メイン | 2006年09月 »

2006年08月 アーカイブ

2006年08月15日

3468 これ以前のエントリーをご覧いただくには


このブログは1997年4月16日以前から毎日書き続けられている「蓼科高原日記」をブログ・システムに移植したものです。従ってここにあるエントリーはそのほんの一部でしかありません。

バックナンバーをすべてを移植するには日々作業しても数年を要します。

バックナンバーは「蓼科高原日記」というウェブ・ページでご覧いただけます。

また、最新のエントリーは「蓼科高原日記」でも並行してエントリーされています。

2006年08月16日

3469 私は誰?ここはどこ?

晴れのち曇り 気温:最低 14℃/最高 22℃

ほぼ徹夜の日々が続いている。ときおり頭がもうろうとして「私は誰?ここはどこ?」状態になる。前にも書いたけど、開業以来初のアルバイト無しの夫婦二人だけで乗り切る「お盆休み」なのだ。朝5時半から翌朝4時過ぎまで文字通り働きづめに働いても時間が足りない。もちろん改善の余地はあるので日々話し合って効率を上げてきてはいるが、絶対的睡眠時間不足は解消されない。

いずれにしてもそんな裏事情はお客様にはま〜ったく関係ないことだから、最高のサービスを目指して気張っている。まあそのときは覚醒状態でちゃんとできるのだけれど、終わったあとでがっくり来ちゃうのね。もうものは落とすは、自分が何をしようとしていたのか忘れちゃうはで、簡単な足し算もできなくなっちゃう。夫婦で互いに分けのわからないちぐはぐな会話をしていることに気づいてもう大笑い。

深夜に食器の洗浄消毒をしながら妄言を口走ったりなんてあたりまえ、もうほとんどうわごとだね、ここまで来ると。起きているのか眠っているのかわからなくなってくる。まあ、ビジネスマン時代も同じような状況で働いていたから懐かしい感じもあるけど。仕事中立ったまま寝ちゃうもんね。

いずれにしてもお客様に対して「粗相(そそう)」のないようにがんばり通したいと思っている。

2006年08月17日

3470 一切苦厄なのね、舎利子ちゃん

曇り 気温:最低 15℃/最高 22℃

なんかもうわけがわからなくなってくる。たまたまペンション仲間とちょっと話す機会があったけど、20人以上のお客様を夫婦ふたりだけで10日間ももてなすというのは冒険どころか無謀だといわれた。「ありえない」って。僕もそう思うけれど、まだまだペンション本来の《悠々自適》の境地にはるか遠い若いペンションだから、収容人数を減らすことができない。理想はいまの半分なのだけれど。あと5年は現状でがんばらなくっちゃつぶれちゃうから。しかもアルバイトを確保することができなかった。

これでもう貫徹が3日間続く。ちょっとやばい。へろへろなのがお客様にばれちゃいそうだ。というか、舞台と同じで、お客様の前に出る直前までは地べたを這っていても、お客様の前に出たとたんにしゃんとしちゃうのね。これって役者魂に近いものがあるかも知れない。で、裏方に回るとあちこち激突したり何でもないところで転倒したりこん倒したり・・・。

実際満身創痍ってこのことなのね。体中生傷だらけ、意識混濁、心神耗弱(なわけないか)、もうトランスしちゃっているかも。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是なのね、舎利子ちゃん。でも、僕らは観自在菩薩ではないから行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子ちゃん。てなわけにはいかないのだ。もう苦厄苦厄苦厄苦厄苦厄なのね、舎利子ちゃん。ははは。

接客時間帯はある種覚醒状態にあるからサービス内容には自信があるから大丈夫、心配ないからね。問題は終わったあとなわけだ。睡眠をとる時間がない、まったくない。それが問題。どんなに効率を上げても、寝る時間がない。土砂降りの雨に傘がない、って状況よりつらいよ、これは。

まあ泣いても笑ってもあと数日間のことだからなんとか持つでしょう。サメみたいに脳の半分だけ眠ることができるように進化するかも知れない、その可能性にかけてみたい。本当に、その可能性にかけてみたい。辛いわけじゃない、ただ眠りたいだけ。眠りが心身に必要なだけ、それも切実に。

昔とった杵柄で、24時間計画を立案したから、あしたの、つまり19日の午前3時までには眠ることができるだろう。たった2時間でも眠ることができればそれだけで相当楽になるのだ。A HARD DAY'S NIGHT。僕は丸太のように眠りたい。妻も同様に思っていることだろう、ね、舎利子ちゃん。

2006年08月18日

3471 ペンションのホスピタリティー(1)

曇り 気温:最低 15℃/最高 21℃

8月17日深夜、あるいは8月18日未明、ピラタスの森に静かに雨が降る。それは音もなくまるで夜露が降りるように空から降りてくる。雲は薄く、かすかに下弦の月の明かりが透けて見える。雪の降る夜ほど静かなものはないが、この季節の深夜の雨もまたその静けさにおいては負けていない。

新緑の季節に比べて樹木の葉の水分が減ってきているので雨の当たるときの音も変化している。あえて表現するならば「さわさわ」から「からから」に変わるのだ。森はすでに紅葉に向けて変化を始めている。それはまだ目には見えない変化だが、内面において確実に進行している。

そんな雨の未明、僕ら夫婦はまだ起きている。というかまだ寝られないでいる。多様な料理を出しているので調理器具も食器の種類と数も半端ではないので、いまだにその洗浄消毒と片づけに追われているのだ。僕はパンも作らなければならないしね。朝食のテーブルセッティングや仕込みもやっておかなければならない。起床時間が5時半なのに、もう午前4時を回ってしまった。

要領が悪いのだろうか。そうは思わない。確かにもっと効率良く進めるための改善余地はあるが、やるべきことをきちんとやるとこのように時間がかかると言うことは事実なのだ。

昨今まれにペンションのマンパワーにおける限界や資金力における限界を理解しないでご利用になるお客様が散見されるが、残念なことだ。ホテル並のサービスを求めるならばきちんと高価な料金を払ってきちんとしたホテルにご宿泊になることをおすすめする。が、そのような方は個人経営で立場の弱いペンションだからこそホテルでは言えない要求をできるだろうと考えているようだ。ペンションのホスピタリティーとはそのようなものではない。

大ホテルにできないことはペンションにはもっと困難なのだ。「客として来たりて友として去る」という有名な言葉の示す通り、ペンションのホスピタリティーとは人と人とのコミュニケーションにある。ご無理ごもっともでなんでも客の言うことをきくと言うことではない、そこのところを誤解しないでいただきたい。

もちろんそれを「売り」としているペンションもあるからそのようなところにご宿泊になるのがよろしいかと思う。要するに「俺は客だ、私はお客よ!」ということがポイントならば、ペンション・サンセットはそのような考えかたはしていない。そのような発想自体がその人の品性を傷つけるのではないかと思うところだ。

できることはなんでもして差し上げることが可能だが、できないことはきっぱりとできないのだ。ホテルで断られるようなサービスはペンションでもお断りするしかない。これはどんな業界でも同じだ。それをごり押しするかどうかはその人の人間性の問題だろう。

ごり押しに対する対応能力でその宿のレベルが問われるなんて言う議論は問題のすり替えでしかない。これはあくまでも「人間としての品性」を問う問題なのだ。「お客様は神様だ」とか「お客様の声は天の声だ」などと言うイデオロギーは一面の真理でしかなく、顧客啓蒙および市場啓蒙の機会を放棄した「愚衆マーケット論」でしかない。

ペンション・サンセットはペンションの持つ機能を十全に発揮することに全力を尽くしている。しかし、その枠組みを超えた要望や要求には残念ながら充分にはお応えできないか、まったくお応えできない。これは仕方のないことだと思う。だからこそさまざまな宿泊施設が存在するのだから。

2006年08月19日

3472 ペンションのホスピタリティー(2)

曇りのち晴れ 気温:最低 15℃/最高 21℃

「客として来たりて友として去る」という有名な言葉の示す通り、ペンションのホスピタリティーとは人と人とのコミュニケーションにある。ご無理ごもっともでなんでも客の言うことをきくと言うことではない、そこのところを誤解しないでいただきたい。

そのように昨日僕は語った。これは個人的な確信である。そして「客として来たりて友として去る」というのは私の夢であり、実際的な思いである。ここで言う友とはあらゆるレベルの「友」を包含している。お客様であると同時に友であるようなそんな関係でありたいという思いだ。

「客商売」なのだからそんなことを言っているとつぶれるぞ、という忠告ももっともだろう。しかし、この「客商売なのだから」と言うところに欺瞞を感じるのは僕だけではなく、お客様だって同じことを感じるのではないだろうか。

自分は、あるいは自分たちは「お客様」である限りにおいてこのように丁重な扱いを受けているに過ぎない、と。それが好きだと言う人はそれで良いのだと思う。しかしちょっと寂しいと僕は感じる。僕は「ひとりの人間」としてお客様をお迎えしているつもりだ。

人は自分が自分であると確信できるときにしあわせと安心と充足感を得ることができると僕は考えている。だからこそ、ペンションはホテルなどにはなかなか困難な「ひととして」お客様を迎えるということをしたいと思っているのだ。それも会社や仕事の時のある意味「演じている自分」ではなく、「素の、ありのままの自分」でいて欲しいと願っている、すくなくともペンション・サンセットにいる間は。

僕などの前で肩ひじ張ることなんて無いんだ。たかが山のペンションのオヤジなんだから。なんの肩書きも役割も看板も背負わない「ありのままの、個人的な自分」でいてほしい、そのような「ほんとうの自分」に戻って欲しい。

---

深夜にシベリアンハスキーのパルと散歩してきた。空には満天の星。何万回見たとしてもいつも同じように背中がぞくっとするような感動を覚える。新月に向かっている空は暗くて、星がとてもよく見える。ピラタスの丘は本当に静かで、お盆休みで宿泊施設が満室のお客様でにぎわっていることなどまったく感じさせない。

耳の奥から秋の虫の音が聞こえる、いやこれは本物の虫の音か。それとも静寂が支配する森で聴く「静寂の音」なのか。風はひんやりと冷たく、やや湿り気を帯びているが雨の気配はまったくない。夜露が森に降りて湿度を多少あげているのだ。朝日とともにこの水分は瞬く間に空に昇って雲となる。

徹夜もここまで継続すると、ある種ハイな気分になってきて、何とか身体も頭も機能するようだ。もちろんこんな覚醒状態が永遠に続くはずはないのだけれど、あと一日二日は持ちこたえることができるだろう。こうなるとちょっとしたアイドリング状態の時に熟睡していることに気づく。

パソコンの前でちょっと思考が中断したときとか、椅子に腰掛けてちょっと休息しているときとか、立ち仕事でちょっと動作が休止したときなど、まるでワープしたかのように時計が進んでいることにあとで気づく。あっという間に30分も経過していたりしてね。

まあ、瞑想していて超越状態(いま流に言うとトランス状態ね)にはいると、一瞬にして1時間以上経過していることだって珍しくないから、個人的には僕も妻もまったく驚いてはいないのだけれど。しかし人間の身体と言うのはじつに良くできているものだと感心することしきり。

2006年08月20日

3473 お盆ツーリズム

晴れ 気温:最低 14℃/最高 21℃

きのう深夜から楽天トラベルのサーバーに繋がらなくなってメインテナンスができなくて困っていたが、今朝調べてみたら「定期メインテナンス実施中」だってさ。ほかの業種はとにかく、「トラベル」にとっては書き入れ時の夏休みそれもお盆最終日にこういうことをやる神経がわからない。

これではじゃらんnetに水をあけられても仕方がない、じゃらんは旅というものを理解しているが楽天は残念ながらそうではないようだ。こういうところにインテリジェンスの違いが出るのだと思う。

それはさておき、昨夜もものすごい星空だった。満天の星で、天の川や銀河の中心の星の密集している様が手が届きそうにくっきりと見て取れた。そしてやはり空気がうまい。こんなに空気がうまいと感じたのはここに移住して12年で初めての経験だ。森が生い茂ってフィトンチッドが倍増したのかも知れない。マイナスイオンとフィトンチッドとオゾンの多さでは蓼科は昔からよく知られているのだ。

今朝は気持ちよく冷え込んだ。キーンとした大気が心地よい。半袖ではちょっと肌寒く感じる。お客様はフリースを羽織って散歩に出ているようだ。そうだもう少しすると朝晩には吐く息が白く見えるようになる。しかし日中は真夏の日差しが降り注ぐ。これから1ヶ月ほどはそんな夏と秋とが同居した季節が続く。それは僕にとっても最高の季節だ。年間を通じて最も「癒し」に満ちた季節だ。

お盆休みも今日で終わる。すくなくとも旅行業界的にはそうだ。我々のように夫婦二人だけで営むペンションにとっては(おかげさまで)「怒濤のようなお盆休み」となった。そんなことで、今年もまたお盆休みは「失われた夏の記憶」となった。

一日2時間の睡眠をとることもままならず、三日連続で徹夜するのも当たり前、まともな食事をしたのはお盆休み以前の思い出だ。そこら辺にあるパンとかお菓子とかバナナとかをかじってしのぐのがこの時期の僕らの食糧事情だ。

何しろ分刻みのルーティンスケジュールで忙しすぎて買い物にでられないのだから地元野菜を別としてほとんどすべてを保冷備蓄せざるを得ない。日本中が(市場も休みになっているから)同じような状況で、あらゆる生鮮食料品が保冷備蓄されている。現状としてしょうがないのかも知れないけれど、これはちょっとおかしいと思う。

旅行業とそれに関わる諸産業はお盆に休むべきではないと僕は思っている。最も需要が在るときに公共性の高い市場(いちば)が一斉に休んでしまうというのはどうにも近代的ではない、現代的ではないし論理的でも合理的でもない。だからお盆には物価が高騰するのだ。生鮮食料品も3割も(場合によっては)10割も値上がりするのだ。

この「お盆ツーリズム」は我が国の休暇事情の貧しい一面を端的に表わしているように思われる。

2006年08月21日

3474 落雷

曇り 気温:最低 14℃/最高 19℃

突然の雷鳴とともに暗闇がすべてを支配した。ブレーカーが落ちた気配もない。目の前の明るい液晶モニターも部屋の明かりもなにもかもが一瞬で死に絶えた。近接落雷だ。しかも文字通り青天の霹靂(せいてんのへきれき)的落雷。なんの前触れもなかった。こんな落雷は初めて経験する。カーテンを開けると外はまだ明るい。青空が見え、雨は降っていない。

真っ暗の状態が続いたが、停電はしていなかった。館内の主電源のブレーカーを再起動すると、電気は復旧した。電話回線もやられていない、大丈夫だ。しかしケーブルテレビとケーブルネット(インターネット回線)が死んでいる。

近くのペンションのオーナーから電話がはいって情報交換。ペンション・サンセットから50mほど奥の電柱に落雷したとのこと。そこから電源を引いている家屋はすべて停電している。またケーブルテレビの回線も死んでいるという。しかもこの電柱に落雷するのはこの数年間で2回目だという。何か地形的なあるいは電気的な(誘電しやすい)要因でもあるのだろうか。

館内の無線LANをメインとするネットワーク機器にも異常は見られない。またパソコン本体および周辺機器にも損傷はないようだ。ボイラーや風呂周りの機器にも異常は見られないから、あとはここの電気および電子機器の損傷チェックを早急に行う必要がある。総合火災保険に加入していれば落雷による損害の多くが補償の対象となるのでこのようなチェックが必須となる。

いずれにしてもこういうときのためにもう一つ電話回線で繋がるインターネットプロバイダーを契約しているのでそちらでHPのメインテナンスや、メールチェックが可能だ。これでとりあえずお客様との通信やご予約の受信に支障はない。

まあお盆休み明けのまさにこのタイミングというのは絶妙で、まさに不幸中の幸いと考えるべきなのかも知れない。落雷から約1時間半後、迅速な対応でケーブルテレビ回線もインターネット回線も復活して、お客様にはほとんどご迷惑をかけずに済んだ。このあたりは年以上に迅速かもしれない。関係各位に感謝。

それにしてもこのような落雷はこれまで経験したことのないパターンだ。これまではまず夕立がありそして落雷があった。今回は「いきなり」だものね。晴天の夕方でちょうど犬の散歩の時間帯だったから、けが人が出なくて何よりだった。実際のところここ数十年で当地で落雷による死者・けが人はゼロと聞いているから、まずはご安心を。

さて、怒濤のようなお盆休みを何とか夫婦二人で切り抜けた。何かを共同でやり遂げたというある種の達成感がある。アルバイトを雇わずにお盆休みを営業したのは開業以来初めてだったから。自分でもやればできるもんだねとちょっと感心しているが、身体の方は(脳味噌の方も)かなり痛んでいるようだ。

この9日間で睡眠時間は合計15時間もない。むしろこれからの数日間の体調に気をつけるべきなのだろう。きっと、どっと疲れが出てくるのかも知れない。いずれにしてもたくさんのお客様にいらしていただくのはペンションを営むものとして最高の勲章だ。うれしくないはずがない。僕らはお客様の期待を裏切らないサービスが提供できたのだろうか、それが心配だ。

寝ていないだの疲れているだのということはお客様には関係のない内輪の事情に過ぎないのだから、そしてベストを尽くしたかどうかもその結果がベストでなければ意味がない。このお盆休みに僕らは自分たちの仕事についてじつにさまざまなことを学び改善を行うことができた。また進むべき方向性も確認できたように思う。お客様に心より感謝。

2006年08月22日

3475 避暑地の夏の終わり

晴れのち曇り 気温:最低 14℃/最高 22℃

天気は曇りというべきなのだろうか、しかし見上げれば白い雲と青空がそこにあり、とうとうと流れてゆく。スポットライトのような陽光が森のそこここに降り注ぎ、そんな情景を見ているうちに晴れなのか曇りなのかわからなくなってくる。

風はひんやりと冷たいが、日差しのもとではじりじりと熱い。しかし大地のこの絶対温度の低下は季節が決定的に秋に向かっていることを示す証拠に違いない。ざわざわと生育し続けてきた樹木や草花もその勢いを止めて静かに結実の季節に向かい始めている。

森の所々では気の早い樹木が紅葉を始めている。ウルシは黄葉し、ナナカマドは蛍光オレンジの紅葉とともに真っ赤な実を付ける。コスモスが咲き乱れ、アキアカネ(赤とんぼ)が飛び交い、じつに秋の様相を呈してきた。

街でも同じような季節の変化を感じることができる。空の色が秋色に変わり、炎天下にクルマを止めておいてもさほど室内気温が上がらなくなった。吹き抜ける風はもはや熱風ではなく、ひんやりとしたまるで夏の終わりの海辺に夕暮れ時吹く風のようだ。ただ潮の香りがしないところだけが異なる。

心地よく気だるいこの気分は、灼熱の夏の思い出、命を燃やす季節の終焉を告げる。夏の終わりは海辺でも山でも同じ、祭りのあとのような静寂と若干の寂しさに胸がきゅんとなる季節だ。特に蓼科のような避暑地の夏の終わりの味わいは格別だ。

さまざまな色彩がより鮮明に目に映るようになり、さまざまな音がやわらかくまろやかに響くようになる。しっとりとした大気に心身がいやされる。きっと光の波長が変わり、大気の密度が変化するせいなのだろう。

この季節のビーナスラインを走るとそんな季節の微妙でいながら劇的な変化をはっきりと見て取ることができる。僕が個人的にドライブやツーリングにこの季節を推奨するのはそのような理由からだ。

今日も静かに日が暮れて、群青色の夜がやって来た。いまは曇っていても夜露が落ちきる深夜には満天の星を望むことができる。その美しさ、壮大さには言葉を失う。だからこの季節は昼間よりも夜の方が好きになる。漆黒の闇のように見えても実は充分な光があるものだ。ああこれが星明かりというものなのだと気づく。

シベリアンハスキーのパルとの深夜の散歩。僕はLEDのハンディーライトを持参するが、ほとんど使用しないで歩くことができるようになった。十分目を慣らせば暗闇に含まれるほのかな光を頼りになんら支障なく活動できることを知る。

闇はじつにさまざまな気配と存在に満ちている。それを感じながら歩くのは新鮮な体験だ。恐ろしさは感じない、濃密な自然の気配を感じることは快感ですらある。見えない分だけひとは感じることができるのだろう。

蓼科には「残暑」というものはそもそも存在しない。このまますっと秋になるのだ。今年の蓼科の夏はとても短かった。個人的にはそんな感慨にふけっている。

2006年08月23日

3476 MOON TALK(1)

曇りのち晴れ 気温:最低 14℃/最高 20℃

避暑地の夏の終わりはいつも祭りのあとのようなそこはかとなく物寂しい印象を与える。僕らのような仕事をしていると、それはある種の虚脱感に近いものになる。同時に「癒しの季節」の訪れを感じる時節でもある。

夏の日差しは凶暴な力を失い、むしろ優しく柔らかなものに変わる。風はひんやりとして、しっとりと心をうるおしてくれる。空も森も風もすべてが優しくなる季節。今朝はとても冷え込んでダイニングラウンジの温度は21℃になった。9月にはいったら朝晩は暖房が必要になるかも知れない。

ひさしぶりにウォンウィンツァンの MOON TALK を聴く。今や知るひとぞ知る彼だから、それにあやかるみたいで嫌だから、最近はあまり友人であることを言わないことにしている。僕より3歳年上の彼とは18年来の友人なのだけれど、その間じつは13年間ほど音信不通だった。

あることで喧嘩(?)というか激しい意見の相違というか、要するにかなり決定的な行き違いがあって気まずいまま別れてそれっきり交友が途絶えていた。それがあるお客様が彼のHPの掲示板にペンション・サンセットに行ったこととそこのオーナーがウォンさんの友人だと言っていたということを書き込んで下さった。まあ、それがきっかけであらためて交友が始まったというわけだ。

もちろん僕など大勢の友人・知人のうちのひとりにすぎないと思う。しかし、個人的に音楽の話をしたり、個人的に精神世界について語ったりできるという意味では、スピリチュアルでソウルフルな関係だと思う。

話がそれた。秋に聴く音楽としてこのライヴアルバム MOON TALK はベストかも知れない。知っているひとはみんな知っているけど、ペンション・サンセットでは BGM としてはウォンウィンツァンのアルバムしかかけない。これ以上に僕が望みうる限り「この場所」に適切な音楽はないからだ。

まあ、JBL+McIntoshで聴く音楽は Blue Note 全盛期のモダンジャズが多いのだけれどね。それはそれ、じつはウォンウィンツァンのルーツはジャズピアニストなのだった。若い頃は新宿の PIT INN の昼の部で演奏していて、18歳の僕はよく彼の演奏を聴いていた、ということを彼と友人になってしばらくしてから思い出した。

当時の彼はいまの演奏からは想像もつかないけんか腰のアグレッシヴなピアニストだった。ユニット名は「江夏健二トリオ」だったかな?間違っていたらごめん、なにしろ36年も前のことだからね。年をとってくるといろんなことを忘れていることに気づき、いろんなことを覚えていることに気づく。

昨今、自分の若さに奢って年配者を馬鹿にしたような言動をする輩が増えてきたけれど、若さがなんぼのもんじゃいと言うのが実感だ。そんなものはあっというまになくなってしまうのだ。若さになんてなんの価値もない、志を持って何かに打ち込む圧倒的パワーがあるということだけが若さの特権だ。

だから自分が若いからという根拠の無い全能感や優越感だけで生きていると、あなた、大変なことになりますよ。ほんとなんだから。

この青二才がなにをわかった風なことを言ってやがる、社会人にもなってメンチ切ってるんじゃねえよ、って思うこともしばしばだし〜。ははは。まあ、世間や社会をなめてかかるってのも若さゆえのかわいい過ちといえなくもないか。ほんと、かわいいんだから・・・。(笑)

いまできることをしっかりやっておくことだ、それは僕自身への言葉であると同時に、僕よりもずうっと若い人たちへの体験的忠告でもある。若さなんて泡沫(うたかた)のようなものなのだから。

2006年08月24日

3477 MOON TALK(2)

晴れ 気温:最低 14℃/最高 20℃

昨日ひさしぶりにウォンウィンツァンの MOON TALK を iPod でじっくり聴いた。その流れで、より新しいライヴアルバム「たましいのトポス」を聴いた。やはりすごいと思った。最も初期のと言うか最初のアルバム MOON TALK を聴いたあとにこのアルバムを聴くと、そのすごさがあらためて実感される。

MOON TALK の頃、彼は自身の内面の奥深いところにこんこんと湧き出ずる音楽(それは「波動」といってもいい)をとにかく音にすること、演奏することに全精力を注いでいたように感じる。聴衆は、だから、あたかも瞑想者を見守るようにして彼から発せられる壮大な想念の波動を受け止めていたのだった。そしてそれは実際のところその通りの出来事が起こっていたのだった。

そしていま、「たましいのトポス」の時代にあっては、彼は「聴衆」の存在を意識している。もちろん良い意味で、と言うことだが。いま彼は聴衆に伝えようとしている、湧き出ずるすべてのものを、その波動を。いわば初期の壮大な独り言の時期を脱して、いま壮大な物語の語り部として自身を機能させ始めている。だからその演奏は以前にも増してダイナミックでインタラクティヴだ。

どちらの演奏も、どちらの時期の彼も僕は好きだ。

さて、蓼科はいつもどおり「残暑」は無く、日ごとに気温が下がっている。炎天下にクルマをパーキングしておいてもお盆休みの頃ほど車内温度は上がらなくなった。日差しが和らぎ、風が優しい。コスモスが咲き、マツムシソウが咲き、ナナカマドが紅葉を始めた。

これからの1ヶ月ほどは昼は「真夏」の風情、朝晩は「秋」の風情と二つの季節を味わえる絶好の時節となる。避暑地ならではの蓼科の涼しさ(場合によっては寒く感じるかも)が酷暑に痛めつけられた心身の疲れをきっといやしてくれる。

週末の小旅行には最適の立地と気候の蓼科に是非どうぞ。

2006年08月25日

3478 青天の霹靂 午後、雷鳴を聞く

晴れのち曇り 気温:最低 14℃/最高 21℃

午後、雷鳴を聞く。換気のために開け放った窓からそれは聞こえた。あんまり良い天気なので、まさかと思ったが、やはり雷鳴に違いない。この種の雷鳴は危険信号だ。まさに青天の霹靂のごとく雷(いかづち)が着弾する。月曜日の落雷がまさにそれだった。

夏の日差しの中、パーンという轟音とともに近くの電柱をしたたか打ったのだ。そして、そこから先の家屋は停電し、インターネット回線も不通となった。電話回線が生き残ってくれたのと、ウチが電源を引き込んでいる電柱まで通電が継続してしていたので、停電だけは免れたのはさいわいだった。

今日もパソコンや周辺機器、そしてインターネット関連のケーブルを引き抜き、落雷に備える。これもピラタスの丘の夏の風物詩だ。ここ数年、夕立、雷雨が激減していたので何だかとても久しぶりのような気がする。

残暑のない蓼科ではこのまま秋が訪れる。日ごとに大地が冷えてきているのを感じる。毎朝晩最低気温は12℃〜14℃を記録している。最高気温も20℃前後でそれもしだいに低くなってきている。それでも例年よりも平均気温が高めのような実感がある。いつもなら日暮れとともに暖房を入れる日がたまにあっても不思議ではないのに、今年はそんな日がまだない。

日差しはずいぶん和らいで、クルマで街に降りてもエアコンが必要ではあるけれどじりじり焼く陽光はもうない。パーキングしておいても、戻ったときにオーブンみたいになっていることも無くなった。ピラタスの丘ではアキアカネ(赤とんぼ)がぶんぶん飛び交っている。ひとを恐れないので、歩いているとしょっちゅうぶつかってしまう。

蓼科の夏の終わりは秋の始まりでもある。それはまさに同時進行している。季節が変わるというよりは連続した音階の変化のような感じだ。そのようにして季節は進行し、僕らはしだいに真夏の熱狂から醒めて、鮮やかな色彩と静謐に満ちた秋へと舵を切るのだ。

2006年08月26日

3479 人生とは好きになった場所で...

曇りのち雨 気温:最低 14℃/最高 19℃

今日も夕立があったが、雷鳴は聞かれなかった。雨の降り方も夕立らしからぬおとなしいものだった。やはり夏は(少なくともそのピークは)過ぎ去ってしまったのだ。一時小やみになったものの、雨は再び降り始めた。

深夜、ピラタスの丘はすっかり雨雲の中にはいっている。濃密な霧のような水蒸気があたり一面に立ちこめている。いや正確に言うなら、霧のように雲の粒子が漂っていると言ったほうがいい。雨もいまは霧雨といったほうがいいかもしれない。

LEDのハンドライトの光も5m程しか届かずに真っ白な空間に拡散してしまう。そんななか、シベリアンハスキーのパル(愛犬)と散歩に行ってきた。彼は全天候型の犬だから土砂降りだろうが猛吹雪だろうが関係ないのだ。突き合わされる人間の方が大変だが、それだけに新たな発見も多い。

彼がいなかったらこんな天気の深夜に外を出歩くなんてあり得ないものね。都会から来たひとなら、この真っ白な霧に閉ざされた闇の世界におののくかも知れない。闇の中に息づくさまざまな気配に、もののけを感じて背筋が寒くなって逃げ帰ってくるかも知れない。僕らはすっかりなじんでしまっているから平気だけれど。

闇のそこここから秋の虫の音が聞こえてくる。ルルルルルルルル、ツイーッツイーッ、ジィイイイ、コロコロコロコロ、とさまざまな虫の音が微かに静寂の中の耳鳴りのように聞こえてくる。霧は地上から沸き立ち、雲は上空から吹き下ろしてくるのだ。だからこれは「雲」だと僕らにはわかる。濃密な雲の中を歩く気分はまた格別だ。こればかりは体験したものにしかわからない。

こんなときいちばん心を乱す音はなんの音だか知っているだろうか。そうだ、人間の立てる音だ、話し声とか、笑い声とか、騒ぐ声とか、いや人間の気配そのものがこの静謐に満ちた闇をかき乱す最大の要因なのだ。自然と同調できていない人間はそのような場違いな音を立てるものだから、それはそれでしょうがないのだけれど。

パルと二人で歩くことができるのはあとなん百日だろう。あと何年彼とともに暮らすことができるだろう。どうして犬は人間に比べてこんなにも短命に定められているのだろう。それを思うと胸が締めつけられる思いだ。

《人生とは好きになった場所で、好きなひとやものや犬とともに暮らすことだ。》

ある作家がそんなことを言っていたのを思い出す。そうなんだ、そのとおりなんだ。そのとおりだと思ったから、そうだと確信したから僕はこの地に移り住んだのだ。そんなささやかな望みすらかなえるのが難しい時代になった。いや昔からそれは変わりなくその通りだったのかも知れない。

僕のように《世捨て人》にならなければそれは実現できないのかも知れない。地位も名誉もささやかな自尊心も捨てて、ひとりの人間として、個人として、なんの肩書きも無いただのひととして僕はこの地へとやってきたのだった。

僕は信じられないほど軽やかになった。限りなく自由になった。こここそが自分の居場所だと確信できた。それはいまも変わりない。そして高給取りのビジネスマン時代に比べたらとても貧乏になり、もしかしたら妻や子供を不幸にしたかもしれない。そのことを考えるとやり切れなくなる。彼らはどう思っているのだろうか、訊いたとしても本当の気持ちを語ることは無いだろうしね。

もし彼らがこのことで不自由を感じていたならば僕の死によって彼らは解放されることになる。僕はあまり長生きすべきでは無いのかも知れない。

2006年08月27日

3480 料理も天然酵母パンもますます好評

曇りのち雨 気温:最低 14℃/最高 17℃

朝は曇り、それでも上を見上げれば雲間から青空がのぞいている。標高1900mから上が薄い雲に覆われている。西からどんどん雲がやって来ては北八ケ岳を駆け登って通り過ぎてゆく。ここ数日の天気はころころ変化してどうもとらえどころがない。

今朝の最低気温はいつもと変わらなかったが、大気の冷たさは格別で同じ気温とは思えないほどで、まさに秋の朝のそれだった。朝晩は完璧な秋だ。そして日中は晩夏の趣を増してきている。日差しが和らぎ、それでなくても低い湿度がさらに低くなり、そのために体感気温は実際の気温よりはるかに低く感じられる。

僕が個人的にいちばん好きな季節がやって来た。お盆休み明けから9月中旬いっぱい続くこの気候、この雰囲気が大好きだ。文字通り「避暑地の夏の終わり」の風情はとてもセンチメンタルで、つい物思いにふけってしまう。それがまた心地よく心身をいやしてくれるのがこの時節の最大の特徴かも知れない。

この夏は高山植物を始めとして、風景や空の写真をほとんど撮影できなかった。撮影しなかった、のではなくて、できなかったのだ。そのためのわずかな時間すら確保できなかった。よくもまあ乗り切れたものだと、ほっとしている。夫婦二人だけで夏休みの繁忙期、特に「怒濤のお盆休み」にペンションを切り盛りするのはじつに至難の業だとあらためて確認できた。

同時に、しかしそれは不可能では無いということも確認できた。きめ細かな業務改善によって、むしろサービスの質を高めながら、合理的な業務遂行が可能であることが見えてきた。その意味では大変有意義な夏だったといえる。早速その成果を形にすべく、サービス内容の見直しを実行している。

料理も天然酵母パンもますます好評である。豊かな自然の中でゆったりとしたときを過ごすという考え方に賛同していらして下さるお客様も劇的に増加した。そして、リピーターの方も劇的に増えている。どのようなお客様にとって快適である宿であるかということをより鮮明にアピールしていくつもりだ。その方がお客様にとっても宿の選択がしやすくなるからだ。

宿としてどのようなお客様も排除するものでは無いけれど、実際いらしていただいたときにそこにミスマッチがあってはならないと考える。ペンション・サンセットがお客様が望む通りの宿であるのか否かを可能な限り正確にお伝えしなければならないと考えている。また、どのような要望を持ったお客様にとっては適切では無いコンセプトの宿であるかということも伝えていかなければならないとも思っている。

はっきり言えることはペンション・サンセットは「お子様ペンション」とか「ファミリーペンション」というコンセプトの宿では無いということだ。あくまでも「大人の個人客」のための宿なのだ。それも大自然の中で静かに休日を過ごしたいと望むお客様のために特化した宿である。

もちろんファミリーもよろこんでお迎えしているが、あくまでも「大人」が主役であるということを強調する必要がある。大人になったときに困らないようにように、いま周囲のひとに迷惑をかけないように、日本の現代の子供には特に「公共の場(パブリック・スペース)」でのマナーを教育することこそが必須だと考える。

しかし、子供には子供の時間の流れがあり、それぞれの年齢に応じた子供の行動様式があって、それは極めて自然であたりまえのことなのだ。しかし「子供なんだから何をやってもいい」という考え方は間違っている。決然と辛抱強く公共の場での振る舞いかたを教えることが必要だが、突然「力づく」で押さえつけるのは無理があるし、不自然で子供にとってもかわいそうなことだと思っている。

だから、自然にペンション・サンセットの雰囲気になじめるような年ごろになってからお連れいただくのがベストかも知れない。そのような考え方から、基本的には3歳未満のお子様の受け入れは「応談」ということにさせていただいた。ご宿泊日のほかのお客様の構成などの状況によって受け入れ可能か否かをご相談させていただくわけだ。ご理解賜ればさいわいである。

特にリピーターのお客様で小さなお子様のいらっしゃるご家庭は是非ご相談いただきたい。お引き受けできる日はかなり多いと思うので。そしてそのような日は、ほかのお客様に必要以上に気を使うことなく、くつろいでいただけることと思う。

ペンション・サンセットにカップルの頃からいらしていて、その後結婚してお子さんが生まれてというお客様も多い。だからこそ小さなお子さんがいらしても、しっかりとフォローしますからご心配なく。

2006年08月28日

3481 「ペンション犬」も楽じゃない

曇り 気温:最低 12℃/最高 19℃

今朝の最低気温は12℃、曇り空。たまにのぞく青空がものすごくきれいだ。雲はもうすっかり秋の雲に変わっている。風もまた秋風に違いない。陽射しが柔らかい。音がまろやかに響く。大気がしっとりと優しい。

静かだ、とても静かだ。まるで自分の耳が遠くなってしまったような錯覚に陥る。秋の虫の音が聞こえる。妻が雨音と間違えていたが、これはピラタスの丘に生息する秋の虫の音に違いない。日中、シベリアンハスキーのパル(愛犬)はぐっすりと眠っている。彼にとっての試練の季節は終わった。

生まれたときからこの静かな山岳地で暮らしてきたパルは、大勢のひとと出会うお盆休みがめっぽう苦手で疲れ果ててしまうのだ。お客様が少なくなったこの時節、彼は安心してゆっくりと惰眠をむさぼることが可能になったのだ。「ペンション犬」も楽じゃないのね。

残暑のまったく無い蓼科はとてもとてもいい季節になった。

それはそうと、お盆休み直前に8ポート・スイッチングハブ Corega SW08GTV2 を導入した。これはギガビット・イーサネットワークに対応したもので、これまで使っていたバッファローのいちばん安い5ポート・ハブ LSW-TX-5EP とは見るからにパーツのグレードが違う。じっさい、体感速度も少し上がった。

かつてのハイエンドオーディオマニアとしての経験から、電気・電子機器はまじめにつくられたものならばおのずと価格相応のパーツの差があり、価格相応の品質および品質感の差が出るものだ。性能はまた別の要素がからんでくるから一概にそうとは言えない部分はあるけれど。

いずれにしてもこれで3つのグローバルIPアドレスを接続機器の速度に合わせて最大限に利用できるようになった。

8月31日に工事を行ったあと、現在の2MB〜4MBの実測値の回線速度がおよそ20MB以上になる。まあ、すぐに慣れてしまって感激もそこそこだろうけれど、速度が速いことはさまざまな側面で、僕の場合、メリットがあるので早速そちらのサービスにグレードアップを申し込んだしだい。

当然ながらペンション・サンセットの無線LANもこれまでの最大4MB〜6MB程度の実測値から20MB以上( 802.11g 規格機器を使ったの場合)へとアップする。館内に2つあるアクセスポイントは互換性を重視して 802.11b および 802.11g 互換モードになっている。

客室でも、ダイニングラウンジでもどこでも快適に無線LAN接続でインターネットをご利用いただける。ただし、パソコンや無線LANカードの貸し出しは無いので、ご自身で持参していただく必要がある。

いつでもお申し出いただければ、その場でパスワードを発行しますので、是非ご利用いただければさいわいです。

2006年08月29日

3482 はくちょう座流星群

晴れ 気温:最低 11℃/最高 20℃

昨日よりさらに冷え込んだ朝になった。最低気温11℃、たった1℃しか違わなくてもずいぶん印象が違ったものになる。まごうかたなき秋の朝だ。空の色は秋の青、白い雲の秋の雲。吹く風にはすでに秋の香りが含まれている。

気の早いナナカマドはすでに紅葉して結実し、すでにそれを落とし終わっている。たらの木もタンニン色にその葉を変化させ、今日走った奥蓼科ではもっと多くの樹木が枝の先端を黄色く赤くと変化させ始めていた。

奥蓼科のメルヘン街道(国道299号線)を走り、ビーナスラインにはいり、ピラタスロープウエイを見上げると、何やら旅人の気分。自分が東京からやってきていまこのリゾートに到着したような新鮮な感動を覚えた。蓼科はやはり僕にとっての永遠のリゾートなのかも知れない。

「はくちょう座流星群」だろうか、星がよく流れる。標高1750mでは流星はほぼ地表と平行に流れるので、燃え尽きて流れる瞬間の光芒(こうぼう)が稲光のように鮮明に見える。それはまるで水面をよぎる魚影のようでもある。

用事を済ませて帰る途中見かけた、ピラタスの丘のメインストリートの脇でうずくまっていたタヌキはどうしているだろう。けがでもしていたのだろうか。

今日もシベリアンハスキーのパルと深夜の散歩を楽しんだ(というか、この時間にならないと彼にとって快適なほど充分気温が低くならない=15℃以下)。夜だいぶ冷え込むようになってきたのでずいぶん元気を取り戻したようで、かなりの急坂でもずんずん進んでいく。

人間でいえばもう60代を軽く超えているはずなのだが、ものすごく元気だ。何だか僕の前では無理をして往年の自分の元気さを見せてくれているような気がする。そんな無理をしなくてもいいのに。これが彼なりの愛情表現かと思うと胸がジーンとなる。

2006年08月30日

3483 野生の鹿と蓼科と

曇りのち晴れ 気温:最低 14℃/最高 17℃


夕暮れ後に買い物から戻ってきたが、最近はヘッドライトに加えてフォグランプを点灯するようになった。フォグランプは低く広い照射角を持っているので路肩がよく見えるからだ。というのも山岳部の道路ではいまが最もよく野生の鹿が出没する時間帯だからだ。

はっと気づくと路肩に大きな牡鹿がぬぅーっと佇んでいたりして、これまでも何度も驚かされた。ぶつかったらこちらもただではすまない。リスやタヌキのようにクルマの直前を突然横切ったりはしないが、これはこれでとても危険なことなのだ。

ということで、最近のピラタスの丘では多くのお客様が時間帯を問わず野生の鹿と遭遇する機会が増えている。野生動物との出会いは理屈抜きで感動的だ。が、決して餌を与えてはいけない。その行為そのものが彼らを滅ぼすことになるからだ。

食生活を変化させ、生活圏が変わり、自然の中で生きていく力が失われていく。それでなくても食害被害は甚大で、いまでもすでに鹿は害獣駆除の対象となっているのだ。餌を与えることは直接的に彼らを追いつめることになるということを是非理解して欲しい。

それはさておき、この夏のたくさんのお客様でにぎわった蓼科もいまはすっかり落ち着きを取り戻し、静寂に満ちた晩夏を迎えている。手付かずの自然の中で、じっくりと静寂と対話するのもまたおつなものだ。それは自分自身との対話でもあるだろう。

蓼科のこの季節はなぜかとてもセンチメンタルな風情で、僕はとても好き。ペンション・サンセットを開業することなんてまったく考えていなかった頃から(想像すらできなかった頃から)、好んでこの季節に蓼科を訪れていたのを思い出す。

ピラタスの丘ももはや気温が20℃を越えることはまれになり、最低気温もどんどん下がってきている。9月にはいれば朝10℃を切る日も多くなりそうだ。空は澄み渡り、美しい形の雲が油彩のような絵を描いて見せてくれる季節になる。

大気が限りなく透明になって、くっきりとした輪郭の風景がその鮮明さゆえにむしろ非現実的に見えてくる季節でもある。晴天率も夏より格段に高まり、展望が開ける。当然夜空は満天の星に彩られ、りんとした大気のもと「星を見るひと(stargazer)」の季節到来だ。

限りない静寂の中でうまい空気をたらふく吸って、ただぼーっと物思いにふけるには9月の蓼科が最適だと僕は思っている。いずれにしても9月の蓼科では空を眺めるのが吉。何しろ僕自身がそういうひとで、毎年そのように過ごしているのだから間違いない。信用していいと思うよ。

2006年08月31日

3484 ナイトハイク

晴れ 気温:最低 10℃/最高 20℃

午後10時半、シベリアンハスキーのパルと散歩に出る。森の小径を抜けて標高を50mほど上げたところで突然疾風にあおられる。出発した時からざわざわと音だけは聞こえていたのだけれど、それが風の音だとはすぐには気づかなかった。今夜はかなり強い風が吹いている。

風速5m〜10mほどの風が道に沿って吹き抜けていく。見上げれば高い樹木の先端が大きく揺れている。月齢6日の夜空は明るく、そのために星はあまり見えない。しかしピラタスの丘の道は真っ暗だ。ハンディーライトを消すと、ほとんどなにも見えなくなる。

とても寒く感じる。思わず裏地がメッシュのThe North Faceのウインドブレーカーの襟を立てる。ほんとうに「秋」がやってきたことを実感する。

僕はこのナイトハイクとでもいえる愛犬との散歩がとても好きだ。それはこのように季節をダイレクトに感じることができるからかも知れない。

以上は昨夜の出来事。


今日の天気は終日穏やかな晴れ。静かな静かな初秋の雰囲気に満ちているが、季節は「晩夏」だ。見上げれば夏の暑気と秋の涼気の行き合う「行合の空(ゆきあいのそら)」になっている。積雲の上に少し離れて巻積雲がひろがっている。ああ、秋なんだなあ。

夜、愛犬と散歩していると叢(くさむら)でコオロギが鳴いているのが聞こえる。昨日の夜もそうだったけれど、気温はお盆の頃と変わらないのにやたらに肌寒く感じる。これは身体が変化したのか、それとも大地が冷えたことによるものなのか。

今夜は星が見えない。上空に雲があり、ピラタスの丘じたいも密度の薄い雲に覆われているからだ。それはちょうど上空から霧が吹き下ろしてくるような感じに見える。ひんやりとした大気が心地よい。今夜の気温ももはや半袖ポロシャツ1枚では寒くて、ウインドブレーカーの襟を立ててちょうどいい。

日中は夏、朝晩は秋というこの季節感はあと半月ほど続く。ふたつの季節が行き合うとてもすてきな季節だ。この季節は蓼科のプレミアム・シーズンといえるかも知れない。おすすめだ。

★★★

予定通りあっというまに工事が終わって今日からペンション・サンセットのインターネット回線(CATV)の速度は20MB(実測)保証のものとなった。体感的にはあまり早くなったようには感じられないが、ファイルのアップロード、ダウンロード作業時や、ムービーなどを観るときにその速さを実感できる。

これまで月額4200円(税込)だった接続料金が月額5000円(税込)になるが、800円の差額が、それに見合った快適性・利便性をもたらすのかどうかはこれからの評価になる。まったく、10年前には28.8KBのモデムでも(それまでの14.4KBモデムに比べて)ものすごく速いと感じ、64KBのISDNになったときなんて「なんて速いんだ!」と感激したものなのに、人間というのはなににでもすぐになれてしまうものなんだ。

About 2006年08月

2006年08月にブログ「蓼科高原日記 Blog edition」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

次のアーカイブは2006年09月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.
Powered by
Movable Type 3.35