を蜂蜜蔵に投げ込んだようなというか、アイスクリームの家に入った子供というか、どうにもたとえようがない。クレジットカードに利用制限でもかけておかないと「危険なにおい」がする。

これはかなりあぶない。(^_^;)


(3)蓼科で熊が目撃?(それってWさんが歩いてたんじゃないのってか)

これも危ない話しだけど、昨日ペンション村の合同草刈り作業があったんだけれど、そこで出た話。

「○○さんが昨日○○あたりで「熊」を見たんだってさ」

「えええ!《熊》がでたぁ〜?!まさか、それってMさんが歩いてたんじゃないの?」

「いやいや、Wさんだろうそれは、大きい体していつも黒い服来てもっそり歩いてんから。」

「ははは・・・でもほんとだってば。」

なんていうやりとりがありまして・・・。

これもかなりあぶない。(^_^;)

(注)実際のところその後も公式の目撃情報はありませんから、心配はないと思われます。きっと(僕の考えでは)宵闇迫る時刻に体格のいいYさんが道ばたで躓いているところを目撃したのではないかと・・・。

2006年10月21日

3535 ひとの話しぜんぜん聞いてないし〜

晴れ 気温:最低 3℃/最高 11℃

「ひとの話しぜんぜん聞いてないし〜」というのはやはり現代の潮流のようだ。昔と違うのは決して悪意はないということか。それは情報過多時代にあって情報処理能力に限界のある人間の頭脳を守るためのブレーカーあるいはフィルターみたいなものなのだと思う。

ほとんどの情報をいわば「ノイズ」として「流し」ていながら、ふと必要な情報に気づけばそれを吟味して摂取するという様子なのだ。現代の高度情報化社会にあって頭脳を健全に守るためにはそのような機制もまた必要なのかと思う。TV、インターネット、ゲーム、CMを始めとしてこれでもかこれでもかと情報が流し込まれるのだからそれをすべて真に受けていたらたまらないだろう。

だからといって、本来精神の滋養となる読書や音楽鑑賞、映画鑑賞などの学芸の分野まで無差別にフィルタリングされてしまっているのはいかがなものかと危機感をつのらせている。そんな感性の殺戮とも言える状況があり、その一方でそれらに(時間的に)とってかわっているのはまぎれもなく「ケータイ」だ。

不思議なのはケータイ以前と以後の時代を比較してひととひととのコミュニケーションがより深まっているかというと、決してそんなことはないという事実だ。伝えたいこと、伝えたい想いを伝える困難は同様に存在するのだ。ケータイによってかえって手続きが面倒に遠回りしている感すらある。

人々はお互いが「繋がっている」ことの確認のために、ケータイメールを打ち合っているようにさえ見える。それは「群をはぐれたくないという不安」によって動機付けられているにちがいない。個人的にはあまり健全だとは思えないのだけれど、まあそれ自体が「娯楽」といえなくもないし、どうこう言う立場にもないから「良いんじゃないっすか」なんて言ってしまうのだけれど。

僕のようなケータイ以前に生きる「古代人」からみると、それにしても膨大な時間の浪費のようにも思われるのだけど。シンプルにストレートに生きることのできない時代になったのかも知れない。山間部ではライフラインとしての意味もあってケータイは都市部以上に普及しているのだけれど、基本的には同様の使い方がされている。

ケータイ以降飛躍的にコミュニケーションが容易になったことは実際問題として革命的だった。しかし、それが定着して以降、都市部と同じ使い方がそれに加わった。結果として、のどかな山暮らしにしてはなにやらとても忙しくなった。昔のように用件のみのメールではない「メル友」メールのトラフィックが増大したのだ。

場所を選ばず、ケータイ以降(これは象徴的な意味でということだけど)みんなとてもとても多忙になった。本を読んでじっくり想いを巡らせたり考えたりすることも少なくなり、フェース・トゥ・フェースでの会話もストレートではなくなった。ケータイやメールの方が話しやすくなっていたりしてね。

これは喜ぶべきことなのだろうか、悲しむべきこと、憂慮すべきことなのだろうか。

時代の流れといってしまえば受け入れるほか無いのだけれど、ケータイが小・中・高生の世代に大人の目の届かない絶対的無法地帯を提供してしまったことは(たとえば映画《リリーシュシュのすべて》を見るとそのことがリアルにうかがえるけど)紛れもない負の側面だ。

マスコミが大好きな「心の闇」とやらはそのような暗黒の無法地帯で密やかに肥大化している。そのような世界においては「人間」らしいまともな人間は生まれないし、育たない。文字通りの「人でなし」が大手を振ってまかり通る世界がある。ゲームによって培われる病んだ思考形態については別の議論に譲るが、ケータイとゲームの現状を僕は認めない。それが「人間」を壊す機構となっているからだ。

ケータイとゲームとそしてもしかしたらインターネットとによって、ひとびとは、特に子供たちと若者は「リアリティー」を喪失している。リアリティーとは「いま、ここに、ある」という絶対的な認識のことだ。自分が自分であるという確信のことだ。本当の自分を生きる唯一の手がかりのことだ。

その大切なものがいま失われ続けている。

2006年10月22日

3536 「大公トリオ」を聴きながら

晴れのち雨 気温:最低 3℃/最高 12℃

村上春樹の「海辺のカフカ」に主要なモチーフとして登場するベートーベンの「ピアノ三重奏曲第7番」、通称「大公トリオ」のCDを購入して毎日聴いています。作中に登場するいわゆる「百万ドルトリオ」といわれたルービンシュタイン(ピアノ)、ハイフェッツ(ヴァイオリン)、フォイアマン(チェロ)による白熱した演奏です。

1941年のレコーディングだから当然SPレコードでリリースされたものです。その後LP版となり現在ではデジタル・リマスタリングされたこのCD版で入手することができるのですが、音質に関してはその時代なりのものなのは致し方ないでしょう。だから「音」ではなく「音楽」を聴くことができるかどうかがこの希有な名演奏との運命的な出会いを果たす条件となるかもしれないですね。

僕の場合はどうだったかというと、25年前のアンティークなハイエンド・オーディオセット(マッキントッシュのソリッドステート・アンプ+JBLランサー101)で聴くと、その迫力に思わず手に汗握ってしまいました。正直肩が凝ってしまうほどの息詰まるやりとりがそこにあったからです。しかし静まり返った深夜にヘッドフォーンでこのアルバムを改めて聴いてみると、じつに不思議な体験をすることになったわけです。

感動したというのともちょっと違う、いったいなんだろう、とにかく胸がジーンと熱くなってきたのです。40年来のモダン・ジャズ愛好家なのだけれど、巨匠3人の熱い鉄を打ち合うようなインタープレイに背筋がぞくぞくしてきました。それはまるで60年代のマイルス・デイヴィス・クインテットのライヴ・アルバムを聴くときのような静かで熱い興奮です。音楽にジャンルは関係ないとあらためて確信した出来事でした。

「海辺のカフカ」で喫茶店のマスターが語ったのはこちらの演奏、そして作中のホシノ君が購入して聴いた「心温まる」ほう の「大公トリオ」はおそらくカザルスの演奏なのだと思います。そちらも是非聴いてみたいと思っています。

改めて思ったのですが、やっぱりクラシックは管球式のアンプでタンノイのスピーカーを鳴らして聴くのが個人的には理想ですね。暖かで柔らかなその音色はきっとこの演奏をもっとふくよかに響かせさらなる感銘を与えてくれるに違いない。

なんてことを書きながら、なんとなく最近スノッブな語りになっているなあと感じるのです。それは自覚しているのです。ただ、どうしてそうなるのかがわからない。もしかしたら、自発的にある種のフィルターをかけて書いているせいかもしれません。

自主規制しすぎると「心ここにあらず」という状態になってきてしまうみたいで、これはいけない。かといって傲慢無礼にとられるような文体や調子になってしまってもいけないし。技術的な問題を別としてもまずは人間を磨かないといけないのでしょう。僕のような未熟者はひとの何倍もその点では努力しないといけないのだといまさらながら反省しています。

ここまで書いたところで雨音に気づきました。天気予報では午前0時過ぎから雨のマークになっていたので油断していました。明日すぐにクルマを使えるように車体カバーを外しておかなければならないのでした。ようやくカバーを収納した頃から急激に本降りになりました。しばらく雨が降っていなかったので、サイクルから考えると予報どおり明日、明後日は雨がちになるのでしょう。

昨日から落葉が本格的に始まって、処理しても処理してもあっという間にもと通りの「落ち葉の絨緞」に戻ってしまいます。雪かきと同じです。これも「行(ぎょう)」だと考えて淡々と行うほか無いです。当地では落ち葉の量が半端ではないので、竹箒なんかではらちがあきません。牧場で干し草を移動する時みたいに大きな熊手でかき集めては大きな段ボール箱に詰め込んで腐葉土が必要な場所に移動します。

この時期は一日で軽トラック3台分ほどの落ち葉を処分しなければならないのでけっこう重労働です。雪の場合と同じでまさに「落ち葉との闘い」です。個人的には落ち葉の絨緞を踏みしめて歩くときの感触が好きなので、あんまりきれいさっぱりと処分してしまうのももったいない気もするのですが、みなさんはいかがでしょうか。

紅葉はペンション・サンセットの標高ではこれで終わりますが、ほんの50mほど標高が低いところではちょうど最盛期になっています。そんなふうに紅葉は山を下って里へと向かうのです。ですから標高1200m付近の蓼科湖では10月末頃が紅葉の最盛期になります。そんなふうに蓼科の紅葉は10月上旬の山岳部から始まり11月上旬の湖沼部へと1か月以上かけて下っていくのです。ということですから、まだまだ、高原の紅葉を楽しむことができます。

2006年10月23日

3537 どうかもうこれ以上急がないで

曇りのち雨 気温:最低 6℃/最高 14℃

朝、雨は止んでいました。予報どおり日中は曇り空になりました。午後4時過ぎにふたたび雨が降り始めあっという間に本降りになりました。これは天気予報よりちょっと早かった。今日はちょっと憂鬱です。僕のペンションのコンセプトが時代のツボを外しているような気がするからです。

ツボを外しているからと言って、これは僕の生き方の問題なのでおいそれと変更するわけにはいかないし、ペンションを純粋な商売とは考えたくないので、そういう観点からはどうしようもないのだけれど。やっぱり集客のためのホームページはプロに頼んでお客様受けの良いものに徹したほうがいいのではないかと思い始めています。

なにを書いても、なにを語ってもなにも伝わっていないような気がしてきています。パワーポイントで作ったプレゼンテーション資料みたいなホームページのペンションの方が集客実績が高いように感じるのです。そのほうが効率的に集客できているように感じるのです。

みんなものを考えなくなってしまった、少なくとも考えるひとの絶対数が減ってきているのを実感しています。ペンション選びなんてホームページを開いて上っ面をさらっと眺めて感覚的に「印象」だけで決めてしまっているように感じます。あるいは貸し切り温泉露天風呂の写真が載っていたとか、料理の写真がきれいだとか。宣伝上手だとか。

それは普通の行動ではあるけれど、それだけではただ宣伝に乗せられているだけで、ご自身で選択しているとは言えないと思うのです。まあ、ペンションごときを選ぶのにそんなに労力なんて使えるかってことなのかも知れませんけれど。

立地や設備、サービスの内容やお料理のレベルや接客の丁寧さ、親切さのどれをとっても他の同価格帯のペンションと比べて同等かそれ以上なのに、このホームページではそのことを伝えることができていないのかも知れません。そのことを検証し、反省しなければならないのかも知れません。(もっと宣伝上手にならなければいけない、もっと宣伝に徹しなければいけないのかも知れません)

そもそもこんなに手間暇かけてホームページを運営していること自体、間違っているのかも知れません。もっと他にやらなければならないことが山積しているのですから。それでもやめないのはいまの時代性に「ノー」と言い続けたいからです。

何でもかんでも「手っ取り早く」という風潮に異議を唱えたいからです。逼迫したニーズがあるときのネットショップの「手っ取り早さ」や「迅速性」はじつにありがたいもので、僕も日常的に利用しているのですが、それとは違うものもあると思うのです。ペンションは「商品(モノ)」ではありませんから、違った選択基準を持ってみてほしいなんて僭越なことを願ったりしています。

「スローライフ」なんてことが喧伝されていますけれど、実際の行動はちっとも「スロー」では無いどころか「スロー」を許容しないというのが現代社会の実相だと思います。スピードを要求されないプライベート・ライフにおいてすら仕事と同じペースで事を行おうとしているように見えるのです。

そんなに生き急いだって、人生の長さも密度も変わらないのです。じっくり味わったり、じっくり鑑賞したり、じっくり考えたりということによって、人生はじつに味わい深いものになるのだと思います。そして蓼科は、少なくともペンション・サンセットは、ラッシュライフとでも言うべき現代の生活からいっとき逃れ出て「スローダウン」する場所なのです。

僕はそのような理念を持ってペンションを始めました。自分自身が「ラッシュライフ」のまっただ中で疲労し疲弊してしまった1人ですから。秒単位の生活、一日に20時間以上働く生活、休日のない人生を20年近くも送った人間ですから、そのことが痛いほどわかるのです。

だからどうかもうこれ以上急がないでください、身近にありながら気づくことの無かった様々なものに気づき、それをじっくりと味わってほしいのです、自分の呼吸する音が聞こえるほどの森の静寂とゆったりとした時間の流れに身をゆだねて本来のご自分を取り戻していただきたいのです。

それだけが僕の後半生の願いです。

2006年10月24日

3538 「わかりやすさ」とは

雨のち曇り 気温:最低 5℃/最高 9℃

やはりそのようですね、小泉政権があんなにうけたのはその「わかりやすさ」ゆえだったのです。しかしそのわかりやすさの質はじつに危険をはらんだものでした。

「わかりやすさ」にはふたとおりあります:

(1)伝えるべきことを凝縮し吟味し尽くしたことによる「わかりやすさ」

(2)言葉に多義性を持たせ相手が勝手に納得するようにし向けた「わかりやすさ」

もちろん、本来の「わかりやすさ」とは(1)をさします。

小泉さんのは(2)の典型でしたね。

「広告は議論ではなく誘惑なのだ」というのは真理で、その観点からすればホームページの「わかりやすさ」とは(2)に当たるのではないかと思います。

試しに《別途》そういうホームページを作ってみようと思っています。

上記(2)のパターンまではいかないまでも、「簡潔」なホームページというのは文章を読むことが嫌いな人には親切ではないかとも思います。「簡潔な文章」ではなく、「写真と見出しと簡潔な説明文だけ」のホームページを構想しています。

★★★

昨夜からの雨は夜通し降り続け、未明には強風をともなった荒天となり、激しい雷雨にまでなりました。天から神が振り下ろしたような巨大な雷(いかづち)に眼が醒めました。ばあーん、がしゃーんと轟音がして、半径50m〜100m以内に落雷が連続したのでした。

おそらくロープウエイ近くの電柱に落ちたのだろうと思いました。最近は落雷対策として電柱には驚くほど太いアース線がてっぺんから地中深くまで埋め込まれているからです。落雷による障害を避けるために電柱そのものを避雷針にしてしまうという発想で、かなりうまく機能しているようです。

そのおかげか、起き出して電源をチェックしてみましたが停電の形跡はありません。また電話回線やインターネット回線も異常なく機能していました。

強風は午前中いっぱい吹き続けて、午後にはおさまりましたが、ペンション・サンセットの周囲の紅葉はあらかた吹き飛ばされて落葉しました。紅葉のじゅうたんを踏みしめる感触は最高で、地面を埋め尽くした紅葉はとても美しいものです。しかし驚くべきことに、標高が50m〜100m低いところではちょうど紅葉の盛りなのでした。

2006年10月25日

3539 ホームページはペンションの一部

晴れ 気温:最低 4℃/最高 11℃

新しいホームページの試み11年ぶりのまったく新しい「もう一つのホームページ」の制作に手をつけました。昨日も書いたとおり、「見やすくわかりやすい」ということに主眼をおいたものになります。言葉を尽くして想いを語りうんちくをならべ共感納得していただくというこれまでのホームページとは正反対でありながら相互補完的な役割を担うものになります。

現在のところ制作にどれだけかかるかちょっとわかりませんが、簡潔でビジュアルなものにしたいと願って全体の構成を考えているところです。そうしなければいまのホームページと変わらないもにになっていってしまいますから。

ペンションのホームページはペンションの一部だと考えています。ホームページをご覧いただいているときからおもてなしは始まっているのだと考えています。だからこそ現在のホームページは懇切丁寧なご案内になっているわけですが、詳しすぎる地図が時として役に立たないのと同様に、詳しすぎることによってかえって全体が見えにくくなってしまうこともあると言うことに思い当たります。

このことは個人差が大きいので、感じ方は様々だと思っています。しかし、お客様にご覧いただくものである以上、様々な感性に対応しなければならないと思います。

いいものができるかなあ、そもそも完成できるのだろうか。まあやるだけやってみます。(^_^;)

★★★

蓼科高原はすっかり秋景色です。どこを走っても、八ヶ岳の上の方をのぞいて、紅葉が眼に鮮やかです。これがじつに感動的に美しいのです。紅葉を眺めるドライブなら今週末がベストかも知れません。お天気も良いという予報が出ていますしね。

写真撮影が目的のお客様も、今週末が広葉樹の紅葉撮影にはラストチャンスになるかも知れません。山歩きにも最適の気候と景色になっていますから、気候の安定するこの時期がおすすめです。(ただし、念のため、初冬登山の装備・服装の準備をなさるようお願い申し上げます。)

これからの季節は毎日夕陽・夕焼けがものすごくきれいです。

2006年10月26日

3540 高原部の紅葉が見頃

晴れ 気温:最低 2℃/最高 11℃

奥蓼科・横谷峡の紅葉紅葉の第二段階にはいりました。これまでは山岳部の紅葉が見頃でしたが、これからは高原部の紅葉が見頃です。蓼科高原は標高2500mから標高1000mあたりまでと標高差がとても大きいので、紅葉は1ヶ月半以上にわたって楽しむことができるのです。

ペンション・サンセットでは四季折々の旬の野菜を中心にメニューを考えているので、これからの季節は(夏の葉物野菜に対して)「根菜」が中心になってきます。夏の野菜は「身体を冷やす」働きがあり、これからの季節の野菜は「身体を温める」働きがあるといわれています。自然界というのはとてもよくできていますね。

現在紅葉は標高1500mから1300mあたりがとてもきれいです。来週末には標高1200mの蓼科湖付近から1000あたりの杜鵑峡(とけんきょう)やバラクライングリッシュガーデンあたりが見頃を迎えます。さらに下って、紅葉が諏訪湖で見頃になるのは11月末になります。

これからの季節は空気が澄んだ晴天の日が多くなります。ペンション・サンセットはピラタスロープウエイ山麓駅まで徒歩8分です。山歩きすれば美しい紅葉が帯状に見下ろせ、遙か北アルプスまで見通せる展望は絶景です。どうぞ11月の蓼科にいらしてこの季節にしかできない「空中散歩」を楽しんでください。お待ちしています。

2006年10月27日

3541 この時代潮流にノーと言いたい

晴れのち曇り 気温:最低 4℃/最高 12℃

正直言うと僕はマイクロソフト社の誇るプレゼンテーションのデファクトスタンダードであるところの「Power Point」を仕事で使ったことがありません。僕がビジネスマンやってた頃にはまだ MS DOS 3.1の時代で、一太郎 と Lotus 1-2-3 がようやく標準として普及しだしたころでしたから。オフィスLANや社内LANなんて存在しなかった。

でも、考え方は同じでした。見栄えや演出ではかなうはずもないのですが、プレゼンテーションの基本的作法は「Power Point」以前もそれ以降も変わらなかった。まあ、当然といえばその通りなのですが。で、ペンションを始めて数年後、Mac版の Office がリリースされて以来お遊びでいじることはあっても仕事として使ったことはなかった。

でも今回別のコンセプトでペンション・サンセットのホームページ制作をすることになって、時代の方向としてはそっちにいくのかなと思いました。実際の制作に使っているソフトウエアは別のものなのですが、考え方には共通するものがあります。

思いのこもった写真と、インパクトある簡潔な文章、美しいレイアウトとフラッシュムービーによる演出。言葉を尽くして表現するのも大変だけれど、反対に言葉を削って簡潔に表現することもまたものすごく難しい作業です。写真選びやスライドショーの素材集めや画像加工も地味な消耗戦です。

ひと時代前、ペンション経営者が自らこのような仕事をするようになるなどと、いったい誰が想像したでしょう。ペンションを始めて、エンジン式刈り払い機やチェーンソウや大型除雪機を日常の道具として使うようになるなどと想像していなかったのと同じぐらいの驚きです。

「市場原理主義」を標榜するいまの時代の流れは個人的には「違うな」と思うのですが、この大きな潮流にあらがえるはずもなく、経営者としては適応対応していかなければならないのだと思います。ひとびとの頭脳構造が変えられてしまった、洗脳とまでは言わないけれど、「ゲーム脳」というのは実在すると思うし、思考停止が日常的に起こっているのも事実だと思います。これはきわめて危険な状況です。

思うに米国は紛れもない(本来的意味における)「帝国主義国家」であり、彼らが推し進めている「グローバルスタンダード」とやらは間違いなく世界を不幸にしていると思います。それはノーベル賞受賞経済学者スティグリッツの著書を読むまでもなく、米国は自国の「不幸な社会」と「ゆがんだ経済システム」を世界に押しつけ押し広げようとしています。

米国民がみな幸福そうならまだ納得も行くのですが、ネオコンと称されるひとにぎりの特権階級こと「勝ち組」以外の人々はどんどん不幸になっていっている。僕は自分の世代においては異例の反・学生運動的考えを持っているのだけれど、それは政治的立場とは関係なくどんなイデオロギーもインチキだという実感に基づいています。

それでもなお「グローバリゼーション」というこのインチキなお題目あるいはムーブメントに抗うことは十分以上に価値のあることだと思います。誰も「ノー」と言わないこの社会は健全なのでしょうか。偉大なるイエスマンこそ現代の寵児(ちょうじ)なのでしょうか。

2006年10月28日

3542 時代は「簡潔を善しとする」のだ

晴れ 気温:最低 0℃/最高 11℃

秋の雲今朝テラスの手すりの上に薄氷が張っていました。まさかと思ったのですが、どう見ても水ではなくて氷です。記録式寒暖計を見ると、なんと0℃でした。冷え込んだのですね。都会の12月下旬の朝みたいな感じです。そういえばいま50代の僕らが子供の頃は東京の郊外でも冬はとても寒かった。

息は真っ白だし、手袋をしていても指先がじんじん痛みました。水たまりの氷を踏んで割ったり、10センチもあろうかという霜柱を踏んだりしながら通学したものです。いまはとてもそんな気候にななりませんけれど。そんな季節途中でおじさんが落ち葉焚きなんかしていようものなら徒党を組んであたりにいったものです。

そのかぐわしい香りとなんとも言えない暖かさは「幸福」そのものでした。あの頃の子供の世界はじつにのどかだったのかも知れません。いま改めてあの時代を振り返ってみれば、大人の世界では一触即発のじつに危機的な米ソ冷戦時代だったことを知ります。

今日も一日とても良いお天気でした。空には美しい筋雲がかかり、透明な青空との対比が感動的でした。紅葉はますます盛んになり、陽射しは温かく、夕陽は鑑賞に堪える荘厳さを見せています。それもこの寒気があるからこそのもので、これで気温が生ぬるかったら季節感が狂ってしまうというものです。

紅葉の蓼科山新しいコンセプトのホームページ作りも順調に進んでいますが、さすがに根を詰めすぎたのか今日はなんだかがっくりと疲れが出てきてしまいました。ついつい詳細に書いてしまうので、はっと気づいて簡潔に書き直すというこれまでとは正反対のことを繰り返しています。

あらためて、時代は「簡潔を善しとする」のだということを実感しています。しかし「広告は誘惑なのだ」という部分についてはどうもうまくできません。まさに「紺屋の白袴(こうやのしらばかま)」なので、おもわず笑っちゃいます。前にも書きましたが僕は広告キャンペーンのプレゼンテーターだったのです。

今年の紅葉は息が長くて、11月いっぱい高原部でも楽しめそうです。みなさまのお越しをここ蓼科でお待ちしております。

2006年10月29日

3543 新しいホームページ

曇りのち晴れ 気温:最低 6℃/最高 14℃

秋ですね、って秋に違いないのですが。今年は一気に落葉しないので、もうすぐ冬がやってくるのだという雰囲気がまだ感じられないでいます。気温も全体的に高めで、いまだに氷点下になっていないし。それでも、11月に入ったらクルマのタイヤをスタッドレスに交換する習慣です。

雪が積もって滑り止めが必要になるのは12月からなのですが、あまり寒くならないうちに交換しておいた方が楽だからそうしています。寒風吹きすさぶ気候の中でランドローバーの大きくて重たいタイヤを交換するのはとても大変なのです。

今年は新しいスタッドレスタイヤに交換するタイミングなので、どのメーカーのどのタイヤにするか検討中です。やはり3年目にはいるとスタッドレスタイヤのグリップ(特に横方向)ががくっと落ちるのです。ミシュランのラティテュードX-ICEがいいかなと思うのですが、評価がまっぷたつに分かれているので迷っています。

これまではずうっとブリヂストンのブリザックDM-Z03だったのですが、どうもここ2年ほどの雪とは相性が悪く、信じられない場面で横滑りするのに面食らっています。おおむね水気が非常に多いアイスバーンなのですが、ほとんど効かないって感じになります。それ以外の路面ではとても良いのですが。

クルマのトラクションコントロールとの相性かも知れませんから、他のクルマの場合は相変わらずオールラウンドなスタッドレスタイヤなのかも知れないのですが。じっさい、統計的にはブリヂストンがトップセールスのようですし。

そろそろ決めなければならないのですが、ミシュランを試してみたいというのが本音です。でも効かないから返品交換というわけにはいかないのでちょっとね。

★★★

新しい「ペンション・サンセットのホームページ」は主要パートがほぼ完成しました。まだ関連パートがもう少しかかりそうです。しかし、ホームページは日々更新され進化していくものですから、あした公開しようと思っています。「工事中」のページもありますが、ご容赦のほど。また、感想などいただけるとありがたいです。

とにかく、素っ気ないほど簡潔に、写真とスライドショーと短文で構成してみました。とても良い勉強になりましたが、出来はまだまだです。50点も取れていないように思います。日記は一所懸命続けて生きたけれど、基本的な骨格部分の改善を怠っていたってことかも知れません。反省しています。

それにしても、写真や映像を多用するホームページ作りってものすごく疲れますね。2万枚近くある写真の中から「これだ」っていう写真を見つけ出してセレクトするだけでも多大な労力を必要としました。できあがった結果だけ見るとそんな苦労なんて感じられないのですが。

基本的に JAVA SCRIPT と FLASH MOVIE によって動かしているホームページなので、マシンスペックが非力なPCや回線速度がブロードバンドでない方にはいささか重く感じられるかも知れないのがちょっと心配ではあります。

今日も、夕陽と星空がとてもきれいでした。特に夜は空のあちこちが(雷雲も無いのに)稲光のように光っています。おそらくはなにかの流星群がやってきていて、流星が燃え尽きるときの発光がそのように見えるのだと経験的には思っています。とても不思議な情景です。

2006年10月30日

3544 新しいペンションご案内ページ完成

晴れ 気温:最低 2℃/最高 11℃

今朝再び冷え込みました。昨日が暖かだった分、とても寒く感じましたが、日中はぽかぽかと陽射しが気持ちよかったです。構想から6日目にしてようやく新しいペンション・サンセットのホームページ(ペンションのご案内のページ)がアップできました。

まだまだ30%の出来ですが、ホームページは日々進化成長していくものだという信念から公開しました。まあ、既存のサンセットのサイトはたった1ページのホームページから始まって現在のような大きなもの(120MB)に成長してきたわけですが、これからは簡潔さを常に念頭に置いた成育を目指そうと思っています。

「情報の見せ方」とでもいうべきものを学習し、洗練していきたいと考えています。開設11年目を迎え、100万アクセスを達成したいま、ステップアップのタイミングがやってきたのかも知れません。ホームページだけのことではなく、ペンションとしてのステップアップも含めて。

新しいペンションご案内ページについて(言葉の正しい意味において)ご評価いただければさいわいです。特にリピーターのみなさま、よろしくお願いいたします。「ホームページだけのリピーターの方」にもよろしくお願いいたします。

2006年10月31日

3545 ややこしいのはあかんで!

晴れ 気温:最低 0℃/最高 10℃

昨日アップロードした「簡潔な説明の新しいペンションご案内ページ」はご覧いただきましたでしょうか。良くも悪しくも古典的なHTMLとCSS(とは言っても現在最新の標準規格準拠)による従来のホームページに比べると、少なくとも見かけだけは「いまどきのきれいなホームページ」になったように思われます。

あとの課題はご予約フォームの記入項目を絞り込んでお客様の負担を軽減することです。キャンセル規定や、ご予約の流れなどは、筋としては必ずお読みいただいた上でご予約していただくべきものなのですが、それが負担になっているようですので、「よろしければお読み下さい」というかたちにせざるを得ないのかも知れません。

世の中どんどん簡略・簡素化されてなにも考えなくてもあとは全部システムが「よしな」に取りはからってくれる時代になっているようですから、ペンションのご予約もそのようになるべきではないかと考えるのが順当でしょう。その方向で今後も早急に改善を進めて参ります。

キーワードは「ややこしいのはあかんで!」です。私は横浜で生まれ育ちましたが、この関西の言葉にすべてが要約されているように思いますのでそのままキーワードとして使わせてもらいます。じっさいそのとおりなのです。わかりにくいのはダメだし、めんどうくさいのもダメなのです。

50歳を過ぎて時間がたつにつれて僕自身も「めんどうなこと」が出来なくなってきたのを感じます。特に「ややこしいのはあかんで!」という感情は時として怒りにすら変わりますから、ホームページのつくりもまず自らそのような怒りを誘発しないわかりやすく簡潔なものにしていかなければならないと実感しています。

それにしても11年間の蓄積で良くも悪しくもコンテンツが量的にふくらんでしまったので、きちんと整理して現在進行形のものとアーカイブすべきものとを分けたサイト構成にしなければなりません。単純に考えれば「日記」部分と「ペンション」部分とを二分して整理すればよいわけです。

検索エンジン(グーグルやヤフーなど)がここまで進化した現在、「観光情報」については「基本的な情報源」として価値のあるものと「穴場情報」的なものに絞り込んで良いのではないかと考えています。もはや膨大なリンク集は必要ないと思います。

さあ、ホームページのコンテンツの「間伐」「枝打ち」とでもいうべきものにとりかからなければなりません。自然の森だって、そのように人の手が入らなければ混沌(こんとん)としたジャングルと化してしまうのですから。

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